こんにちは。京都大学大学院エネルギー科学研究科 M2トレーナーの南利です。
まず、今回の投稿が遅れてしまったことを深くお詫びいたします。誠心誠意書き連ねますので何とぞ最後までお付き合いいただけますと幸いです。
今回の遅延に伴い、主に炎のハイパーファイヤーメグメグから強火の圧力を受けております。1秒に何回もリロードし続けているらしいので、もはやDDoS攻撃(ディードス攻撃)です。メグメグのDDoS攻撃、つまりメグDoS攻撃です。滋賀(山科)出身やのに京都弁がえらい上手どすなあ。メグどすなあ。
出典:NTTコミュニケーションHP「DDoS攻撃とは? 意味と読み方、対策方法」2024/7/30閲覧
https://www.ntt.com/business/services/network/internet-connect/ocn-business/bocn/knowledge/archive_18.html
そんなこと言っていたら髪に火つけられそうなので始めます。大変お待たせ致しました。遅くなり本当に申し訳ございませんでした。
さて、なんか毎回ブログで半生を語っている気がするので、引退日記ですけどこれまでどうやって生きてきたか、なぜ院生がここに存在しているのか、みたいな部分は割愛します。
詳しく知りたかったらこの辺を読めばわかるでしょう。
・京大水泳部自己紹介日記(2023/6/8(木) 失礼だな純愛だよ)
・京大水泳部(不)合格体験記(2024/2/9(金) 浪人=人生の停滞なのか その1)
そしてここからは、今まであまり話したことがない内容や、6年間もの大学水泳を経て振り返った思いやメッセージを書こうと思います。長くなるつもりじゃなかったのに長くなりました。
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大学水泳、初めてブログを書いたのは2019年の6月。
大阪府立大学体育会水泳部ブログ 2019/6/5(水) お客様満足度
今読み返すとめちゃくちゃ恥ずかしい。生意気なやつですね。
中高とゆるゆるの上下関係で育って、体育会のシステムに適合するためにエネルギーを使っていた時期です。男子スタッフなんていなかったので、怖いお姉さまたち(訳:先輩マネージャー)たちにしごかれて泣いていました。(マネージャーミーティングでガチ泣きしました。看護女子のパイセンが特に怖かった。)
あとトレーナーって名乗っていますが、この時はほぼ何もしていません。名前がかっこいいから名乗っているだけみたいなとこがありました。一応軽くマッサージは習ったけど知識はなく、触っているだけ…みたいな感じですね。なかなか上回生にも頼んでもらえず、経験も積めず…で、今考えると何も進捗してなかった気がします。
あと衝撃の事実として、実は府大水泳部に入部したのが2019年、ということはコロナ前なんですよね。みなさんは中高でコロナとぶち当たっているのでしょうか。ジェネレーションギャップすぎる。
ちなみに2019の全国公は鹿児島でした。普通に市街地歩いていたら火山灰が降ってきて、桜島を感じました。あとホテルも桜島だったので毎日会場までフェリーに乗って行ってました。
あと2019年の大きな出来事として、京大水泳部のやしろ合宿に参加したことがあります。
やしろ合宿では実年齢上の同期達や1つ上の泉さん、今滝さん等に出会って、京大水泳部に入りたい欲をこじらせていました。京大水泳部が楽しそうすぎて、その時すでに府大水泳部がかすんで見えました。鬱でした。
ここでの楽しい経験から京大水泳部に対するあこがれがより強くなりましたし、去年のやしろ合宿に行けたこともエモエモでした。
2023/12/29(金)やしろ① 南利昂汰:オリジン
今年の年末は草津でやるらしいですね。羨ましい。ちょっと遊びに行こかな。
↑まだ僕の髪がツンツンしてた時期の南利と泉さん、今滝さん
↑2019やしろ合宿
そんなこんなでコロナに突入します。コロナ禍で完全に僕のトレーナーとしての歩みはストップしています。大会ではマッサージが禁止され、何なら人数制限で応援に行くこともできませんでした。(2021全国公@秋田) そのころの京大水泳部は厚生課?の制限が厳しくてそもそも大会に出られなかったりしていたので、それよりは恵まれていたとは思います。
コロナで制限されている中、僕は府大水泳部の同期の体をひたすらマッサージして、ほぐし方のコツをつかんでいきました。だからこそ我流だし、水泳部の体の要所みたいなものは掴めているのかなと思います。本人に感謝を伝えたことはないですが、文句も言わずずっと揉まれ続けた彼のおかげで今の僕がいます。多分これは読んでないと思うけど、ここでこっそりありがとうと述べておきます。彼のおかげで、僕は京大水泳部の役に立つことができました。
そして4回生に上がった4月に大阪市立大学と統合し、大阪公立大学が爆誕しました。要するにハム大です。ハム大水泳部での引退ブログ(今読むとあんまり出来が良くない)
大阪公立大学体育会水泳部ブログ 2022/8/5(金) 嵐を継承したい
統合したとは言ってもそれまで特段仲良くしていたわけでもないので、大阪市立大側の部員とはほとんど関われずに引退しました。ちゃんと話したのは道越と榊原くらい。京大でも知っている人がいるであろう道越光星は、本当に変な奴でしたがあいつの水泳への向き合い方と壮絶な人生は非常に興味深かったです。(道越とは、俺と同じ代でジャパンオープンまで突破したエグいスプリンターです。全国公1フリで優勝してました。)
高校は半フリ25秒くらいで卒業して、インハイ出たわけでもなかった彼は本当に大学水泳で伸びてます。スプリンターのインハイスイマーの先輩を追いかけて、週5で筋トレしてたらしい。
まあ一例としてそんな奴がいた、というだけの話ではありますが、努力次第でこうも輝くことができる、という先例になると思います。自分に合った努力や練習は人によって違うと思いますが、誰しも化ける可能性はあると思います。
そう、次の道越はこれを読んでいるあなたかもしれません。(特に中堂は性格のクレイジーさで考えると、かなり道越っぽいです)
というハム大水泳部での4年間の仮面浪人を経て得た成長と教訓を少し書いてみました。
②京大水泳部へのこじらせ愛
まず、入部させていただき本当にありがとうございました。
新歓の時期、普通に院生入ってくるの意味分からんよな、煙たがられるやろうな、幹部としてもめんどくさいやろうな、とか色々考えてなかなか体験に行くことができませんでした。
そんなとき「京大水泳部入らないでいいんですか?」と連絡をくれたのは椋本暖大先輩です。加古川東高校での愛弟子であるポンテン丸が留学やら休部やらしつつも4年生まで残っていてくれたおかげで、僕が水泳部に入る道筋は開きました。暖ちゃんがいなければ勇気が出なくて入部していなかったかもしれません。
↑2018年兵庫県高校総体
↑加古川東コンビと、颯爽と走り抜けるあず。カナダでも頑張るんやで。
あと、入部する決心ができたのはトレーナーチームが発足直後だったからです。まがいなりにもハム大で「トレーナー」を名乗っていたわけで、役に立つことはできるだろうし「オープニングスタッフなら何でもありやろ」みたいな目論見がありました。
(その後のトレーナー勉強会で己の不勉強に気づかされ、知識不足にあがき苦しむことになります。やっぱ人健は専門でやっているだけあって強すぎる。メグメグ最強!)
そんな二つのファクターが組み合わさった結果、ようやく謎の4浪大学院生水泳部員がここに誕生しています。裕一朗の代にも受け入れてもらえて本当に良かったです。入部させてもらえてなかったら、今頃デルタで干からびていたかもしれません。
そして、部員のみんなが僕を受け入れてくれたことがとてもありがたかったです。最初は距離感分からなかったり学年として浮いていたり(夏ごろから今の4回生の同期扱いにしてもらったと思います。うれしかった。)して、馴染めてない感じもありました。
夏くらいからちょくちょく交流も増えていってどんどん楽しくなっていきました。まだまだ遊び足りないので、引退しても一緒に遊びましょう。モラトリアム謳歌しましょう。
それはそうと、パパって呼びはじめたのって誰なんでしょうか。ジョンウ??
パパと呼ばれるということは、みんなが僕に親しんでくれて、仲良くしてくれた証拠やと思います。嬉しかったです。これからもみんなのパパであり続けます。
ちなみにハム大の時は「おじさん」呼ばわりされていたので、それに比べると大きく昇格したと思います。赤の他人から身内になりました。大きな進歩です。
そういえば、全然関係ないですがハム大水泳部と京大水泳部の決定的な差に気づいてしまいました。
圧倒的な人格の差です。トゲトゲに尖ったマイワールド持ちの部員が多いですよね。本当に喜ばしい。そういう人だけ見て一生過ごしていたい。グボとかゴシとかポヨとか。
それだけじゃなくて、落単率も圧倒的に違います。ふつうそんなに単位落とさないと思います。やっぱり京大生はどうかしてるぜ。なんで留年危機のヒトがこんなにうじゃうじゃいるんですか?堀ちゃん今期一ケタ単位ってマ!?ふつうそんなに落とさんでしょ…。
もしかしたらハム大に娯楽がなさ過ぎてみんな単位取れているだけかもしれませんが、部員の単位取得率データで出したら20~30%くらい違ってそうです。ハム大では1個落としただけで結構大騒ぎされてたんやけどなあ。
「京大って単位が降ってくるんじゃないんか?」
マリーアントワネットもそう言っていました。
さて、京大水泳部への愛に話を戻します。
高2のときの京大水泳部との合同練習に来た時、そこで芳賀さんに出会い、僕は京大水泳部のスタッフになりたいという夢を持ちました。なんか思ったよりも遠回りして、4年も遅れたうえに期間も3分の1くらいに短くなってしまいましたが、夢をかなえることができました。
↑合同練習行ったとき(2017/8/26)。ビート板増え続けるリレーとかして楽しかった思い出。「プールサイドの床がヤバいのでサンダルを持ってきてください」と言われました。
あんなに憧れていた京大水泳部での生活が、もう終わってしまう。楽しかった。短すぎた。なんで4年ないんやろう。やっぱり現役で、というか浪人してでも学部で京大水泳部に入りたかった。
でも、確実に僕の大学院生活を充実させることができました。2年間就活と研究だけなんて、僕には到底耐えることはできなかったと思います。しかも、水泳部に入らなかったとすると、ハム大から来た外様の僕にとっての京都におけるコミュニティは研究室だけになっていました。せっかく京都に来たのに、それって何が楽しいんでしょうか。
京大水泳部あってこその京都じゃないでしょうか。もはや京大水泳部があるから京都という町が存続しているとも言えます。五山送り火・大文字の特等席は京大水泳部が押さえてるわけですし。
何より、院生としてこの時間軸で入部したことによって、今の1,2回生と出会うことができました。面白いし可愛いやつばっかりやな。そして、3,4回生と深く関わることができました。3回生の部室住人勢はいつも微妙にくすんだ顔をしていた気がします。4回生の頑張りを近くで見ることもできました。
これは学年的な本物の同期(京介とか)には経験できなかったことで、この時間軸で僕が京大水泳部に存在したことが生んだかけがえのない価値だと思います。
ということで清川さん、京大水泳部のファンとして、引退した後でも京大水着は入手したいと思っているので、お手数をおかけしますが何卒宜しくお願い致します。去年のやつ買いたかったなあ。
京大水着無いから渋々ハム大水着(OMUST)履いてるせいで、白文字の部分だけ日焼けしておしりにOMUSTの刻印ができてしまいました。青少年の教育上、非常によろしく無いと思います。生き恥さらしてるようなもんです。首を長くしてお待ちしております。
↑7/30追記:投稿が遅れたおかげで、水着のデザインが完成したそうです!ありがとう!!
買います!!!
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後編へ続きます。
③伝えたいこと
私からは競技面で伝えられることがほとんどないので、3年間水泳部に所属して思ったことを1つだけ。それは、誰か1人でも欠けたら今とは別の「水泳部」になるということ、一人一人がいて今の水泳部があるということ。
水泳部にいていいのかなとか貢献できているのかなとかネガティブに感じることもあると思います。私自身そう思うことは何度もありましたが、「桜さんと部活できなくなるの寂しい」とか「引退しないでほしい」とか最近言ってもらって、全員ではないとしても誰かにとって自分の存在が多少はプラスになってたのかなと思います。
誰一人自分と同じ人間はいないので全員が一致する考えなんてないに等しいと思っています。競泳を本気でやりたい人、楽しみたい人いろいろいて当然です。
団体に所属している以上、迷惑をかけるようなことをするのはもちろんよくないですが、幸登も書いていたように全員じゃなくても誰かが認めてくれれば、誰かにとっていてほしい存在であればそれでいいと思うし、その存在が水泳部全員なんじゃないかなと。
みんなの存在が必ず誰かのためになってます。
④最後に
ここまで書いてきて謝ってばっかりですが、一番届けたいのは感謝です。
一人一人にコメントしていきたいのですが、文章力がなさすぎてここまで長くなってしまったのでまとめて書きます。もしコメントほしいという方がいれば、ラインで「コメントくれ」とか変なスタンプとか送ってくれたらもういいわ、ってぐらいの長文メッセージ送ります笑
はじめにOBOGの皆様
いつも多大なるご支援を本当にありがとうございます。
重なった代の先輩方は練習や大会を見に来てくださったり、いいタイムが出た時にラインをくださったり嬉しかったです。
これからは支えていただいた分、自分も京大水泳部を支えていけるように精進したいと思います。
(この日記を見ていないと思うけど)両親へ
水泳部に入るって伝えたときには浪人期によく体調を崩したこともあってやめた方がいいんじゃない?って不安そうにしてたけど、ここまで無事にやってこれました。あまり水泳のことは詳しくないけど、大会前にはラインしてくれたり、帰省した時にはおいしいご飯をいっぱい作ってくれたり、話をきいてくれたりたくさんサポートしてもらいました。
本当にありがとうございました。
マネさんへ
毎朝早くから選手のためにタイムとったり、スタート出したり、動画を撮ってくれたり。
みんながいなかったら練習も大会も成り立たなかったし、何よりも速くなれなかったです。
本当にありがとうございました。
タイムとかも覚えててくれて、いいタイムが出たときは一緒に喜んでくれたり褒めてくれたり、タイムが出なかったときは励ましてくれたり煽ってくれたり、メンタルまでサポートしてもらってました。
関カレと全国公、精一杯の恩返しを果たします!
トレーナーさんへ
トレーナーは去年発足したばかりでやることとかも明確に決まっていたわけではない中、私たちの見えないところで勉強会をしたり、あらゆる方面から選手のタイムの支えとなるような活動を増やしてくれて本当にありがとうございました。
特にラストイヤーは腰を何度も痛めてたくさんお世話になりました。3回生の全国公前からずっと腰痛と戦ってきたのですが、今年の関国の直前に急によくなりました。大事な大会で回復できたのはみんなのおかげです。
残り2回の大会でもよろしくお願いします!
メニュー係のみんなへ
日記書くときはいつもメニューつくってくださってありがとうございましたと書いてましたがあの一文では表せないぐらい本当に感謝しています。それぞれ授業やバイト、他にもやらないといけないことがある中で選手が速く、強くなれるようなメニューを時間かけて考えてくれてありがとうございました。練習に弱い自分にとってはしんどいメニューも多かったというか、しんどいメニューばかりでしたが、いつもレース終わるたびにあの練習よりはきつくなかったなと思うこともたくさんあって、練習で強くなれたなと実感していました。
あと5回のメニュー、楽しみにしてます!
女子選手のみんなへ
最上回なのに全然速くなくて、メンタルも弱くてみんなの力に頼ってばかりでした。
関国で男子がリレーで表彰台に立っているのを見て「桜さんを表彰台に立たせたかったです」「来年は絶対表彰台立ちます」って言ってくれて申し訳なさと同時にみんなの向上心に本当に胸が熱くなりました。その夢絶対叶えてね!
少ない人数でも高い目標を設定してそれに向かって努力し続ける姿が眩しいぐらいにかっこよかったです。さらに強いチームをみんなで作っていってください!
1回生へ
男子に話しかけるのが得意じゃなくて男子とはあまりしゃべれなかったです、ごめんね。
今年の1回生は水泳部に馴染むのが早くて、ずっと前からいたんじゃないかなって思うぐらい仲もいいなと思ってます。今はレギュラー取るのが難しかったり、朝練生活になれるのが大変だったりすると思うけど、まだまだみんなが強く速くなっていることを期待してます!
2回生へ
陽仁と藍を筆頭に1回生のころから結果で先輩たちを驚かす、爆発力のある学年だなと思っています。そして男女仲良くてパワフルで発言力もある学年。みんなのパワーと明るさは京大水泳部の核になってると思います。1年やってきてだんだんと思うようにタイムが出なくてしんどくなる時期もやってくるかもしれないけど支え合いながら最後まで笑って過ごしてほしいです!
3回生へ
みんなが入部したときはかわいい存在でしたが、いつの間にかみんなにもたくさんの後輩ができて頼もしくなったなと思います。支えてもらったこともたくさんありました。
ラストイヤーは本当にあっという間です。
人数多くてまとまるのは難しいかもしれないけど、逆に人数の多さを味方につけてみんならしく頑張ってね。みんなが作る新しいチームが楽しみです!
同期へ
3年間本当にありがとう。みんなと最後まで水泳部生活を送ることができ幸せでした!
またごはんでも行きましょう~
一人一人には日記のコメントで感謝を伝えます。
最後に、本当に多くの方の支えがあってここまで続けることができました。
京大水泳部で過ごした時間は一生の宝物です。
たくさんの先輩方と同期と後輩に出会えて本当に幸せでした。みんなのことが大好きです。
関国前から言ってますがそんな大好きな人たちに恩返しがしたい、今はただそれだけです。
関カレ、全国公でタイムはもちろん、このレースを見てよかったと思えるような魅せるレースをします。
最後までよろしくお願いします。
みんなのこれからの人生が実りあるものになりますように。
京都大学体育会水泳部4回生 下田桜
-2021 努来勝
2021-2022 全進
2022-2023 青炎
2023-2024 総乱舞
お疲れ様です。
引退日記2人目、4回生女子選手の下田桜です。
引退まで長かったなと感じますが、引退日記に関してはもう書くときが来たのかというなんか変な感じです。
しばらく内容を考えてましたが、うまくまとまりそうにないので思ったことをつらつらと書いていきます。自分語りが多いので適当に流し読みしてもらえると嬉しいです。あと、引退日記にして初めてパソコンで書いてるので読みにくいかもしれません、ご了承ください。
①競技面
②水泳部での役割
③伝えたいこと
④最後に
この4つの柱に沿って書き進めていこうと思います。
①競技面
~高校~
競泳は高校から始めました。大会に初めて出たのは高1の5月でそのときの長水半フリは35.3でした。全然強いチームではなく、みんなで楽しみながら九州大会を目指してました。最終的に半フリのベストは長水32.3、短水30.9とかで特に思い残すことなく引退しました。
~1回生~
大学では水泳は絶対しないと心に決めていました。
やりたかったのはフットサルでしたが、当時はコロナで新歓もなくてやったことのないものになかなかチャレンジできず。(引退したらサッカーしたい)
結局1回だけ水泳部の見学にいきましたが、その1回でさえ寝坊しかけてすぐに選択肢からは消えました。
高校の先輩が水泳サークルに入っていらっしゃったのでそっちにしようかなと思っていたところに、来未や潤が「今部活がコロナの規制でなくなって、同期で鴨川ランニングするからこない?」と誘ってくれて、とにかく運動がしたかったので参加させてもらいました。
そこにいた来未、潤、幸登、直己が優しくて、ランニングも楽しくて、もう入部しちゃえ!と思って入部締切当日に入ることを決めました。
その日に顔合わせのミーティングがZoomであったのですが、
あれ、あの同期4人だけじゃない?
次の練習は京大プール?
理解が追いつきませんでした。
あまりにもバカなのはわかってますが、本当にあの4人と3年間鴨川でランニングすると思ってました。完全に間違えた。
逆に競泳をすると分かってたら今絶対にここにはいないです。
長くなりましたが、本当にこんな感じでの入部だったので、当然目標なんてありませんでした。ただ、理由がどうであれ、もう入ってしまったからには最後までやろうかな、なんとなくそれだけは思っていました。
競泳歴が短いことや浪人して体力が皆無であったこともあり、何も考えなくてもとりあえず練習に行って、とりあえず大会に出れば途切れることなくベストが出ていました。こんなに遅いのでずっと競泳をやってきて速いみんなよりは伸び率も高くて1回生のうちにMVSも2回いただきました。タイムがひたすらに伸び続ける水泳は楽しかったです。
~2回生~
多分自分史上水泳を一番頑張っていた、そして楽しんでいた時期。
高校のころなんとなくでやっていた半フリの面白さをようやく味わえるようになり、ショート面のみんなにアドバイスをたくさんもらいながら、刺激をもらいながらいろいろ考えて水泳をやってました。伸び率は落ちてきたけどそれでも水泳は楽しかったです。
当時の4回生の大好きで憧れだった樹香さんといつも練習で大会で一緒に泳いでお互いにレース動画見合って。そんな樹香さんが引退のときに「半フリで30秒割りたかった」とおっしゃっているのを聞いて、その瞬間にそれが自分の目標になりました。
大きな目標もないまま競泳をやってた自分にとっては道しるべになりました。
引退までにってするとずるずる引きずりそうな気はしていたので、自分の中では2回の冬に短水で、3回の夏に長水でって思ってました。自主練したり、主に幸登からアドバイスをもらったりして進歩はあるものの、そこまではたどり着けませんでした。
~3回生夏~
対抗戦では全種目のリレーを泳がせていただくぐらいには成長しました。
ただ、全国公でひなたさんとのラストリレーの後、みんなで歴1を目指してたのにあともうちょっとが届かなくて、自分があまりにも力になれなくて、藍と陽菜の前で号泣してしまいました。後輩の目の前で情けなかったです、あのときは本当にごめんね。来未も察してくれてたのか側に来て励ましてくれて、「来年は桜が引っ張ってな!」って言ってくれて、ラストイヤーは絶対京大水泳部の力になると決めました。
~ラストイヤー~
ラストイヤーのスタートは専門を何にするかというところから始まりました。
2回生の夏から抱いていた目標の半フリ30秒切りをやっぱり叶えたい、でも対抗戦で短距離フリーは全く戦える位置にはないし、IMとかの方が点数が稼げる。
迷った挙句、最上回としてたくさん点数とって目に見える形で貢献したいそう思って、冬場からIMに専念することを後輩女子選手たち一人一人に伝えました。
そしたら、全員が「半フリで30秒切ってください」って言ってくれて。
「対抗戦も自分が出たい種目に出てください」って言ってくれて。
対抗戦はどうしても点数という形で貢献したかったのでフリー以外にしようという気持ちはブレなかったですが、みんなの言葉を聞いて冬場は半フリに専念させてもらうことにしました。
それなのに結局現時点では短水の引き継ぎという一番最低ラインで29秒台を2回出せただけで、個人では短水も長水も30秒割れていません。29秒どころかベストすらほとんど出せませんでした。
タイムが出ないことの理由は明確でした。最低限しか頑張れてなかったから。
かろうじて練習には行ってましたがそれ以上のことがほとんどできてませんでした。
腰もよくなっては悪くなるを大会のたびに繰り返していて、筋トレも体幹も腰に響いて全然できませんでした。
加えてこのままではタイムが出ないということを十分に分かってはいましたが、冬場はそれ以上に水泳が、水泳部が嫌でどうしようもなくて苦しかったです。
そんな中で一番響いたのが、私のいないところで怜花が「来年は関国で桜さんと2バックの決勝に出ることが目標」と言ってくれていたことでした。
本当に嬉しかったです。今でもずっと忘れてません。
それを琢人から聞いて何としてでも続けなきゃという思いになりました。
タイムを出すことにこだわってる選手たち、普段の練習から大会まで支えてくれるマネさんやトレーナーさん、応援してくださっていた先輩方には本当に申し訳ないし失礼ですが、冬場はタイムを出したいよりも途中で辞めず全国公まで続けることを一番の目標にしていました。
女子のみんなには背中を押してもらって冬場半フリに専念させてもらったのに、男子にも「いつ割るんですか」とか言って応援?してもらったのにここまで結果で返せなかったことが本当に心残りです。
半フリは関カレの1日目がラストレースです。
七帝の半フリ、実は2回生の関チャ以来のベストでした。まだまだやれる、そう思ってます。
こんな気持ちでラストイヤーを過ごしてきて偉そうに応援してくださいとは全く言えないですが、やれることはやるので最後まで見届けてもらえると嬉しいです。
レース後とびっきりの笑顔で応援席に手を振ります!
②水泳部での役割
役職としては1回生の10月から体育会本部員をやらせてもらっています。あとは7月中に終わらせないといけない作業をやって、再来週の幹事会で多分引退です。あんまり知らないかもしれないし、全然知らなくていいんですが、体育会の中で総務部長って役職についてました。
週1で幹事会はあるし、それとは別に週1で事務室で作業をしないといけないし、幹部になってからは家にまで持って帰って作業することも多々あったり、2か月ぐらいかけて大きな会に向けて準備をしたのにひたすら先生方に怒られたり、めんどくさい行事もたくさんありました。
でも水泳部では競技面でもそれ以外の面でも引っ張っていけるような存在ではなかったので、体育会だけは見えないところで頑張ろう、そう思っていました。
逆に、部活では本当に何もなせなくて申し訳なかったです。
一度同期ミーティングでも話しましたが、特にラストイヤーは水泳も、水泳部も嫌になって、しかもそんな中で何も力になれてないことを痛感して苦しかったです。
来未も萌来も実習とかで忙しくて同期女子一人で部活することも多々あって、心のよりどころがないというか、寂しいというかそんな気持ちもありました。
後輩女子は優しくしてくれて、たくさん話しかけてもらって、たくさん支えてもらいました。本当にありがとう。
でも、なにかが足りない。
それが自分にとってこの2人でした。だから2人のいる練習や大会は本当に嬉しかったし、頑張れました。それぐらい大きな存在でした。
しんどくて辛くてずっとやめたいと思っていたのですが、チームにプラスになれていない分マイナスになることだけはしないようにしようと思って、決められたことは絶対に守るようにしました。
最上回の遅刻や欠席が多いと後輩からの信頼を失ってしまう。
だから、月オフを結構使ってしまったけど練習に行くことはやめませんでした。
この1年遅刻もしませんでした。
本当に本当に最低限のことしかできてないですが、これでも自分では頑張ったつもりです。
頼りない先輩で申し訳なかったです。
長くなってすみません。次に続きます。