お疲れ様です。チーフトレーナーの和田です。
ついに自分が引退日記を書く時が来るとは、、
そして投稿かなり遅くなってしまってすみません。
全然内容がまとまらずうんうん悩んでるうちに寝落ちしてしまい、書いてた文が途中から消えてて絶望、書き直しました涙
納得いってないのでまた編集するかもです…
読み返すとかなり自分語りが多くなってしまいました、特にトレーナーに入部するまではまじで自己満すぎるんで、すっ飛ばしてもらって大丈夫です。でも、これがなかったら水泳部に出会うこともなかったし、自分の中ではすごく大事な思い出です。
文章むちゃくちゃすぎて読むのに疲れるかと思いますが、自分の言葉で、、と思って頑張って書きました。
ここに私が水泳部にいた証を残そうと思います。
目次
① 高校~一回生
② トレーナー入部~
③ チーフになって
④ 最後に
① 高校~一回生
高校でヨットをはじめたのは、女子の競技人口が少なく、インターハイに出れると言われたからでした。コロナで高三の総体、インターハイがなくなって、国体はメンバーになったのにそれもなくなって、、。大学ではインカレに絶対出ようと思っていました。
浪人を経て大学生になり、ウインドの新歓に行った時、インカレの舞台である沖縄のキラキラした海で花柄のワンピースをきてハイビスカスをつけた女の子たちがとても魅力的に映って、なにより、一度は自分の力で全国の舞台に立ってみたくてウインドサーフィンをはじめました。
新歓の時に足がアザまみれになるくらい練習してたらそのガッツを褒められて嬉しくなっちゃったのもあります笑
絶対インカレ、全国で活躍するぞと情熱をもって始めたウインドでしたが、練習はかなりキツかったです。
上下関係はびっくりするほど厳しいし、土日の正規練だけじゃなくて自由と言われたはずの平日練に行くことも半強制的に求められているように感じました。
忙しい時は、授業の合間に練習に行ける日は参加して、行けない日は五限の授業が終わって20時半から夜2時半までバイトして次の日2限にいって、、毎日疲れすぎてソファーや床で寝落ちて、また疲れが溜まって、みんなはこれをこなせているのに、人よりもキャパがなくてどんどん余裕を失いました。
ウインドに夢中になっていく人たちとは違って義務感で練習するようになりました。
もう1人いた同期の女子は、毎大会入賞し、どの大会の目標も優勝と堂々と声に出し、とても明るかったし、手の皮が破れてボロボロになることも、手袋みたいな日焼けも喜ばしいことのように思えていて、心の底からウインドが好きそうに見えました。その一方で私はどんどんウインドのことが好きと思えなくなってきて、その子の隣にいると比べられることが嫌で、なにもかも負けてる気がして、劣等感が大きくなり、そんな自分も嫌になりました。
(私にたくさん気を遣ってくれてたのに、その優しさに素直になれなくてごめん。女子1人にして本当にごめん。
ここまで続けて、京大女子を強くしたきこのことを本当に尊敬してます。インカレ優勝してね。)
なんとかギリギリでビギナーのインカレ新人戦に通り、それに向けて一旦頑張ろうという目標ができました。(ウインドは一回生など経験1年未満のビギナー、と経験1年以上のエキスパに別れて大会があります。)
冬場は白浜で泊まり込みの練習が続きました。
コロナ禍で京大白浜海の家が使えなかったのでマンスリーマンションを近くに借りて、朝から晩までみんなと一緒に生活しました。1人の時間なんてないし、ウインドのことを考えたくなくても考えなきゃダメで、新人戦で優勝、入賞すると高い目標を言わなかったらくるみは向上心がないと言われ、目標と現実のギャップに苦しみました。練習に行きたくなくてみんなが寝てる中こっそり布団の中で泣いたことを覚えています。
風が吹いた日、隣の浜に流されて湾から抜け出せず、遠くの沖で練習しているみんなをみた時、完全に心が折れました。今までも流されたことは何回もあったけど、その日何かが決壊してしまって、なんとか繋ぎ合わせて保っていた心が折れました。
その頃は姿勢のせいか腰がずっと痛くて、一日中は漕げない状態でした。同期や先輩がくるみはちゃんと漕げば速いよって励ましてくれたけど、私は私なりに頑張ってたつもりで、でも人と比べたら頑張れてなくて、頑張れない自分にも嫌気がさしました。
新人戦までは、予選に落ちた人の分も頑張らなきゃ。いま練習に行かなきゃ、一度休んだらもう行けなくなると思い、なんとか奮い立たせて練習に行きました。
3月の新人戦が終わった時、自分は完全に目標を見失いました。
4月には1年の艇庫代10万を払わなくてはダメで、辞めるならこのタイミングだと思ってしまいました。こんなに苦しいことを、10万もいやそれ以上のお金を払って続けられない。ウインドのために時間もお金も使って生活の全てを費やせるほどのモチベーションがありませんでした。京大ウインドが日本一になる過程で自分は淘汰される側の人間だと思いました。
そんな時、自分をよく気にかけてくれていた先輩が「俺が代わりに10万払ってあげるから頑張ってみなよ」と言ってくれました。
先輩は団体戦後のコンパでも卒業式の追いコンでも自分が主役で楽しみたいはずなのに私のことを気にかけてくれて、つ〇しさんが何度も辞めないでと言ってくれるから、くるみ泣くな〜!っていうから、冬は踏ん張れたと思います。それだけ応援してくれる先輩がいたことは私の人生の宝です。
モチベもない中でお金貰って続けるのは、頑張ってバイトしてお金出してる他の部員にもつ〇しさんにも申し訳ないし、その罪悪感に耐えられる気がしませんでした。加えてこの時は若干鬱で、とにかく競技から離れたかった。みんなのことは好きで、マネージャーがあれば転向したかったけど、選手だけでやるという部の方針だったので、頑張れないなら辞めるしかなかった。
辞めることをつ〇しさんに報告した時、恩を仇で返したなんて思わなくていい、進んだ道で頑張ってと応援してくれました。大学生活でなにかは頑張ったと言えるものを残そう、次は絶対に辞めないと決意しました。
ウインドでお世話になったOB,OGさん、先輩、同期へ
逃げるように、しかも新歓の忙しいときに辞めてごめんなさい。
もう一度大学入学からやり直したら、最終的にこうなると分かっていてもウインドサーフィン部に入部してしまうと思います。それくらい魅力的な競技、人たちでした。出会えてよかったです。
同期のラストイヤー、活躍期待しています。心から応援しています。
②トレーナー入部〜
辞めるのなら、なにか他に打ち込めるものを見つけなくてはと焦っていた時、人健のLINEに新設トレーナーチームのメンバー募集が届きました。
タイミングに運命的なものを感じ、見学に行きました。
この時はまだウインドを辞める、辞めた理由を探していたように思います。
トレーナーに興味を持ったのは、新設だから入りやすそうという舐めた理由でした、すみません。
でも、たくさんの部活、団体を見て回って「水泳部」の「トレーナー」を選んだ決め手があります。勉強会か見学かなにか忘れましたが、しょうさんが私がなにかを拾う動作を見て、「腰痛くなりそうだね」と言ったんです。なんで腰痛もちと分かったんだ?!す、すげ〜!!とかなり衝撃を受けました。トレーナー、すごいかも、おもしろいかもと思い、自分もこうなれたらいいなと思いました。あわよくば、腰痛持ち、ヘルニアで退部する人が多かったウインドにトレーナーとして学んだことを貢献できるんじゃないかという、未練タラタラな理由もありました。
同じ二回生入部のはずのれいか、りこ、ゆきかはびっくりするくらい馴染んでるのに、(はじめ敬語で話しかけてしまったくらい)自分は水泳にかかわったことがなければ、みんなとの接点も少なくて全然仲良くなれず浮きまくっていることをヒシヒシ感じていたし、練習中もトレーナー業もできないことばかり。正直これからやっていける気がしませんでした。
水泳経験が全くなかったので、マネ業も本当に苦戦続きでした。みんながメニューのどの部分をやっているのかも把握できず、1分サークルさえだせなかったこともあります。自信のなさから声が小さくなり、潤さんに怒られたこともあります。周りは気遣って、少しずつ仕事を振ってくれて、ひなこさんをはじめとしてみんながありがとうと言ってくれて、自分にとってそれがすごくありがたかったです。
メニューの内容やきつさも分からず、また、大会でもみんなのタイムとか感覚がわからなくて選手への声かけも難しかったです、今もですが。少しはみんなに近づきたくてメニュー説明だけはしっかり聞いたり、また南利さんやしおりにもメニューのことをたくさん教えてもらいました。大会ではスプレッドシートで目標とベストとにらめっこしたり、コンディショニングの中での会話で聞き出したり、いらないことを言わないように、気を付けました。
トレーナーとしても、自信のなさはずっと抱えていましたが、コンディショニングでも少しずつ、話の聞きだし方とか、どこを確認するのかとかを学び、水中競技のトレーナーをしている方の講演に参加して話を聞いたりと、先輩のもとでたくさんの機会を与えていただきのびのびと活動させていただきました。
特にコンディショニングでは、ゆういちろうさんやゆきとさん、しんたろうさん、さくらさん、、大事なレース前にも、未経験の私に頼んでくださってたくさん経験を積ませていただきました。
予約を入れてくれる人がいた時は、自分にもできることがあると嬉しくなり、頑張れました。
冬になる前、唯一同期で入ったトレーナーで、なんでも弱音をはけたまみが辞めてしまいました。応援すると決めていたのに、ついに一人になってしまった気がして練習中踏水会の更衣室で、りこの前で泣いてしまったことを覚えています。
その後スタッフとしての在り方も分からなくて、めぐさんの前で大泣きしたこともあります。みんなみたいな熱意がない、自分のモチベーションの維持にはとても悩みました。
それでも、トレーナーチームの存在が大きくて、たくさん励まされて、このチームで一緒にやりたいという思いで頑張れました。
居心地のいいトレーナーをつくってくださった先輩方には本当に感謝しています。
始めて行った回生ごはん。輪にいれてくれて嬉しかった!
この写真、この代のトレーナーチームの雰囲気がでててすごく好き
次に続きます