3.思い出
ここで気分転換に、水泳部での思い出を。
・たぶんはじめて同期女子で遊んだ日。しおりポーズ。& 誕生日めっちゃ近いきーちゃん
・この写真めっちゃ好き
・同期何人かで香川にうどん食べに行った
・同期女子みんなでコストコ行った
・ベトナム旅行で璃子のスカートを作るれいか
・淡路島までドライブ
・班に川根はいないのになぜか川根の家で開催された班タコパ
・合宿が途中で終わり、みんなでわっちシャンパンを飲んだ夜
・大阪方面組(しおりもいる写真見つけれんかった)
・数々の同期ご飯
これから
・どこの国行くか決めるための万博
・卒業旅行 inエジプト?ブータン?台湾?
楽しい思い出がたくさんあります。みんな大切な人たちです。これからも仲良くしてください!ご飯にも遊びにもいきましょう!
4.幹部として、チームでの役割
世代交代する少し前、ラストイヤーの目標を決めました。
それは、
常に明るく、優しく、ときに強く。みんなよりちょっとだけ先にいて、いつでも手が届きそうな、でも永遠に先にいるようなそういうところに居続ける。
高いところから勢いをもってチームを引っ張る役割は、堀ちゃん中心にやってくれるし、みんなの交流を深める役割は塚腰中心にやってくれるし、チームの中での私の役割は、みんなの近くで少しだけ先で堀ちゃんの方に引っ張っていくこと。
チームの元気と明るさはれいかが作ってくれるし、大ベストの勢いはきーちゃんが作ってくれるし、女子の中での私の役割は、少しだけ冷静に1人1人を見て、全体の力が上がるように引っ張ること。
です。
できたかなぁ。
できてなかった部分もたくさんあったなと思います。
誰か1人でも、そういう存在だったと思ってくれていたら嬉しいです。
幹部のライングループができたのは、3月16日です。そこから色んな決め事をしました。
意見がぶつかることもありました。意見がぶつかったあとって名言が出やすいんです。堀ちゃんの、「全部勝って、最高の状態で部活を残したい。」とかね。それを塚腰がアナウンスして、重要な連絡が流れてしまったのもなんだか良い思い出です。この名言、本当に叶えてしまったんだから、すごいよねぇ。
世代交代があってすぐ、どこからともなく、この代はだめだという声が聞こえてきました。でも、1年たって、どうでしょうか。
そんなに悪くなかったんじゃないかと私は思っています。
チームの方針を決めていたのは、主に主任の堀ちゃんやメニュー王のささむだったと思います。仕事をたくさんしてくれていたのは主将のごっしー。マネをまとめてくれていたのはしおりで、トレーナーをまとめてくれていたのはわっちです。私がしていたことは、堀ちゃんの出した方針に意見することと、予定表に予定を書き込むことでした。
堀ちゃん本人は、何にも仕事してないって言うと思うし、頼りない代だったと言うと思います。でも、私個人としては、1年かけて、すばらしいチームになったと思います。
一方で、女子主将としては、後悔がたくさんあります。
もっと気にかけてあげればよかったと思うこともあるし、私が気づかないうちに悩んでいたと後から知ったこともありました。
しないといけない決定も、私一人で決めたことは何1つなく、必ずれいかときーちゃんに相談していたし、スタッフや後輩の意見を聞いたこともありました。
みんながいないと今の女子チームはできなかった、一人一人の想いがチームを作り上げたのだと思います。シーズンはじめの日記に書いた、「私が女子主将をやる意味」は、みんなの意見を尊重しながら女子チームを作ることができたこと、かもしれません。
関国でも関カレでも2位。ベストは合計108個。素晴らしい結果です。
そのくらい女子チームが強くなったことが、本当に嬉しいです。
目標をどちらも直前に上方修正したし、絶対的な強さは欠けていたかもしれないけれど、みんなに支えてもらって一年間やりきることができました。本当にありがとうございます。
あと、忘れてしまいがちなのですが、フリーミドロンの長でもありました。パートミーティングをたくさん開くことができなくて、ごめんなさい。大月、川根、窪田、ひろせ、たまき、ゆら、どの選手の成長も楽しみです。来シーズンの活躍も期待しています。結果見てるよ!
3回生以下は、これから代が変わって不安に思うことがあるかもしれませんが、ゆうごをはじめとする、チームを作っていく人たちに協力してあげてください。時に意見を言うことは必要かもしれないけれど、信じてついていくのも1つの大切な役割だと思います。
みんな初めはとまどうのは当たり前。役職に関係なく、1回生から4回生、選手もスタッフも全員でチームを作ることを忘れないでほしいなと思います。
5.関わったすべての人へ
京泳会の皆様
日頃からご支援、ご声援をいただきありがとうございます。最後に現役ミーティングに参加させてもらい、日頃から支えていただいていることにあらためて気づきました。これからは私も現役を支援する側にまわりたいと思っております。
父、母、妹、弟
自転車でスイミングまで迎えに来てくれて一緒に帰ったり、試合の送り迎えをしてくれた父、毎晩肩甲骨はがしをしてくれたり、大会のお昼ご飯を作ってくれた母、大会前日に早く寝るために部屋の電気を消してくれた妹、まだ小さいのに試合に連れられてプールの近くで遊ぶしかない休日を過ごしてくれた弟、ありがとう。
スイミングのコーチ、高校の顧問
私を選手コースに入れてくれたYコーチ、1から育ててくれたFコーチ、ずっと成長を見てくれているSコーチ、高校生の時お世話になったNコーチ、伸び悩んだ時期に見捨てず優しく指導してくれて大学の記録も見てくれていたJコーチ、エネルギー効率向上練習で100mの楽しさを教えてくれたF先生、ありがとうございます。
学部の友達、中高の友達、その他色々
大会があると言ったら終わってから結果を聞いてくれて、良い報告をすれば一緒に喜んでくれて、逆にだめだった時や悩んだ時は話を聞いてくれました。心の支えでした。ありがとう。おかげで私は部活の中でいつも笑っていることができました。練習や大会があるからと遊びのお誘いを断ったことも何度もあったと思います。ごめんね。引退したので時間ある(はず)ので、いっぱい遊びに誘ってください!
電車・バスの運転手さん
(たぶんお互いに)顔を覚えるくらいに始発に乗り続けました。バスが遅れると怒鳴るおじさんもいますが、遅れても安全運転が1番です。朝早くからバスや電車を動かしていただきありがとうございます。始発が遅かったら私は朝練に行けていないので本当に感謝しています。
先輩方
悩んだ時に気にかけてくださったり、モチベーションの話やフォームの話などたくさんのことを教えていただきました。引退されてからも結果を見て連絡をくださったり、大会を見に来てくださりました。ありがとうございます。またご飯行きましょう!
マネさん
練習でタイムいらないと言ったり、ブロークンでメニューにないサークルを要求したり、レース動画のテンポ計りなおしてと言ったり、ウォッチがずれてるんじゃない?と言ったり、色々わがままを言った選手だったと思います。嫌な顔せず全部に応えてくれて、練習や大会を盛り上げてくれてありがとうございました。練習中の元気な声も、ラップ帳のコメントも、嬉しかったです。
トレーナーさん
予約表に予約せずにコンディショニングをお願いした時も、全身を軽くしてくださいと雑な要望をした時も、快くやってくれてありがとうございました。トレーナーさんなしでは疲労だらけのラストシーズンだったと思います。2月に国試を受けるため身体の知識は増えると思うので、何か質問があればぜひ頼ってください。答えられるかはわかりませんが、、、
女子選手のみんな
まずは競技面でよいしょしてくれてありがとう。リレメンの3人には特に引っ張ってもらいました。私がもうちょっと速かったら、最低限ひろせぐらいだったら、もっともっと良いところにいけるのにと何度思ったかわかりません。タイムで足を引っ張り続けてごめん。関国や関カレで表彰台に乗れたのも、全国公で入賞できたのも、みんなのおかげです。個人では見ることのなかった景色が見れました。ありがとう。他のみんなも、点数で貢献してくれたり、ベストで勢いづけてくれました。
競技以外の面でもたくさん支えてくれてありがとう。同期はもちろん、後輩にも元気づけられることや励ましてもらうことがたくさんありました。
女子主将という肩書きがあった私ですが、絶対に1人じゃなかったし、本当に本当にみんなに支えてもらいました。すごくあたたかいこのチームで、1年間女子主将ができて、選手としてラストイヤーの時間を過ごすことができて、私は幸せです。
また現役がオフに入った頃に女子会しましょう!!
同期
合宿の回生ミーティングで、勝手に幹部が決定してるなと思うことはないか聞いた時、ひろたかが、幹部の意見に賛同するからそれは大丈夫と言い、他の人もそれにうなずいていました。あのミーティングで、この同期がいれば大丈夫と思ったのを覚えています。1人1人が自分の役割を全うしていたんじゃないかな。いつでも頼れる人たちでした。
水泳に関すること、それ以外のこと、同期みんなと過ごした日々はどれも大切な思い出です。この繋がりはずっと大切にしたいと思っています。また集まろう!
後輩のみんなには1人1人にメッセージを渡すので読んでください。
6.さいごに
競泳を始めてから、ぽんと大ベストが出ることはなく、いつも少しずつベストを更新してきました。あまり速くはならなかったけど、4歳からずっと楽しく水泳を続けることができました。まだタイム伸びるんじゃないかとまったく思わないわけではないけど、ラストシーズン出し切ったし、今なら引退してもいいかなぁと思うので、引退します。もう年やしね笑、夏季長出る出る詐欺してすみません。
あぁ寂しいねぇ。
水泳大好き人間なので、これからも大会や練習に顔を出すと思います。その時はよろしくお願いします。
競泳人生の最後を、この京大水泳部で、最高の仲間たちと過ごすことができて、本当によかったです。ありがとう!!
私の将来の夢を書いて、おしまいにします。
私は、水泳を通して、たくさんの人と関わりをもち、たくさんの人に支えてもらいました。今度は私が支える番です。
誰かに笑顔と元気を与えられる人になりたい。
できていたことができなくなって、しょうがないと思ってしまう自分が悔しくて、前みたいに戻れるのかな、もうできないんじゃないかと不安で、普通に全力で練習できているみんながうらやましくて、もうどうしていいかわからない
そういう人の支えになりたい。
これは、私が中学生か高校生の頃、肩だったか、どこだったか忘れましたがどこかを痛めていた時に書いた言葉です。
高校の顧問のF先生みたいに、誰かを笑顔にさせる、活力を与えられる人になりたい。
がんばろうと努力をしようとしている人が、全力で頑張れる世界にしたい。
ずっと私の根っこの部分にある思いです。
すべての人が、心身の変化によって悩むことのないようにすることが私の大きな夢です。
今まで関わったすべての人への感謝の気持ちとともに、夢を叶えられるよう、これからも頑張っていきます!
それでは。
京都大学体育会水泳部
竹本杏美
2022 全進
2022-2023 青炎
2023-2024 総乱舞
2024-2025 STARDOM
お疲れ様です。竹本です。
引退日記を書きます。長くなるので、読む人の記憶に1番残る最初と最後に伝えたいことを書きます。
0. はじめに
私は水泳が、京大水泳部が大好きです。
大好きな水泳を、大好きな仲間たちと、ここまで続けることができてとても幸せです。
一緒に頑張った人、支えてくれた人、応援してくれた人、水泳を通してたくさんの人と関わり、たくさんの経験をしました。関わってくれたすべての人にありがとうの気持ちを伝えたいです。この日記を通して、それが少しでも伝われば幸いです。
目次
0.はじめに
1.競泳人生
2.競泳を通して私が得た教訓
3.思い出
4.幹部として、チームでの役割
5.関わったすべての人へ
6.さいごに
1.競泳人生
4才 友達が習っていて行きたいといい、スイミングに通い始める。
6才 クロールに苦戦。習得までに半年かかる。
小3?小4? 初めての大会(非公式)。セームをゲットする。
小4の夏 それまで通っていたところと違うスイミングスクールの夏休み短期教室に参加する。育成コースに推薦されましたが、飛び込み練習でゴーグルがはずれて立ってしまったら怒られたのが嫌で入りませんでした。
小5の冬 友達が上のクラスに上がったのをきっかけに、家の近くのスイミングに移籍。推薦してくれたコーチが覚えていてくださり選手育成コースに入れてもらえる。1ヶ月で50mFr1秒伸びる。
小6? 選手コースに上がる。
中学生 だんだん練習についていけなくなる。年下にどんどん抜かされ、気づいたらENはフィンをはかないと練習の邪魔になるくらいになっていました。思春期の身体の変化に技術も持久力も筋力もついていかず、以前はできていた練習ができなくなりました。肩もたくさん痛めました。それでも、私以上に私のことを諦めずに指導してくださったこの時のコーチには、本当に感謝しています。
何をモチベーションにしていたのか覚えていませんが、とりあえず水泳が好きでした。今考えると、速くなりたいという思いは特別強くはなかったように思いますが、特にやめたいと思うことはありませんでした。
高校生 北野高校を選んだのは50mプールがあるからでした。中2の頃の志望校だった茨木高校は水球の方が強そうだったのでやめました(梅とゆうごと同期だったかもしれない世界線はこの地点で消えました)。
入学してすぐ、迷わず水泳部に入りました。1年生の頃からリレーに出させてもらい、先輩にも先生にもいっぱい可愛がってもらいました。良き同期たちとかわいい後輩たちにも恵まれました。
私が1年生の時の部長さん(のちに阪大水泳部の部員となります)が引退式で話した言葉が私を京大水泳部に導くことになります。多くの先輩が思い出や感謝を述べるなかで、その先輩は、大学での目標を発表したのです。「自分は国公立に行くつもりなので、合格して全国国公立大学選手権に出ます。」この時私は全国公の存在を知りました。私も全国公に出たいと思いました。
高校の引退試合では、全国公の標準記録を切ることをひそかな目標にしていました。100Frで当時の長水路制限を突破し、まぁまぁ満足して引退しました。
大学生
2022 全進
1番に水泳部の新歓に行き、あとから練習体験に来た同期に先輩だと思われるくらいに新歓期間も毎日練習に参加していました。おそらく多くの先輩が、迷わず水泳部に入ったと思っているでしょうが、私自身は新しいことを始めるか結構迷っていました。
初めてエントリーした春短の直前にコロナ陽性になり棄権。この時、大会に行きたかった気持ちが強すぎてもう一回水泳を頑張ろうと決めました。
受験直前までちょこちょこ泳いでいたのでベスト近くまではわりとすぐ戻ったのですが、夏シーズンに生涯ベストを出すことはできませんでした。結果、100mは高校で突破したタイムを使って全国公に出ることになりました。あのとき切っててよかった。
この年の全国公で、くさかさんに、1番応援してるよ、頑張ってと言われたことは引退まで3年間心に残り続けていました。あんなに必死に努力していたくさかさんに、私は全然及ばなかったと思いますが、頑張るモチベーションになっていました。ありがとうございます。
この年、かぶっていなかったけれど面識のあった高校の先輩が引退されました。関国で予選は勝ったけれど決勝は負けてしまった先輩。決勝でタイムをあげる難しさを感じたレースでした。
2022-2023 青炎
ショート面に入れてもらい、スピードや細かい技術の能力がアップしました。冬季公認ではベストを出してMVSに選んでいただきました。この時期ゆきとさんにはものすごくお世話になりました。この時期くらいから色々考えて泳ぐのが楽しいと思うようになっていった気がします。
スピードが上がり、絶好調だった矢先、足首を捻挫。治っていないのにダラダラ練習を続けたのも良くなく、関国、七帝が潰れました。関カレで絶対復活した姿を見せようと思っていたのに前日に体調を崩し、関カレも棄権。家で寝ていましたが、入院してもいいよと言われるほどの状態でした。結局全国公の前日まで練習には参加できませんでした。
全国公もなんとか出場はしましたが、タイムは競泳を初めて1年にも満たない小学生の頃より遅かったです。200Frにいたっては、初めてレースで泳いだ時より遅くて、練習できていないにしてもショックでした。
はじめて200Frを泳いだ大会の振り返りノート
この年、間違いなく競泳人生で1番の挫折でした。競泳で1番楽しい夏が、1回分消えました。
メンタルもボロボロで、当時の主任のゆういちろうさんや女子主将のひなこさんには、特別な連絡もなく突然何日も続けて練習を休んだり、レースを棄権したり、たくさん迷惑をかけたと思います。すみません。本当に色んな人に助けてもらいました。ありがとうございます。
この年の全国公で、私を京大水泳部に導いた憧れの先輩が引退されます。当時関国で表彰台を独占するレベルだった阪大のBr面のレギュラーとしての活躍、宣言していた全国公という舞台での引退レースを見て、私も2年後、この舞台で全力を出し切って引退しようと強く思いました。
(これを書いている今は高知に向かうバスの中、無事にそれが達成できそうです)
2023-2024 総乱舞
怪我も病気も治り10月からは心機一転、4回生で実習があることを考えて、ラスト1年だと思って練習していました。さくらさんやひろせとずっと競争していたように思います。競争相手がいるって楽しい。
冬季公認、春短でやっとベストまで戻ってきました。一安心しました。
けれど、制限が上がった全国公切りは叶いませんでした。100mFrはあと0.03秒でした。めちゃくちゃ悔しかったし、応援してくれた人がいたのに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。夏季公のレース前の祈るようなくるみさんの表情をよく覚えています。あの時レースを見ていてくれたみんなの笑顔が見れなかったことが残念です。
対抗戦のリレーでは、みんなで歴代記録を確認して挑むのが楽しかったです。関カレの2継で歴代1位を更新した時のことは、1年たった今でも音声ありの映像で思い出すことができます。
歴代1位写真
後悔の1つは、さくらさんと表彰台に上れなかったことです。来年は絶対のぼってねというさくらさんの言葉。今年、叶えるところをさくらさんに見てもらえてよかったです。
この年の全国公終わりの4回生のお話の途中、くるみさんの言葉でしゃくりあげて泣いてしまいました。自分的にはそんなに重みじゃないと思っていたけれど、自分が最上回生になること、女子主将になることの不安が一気におそってきたのだと思います。自分でもびっくりしました。あのとき、からかってきたささむのことは今でも恨んでいます。
2024-2025 STARDOM
ある日の練習終わり、れいか、あい、ひろせ、ゆきとさんと話している時に、リレーでインカレに行くという話が出ました。3人のキラキラした目を見て、みんなで夢を見たいと思いました。この日に、3回生の夏が実質ラストイヤーじゃなくなりました。選手としての競泳人生が1年伸びました。私の目標タイムは1:02。当時のベストが1:07.8だったので5秒縮めなければいけませんでした。
ポンとタイムが上がることは少なく、地道に少しずつベストを更新してきた私にとって、1年で5秒縮めるのは難しい目標でした。結果的にインカレに行くことはできなかったけれど、自分ひとりでは思い描かなかったであろう夢を見させてもらいました。ありがとう。来年、期待しています!!
レース分析をしたり、動画を見たり、色んな人にアドバイスを求めてみたり、色々やりました。ある日、これまで感じたことのなかった水の感覚をつかむことができました。
長い間競泳をやってきたけれど、1番泳ぎが変わったのは、この1年だったような気がします。水の感覚を確かめながら泳ぐのがすごく楽しかったです。
実習中も気持ちを切らさずに練習することができました。
同じように実習を乗り越えてベストを出して引退されたみささんが、「帰宅したらすぐにプールに行くこと、必ずみんなと同じメニューをすること」とおっしゃったので、毎日LINEに上がるメニューを帰りのバスや電車で紙に書いてジップロックに入れてプールに持って行っていました。
練習でタイムをとってもらえること、動画を撮ってもらえること、みんなで練習できることのありがたさをすごく感じた期間でもありました。
自主練を頑張った成果が出たのか、神からお許しが出たのか、春短の4継の1泳でオンタイムで全国公を突破しました。これが私の短水路ベストです。
新入生も入部し、迎えた対抗戦1発目、関国。
出場種目は悩んだけれど、決勝への想いが強く、専門外の200Flyと200IMにしました。チームにしっかり点数をもってこれて嬉しかったです。
女子の総合順位は2位。ラッキーだった部分もあったけれど、しっかり目標を達成しました。なんだか夢みたいで、すごくすごく楽しかったです。
七帝。
50Frと100Frに出ました。どちらもベスト。100mは合わせていないのにベストが出たことに驚きでした。
50Frは決勝でタイムを落とし、確信をもって自分を2継のリレメンに選ぶタイムを出すことはできませんでした。悔しいというより情けなかったです。私が1回生の頃、4継でこのかさんと同じような状況で、出させてもらったり選ばれなかったりしたので、ギリギリで泳げない時の気持ちは知っているつもりです。だからこそ、自信を持って私が泳ぐ!と言えるタイムを出したかった。うみちゃん、ごめんね。
関カレ。
直前に目標を設定し直し、男女一部昇格をかけて戦いました。
私の出場種目は100Fr、200Fr。200Frの決勝は狙えない。100Frは9番エントリーで決勝ラインまで2秒6でした。200Frは大ベストで流れをもってくる、100Frは決勝残って点数で貢献するのが目標でした。
200Frはベストだったけど少しだけ、100Frは0.56で決勝を逃しました。
両方9番、補欠1。悔しかったけど、どちらも後半が動かなかったから実力不足でした。あの時の最大限だったから、あんまり悔しくなかった、不思議な気持ちでした。
チームとしては、目標達成、1部昇格しました!同期と後輩がたくさん点数をとってくれました。ずっと長い夢を見ているみたいでした。今でも信じられません。すごく楽しかった3日間でした。
全国公。
関カレと同じ種目でした。できることは、疲労を抜くこととレースプランを修正すること。栄養ドリンクを色々飲みました。ラップ表と動画とにらめっこして前半抑え型に修正しました。200mの後半、今までの色んなレースのラスト25mがフラッシュバックしてきました。ベスト出したレース、後半自分に負けてしまったレースの時の映像が脳裏に浮かんで、絶対に後悔しないラストにしようと思って頑張りました。
結果は自己ベストで2:30わり。200mは(しんどいので)嫌いだったのですが、このレースは泳いでいて楽しかったです。
1本目の200mが終わったら、そのまま絶好調の気持ちで、最後の4継まで泳ぎ切ることができました。
どのレースも、今までにない緊張のしかたをしたけれど、全部出し切って、最高に楽しいレースになりました。2継はあと一歩及ばなかったし、個人の100mは6秒台までもう少しだったけれど、引退試合、引退レースを、自分らしい泳ぎで締めくくれて満足です。
引退レース4継 「ひろせ」と叫んでいます
以上、
鼻に水が入って泣いて途中で帰った子が、クロールの習得に半年かかった子が、飛び込んでゴーグルがはずれて嫌になった子が、成長して嫌いな200mFrと大好きな100mFrで引退する物語でした。
2.競泳を通して私が得た教訓
①先輩後輩速い遅い関係なく、自分から貪欲に質問せよ
京大水泳部には、指導者がいません。自分で反省することも大切だけれど、自分以外の人に聞いてみると、知らない知識や感覚を共有してくれることがあります。速い人に聞くのはもちろんですが、自分よりタイムが遅い人にも聞いてみるのも色々発見があって良いと思います。
②まずは素直に1回やってみよう
質問してアドバイスをもらったら、まずやってみることをおすすめします。信頼していない人からのアドバイスは聞かない、やらない人もいると思いますが、素直に一旦信じるのが良いと思います。
③自分に合うかは自分で決める
やってみたら、それが自分に合うか、自分の感覚と相談します。誰からもらったアドバイスでも、合わなかったら取り入れなくていいし、なんか良さそうと思ったら続けてみればいいです。一人一人フォームも感覚も身体も違うので、合う合わないがあるのは当然です。判断する期間はどれくらいかが難しいのですが、やっぱり感覚なんですかね?それを感じる力が必要ですね。
④怪我や故障は無理しない
対抗戦、引退試合など、そのあと悪化しても良いときは別ですが、それ以外は無理してもいいことがありません。治るものは治ってから再開する方が良いです。その間、別の方法で前に進み続けることを忘れずに。
⑤年齢には抗えない(全国公後の最後の話の2点目はこれでした)
大学生、若い人でも引退のときは21歳です。当然疲労は抜けにくくなります。ダウン、ストレッチ、ケア、睡眠、栄養が大事です。私はラストイヤーの対抗戦、疲労回復の食べ物飲み物をひたすら摂取していました。睡眠は短かったので、反面教師にしてください。
⑥メニュー係を信じる
京大のメニュー係はすごいです。自分の時間を削ってまで毎日メニューを作ってくれます。それも適当なメニューじゃなくて、毎回しっかり考えられたメニューです。メニューの意図をしっかり読み取って意識しながら練習するのが良い結果に結びつくのではないかと思います。私はほとんど毎日遅れて練習に参加していたので、練習後にもよく泳いでいましたが、アップから練習できる人はメニューの意図通りに練習するだけで速くなるんじゃないかと思います。長期期間中や合宿で全部メニューができる時に、速くなっている感覚があったのでそう思いました。
⑦一人一人立ち止まる位置は違う
周りは伸びているのに、自分だけがこんなところで立ち止まっていると感じることがあるかもしれません。私も、100mFrの1:05.8 or 9を片手におさまらないくらい見ました。でも、立ち止まる位置が違うだけで、他の人も必ずどこかで立ち止まっています。焦らず折れず、水面下の成長を続けることが大切だと思います。
⑧それでもやるしかない
ベストが出ない時、制限が切れない時、調子が悪い時、故障をした時、うまくいかない時。不安や怒り、焦りや悲しみを自分に向けてしまう人もいるし、その矢印が周りに向いてしまう人もいるでしょう。どれもその人の苦しみにあった防御方法の一つだと思います。でも、気持ちの矢印をどこに向けたって、最終的には自分が行動するしかないです。誰に何を言われようと、自分は自分を信じてあげること、自分を信じられるだけの努力をすることが、やがてやってくる成長につながると思います。
なんだか偉そうなことを書きましたが、③にあるように、この教訓も私が得たものなので、合わないと思ったら信じなくて良いです。後輩のみんなが、1つでも何か成長できるきっかけになったら嬉しいです。
つづく
お世話になっております。
競泳主任になりました、たかぎです
全国公MVSの藍がin鹿児島のため、代打で書きます。
主任旗揚げ日記ではありません。。
新幹部の旗揚げ日記は10/1のオフ明けからにしますのでよろたのです~
なんせ怒涛の一週間ですね。
なんでこんなに予定が立て込んでいるんでしょう。
でもですね、対抗戦もそうですが
東大戦だったり白鷺杯だったり、合同練だったりと、色んな方々と水泳に打ち込める、水泳を通して交流出来るっていうのは大学水泳の醍醐味の一つだとも思います。
テスト→関カレ→全国公→東大戦と来て、ここからも予定山盛りですが、
大学水泳の楽しさを最大限楽しんでもらえたらと思います。
そして、来週からはもう一回整え直して
夏季長・インカレに向けて、最後しっかり取り組んでいけたらなと思います。
全国公ぐらいから何度も言っててそろそろうざがられてそうですが
手洗いうがい、睡眠食事
いつも以上にしっかりやっていきましょう
体調管理大事です。思ってる以上に。
そしたら今日のメニュー行きます、どんっ
メニュー作ってくれた中堂、スタッフのたっぴ、あゆみ、ひろな、ふみえ
今日もありがとうございました!
高校生の方も見学&練習体験に来てくれました!
ありがとうございました!!
高校生って若いですね。
歳の差を感じました。
是非京大へ!!そして水泳部へ!!楽しいよ~^^
なんせ今日はひっっっっっさしぶりの練習でした
思うように泳げませんこりゃ大変
そんなときもありますね、ちょっとづつ整えていけるようにしたいです
そういやですね、今日記もう終わりにしようと思ったんですけど思いついたので
今シーズンは日常の写真をいっぱいにしたいですねっ
個人的に
日常を遡ってたら2年前えっぐい数の写真あってなんかよかったです
確か日常だけで6個か7個ぐらいアルバム出来てた気がする(全然盛ったかも)
思い出いっぱいのシーズンにしましょう
目標1万枚!!(アルバム10個分!?)
にこにこ
あ、写真撮られたくない人もいると思うので
その人は上手いこと逃げてください
すみませんっ
あとは全国公の思い出Best3でも載せて終わり!
僕は堀さんの声が震えてて泣きかけただけです
泣いてません
異論は認めません
愛すべきBr面
高知と言えばカツオ
美味かったぁ
来年は腹ちぎれるまでマンゴーを食べます!!!
双青戦のことも書こうかと思いましたが
写真どこまで使っていいか分かんなかったので
ひとまず感謝の方だけ。
遠方からわざわざお越しいただきありがとございましうた!
コンパも含めてたくさんの方々と交流出来て、非常に楽しかったです。
東大の内情も聞けて、たくさん勉強させていただきました。
去年は出来なかった双青戦ですが、
今年は無事に開催出来て良かったです。
来年以降も伝統として引き継いでいってもらえたらと思います。
簡単ではありますが、このあたりで。
明日の日記は藍です
鹿児島の思い出お願いします。
ここまで読んでくださってありがとうございました~
ではまた~
2024→2025 STARDOM