質問に答えます。
強化連で一番きつかった練習
どれもなかなかしんどかったです。
50×20は死ぬほど長く感じたし、IMのサイクルインとかはサイクルアウトした後はほとんど溺れてたし
メニューを作ってくれた方たちはありがとうございました。
お疲れ様です。藤本です。スターダムラスト日記を書かせていただきます。グボさんから強化練の振り返りをして欲しいとのことで、指名に預かりました。夏季長は渋タイムでしたが書かせていただこうと思います。
本日のメニュー
メニュー作成のゆうごさん、スタッフのひろな、しょうこ、ひとみ、かのんありがとうございました!
半ブレのだいぶは京大プールベストの4.8でした。嬉しかったです。りくたろうにも勝ちました。どんな形であれ勝ちは勝ちです。
来シーズンはいっぱい勝ちたいな
夏季長2日前から急にブレの感覚が良くなりましたね、もう少し早く掴みたかったな
オフで忘れないようにちびちび練習しときます。
強化練、自分なりに頑張ったつもりでしたが今回は結果に出ませんでした。
あの時は頑張っているつもりでしたが今思えばまだまだ頑張る余地がありました。
テストを言い訳に筋トレや体幹をサボったり、練習にもギリギリに来たりと、
当たり前のハードルを上げないといけないな、と思いました。
僕には圧倒的にベースが足りないので、強化練のような練習は本当はもっと必要なはずです。今年はイレギュラーな形だったので仕方ないですが、トータルではまだまだいけるって感じです。
1回生の頃は無限に時間があると思っていて、夢想し放題でしたが、2回生にもなると少し残り時間を意識してしまいますね。
近頃少しずつじじくさって現実的になっていく自分が恐ろしいです。伸び悩むと自分の身の丈をわからされている気がします。
でもやっぱり速くなりたいし、レギュラーで出て得点を取れる、結果で貢献できる選手には憧れます。
なので目標は高く持ちます。まだ2年もあるので。なんでもできると思ってやりますよ。
ではみなさんオフを楽しんで!
インカレ組は頑張ってください!
Go!!京大!!
2024-2025 STARDAM
今シーズンを始めるにあたって、ある行動指針を定めました。「具体的で形ある、身体に近い領域への参入を」というものです。
このスローガンは意味と密接に関連するものなのですが、トピックがデカ過ぎるため、限られた分量の中でこれを説明しようとするとただの怪文書になってしまうような気がしなくもないですが、意味について何かしらの燻りを抱いている人に対して、少しくらいは示唆を与えられることを期待して、簡潔に私見を書き留めておこうと思います。
私たちは日常的な場面において、程度の差こそあれ、意味について問いを発することがあると思います。それは例えば、「水泳をやる意味ってなんなの?」とか「人生ってなんの意味があるの?」といった形を取ります。水泳部の媒体で書いているので、まずは前者について見てみましょう。水泳部では日々、選手たちはより速いタイムを出し、ベストを出し、レギュラーに入り、より大きな試合でより高い順位を取るために日々頑張って練習していて、マネージャーやトレーナーは選手のそうした目標を達成できるように奔走しています。水泳をやる意味とは、とりあえずは「より速いタイムを出し、ベストを出し、レギュラーに入り、より大きな試合でより高い順位を取る」ことだと言えます。これについては部員は概ね賛同するのではないですか?これについて公然と異議申立てする人はそもそも水泳部に入る必要があんまりありません。こうした意味は水泳部というコミュニティ内で前提視されています。では、今度は「より速いタイムを出し、ベストを出し、レギュラーに入り、より大きな試合でより高い順位を取る」ことの意味は何かを考えてみましょう。よくわからなくなってきますね。25mなり50mの水路をできるだけ速く移動することの意味?速く移動してそのタイムを競うことの意味はなんでしょうか。まあ例えば「ベスト出たり勝ったりしたら嬉しいから」とか自然な答えですか?では嬉しいから何なのでしょうか?人間が嬉しさや幸福を感じるという事象にどのような意味があるのでしょうか?問いまみれになってきてさらによくわからなくなってきました。これも例えば、あんまり答えになっている気はしませんが、「人間は幸せになるために生まれてきたのだ」とかよくある答えですか?ではさらに突き詰めて、人間が生きていることの意味とはなんでしょうか?あれ、冒頭に挙げた二例の後者に回帰してしまいました。
意味不明になったところで、今度は別の視点から意味について考察してみましょう。さっきまで扱っていた意味というのは、意義や価値、目的とも言い換えられるような、物事の意味でしたが、今度は言葉の意味について着目してみます。
言葉の意味も、よくよく考えてみれば実は難しいです。例えば、「リンゴ」の意味ってなんでしょうか?まあ普通に答えるならば、「赤くて丸い果物」みたいな答えになると思いますが、さらに、じゃあ「赤い」の意味は?「丸い」の意味は?「果物」の意味は?と問うことができます。「赤い」の意味は?と言われれば、「色が赤だ」としか答えようがないですが、これに対しても、「色」とは何か?「赤」とか何か?と突っ込むことができます。このように、言葉の意味は実は固定的に定めることができるものではなくて、実は無限にループしていくものなのです。無限の意味の連なりの先に、辞書的な「赤くて丸い果物」みたいな表層の意味が生まれてきている、みたいなイメージです。
意味の無限ループのほかに、言語にはどのような性質があるでしょうか。例えば、「上司」という言葉の意味を考えてみましょう。「上司」を説明する際、部下との関係性を抜きにして説明することはできませんよね。当たり前の話です。部下なき上司は存在しません。部下がいてはじめて上司が存在します(逆も然り)。ここから言えるのは、任意のAという言葉を考えたとき、Aはそれ単独で存在するのではなく、常にAでないものをセットとして持っているということです。
もう少し言語の性質について見てみましょう。今度は、蝶々を例にとってみます。蝶々と似た昆虫に蛾がいますが、我々はパッと見てどちらがどちらかまあ判別つきます。しかしフランスではそうはいかないらしいです。なぜなら、フランスでは蝶と蛾をひっくるめてパピヨンと呼ぶからです。フランス語において蝶と蛾は区別されていないのであって、それゆえ、フランス語を話すフランス人は、蝶と蛾を区別して認識することがないというわけです。日本語話者とフランス語話者とでは、同じ世界を見ているはずなのに、世界の切り分け方が違っているのです。この例から分かるのは、人間の認識が言語に規定されているということと、言語による世界の切り分け方は必然的なものではないということです。蝶と蛾が最初から独立したものとして存在しているわけではなくて、「ひらひらと飛ぶ6本足の生き物」くらいの感じで曖昧に存在していたところに、「蝶」と「蛾」という言葉が介入してくることによってはじめて両者が区別されるということです。言語以前に世界が存在しないということではなく、確かに世界は存在しているが、それはカオスとして存在しているに過ぎず、その混沌とした世界が人間に明快に認識される形で秩序づけられるのは、言語による恣意的な(ここでは「必然性を持たない」という意味)文節化の後です。つまり、ものが先にあってそれを指示する言語が後にあるのではなく、言語が先にあってその後にものが認識されてくるということです。
少々長くなってきましたが、言語の意味の性質について最後にもう一つだけ検討したいと思います。先に言えば、それは、言葉の意味は文脈によって規定されるというものです。簡単な例を出せば、「はし」なんかそうですね。音韻としての「はし」は複数の解釈が可能です。「はしに寄って」と言えばもちろん「端」ですし、「はしで食べる」と言えば「箸」ですね。あるいは、「はしを渡る」ならば「橋」になります。言葉は文脈次第で全く意味を変えてしまいます。他にも、こんな例があります。とあるドラマのワンシーンなのですが、主人公の男の子には好きな女の子がいて、その女の子から「好きな食べ物なんですか!」と聞かれ、威勢良く「ナポリタン!」と答えるシーンです。ところが実はその会話の前に、「好きな食べ物を聞くのはあなたのことが好きですという意味である」という話をしていたのです。この文脈を踏まえると、そのシーンは女の子から主人公への告白であったにも関わらず、主人公はその文脈をすっかり失念していたために、彼女の発言を文字通りの意味で受け取ってしまい、アホなことに「ナポリタン!」などと答えてしまったという理解ができます。言葉は決して辞書的な意味だけでは完結せず、文脈によって思いもよらぬ意味をも持ちうること、そしてその文脈を見落とせば当然そうした多様な意味も取り逃がしてしまうということの例です。
ここまで長々と言語の性質について論じてきました。①言語の意味は無限ループの中で転送されていくこと、②任意の言葉は否定を前提としていること、③言語が世界に先行していること、④世界が言語によって恣意的に文節化されていること、⑤言語の意味が文脈に規定されることなどを若干の具体例を交えながら駆け足で確認しました。この過程で言いたかったのは、言語の意味は一見最初から独立して存在しているように見えるが、実際のところはそうではなく、他の言葉との関わり合いの中で存在しており、我々がその言語の位置する文脈を見出すことによって、後から暫定的に解釈されるということでした。
さて、一段落ついたところで、さらに一歩進んで、あるいは一歩戻って、文化一般について検討してみたいと思います。ただ、文化一般といっても人によって頭に浮かべるものは様々ですので、「AとBを区別して、そこになんらかの価値判断を行うこと」くらいに適当に定式化しておきます。文化=価値の体系くらいの感じです。区別や価値判断は、言語によって行われます。先ほど述べたように、蝶と蛾という言葉を知らなければ、両者を蝶と蛾として区別することはできませんし、例えば「蝶の方が蛾よりも美しい」などと価値判断を行う場合にも、「美しい」という単語を知らなければそこに美しさを見出すことはできません。蝶の中に美しさを誘発する要素があったとしても、それを感じる人間がいなければ美しさという価値は存在し得ないし、また、美しいという言葉がなければ、蝶を見て感じたえもいわれぬ感情を、醜さなどから区別して文節化することはできません。つまり、人間の文化は言語によって構築されていると言えます。したがって、人間の文化についても、先ほど見たような言語の性質が如実に現れています。
そのことを、水泳において簡単に例証してみましょう。上で検討したように、水泳の意味について考えれば、次々と問いが連なり、無限に後退していきます(ベストを出すこと→ベストを出すと嬉しい→人生の目的は幸福→人生の意味→…)。これは「りんご」という言葉の意味を考えたときの特徴①と類似していますね。さらには、水泳をやる上で重要な構成要素となっている「速さ/遅さ」や「ベスト」という概念についても言語との類似性が見られます。本来タイムというのはあらゆる区別や価値判断から離れた純粋な数直線上の目盛に過ぎないはずなのに、そこにいつしか「速い」とか「遅い」とか、「ベスト」という意味づけがなされるようになりました。しかし、どこからどこが「速く」てどこからどこが「遅い」かというのは恣意的な判断に過ぎませんし、「速さ」はそれ自体で成立するものではなく、常に「遅さ」とのセットで成り立つものです。速いとか遅いという性質は、世界にはじめから存在するものではなくて、その言葉が導入されることによって後から切り出されてくるものなのです(ベストについても同様です)。これは言語の特徴②③④に対応しています。
ここで、別の側面から指摘しておきたいのは、人間文化の虚構(フィクション)性、あるいは物語性です。この世界の文化が言語によって構築されている以上、それは言語以前に存在しないものであるし、人間以前には存在しないものです。この世界の区別や価値判断は最初から存在しているものではなく、人間の言語によって作り出された虚構に過ぎません。言い方を変えれば、この世界には元々区別も価値も存在しないのに、人間が勝手にそれを解釈し、語っているだけなのです。文化には、根拠も必然性も実体性(ここでは「それ自身以外のなにものにも依拠せず独立して存在している」くらいの意味)も欠けています。(逆に、文化が、現在流通している形だけが自然で本質的なものであるという絶対的制度として立ち現れてくる場合に、それが人々に並々ならぬ抑圧の苦しみを与える例は枚挙にいとまがありません。人々からあらゆる抵抗の手立てを奪い、抑圧の苦しみしか与えないような制度は、全く妥当ではありません。ただ難しいのはほとんどの文化が抑圧的に働く一面を持っているという点です。とはいえ抑圧が看過されていいというわけではありません。)そう考えると、なんだか気分が悪くなってきます。なぜなら、私たちが意味がないとは疑いもしなかったこと、当然区別されて然るべきと前提視していたことが全く当たり前ではなくなってしまうからです。そうすると、世界から背骨が抜かれたような宙吊り状態に陥り、不安に駆られます。方向性を失い、くらげのようにぷかぷか浮かぶしかなくなってしまいます。
もう意味がわかりません。あらゆる区別と価値判断の無根拠性に触れ、どうすることもできなくなってしまいました。水泳どころか、生さえ、幸福さえ無根拠なのではないか?
しかし、ここで明らかになっているのは、この世の物事に意味など存在しないということではなく、意味の根拠を人間を超越した根拠によって論じることができないというだけのことです。この時点から私たちは、意味の実体性ではなく、意味の妥当性を問わなければならなくなりました。どのような意味に意味があると「私たちが」見做し得るのか。どのような意味に「私たちが」洗練さを見出すのか。意味とは、私たちを超越して存在するものではなく、私たち自身が文脈を見出して主体的に決定するものです(→特徴⑤)。
では、ものごとに意味を与える「文脈」とはなんでしょうか?文脈とは具体に他なりません。発話者と受け取り手の置かれている具体的状況のことです。文化の実践の場です。水泳に意味があることの実体的根拠は何か?そんなことを聞かれても誰にも分かりません。しかし「好きな食べ物はなんですか」が、字義的に捉えれば単に「ナポリタン!」と答えれば済むだけの意味しか持たないのに、それが発話された文脈を辿ることによって「あなたのことが好きです」という意味を帯びるように、水泳もまた一旦暫定的に「ベストを出すこと」を意味としておいて、その達成に向かってこだわりを持ってコミットする過程で、個別的な顔と名前を持った多くの人と出会い、関わる中で、自分一人では到底抱き得なかったパッションが生成され、そこに主体的に巻き込まれていくという具体的文脈を自ら作り上げていくことによって、単なる空虚な信仰に過ぎなかった「意味」に、確かな歴史的重みと豊かな感情の彩りが「後から」付与されていくのである。意味は実践によって形を得るのだから。意味とは、予め存在するものであると同時に、遡及的に見出されるものなのだから。こだわることによってこそ、人間的価値が宿るのだと思います。
そのような経緯で、「具体的で形ある、身体に近い領域への参入を」というけったいなスローガンを立てるに至りました。練習へのある程度真面目な参加、ブレ面MTGや朝パ、同期とのルネ飯、阪神合宿や中京、部室での交流、後輩とのご飯といった場に参入していったのは、それまでの思考態度があまりにも観念的であったことへの反省からでもあり、そのような個別的で具体的なひととの関わりからしか価値は重みを持ち得ないということへの確信に由来するものでもあります。
これまで書いてきたことを簡潔にまとめれば、人間関係の網の目の中でしか意味は見出されないというだけのことです。そのことに気づいてから、自分なりに、様々な代替不可能な文脈を撚り合わせ、積極的に意味を見出すためのテクストを多少は主体的に織り成してきたわけですが、関カレである程度の結果が出て嬉しかったです。たくさんの人に喜んでもらえて、応援してもらえて、嬉しかったです。いくつもの具体的光景が目に浮かびます。冒頭の水泳人生テンプレ振り返りは情感0で具体的人物も全然出てきてないですが、その行間には様々な人との鮮やかな記憶が確かに刻まれています。
さて、普段からこんなかったるいことを常に気にしながら生きているわけではなく、大体はもっと浅薄に生きていますが、引退日記ということで、ご容赦ください。
同期とは同じ3年半という時間を過ごしてきたはずなのに、ほとんどの時間を平部員として気楽に漫然と過ごしてきた私と、さっきまで長ったらしく書いてきたことも、言葉は違えど、あるいはもっと言えば言葉を介することなくはなから了解していて、その上で、多忙を極める中、もっとプラクティカルな問題に対して身を削って対処しながら、真摯にひとと向き合い真剣に水泳に取り組み続けてきた同期とでは全然その年月の洗練さと重みが違っていて、そのことに対する後悔と、水泳部に全然コミットできなかったことに対する申し訳なさはありますが、それでもたくさんの人との関わりがあり、その中で多くのことを感じ、経験できたことに、感謝するばかりです。そういえば、全国公の最後に雑に話していたのは、そういうことです。
ガキさんリスペクトと言いつつ、ガキさんよりは少し長くなってしまいました。
僕の京大水泳部は大体こんな感じでした。
い〜ざさ〜らば〜〜*
*琵琶湖周航の歌、一番最後の一節。
お疲れ様です、永井です。
引退してから暇です。やるべきことがないわけではないですが、やる気が出ないので何もしていません。
この日記もそうで、ほんとはもっと早くあげるつもりだったのが、夏季長も出てないのに夏季長後にあげることになってしまいました。インカレに向かう道すがら書いています。みんな頑張ってね!
最近は何もしないのはどうかと思い、5月に入校してから一度も行ってなかった普通二輪の教習に通っています。ただこれも自分から行こうという気になったというよりは、全然来ないことを心配した教習所がわざわざ「大丈夫ですか?来れそうですか?よければ予約お取りしますよ」などと配慮のお電話を入れてくれたからです。宝池優しいですね。
教習所は普通に宝池に通うのがいいと思います。松崎にあるんで結構北に思えますが、チャリで行けばすぐ着きます。教習所の北正面には五山の送り火のやつの一つである妙があってなんかいいです。送り火の当日は敷地を近隣住民に対して開放してるらしいです。
僕を担当してくれた教官のテクニックがどう考えても上手すぎたので調べたら、世の中には全国の教習所の教官が参加して技能を競う大会が存在するようで、彼女はその全国大会の二輪部門で6位に入賞していました。本人の運転が上手いだけでなく、アドバイスも的確で、教える方も上手かったです。
ちなみに、その全国大会は鈴鹿サーキットで開催されたらしいのですが、実は僕は鈴鹿サーキットで走ったことがあります。車で走ったわけでも、バイクで走ったわけでもなく、普通に足で走りました。毎年多分12月にマラソン大会が開かれていて、中学生のころ、それの2キロのやつに参加したのです。みんなでコスプレして参加したらその写真が次の年の公式ポスターに使われていました。2キロなんて余裕だろと思っていましたが、鈴鹿のコースは普通に傾斜キツくて、超しんどかったです。あとワカメみたいな黒いウニョウニョが腐るほど落ちていて、何かと思ったらタイヤカスでした。消しゴムのカスと一緒で、レースしたらタイヤのゴムが熱で溶けてカスになってサーキットに散らばるわけですね。
二輪の教習は普通に楽しいです。
私が書いているのは引退日記でした。引退日記って普通に至難の業というか、3年半の経験って膨大なので、何を書いて何を書かないのか、その取捨選択が難しいですし、どのような文体で、どのような目的で書くのか、どのくらいの分量を書くのか、色々ぼんやり考えていたらこんな時期になってしまいました。考えた結果、ブレ面の後輩としてガキさんリスペクトで行こうと思います。
〜高校
JSS中川という地元のスイミングスクールに通っていた。やたらみんな速かった。JO出るのが当たり前みたいなクラブで、みんな体操の時間にバク宙とかしててどう考えても普通ではなかったと思う。高校からはみんな私立に行ってしまったので、僕は高校生1人で3つ下の中学生と一緒に泳いでいたが、普通に負けていました。
JSSグループにはグラチャンというクラブの全国大会があるのですが、それにすら一度も出られませんでした。何回か制限までコンマ何秒、みたいなことはあったと思うんですけど毎回きれませんでした。
という感じで、周りより全然遅かったわけですが、その環境が苦しいとかは全くなく(それが速くならなかった理由かもしれないが)、楽しみながらやっていました。僕の高校までの楽しい記憶のほとんどは中川で作られているといっても過言ではありません。今でも中川の、プールはもちろん、トレーニングルームやジャグジー、シャワー室、更衣室、ロビー、フロント、コーチ室、などなど、色々な場所で色々な人と過ごした色々な記憶をふと思い出します。
数年前に建物が移転して僕が通っていた中川は消失してしまったのですが。
才能がないと思い悩むこともありませんでした。どう考えてもみんなの方がより高いレベルで、より多くの量の練習をこなしていたので。
そういう環境で過ごしていたからか、昔から、自分のやっていることが「努力」に達することはなく、常に「努力風の別物」であるという意識があります。努力としては断じてオーセンティックになり得ないという意識です。かといって、それが「俺はまだ行ける、あいつらには負けたくない」というようなハングリー精神や競争心に転化するわけでもないので溌剌さに欠けます。
なんとなく、自分の持っているリソースの中で、これまでの最高を少しずつ更新できたらいいかな、くらいの緩い心持ちでやっています。エンジョイスイミング?
大学〜
全進シーズン
早起きを懸念して入部を渋っていたが、体験に行くとたくとさんに「俺みたいのでも生きては行けてるから大丈夫だよ」とかみささんに「入っちゃえ」とか言われ入部した。結局浪人で身体が完全に死んでおり、シーズン終わりまでベスト更新できず。
4回生とは半年ほどしか一緒にいなかったが、それぞれから鮮烈な印象を受けました。めちゃくちゃ寒い京大プールのプールサイドでひろみちんさんとめちゃくちゃ浅いゴムボートのお風呂に寝転がって、みんなが練習を頑張っているのをのんきに眺めながらしょうもない話をしたのをなぜかよく覚えています。
それとよくくさかさんが踏水会で練習後に残って色々泳いでいたのも印象に残っています。練習終わったら当時はトレーナーもいなかったのでストレッチもなく、朝パなり授業なりですぐ更衣室に向かう人が多かったような気がしますが、くさかさんはよく最後までプールにいたように思います。なんかそのときのことを覚えていて、最上回生になってからはできるだけ9時まで残って練習中にはあまりできないドリルなどをするようにしていました。気づいたらそれが普通の光景になっていて、9時前なのにプールに10人以上残ってたりすることもよくあっておーとなりました。僕は1限なかったのでできましたが、みんなは結構1限遅刻してそれやってるみたいでびっくりしました。
青炎シーズン
冬は若干死んでいましたがそれなりに練習もし、高校までのベストも更新できました。
3月の秋葉山合宿が終わってからブレの調子が良くて、春短ではベストは出るな〜と思っていました。それで普通にベストは出たのですが、1ブレが全国公の個人のチャレンジに引っかかっていたので人生で初めてチャレンジに出場しました。普通に全国公切りたかったのか、僕が1人で出るより2人で出たほうが僕の心の支えになると思ってくれたのか分かりませんが(そもそもなんで1ブレに出ていたのかも謎です)なぜか直己さんも1ブレのチャレンジに出ることになり、スタートリストを見ると隣でした。直己さんについていけば切れるぞと思いつつ、非常に気合を入れて泳ぎました。ベストも出て、そのときの全力ではありましたが、結果として専門ではない直己さんが標準を切り、僕は切れずというなんともいえない感じに終わってしまいました。
あきひろとゆうごが新入生として入ってきてレギュラーヤバスとなり、かろうじて関国は出れたものの、関カレと全国公は出れませんでした。関カレのレギュラーがかかった関チャはそれなりに練習してめっちゃ気合い入れましたが、普通に力んで死亡しました。ガキさんが関国で9秒台出していて、あきひろも多分関チャでは9秒出してくる予想だったので、10秒割を最低限の目標として臨みましたが、普通に10秒かかり、あきひろは想定通り9秒出したので関カレ出れませんでした。
総乱舞シーズン
なぜかあまり記憶がありません。同期の何人かで長江辺で辛い変な鍋を食ったのとか、地塩で鍋食べたのとか、直己さんにJK無限に奢ってもらったのとか、記憶に残っています。
知らない間に笹村さんが超速くなっててびっくりしました。
あとたくとさんが関国でベスト出して表彰台に上り、みんなでめっちゃ盛り上がったのもすごい覚えています。
堀スターダムシーズン
心機一転、ラストシーズンはそれなりに頑張ろうと思いました。距離泳ぐのはまあ10月からでいいか、ということにして、9月の間はドリルや飛び込み、ターンなど、技術面の練習をして、オフ明けへの準備をしました。特に飛び込みは引退したてのゆきとさんに色々教えてもらいました。飛び込み自体が顕著に改善することはなかったのですが、ゆきとさんが解剖学的な視点で解説してくれたおかげで、飛び込みに限らず、泳ぎのフォームや筋トレのフォームなど、色々な身体の動きに対して、解剖学的な視点でアプローチするきっかけを得ることができました。
技術面に限らず、オフ明けからの練習に際して、どのように練習を頑張ればいいのか、それぞれのメニューに対して、どのような目的意識を持って取り組めばいいのかということについても運動生理学的な観点から、ゆきとさんに色々教えてもらいました。メニュー係をやってくれていた同期やしっかり考えて練習に取り組んでいる選手にとってはもう常識だったのでしょうが、トレーニングカテゴリーについて全然理解できていませんでした。メニューにトレーニングカテゴリーが追加されてメニューの下に簡単な解説表がついたのも総乱舞シーズンからだったと思いますが、あまり気にせずただ漫然とイージー/ハード/フォームくらいの意識で適当に練習していました。色々教えてもらったことで、最上回生になってようやくメニューの狙いを意識して練習に取り組めるようになったと思います。
オフ明けからの1ヶ月がこのシーズンで一番身体的に負荷がかかっていたように感じます。完全に身体が衰弱していたので、回復させるまでに多大なエネルギーを要したからです。毎練習頭痛と吐き気に襲われていましたが、実際に吐くことはなかったので大丈夫でした。それと全然レベルは違いますが、兄も「ガチゲロりそう」とか書いてたのでそういうものだと思いました。「ガチゲロりそう」はそのキャッチーな語感も相まって、練習中結構脳裏に浮かぶことがありました。あの元気権化の兄でさえ「ガチゲロりそう」になるまで練習をしていたならば、僕の練習強度の絶対値はそう大したことないという論理です。
そんなこんなで練習を続けると、冬季公認でも春室でも少しだけベストが出ました。よかったですね。
あと筋トレもするようにしました。りょうせいさんも「そんな細い身体で泳いでも意味ないよぉ。泳ぐ前にまず筋トレしたら?」と言っていたので。シーズン始まる前にガキさんと喋る機会があって、「いややっぱね、ブレの神髄は背中よ。懸垂がいっちゃん大事やから。背中。もう背中。俺20回とかやってたで、ほんまに。」と言われたのを一つのきっかけに懸垂もちゃんとやるようにしました。
トレ室は週2ペースで行ってはいましたが、最後まであんまり伸びませんでした。夏はトレ室暑すぎて30分とか滞在していると病気になってしまうので週4くらい行って分散させていました。暑くても時間が短ければギリ耐えられますし、筋肉痛になる部位が少なくなって翌日の練習にも響きにくいので時間がある人にはオススメです。
春室が終わってからは、3月後半から4月頭にかけて、怒涛の強化期間がありました。阪神合宿、京大合宿、中京です。それまで一部練ばかりであんまり量こなしていなかったので、いきなり短期間に膨大なボリュームを消化したことによって、全てが終わった後、完全に身体が悲鳴を上げていました。阪神合宿は4泊5日でキツすぎましたが、鈴鹿の環境が良すぎたのと、練習の雰囲気が良すぎたので全然楽しめました。ある程度交友も広げられたので良かったです。他大の人と会えるので試合がより楽しみになりました。京大合宿は阪神合宿で身体が終わっていたので満足に練習できませんでした。肋骨を折っていた後藤くんと一緒にチャリ走をしましたが、予想よりはるかにキツかったです。全身汗まみれになって、陸上の競技やってなくて良かったと思いました。中京は縁あって行かせていただきましたが、とても得るものが多かったです。アップからサイクルアウトして後ろに追いつかれ、みんなが平然としている中1人だけゼーハー肩で息をしているような目も当てられない状態になり、久しぶりに練習でガチ狼狽しました。一方で、卓さんやブレの面々にドリルを教えてもらっている中で、人生ではじめて水を滑る感覚を会得し、おーとなりました。他にも色々なことを本当に親切に教えていただき、多くのことを学びました。中京の皆様方、ありがとうございました。
そんなこんなで対抗戦を迎え、関国は1日目の2ブレでベストが出ず、夜にめちゃ体調が悪くなり、2日目あんまり回復せず、終わったかと思いきや、なんとか1ブレでベストが出ました。よかったですね。
関カレは割と合わせていた試合だったので、それなりの結果を出せてよかったです。正直この一年関カレしか見えていませんでした。個人で決勝に出たのは実は競泳人生初でした。
全国公はただの引退試合だったので特に何もないです。実は全国公に出たのも初めてでした。グラチャンにも出れなかったのである程度の全国大会に出たのも競泳人生初ですね。
こんな感じで引退日記のテンプレに従って淡々と書いてみましたが、山なし谷なしの平板なものですね⁉︎楽しかったので良いです。
Br面の皆さんもありがとうございました。練習中あんまり時間取れない分毎回パーミー長い時間やってましたが、色々意見交換できてよかったです。最後の方に得た神髄あんまりちゃんと話せてないし、まだストックしてたネタあったので心残りです。
1回生で初めてパーミー参加したとき、みささんとか京介さんが「上方回旋」をさも市井に流通している言葉かのように普通に使っていてえーと思いました。水泳について専門的な語彙を使ったりしながら分析をするという機会が高校まではほぼなかったので、すごいことだなと思った記憶があります。なんとなくそういう雰囲気を継承したくて、僕もパーリーとして解剖学や運動生理学的な話を紹介したりしました。先輩に教えてもらわなければ、筋肉の起始停止作用や関節の動作、エネルギー供給機構に関する話を積極的に水泳に活用しようという気にはならなかったと思います。あとパーミーで泳ぎの話してるときにパッと理学療法的な話聞けたら楽だなと思ったのですが、最初なぜかパートにトレーナー入ってなかったのでブレ面の活動の一環としてトレーナーもパートに入ってもらいました。
学術的な話だけではなくて、泳ぎとか練習の取り組み方について気軽に聞き合って教え合うという関係性も引き継いでおきたかったですね。この前も大橋信の泳ぎについてブレ面グルが若干稼働してたしそれは達成でしょうか?あとは動画みんなで撮る機会が少なかったのが残念ですがみなさん一限あったので仕方ないですね。
練習中も大体みんな同じくらい?の団子だったので頑張れました。ブレにはブレのキツさがあるので隣とか前後で一緒に泳いでると心強かったですね。みんなこれからも頑張って〜