インカレ終わってから少し日が空いてしまいました。解放されたというか、もうみんながいる部活の空間には戻れないんだなって気持ちでぼんやりとしながら生きています。そんなことしてる場合じゃないんだけどね。
最初に読んだ引退日記は2個上の日奈子さんの日記でした。引退日記なんてあることも知らなくて、突然だったので家で心臓とまりかけた記憶があります。それから同期に至るまでたくさんの人の引退日記を読んで、やっと自分の番になりました。先輩や同期がこれを通して後輩に何かしら伝えていたように、文章下手ですが頑張って書きます。
ゆっくりお付き合いいただけると幸いです。
それでは。
目次
〇振り返り
〇1選手として
〇メニュー係として
〇主任として
〇みんなへ
〇振り返り
~中学入学
小2の夏か冬に週1のスイミングに通いだしました。当時一緒に通ってた人たちとたくさん悪さをし、水泳以外のことでたくさん怒られました。今思えばあの時ちゃんと怒ってくれたコーチはほんとにいい人だったのだなと思います。
中学
僕の通う中学校に水泳部はなく、小6の冬に選手コースのあるクラブに移動しました。初めて出た小6二月の大会は短水路で半フリ33、1フリ1分12でした。
クラブの選手コースは1軍(JOとか出る人たち、あと高校生)2軍(それ以下)3軍(育成、小学校低学年)って分かれてました。当然僕より小さくて速い選手はたくさんいて、ガキどもに馬鹿にされながら3軍からスタートしました。
当時はコーチに30秒割って初めて一般人といわれ、あんま褒めてもらうことなくひたすら上に食らいつこうと頑張ってました。でも遅い僕のこともちゃんと見てくれて、フリー以外はやらなくていいから高校でインターハイに出ようといってくれました。
高校
高1の冬に会心のレースがあって、インターハイ本当に行けると思ってました。
けどそのあとすぐコロナ禍になりました。クラブも2か月くらい?休みになって、勉強も嫌いで1日中家でゴロゴロしてました。これがよくなかった。その間か、そのあとか忘れましたが腰痛くなりました。タイム思うように伸びなくなり、腰を理由に練習頑張らなくなり、結局インターハイは遠いまま終わってしまいました。大学では水泳する気ありませんでした。
大学
入部まで
入学して体験は行きました。割と初期に。けど入部しませんでした。あの時は体育会いやとか朝練いやとか井芹さんと一緒に文句言ってた気がします。ミコノスの新歓で。
あと体験に行った日に先輩が怒ってたのも割と大きな理由やった気がします。入水が遅い人が多すぎるって怒ってました。ちょっと怖かったです。ごめんなさい。
今思えば、体育会も朝練も先輩が怒ってたことも、全部自分が水泳から逃げたいだけの言い訳でした。もう伸びないんじゃないか、ベスト出せないんじゃないか、練習頑張るのもしんどいなって気持ちがある一方で、朝練に来て必死に練習して、先輩のように自分以外のこともしっかり見ている人がいる。この空間にはこんな半端な気持ちの僕ではついていけないと思いました。
ミコノスって水泳サークルに入りました。ほかの人達は楽しそうだったけど、僕は1ミリも楽しくなかったです。
未練がましくバイトもスイミングにしました。たまに泳ぐ中で、やっぱりベスト出せるんじゃないかって思って、半年前に覗きに行った部活を思い出すようになりました。
青炎シーズン
ミコノスつながりでLINEを持っていた井芹さんに入部したいですって伝えたらなんか入部できました。ゆういちろうさんもありがとうございました。
最初は練習で30秒切るのもきつくて必死でした。朝も苦手でしんどかったです。
初めて出た冬季公認で、諒聖さんが51.9で泳いでいました。ほんとに速くて、すごくて、今でも記憶に残っています。
僕は復帰後の割にはまあまあって感じでした。こう考えると入部して2か月とかの関国であんだけ速かった後輩たちほんとにすごい。ゆうごと河野かなやっぱ。
あとこの試合は松島ゆうたさんと縄田がばけもん速くて、潤さんと「俺らでこうならなきゃな~」って話をした記憶があります。なれなかったけどね、2人とも速すぎ
冬季公認終わって、必死に潤さんやゆういちろうさんに食らいつきたくて、負けたくなくて、なんやかんや頑張りました。合宿ではぼっこぼこにされました。
なんやかんや速くなれて春短くらいにレギュラーを勝ち取り、初めての関国も割とうまくいきました。予選は2種目とも1位やったし。
けど終わって3日間くらいガチで体調崩して、週末の国体予選に無理して帰りました。タイムが散々だったのはまあ置いておいて、これで体調だけじゃなくて調子も崩してしまいました。
七帝の8継、ベスト+6秒かかりました。後ろの潤さん、ゆういちろうさん、諒聖さんはちゃんと早かったのに、1位と3秒差くらいついて負けました。別にベストじゃなくてよかったのに、もう少しやれることはあったはずなのに、言い逃れしようのなく自分のせいでの負けでした。大泣きした記憶があります。本当に申し訳なかった。
どれだけ悔しくても調子が上がることはなく、関カレも活躍はできませんでした。全国公は8継メンバー3人のおかげで5位をとらせてもらえました。あの時のスタンドからの応援、そして終わった後の歓声、ゆういちろうさん諒聖さんの引退レース終わった後の顔は今でも覚えています。水泳嫌いそうだった諒聖さんが終わった後に楽しかった的なこと言ってくれたのも熱かった。
総乱舞シーズン
インカレに行きたいとずっと思っていました。筋トレもたくさんしました。初めて神大合宿にも行きました。縄田に勝つって目標掲げていったのにすべての練習で負けたけど。ちなみに今年も1本も勝てなかった。速すぎあいつ。
自分では練習も行ったしちゃんと泳いでいたつもりだったけど、周りから見ればそうじゃなかったみたいです。春短はしっかりベスト出たからいけると思っていたけど、次の大会からほんとにタイムが出なくなり、関チャで笹村が速くて、2フリ2分2くらいかかって、1回心ほんとに折れました。初めてレースに出たくなくて、潤さんにわがまま言って8継からも外してもらいました。
この年は潤さん笹村中堂とリレーでインカレを狙っていました。狙える状態になったのが長水路シーズンに入ってからだったので、関国が狙った初挑戦でした。
僕が持ちタイム1番速いんだから僕が稼がなきゃいけないと思ってました。関国は去年速かったから、今年も気持ちで持っていけると思っていました。1泳のプレッシャーはわかっていたけど、これまでずっと1泳なの想定して試合出てきたから大丈夫だと思っていました。
現実は甘くなかったです。緊張は体を固くして、全く思うように泳げませんでした。
七帝までもう一度泳ぎなおし、ノーテーパーで関国より速く泳げました。調子も戻ってきていると信じれていました。
ラストチャンスの関カレ、まさかの飛び込みで手が外れました。後半ほぼ泣きながら泳いでいた気がします。全国公もよいタイムは出ず、苦しかったシーズンが終わりました。
期待してくれていた人たちに、支えてくれていた人たちに、見ていてと約束していた人に、なにより最後まで一緒に泳いでくれたリレメンの3人に申し訳なかったです。
STARDOMシーズン
主任になりました。自分のこれまでの行い的に、またキャパ的に、全部ちゃんとするのは無理やし全員のことを見るのは無理やなって思っていました。なので、チーム目標の達成のためにやれることをやろう、と決めました。
選手として、インカレを狙えるラストシーズンでした。そして対抗戦も失敗できないのはわかっていたので、まず練習に来る、練習の距離きちんと守る、この本当に当たり前のことからもう1度やり始めました。自分がやったことを見ると満足してしまうので、やれてないこと、足りていないことを数えるようにしました。
OBOGでかんしんがめっちゃ速くて、リレー行けそうと思うと同時に負けたくない焦りがありました。初めて4人で狙った冬季公認は、泳いでなかった笹村が1番速くてみんなで笑ったいい思い出です。
絶対切るぞって4人で気合入れて挑んだ春室、まさかの失格しました。1回切ったと思って喜んじゃったのでそのときはあんまり悲しくなかったです。終わってプチオフの間に何度も申し訳なくなったし悔しくなりました。まじでセーフやと思ってたんやけどな、マネから見たらアウトやったらしいです。動画見返したら大丈夫??って言われてました。
↑2024年春室
笹村before after
↓2025年春室
神大合宿にまた行きました。ゆいがが速くて、なんかほかにもみんな速くて、頑張れたけどしんどい合宿でした。京大合宿は普通に楽しかったです。100×6しんどすぎた。
そんなこんなで迎えた春短、短水路実質ラストレース、まじで人生で1番緊張しました。控えにいるだけなのに息ちゃんと吸えないし、そわそわしました。笹村は裸足で外で寝てるし、中堂はリール動画見てにやにやしてるし、自分のメンタルの弱さをほんとに実感しました。
レース前にかんしんとしゃべった時、ずっと涙目やったのが耐えきれんくなって涙があふれてきました。たぶん僕が去年みたいに1泳やったら耐えられてなかった。かんしん、1年間1泳やってくれて、ずっと速いタイムで帰って来てくれてありがとう。
結局最後までこのレースを超えるレースをすることはできなかったけど、それでもよかったと思えるくらいの最高のレースでした。3人とも本当にありがとう。レースを見ててくれたみんなが降りてきて一緒に喜んでくれたのもめっちゃうれしかったです。
春短が終わって、練習を一気にミドル用に変えました。関国で1フリに出れないと決まったのが4月かな、400泳ぐのがとても不安でした。これでも一応関国1フリ2年連続3位やったんやけどな、、なんでレギュラーないんや、、
関国は主任として恥ずかしくない、チームを引っ張るレースをすることが目標でした。水泳は個人種目ですが、結構チームの流れってのは大きいと思います。だからこそ2フリに縄田がいないってわかった時、3位やった目標を1位に変えました。2フリの後には最強の中堂と関国超強い後藤が控えているので、ゆいがをここで潰せば京大の総合優勝がほぼ確になるくらいの流れ持ってこれると思いました。
大ベストで1位になれて、結構うれしかったです。流れに関しては後ろの人たちかんしんも河野も速かったから心配すること0でした。ゆいが来年は大会記録で優勝してな。こうきに負けちゃダメやで。
噛み合わなかった後藤とのハイタッチ
七帝は普通に楽しかったです。関カレの準備って思っていました。
関カレは不甲斐なかったです。初日全部ベストで行けるかと思ったら疲労と緊張で200はだめでした。日記で大口たたいたのにごめんね。本当にみんなの力で1部昇格させてもらいました。ありがとう。
関カレは女子がすごかった。全員がチームのために泳いでいて理想のチームでした。こっちだって2部優勝して1部あがったのに、羨ましかったくらいです笑
全国公はベストに届かず、決勝に残れませんでした。やっぱ僕は弱いです。
全国公で有終の美を飾りたかったですが、情けなくシーズンが終わりました。