※文章量がJPの2倍あります。
※高志高校進学のしおりや私の答辞を読んでくださった方は、既知の内容が含まれていると思います。予めご了承ください。
改めましてこんにちは。
京都大学医学部医学科(以下、京医と略します)に特色入試で合格しました。
1回生の清川です。
拙い文章ですが、少しでも皆さんの力になれば幸いです。
文字数制限もないし思う存分書きます。
所々飛ばしながら、読み物として楽しんで頂けたらと思います。
目次
1)進路の決定
2)特色入試合格体験記
3)高3の大葛藤
4)モチベ維持
5)後輩へのエール
役に立つとしたら、4)モチベ維持、5)後輩へのエールとかかな。
時間のない受験生や部員の皆さんはそこまで飛んでください。
3)高3の大葛藤は、推薦準備や部活との両立に不安を抱く子が読んでくれて少しでも支えになれたらと思います。
1)進路の決定
小学生の頃からどっかの医学部へ行こうと考えていました。単純に医師に憧れていたのと、医学が一番聞いていて楽しかったからです。
高校生になってやっと志望校を考え出しました。
親には「成績的にいけそうな大学を選ぶのはちがう。行きたい大学を決めて、そこに入るために勉強しなさい。」と言われました。
1年次は、兄の勧めで金沢大学を第一志望にしていました。
この時点で京医には憧れがありましたが、手の届く場所ではないと諦めていました。(ちなみに理三は医師志望の人が行く場所じゃないと思って視野に入れていませんでした。)
しかし、高校2年頭の全統模試で京医C判定をとり、今からなら頑張れば好きな大学へ行けそうだなと気づきます。親の言葉もあって、一旦大学を吟味してみようと、色々な大学の医学部の講演に応募しまくりました。
コロナ禍だったのでただオンラインで話を聞くだけでしたが、やはり画面越しでも大学の色は出るものです。ここの雰囲気好きだなと思う大学もあれば、この教授にだけは学びたくないと思う大学もありました。
そして高2の秋に京大女子高生車座フォーラムに医学科枠で参加しました。
たった3時間のオンラインイベントでしたが、私はここで京大の自由の学風に完全に惚れてしまいます!!!!!!
正直他の良いなと思っていた大学を見た時とは比べものになりませんでした。
京大で医学を学びたい、いや学べなかったら一生後悔する。
この時点で、私の気持ちは京医一本に固まりました。
この気持ちがのちに高3の苦しい時期の支えになります。このフォーラムへの参加がなかったら、多分京医には受かっていなかったと思います。
はじめて京医志望を宣言する時は緊張しました。でも親も先生も友達も、良いやん、頑張れ!と当たり前に受け入れてくれました。嬉しくて泣きそうでした。誰にもバカにされなかったのは本当に感謝しています。
2)特色入試合格体験記
一応メインなのですが、事実しか書かないので参考になるか分かりません。
飛ばしてもらって大丈夫です。
志望大学は未定でしたが、医学部推薦は視野に入れていて、高校の成績は学年トップを維持しました。3年間の評定平均は5.0です。
また、推薦で有利になるように色々なことに挑戦して経験を積み、実績をあげました(課題研究と英語ディベート、ピアノと水泳で全国へいったり、理数グランプリで最優秀賞とったりとか)。ちなみに、京医特色というとよく科学オリンピックとか?と聞かれますが私は出ていません。そんな難しい問題解けるかわかんないし、そもそも普通に興味ありませんでした。
志望校が京大になったと同時に、特色入試の存在を知ります。特色の推薦要件には、研究医志望であることが含まれていました。臨床医志望だったので出願するか悩みました。
でも、京医に入るための選択肢を増やしたかったのと、高校での課題研究の経験もあって研究医の道もありだなと思うようになったので、特色入試の出願を決意しました。
(ここで無理矢理方向転換したせいで、小学校の頃からの臨床への憧れVS研究への興味関心が今でも自分の中でケンカしています。)
推薦入試に合格する人は、部屋に入ったときのオーラから違うと言います。
私は高2の2月くらいから毎日ドライヤー中に京医のアドミッションポリシーを読み込んで、常にそれを意識して生活しました。そうすればおのずとオーラが滲み出てくると考えました。
医学科の特色入試は、書類で一次選考、口頭試問と面接で二次選考、あとは共通テストを出すだけでした。
書類は11月の頭が出願期間でしたが、9月の頭から放課後毎日進路の先生の所へ文章をもっていって、書いては添削、書いては添削を2ヶ月間繰り返しました。ダメ出しをくらいまくって、2回ほど進路室で大泣き。マスクの中が鼻水でびちゃびちゃになりました。
でも何だかんだで結構良い文章が書けて、出願できました。
それから一次選考の合否が出るまでは、週2くらいで物理と化学の先生のところへ行き口頭試問の準備をしました。
無事、一次選考合格。
10日後に二次選考があったので、そこから毎日口頭試問の準備と面接練習を行いました。
先生が面白い問題を持ってきてくださるので、ここの準備は普通に楽しかったです。(ドップラー効果を利用して血流の速さを求めたりしました。)
そして、口頭試問&面接を受けに行きます。
ちなみに事前情報では、面接室は下図のような感じと聞いていたので、
口頭試問でも同じ感じだと思っていました。
でも、実際ドア開けたらこんなんでした。↓↓↓
いや、さすがにぴえんでしょ。
ドア閉めようかと思いました。
口頭試問では面接官に詰められ発狂。不合格を確信して泣きながらチャーハンを食べます。
しかしなぜか口頭試問に通り、次の日の面接では私の全てを出し切りました。
そこから一ヶ月後の1月20日に、無事合格通知を受け取りました。
実際の面接の雰囲気とか仕組みとかの詳細は、別にまとめてあります。
もし参考にしたい方がいたら高志高校の進路支援室を訪れるか私に連絡ください。
3)高3の大葛藤
ここが一番長い。でも同じ境遇の人にはぜひ読んで欲しいです。
高2の頭に京医C判定をとったのですが、その後はずっとDとかEとかでした。
高3になると、周りは6月には部活を引退して本格的に勉強をはじめました。でも私は7月の終わりに水泳の北信越大会が、8月のあたまに課題研究発表全国大会がありました。
ですから、周りが7限目を終えてひたすら夜まで勉強してるのに、私は18時まで毎日実験をしてまとめて、その後すぐスクールに行って21時まで泳いで、帰ったら疲れて寝ていました。冗談抜きで勉強時間はほぼ0時間です。A判定とか取ってる子が毎日勉強しているのに。E判定の私は何をしているのでしょう。
とにかく辛かったのは、勉強と引き替えにしてる水泳と課題研究の意味を見いだせなかったことです。正直特色のための材料は高2までで揃っていたし、水泳はキツいし、課題研究は今までの結果をまとめる事が中心で新しい実験に取り組む余裕はないし。こんな無意味なことやって京医落ちたら元も子もないやん、私は一体なんのために苦しんでいるのか?と自問自答の日々が続きました。
だけど、水泳ではインハイ出場を期待され、研究では全国大会入賞を期待されていました。
みんなが期待してくれてる、そんなありがたい状況を、苦しいとは言えませんし、思わないようにしていました。
でもインハイを切れば国体選抜も受けるので、実質9月まで水泳が長引くことになります。そんなことしたらほんとに落ちちゃう。研究はまだ入賞したら特色に使えるかなと思ったのでマシでしたが、それでも段々しんどくなっていきました。
こんな時同じように勉強と何かを両立した先輩方の合格体験記は心の支えになります。
でも、本当に本当に申し訳ないんですけど、部活と両立して受かったという話を聞いても、実験ないんやから私よりは勉強時間あるやんと思ってしまいました。〇〇大学受かりました、と聞いても、〇〇大学か...京医E判定を覆す方がキツいやん。てなってあまり気休めになりませんでした。勉強時間0で京医を受けようなんて無謀ですからね。
私がひねくれていただけですが、心の拠り所が無くて精神的に不安定な毎日を過ごしました。
ここにさらに追い打ち。6月に体育で右手を剥離骨折して、水泳にも勉強にも実験にも常に痛みが伴うようになりました。
骨が痛い。練習もつらい。もう泳ぎたくない。勉強したい。
でも期待してくれている人がいる。インハイ切らなきゃ。
さらに追い打ち。同時期に父が海外に単身赴任したため、心の支えの一人がいなくなったことに加え、外食が増えて時間が奪われたり、家事も手伝わなければならないようになりました。
本当に勉強する時間がない!!!!!!!!!
ある時、授業中に急に涙が溢れて止まらなくなりました。完全にメンタルの限界でした。
普段元気だったやつが急に泣き出したので、クラスの皆も先生もさぞ困惑したでしょう。
迎えた7月のラストレース直前でも、急に涙が止まらなくなりました。インハイに行きたくて泣いたのか、行きたくなくて泣いたのか、手が痛かったのか、はたまた別の理由なのか、今でもわかりません。
結局決勝では0.1秒差でインハイを逃し、水着のまま友達の胸に飛び込んでまた大泣き。インハイを期待してくれていた人たちに電話をして、泣きながら謝罪しました。でも正直本音としては、インハイに出れなくてほっとしました。
8月には課題研究発表会も無事終了。あんだけ毎日実験してまとめた発表も、なんかあまり高評価を得られず、超消化不良でおわりました。当然入賞ナシ。
こうして高3の夏が終わりました。インハイにも行けず、課題研究でも入賞せず、勉強もしなかったので、収益は0です。
夏の冠模試では、プレC判、オープンC判、実戦E判。
数学5完しても、京医C判以上の数学平均点以下でした。皆バケモンやろ。
A・B判定の受験生が雲の向こう側にいます。やばいやばいやばい。
ちなみに、中学では英語と数学さえ出来ていたら良いと親に言われていたため、英数は割と得意でした。国語も人並みにはできました。問題は物理化学で、高3の春夏に基礎を押さえ切れていなかったため、めっちゃ足を引っ張っていました。
判定がC~Eにブレるのは、数学が原因。判定がB以上に行かなかったのは、物理化学のせい。なので私は、秋と冬だけで数学を安定させつつ物理化学の基礎を抑えつつ過去問をやらなくてはなりませんでした。
学校祭も終わり、9月にはやっとタスクが受験勉強だけになります。
でも、ここからは2)で書いたように特色の準備で忙しくなりました。書類作成で毎日放課後が潰れるようになって、またもや勉強との両立が苦しくなります。この時期の心の支えは、同じ境遇にいた推薦出願勢でした。
秋の冠模試では、プレE判、オープンC判、実戦E判。
プレ・オープンは英作文満点やったのに、実戦の英作文が0点でぶち切れました。ちゃんと読んだんかあれ。安定しない点数に心も不安定になりました。
秋には模試祭りという謎のイベントで毎週模試があったため、見直しが追いつかずなんかもういっぱいいっぱいでした。
あと、11月に週2でやった口頭試問準備も、2)では楽しかったと書きましたが、その反面落ちてるかもしれない試験の準備に時間を取られたのでこういった面では結構キツかったです。
そんなこんなで12月の頭に特色の面接試験終了。ここからはもう、私に出来ることは何もありません。特色は落ちたものとして、一般の準備に全力集中しました。
12月はずっと共通テスト演習。
勉強しかしなくて良かったので一番楽でした。
共通テストは前の日記でも書きましたがとにかく緊張しました。
そして見事に爆死。リサーチでは、河合D判定、ベネッセE判定。おわた。
それでも、京医出願の決意はブレませんでした。
共通テストから一週間は、二次で巻き返すつもりで猛勉強していました。
それから1週間後に合格発表。無事、長い戦いから解放されました。
家族も先生も友達も皆、合格を一緒に喜んでくれました。
板挟みで本当に辛かったけど、あたたかい人たちに囲まれて幸せでした。
4)モチベ維持について
とにかくこんな感じで、高3は京医を目指すのがつらくて仕方ありませんでした。
でも、志望校を下げようなんて思ったことは1回もありません。
まず単純に、私は京医しか受けられない環境にしていました。
出願は特色と前期だけで、併願も後期も受ける気は全くありませんでした。浪人してでも京医に行きたかった。また、京大の過去問を解き、京医に入るためだけの勉強しかして無かったので、今更志望校を変えても対応できないという状況にありました。
でもやっぱり1番は、京大フォーラムでのあの感動が忘れられなかったことが大きいです。
あと参考になる話としては、フォーラムで先輩方がモチベ維持のために京大パンフを読んでいたと聞いて、私もパンフレットを読みました。やっぱり京医生でも皆モチベ維持には苦しむもんなんですね。
それから、高3のつらかった時期の支えになった言葉があります。
『四月は君の嘘』という作品の、渡亮太くんの名言です。
「スーパースターに挫折はつきものさ。逆境でこそそいつが本物かどうかわかる。
だってよーーーーーーー」
いやかっこよすぎるやろ。
そうそう、そうなんですよ。
私もstarになりたかったんです。だから逆境でも頑張りました。
この作品は神です。
まあ、そんなこんなで京大の自由の学風を目指して頑張ってきた訳ですが
今実際に入学してこう思います。
京大、まじで最高!!!!!!!!
京大を選んで本当によかった!!!!!!!!
5)後輩へのエール
それでは最後に、合格後に書いた後輩へのエールがあるので、コピペしておきます。
(高志高校「令和5年度進学のしおり」より)
やりたいことを諦めないでください。あなたが諦めなければ絶対できます。志望大学にどうしても入りたかったら、現役合格にこだわる必要はないと思います。私は偶然現役で合格しましたが、本来何浪してでも京医に行くつもりでした。私は、大事なものは大学入試よりもっと先の未来にあると思います。入試はあくまで手段であって、仮に浪人しても、それはもう一年高校の勉強をした方が人生にいいことがあるというお告げだと考えてください。でも浪人できない人もいるかもしれませんね。
そして、皆さんの夢や志望を否定する人の話には耳を貸さないでください。一方で皆さんのためを思って厳しく言う人には折れずに付いていくのが成功のカギだと思います。
長くなりましたが、皆さんの更なる活躍を楽しみにしています。頑張ってください!
緊張している受験生も、何らかのご縁で成るようになるんだなと考えればOKです。
あと、第二、三志望の学科とか大学に進学することになるのも、これもまたご縁やと思いますよ。だから、胸を張って全力の自分で頑張ってきて欲しいと思います。
というわけで、後輩の皆さん頑張ってください!!
そしてあわよくば、京大水泳部に来てくれて、選手やスタッフとして一緒に活動できたら嬉しいな!!!
以上です。長文自分語りにお付き合い頂き本当にありがとうございました。
明日はあきひろの合格体験記です!!
彼にも病み期とかあったんでしょうか?読むのが楽しみです!!
質問は、朝ご飯はパン派?ご飯派?でお願いします!
2023→2024 総乱舞
最近花粉の到来を感じている永井です。文学部一回です。
くしゃみや鼻水が出ます。目も充血します。だるいです。
去年も、さあ受験ですねという時期に花粉症が来ました。
とはいえ、コロナ勃発以来マスクは通常装備だったので、
マスクに関して不自由を感じることはありませんでした。
さて、本日のメニューです。yzr
<warm up>
100*2--2:00
50*4*2--1:00--s1--A1--1set paddle 2set swim
<sprint>
2set--1set paddle,2set swim--s1
25*4--1:30--AN3--5strokemaxtempo and 20mまでmax speed
50*1--1:30--easy
25*2--1:30--AN2--max speed
50*2--1:00--easy
<kick>
100*1--2:30--fr--smooth
50*3*2--1:30--fr--EN2--1set手のひらをボードの上に,2setボードなし
25*2--45--s1--AN2 no board hard
<drill swim>
100*3--2:20--75drill25swim
<swim>
2set
50*4--1:15--s1--EN1-AN1--1set des to hard,2set 2H1E1H
30s rest
25*2--1:00--s1--AN2--15UW/25maxspeed
50*1--3:00--easy
<down>
200*1
何日間か休んでいたので、泳ぎ方を忘れました。ドリルあたりで忘れていた泳ぎを多少取り戻しました。多少といったのはフォームに関しては戻ったけれども、体力は全く戻っていないからです。春室まですぐです。頑張らねばベスト出ません。
ドリルと言えば、先日“臨時”パートミーティングでtktさんに伝授してもらった釈迦ドリルが結構いいです。釈迦ドリルという名前から容易に想像がつくと思いますが、当然まずは解脱していただいて、仏になった状態で説法印を結び、その手の形のままスイムします。ここで意識するのはキャッチです。次に仏のことは忘れて貪瞋痴(特に瞋)にまみれていただいて、心を鬼にします。すると手は当然しっぺの形になっているはずです。しっぺが瞋の発露であるというのは経典にも載っていると思います。で、その手の形のまま泳ぎます。ここで意識するのはプルです。
そのあと普通に泳ぐとあら不思議、水を捉える感覚が向上しているのです。つまり釈迦ドリルはスカーリングの一種です。皆さんも取り入れてみてはどうでしょうか。
二次試験が近づいてきました。
この時期には「受験体験記」を書くのが毎年恒例らしいです。
しかし僕はこの場で受験体験記なるものを書きたくありません。なのでそんなに長くは書きません。
まず中学校から話しますが、僕が通っていた中学校は抑圧的な学校でした。詳しくは書きませんが、教師たちはいつも目を血走らせ、人間の心を失っているように見えました。水泳のクラブも中学校ほどではありませんでしたが、いろいろしんどいものがありました。
そんな抑圧的な生活に心の底から辟易していたこともあり、県内で一番自由だといわれる高校に進学しました。いろいろあって京大志望にしたのですが、現役では不合格でした。
その後浪人することに決めましたが、予備校は高校の延長みたいなものでした。僕の高校では浪人する人の方がマジョリティだったので、予備校にも高校同期がたくさんいたからです。毎日一日中勉強して精神はかなり参っていましたが、友人等の支えでどうにか持ちこたえながら勉強を続け、二回目の受験でなんとか合格できました。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。僕は高3の時にも、浪人の時にも、励ましの言葉としてこの言葉を言われました。
しかし、人事を尽くせていないという意識があるとき、この言葉ほど焦燥感や不安を抱かせる言葉はないです。周りが「うんうん、精一杯頑張ったんだからあとは天に任せるしかないよな」とか納得した顔でうなずいているとき、自分は「いやいやいやいや、あそこまだ手付けられてないし、あそこも復習全然できてないし、昨日も勉強から逃げて寝ちゃったし携帯触ってしまったし、もう試験に間に合わん!到底無理!」と顔面を歪めて泣きそうになるわけです。
確かに京大受験者の中には「100回受けたら100回受かる」とかいってふわふわ試験を受ける人もいるにはいるでしょうが、もちろん勉強不足や体調不良等様々な理由で不安を抱えながら、極度の緊張の中で試験を迎える人もいます。大事なのは、不安と緊張の存在を否定せず受け入れて、月並みですが今持てる力を十分に発揮しようと意気込むことです。実際に発揮できるかどうかは知りませんが、「無理!」と思いながらもぐっとこらえて発揮しようと意気込むことです。精神論なんて時代遅れだと言ってみたところで、人間、心持ち一つで行動は変わります。
人事は尽くせません。
あと一週間、不安に苛まれながら頑張ってください。
あと一番重要なことですが、大学に受かったらアラビア語をとることを強くお勧めします。