本当は8月16日の担当だったのですが、院試が崖っぷちすぎたため22日に延期してもらいました。そこからさらに遅延して今日になってしまいました。
院試の例年の足切りは5割、僕の体感はMAX3割です。
2日目の面接、筆記試験の手応えを全ての大問について説明させられ、同じ研究室の同期は
「どんな研究をしたいか」「博士課程は考えているか」
を聞かれている中ぼくは、
「原因は準備不足か」「後期は勉強時間を確保できるか」
と聞かれました。
来シーズンもよろしくお願いいたします(OBポイント大借金)
お疲れ様です。次期B5の真弓です。
まあ合格発表はまだなので、
【奇跡1】ミスなくMAXの3割とれてる
&
【奇跡2】難化しすぎて足切りラインが3割まで落ちる
&
【奇跡3】下駄を履かせてもらう
が同時に起きていれば受かってるかもです。
あと、もし枠が空いていれば2月の二期募集も受けられるかもしれません。(後期勉強時間確保できるか聞かれたのはこれだと思います)
まあ乞うご期待
という導入だったんですけど、引退日記遅延しすぎて合格発表を迎えてしまいました。
無事合格しました。お騒がせしてすみませんでした。
絶対に落ちたと本気で思ってました。みなさん地環を受けましょう。
さて、いよいよ引退日記を書く時が来てしまいました。
あっという間だったなとも感じますが、最後の方は結構長かった気がします。名残惜しい気持ちと、やっと終わった安心感が同時に来てます。
〈はじめてのぷーる〉
小学生のとき、家から歩いて5分のところに「茅ヶ崎市営浜須賀水泳プール」通称はまぷーがありました。
母親が高校で水泳をやっていたこともあり、小学2年生の時に25mクロールを泳げたらゲームかなんか(もう忘れたけど)を買ってもらうという契約により25mはなんとか泳げるようになりました。
報酬を手に入れてからは、真面目に練習することもなく、ひたすら友達とスイカのビーチボールで遊んでるだけでした。
小3のときにYMCAの3日間のスイミングプログラムみたいなやつに行った記憶もあります。
三重の関中学校はプールがなかったので授業もなく、帰宅部だったので即帰して荒野行動をする毎日でした。
〈津高校時代〉
このとおり、小学校の授業と市民プール以外でほとんど水泳経験がなく、小中で運動もしていなかったのですが、自粛期間が終わって高1の6月の部結成当日、気づいたら水泳部に入っていました。
毎日毎日水泳部の練習で体力が持っていかれ、授業もまともに受けられず泣きそうでしたが、8月?の人生初レースで33秒で褒めてもらったのが印象的です。顧問の先生史上一番驚いてた気がします。
練習でも、大会でも、最初に全部出し切ってしまって2本目からガタ落ちするのでずっと半フリでした。半フリはまあまあ順調に伸びていった記憶があります。
2年生からは、バックの人手不足で1バックを泳がされましたが、全然伸びず、ラストは長水14秒とかだったと思います。バックは進む感覚が全くわかりません。
引退した時のタイムをメモに残していたので載せておきます。
・4継
1’01"35(長水、引き継ぎ)
・50mFr
27"67(長水)
27"10(短水)
・100mBa
1'14"00(長水)
自分なりにタイムには納得して、ここまで頑張ってきたと、誇らしく引退しました。めっちゃがんばったし。
あと高校で外せないのはやっぱり幸登くんとの出会いですかね。
詳しくは合格体験記で書いたと思いますが、幸登くんに憧れて京大を目指し、幸登くんに誘われて京大水泳部に入りました。
〈青炎〉
高校での練習がトラウマすぎて、大学でもあれをやってたら水泳しかできんくなると思い、選手はやりませんでした。
練習は嫌だけど、水泳は好きだし、幸登くんに誘われたことや、「体育会は就職に強い!」とか、「トレーナーが発足したてホヤホヤで今アツい!」みたいな勧誘を受け、単純な僕は入部を即決しました。
大学入学後、「せっかく入った大学生活、やりたいこと全部やりたい!!!」とキラキラ全面で、ダイビングサークルにも脳死で入り、水泳部にも入り、学科の友達と遊びに行ったり、サークルの先輩たちとかもちるしたり、全身全霊で大学生をやっていました。
楽しかったけど、体力的に追いつかなくて、水泳部にもあまりいなかった気がしますね。
その時は、自分から選手に関わりに行こうという考え方もなく、対抗戦という勢いにも入り込めず、なんとなくみんなといる時間を楽しんでいるだけでした。
関カレの1部2部3部の仕組みとか、そういう話もあんましてなかったし、全然知らなかったです当時。
それはそれで楽しかったですけどね。
まあでも、全国公終わる頃にはだいぶ対抗戦というものの捉え方が変わっていた気はします。全国公のトレーナーご飯で熱い話をしたのが印象的です。チームのために、選手のためにという気持ちが芽生え始めたのはこの辺な気がします。
青炎シーズンは七帝もでました。
幸登くんにメニューを作ってもらって、吐くくらい頑張ったのに、直前にコロって本番は28.2でした。「27秒計画」というタイトルで、1ヶ月弱毎日メニュー組んでもらって土砂降りでも頑張って泳いだのに、全然タイムでなくて割と落ち込みました。
あと青炎シーズンは名前がとても好きです。
かなさん発案だそうです。さすがです
【以下、かなさんのノートのコメントより引用】
1. 青炎2. 青い炎は高温かつ安定していることから、あらゆる場面において冷静でいながらも心を燃やして頑張ってほしいという意味を込めました。あと京大水泳部のチームカラーである「青」に関する言葉がいいなと思い、この言葉を選びました。 青炎シーズンベストショットはこれです。全てはここから始まりました。
全国公おわりのこれも好き
〈総乱舞〉
総乱舞シーズンは転換期です。
新潟全国公が終わった後はブリーチをして青染めし、久米島で夏を満喫しました。そこからダイビングにゾッコンになり、後期も水泳部のことはやりつつ、2月に1ヶ月間ダイビング住み込みでダイビングのバイトをしたり、合宿に行ったりしてました。こんな調子で水泳部にあまりおらず、モチベーションも下がっていました。
新歓隊長に任命されていたので、2月から新歓も進め、沖縄から遠隔で指示なども出したりしてましたが、自分主導で何かを進める経験も初めてで上手く指示も出せず、
「なんで協力もしてくれない選手のために、スタッフである自分が新歓やらなあかんの?」
とかいうしょうもない思考でした。当時は、泳ぐ選手が主役で、ただスタッフはそのサポートをしてあげてる、くらいの認識だったんだと思います。新入生いなくても困るのは選手やんって。
3月時点では新歓終わったら辞めるか休部するつもりでした。
3月末の合宿が好転期だったと思います。
理由はプラス面もマイナス面もいろいろありますが、
・合宿で他のスタッフの練習への取り組み方を知ったこと
・スタッフも一体となった練習の雰囲気
・スタッフの休部や実習が重なって、自分が休部してる場合じゃなくなったこと
あたりですかね。
4月の練習は、平日の練習に入れるスタッフが5人しかいなくて、僕もあーしんどいなってなってる時、ゆきかさんとりこさんが5人のグループ作ってくれて、「みんなでがんばろう!」って内容(もっと内容は濃かったですよ!!!)の長文送ってくれました。
新歓もあって、人数も少なくて、シンプルにモチベもない中で、このLINEも僕が水泳部を続ける大きな理由のひとつになりました。
みんなもしんどくて、入部して1年も経ってないのに練習回さなきゃいけなくて上手くできるか不安なはずなのに、それでも僕の心配までしてくれて、最初の水泳部を頑張りたいというモチベーションは、一緒に頑張るスタッフのためだったと思います。
あとあの時、大月が怪我しててスタッフやってくれてて、望まない形だったと思うし申し訳ないけど、本当に全員大助かりしてました。本当にありがとう。
2回生になって、後輩トレーナーたちが入ってきたのも心変わりの要因のひとつでした。
後輩たちは4人とも僕より水泳経験が豊富で、より真面目で、より頼もしくて、いつまでも後輩やってられないなとやる気が出てきました。
りくたろうとか、僕に憧れて入りましたとか言ってくれて、一層先輩らしくありたいという気持ちが強まりました。
それまではトレーナーの勉強も勉強会のための勉強という感じでしたが、24で解剖学や運動学の勉強をしたり、リールやYouTubeで解剖やストレッチの施術の動画を積極的にみたりするようにもなりました。(引退したらフォロー外すと思うので、もし見てたアカウント知りたい人いたら教えてください。)
2回生の夏休みには外部の解剖学の講義に行ったりもしました。大人の人たちと、身体にマッキーで筋肉書きました。
同期もちょっとずつ自分を頼ってくれるようになり、自分を頼ってくれる選手をできるだけサポートしたいと思うようになりました。
今までみたいに、最低限のトレーナーの仕事をやるのではなく、選手のためにできることをできるだけやろうという気持ちで大会に臨み、選手のタイムや練習の取り組み方を気にするようになったのもこの頃からでした。
そんなこんなで割とモチベーションも高く対抗戦を迎えました。
この時の対抗戦もいろいろありましたが、一番はじゅんさんたちがインカレに行けなかったのが心の底から悔しくて、スタッフという立場で選手と一緒にインカレに行きたいって明確に感じるようになったことです。
あと、しょうさんたちの代が引退してしまうという現実が、徐々に強くなってきて不安も大きかったです。
もっとトレーナーとして成長して、わちさんとあいさんと3人で、あの代がやってきたことをやらなきゃっていう焦りがありました。
そんな感じでこのシーズンは総乱舞シーズンを終えました。
ちなみに、サークルの方はどんどん関わりが少なくなっていきました。週一の例会と合宿は最低限参加してましたが、有志で行くツアーなどは金銭的にもこのシーズンくらいまででした。サークルにもよりますが、体育会とサークルと両立は厳しかったなって思います。
僕は特に要領も悪いし、キャパも少ないので、すぐ身体とか精神にガタがきて、しんどくなることが多かったですね。
サークルでは1回生のころは圧倒的フッ軽だったので、徐々にイベント参加率が減っていって、色々言われるのが結構鬱でした。
初期のトレーナーミーティング
〈STARDOM〉
2回後期は特に変わらず同じモチベーションで水泳部を続けていました。
しょうさんたちがいなくなって、上回トレーナーがわちさんと自分とあいさんの3人になって不安だったけど、8、9月、3人でドライのこととか話すの、個人的には結構楽しかったです。
しょうさんたちがやってたことを自分たちがやってるんだっていう感覚。
トレーナーの勉強も順調に積み上げて、一個上の代が頼ってくれることも増えていってすごく楽しかったです。合宿くらいを境にかんしんさんがよく頼ってくれるようになったのが個人的にはすごく嬉しかったですね。
サークルも、運営代になって平部員の僕は少し楽になったり、モルディブに行ったりもしました。スタッフのみなさんにはご迷惑をおかけしてすみませんでした。中堂くんがインカレ切った時、僕は船の上で速報で見ました。ごめんね。
今思えばSTARDOMシーズン始まりから3月くらいまでが、いちばん上振れていたかもしれません。
3回前期は授業が始まり、2回生とは授業の数も、初めての実験もあり、要領の悪い僕は例によってキャパってました。
みんなからしたら別に大したことなくて、上手くできない自分にイライラしてやる気なくなって、連絡全部無視って家に引きこもってたりもしました。
新歓お疲れ様会で堀さんとしょうことかずきと4人で紙飛行機を飛ばしたのを鮮明に覚えています。(さすもう時効ですよね)
シーズン始まる前、わっちさんと協力して、頑張っていこうって思ってたけど、結果的にわっちさんに迷惑かけてばっかりだったなと感じます。
まあそんな中でも水泳部第一で頑張ってきて、対抗戦シーズンではさらに水泳部にどっぷり浸かっていきました。
全ての対抗戦が忘れられないです。
関国おわりにあゆみと真喜屋としょうこと4人で感情ぐっちゃぐちゃになって大号泣したのがいい思い出ですね。(あゆみは大号泣してる僕ら3人を見て涙引っ込んだらしいですが)
関カレは言わずもがな。
全国公も泣かないって決めてたのに、最後ごしさんと喋ってたら気付いたら号泣してました。こう思ったらだいぶ泣きすぎてますが、それだけ全力だったと思うことにします。決して泣き虫なわけではないです。
コンディショニングでも自分なりに考えて選手の助けになれることが増えたり、施術の幅が広がっていくのを実感して楽しかったです。インカレでは松本恭太郎のコンディショニングもさせていただいて、貴重すぎる経験でした。(その後のブレで3位だった時は震えました。ミスって痛めたりとかしなくて本当によかった。)
また次期幹部としての覚悟も徐々についてきました。
なんせゆうごが1月とかから動いてくれてて、心の準備をするには十分でした。トレーナーチームをどう作っていけばいいか、どんなチームにしたら京大水泳部が強くなれるか、たくさん考えました。結局答えは出なかったけど、無意味ではなかったんじゃないかと思ってます。
〈轟〉
そうしている間にあっという間に轟シーズンがやってきました。
ラストシーズン、全部書いてたらキリがないので、足りない人は飲みでもいって語り合いましょう
まず、熟考の末の一旦の結論は次のような感じでした。
【以下
チーフトレーナー就任日記より引用】
「京大水泳部ひとりひとりを加速させるトレーナーチームを作る」という目標を掲げました。まず、チーフトレーナーとしてトレーナーチームを主導するのが僕の大きな役割の一つなんですけど、正直、トレーナーはこうあるべきとか、こういうトレーナーが一番いいとかいう「トレーナーの理想像」が僕自身の中にもあんま明確にないんですよね。トレーナーチームが発足されて、まだ2年半だからというのもある気がします。 物事の良い悪いって、ある一つの考え方/やり方があって、それがある人のある目的にとって、良く働くか悪く働くかだと思っているので、正解を一つに決めるのがすごく苦手です。あるやり方が正解だと思って他の人を矯正した結果、それが他の人にとっての正解ではなかったとなってしまうのが嫌です。(こういう考え方をすることも、他の人にとっては正解じゃないという人もいると思いますが) なんか迷走してきた。 まあだから、何が言いたいかというと、選手もマネさんもトレーナーもみんな、自分の正解だと思うやり方で進んでいって欲しいなってことですね。僕はその人が信じてるそれを信じて加速させてあげたいみたいな感じです。信じているやり方がないのであれば、その人が信じられる方法というのを、全力で一緒に模索したいです。ゆうごが引っ張ってくれるなら、僕は後ろから支えて押す人になりたいです。懸垂の補助する感じ。 強く意識してたわけではないですが、振り返ってみると、1年間ずっとこれをベースに取り組んできたと思います。
悪く言えば、人に叱れないのは弱いとか、八方美人とか、いろいろ言われるとおり、僕はあまり自分の意見に自信がないので、「これが正解だよ」って言って違う方向に導いてしまうのが怖かったんだと思います。
相談に乗る時も、その人が後悔しないように、状況を整理させて、選択肢を明確にして、自分で選べるようにと考えていました。
ただ、この一年で、ただがむしゃらに選択肢を広げればいいわけじゃないってことも学びました。知識を多く持っていれば持っているほど、最適な選択をできるって思っていましたが、そんなことはありませんでした。
ただ選択肢を与えて、自分で選ばせるだけというのは、あまりに身勝手だったなと今になって感じます。
もうだいぶ染み付いてしまったので今から矯正できるかはわかりませんが、今後はもっと自分の言葉に責任を持てるようになっていきたいです。
また迷走してきた。
こんなことを考えながら1年間過ごしてきました。
軽く1年間振り返ってみます。
・10月
シーズンが始まりは体制も安定していない中、その他事象がいろいろ重なり、だいぶしんどかった記憶があります。シーズン始まって、いきなりで頭おかしくなりそうだった。ころころは特に先輩方とご飯に行くことが多くて、いろいろな知見をいただきました。
・11月
だいぶ余裕できてました。りさこも入ってきてくれてはっぴーはっぴー。この頃くらいから後輩と過ごす時間が増えていった気がします。
・12月
あべのハルカス懐かしい。今年はしゅんすけとゆうせいとりさこの3人で行くそうです。
草津合宿大変だったけど、組み分けとかタイムやってくれてたみんなに比べたらそんなだと思う。余裕が無くならないように意識してました。
・1月
テスト&バイト。散歩面が発足しました。そういえば突発プチラーメグは1/22でした(toゆうせい)
・2月
朝も昼も夜も水泳部の人といた気がします。空いてる時間は全部バイトしてました。初めて京都でほとんどの時間を過ごした長期休みでした。
・3月
プチオフの(部分)同期旅行楽しかったけど、花粉がしんどかった記憶の方が強い。インフルかかったり合宿準備に追われてたりでなんだかんだ余裕なかったですね。新歓も。
・4月
新歓がんばりました。運営ではなく、メインで勧誘する側は新鮮でした。あとビーリアル見返してましたが、ほぼ全部水泳部の人と映ってました。
・5月
初めはこれまでで一番ダラダラ過ごしてました。一生部室にいました。
最後の方はTOEICで頭いんでました。
・6月
対抗戦が近付いてきて、TOEICも死にそうでいっぱいいっぱい。
・7月
水泳部&バイト三昧。関国終わってから関カレまで本当に一瞬でした。
・8月
代替わり!院試死亡!(生きた)
全国公は一生忘れられないだろうなあ。
対抗戦は全部が全部最高だったとは言えないけど、トレーナーとしてこれまで一生懸命やってきて、積み上げてきたものを発揮することはできたのかなと思います。トレーナーとして、スタッフとして、京大水泳部部員として、ああしとけばよかった、こうしとけばよかった、みたいな後悔はほとんどないですね。
あるとすれば、トレーナー教育かもです。
トレーナー教育については、どうしたら覚えやすいか、どうしたら不可を少なく身につけられるかとかいろいろ考えたけど、結局ちゃんと制度化できなくて申し訳なく思っています。
ラストシーズンは後輩たちとも沢山の時間を過ごしました。
この一年だけで、もちろんご飯も死ぬほど行ったし、練習後とか、部室とか、ボウリングしたり散歩したりサウナ行ったりスタバ行ったり、思い出がたくさんすぎて、全部幸せな時間でした。
ゆうせいのメンケアもたくさんしました(書いて欲しいとの要望があったので)。
ゆうせいまきやあたりには本当にお世話になりましたね。いっとき7食くらい連続でご飯食べてる時なかった?笑
多方面から避難されましたが、散歩面もかなりお世話になりました。ダラダラ喋ってる時間が癒しでした。老害でごめん。
僕はもちろん水泳も好きでしたが、それよりも水泳部のみんなが好きだからここまでやって来れたんだと思います。いろんな性格やいろんな思想、いろんな状況の人がいて、僕の知らない世界を沢山教えてくれました。
特に部活経験だけの身としては、クラブ出身の人の水泳に対する考え方とか、取り組み方が新鮮で、色々な面で勉強になりました。
多種多様な人がいることが京大水泳部の大きな魅力の一つだと思うので、自分の目標に進みつつ、自分の周りの人たちを見ることも大事にして欲しいなと思います。
僕自身は苦手だったので特にそう感じています。
〈トレーナーについて〉
メッセージで書こうとも思ったのですが、トレーナーじゃない人も読んでくれたら嬉しいなと思い、分けて書くことにします。
・トレーナー方針について
2023年2月にトレーナーが発足してから同年5月にトレーナーとして入部し、ここまでトレーナーをやってきて、役割が曖昧だったり、シーズンによって関わり方がいろいろ変わってきましたが、僕の中では、トレーナーの役割は、
1. 怪我の対応
2.レースでのパフォーマンスの向上
3.疲労の軽減
を大きな3軸として考えてきました。もちろん、それぞれが独立しているわけではないですが、今やってる活動はいずれかの目的のための活動でした。
年度や状況、スタッフの人数など、いろいろな場合がありますが、これらの目的が明確にあれば、潤さんがトレーナーという役職を作ってくれた目的から、大きくズレることはないのかなと考えていました。
ただこれにこだわって欲しいわけではないので、僕がこう考えて取り組んできたってことを知っていてもらえれば、あとはその上でよりチームが強くなるために、トレーナーがどうあればいいのか考えてもらえたら嬉しいです。
あとこれも大事ですが、みんながみんな同じことをできる必要はなくて、3軸を持った上で、各トレーナーが自分の興味なり需要なりに合わせてできることを増やしていくことで、「トレーナーチーム」として対応できる範囲が広がって、いいチームになっていくと思います。まああんま深いこと考えずに、これ面白そうだなとか、これできたらいいなーみたいに思ったことを自分なりに学んでいくのが一番だと考えています。
・トレーナーとしての関わり方
僕は将来なんか役立つかも、水泳経験あるしトレーナーとして入部すればなんか役に立てるかも、くらいの軽い気持ちで入部しました。けど、結局一番楽しかったのは、選手一人一人に向き合って、誰が何を目標としていて、どんな思いで練習に取り組んでいて、今どのくらいのタイムで泳いでいるかを知って、レースではその選手と同じくらいの気持ちで緊張して、喜んで、選手と一緒に取り組んでる一体感を感じる時でした。
それが当たり前だと感じる人もいると思いますが、少なくとも僕にとっては、「選手のことを知る」というのは努力の範疇でした。高校も自分のタイムのことしか気にしてなかったし、人のことに興味を持つことが苦手です。(今でも誰かが髪を切ったとか新しい服を着てるとか全く気付けません涙涙)
自分のパートの人についてテストみたいなことをしたり、声掛けをあらかじめ考えておいたりもしました。話しかける前に怪我の遍歴を確認したりもしました。
大変だと思う時も多かったけど、この努力があったからこそ、この楽しさを知れたのかなと思います。
もし、「なんで水泳部いるんだろ」とか、「なんのために頑張ってるんだろ」とかモチベーションに悩んだりしたら、最初から全選手について完璧に知るというのは大変ですが、自分のパートの人やコンディショニングした人など、周りの人からちょっとずつ知る努力をしてみることで、今までとは違った楽しみが出てきたりすることもあるんじゃないかなと思います。
・勉強について(後輩トレーナーへ)
勉強のし始めは、筋肉の名前も起始停止の場所もわけわからんし、ポジションによって作用変わるし、水泳の動作見ても全然どんな動きしてるか説明できやんし、全体像わかってきても覚えること多すぎて絶望するし、本当に気が遠くなるけど、地道に一個一個積み上げてったら、いつか「あ、ちょっと自分わかってるかも!」って段階がくるはず!
僕が3年半続けて一番大事だと感じたのは
「座学で筋肉を知る(起始停止を確認)→選手や自分の身体を見て場所をイメージする→座学でもう一度復習する(作用を確認)→身体を動かしてみたりして、筋肉の場所と収縮してるイメージをつける→座学で復習→…」
みたいな感じで、座学→実技→座学→実技→…
をたくさん繰り返すことだと思います。一気に筋肉を勉強して、さあ実際に身体見てみましょう!ってやっても全然わからないし嫌になるだけなので、勉強して実際に見て、をひとつひとつ積み上げるのがいちばんの近道だと思います。
あと、自分で考察するのもとても勉強になると思います。誰かが肩痛いって言った時に、自分の限界まで調べて、仮説を持った状態で先輩とかに聞いてみると、シンプルに調べる時にも知識が定着するし、仮説を持った状態で先輩の意見を聞けば、自分が何を見落としていたのかが明らかになりやすいです。
とはいえ僕も、しょうさんたちの足元にも及ばないなと日々痛感していましたが、たまに選手の助けになるくらいにはなれたと思うので、みんなもきっと大丈夫です。
〈メッセージ〉
・先輩方へ
本当にお世話になりました。
何度もご飯に連れていってもらって、何度も相談に乗ってもらって、何度も助けていただきました。しんどい時やっぱり一番弱音を吐けるのは、同期でも後輩でもなく先輩で、何度も頼って、たくさん助言をいただき、たくさん影響を受けました。
先輩方が受け継いで作り上げてきたこの水泳部だからこそ、最後まで全力で楽しんで水泳部にいられました。
インカレ終わって引退したらいっぱいよしよししてください。
・同期へ
3年半ありがとうございました。
この代だったからこそ、ここまで頑張れたし、こんなに楽しく水泳部を続けられました。まじで大好き
1回生のころからコンディショニングで頼ってくれて自信にもつながったし、出現率が低くても輪に入れてくれて嬉しかったです。ぐだぐだな回生旅行も気楽で心地よくて楽しかった。たまにはまたみんなで集まりましょう。
NFは受付がんばります。
・りーだーずへ
割と動き始めたのは2回の1月ごろからかな?長い間本当にお世話になりました。幹部がこの5人で本当に良かった。話し合わないといけないことが多かったのは大変だったけど、幹部で集まる時間が大好きやったし、会議を楽しみにしてたりもしました。話し合いが盛り上がることもあったり、しんどいこともあったけど、いい感じにバランスが取れてたんじゃないかなと思ってます。会議中にあいと脱線しちゃうことがあったのはごめん。
幹部旅行が楽しみすぎます。飲みまくるぞー。
ちなみに中堂は「このグループ名はなんとかせなあかんなあ」って言ってました
・あゆみへ
同期スタッフが一人しかいないので唯一の個人宛になります。
1年間まじで頑張ってきたなあ。本当にここまでやりきれて良かった。多分一人だったらどっかで気持ち切れてたし、あゆみがいたからこそここまで頑張れた。責任感負いすぎなところはあるけど、その姿見て自分ももっと頑張ろうと思えた。しんどい時に一緒に飲んでくれたのも救われました。
水泳部に入ってくれてありがとう、最後まで一緒に頑張ってくれてありがとう。
インカレまでやり切って気持ちよく引退しましょう。
・後輩スタッフへ
みんな個性派の後輩たちで、これまで一緒にスタッフができて本当に良かったです!
みんなすごいって褒めてくれるし、もう一年いますよねって言ってくれるのが本当に嬉しかったです。けど僕がみんなの回生のときより、みんなの方が何倍も仕事もできるし選手のこともわかってるから、もっともっとすごいトレーナーチームマネージャーチームになってくんだろうなあって今から楽しみで仕方ないです。
悩んだり大変なことがあったら飛んでいくのでいつでも呼んでください!とにかく楽しんで!
・後輩トレーナーへ
トレーナーに伝えたいことは〈トレーナーについて〉になるべく書いたつもりです。僕自信はトレーナーとしてのスタートラインに立てたのが遅かったなと感じてるし、みんなならもっともっといいトレーナーになれるはず。正直心配は一切してないけど、とりあえず楽しんでやっとけば間違いないです!
またボウリング大会開催しましょう。真喜屋vsその他で。
・後輩選手へ
沢山遊んでくれて、沢山話してくれて、沢山頼ってくれて、本当にありがとう。数々の老害ムーブを受け入れてくれて本当にありがとう。毎日コンディショニングを頼んでくれるのが自身につながっていたし、頼ってくれるのが部活を頑張る理由になっていました。引退しても、たまには遊んでくれたら嬉しいです。
・ミドロンへ
ミドロンのゆったりとした空気が好きでした。勢いがあって怖い人がいないので居心地が良かったです。4回生が一気に抜けて勢力がだいぶ厳しいかも知れないけど、ミドロンとしての誇りを持ち続けてこれからも頑張ってください。またいつか川根宅でたこ焼きやろう
・Fly・Ba・IM面へ
大月は急にお願いしたパートリーダーを快く引き受けてくれてありがとう。大月率いるバッタバックコンメ面は、みんな大月のことが大好きでしたよ。よくみんなのことを見てるなあっていつも感心してました。
後輩たちもついてきてくれてありがとう。特にそうきとかもちゃんはIM面の繁栄を目指す仲間として大きな信頼を寄せていました。とりあえず、来年の弘がんばってくれ。
1回生ずもたくさん入ってくれてありがとう。IM面は終身雇用なので、浮気はいいけどIMからは抜けれないことを忘れずに
・家族へ
高校で急に水泳部に入るっていいだして、たくさん迷惑をかけてきたけど、ここまで支えてくれてありがとう。
水泳のことはよくわからないと思うし、興味もなかったかもしれないけど、水泳の話を聞いてくれたりするのが嬉しかったです。
これからもお世話になります。
ゆうせいに個人宛にメッセージくださいと言われましたが、ゆうせいだけ書くのもあれなのでLINEで送ることにします。欲しい人は言ってくれたら送ります。
以上、引退日記でした!!!
いっぱいお世話になりました!!!
京都大学体育会水泳部 真弓竜飛
-2023 青炎
2023-2024 総乱舞
2024-2025 STARDOM
2025-2026 轟