お疲れ様です。板垣です。
加茂さんの代わりに書くことになりました。
合宿頑張ってね
今日のメニューです
メニュー作成者のゆうごさん、あゆみさん、しょうこさん、ふみえさん、こだまさん、りお、たっぴさんありがとうございます。
今日はSGSでした。今日は1セット目のaveを9秒台にするのが目標でした。9.2,9.5,0.7,0.6でave9.9で耐えました。
春室では59秒台出したいです。
今日はあきひろさんのラーめぐなので頑張りたいです。ラーめぐの一部始終は明日村松が書いてくれることでしょう!
こっからは合格体験記を書きます。半分は不合格体験記かも。
河野さんのレベルが高すぎなおかげで自分のレベルの低さが露呈するので成績は書かずに行きたいと思います。(共テも二次も全科目負けてた)
小学生のときは勉強なんてしてませんでした
小6の3月に家の近くの山手学院に入塾しました。中学校は地元の中学校に行きました。中学入学時は英語のアルファベットを順番に書くことすら出来ないくらい馬鹿でした。
中学は水泳部がなかったので陸上部に入り、水泳は週に2回パチャパチャしかしてませんでした。その間に塾に行って勉強してました。
中学ではずっと学年の順位は6〜10番くらいで頭がいいってわけでもなく、浦和や大宮高校に行ける頭を持ち合せてなかったので、ギリギリ行けそうで頭がそれなりに良く、家から近いという理由で県立川越高校を受けて合格しました。点数は365/500でした。
誰も川越高校のことについて知らないと思うので説明。川越高校は公立の男子高で浦和と大宮の次くらいに頭のいい高校で、最寄りの駅から死ぬほど遠い。文化祭が特に有名で入場門とシンクロが有名。最近はテレビで密着取材されてたから応援団も人気かも
高校入学後すぐに受けたテストで189/360で川高で真ん中ぐらいなのかーと思い勉強を頑張ろうと思いました。
高校でも引き継ぎ山手学院EX校と言う浦高や川高や川女の人などしか行けない所にいきました。
高校受験の時に1日に10時間勉強ができるような耐性がついたおかげで、高校に入ってからも1日に2〜3時間くらいは勉強してました。
川高にはランク制度があり、上位10%がAラン上位30%がBラン、下位10%がEラン、下位30%がDラン、その他がCラン見たいな感じでした。Aランは東大とか京大とか東工とか受かるくらいでBランは旧帝ぐらいなイメージです。
ある程度真面目に勉強していたので、1年生の後半は学年の順位もBランくらいになりました。
忘れてたけど、高校入学時からスポーツドクターになりたいという理由でスポーツが強そうな大学がいいなと思い筑波大医学群医学類を志望校にしてました。
高一の10月に背骨を怪我をし、部活が出来なったので他にやることもなかったので勉強をしてました。
高二の時も怪我で部活ができなかったんで、勉強をそれなりにしてました。(多分ずっとボーッとしてた)この頃はAランのけつかBランの上にいました。
この頃も志望校は筑波大学医学群医学類でした。
うちの高校は関心意欲態度みたいなのはなくテスト100%なんですが何故か成績が取りにくく、評定で4を超える人が20/360くらいしかいなかったのですが、この頃からまあまあ学校の成績が良かったので4.2でした。筑波大の推薦は成績が良ければ出願はできるシステムで受けれるんじゃねって思い検討し始めました。推薦は11月にあるんで早く範囲終わらせたいなって思い、高二のうちに物理と数学を終わらせようとしました。
推薦を受けるにあたり成績が大切だったんですけど、いかんせん怪我で体育ができず2年の2学期はサッカーと走り高跳びだったんですがサッカーの時はドクターストップがかかっており全見学だったんですけど、走り高跳びはやっていいと許可を貰ったので背骨を労わりつつハサミ跳びで135cm(クラスの平均以上)も跳んだにも関わらず成績が2で発狂しました。
高三になると怪我が治り部活できるやん!と思ってたけど学校のプールがぶっ壊れてしまい、部活が出来なくなりました。けど大会には出て遅い記録を叩き出し6月くらいに引退しました。その後は文化祭がありまして、みんなこの時までシンクロの練習を夜遅くまでしてましたが僕は怪我を悪化させないようにシンクロしませんでした。シンクロの練習にはちょくちょく顔を出す程度でこの頃は1日に10時間ぐらい勉強してました。
高三の1学期にはAランの中盤からけつくらいにおりええ感じやんって思いました。成績も4.4になり推薦を受けられることになりました。夏の模試は筑波がB判でそれ以外の地方の医学部はA判でした。
夏休みは勉強メインでシンクロは週に2回くらい参加してました。文化祭1、2週間前になると勉強は0でクラスの出し物とシンクロに時間を捧げました。
文化祭が終わるといよいよ推薦入試まで2ヶ月なので過去問を分析しました。筑波の医医の推薦入試は英数物化と適性検査と面接でした。一年前の過去問を解いたら英語、物理が難化し、化学が易化していたため受かるやんとおもいましたが、逆に言えば今年は逆になるから落ちるやんとも思いました。
10月、11月は学校の先生と面接の練習をしたりしてました。この頃から自分がやりたいことってスポーツドクターじゃなくねって思いはじめました。この頃は背骨の怪我を経験したのでどっちかって言うと怪我をした人を治療するんじゃなくて怪我の予防の方に興味が出てきました。スポーツドクターになると少人数しか見れないけどスポーツメーカーに入って怪我の予防に繋がる靴などを作れば多くの人を怪我から救うことができるからこっちの方がいいかもと思い始めました。
推薦入試の1週間前に強歩大会がありました。強歩大会は山の中を30km歩くというやつで、僕は水泳部の友達と4時間半かけて歩きました。
1週間後の11月28日、29日が推薦入試で28日が英数物化と適性検査で29日が面接でした。
英数物化を解いて落ちたと半分確信しました。適性検査は慶応の教授が作った問題で毎年同じ問題なんですが、過去問が流出してなかったためノー勉で受けました。
2日目は面接で志望理由書に書かれた内容が全く聞かれなくてびっくりしました。圧迫面接ではなかったです。落ちた気がしていたので気楽に受けられました。
12月11日に合格発表があり男子校なんでクラスのみんなで見ました。
結果はもちろん 不合格 でした。
僕は落ちると確信していたので良かったのですがクラスの雰囲気が少し悪くなってしまいました。
周りの人からお前は浪人生0学期やんとか言われたり言われなかったりしました。
その後たまたま塾の先生との面談がありその時に京大の人健を紹介してもらいました。そこで見た青山研究室を知って、僕がやりたいことがドンピシャであるやんって思ったので、心が少し京大に傾き始めました。最近あずさんに青山研に遊びに来ないかとお誘いを貰ったので3月にでもいきたいと思います。
その時の僕は京大なんて自分の頭じゃ受からないと思ってました。さらに冠模試も受けたことがなく、ましてや志望校に京大を書いたことがなかったので尚更無理だと思ってました。が人健の2次の割合見たら5割なくて受かると知ってわんちゃんいけるかもって思いました。それと高校の仲のいい友達が京大の薬志望でその人に受けようよって誘われたので気持ちが更に傾きました。
クリスマスくらいに京大の25カ年を買い完全に志望校を変える決意をしました。
12/30,31、1/1,2は塾がお休みなんで、クラスの友達と学校に深夜まで残って勉強してました。
共テ1週間前にアオのハコにハマってしまい、漫画を最新巻まで読んでしまいました。なので勉強時間が減っていきました。共テの会場でも読んでました。
共テの前日には応援団が壮行会をしてくれました。
男子校って感じがしてとても好きです。
↓イメージ
https://m.youtube.com/watch?v=C-Ipl5ABZng&pp=ygUM5bed6LaK6auY5qCh
共テは学校の人と受けるのでワイワイした感じで受けれました。休み時間も友達とおしゃべりして帰りの電車も乗り間違えたほどワイワイしてました。
自己採点してみると国語の点数がアオのハコを読んだおかげか小説が満点でトータルで普段よりも30点も高い点数が取れました。英語も上振れしました。地理と情報は73点しか取れませんでした
トータルで8割ちょいだったので人健に出願しました。
もし9割とか取ってたら筑波に出してたかも
あと共テ利用で理科大にも出しました。余裕で受かってました。
2次の勉強は共テ終わってから始めました。
英語は過去問を解こうとしてもなんも手がつけられなくて軽く絶望しました。冗談抜きで共テ直後だったら英語は0点な自信があります。で絶望したので薬志望の友達から色々話を聞き、ポレポレを借りて1週間で詰め込みました。そのおかげででまあまあ過去問が解けるようになりました。本番は65点しか取れなかったけど。
数学は1日1年ずつ解いていきました。2完のときもあれば5完できる年もあって自分としてはまずまずでした。
国語は青本の解説だけを読んでどうにかしました。本番で44点取れたので上出来です。
そしてなんだかんだ入試の日になりました
入試の時斜め前に水泳部の先輩がいてびっくりしました。とっても気まずかったです。先輩の覇気で話しかけることが出来ませんでした。
入試の手応えは筑波の推薦の時よりはありました。
合格発表の時は家でお昼寝していて、自分で合格発表を見ておらず親のLINEで合格を知りました。
開示を見たら最低点+0.2点でした。河野さんの真逆ですね。尊敬です。薬の友達は余裕で受かってました。
先輩は落ちていて尚更気まずくなりました。
今年こそ受かって、水泳部に入ってほしいです。
自分の受験生活を振り返って、やりたいことがあるならば、貫いた方が良いと思いました。
拙い文章で申し訳ありませんでした。読んでいただきありがとうございました。
質問に答えます。
「過去のあなたの行動を1つだけ変えられるならば、何をどのように変えますか。」
高一の時の背骨の怪我をなかったことにしたいです。
多分体育の授業でマット運動の時に背中を打ちつけて背骨にヒビが入ったんですが、そのあと治って泳ぎ始めたんですが背骨を酷使しすぎて椎間板がお亡くなりになり、背骨と背骨が削りあってしまい2年以上運動ができませんでした。
だから過去の行動を1つだけ変えるとしたら、マット運動で首跳ね起きをしないことです。
次の質問は部活内の人でプリキュアを作るとしたら主人公は誰ですかまた、登場人物は誰ですか?悪役は誰ですか?
2025-2026轟
ここから合格体験記を書いていきます。
小中は地元の公立校で、学校で課される宿題だけしていたら学年で1番になれる、という感じでした。
高校受験も大して勉強しなかったのですが第1志望に平均より上の点数で合格できました。
そんな感じで、高校に入るまでは勉強をしなくても上手く行くというのに慣れてしまっていました。
高校に入ってからは、中学までの習慣もあって、勉強はあまりしていなかったです。
中学よりは周りが賢くなってましたが、それでもそこそこ上位で耐えてる感じでした。
高1から高2のときの模試の成績は学年で10位から30位の間ぐらいだった気がします。
自分の高校は京大に毎年20人くらい受かるので、京大を目指すならぼちぼちの位置という感じでしょうか。
このころの志望校は決まってなくて、なんとなく東大とかいけたらいいなーと思っていました。
京大を目指すと周りの人に言うようになったのは高2の秋ぐらい?だと思います。
京大志望になった理由としては、親に出来れば実家から通えるところにしてほしいと言われて、それなら通える中で一番レベルの高い京大にしようと思ったからです。
かずさしみゆうを含め、京大志望が周りに多かったというのもあります。
高校の水泳部は弱小でしたがやる気のある人もいて、自分も部活を引退するまでは勉強よりも部活の方が優先順位が上だった気がします。
そのおかげもあってか、部活は自分としては納得できる形で引退できました。
部活を引退したら勉強しまくろうと思っていたんですが、引退してからも周りの人ほど勉強しなかったです。
習慣を変えることはできませんでした。
模試の成績は、AからDまでをさまよっていました。
そのまま、勉強時間は増えることなく共通テストを迎えます。
共テに向けての勉強はあまりしていなかったのですが、結構うまくいって89%でした。
この調子で二次も行けるやろと思ってたら落ちました。
根拠も無いのに受かるだろうと思っていたので泣きました。
このときに自分の努力不足を痛感しました。
浪人するか、受かっていた某私立大学や後期で受験した某国立大学に行くかは悩みました。
将来のことを考えるなら、浪人してまで京大に行かなくても、他の大学で4年間努力したらいいのでは、とも考えましたが、そういうことが問題ではありませんでした。
他の大学に行って、そこを卒業してからどれだけ成功しようとも、京大に受かったことにはならないんです。
自分はそれくらい京大に行くことにこだわりがありました。
勝負に負けた、リベンジしようと思えばできたのにしなかった、というのは一生残るし、一生自分で自分を許せないだろうと思いました。
ということで、浪人を決意して、後期の合格発表の日の朝に親に伝えました。
絶対受かると思ってた後期は落ちてました。
魂が抜けた状態で受けに行ったのがよくなかったかもしれません。
5月に得点開示が来ました。
共通テスト
国語181/200、地理74/100、数学184/200、理科185/200、英語180/200
2次試験
国語43/100、数学75/200、理科102/200、英語81/150
換算後の総点は651.5/1200で最低点-5.75点でした。
2次であと数点上がってれば合格だったということですが、このときは後悔とかはそんなになく、あとちょっと上げれば受かるから楽勝やと思ってました。
浪人も最初のうちは新鮮で、一日中勉強できると思って楽しかったですが、すぐにとてもストレスを感じるようになりました。
ストレスを感じる→勉強が嫌になって勉強時間が減る→浪人生なのに勉強しない自分に嫌悪感を覚える→ストレスを感じるという悪循環にはまっていました。
それでも最低ラインとして、1時間目の授業の時間に駿台に行き、19時ぐらいまでは駿台に残るというのは毎日していました。
駿台にいたというだけであって、勉強せずにスマホを見たり、寝たりしてたことはしょっちゅうありましたが…
夏まではほとんど駿台のテキストしか使ってませんでした。
完璧にしようとしすぎて量をあまりできていなかったのは良くなかった点です。
夏のオープンはA、実戦は数学が全然出来ずにCでした。
秋からも、朝から夕方まで駿台にいるという最低ラインは守り続けました。
この時期になるとさらにストレスは大きくなり、健康な生活をしているはずなのに体調がおかしくなったりもしました。
秋はオープン、実戦ともAでした。
共テとか2次の当日に何を考えてたかとかは覚えてないです。
共テは現役のときと変わらず89%でした。
全体としては易化してたらしいので相対的な自分の位置は下がってます。
強いて言えばもう少し取りたかったですが、共テに向けての勉強はあんまりしてなかったのでまあこんなもんか、て感じで切り替えて2次の勉強に戻りました。
2次が終わったあとは前年の反省もあって後期の勉強をしてました。
合格発表の日、合格者の受験番号一覧に自分の番号がありました。
嬉しかったというより、追い込まれていた状況から解放された安心感で泣きました。
ストレスを抱えていたとか書きましたが、自分は受験を楽しんでいた部分もあるので、本当に精神を病んでたわけではないです。
今でも受験は面白いと思ってます。
二度とプレーヤーにはなりたくないですが…
一浪時の点数はこんな感じでした↓
共通テスト
国語184/200、地理73/100、数学191/200、理科160/200、英語190/200、情報95/100
2次試験
国語55/100、数学105/200、理科132/200、英語92/150
換算後の総点は799/1225で最低点+22.88点でした。
自分のしていた勉強の量や質が良かったとは思いません。
自分は完璧主義的な傾向があるので、例えば完璧を求めすぎて同じ内容に対して他の人の何倍も時間をかける、そうしていると勉強時間が少ないのもあって全体が終わらない、みたいなことが多々ありました。
過去問も時間がなかったのでそんなに解いてないです。
浪人をするべきかどうか、みたいな話もあると思いますが、そんなの別に好きなようにしたらいいと思います。
立派な理由がなければ浪人してはいけない、みたいなこともないと思います。
でも、浪人すればいいや、と思って今年の受験を諦めるのはやめときましょう。
他にアドバイスできることがあるとしたら、自分のような完璧主義的な人は一つの問題に固執して解き終わらないということになりやすいし、本番は特にそうだと思います。
視野が狭くならず、テストの全体を見ながら解き進められるのが理想だと思います。
参考になったかどうか分かりませんが、受験生の皆さんは最後の一秒まで諦めず頑張ってください。
そして、合格したら是非水泳部に来てください。
お読みいただき、ありがとうございました。
お疲れ様です。久世です。
約1ヶ月ぶり3回目の日記です。
今日はなかなか運の悪い日でした。
朝練に来る途中にいつもコンビニでメニューを印刷しているのですが、うまく信号が渡れずいつもと違うコンビニに行ったらエラーコードで印刷できませんでした、、1度店員さんを呼んだのですが「初めて見るエラーコードです」と言われてしまって、時間もなかったので諦めて手書きすることにしました。
練習後も、買いたかったものが売り切れてたり、バスを目の前で乗り逃したり災難だらけです、、
絶対に今日の星座占いは最下位だと思って調べたら1位でした。まだ今日は長いので最後に帳尻合わせですごい良いことがあると思って頑張ろうと思います。
まずは今日のメニューです
メニューを作ってくださった中堂さん、練習に参加してくださった堀さん笹村さんありがとうございました。
堀さんが練習中色んな選手のフォームや泳ぎを見て沢山アドバイスをされていて偉大さを実感しました。
そんな風にはなれなくても、普段の練習から選手の泳ぎを観察するところからまず見習おうと思いました。
今日のようなほぼメインのみの練習は初めての体験でしたが、mainでは皆さんの本気度が伝わってきてタイムを取っていても楽しかったです。
ここからは合格体験記を書いていこうと思います。
私はたまにサボってしまうこともありますが、根は真面目な部分もあるので中1の頃から定期テストがあるごとにある程度ちゃんと勉強していました。中学から高校前半にかけて学校内では特別頭がいいというわけではありませんでしたが、割とずっと4.50番以内くらいには入っていたと思います。
その積み重ねが幸を奏してか基礎は割としっかりしていたので高2の冬頃からしっかり大学受験に向けて勉強を始めると、着々と実力が伸びて言ったように思います。
また、高2の冬から本格的に勉強を始められたのも大きな勝因のひとつだと思います。
2つ上の姉がちょうどそのくらいの頃からビックリするぐらい勉強しかしなくなったのを見てきたので自分も同じくらいのレベルを目指すならそれくらいの時期から始めないといけないんだと、身をもって実感していたからです。
その後も同じ大学の同じ学部を受験した姉がいるというのは勉強を進める上でとても大きなアドバンテージとなりました。
どんな勉強をしたらいいかわからないとかそういった悩みを持っている受験生がいるなら、自分の目指す大学学部を受験した先輩に聞くのが1番手っ取り早いと思います。
ただ初めは私はも勉強自体を楽しいと思ったことがほとんどなく、楽しいと思えるのは人に褒められるからとか点数が取れるからとかそういったちょっとズレた理由だったので、あまり興味の湧く学問や大学が見つかりませんでした。そんな時に、とりあえずとても楽しそうな大学生活を送っている姉を見て、私も京大に行って一人暮らしをして楽しい大学生活が送りたいと思ったのが京大を目指したきっかけです。
どんな学科でどんなことを学びたいかと高校の先生などには聞かれますが、そんなの決まっている人の方が少ないしそこで悩みすぎる必要は無いと思います。もちろん一部とても専門的な分野などはありますが、大学に入ってからでも強い意志があれば修正はききますし、何より、具体的にどんなことをやっていて自分がどれだけそのことにモチベーションをもてるかというのは実際にやってみないと分からない部分が大きいと思うからです。
ただ、私は楽しい大学生活を送りたいというモチベーションから京大に行きたいという気持ちは誰よりも強かったと言っても過言では無く、その気持ちが、結果的には合格に結びついたのかなと思っています。実際、京大に行きたすぎて国語以外の過去問は全て20年分以上解いたと思います。これは本当にものすごく効果がありました。
そのため、どんな動機であれ、受験すると決めたなら、とりあえず強く行きたいと思える学校や学科を見つけることは合格への近道だと思います。
もしそんなこと言われても行きたいところすら分からないよという受験生の方がいれば、京大はとってもおすすめです!!大学に入ってからの色々な経験を通してまだ1年ですが本当に京大を選んでよかったと心の底から思っています。
またそれと同じくらい大事なのは自分の意思で決めるということです。合格でも不合格でも自分の意思で決めて受験をしたら納得できるんじゃないかと私は思います。逆に親や学校の先生に勧められたところだからと安易に決めると、合格ですらあまり喜べないかもしれないですし、その時は喜べたとしても入学してからふとした時になぜここを選んだのかとかあの時自分の意思に従ってたら、と思う余地が生まれてしまいます。
自分で決めていれば「まあ自分で決めたことだしもう少し頑張ろう」と思えますし、何より責任感、自分で何とかしないと行けないという事実、が生まれるので良いのだと思います。
何が話したかったのかいまいち分かりませんが、私は大学受験という経験を通じて自分の選択やその選択に付随する自分の努力の積み重ね方などに少し自信を持てるようになったので、割と大学受験というイベントには感謝しています。少し自信がもてたことで新たな挑戦にも昔より果敢に挑めるようになり、より日常が新鮮で楽しいものになったような感じがします。
受験に関わらずこういった人生の大きな転換点で本気で向き合う経験は、それなりの産物を与えてくれるのだなと学びました。
これからも逃げずに向き合っていこうと思います。
最後に前の人からの質問に答えます。
「新学期の目標は」
新学期の目標はもっと選手の皆さんやスタッフの皆さんと自分から積極的にコミュニケーションを取ることです。
私から次の人への質問は
「受験期に良く聞いていた曲は」にします。
PS ちゃんと良いこともありました
2025-2026 轟