お疲れさまです。4回窪田です。
引退日記をあげるのが9月末になりました… 途中まで書いたのに盆明けにはフルタイム研究室生活が始まってしまい、落ち着いて完成させられずにいました。まだかなと思ってくれていたみなさん、申し訳ないです。締め切り決めてくれたあいぼう、ありがとう。
どうやら日記を書くのは最後のようです。思い返すと今回に限らず、いつも日記を書くのは少し腰が重かった気がします。たぶん表現したり言葉を残すのがへたくそ?なんでしょうか。好きな人はスラスラ書けるんですよね、たぶん。表現力等ないことが一因だと思っています。入学以降全然本を読んでいないので、今後は落ち着いて読んでいきます。(唐突)
今思い返すと3年半は日々必死でしたが、現役生活はあっという間でした。他の4回もそう感じている人は多い?のでしょうか。
何を書くかは、なにを書かないかということ。・・・ 引退日記書くのムズイですね。時系列で行こうと思います。
同期や後輩に、ぐぼちゃんはいろんな横のつながりがあるねぇと言ってもらいます。
大学水泳の締めくくりとしてお世話になったたくさんの方に向けて?、書けるだけのことを書きたいと思います。
1.ナカジマスイミング時代
通っていた小中一貫校では、中1で京都の日本海側(夕日ヶ浦海岸←とてもきれいな海ですよ)での1時間ほどの全員遠泳があり、そのために小1からスイミングに行きはじめました。
(来年以降、遠泳の手伝いに行きたい人募集です!謝金でます)
先生の感じやスイミングの雰囲気を大切に、親が選んでくれたやさしいスイミングです。
選手コース(サブ強化部)に声掛けを頂いたものの、モノづくりやらなんやらで週3くらいしか行きませんでした。この時もっと泳いでおけば、中高大ともっと速くなっていたのかも(タラレバ)
中学くらいでさらに上の選手コース(強化部)に声掛けをもらいましたが、平日は中学部活や塾に行くため、また週3くらいしかいっていなかった気がします。
先日の京都選手権で先生にお会いした時、しょうとはすぐやめる方じゃないかと思っていた~と言われました。細く長くでも続けてきてよかったと思っているし、続けてこれたのは先生方のおかげです。選手コースに迎えてくださった先生方と選手たち、ありがとうございました。
2.中学水泳部
小6の担任の先生に、コンピュータサークルとか入る気やったら家でもできるから、今しかできない水泳部に入りなよと言ってもらったことが始まりでした。
今まで受動的に練習していた水泳が、顧問の先生との出会いでガラッと変わりました。あいさつ・用意をはじめ、しんどい時にこそ自分から声を出してチームで練習するという水泳に出会い、水泳の取り組み方をはじめ、日々の考え方が大きく変わった記憶があります。
3年は部長もさせてもらい、周りを気にする点も成長させてもらえました。
練習ノートは書いたり書かなかったりでした…(→高校に続く)
今後の人生で学校の先生になれるとしたら、生徒の目線に立って人生に良い影響を多くの生徒に与えられる先生になりたいです。
自分を導いてくださった先生方、ありがとうございました。
3.高校水泳部
中学の引退試合(府下大会)では、1フリが1:00.90で1分を割れずに引退しました。
高校では水泳部に入るぞと決めていて、水泳部がない堀川ではなく西京高校を志望しました。ウォーターボーイズもやっていましたね。入れたのはラッキーでした。(勉強の優先順位を付けるのが下手な自分に指導をしてくれたのも、京進の先生でした。ありがとうございました!)
2年~3年は部長もさせていただき、こちらも自分なりにやらせてもらいました。
練習ノートも10冊くらい書きました。ほとんどメンタル的な内容だった気がせんでもない…
高校では週末や冬場の練習で、虫明さんにもご指導いただきました。びっくりメニューも多く、いろんな刺激をもらって成長しました。
フリーは速かったのでリレーは全部(京都はリレーも予決)出していただきましたが、
個人・リレーどちらでも決勝には行くことなく引退しました。
最終日は2フリ×2本で、どちらも2分11くらいでした。
4.大学水泳(1-3回)
京大水泳部との出会いは高校時代に合同練習をしてもらったことでした。
なんのメニューをしたとか正直全然覚えていないけど、京大生と大きいプールで一緒に練習をした!というあのシーンは鮮明に覚えています。
そういえば、高2の冬に踏水会に初泳ぎに行ったあとに京大プールに寄ると、餅つきをしていた先輩方がいました。なんか京大水泳部おもろいやんと思いましたね^^ 臼ときねがあるから、餅つき続けてね
芳賀先生に紹介してもらって、高3の受験期は練習日記をちょこちょこ読んでいました。
一浪をはさんで合格が決まった後、現役で入った笹村さん←嵯峨野高校水泳部に連絡をして、3月中に体験にいきました。
優二郎さんに、「大学水泳ではコーチはいないけれど、動画を見あったり体の動かし方を勉強したりして、より考える水泳ができると思う」と言う感じのことを言っていただいたと思います。
しかし、そこからが迷いました。
ここまでずっと水泳をしてきて、高校でそこそこ真剣にやった”つもり”だったので、もっといろんなことしたいなぁ考え始めました。いろんな景色見たりいろんな人と出会ったり…??
この地元でずっと同じ水泳(銀色の箱の中を泳ぎ続けるスポーツ)をすることが、おもろいんか? いろんな噛みまくったガムをまだ噛む?(ブルゾンちえみ??)とかなんとか考えていました。自問自答。
サイクリング部とかボート部とかサークルとか考えていました。
ただ、大学生活シマっていきたいから、体育会には入ろうと思っていたので、朝練中心で生活を圧迫しなさそうな水泳部かな。
最後は、せっかく京大受かったんやし、京都でこれだけ水泳続けられることもありがたいよな?~みたいな考えで締め切り日に決めました。
迷って入ったので芳賀先生にちゃんと報告せず、決めたらいえよって言われました(笑)
入部した時はミドロンの先輩方は層が厚く、当時は国公立の一校3枠制限もあったため、12回の夏場は対抗戦には出れませんでした。
自分の実力不足だったので嫌ではなかったけど、同期や高校同期が関国などで活躍している中で、古巣のアクアリーナで計時をしているのはとても悔しかったです。
70th新潟全国公の8Kでの4回生の姿と、関西応援の一体感は鮮明に覚えています。引退までの目指す姿でした。(この写真はとても印象深いです)
じゃあ、速くなりたいと一層水泳に打ち込んだかと言うとそういうわけでもなく、
環境サークルで11月祭や家具家電リユースの活動をしたり、アクアリーナの電光掲示をマネて半自動計時を作ったり、みんなの自転車を修理したり、本当に好きなことばかりしていました。
高校では毎日熱心に書いていた練習ノートも続かなくなり、片手間水泳がかなり続きました。
何かしらで結果を出したかったか、人から「よくやったね」と言われたかったか、その辺は分かりませんが、いろいろやる割には中途半端で水泳にも影響がモロ出ていました。冬はよく遅刻をし、琢人さんには引退際に「冬越えろよ!」と声を掛けていただきましたね。
学期中は理科教職を取ろうと授業を詰めていたので、ずっとてんやわんやではありました。
バイトもそれほどせずとも今やりたいことを続けられるよう援助をしてくれて、家に帰って休むだけの環境を整えてくれた家族には感謝してもしきれません。
そうそう、お片付け隊長を誰にも引き継いでなかった気がします。
これを読んでやろうと思ってくれた人がいたら、片付の声掛けよろしくやで。
5.大学水泳(ラストイヤー)
ラストイヤー突入にあたり、
①2フリ2分割で関国決勝そして得点
②8Kリレ面入り
を目標にしました。2つ上の直己さん、1つ上のごしさんの活躍を見て、自分も2フリで!!というのが大きかったです。
2フリは高校までも泳いできましたがずっと攻略法?が分からず、ずっと苦手意識がありました。
大学水泳、2フリをのばしたい!というこだわりはずっとありました。
バック面にお世話になったり期間もありましたが、(かんしんさんメシ、とても心に残っています。励ましてもらいました!!)結局フリーに向き合うんやと3回の頃に決めました。
シーズンはじまって冬真ん中くらいまでは、取り組み方は正直同じでした。
特に11月祭終わったくらいの12月中頃には遅刻を連発し、ゆうごにたたいてもらいました。
その後、新サバイバーズおはようの会に入り、ひろはる・あいぼう・歩美さんから電話してもらって、やっと大寝坊はなくなりました。
同期には迷惑をたくさんかけました。自分を同期として迎えてくれて、時にはみっちり叱ってくれて、本当にありがとう。
冬~引退まではベンチ・懸垂と、肩・あしのストレッチをボチボチ続けて、体も変わってきました。
(水泳人生で幸いけがをほとんどしなかったため、特にストレッチについては今までだいぶ手を抜いていました…)
2年前、トレーナーチームの取り組みで上半身の写真を記録しておくという取り組みがあったので、
当時と比べてみます。
気になった人はトレーナーさんに定期的に写真撮ってもらいましょう。
(チーフめぐさんはじめトレーナーチーム、ありがとうございます。)
冬場はいつも前半抑えたつもりだけど突っ込み、後半激落ちくんになっていた2フリのレースプランを見直し、前半をより楽に速く泳ぐというレースプランを会得できた試合でもありました。
春室での短水路2フリのベスト等、ぐっと伸びる調子のいいタイミングは何回かありましたが、なかなかそうしたコンディションをコントロールしたり持続させたりはできませんでした。
もう少し伸び始めが早ければ…と思ったことは何度もあります。
直せた点はたくさんあるのですが、もう1度大学水泳をやり直せるチャンスがあったとしてこれ以上のレベルに行ける気はあまりしません。それだけ精一杯やったということにしておきます。
4回生になると工化は桂生活がはじまります。※駿佑、ぜひコアタイムが緩い研究室に行くことを勧めます。
(朝練後朝パに行って、もぐもぐしながら9:15の連絡バスに乗っていました。食べきれなかったおかずは、家から持ってきた白米おにぎりの具にしてテイクアウトしていました…)
自分が見てきた今までの4回生の後ろ姿に、自分はなれているのだろうか。
ラストイヤーのとき何度も考えていました。
ギリギリに来たり遅刻はするし、泳ぐのは遅くて戦力にはなれていないし、後輩とも深くは関われていないし、、少しは先輩らしくいれたでしょうか。
全国公でしっかりベストを出せして初MVSを決めれたのは、せめてものというとこでしょうか。
そして、水泳人生を通して一度も自力で決勝にでる、表彰状をもらうなど、”あっち側へ行く”ことはできませんでした。そういう一流”じゃない”コンプレックス的なものもラストイヤーは特に感じつつ、そのときの精一杯はやってきたつもりです。
もし現役のみんなでそういう弱気みたいなものが少しでもあるなら、その未来を変えられるのは現役中の今の自分だけです。精一杯頑張ってください。
七帝では念願の8Kを泳がせていただきました。どの大学も最終競技盛り上がっていくぞ!という雰囲気の中、自分だけはガウンに袖を通したあたり(結構序盤)から泣いていた気がします(笑)
あの雰囲気の中でいつもリレーを戦ってくれているチームメイトには尊敬しかないです。
とても貴重な経験をさせてもらいました。でも今思うと、自分はリレーを泳が”せていただく”という感じで、京大水泳部を背負う感が自分にはちょびっと足りなかったのかもしれません。
みんなには、リレー・個人を問わず、チームの流れにつながるレースなんだと思って、
1つ1つのレースを大事にしてほしいと思います。。
水泳は個人競技ですが、やっぱり水泳は自分のためだけには続けられないのだと思います。
3年半、終わってみれば短い気さえしますが、現役部員としてやっている間はしんどいこともたくさんあると思います。なにより一番しんどい瞬間、泳いでいるときは一人です。
いつも一緒に練習している仲間や応援してくれるスタッフのみんなを頭に浮かべ、いい結果ならともに喜んだり反省会したり、日々をかみしめて頑張ってください。
もう1つ、心掛けていた言葉があります。
「余裕がある人が周囲に気を配るのではなく、周りに気を配るから心に余裕が出てくる」
ごしさんが言ってはった言葉やと思います。
これを胸にラストイヤーやってきたつもりですが、なかなか自分のことで精いっぱいで、人と深く関われなかったなと言うのが後悔している点です。また何かしら誘ったら来てもらえると嬉しいです。
応援隊をしていた2回生のとき、なんで喉を傷めてまで頑張っているんだろうとふと思う瞬間が正直ありました。
自分が応援隊の指名をうけたときは、コロナを経て応援の伝統が途切れていたのを、ごしさんはじめ1つ上の代が立ちあげ直してくださっていた時でした。
はじめは応援隊だからと声を出していたけれども、応援隊以外はあまり声をだして応援する雰囲気ではなかったように思います。それが苦しくもあり、くやしかったです。
昔のバリエーション豊かな応援を参考にしつつも、今のチームにできるシンプルな応援をと考えてもなかなか浸透しなかったり、いざ全国公の場にいけば阪大や神大の応援にみんなが乗っかる形で飲み込まれて、くやしい思いがありました。(説明がヘタだったりカッチョイイ応援を作れなかった責任もあります)
そんなとき、応援した分いつか返ってくるからと陽仁に言ってもらえた覚えがあります。ほんまかいなとその時は思っていましたが、4回の引退レースのときたくさん応援してもらって、本当にそうだったんだと気づきました。
応援隊を下に引き継いでからは、しみゆうを中心に立派に応援隊を作り上げ、京大の応援を関西に轟かせてくれました。応援し”合う”雰囲気が徐々に醸成されていって、応援隊をしていたことを誇りに思える素晴らしいチームになっていったと思います。ありがとう!
応援隊をやっていてよかったです。応援を楽しんで声出ししてくれていたみんな、ありがとう。
むらまをはじめ、ゆういちろう、えりゆう、がんばってや。
他のみんなも、自分も応援隊やみたいな勢いで楽しんでやってもらえたらと思います。
大学水泳のおもしろさ、ここでしか味わえない経験はたくさんあります。
自分は決勝で入場したりチームに得点を持帰るという方面での貢献・経験はできなかったけど、他大のライバルと交流する、熱く応援をして他大の応援隊と交流する、逆にベストを出して応援してもらえるなど、たくさんの経験をさせてもらえたと思います。
謝辞
小学生のころから大学水泳まで、本当にたくさんの方のおかげでここまで水泳を続けることができました。
自分の水泳への取り組み方を見つめるような言葉をたくさんかけていただいた先生方、
大小たくさんの自己ベスト更新をともに喜び、くやしい時も声を掛けてくださった先輩・後輩・同期それに水泳で出会ったみなさま、活動を支えてくださった京泳会の先輩方、本当にありがとうございました。
地元京都でたくさんの人々とつながりながら水泳をやってこれたことが、本当に幸せでした。人生の財産です。
水泳で目標未達だったところは悔しさとして胸に刻み、今後につなげていきたいと思います。
書こうと思うと書くことも時間も無限に出てくるので、このあたりで締めさせていただきます。
今までの水泳人生に関わってくださったみなさまに、心から感謝申し上げます。

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