京大水泳部練習日記(2022/3~)

引退日記 後藤寛貴①

お疲れ様です、後藤です。
 
 
関カレ全国公がダメダメだったので夏季長まで老害させてもらってました。タイムはカスでしたが、過去一穏やかな心で気持ち良く泳げたので満足してます。ゆうごに負けてたら冬季公認まで居座るところでした。危なかったです。
 
 
夏季長でラストレース終わってから書こうと思っていたらこんな時期になってしまいました。なんとかインカレ組の前に上げられるように頑張って書きます。

追記:間に合いませんでした。女子4継始まっちゃいました。一旦上げますがあとで更新するかもしれません
目次
〇振り返り
〇伝えたいこと
〇最後に
 
 
 
〇振り返り
・京大水泳部に入るまで
小4で選手コースに入りました。しんどすぎてずっと駄々こねてたような気がしますが、なんやかんや続けているうちに九州大会くらいには出られるようになりました。
 
中学の時に一番上のクラスに入れてもらいました。周りはjo出て当然、決勝やそれ以上を目標にしているような子もいました。身の丈に合っていない練習に付いていくのが精一杯でした。
 
高校に入って勉強と両立しないといけない中で、本気で全国大会を目指せていない自分とコーチとの意識のギャップも感じるようになりました。
 
そんな中、高2のときにコロナ禍に突入。クラブチームを辞めると決めました。
 
高校ラストイヤーは市民プールとかで自主練して九州高校までは進めましたが、サッカーのクラスマッチで足首の靭帯を損傷。引退レースのはずが1バタで1:05もかかってしまいました。
ざっくりこんな感じ。書いてみるとマイナス寄りなことばかりになってしまいましたが、ただでさえ根性のない自分を肉体的にも精神的にも鍛えてもらいました。今振り返ってみても代え難い期間だったと思います。
 
・1回
高校ラストレースの後悔から、すぐに入部を決めました。
 
当時のバッタ面は日下さんをはじめ速い人がいっぱいいたし、しばらく1人で自主練していた自分にとって京大水泳部の環境はすごく刺激的でした。隣に競える人がいて、声出して励ましあいながら練習できる環境はクラブチーム時代ともまた違って新鮮でした。
 
とにかく体力を戻さないと試合に出られなかったのでこの時期はけっこう真面目に練習してました。
 
その甲斐あって、受験のブランクはありましたが関国の400IMでは運良く3位入賞。
 
関カレで生涯ベストを更新して100fly3枚残し出来たのはこのシーズンのハイライトでした。
  
日下さんと裕一朗さんと^ ^ この時だいぶ細いですね
 
 
オフ明けからは特にこれといった目標もなくとりあえず練習こなしてるだけだったのでずっと調子悪かったです。次第にモチベも下がっていきました。
・2回
最悪なシーズンでした。
 
1回後期から法学部の専門に追われるようになり、練習態度も悪くなったことで全く泳げなくなりました。
 
結果、関国の4個目はベスト+10で予選落ちしました。自業自得なのに控えで泣きました。
 
前期の試験と重なった関カレでは精神的に限界が来てしまい400IMは棄権しました。
 
裕一朗さん、潤さんには引退、代替わりという時期に(このシーズン中はずっとでしたが)余計な迷惑をかけたし、100flyも進太郎さんの枠を潰しておきながら酷いレースをしたので本当に申し訳ないと思っています。
 
そのままフェードアウトして12月まで休部しました。
 
 
そんな中でも話を聞いてくださった先輩方や、変わらず接してくれた同期には救われました。
本当に有難いことだと思います。辞めずに続けてこれたのは間違いなくみんなのおかげです。
  
唐揚げ またしましょう
 
 
 
 
何一ついいところのないシーズンでしたが、唯一冬季公認だけは記憶に残っています。
 
 
潤さんとグボちゃんに誘われて半バタだけエントリーしました。元々出る気はなく、自分にとっても周りにとっても正直どうでもいいレースだと思っていたので、暖かく迎えてもらえたのが素直に嬉しかったです。このチームでもう一度頑張ろうと思いました。死ぬほど迷惑かけたチームに絶対に結果で恩返ししようと思いました。
体重も今より10キロくらい落ちてて夏に向けてゼロから調整し直すのはかなり苦しかったですが、塩原さんと2人で文句言いながら頑張りました。合宿のメインとか1人だったら絶対バッタしてなかったと思います
 
 
 
・3回
2人しかいなかったバッタ面は塚腰さんとすーや、かのんが加入して一気に面らしくなりました。
 
冬追い込めてなかったので泳ぎの調子は直前まで絶不調でしたが、関国では2種目ともベストで表彰台に登れました。2バタは前の週の短水路の記録を超えました。対抗戦ブーストだと思います。
 
4年間の中で一番記憶に残っている試合です。前年散々迷惑かけた分、いろんな人に応援してもらい、喜んでもらえたことが本当に嬉しかったです。当時の動画を見ると今でも鮮明に思い出します。
 
 
これ見返したら進太郎さんも載せてましたね 
七帝関カレらへんはやっぱりテストの影響で体は限界でしたが去年の分を取り返さないといけない思い踏ん張れました。4コメは踏ん張れてなかったかもしれませんが
 
全国公でもそれなりにいいレースが出来てシーズンを終えられました。
 
 
一緒に練習してきた塩原さんが引退して以降はだいぶ寂しかったですが、そんな中でも塚腰さんとすーやの存在はでかかったなあと思います。
 
 
バッタで結果に結びつけることができなかったのはパートリーダーとして力不足やったし心残りですが、バッタ面の存在は自分の中で大きいものでした。塚腰さんはFr伸びてたからまあええんかな
 
年明けからは就活やら試験やら怪我やらでずっとアセアセしてました。
 
 
・4回
就活から解放され、単位もほぼ取りきれて無限に時間が出来ました。
 
この期間が今まででいちばん水泳のことを考えていました。
フォームも根本から変えようといろいろ試しました(最後まで掴めませんでしたが)
 
さらに広大と村松が加入。
 
5月ぐらいのメイン、50*20 Hard keep(ダレたら1本カット可)みたいなとき、俺がふつうにカットしてる横で2人が全部バッタで行ってるのをみて笑ってしまったのを覚えています。なんなら広大には半分以上負けました
 
後輩手本にしてどうするんやという感じですが、さすがに本番で負けるわけにはいかない、せめて2バタくらいはと思い、いっそうモチベが上がりました。
 
そんな感じで迎えた関国、2バタ優勝出来ました。
嬉しかったです。水泳やってて個人種目で優勝できたのは記憶ではこれが最初で最後な気がします。
 
1バタ?知らないです、おれは2バタの選手です
 
 
 

以降はあんまりいいとこありませんでした。頑張っても伸びなかったりするのはあるあるだと思います。めちゃくちゃインフレしたとはいえ、目標として掲げていた全国公決勝には掠りもしなかったですね。


怪我とかあったとはいえ間違いなく4年間で今年が1番練習積めたはずなんですが、実際は2バタが0.8秒伸びただけ、100は全く伸びなかったのでやっぱり難しいなあと思います。まあ去年が上手くいきすぎたのはあります


ただ今年の結果だけみたらもうちょいって感じかもしれませんが、競技人生に関しての後悔は一切ありません。夏季長の100flyが終わって1番最初の感想は「楽しかった」でした。純粋にレースを楽しめました。辞める以外の感情がなかった2年前からは考えられないことです。続けて良かったと思いました。


4年間振り返るとこんな感じですかね〜 いかに自分が環境に依存していたか分かります。




ラストイヤー最後まで頑張れたのは今年になって全員やる気を出した同期男子の皆さんも大きな要因でした、全員全国公出て関カレでも得点に絡んでるの普通にめちゃくちゃえらいと思います




後半につづく

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