そこまで来ると原動力は、受かった後の「薔薇」色キャンパスライフと周りの人の笑顔。自分の合格報告で喜んでくれるであろう人を書き出して喜ぶ顔を想像し、エンジンを入れ直しました。普段これでもか、と言うほど親と反りが合わない僕でも親に喜んでもらいたいと思えました。
何とか最後まで正気を保ち、やることはやり切って前日は京大の下見。ここで俺の人生決まるんかぁ。
当日は友達とプレミアムカーで勉強しながら向かいました。1日目はそんなやることないな。ゆる〜く友達と話しながら国語数学。数学は明らかすぎる難化で逆に安心しました。
帰ったら疲れて19時には寝落ちし、目覚めたら朝の3時。勉強する前に散歩しよ。この時間は誰もおらん塾の前とか、友達と勉強終わりにだべった場所とか、休みの日に勉強してたマクドとかを巡って感傷に浸りました。帰って軽く勉強し、集中力が極限になった状態でプレミアムカーに乗車。これが良くなかった、、、
電車で下見て勉強しすぎて酔った。吐きそうやしお腹痛いしプレミアムカートイレないし、横を見ると友達も全く同じ状況でともに絶望してました。
これなかなかヤバいかもな、、、。少なからず危機感を覚えました。
なんやかんや耐えて2日目もヌルッと終わり、勉強から解放。後期は小論文やから対策はしません。まあ受かったやろ思いつつ遊び、卒業し、旅行し、合格発表の日。
ネットが混んで入られへんくて家で待つ時間が嫌やったので、スマホを置いて野球をしに行きました。
今日が人生の分かれ道になるんかー、すごい日やなぁ、、、淀川河川敷の青空がいつもより濃い色をしてた。
12時5分に友達が耐えきれずに合否を見て不合格、
その周りがことごとく落ちまくってるのを知ってさすがに焦りました。今年って落ちる年なん?
その後もダラダラ野球して、家帰ったら14時。
あっけないぐらいすぐアクセスでき、番号をたどると、
0075
おおあるやん、
喜びよりはまず安心が大きかった。長年の目標がまず1個達成出来て良かった。周りに受かると思われてるのがプレッシャーだったのですが、プレッシャーに負けんくて良かった。
(こんな偉そうに言ってるけど、本番は英語で謎の爆死かまして、結局合格平均ぐらいに落ち着いたのはここだけのオハナシ)
けど何よりも、じいちゃんばあちゃんが僕よりも親よりも喜んでくれたのがいちばん嬉しかった。直前期のしんどい時でも、帰り道に夜ご飯食べに寄ったらいつでも温かい料理出してくれて、いつも通り接してくれるじいちゃんばあちゃんが大好きだったので、期待してくれることの尊さをより深く感じました。これから恩返し頑張っていきます。
ここまで頑張ってこられたのは、頑張らざるを得ないぐらい周りの環境に恵まれていたからでしょう。周囲の仲間のレベルが高い、頑張れる勉強環境が整っている、頑張りの成果を認めてくれる友達や先生がいる。当たり前は当たり前じゃないことに気づきました。
今はなんか下振れかもしれんけど、人生全体で見たら良い環境に置かせてもらえてたんやなと感じています。
さて、ここまである単語が出てきていないことに気づいたでしょうか。そう
「東大」
18年間の人生の中で東大を目指したことはありませんでした。
将来東京で働くなら東大に行くに越したことはないし、成績的に見ても射程から外れていた訳ではなかったのですが、北野生はとりあえず京大!!の風潮に流されました。
東大を目指していたら変わったんじゃないか、もっと頑張れたやろうなぁ、、、
いろいろ考えて夜も眠れなくなりました。
コンプは夏まで消えず、メグ様には、どうしても外せない予定と称して関カレを休ませていただき、東大オープンを受けに行きました。
感覚は悪くなかったのですが、名前をふざけて「京大仮面太朗」にしたら成績表が帰ってきませんでした。どこまでが苗字かわからんかったんでしょう。
諸々考えた結果、さすがに頭がおかしいことに気づき、いったん諦めることにしました。
いくとすれば、東大の公共政策大学院に行こうと決めました。
まだまだ受験は終わらないかもしれません。
さて、ぼくが勉強をする中で学んだことは、
①量にこだわること
勉強は量こそが至高です。量を重ねる中で自分に合う真のやり方を見つけられます。人のやり方を取って付けるだけで出来るようになるほど、勉強は甘くないことはよく学びました。
量をやっていないのに、勉強は量より質やっていう人は、学歴がないのに、学歴は社会で役に立たないって言うのと同じぐらい恥ずかしいことだと思います。
②目指せる内は上を目指すこと
大学生にもなって自腹で冠模試を受けに行きたくないなら、がちで強調したいこと。ある大学にこだわりがあるなら別ですが、決まってないならまずは上を目指してみましょう。途中でしんどくなってきたら下げたら良い。無理してまでいく価値のある大学なんてそうそうありません。けど、後になったら上げたくてもなかなか上げられへん。やらない後悔よりやって後悔。
そして、上に照準を合わせて本気でやっていれば、意外と届くもんです。本気でやれば、ね。
③勉強を楽しむこと
出来へんかった問題が、勉強して出来るようになると、経験値をためてボスに勝った様な感じがするんですよねー。レベルアップというかそんな感じ。その感覚にはまり、楽しみながら勉強できたと思います。勉強って誰もがせなあかんことやから、楽しめたら人生幸せちゃう?
絶対的な努力を重ねてきたけど、それでも不安な受験生へ
その一、
本番で実力を100%発揮できる人はほとんどいません。つまり実力的に順当にいけば、多少こけても受かるってことです。むしろどこかでミスってる前提でいくと気が楽です。
その二、
圧倒的な問題量をこなしてきたあなたが解けないと判断した問題は、ほとんどの人が解けません。つまりそれは解けなくても合否に影響しない問題です。
その三、
あなたが当たり前に解けると思っている問題たちは、受かるか落ちるかの瀬戸際の受験生からしたら容易に解ける問題ではありません。まず受からない受験生には解けません。つまり、あなたは当たり前に解ける問題を当たり前に解くだけでアドバンテージを得られます。
これらはすべて今までの努力量に裏付けられています。間違いなく。努力に基づく明確な自信は何よりも背中を押してくれます。
王貞治は、
『努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力とは言えない。』
と言いましたが、今までの努力は、努力の顔をしたパチモンでしょうか。
いや違うでしょう。つまり真の努力をしてきたってことです。つまり報われるってことです。
引用二文目の対偶を考えれば一発ですね。
つまりを多用しすぎましたが、そういうことです。背伸びせず、誤魔化さず、ありのままを解答用紙に落とし込むだけ。
僕は直前期、頑張れって言われるのが嫌いでした。なぜなら言われなくてもこの上なく頑張っていたから(今思えばひねくれてただけ、頑張れっていってくれていた人たちありがとう)。
柄にもなく、終始真面目に書いてしまいました。
まあ、ほとんどの受験生はもう全身全霊で頑張っていると思うので、頑張れとは言いません。
応援しています。
是非京大に来て、「鼠」色キャンパスライフを楽しみましょう!!
2024→2025 STARDOM
おつかれさまです。藤本です。遅れてすみません。
本日のメニューです。
メニュー作ってくれた中堂さん、スタッフの皆さん、ありがとうございした。
全体的にブレのタイムと感覚が良くなってきてます。最後のダイブは100やる羽目になりましたが、結構いいタイムが出たと思います。最近成長が実感できて嬉しい。
さて、合格体験記、何から書きましょうか。
そもそも初めに僕が京大を意識し始めたのは幼稚園の頃でした。ほんとです。
親父が京大出身で卒業後も京大と馴染みがあったということもあり、京大というものは僕にとって幼い頃から身近な存在でした。当時すでに「ぼくきょうだいいきたい」とか言ってた気がします。将来有望にも程がありますね。
とは言っても別に親は僕を塾や公文に通わせたりすることはありませんでした。ただ、親父は物理屋で科学に興味を持つようにめちゃくちゃ仕向けられました。でもことごとくあまり興味は持ちませんでした。
SFやアニメの影響か宇宙やロボットに憧れたりはしていました。
そんなこんなで小学校では中の上くらいの成績で、小5の時に周りで受験する子が多かったのでなんとなく中学受験をしようと決めました。
塾に通い始めたのが小5の秋なのでめっちゃ遅いですね。中受舐めてますわ。当然当時の僕はあほあほやし勉強も普通に嫌いやったんで、普通に塾の入塾テストに落ちたりしました。
結果は当然不合格。そもそも僕は何かを頑張るという経験なんて全くしてこなかったので。
でも人生初の挫折なので泣きました。よう考えたらあんま頑張ってなかったから30分もすれば完全に立ち直ったんですけども。
ということで地元の公立中学に入りました。悔しさをバネに無双しました。嵯峨野余裕で受かりました。私立もついでに受かりまくりました。英語は97点とかでした。
嵯峨野余裕で受かったんで正直高校も余裕やろ、まあ目指すは京大?いけるやろって感じでした。
ところがどっこい高校受かって勉強しなくなった僕の学年順位は下降の一途をたどり、一時学年順位は40位ほどまでに。
正直僕は頭が良いと思ってました。でも周りには賢いやつがワンサカいて、僕は青チャートどんだけやっても頭に入ってこなくて、授業も寝まくってあー俺ってあんま頭良くない上に怠惰やなあとか思ってました。
高2になる直前、密かに東大をターゲットに据えました。別に成績があがって調子に乗ったとかじゃないです。勉強頑張る上でその方が燃えると思ったからです。
あと、その時の僕は宇宙開発に興味があり、京大では理論的な研究しかできないと思ったからです。そして、京都脱出。夢の一人暮らし。
この時一旦心が京大から離れました。
高2の時が一番勉強で迷走してました。青チャートなんぼやっても頭に入らん。なのに次から次へと参考書に手をつける。授業は普通に寝る。テスト前に詰める。目指すレベルが高いならこれくらいできないといけない。気持ちでは頑張ろうと思っていても、全然行動と結果に結びついていませんでした。
そして秋、志望校を京大にしました。東大は無理。流石に無理してまで行きたくはない。京大はなんか楽しそうやし。大学で何やるかは大学入ってから考えよう。とりあえずおそらく僕がやりたいであろうことは物理工にあるはずだと漠然と考え、京大物理工にしました。
高3。あんま記憶がないです。
部活をあんまり頑張れなかったことが個人的にすごく心残りで、引退した後も度々思い出しては軽く後悔の念に駆られました。引退の少し前に軽くトラブルがあり、その時は本当に早く引退して受験勉強だけしたいとすら心の底で思ってしまったりしました。
結局勉強に気を取られてフワフワしたまま引退しちゃいました。周りの友達が部活を悔いなく終えて、涙の引退をしていく中、僕は少しも泣けませんでした。どこかホッとしていて、無関心な自分がいました。そんな自分に少し嫌気がさしたりもしました。
勉強に関する悩みよりも、こっちの悩みの方が今でもよく思い出せます。
それからは感情を無にして勉強マシーンになってました。同じ時間に起きて同じ時間に予め決めたことを勉強する。塾の授業込みで学校ある日は4時間、学校ない日は12〜14時間。よーこんなやったなほんま。この時の僕は週単位で計画を立ててちゃんとそのとおりやってました。ほんまよーやったな。
夏の模試は実戦がE判定。オープンがB判定。E見た時は受験期一萎えました。落ちるビジョン普通に見えました。
秋の模試は実戦がD、オープンがB。地球工A判定はちょっと希望見えた。
なんやかんやで迎えた共通テスト。会場はなんと京大!中央食堂が待機場所で、受験会場は経済学部かなんかの建物だった気がします。高校の友達が一緒だったのであまり緊張しませんでした。縄跳びやサッカーボールを持ってきてるやつがいて、昼休みにみんなで遊んだのはいい思い出です。
共テは地理91点で傾斜89パーで個人的には大勝ち。
直前期はギリギリまで点を伸ばせそうな物化英にbetしました。京大の理科の過去問25年やっちゃったから東大とか阪大の過去問解いてました。
あとは、これは秋からやってたのですが、その日やったことや演習とかで自分がやったミスや気づきや抜けを専用のノートに毎日各科目ごとに記録してました。
こういう記録は見返すことでまとめて簡単に振り返ることができるし、つけるだけで安心感も得られるのでおすすめです。
二次試験本番の感覚はまあフィフフィフって感じでした。時間が経つほど不安が強くなる。試験終わったら一旦落ちたってことにして予備校探ししたり、後期で受ける神戸と浪人を天秤にかけたりしてました。
合格したのがわかった時はほっとしました。
物理工に受かったのはちょっと驚きました。高校の友達と京大のクスノキの前に集まってみんなで喜びました。
ちょっとメッセージ性の薄い合格体験記になっちゃいました。
受験期の苦労した思い出はもう結構忘れちゃいました。
でも、友達とカフェで勉強したり、塾の自習教室にみんな集まって勉強したり、学校の休み時間にわちゃわちゃした時間は意外としっかり覚えていて、今となっては輝いて見えます。
振り返ってみると、あいつらがいなかったらあんなに毎日楽しくやっていけなかったかもしれないです。受験は個人戦だけどみんなで頑張るものだったのかもしれません。
京大は楽しいです。死ぬほど勉強して行くだけの価値はあるはずです。だから、何があっても受かってください!
僕は今水泳と京大水泳部での日々が楽しくて仕方がないです。
みなさんが京大で充実した日々を送れますように。
2024→2025 stardom
お疲れ様です。2回生マネージャーの樋口です。
今日のメニューです。
笹村さんメニューありがとうございました。スタッフの方もいつもありがとうございます。
選手の方もお疲れ様でした。
合格体験記いきたいと思います。
遡って、中学生のとき私は地元の中学校に進学しました。成績はですね、最初の1年くらいはそこそこの勉強で30位くらい、そして見事にガタ落ち3年の時には水泳を言い訳に80位くらい(250人中)になりました。
そこで3年の時から集団の塾に通い始めました。これが私には合っていて周りも成績が上がっていたので順位はそこまで上がることはなかったけれど勉強が好きになっていきました。志望校を決める時、どうしても家の近くの高校には行きたくなかったんです。(そこは県内で3番目くらいの頭でした)、そうなると志望校を上げるしか無かったので、高志高校を書きました。高志に行きたいかと言われれば、悩めるくらいの思いでしたが、塾で12時間勉強して家に帰って勉強して図書館に行って勉強して、、、何だかんだ頑張れてました。
ここで頑張っている私に担任の先生からのメッセージ「お前受からんからな???」わざわざ呼び出されて受からんってま正面で言われました。女性です。この方。私ぽかーん。まぁ今思えばもっと勉強しろってことなんかなって思いますけど当時は心えぐられましたね、
そして高校受験。自分が解きやすい問題が多くて英語は満点、数学も95点ほどだったため無事受かり藍ちゃんとも同じ高志高校に入学しました。
さぁ、ここから地獄の下り坂です。
数学が小学生の時から好きだった私は2年の時に理系を選択します。ここで私の高校について少し説明すると、高校が一応中高一貫だったので、内進の人達は中3で少し高校の勉強もしてくるんですよ。これがまた高入(高校から入学した人)を苦しめました。理系なんて意味わからんスピードで教科書が進んでいくんですよ。まぁ着いていけず、成績なんて下から数えた方が早かったです。
ここで病気。2年の時になりました。勉強も水泳も無理になりました。成績も下がり続け、高校にもあまり行けなくなり、ギリ3年に上がることが出来るくらいでした。
やっと受験期。
志望校は一応大阪公立でした。結果から言うと共テで爆死、滑り止めで出した国公立も死亡。原因は物理全捨てです。まぁそりゃこうなる。勉強する時間が3年の後半しか無かった私は物理を全て捨てました。
死亡した私に残されたのは浪人か、私立。どちらも親は反対というか選択肢に無いという感じでしたがさすがにやつれた私を見て同情したのか私立でもいいよ。と言ってくれました。そこで私立を探すことに、物理全捨ての私にとって物理は敵です。なので私立後期に物理がないところ、、、あと関西。その条件に当てはまったのが京産でした。
京産の後期で受かり、今に至ります。人って嫌な記憶をすぐ忘れるのでしょうか。あまり覚えてなくて焦りますね。
今なんで単位にこんなにも追われているのか、、、大学は健康に真面目に頑張ると決めて入学したはずなのですが、、、、、おかしい。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
頑張って勉強した経験はいつか自分の役に立つと思います。頑張ってください
2023→2024 STARDOM
おつかれさまです。
代打を頼もうかと思いましたが、練習来てなくても書いていいということだったので、書かせていただきます
2月ももう半分が過ぎました。早いですね。
でも1年前の受験期はかなり前のことのように感じられます。
つらつらと書いていたら1万字超えてしまいました。
長いの読むのだるいと思うのでshortバージョンでお送りします
メニュー作ってくださった湧強さん、スタッフのみなさんありがとうございました。
選手の皆さんもおつかれさまでした。
じゃあ合格体験記を書きます。
京大農学部資源生物科学科1回生の下山和輝です
僕は関東の高校でした
高1の時に志望校を決めさせられました
当時は全然大学も知らず
東大京大早稲田慶応あとちらちらと、
英語が話したかったのでまずCornell Universityを第一志望にしました
担任に呼ばれ、理由を聞かれました
英語が話したいというと
日本の大学に行ってから、留学するのはなしなのか
あんまり興味がなく、全然調べていなかったので、何も言えず。
結局当時マイブームだった昆虫について学べる大学を調べ
ちらほら出てくる京大農学部資源生物科学科にしました
なんか東大よりヒット数が多かった気がしたので、
また進学校だったこともあり、高2で部活をやめる人が多い中
僕は高3になっても水泳部を続けました
同期に6人ほど続けてる人がいました
6月
一旦自分の現状を把握するために模試を受けました
東進の京大本番レベル模試です
初めて京大の問題を見て、こんな感じなんだと思いました
全然解けなかったです。
結果は E判定 全国偏差値49.5
自分が高2の時にうちの部活がリレーでインハイに行きました
高3の時はメンバーにはなれませんでしたが、多分インハイ行けそうでした
自分が補欠でついていくには8月の地獄の合宿に行かないといけませんでした
色々考えたうえでそれは断ることにしました
みんなびっくりしてました
結局6月末の高校総体は2週間前にコロナになり
何とか先延ばして、7月第1週目の大会で引退しました
そこからの目標は夏の京大模試
8月13日 第1回京大オープン
8月20日 第1回京大実戦
夏は蝉に負けないように6時から23時まで場所を変えながら勉強しました
一緒に勉強する仲間も増えました
第1回京大オープン
引退後から勉強頑張ったので6月よりは手ごたえありました
けど、あまり自信はありませんでした
模試後に復習しているときに京大の問題が解ければいいと気づきました
東大や京大は頭のいいひとが集まるところではなく
共テと二次試験で点数を取った人が集まるのです
IQが低くても、定期試験が低くても、その2つさえできれば大丈夫です
極論2つのうちどっちかできれば多分大丈夫です
そこから実戦模試までは京大実戦の過去問をやりました
第1回京大実戦
1週間実戦模試の過去問をやったのでかなり手ごたえはありました
結果
第1回京大オープン B判定 全国偏差値52.2 第1志望順位 40/192
引退して1か月勉強しただけでEからBまで上がったことにびっくりしました
けどまぐれだと思い、あまり真摯に受け止めませんでした
第1回京大実戦 A判定 全国偏差値61.4 第1志望順位 13/202
過去問もやった甲斐もありA判取れました
さすがに1か月でEからAにいけるほど受験は甘くないと思っていたので
この結果も信じず、まぐれだと思いました
そこから2か月が過ぎ
秋の模試がやってきました
11/3 第2回京大オープン
11/19 第2回京大実戦
夏はまぐれのせいで実際の実力をはかることができなかったので
次こそは現状を把握できると思いました
結果
第2回京大オープン A判定 全国偏差値56.4 第1志望順位 27/243
第2回京大実戦 A判定 全国偏差値60.9 第1志望順位 17/227
結局どっちもA判定で今度はさすがに信じました
京大の問題が解けるように勉強しすぎて
京大模試だけ良い人になってしまいました
共テ模試の結果は残っていないのですが
共テは全然できませんでした
この時点で共テは最低限やって、二次で挽回しようと思いました
共テは嫌いで、過去問演習とかも苦痛で
一方京大の問題は解いていて楽しかったのでそっちをやりました
結局共テは8割くらいでリサーチもD判定でした
でも京大模試とドッキングしたらB判定になったのでまあいいっかと思いました
共テが終わってから二次本番までの間で
今まで手を付けずにとっておいた過去問25年分を国語以外全部やりました
現代文はどうせ変わらないと思い、1年もやりませんでした
京都に来てからは勉強が手に付かず、観光をして試験に臨みました
合格発表はすでに海外大学の合格が出てた友達と見ました
受験番号が1桁で開いた瞬間あるのが見えたので、
「あ、あるわ、やったー」って感じで
友達の方がびっくりしてました
母に電話して「なんか受かりました」って言ったら
「あーよかったね。」と言われ、こんなもんかと思いました
みんなの話聞いてるともっと喜んでるみたいです
受験期に最も嫌だったのが「睡魔」でした
こいつの対処法を紹介します
・濃いお茶を飲む
・無理ならパックの茶葉ごと飲み込む
・ウコンを飲む
・顔を洗う
・すごい滲みる目薬をさす
・辛いタブレットを食べる
・食事は散歩しながら食べる
・ペンでツンツンする
・あきらめて仮眠する
寝てしまうと意識がなくなってしまいます
意識さえあれば自制して勉強できると思うので
寝落ちだけはしないようにしましょう
最後に友達と一緒に勉強した時の思い出の写真をいくつか貼ります
↑ どこでも勉強セット
↑ 勉強のし過ぎでおかしくなった友達
↑ 雪の中でも自習室に来た友達
↑ 雪の中 どこでも勉強セットを運ぶ僕
↑ 入試当日のクラスグル
振り返るとみんなと学校や図書館、駿台の自習室で勉強するのは楽しかったです
わからない問題をみんなで議論する時間
お昼ご飯や夜ご飯を一緒に食べる僅かな休息時間
たまに息抜きで行ったサウナや夜景
疲れることはあっても色々考えながら勉強するのが結局は楽しかったです
もしかしたら今より楽しかったかもしれません
それはきっと
休み時間になると授業でやった問題について楽しそうにああだこうだいうクラスメイト
次の授業時間も忘れてそこに混じる先生
わからないことを質問すると一緒に考えてくれる友達がいたからだと思います
受験生活もかけがえのない高校生活の一部です
いやいややるんじゃなくてせっかくなら楽しみましょう
楽しむと捗るし、捗ると成績も伸びて、さらに楽しいです
2023→2024 STARDOM