お疲れ様です
理学部1回生の川嵜環樹です。
2006年2月14日の朝方、アメリカで生まれ、3歳になる頃にニイガタにやって来ました。
実は、ベンジャミンというミドルネームがあり、僕は結構気に入ってます。ですが、みんな面白がって呼んでくれるのも中学校ぐらいまでで、最近はあまり出番がないので少し寂しいです。

東進のネームプレートもいつの間にか「川嵜環樹」に直されてました。
いくらベンジャミンとは言え、来日が少し早過ぎたようで英語はいまいちで、日本語も怪しく、枚方・姫路出身の両親の影響で大阪弁と播州弁が混じってるようです。
新潟では関西弁というのは非常にマイノリティーで、小学校の時には「関西弁護士」というあだ名を付けられるなど(その後「関西べんじょ」に降格しました)若干肩身の狭い思いをして来ました。京都はその面でも過ごしやすくて良いですね。
今日のメニューは太田くんが書いてくれるそうです。
今日は入部してからでは一番しんどかったです。昨日新泳法を身につけたかに思われましたが、今日のメニューの前には歯が立ちませんでした。途中から目がチカチカして来ました。
水泳を始めたのは割と早くて、3歳の夏にアクシー中央というスイミングのぱちゃぱちゃコースに入りました。
2年ほどぱちゃぱちゃコースに居座った後、一通り泳ぎを習って小学校2年生の時に強化コースに入りました。低学年の頃はクロールと、ぱちゃぱちゃ時代に編み出した「かえる泳ぎ」に似ている平泳ぎが得意でした。
中学校に上がると、あれよあれよという間にミドルチームに入れられてしまい、週8で6000以上泳いでました。大会でも400,1500のクロールや、200のバタフライなどきつい種目ばっかりに出て根性がついたと思います。
高校では野球部に入りたいと思ってましたが、結局水
泳を続けました。
ここで、チームが変わったのを良いことに、無事100、200frの選手へと転身を果たしました。
背が伸びるにつれてタイムも少し伸びたり、部活の仲間とリレーに出たりで楽しかったです。
残念ながら大前さんのようにフォトジェニックなプールの写真はありませんでした。
引退後は、例によって水泳はもう十分ということで、大学ではバンドマンになるべくハーモニカを練習していました。
新歓期には、念願の軽音サークルを見に行きましたが、「希望パートは?」「ハーモニカです」と言うと、どうやら軽音サークルにハーモニカ面は無いらしく、かなり渋い顔をされました。残念。
色々考えた結果、水泳部の雰囲気に惹かれ、生理的に泳ぎたくなってきたこともあり、入部を決めました。大学ではついに50も泳ぐスプリンターになろうと目論んでましたが、すでに雲行きが怪しくなってきてる気がします。
とはいえ、音楽活動は諦めておらず、ギターも手に入れて練習してます。「歌って踊れるアイドル」はごまんといますが、「歌って泳げるブルースマン」なんていうのはなかなか斬新で良いですよね。
部室のピアノも弾かせてもらいましたが、南里さんにユニバでかかってそうという微妙な評価をいただきました。
好きなスポーツは阪神と相撲でどっちも見る方です。
部内には相撲の手刀を切っている先輩も見受けられて嬉しいです。
質問の答えのいつも食べてるものですが、早く大きくなれるように、暇な時にゆで卵や納豆ご飯を食べてます。先輩方のようにムキムキになりたいです。
明日は佐久間さん、佐渡さんです。
質問はゆでたまごで思い出したんですが、松本さんの体ってちょっとキン肉マンぽくないですか?
答えにくかったら太田くんの方でお願いします。
2023−2024 総乱舞
1. 2006という数字に