お疲れ様です。
引退日記2人目、4回生女子選手の下田桜です。
引退まで長かったなと感じますが、引退日記に関してはもう書くときが来たのかというなんか変な感じです。
しばらく内容を考えてましたが、うまくまとまりそうにないので思ったことをつらつらと書いていきます。自分語りが多いので適当に流し読みしてもらえると嬉しいです。あと、引退日記にして初めてパソコンで書いてるので読みにくいかもしれません、ご了承ください。
①競技面
②水泳部での役割
③伝えたいこと
④最後に
この4つの柱に沿って書き進めていこうと思います。
①競技面
~高校~
競泳は高校から始めました。大会に初めて出たのは高1の5月でそのときの長水半フリは35.3でした。全然強いチームではなく、みんなで楽しみながら九州大会を目指してました。最終的に半フリのベストは長水32.3、短水30.9とかで特に思い残すことなく引退しました。
~1回生~
大学では水泳は絶対しないと心に決めていました。
やりたかったのはフットサルでしたが、当時はコロナで新歓もなくてやったことのないものになかなかチャレンジできず。(引退したらサッカーしたい)
結局1回だけ水泳部の見学にいきましたが、その1回でさえ寝坊しかけてすぐに選択肢からは消えました。
高校の先輩が水泳サークルに入っていらっしゃったのでそっちにしようかなと思っていたところに、来未や潤が「今部活がコロナの規制でなくなって、同期で鴨川ランニングするからこない?」と誘ってくれて、とにかく運動がしたかったので参加させてもらいました。
そこにいた来未、潤、幸登、直己が優しくて、ランニングも楽しくて、もう入部しちゃえ!と思って入部締切当日に入ることを決めました。
その日に顔合わせのミーティングがZoomであったのですが、
あれ、あの同期4人だけじゃない?
次の練習は京大プール?
理解が追いつきませんでした。
あまりにもバカなのはわかってますが、本当にあの4人と3年間鴨川でランニングすると思ってました。完全に間違えた。
逆に競泳をすると分かってたら今絶対にここにはいないです。
長くなりましたが、本当にこんな感じでの入部だったので、当然目標なんてありませんでした。ただ、理由がどうであれ、もう入ってしまったからには最後までやろうかな、なんとなくそれだけは思っていました。
競泳歴が短いことや浪人して体力が皆無であったこともあり、何も考えなくてもとりあえず練習に行って、とりあえず大会に出れば途切れることなくベストが出ていました。こんなに遅いのでずっと競泳をやってきて速いみんなよりは伸び率も高くて1回生のうちにMVSも2回いただきました。タイムがひたすらに伸び続ける水泳は楽しかったです。
~2回生~
多分自分史上水泳を一番頑張っていた、そして楽しんでいた時期。
高校のころなんとなくでやっていた半フリの面白さをようやく味わえるようになり、ショート面のみんなにアドバイスをたくさんもらいながら、刺激をもらいながらいろいろ考えて水泳をやってました。伸び率は落ちてきたけどそれでも水泳は楽しかったです。
当時の4回生の大好きで憧れだった樹香さんといつも練習で大会で一緒に泳いでお互いにレース動画見合って。そんな樹香さんが引退のときに「半フリで30秒割りたかった」とおっしゃっているのを聞いて、その瞬間にそれが自分の目標になりました。
大きな目標もないまま競泳をやってた自分にとっては道しるべになりました。
引退までにってするとずるずる引きずりそうな気はしていたので、自分の中では2回の冬に短水で、3回の夏に長水でって思ってました。自主練したり、主に幸登からアドバイスをもらったりして進歩はあるものの、そこまではたどり着けませんでした。
~3回生夏~
対抗戦では全種目のリレーを泳がせていただくぐらいには成長しました。
ただ、全国公でひなたさんとのラストリレーの後、みんなで歴1を目指してたのにあともうちょっとが届かなくて、自分があまりにも力になれなくて、藍と陽菜の前で号泣してしまいました。後輩の目の前で情けなかったです、あのときは本当にごめんね。来未も察してくれてたのか側に来て励ましてくれて、「来年は桜が引っ張ってな!」って言ってくれて、ラストイヤーは絶対京大水泳部の力になると決めました。
~ラストイヤー~
ラストイヤーのスタートは専門を何にするかというところから始まりました。
2回生の夏から抱いていた目標の半フリ30秒切りをやっぱり叶えたい、でも対抗戦で短距離フリーは全く戦える位置にはないし、IMとかの方が点数が稼げる。
迷った挙句、最上回としてたくさん点数とって目に見える形で貢献したいそう思って、冬場からIMに専念することを後輩女子選手たち一人一人に伝えました。
そしたら、全員が「半フリで30秒切ってください」って言ってくれて。
「対抗戦も自分が出たい種目に出てください」って言ってくれて。
対抗戦はどうしても点数という形で貢献したかったのでフリー以外にしようという気持ちはブレなかったですが、みんなの言葉を聞いて冬場は半フリに専念させてもらうことにしました。
それなのに結局現時点では短水の引き継ぎという一番最低ラインで29秒台を2回出せただけで、個人では短水も長水も30秒割れていません。29秒どころかベストすらほとんど出せませんでした。
タイムが出ないことの理由は明確でした。最低限しか頑張れてなかったから。
かろうじて練習には行ってましたがそれ以上のことがほとんどできてませんでした。
腰もよくなっては悪くなるを大会のたびに繰り返していて、筋トレも体幹も腰に響いて全然できませんでした。
加えてこのままではタイムが出ないということを十分に分かってはいましたが、冬場はそれ以上に水泳が、水泳部が嫌でどうしようもなくて苦しかったです。
そんな中で一番響いたのが、私のいないところで怜花が「来年は関国で桜さんと2バックの決勝に出ることが目標」と言ってくれていたことでした。
本当に嬉しかったです。今でもずっと忘れてません。
それを琢人から聞いて何としてでも続けなきゃという思いになりました。
タイムを出すことにこだわってる選手たち、普段の練習から大会まで支えてくれるマネさんやトレーナーさん、応援してくださっていた先輩方には本当に申し訳ないし失礼ですが、冬場はタイムを出したいよりも途中で辞めず全国公まで続けることを一番の目標にしていました。
女子のみんなには背中を押してもらって冬場半フリに専念させてもらったのに、男子にも「いつ割るんですか」とか言って応援?してもらったのにここまで結果で返せなかったことが本当に心残りです。
半フリは関カレの1日目がラストレースです。
七帝の半フリ、実は2回生の関チャ以来のベストでした。まだまだやれる、そう思ってます。
こんな気持ちでラストイヤーを過ごしてきて偉そうに応援してくださいとは全く言えないですが、やれることはやるので最後まで見届けてもらえると嬉しいです。
レース後とびっきりの笑顔で応援席に手を振ります!
②水泳部での役割
役職としては1回生の10月から体育会本部員をやらせてもらっています。あとは7月中に終わらせないといけない作業をやって、再来週の幹事会で多分引退です。あんまり知らないかもしれないし、全然知らなくていいんですが、体育会の中で総務部長って役職についてました。
週1で幹事会はあるし、それとは別に週1で事務室で作業をしないといけないし、幹部になってからは家にまで持って帰って作業することも多々あったり、2か月ぐらいかけて大きな会に向けて準備をしたのにひたすら先生方に怒られたり、めんどくさい行事もたくさんありました。
でも水泳部では競技面でもそれ以外の面でも引っ張っていけるような存在ではなかったので、体育会だけは見えないところで頑張ろう、そう思っていました。
逆に、部活では本当に何もなせなくて申し訳なかったです。
一度同期ミーティングでも話しましたが、特にラストイヤーは水泳も、水泳部も嫌になって、しかもそんな中で何も力になれてないことを痛感して苦しかったです。
来未も萌来も実習とかで忙しくて同期女子一人で部活することも多々あって、心のよりどころがないというか、寂しいというかそんな気持ちもありました。
後輩女子は優しくしてくれて、たくさん話しかけてもらって、たくさん支えてもらいました。本当にありがとう。
でも、なにかが足りない。
それが自分にとってこの2人でした。だから2人のいる練習や大会は本当に嬉しかったし、頑張れました。それぐらい大きな存在でした。
しんどくて辛くてずっとやめたいと思っていたのですが、チームにプラスになれていない分マイナスになることだけはしないようにしようと思って、決められたことは絶対に守るようにしました。
最上回の遅刻や欠席が多いと後輩からの信頼を失ってしまう。
だから、月オフを結構使ってしまったけど練習に行くことはやめませんでした。
この1年遅刻もしませんでした。
本当に本当に最低限のことしかできてないですが、これでも自分では頑張ったつもりです。
頼りない先輩で申し訳なかったです。
長くなってすみません。次に続きます。
2. 伝えたいこと
水泳と部活に向き合ってきた中で、僕にとって大事やった考えを4つ。
①努力すれば報われる?そうじゃない、報われるまで努力するんだ。
中学生のときに響いた誰かの言葉です。多分2,3回メニューのタイトルにもしています。思うような結果が出ないときに、まだ踏ん張るんだと自分に言い聞かせることで励みにしていました。
配られたカードは人それぞれなので、同じ時間を同じように費やしても辿り着けるところには差があります。それがきっと「才能」とかいうやつです。つまり、努力が報われるまでの時間は、手法が同じであれば才能に依存します。才能があるやつに勝つためには、「賢く」「他人より多くの時間」努力しなければなりません。荻野先生も「能力が低いと思ったら人より早く起きるんだよ」て言ってましたね。才能もあって、週9スイム、週1ウエイトで毎日頑張ってる私大の選手にどうやったら勝てるのか、必死に考えてみるのです。そしてちょっとやそっとで折れるのではなく、報われるまで気長に努力を続けることが大事です。
②与えられたものを過信するな、自分の手でつかみ取れ
僕らの練習は与えられることの方が多いです。冬は踏水会で、夏は京大プール、週に5回で、火金がメインで、パートが2回。最初は疑問に思うことも、毎日与えられ続けると、それを不思議と思わなくなります。ですが、大学水泳は最後の競泳生活になる人がほとんどではないでしょうか。高校生のときより自由に活動できる水泳を、与えられたものだけで過ごすにはあまりにもったいないです。どうせなら自分で考え、自分の手で掴み取りましょう。その方が100倍楽しい。
例えば、週5回、90分練習、このTotal距離で体力はつくのか、Drillは50*8本で足りるのか、W-upは400SKPSで体がちゃんと動くのか、ドライは練習前の10分だけで十分なのか、筋トレは週1回で良いのか。
今、足らないと思った要素をちゃんと自分で補えていますか?全体でやることなので、個人全てに合わすことは難しいですし、メニューやドライも感覚、慣習でやってる部分もあると思います。だから全てが正しいものと思ってはいけません。1つ1つの内容にしっかり目を向け、それが正しいものか分からなければ、出題者に聞いてみましょう。与えられたものを脳死で消化するのではなく、自らの頭で根本から捉え直し、自分の手で栄光を掴み取りましょう。僕が作ってきたメニューでは、メニューの流れ、ENの時間、耐乳酸の単位距離、本数、運動時間:レスト比、メインの合計時間は全部に意味を込めて作っていました。
③全員に分かってもらう必要は無い
部活だったり社会でそこそこ快適に生きるための考え方です。人間、生きていれば合う人合わない人は必ず存在します。全員に好かれようとするにはあまりに自分を出せず、疲れてしまいます。自分のことをちゃんと分かってくれる人が、コミュニティに1人いたら十分なんじゃないでしょうか。僕がこうしていろいろ書いてることも、エンジョイ勢からしたら嫌な話かもしれませんが、一部の人に届いていれば嬉しいのです。
④「ありがとう」はちゃんと言った方が良い
その一言でお互い良い気持ちになれるし、減るもんじゃないので。さっきは、毎日与えられると・・・みたいな話をしましたが、毎日あるからといって当たり前なんてことは1つもありません。練習できるのも主務が厚生課から活動許可を得て、プール予約係がプールを予約し、メニュー係がメニュー作って、スタッフがタイム取ってくれたり練習回してくれて、OBOGの方々の支援を受けて成り立っています。それが普通のことだとは間違っても思わないでください。誰かが負担に感じていてその人が抜けたらそれだけで練習が回らなくなることもあります。ありがとうの一言で救われることって結構あるので、感謝の気持ちは忘れずに伝え続けていくべきです。ごしがたまに言ってくれる、いつもメニューありがとうございます、の一言は結構救われてました。ありがとう。
3. 水泳部のみんなへ
○1回生
ふみえ
ふみえの笑顔は周りを明るく照らしてくれてる!TOYOTAの写真であんなに盛り上がってくれるとは思ってなかった笑 マネ業、最初は大変なこと多いかもやけど、めげずに頑張って欲しいな!
池松
生粋の大阪人やったなあ。朝練後も居残り練してるとこよく見てたし、その根性でまだまだ速くなれる!上のあきひろ、ゆうごを脅かす存在になっておくれ。
しゅうや
七帝のとき、完泳できやんなら片手で回してでも完泳したかったって聞いて、バッタへの熱い思い感じてた。あと3年本気で頑張れば1分切りも夢じゃない!
しゅんすけ
工化の後輩やから入ってきてくれたときすごい嬉しかった!なんやかんや要領よくこなすの上手いから、3回生忙しいと思うけど、水泳にも勉強にも全力で取り組んで欲しいな!期待の後輩!
うえのゆら
練習なかなかついていくの難しいと思うけど、その分、伸び代大きいからこの調子で頑張っていって欲しいな!頑張った分だけ、きっと良いこといっぱいあると思う!
おおたそうき
数少ないIM面、梅と切磋琢磨して盛り上げていって欲しいなって思ってる!1回生のうちは泳げば泳ぐほどベスト出るから、いっぱい練習してベスト出して欲しいな!
ひろな
1回生の中ではコンディショニングお願いすること多分1番多かった!ありがとう!!4回生おるうちに、いろんな解剖とかトレーニングの知識つけて、凄腕トレーナーになってほしい!応援してます!
たまき
朝パから部室戻ってうだうだして喋って、気付けば日が暮れて。最後に結構仲良くなれてめちゃめちゃ嬉しかった後輩!危機的状況やのに全く焦ってないとことか、真顔ですごいこと言うたまきが良すぎる!またカラオケ行こや!!
しょうこ
讃岐弁、なんやかんや柔らかい感じで結構良かったで。方言サラダボウルのこの部活で讃岐弁守り抜いておくれ。あと、Fr Short面のマネに来てくれてありがとう、いつも元気なしょうこちゃんに僕もたくさん元気もらってました!
聖羅
水泳の話とか見てるアニメとかよく聴く音楽とか1回生の中では割といろんな話できて楽しかった!あと泳ぎ上手すぎ!来年の七帝はOPで400Fr大会新ペース楽しみにしてるで~ 来年も特訓するならひょこっと夏練習見に行くかも・・・
しみずゆうき
最後までホンモノやったなあ。1年後、美しい軌道を描きながら、ゆきとさん、ストロークこうですかって聞いてくれたら激アツすぎる後輩ランキング1位。持ち前のパッション燃やし続けてな。
和輝
ゴールデンレトリバーすぎた笑 20本1束みたいな茶金髪に、練習真面目で、人なつっこくて、めちゃめちゃ可愛い後輩やったで。短かったけど仲良くしてくれてありがとうな。6時に京大プール来るようなってドライしてるん、まじで偉いと思う。引き続き4年間、ドライガチ勢の意志を強く持って欲しいな。
たかみやりょう
気管支炎で練習来れやんこと多かったけど、治ったら今までの分、挽回するくらいに頑張って欲しいな!Fr Short面パートリーダーとして応援してます!
陸太朗
ゆきとさん、ベストでした!って言ってくれたとき、僕も飛び跳ねるくらい嬉しかったで。まさか一ヶ月足らずで生涯ベスト越えてしまうとは。。茂みに消えちゃうくらいに、目の前のこと頑張れる、追い込める陸太朗、ほんとにすごい。選手になるのかトレーナーで行くのか分からんけど、どっちにせよめちゃめちゃ応援してます!
かずさ
昔の笹村、がっきーみを感じています。つまり、1年後にはめちゃめちゃ速くなってると思う!入部してから感じた水泳への熱い思いを絶やさずに、進んでいって欲しい!
大輝
水泳にアツイ後輩が入ってきてくれてめっちゃ嬉しいです。だいきの水泳観はこの部活で必ず活きると思う。トレーナーサイドから、選手を鼓舞してやってください。あと、ちょっとはEN力鍛えておきましょう笑
おうすけ
留年したってまじかいな笑 水泳部最高に面白い人いっぱいおるから、いろんな人と関わってみてほしい!!
かのん
もっと話してみたかったなあ。体育教官の話にはほんまに驚いたわ、今の時代にそんなんあるんやって笑 先輩マネーズに食らいついていってな!!
○2回生
大月
結果への拘りにおいては似たものを感じてた。あと頑張り屋すぎて損する立ち回りすることも多くなると思うから、適度に人頼るのも大事!コースロープとか踏水会のカード入れに電気やったり、その頑張り屋の部分でこの部活が上手く回ってた、ありがとうな。
川根
雑草魂、尊敬してた。良い意味で。自主練で100*10*3やってたり、日大豊山の練習メニューの本読んでたり、その努力は絶対いつか報われる。あとは京大で速くなってくれよ。来年400Frで決勝残ってるの楽しみにしてる。引退してもタコ焼き誘ってくれると嬉しいな。
藍
ポジティブさに救われてました。これから医学科の授業で忙しくなってくと思うけど、自分のキャパと相談しながら水泳の熱も燃やし続けて欲しい。ショート面盛り上げていってな!あと、遅刻はしないように。インカレ切ったらウキウキで見に行くで。
くぼ
いろんなことに対してウンウン悩んでる姿が印象的やったなあ。悩むってことはそんだけ物事に本気で向き合ってるってことで若者の特権よ。水泳に対して考えに考え抜いて、来年200Frで活躍して欲しいな。
JP
1回生で下振れ多かった分、2,3,4回生で上振れ爆発させてくれ。保存の法則からしていける!まだまだ伸び代ある泳ぎやし、良い体格持ってるから、1:05くらいまで出そうやなって勝手に思ってた。まずは全国公切り楽しみにしてまっせ!
ゆうご
1回生のときの関国のメリレ、まじで痺れた。2回生になってからはタイムでしんどいことも多かったやろうけど、めげずにBrと向き合い続けて欲しいな。Brって気まぐれ彼女みたいなとこあるから、何かハマればポンとタイム上がるはず!あと、年末にLINEくれたの嬉しかった、ありがとう。
たかのりき
選曲ドンピシャすぎた。またカラオケ行きたい。Brもボチボチがんばっておくれ、ベンチ100 kg上がったら50Br 30秒割れるで。あと、留年するなよ、桂で待ってる。
中堂
速すぎや。大舞台で強いのカッコ良すぎや。一見ぽけーっとしてるように見えて、部活のことちゃんと考えてくれてたり、実はサルのふりした人格者やと思ってる。歴1の22秒台、ある、まじで京大水泳部で楽しみな1人。
あゆみ
体重乗せてからキック入れた方が良いってアドバイス、今もめっちゃ活きてる!鶴の一声でした、本当にありがとう。なんかいろいろ限界大学生の片鱗見えておもろかったで笑
ひろはる
関国MVSのとき、七帝優勝のときの、ハイタッチ、応援ありがとうございました、が良すぎた。あとは同じ班なっていろんな話できたんも嬉しかったな。競技で引っ張っていける器を感じてるから、これからもメキメキ頑張って!応援してるで
あきひろ
ひろみちにいやん然り、独特なワードチョイスには中毒性あったな笑 ゆうごと2人でBr面引っ張っていっておくれ、応援してまっせ。
竜飛
たっぴが後輩でまじで良かった。京大に来てくれてありがとう。小さいとこにまで気遣いが神すぎ。トレーナーとしても筋肉の勉強とか真面目にちゃんとやってて、専門じゃないのにえらいなって思ってた!七帝、来年こそは26秒台!
○3回生
かんしん
レース終わった後に、動画で泳ぎめっちゃ見て考えてるん印象的やった。持ち前の肩幅やったり、ストロークの質はピカイチやと思う!S1特種目って難しいとこあるけど、ちゃんと1年間向き合えばスランプ脱出できると思う、競技でしんどいときいつでも相談乗るでな。
愛
いきなり練習の動画送ってアドバイスちょうだいって言ったり、大変お世話になりました。ありがとうな。愛の昔の速かったときの話やったり、そのときのマインドとかトレーニングとか聞くの結構好きやった!そういう話って愛にしかできやんと思うし、それを必要としてる人は部内にまだきっといるはず!あと陸太朗とだいきの背中押す係、たのんます笑
梅
今シーズン、見違えるくらいに速くなったな。去年は強化練で思うような結果を出させてあげれんくてほんまに申し訳なかった。梅の覚醒はまだまだ続くと信じてる!!この勢いで全国公切りまで突っ走ってな!!
しおり
チーフマネとして責任感ある中、練習を支えてくれてありがとう。ややこしいメニューも何とか回してくれて助かってました。練習中もたまに飛ばしてくれてたムチの言葉で頑張れてた選手いっぱいいたと思う!
ゆきか
マネとしてすごい成長したなあ。今日も5レーンビシバシタイム取ってたんまじでビックリした。冬場とか人手不足で大変やったやろうけど、めげずに練習回してくれてありがとうな。ゆきかなら敏腕マネなれる!!
璃子
僕を、ショート面を、支えてくれてほんっとうにありがとう。僕が心折れずに最後まで水泳と向き合い続けられたんも、ショート面で楽しくいられたのも、璃子がショート面を優しく見守ってくれてたからです。困ったら掃きだめでも何でもなるんでいつでも相談してな。愛はきっと世界を救うから、璃子の水泳部愛は部活を救う!?
後藤
部内屈指のお祭り男。去年から想像できやんくらいの結果を関国で出してて、カッコ良すぎたし、眩しすぎた。声もめっちゃ出せるし、ラストイヤー、練習から盛り上げていって欲しいな。後藤のテンションで、部全体の雰囲気も変えられる!
ささむ
最も愛おしき後輩。練習には絶対いる安心感あったわ。去年メニュー係引き受けてくれてありがとう。けど、ほっとくと楽な方に流されるタイプやと思うから、僕おらんなっても、中堂、藍ぼうと刺激し合いながら、頑張っていってほしいな。ショート面頼むで。
れいか
怪我で今シーズンは上手くいかんことも多かったと思うけど、その中でもできることを1つ1つやって、関国200Ba泳ぎ切った姿は感動したで、勇気もらえた。怪我から復帰してまた爆伸びしていくれいかをTwitterから楽しみにしてます!今年の全国公も目一杯楽しもう!
あず
レースの反省のノートとか練習後にストレッチしてたり、水泳と向き合う姿勢がすごかった!最近ベスト更新して喜ぶあずの顔が見れて僕も嬉しいし、がんばらななって刺激もらってました!
きーちゃん
笑顔150点!きーちゃんの笑顔は周りの雰囲気を柔らかくしてくれる!水泳を楽しみながら、記録もどんどん伸ばしていって欲しいな!
ごし
ニヤニヤしながら近づいてきて、キモ話するんめっちゃ好きやったわ、すごい笑わせてもらいました。部活での笑顔の1割くらいはごしにもらってた気がする。ストレスとか悩みとかおかげで吹き飛んでました、ありがとう。またちえん飲み誘ってください。
れいた
独特の挨拶に独特の雰囲気に結構好きやったで。れいたのBr、めっちゃ綺麗やし、兄貴速すぎやし、速くなる素質はめちゃ感じてる。Br面激戦やけど、来年レギュラー獲って活躍してるれいたまんが見たい!
堀ちゃん
リレーで戦う堀ちゃん、カッコ良かったし、8kアンカーも見てて頼もしかった。ラストイヤー、主任で想像以上に大変やと思うけど、自分の競技への熱も保ちながらインカレ切って欲しいな。主任の背中を後輩達に見せてやってくれ。
わっち
怪我とかコンディショニングで細かいオーダー出して困らせちゃうこと多かったけど、すごい感謝してます。僕のためにすごい頑張ってくれてたん、ちゃんと届いてたし、嬉しかった! 冬春同じ班でいろいろ話すこと多かった方やと思うし、応援してますって言葉にしてくれてたん励みになってました、ありがとう。
○同期
みんなの引退日記にコメントしまする。その方がいっぱい書けるので!!
京大水泳部、たくさんの思い出をありがとう!!!
京都大学体育会水泳部4回生 奥田幸登
2020-2021 努来勝
2021-2022 全進
2022-2023 青炎
2023-2024 総乱舞
お疲れ様です。
引退日記トップバッター、4回生の奥田幸登です。
最初に!!!!!
8/8の4回生ラスト練習&スイカ割り
院試が被ってしまったので、僕は行けません!!!!
なので、8/6(火)に京大プールで写真いっぱい撮って欲しいです!!!!
院試非情すぎるよおお
ラスト練習、行きたかったなあ、夏っぽいこともしたかったなあ
練習あと7回
最後まで、朝練無遅刻貫きます!!!
盛り上げていきます!!!!
まず初めに、(2回目)
大学へ行かせてくれて、水泳をずっと応援してくれた両親、踏水会などの金銭的支援をして頂いた京泳会OBOGの皆さん、練習を運営してくださったマネの皆さん、疲れた体を労ってくれたトレーナーの皆さん、僕より断然高いレベルの努力と結果で刺激をくれた皆さん、平泳ぎを、水泳の面白さを真っ直ぐに教えてくれたコーチ、先生方、そして応援してくれた皆さん、本当にありがとうございました。1人では決してここまで来られませんでした。今に至るまで水泳を続けることができた身を、本当に幸せに感じます。
いろいろ振り返ってみると、練習メニューを考えてる時間が本当に大きかったですね。朝パ行っても、授業行っても、バイトしてても、家でくつろいでても、明日のメニュー何しよう、とか今日のメニューどうやったかな、丁度よかったかな、とかいろいろ考えてました。そんな生活とももう少しでおさらばです、メニュー無くなったら僕って何考えて生きてんのやろってくらいには少し心配になります。
2回生からメニュー作り始めて、その総数は・・・
170でした!!
あわわわわわわわ
40単位くらいはもらえるんちゃうん。
こんなにも練習メニューを作らせて頂いて、拙い練習メニューに付き合ってもらった選手の皆さん、スタッフの皆さんありがとうございます。
特にショートを長いことやってくれた、ささむ、中堂、藍、桜、璃子ありがとう。
1人やったら練習をするどころか、楽しむことも追い込むこともできやんかった。正直一番思ってるんは、なかなか結果出せやんかった自分やったけど、それでもついてきてくれて本当にありがとう。
ショート面の絆は絶やさず、残していってほしいな、よろしく頼んだで、ささむ。
泉さん、馬場さん、じろう先輩から受け継いだもん、託すで。
そろぼち引退日記に入ります。
~構成~
1. 競技面
2. 伝えたいこと
3. みんなへ
1. 競技面
中高時代
当時S1 Brスイマーでした。50Frは楽しむために出てるくらい。三重での水泳の生きがいはベストを出して、県の大会で表彰台に上ることでした。とにかく上があるなら上へ上へ。毎日お母さんが練習で撮ってくれる動画を、ご飯食べながらにらめっこして、反省が終わったら世界記録の泳ぎだったり、水泳の特集をYouTubeでずっと見てるような水泳少年でした。京大でも練習動画にめっちゃ拘ってるのは、こういう経緯です。けれども全国大会には出たことはなく、そこを目指して練習に明け暮れる日々でした。まだ見たことのない景色をこの目で見たかった。
高校で初めて水泳「部」に入り、高校から水泳を始めてメキメキ努力して進化していく選手の姿だったり、インハイ行くためならと筑波大学遠征まで連れてってくれた顧問、本気でインハイを目指す同期や先輩に囲まれて多くの刺激を受けました。よく大世君やじろう先輩、栞優と1本、勝負してた気がします。この時期に、「才能」とか「努力」とかいろいろ考えさせられました。同期の栞優が自主練で200*8 2:30 Flyでやってたのを見たときは頭をかなづちで叩かれたかのような衝撃を受けました。高2で結構伸びたんですが、高3のラストイヤーでコロナああ。。結局、JO、全中、インハイには届きませんでした。インカレ切るぞ~~ということで大学生編へ。
1回生
コロナの規制で朝練が8:00スタートでした。1限が週4で入ってた当時は、ほぼ全体練に参加できず、寂しかったです。思い出と言えば、京介さん(6)と裕一朗さん(5)とじろう先輩(5)と琵琶湖一周しました。大会会場が毎回県外で、遠出というのも新鮮でずっとワクワクしてました。
全国公が制限つきだったのですが、何とか出場。100Brに関しては32人の制限の中32番目という滑り込みでした、あぶない。一応全国大会ではあったのですが、高校の頃、全国公を意識する前に標準を切っていて、自分が求めて手に入れたものではなかったので、何かちゃうって感じでした。インカレを切りたい、50Fr 23.03。あと0.81秒、行ける。
このたくと可愛い。
2回生
運動生理学、解剖学、バイメカ、いろいろ勉強しました。
速くなるための解像度が上がっていく感じがして、まだまだ速くなれる方法はいっぱいあるんじゃないかとワクワクしました。この年に入部してくれた愛やFr面、地元のクラブのコーチ、高校の同期などにたくさんアドバイスを求めて、理想の泳ぎを追求しました。
その結果、2022/6 関西CS
会心のレース
50Fr 24.38
生涯ベストを4年ぶりに0.43秒更新できました。
思いっきり水面叩いてガッツポーズしました。最高の瞬間でした。
止まっていた時計の針がやっと動き出したなって感じ。
今でもこのときの動画見返したりします。
動画の最後に、電光掲示板のタイム見てうぉっって驚いてくれてる加奈さんの声入ってて、何気に嬉しかったです。
一方でBrに関しては時間がまき戻りました。あれれ。
全国公100Br 1:11.07
中2より遅い。ちゃんと練習してきたのに。。。
このとき2つのことを心に決めました。
①Brを引退する。
2種目両刀の難しさを感じました。Fr専門になって、50Frだけじゃなくて100Frもちゃんとやる。種目絞ってインカレ切る。
②頑張った人は報われてほしい。
練習頑張ったのに結果が出ないのは悔しい。努力の方向性、アプローチが間違っていたのではないか。なら練習メニューというアプローチを正しい方向に向けることで、頑張った人が結果を出せるメニューを作りたい。ベストを出して水泳楽しいって思ってもらいたい。
これは今も変わらないメニュー作りの駆動力です。
秋から本格的にメニュー作成スタート。
元日本代表コーチの米川コーチとZoom対談をしました。さらに僕の心のワクワクに火をつけました。可能性がジュワジュワ溢れてましたね。その後、方向性の違いでいろいろあったりもしましたが、冬季公認でショートの皆が全員ベストを達成できたのは良い思い出です。
こんときショート多かったなあ
強化練組、夏の100*40本からよくここまで頑張ってきたなあ。
3回生
中堂、藍が入ってきました、速すぎる。
Fr Short面が賑やかになって良き良き。
川根の家でたこを10^4個くらい焼いた気がする。
当時の4回生の引退はまじで寂しかった。
______________________
3回生秋~
何より結果に拘り続けた1年でした。
19年間、水泳をやってきたからには最後に、水泳ちゃんとやってたんやぞってくらいの結果が欲しかった。費やした時間に意味を見いだせるだけのものが欲しかった。あの時間が無意味なものだとは思いたくなかった。平凡な自分なりに何か目に見える形のものを残したかった。それがインカレへ向けた最後の1年でした。
まずは50Frで勝負するためにパワーが必要だと考え、身体を作りました。
1回生 京大水泳部初めての練習(60kg)
3回生 春合宿(70kg)
ストレッチも毎日し、ドライも勉強して速い人の話聞いたりして内容を研究し、多くのものを取りこぼしながら、水泳に割けるだけ時間を割いてきました。練習の取り組みもメニューの期分けを再考し、シーズン初めの方から、乳酸生成能力を鍛える練習を入れ、その後に乳酸(が多量に出る状況)に耐える練習、レースペース練習へと繋げる試みを行いました。また、実際の取り組みも、レースで使えない泳ぎ、出力の練習をしても意味が無いと考え、GSなどの耐乳酸も1本目から26秒台頭で突っ込んで、そこから何本耐えられるか、という意識に変えていきました。
今まで通りに頑張ったってきっと何も変えられない。自分を変える、越えるためには、想像の範疇にとどまっていてはいけない。何かをかなぐり捨ててでも、手に入れたいものがある。
_______________________________________
そして惨めな思いをすることも多かった1年でした。
インカレを切るどころか、自分のベストにすら及ばず、「まだ」何にも結果を残せていません。
過去最高に本気で挑んで思いっきり壁にぶつかって虚無った冬季公認
後輩たちがどんどん先へ進み、夏レギュラーさえもないんじゃないかと絶望した春室
心の底から、死にたいくらい悔しかった関国
結局100Frの方ではレギュラーを取れず、50Fr, 100Brになりました。なんで泳いでないBrが調子そこそこええねんって感じではありましたが。けれども、100Brは僕の水泳の原点ですし、Brに始まり、Brに終わるのも悪くないなと。何よりBrから水泳の楽しさを教えてくれた恩師に、最後にBrを泳いでるところを、中高のときより速くなった姿を見せたかった。
ですが、50Frも100Brも関国で決勝に残れませんでした。
大学水泳4年目にして初めての2種目予選落ちでした。
己の非力さに絶望しました、こんなに本気で水泳と向き合ってきたのに、温かい言葉で応援してくれる人もいるのに、なんで自分は一番大事なところで結果を残せないんや。
全力で声出して他の選手を応援したり、100Brまあまあのタイムで少し喜んだふりをして、周りに心配かけないようにしていましたが、悔しさのコップは表面張力すれすれでした。誰かに触れられたら間違いなく決壊してしまう。応援や励ましの言葉さえも怖かったので逃げてました。チームの雰囲気、流れは絶対に崩してはいけない。笹村と中堂が背中合わせでセンターレーン陣取ってる、かっこええなあ、その隣に立つはずやったのに。何があかんかったんや。どこで間違えたんや。周りの目も、言葉も、全部怖いし、意味分からん思考までしてて、心の中はグチャグチャでした。
いつもなら大抵のことは何か失敗しても機械的にすぐ、次はああしようとか、この練習足りてなかったからこれやればまだ上がる、とか考えるんですがねえ。
3回秋以降、結果を出せていない理由はおそらく3つです。
・指導者がいない。
試せることは全てやってきました。だからこそ、次どうすればいいか分からない、というのは結構なストレスでした。泳ぎの変化を見て指導してくれたり、アプローチに迷ったときに相談できたり、努力レベルが落ちているときに喝を入れてくれる存在の重要性をとても強く感じました。指導者はいなくてもそれに代わる存在はいるので、もっと人に頼れば良かったなと思います。
・今の体で最適な体の動きを会得できていない
以前の最適な体の動かし方を、筋肉を10 kg増やした後の体でやっても、それは最適な体の使い方とは限りません。ほとんどの場合、不適でしょう。競技生活のほとんど、約9年を60~65 kgの体で過ごした自分にとって、70 kgでの体はあまりに不慣れでした。体が沈んで、水感が無くなっていく感じ。かといって、痩せすぎと言われることのが多かった人生なので、筋肉だけ減らすことはchallengingなことでしたし、何より筋力を増やした体の方が、動かし方を覚えれば最終到達地点は上だろうという確信があったので体重を戻すことはしませんでした。ということで今は浮き感、水感を取り戻すために、可動域を拡げながら、水中練習増やしてます。身体を根本的に変えようと思ってる選手、早めの時期にやっておくことをオススメします。ラストイヤーでやるには時間が短すぎました。
・目標を声に出すことが減った
インカレという目標に対して、どんどん遠のいていく自分と過ぎゆく時間に焦り、目標を口に出すことが憚られていきました。ただの弱さです。インカレという目標を強く意識しすぎたせいで、ガチガチに固まって思うようなパフォーマンスができなかったことも多々ありました。なので、ある時期からインカレを目指すことより、「良い泳ぎ」を追求し、その先のインカレという意識に変えました。これによりレースで少し思うような動きができるようになったのですが、目標への意識が遠のいていき、メラメラ燃えるものが少しばかり減ってしまったように感じます。
「目標を口に出す」というのは絶対にやった方が良いです。何度も。口に出すことで強い目標へのビジョンが立ち、日々の行動が変わります。朝起きるのが辛いときとか、今週体キツくて筋トレ行こうか迷ってるときとか。また、周りに聞いてもらうことで、後に引けなくなります。逆に目標を言わないのは達成できなかったときの保険です。目標を話す時間は相手にとっても無駄な時間ではないと思います。人間のなすことは全て意味があり、それは誰かと相互作用します。目標を話した相手もモチベが上がって、より水泳のことを考えるようになるかもしれません。そうして相手の行動も変われば、それを見た自分も巡り巡って刺激を受けるかもしれません。こうやって高め合える、夢を共有し合える状況を自らもっと作り出していくべきでした。目標を話す、というのは自分のためにもチームのためにもなりえます。
心がバキッと折られるようなことも多かった1年ですが、それでも前を向き続けられたのは、間違いなく応援してくれた人のおかげです。どれだけ結果が出なくても、璃子が良かったところを褒めてくれて、次こそは!て言ってくれたり、南利さんが何も言わずに肩をもんでくれたり、わっちが幸登さんにはまじで結果出して欲しいって思ってます、て言ってくれたり、萌来が相談乗ってくれたり、たくとが最後くらい結果出せよ、て言ってくれたり。他にもたくさんの人が気にかけてくれてて、それが本当に励みになりました。この引退間際の時期に馬場さん(6)、じろう先輩(5)にご飯連れてってもらえたのも個人的に激アツでした。Short面の絆を感じました。僕だけが目指してた目標かと思ったら、周りにそれを見てくれている人がいて、背中を押してくれる、それがなんて幸せなことか。
今年の関チャで100Frのベストを5年ぶりに更新できてよっしゃああああって感じで観客席戻ったんですが、璃子が僕より喜んでるんじゃねってくらいに喜んでくれてて、それを見て内心ウルウルしてました。今回の大会の個人的MVSはゆきとさんです!って言ってくれたんも、一生忘れません。MVSなんてもらったことなかったので。愛も、楽しそうに水泳やってるゆきとさん見れて良かったです、て言ってくれて、他にも温かい言葉をたくさんもらって、1人じゃなかったんや、こんなにも本気で応援してくれてたんやって実感できました。久しぶりに朱色のラップ表を見ましたし、その日は久しぶりに高揚感で眠れない夜でした。
レースを頑張る駆動力はもちろん自分のためですが、自分が結果出せてそれで喜んでる人もいるなら、さらにあとちょっと頑張れるな、て思えます。応援は1人じゃ感じられなかったものを感じさせてくれます。1人よりずっと楽しいです。応援してくれた皆、本当にありがとう。
今までの競泳人生を振り返れば、中学からの年度ベストはこんな感じでした。赤字が生涯ベストです。
インカレには全然届きませんでしたが、高校までのベストは微量ながら大学で更新できています。
けれども!!!!!!!!!!
ここまで来たら大4のとこ、50Frも100Brも赤くして終わってやります!!
過程にこそ意味があると人は言いますが、そんな綺麗事には興味ありません。
もちろん、水泳をやってきたからこそ、この先の将来も、挑戦し続ける、何かを追い求め続けられるような人生でありたいですが。それはいつの間にか水泳を通してそんな人生観に染まっただけ。その価値観を手に入れるために水泳をやっていると、考えたことは一度もない。
「結果」をずっと追い求めてきたから。
最後に水泳と本気で向き合ってきた1年間に意味があったと言えるように、19年の水泳人生の最後が良いものであるように。
最後の最後まで足掻き続けます。
そして目に見える0.01秒のタイムで、関カレ、全国公、証明してみせます。
あと少し、応援よろしくお願いします!!!
~ブレイクタイム~
ヤクルト1000飲みました。美味しい。
第4章 僕から伝えたい感謝
家族へ
10歳の時に「中学受験の勉強を止めて選手コースに入りたい」と言った日から、22歳の今日まで。
誰よりも応援してくれたのは、間違いなくオトンとオカンです。ありがとう。
年を重ねても心が幼かった自分は、時に両親が注いでくれる優しさを受け止めようと出来ませんでした。ごめんなさい。
自分の結果で。いや、自分が水泳を楽しんでいる姿で。少しでも親孝行したいと思って、頑張りました。
何とかコロナが収まり、関国で(少しは)良いレースを見せる事が出来て良かったです。
ありがとう。
小谷先生始め中体連の先生方、松本先生・森本先生(高校の顧問)始め高体連の先生方へ
縁に恵まれた僕は、小学生の時から中学校の部活に参加させていただきました。
今の自分に通ずる礼儀や水泳への姿勢を教えていただいたのは、先生方です。
優しい言葉で水泳へのモチベーションを上げて下さった松本先生と近畿大会など何度も遠征で引率して下さった森本先生。
水泳部の顧問をして下さって、本当にありがとうございました。
高体連の先生方にも、秋葉山の合宿や先日の県選でお会いできて、嬉しかったです。
ライバル校の選手だとしても、応援して下さる温かい方ばかりでした。
泳ぐ体力があれば、50Flyだけでも県選に出場したいと思います(笑)
恩師である石橋コーチ・前田コーチ始めJSS姫路の皆様へ
水泳と勉強の両立が難しくなって、精神的に参ってしまった高2の冬。「最後まで一緒に頑張ろう」と、優しく手を差し伸べて下さった石橋コーチ。感謝しかありません。
高校最後の時にJSS姫路の選手でいる事が出来て、本当に良かったです。
水泳を通して出会った兵庫の仲間へ
専門種目も、競技レベルも、競泳に費やす時間も全員違う。
「水泳が好きで頑張りたい」という気持ちを持った人ばかりで、皆んな仲良くしてくれました。
県高の個人決勝。他チームのスタンドからも大きな声援が聞こえた事は、一生忘れません。
出会えて本当に良かった。ありがとう。また会いたいな。
↑移籍するか悩んだ時、夜中の1時半まで相談に乗ってくれた志大。(出演許可貰いました(笑))
大学水泳で出会ってくれた関西の先輩・仲間・後輩へ
同じ種目がキッカケで話してくれた人もいたし、坂道キッカケで話してくれた人もいたし(笑)
最後の最後まで本当に出会いに恵まれた競泳人生だったなぁ、と思っています。
特に、飛び入りで参加した阪大合宿はマジで楽しかったです。
頑張りと笑いがいっぱいの場所で一緒に練習してくれて、本当にありがとう。
京泳会の皆様
日頃より水泳部の活動を支援して下さり、誠にありがとうございます。
コロナ禍での入部となり、皆様と交流させていただける機会が少なく残念ではありました。
引退する前に新歓コンパが開催できた事を、本当に嬉しく思っております。
今後とも京大水泳部に、ご支援ご声援のほど宜しく御願い致します。
水泳部の先輩方へ
自分が最上回生になった時に、皆さんの偉大さを感じました。
一番苦しんでいた時にご飯行って、たくさん話を聞いて下さった雄登さん。
練習に来られる度に、何でも話して下さった光彩さんと京介さん。
引退されてからも、沢山の先輩方に助けていただきました。ありがとうございました。
関国の時に「良いチーム作ったね」と言っていただけた事、誇りに思います。
是非ご飯に連れて行ってください(笑)
現在のところ、「日向坂全国ツアー参戦with大登さん」「飲み会with光彩さん」は開催予定です(笑)
タオルについて少しだけ書かせてください。
2年前の全国公で雄登さんに貰った日から、対抗戦の入場で使わせていただきました。
「3つ前の主任から受け継がれているエースの証として、このタオルを持っていて欲しい。」
毎試合、エースに見合った活躍が出来たか分かりません。でも、皆んなのテンションを上げるキッカケになれていたなら、嬉しいです。
京大水泳部のリレメンとして出場する事への誇り。強くなった気がして、凄い力が湧いてくる不思議なタオル。
託していただいた事に、感謝しています。ありがとうございました。
可愛い後輩へ
僕が主任を全う出来たのは、皆んながいたから。
偉そうな事を言ってるくせして頼りない僕に、ここまでついてきてくれて本当にありがとう。
今まで話した事・全体の連絡メール・LINE、何か1つでも覚えてくれていたら嬉しいです(笑)
「伝えたい事」としては、この後書いています。それを読んで下さい。
個人的にメッセージ欲しい人は、僕のLINEまでどうぞ。
同期へ
ご飯会とか、飲み会とか。普通の大学生が普通に出来るような楽しい事が制限された世代。
各々のキャラ・良さ・本音を知り尽くすには、共に過ごす時間が短かったのかな。
まぁ何と言おうが、競泳面の同期は8人だけです。
辛かったコロナ禍に始まった水泳部での生活を、最後まで続けてくれてありがとう。
全国公に全員が出場できる世代も珍しいと思うので、あと3日間「僕達らしく」頑張ろや。
これだけ多くの人に恵まれた僕の競泳人生は、かけがえない物になりました。
幸せ者です。
第5章 皆んなに伝えたい事
水泳を続ける中で僕が大事にしていた事を書いておきます。
大きく分けて4つ。メニューのDrill覚えるより簡単ですね?(笑)
1つ目「感謝」
何よりも大事だと思っています。
一緒に練習して、部活以外の場でも仲良くしてくれている同期。
色んな場面で力になってくれる、カッコいい先輩と可愛い後輩。
どんな日でも練習をサポートしてくれる、マネージャーとトレーナー。
学連役員をしている部員や計時役員してくれる部員。
色々と思われながらも、必死に動いているチームの幹部。
頭を抱える事がありながらも(俺だけかな?(笑))作ってくれているメニュー係。
支えて下さる先生方やOB・OGの方々。
遠くからでも見守っていて、誰よりも味方でいてくれる家族。
自分が嫌だなと感じる事に対しても、感謝を持てるくらい大きな人になって下さい。
2つ目「水泳”も”大事にする気持ち」
楽しい大学生。水泳以外にも打ち込みたい事あるよね。分かる。
「今、何をしたいか」「何を頑張りたいか」「何をするべきなのか」優先順位を決めて取り組む事が必要です。
ただ、水泳部にいる皆んなに伝えさせてください。
「心のどこかに、いつも水泳を置き続けて欲しい」
京大水泳部は、水泳に対して一生懸命になれる環境が整ってます。間違いない。
水泳に全力で頑張ろうと思った時に、間違いなく全力で取り組める場所だと思います。
どんな度合いでも良い。水泳も大事にして下さい。
※この辺で言っとこ。幹部の決めたルールには、ちゃんと従いましょう。何してもOK、とは言ってませんよ(笑)
3つ目「自分も他人も大切する心」
愛が引退日記で書いていたけど、自分の頑張っている部分を褒めてあげましょう。
「これが出来なかった」とか「もっと頑張らないと」とか、次への改善点を考える事は勿論必要です。まぁでも、その前に出来た事を褒めてあげた方が良い。
加えて、周りの人も大事にして下さい。
人としてのモラルも、(ネタにされましたが)上下関係も、社会で生きていく中で大事です。
部活の時だけでも良いです。礼儀や敬語。「わざわざ」と感じる事が出来る人になって下さい。
「親しき中にも礼儀あり」です。
4つ目「ありのままに水泳部を楽しむ気持ち」
結局、これに尽きます。
この日記のタイトルの通り、僕が14年間変わらなかったのは「水泳が好きで楽しい」という感情だけ。
「楽しむ」の形は色々あります。
結果に拘って努力を積む。泳ぐ楽しさを感じて練習する。沢山の人と仲良くなる。
色んな目的があって当然だと思います。
「色んな人が集まっている中で、どのようにして同じ方向に進むか」を考えるからこそ、楽しいんです。
模索して、間違えて、改善して、また進む。これが部活を作り上げていく醍醐味かもしれませんね。
4つ目は長々と書きましたが、とにかくこの部活で過ごせる時間を大切にして欲しい。
以上です。
最後に
2回の受験休み(+コロナ禍)を挟んで14年間。やっと水泳と別れる日が来ました。
11月の関西国公立OB・OG戦にはエントリーしましたので、院試が終わったら運動を再開しようかなと思います。
水泳部の練習に継続して参加する事は、今日で最後にします。
新たな京大水泳部のシーズンを、1人のOBとして見守る立場になりたいんですよね。
「裕一朗さんがいなくなると寂しい~」と言ってくれる後輩が多いですが、すぐ慣れると思います。
(本当は寂しいと言ってくれるのが、内心嬉し過ぎて堪らないです。知らんけど。)
試合前になって現れるくらいの感じが、レア感あっていいと思いますよ(笑)
そろそろ締めます。
京大水泳部で過ごした時間は、僕の宝物です。
みんな、本当にありがとう。大好きです。
京都大学体育会水泳部 競泳主任
山本裕一朗
2020⇒2021 努来勝
2022⇒2022 全進
2022⇒2023 青炎
p.s
明日からの全国公、頑張りましょう!
コメントに「Go!京大!!!」添えておいてね!
本日の引退日記を担当します。4回生の山本裕一朗です。
後輩の皆さん。「朗」という字は、変換予測に出るようになりましたか?
3年前、「はじめの一歩」というタイトルで書いた最初の日記。
豆のように小さな字体で、「裕一朗の朗は、佐々木朗希と同じ字だ」とか「日向坂が好きで、アルバムを片手に音ゲーしてる事」とか、本当にくだらない自己紹介をしました(笑)
顔も名前も知らない先輩方のコメントを、肝を冷やしながら読んだ事を鮮明に覚えています。
僕が入部した当初、同期は僕を除いて2名。
初回の日記で本名を名乗らない奴が1名。初回の日記を6行で済ませた奴が1名。
この2人の間に書いた僕は、3年間続けていけるか非常に心配になりました。
今では懐かしく、良い思い出です(笑)
日記を書く事、好きですが苦手です。
書こうと決めた良さげな話も、サシ飯の時に湧き出る深い話も、万人が読む文章では淡白になってしまう。
当たった日には前夜から書く事を考えて、稚拙な国語力を使って頑張ってました。
まぁ、そんなに難しく考える必要なんてなかったんだけどね(笑)
些細な話をラフに出来るからこそ「京大水泳部練習日記」です。
好きな食べ物書いたり、他人の事をネタにして笑ったり、謎の写真を載せたり。
入部当初は慣れませんでしたが、京大らしい文化で好きになりました。
今日で最後。関国の前日みたいに、見返して自分で納得できる事が書けたら良いな。
はい。それでは、書いていきましょう。
第1章 選手として過ごした14年間
(というタイトルですが、非常に長い!簡単にまとめて書きますね)
選手育成コースに入ったのは8歳の夏。ただひたすらに、泳ぐ事が大好きでした。
「回れるサイクルを速くしたい」「ベストタイムを出したい」「姫路の大会で金メダル欲しい」
振り返ると小さな目標でしたが、当時の僕を奮い立たせる理由には十分だった。
何なら「頑張って練習して速くなっている自分、カッコよくね?」って思う、イタい奴でした(笑)
水泳を続ける中で、様々な事を学びました。
プールに一礼をする理由も、先輩やコーチに対する礼儀や敬語も、力を合わせてリレーに出る事の楽しさも。今に繋がる全てを教えてくれたのは、周りの人と水泳そのものでした。
中学校の顧問に言われた「感謝を伝える行動が第一。自らのために積む努力は、その上で初めて意味を成す。」という言葉は、今でも大事にしています。
勉強との両立で苦しい時期もありました。引退5か月前に、決死の思いで移籍も決断しました。
家族と恩師が支えてくれて、最後の近畿総体まで水泳を全力で続ける事が出来ました。
コロナ禍での入学。迷いながらも、大学で水泳を続ける事を決めました。
ずっとスイミングスクールで競技をしていたので、部活動で水泳をするのは初。
入部してから間もない頃は、部活動の雰囲気を勉強して自分の取るべき姿勢を模索してました。
大きなチーム目標を掲げて挑む対抗戦。
「京大水泳部の一員で出る大会、楽しみだな。」
「雄登さんが言っていた。レギュラー種目は、責任を持って泳がないといけないんだな。」
「団体権を取るためにも、自分の種目で決勝に残らないといけないんだ。」
「絶対に点数取れる、と先輩に言ってもらえた。何とかして頑張らないと。」
結果。初めての関国では、芳しい結果は得られませんでした。
周りが抱いている期待に応えようとして入れた気合いは、自分に対しての重圧に変わってしまった。
「思っているよりも、自分は期待される事に弱かったかもしれない。」
自分の新しい一面に気付いてから、水泳に対する気持ちが大きく変わる事になりました。
1.自分の持ち味である「チームに対する熱い気持ち」を、「上に積み重なる力」じゃなくて「後ろから押してくれる力」に変えよう。
2.チームへの気持ちが先走らないように、まずは自分のレースをしよう。
自分のレースをした上で、チームに貢献できるようになろう。
何があっても前向きに捉えて楽しめるくらいの余裕を忘れずに、全開のアドレナリンを添える感じ。
振るわなかったレースでも、反省点と同じくらい出来た点を考えてあげるようにしました。
百発百中で出来た訳ではありませんが、3年間を通して「自分成長したなぁ」と感じる場面が増えました。
京大水泳部の3年で、レースに挑むメンタルを鍛える事が出来ました。
「どの種目でタイムが伸びた」などの結果は、割愛します。
歴代記録とスイムレコードを見れば分かる事やし、引退日記で書くのは必要ないかな(笑)
現役選手として泳ぐレースは、全国公のみとなりました。
最後の1mまで、全力で自分らしく泳ごうと思います。
~ブレイクタイム~
オレンジジュースを飲みました。美味しい。
第2章 メニューを作る・メニューに取り組む
1回生の冬に、メニュー作成の依頼を受けました。週1回のEN練習。
託してもらった事への喜びと同時に、結構プレッシャーを感じました。
Endurance練習の担当。加えて、練習の参加率が一番低い月曜日。
まず第一に「頑張りたいと思える練習内容にしよう」と決めました。
起きる事さえキツい、早朝での練習。
なら、「今日は調子が微妙やったけど、この内容は頑張った」と思ってもらえるようなメニューを作ろうと頑張りました。
後半2年は、メイン・試合前の調整も含めて色々作る担当をしました。
説明の時に「メニューに書いていない意識する点」を口頭で説明して、泳ぐイメージを掴んでもらう事にもチャレンジしました。
(それが理由でマネさんを困らせた事もありましたね。ごめんなさい。)
昨日の練習後にも伝えた事になりますが。
毎回(まずはメイン練習だけでも)の練習前で「意識する目標」を考えておく事と、練習後に「意識できた点」を振り返る事を、大事にして欲しいです。
普段から練習ノートを書いている人には、わざわざ話す事でも無いね(笑)
せっかく練習するなら、自分の力になるように取り組んで欲しいです。
頑張って作ったメニューに一生懸命取り組んでもらえる事が、一番嬉しいんです。
メニュー係として思う事は、大半一緒じゃないかな。
第3章 主任として
「チームの総合力を上げたい」と思い、対抗戦の目標順位は高く設定しました。
高い目標を立てた上で、「実現させてあげたい」と思うシーズンでした。
反省点は多々あります。
優二郎が昨日書いていましたが、最初は厳しく言う事が多くありました。
「言って注意すれば、態度から考え方まで変わるはず」と思っていました。
でも違うかった。
誰もが同じ考えを持っている訳もないし、全員の取り組み方・考え方を完全に変える事なんて1年弱では出来ない。
いや、完全に考え方を変える必要なんて無いんです。
各々が抱いている、水泳への気持ちや姿勢を尊重する事にシフトしようと決めました。
途中からは、皆んなの夢・目標・成長を理解して引き伸ばせるような主任を目指しました。
勿論、選手として強い姿を見せ続ける事は続行しながら。
週オフを作ろうと決めた理由は「週6回に対する義務感を、少し楽にできたら良いな」でした。
部員の皆んなが持っている自主性に懸けましたが、より一段と頑張ってくれるようになった気がします。
後輩には色々と改善すべき点を残してしまったと思います。
それも次の世代以降で改善を進めて、より良い方針を考えて欲しいです。
真新しい取り組みとして作ったからこそ、問題点が見つかったと思います。
トレーニング計画のバラつき・試験期間の出席率など。
僕が主任を務めた「青炎」シーズンは歴史の1ページになるだけで、永久不滅のルールや考え方を作った訳ではありません。
部員にとって何がプラスになるのか。各世代でたくさん考えて、模索して、進んで下さい。
チームがより良い方向に進めば、僕の主任としての役目はOKだと思ってます。