おつかれさまです。藤本です。遅れてすみません。
本日のメニューです。
メニュー作ってくれた中堂さん、スタッフの皆さん、ありがとうございした。
全体的にブレのタイムと感覚が良くなってきてます。最後のダイブは100やる羽目になりましたが、結構いいタイムが出たと思います。最近成長が実感できて嬉しい。
さて、合格体験記、何から書きましょうか。
そもそも初めに僕が京大を意識し始めたのは幼稚園の頃でした。ほんとです。
親父が京大出身で卒業後も京大と馴染みがあったということもあり、京大というものは僕にとって幼い頃から身近な存在でした。当時すでに「ぼくきょうだいいきたい」とか言ってた気がします。将来有望にも程がありますね。
とは言っても別に親は僕を塾や公文に通わせたりすることはありませんでした。ただ、親父は物理屋で科学に興味を持つようにめちゃくちゃ仕向けられました。でもことごとくあまり興味は持ちませんでした。
SFやアニメの影響か宇宙やロボットに憧れたりはしていました。
そんなこんなで小学校では中の上くらいの成績で、小5の時に周りで受験する子が多かったのでなんとなく中学受験をしようと決めました。
塾に通い始めたのが小5の秋なのでめっちゃ遅いですね。中受舐めてますわ。当然当時の僕はあほあほやし勉強も普通に嫌いやったんで、普通に塾の入塾テストに落ちたりしました。
結果は当然不合格。そもそも僕は何かを頑張るという経験なんて全くしてこなかったので。
でも人生初の挫折なので泣きました。よう考えたらあんま頑張ってなかったから30分もすれば完全に立ち直ったんですけども。
ということで地元の公立中学に入りました。悔しさをバネに無双しました。嵯峨野余裕で受かりました。私立もついでに受かりまくりました。英語は97点とかでした。
嵯峨野余裕で受かったんで正直高校も余裕やろ、まあ目指すは京大?いけるやろって感じでした。
ところがどっこい高校受かって勉強しなくなった僕の学年順位は下降の一途をたどり、一時学年順位は40位ほどまでに。
正直僕は頭が良いと思ってました。でも周りには賢いやつがワンサカいて、僕は青チャートどんだけやっても頭に入ってこなくて、授業も寝まくってあー俺ってあんま頭良くない上に怠惰やなあとか思ってました。
高2になる直前、密かに東大をターゲットに据えました。別に成績があがって調子に乗ったとかじゃないです。勉強頑張る上でその方が燃えると思ったからです。
あと、その時の僕は宇宙開発に興味があり、京大では理論的な研究しかできないと思ったからです。そして、京都脱出。夢の一人暮らし。
この時一旦心が京大から離れました。
高2の時が一番勉強で迷走してました。青チャートなんぼやっても頭に入らん。なのに次から次へと参考書に手をつける。授業は普通に寝る。テスト前に詰める。目指すレベルが高いならこれくらいできないといけない。気持ちでは頑張ろうと思っていても、全然行動と結果に結びついていませんでした。
そして秋、志望校を京大にしました。東大は無理。流石に無理してまで行きたくはない。京大はなんか楽しそうやし。大学で何やるかは大学入ってから考えよう。とりあえずおそらく僕がやりたいであろうことは物理工にあるはずだと漠然と考え、京大物理工にしました。
高3。あんま記憶がないです。
部活をあんまり頑張れなかったことが個人的にすごく心残りで、引退した後も度々思い出しては軽く後悔の念に駆られました。引退の少し前に軽くトラブルがあり、その時は本当に早く引退して受験勉強だけしたいとすら心の底で思ってしまったりしました。
結局勉強に気を取られてフワフワしたまま引退しちゃいました。周りの友達が部活を悔いなく終えて、涙の引退をしていく中、僕は少しも泣けませんでした。どこかホッとしていて、無関心な自分がいました。そんな自分に少し嫌気がさしたりもしました。
勉強に関する悩みよりも、こっちの悩みの方が今でもよく思い出せます。
それからは感情を無にして勉強マシーンになってました。同じ時間に起きて同じ時間に予め決めたことを勉強する。塾の授業込みで学校ある日は4時間、学校ない日は12〜14時間。よーこんなやったなほんま。この時の僕は週単位で計画を立ててちゃんとそのとおりやってました。ほんまよーやったな。
夏の模試は実戦がE判定。オープンがB判定。E見た時は受験期一萎えました。落ちるビジョン普通に見えました。
秋の模試は実戦がD、オープンがB。地球工A判定はちょっと希望見えた。
なんやかんやで迎えた共通テスト。会場はなんと京大!中央食堂が待機場所で、受験会場は経済学部かなんかの建物だった気がします。高校の友達が一緒だったのであまり緊張しませんでした。縄跳びやサッカーボールを持ってきてるやつがいて、昼休みにみんなで遊んだのはいい思い出です。
共テは地理91点で傾斜89パーで個人的には大勝ち。
直前期はギリギリまで点を伸ばせそうな物化英にbetしました。京大の理科の過去問25年やっちゃったから東大とか阪大の過去問解いてました。
あとは、これは秋からやってたのですが、その日やったことや演習とかで自分がやったミスや気づきや抜けを専用のノートに毎日各科目ごとに記録してました。
こういう記録は見返すことでまとめて簡単に振り返ることができるし、つけるだけで安心感も得られるのでおすすめです。
二次試験本番の感覚はまあフィフフィフって感じでした。時間が経つほど不安が強くなる。試験終わったら一旦落ちたってことにして予備校探ししたり、後期で受ける神戸と浪人を天秤にかけたりしてました。
合格したのがわかった時はほっとしました。
物理工に受かったのはちょっと驚きました。高校の友達と京大のクスノキの前に集まってみんなで喜びました。
ちょっとメッセージ性の薄い合格体験記になっちゃいました。
受験期の苦労した思い出はもう結構忘れちゃいました。
でも、友達とカフェで勉強したり、塾の自習教室にみんな集まって勉強したり、学校の休み時間にわちゃわちゃした時間は意外としっかり覚えていて、今となっては輝いて見えます。
振り返ってみると、あいつらがいなかったらあんなに毎日楽しくやっていけなかったかもしれないです。受験は個人戦だけどみんなで頑張るものだったのかもしれません。
京大は楽しいです。死ぬほど勉強して行くだけの価値はあるはずです。だから、何があっても受かってください!
僕は今水泳と京大水泳部での日々が楽しくて仕方がないです。
みなさんが京大で充実した日々を送れますように。
2024→2025 stardom
お疲れ様です。2回生マネージャーの樋口です。
今日のメニューです。
笹村さんメニューありがとうございました。スタッフの方もいつもありがとうございます。
選手の方もお疲れ様でした。
合格体験記いきたいと思います。
遡って、中学生のとき私は地元の中学校に進学しました。成績はですね、最初の1年くらいはそこそこの勉強で30位くらい、そして見事にガタ落ち3年の時には水泳を言い訳に80位くらい(250人中)になりました。
そこで3年の時から集団の塾に通い始めました。これが私には合っていて周りも成績が上がっていたので順位はそこまで上がることはなかったけれど勉強が好きになっていきました。志望校を決める時、どうしても家の近くの高校には行きたくなかったんです。(そこは県内で3番目くらいの頭でした)、そうなると志望校を上げるしか無かったので、高志高校を書きました。高志に行きたいかと言われれば、悩めるくらいの思いでしたが、塾で12時間勉強して家に帰って勉強して図書館に行って勉強して、、、何だかんだ頑張れてました。
ここで頑張っている私に担任の先生からのメッセージ「お前受からんからな???」わざわざ呼び出されて受からんってま正面で言われました。女性です。この方。私ぽかーん。まぁ今思えばもっと勉強しろってことなんかなって思いますけど当時は心えぐられましたね、
そして高校受験。自分が解きやすい問題が多くて英語は満点、数学も95点ほどだったため無事受かり藍ちゃんとも同じ高志高校に入学しました。
さぁ、ここから地獄の下り坂です。
数学が小学生の時から好きだった私は2年の時に理系を選択します。ここで私の高校について少し説明すると、高校が一応中高一貫だったので、内進の人達は中3で少し高校の勉強もしてくるんですよ。これがまた高入(高校から入学した人)を苦しめました。理系なんて意味わからんスピードで教科書が進んでいくんですよ。まぁ着いていけず、成績なんて下から数えた方が早かったです。
ここで病気。2年の時になりました。勉強も水泳も無理になりました。成績も下がり続け、高校にもあまり行けなくなり、ギリ3年に上がることが出来るくらいでした。
やっと受験期。
志望校は一応大阪公立でした。結果から言うと共テで爆死、滑り止めで出した国公立も死亡。原因は物理全捨てです。まぁそりゃこうなる。勉強する時間が3年の後半しか無かった私は物理を全て捨てました。
死亡した私に残されたのは浪人か、私立。どちらも親は反対というか選択肢に無いという感じでしたがさすがにやつれた私を見て同情したのか私立でもいいよ。と言ってくれました。そこで私立を探すことに、物理全捨ての私にとって物理は敵です。なので私立後期に物理がないところ、、、あと関西。その条件に当てはまったのが京産でした。
京産の後期で受かり、今に至ります。人って嫌な記憶をすぐ忘れるのでしょうか。あまり覚えてなくて焦りますね。
今なんで単位にこんなにも追われているのか、、、大学は健康に真面目に頑張ると決めて入学したはずなのですが、、、、、おかしい。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
頑張って勉強した経験はいつか自分の役に立つと思います。頑張ってください
2023→2024 STARDOM
おつかれさまです。
代打を頼もうかと思いましたが、練習来てなくても書いていいということだったので、書かせていただきます
2月ももう半分が過ぎました。早いですね。
でも1年前の受験期はかなり前のことのように感じられます。
つらつらと書いていたら1万字超えてしまいました。
長いの読むのだるいと思うのでshortバージョンでお送りします
メニュー作ってくださった湧強さん、スタッフのみなさんありがとうございました。
選手の皆さんもおつかれさまでした。
じゃあ合格体験記を書きます。
京大農学部資源生物科学科1回生の下山和輝です
僕は関東の高校でした
高1の時に志望校を決めさせられました
当時は全然大学も知らず
東大京大早稲田慶応あとちらちらと、
英語が話したかったのでまずCornell Universityを第一志望にしました
担任に呼ばれ、理由を聞かれました
英語が話したいというと
日本の大学に行ってから、留学するのはなしなのか
あんまり興味がなく、全然調べていなかったので、何も言えず。
結局当時マイブームだった昆虫について学べる大学を調べ
ちらほら出てくる京大農学部資源生物科学科にしました
なんか東大よりヒット数が多かった気がしたので、
また進学校だったこともあり、高2で部活をやめる人が多い中
僕は高3になっても水泳部を続けました
同期に6人ほど続けてる人がいました
6月
一旦自分の現状を把握するために模試を受けました
東進の京大本番レベル模試です
初めて京大の問題を見て、こんな感じなんだと思いました
全然解けなかったです。
結果は E判定 全国偏差値49.5
自分が高2の時にうちの部活がリレーでインハイに行きました
高3の時はメンバーにはなれませんでしたが、多分インハイ行けそうでした
自分が補欠でついていくには8月の地獄の合宿に行かないといけませんでした
色々考えたうえでそれは断ることにしました
みんなびっくりしてました
結局6月末の高校総体は2週間前にコロナになり
何とか先延ばして、7月第1週目の大会で引退しました
そこからの目標は夏の京大模試
8月13日 第1回京大オープン
8月20日 第1回京大実戦
夏は蝉に負けないように6時から23時まで場所を変えながら勉強しました
一緒に勉強する仲間も増えました
第1回京大オープン
引退後から勉強頑張ったので6月よりは手ごたえありました
けど、あまり自信はありませんでした
模試後に復習しているときに京大の問題が解ければいいと気づきました
東大や京大は頭のいいひとが集まるところではなく
共テと二次試験で点数を取った人が集まるのです
IQが低くても、定期試験が低くても、その2つさえできれば大丈夫です
極論2つのうちどっちかできれば多分大丈夫です
そこから実戦模試までは京大実戦の過去問をやりました
第1回京大実戦
1週間実戦模試の過去問をやったのでかなり手ごたえはありました
結果
第1回京大オープン B判定 全国偏差値52.2 第1志望順位 40/192
引退して1か月勉強しただけでEからBまで上がったことにびっくりしました
けどまぐれだと思い、あまり真摯に受け止めませんでした
第1回京大実戦 A判定 全国偏差値61.4 第1志望順位 13/202
過去問もやった甲斐もありA判取れました
さすがに1か月でEからAにいけるほど受験は甘くないと思っていたので
この結果も信じず、まぐれだと思いました
そこから2か月が過ぎ
秋の模試がやってきました
11/3 第2回京大オープン
11/19 第2回京大実戦
夏はまぐれのせいで実際の実力をはかることができなかったので
次こそは現状を把握できると思いました
結果
第2回京大オープン A判定 全国偏差値56.4 第1志望順位 27/243
第2回京大実戦 A判定 全国偏差値60.9 第1志望順位 17/227
結局どっちもA判定で今度はさすがに信じました
京大の問題が解けるように勉強しすぎて
京大模試だけ良い人になってしまいました
共テ模試の結果は残っていないのですが
共テは全然できませんでした
この時点で共テは最低限やって、二次で挽回しようと思いました
共テは嫌いで、過去問演習とかも苦痛で
一方京大の問題は解いていて楽しかったのでそっちをやりました
結局共テは8割くらいでリサーチもD判定でした
でも京大模試とドッキングしたらB判定になったのでまあいいっかと思いました
共テが終わってから二次本番までの間で
今まで手を付けずにとっておいた過去問25年分を国語以外全部やりました
現代文はどうせ変わらないと思い、1年もやりませんでした
京都に来てからは勉強が手に付かず、観光をして試験に臨みました
合格発表はすでに海外大学の合格が出てた友達と見ました
受験番号が1桁で開いた瞬間あるのが見えたので、
「あ、あるわ、やったー」って感じで
友達の方がびっくりしてました
母に電話して「なんか受かりました」って言ったら
「あーよかったね。」と言われ、こんなもんかと思いました
みんなの話聞いてるともっと喜んでるみたいです
受験期に最も嫌だったのが「睡魔」でした
こいつの対処法を紹介します
・濃いお茶を飲む
・無理ならパックの茶葉ごと飲み込む
・ウコンを飲む
・顔を洗う
・すごい滲みる目薬をさす
・辛いタブレットを食べる
・食事は散歩しながら食べる
・ペンでツンツンする
・あきらめて仮眠する
寝てしまうと意識がなくなってしまいます
意識さえあれば自制して勉強できると思うので
寝落ちだけはしないようにしましょう
最後に友達と一緒に勉強した時の思い出の写真をいくつか貼ります
↑ どこでも勉強セット
↑ 勉強のし過ぎでおかしくなった友達
↑ 雪の中でも自習室に来た友達
↑ 雪の中 どこでも勉強セットを運ぶ僕
↑ 入試当日のクラスグル
振り返るとみんなと学校や図書館、駿台の自習室で勉強するのは楽しかったです
わからない問題をみんなで議論する時間
お昼ご飯や夜ご飯を一緒に食べる僅かな休息時間
たまに息抜きで行ったサウナや夜景
疲れることはあっても色々考えながら勉強するのが結局は楽しかったです
もしかしたら今より楽しかったかもしれません
それはきっと
休み時間になると授業でやった問題について楽しそうにああだこうだいうクラスメイト
次の授業時間も忘れてそこに混じる先生
わからないことを質問すると一緒に考えてくれる友達がいたからだと思います
受験生活もかけがえのない高校生活の一部です
いやいややるんじゃなくてせっかくなら楽しみましょう
楽しむと捗るし、捗ると成績も伸びて、さらに楽しいです
2023→2024 STARDOM
お疲れ様です、稲西です。
久しぶりの練習参加となりました。
まずはお声かけくださったみなさん、そして休養を快く許可してくださった堀さんありがとうございます。
今日の練習もやはり体は言うことを聞いてくれませんでしたが、徐々に調子を取り戻していきたいです。
さて、皆さんに続いて私も合格体験記です。
ご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、自分はそうきと同じく後期の入試で合格しました。
合格体験談を書くにあたってその始点をどこにするかで非常に悩みました。終点は言わずもがな"京大合格"、で明白です。一方で大学受験は高一から始まるのかというと自分はそうは思いません。ですので自分の人生全般を振り返っていきながら受験へと繋げたいと思います。
東大や京大を目指すようになった根源的な考えというのは、小さい頃から漠然と抱いていた、勉強をして良い大学に行ったら将来良い暮らしができる可能性が上がるかも、という感覚です。物心つく頃にはこの意識は既にありました。また、将来楽するために今苦労している、という実感があったので幼い僕は頑張れたのだと思います。
また、自分の家庭環境も少しは影響していると思います。あまりここに書くことでもないのですが、両親は自分が幼い頃から、とても仲が良いと言える状態ではありませんでした。
子どもの自分にはそれがとても辛くて、ずっとずっと何か出来ないか考え続けていました。しかし、子ども1人に出来ることなど当然限られており、自分に出来ることなんて何もなくて、ただひたすらに無力でした。
両親の仲が改善する兆しは一向に見られず、子どもながらに「あれ、これって何かまずいかも」と危機感を抱くようになりました。その結果、世間一般では早熟と言われるような子どもとなり、周りの子たちよりかは早い段階で論理的思考力や多くの語彙を獲得することになりました。
また、その成長過程のなかで、他人の本質は変えられないことを悟ります。今となっては分かりませんが(本当は何かできたのかも)、自分がどんな言葉を投げかけても、自分とは違う存在である他人を本質的に変えることはできない。そこで諦めるのでなく、真に変わるべきは自分であり、自分が変わる過程で何かが変わるかもしれない。仮に変わらなかったとしても、自分が成長したのであれば御の字だからとにかく他人に意図して訴えかけるよりも、自分が変わることで他人の何かを動かせるような人間になりたい、そう思うようになりました。
自分にとって、その変わる手段というのが勉強であったのが今に繋がる大きなきっかけだったのかも知れません。
父も母も僕のことを本当に愛してくれていて、そんな2人が誇れるような人間になりたいし、2人が喜ぶ顔が見たい。2人は自分に多くの投資をしてくれていましたが、そのなかでも勉強という手段で良い結果を出して2人を喜ばせたい、そう思うようになりました。
自身の家庭環境で大きく苦労し、辛い思いをしている人もいると思います。
そこで塞ぎ込んで、周りのみんながすごく幸せそうに見えて、それが余計に苦しくて、嫉妬して、でもどうにもならなくて。自分は世界で1番不幸なんじゃないか。って思ってしまう日もあるかも知れません。(そんな日があったっていい。)
ですが、ひどく自分を卑下して、環境を言い訳にして、下を向き続けるよりも、上を向いて、前に進めるような何かを見つけて、謙虚にひたむきに努力することで何かが変わるかもしれません。そんなあなたを僕は応援しています。
今は自分も両親も安定した関係を築けています。昔のおいら、お疲れ様。
中学は受験することなく、地元の中学校に進むことになりました。
中学に入学すると"ヤツ"が来ます。そう、定期テストです。1年生の頃は個人経営の英語塾(後述)にしか通っていなかったのですが、9割くらいは取れてました。毎授業寝ずに聞いて、テスト1週間前までに課題を終わらせて、ひたすら対策をする。この頃の勉強が今の自分を作っていると思います。一方今のポワイは授業は切って、課題は直前まで貯めて、対策なんて詰め込みも詰め込み。当時の真面目すぎる僕の姿勢はいつ失ってしまったのでしょうか…。
2年生に上がったタイミングで学年で1番頭の良い3人と同じクラスになります。彼らは馬渕のSSSクラスというものに通っており、強者のオーラを発していました。2年生初回のテストで彼らにボコボコにされてことをきっかけに世界の広さを知り、そこからは95%くらい取れるように勉強し始めました。
しかし受験を見据えた時には1人では限界が見えてきたので、2年生の冬に馬渕教室に入塾します。大抵みんな1年生から通っていたわけで、途中から入った自分はある意味浮いてたのですけど塾というものは中々に楽しかったです。やればやるだけ模試の成績が伸びて、地元の教室ではすぐに1位になりました。そんでもってSSSクラスというとこに行くことになり、
稲西の快進撃が始まります。
高校受験では
最初の志望校は、三国丘高校だったのですが、北野高校に上げました。そんでもって私立は大阪星光学院ってとこにしました。
なんか中学編が長すぎるんで色々割愛するんですけど、北野、西大和、星光と受けて星光だけ受かりました。
ん、落ちすぎ。
北野と星光はどちらも大阪府で偏差値ではtopの高校だったのですが、自分のなかでのやるからには1番、そんな精神で受験しました。
自分の闘志を燃やし続けたいということもあったので高校1年生の段階から東大を第1志望に設定します。また、中学の時は塾など入試への意識が芽生えるのが遅かったので、高校では1年から東進に通いだしました。
また、毎月共テ模試を受けてました。とにかく早い段階から大学受験というものを身体に染み込ませたかった気持ちが強かったです。
毎月1回は日曜日をサクリファイスしないといけないのは、辛かったですがこれはなかなか良い判断と思います。
大阪星光学院は、中高一貫の男子校なのですが、高校から入学するのはわずか10人です。
中学から入ってる組は中3の段階で数2Bとか終わりかけの段階だったので、僕ら10人は高校入学前の3月から高入生補習なるものを受けさせられ、脳みそをいじくられます。
それに加えて普段の授業も何か訳分からんので何回かメンタルブレイクもしたのですが、何っとか食らいついていきました。
その結果高二の初めくらいには高校の範囲はほぼ全部終わって、そっからひたすら入試対策とかいうこの世の終わりみたいなカリキュラムで勉強させられました。
こっから受験生へのアドバイス
自分の最大のしくじりは燃え尽きたことです。
夏までめちゃくちゃ頑張って勉強してて、夏休み入る直前くらいには、このままやれば受かるって感覚が掴めてきてました。ただ、そこから急にエンジン切れちゃって、夏休み中は家に篭ってスマホばっか見てました。夏休み中の勉強時間は多分片手で数えられる位かも…。
自分の中で、周りの受験生よりもやってるっていう自覚はあって、でもその自覚のせいで、逆にちょっとくらいサボっても大丈夫って思ってしまったんですよね…。
良くなかったなあ(´;ω;`)
そんで迎えた共通テスト。
目標は、英語満点、世界史満点、理科基礎耐え、数学耐え、の気持ちで臨みました。
結果は全体的に良かったし、東大もリサーチBだったので前期は出願。
共テが終わってからは、なかなかエンジンがかからず。結局かからないまま終わってしまいました。自分のなかで、現役東大は無理そやからもう京大か浪人でいいかな、と半ば諦めていたのが大きな原因です。
今となっては、もう少し頑張っていれば、などたらればは付きませんが、京大でこうして楽しい日々を過ごしているのが幸せです。
ここらへんで結びとさせていただきたいのですが、ご覧の通り自分は負けまくっています。ただ、なんやかんや周りのみなさんのお陰で幸せに過ごせているわけですが、今の自分が幸せなのっていわゆる滑り止めなるものを用意していなかったから、だと思うんですよね。高校受験の時も、大学受験の時も、どんな結果になろうとも自分が100%満足できるように目標設定はできていたと思います。どんだけ負けまくってもそこから何かを掴み取って最後に笑えているような場所に立っていられるように、勉強頑張ってもらえればな、と思います。
負けが多い人生ですが、これからも勝ちには拘り続けます。
最後に、いつも献身的にサポートしてくれたお母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、本当にありがとうございました。これからもよろしくね。
2024→2025 stardom