そして3月は遊びまくって浪人生活が始まりました。駿台はレベル別にクラスが分かれていますがなぜか1番上のクラスに入れました。
私の浪人期はもろコロナで、6月までは完全オンデマンド授業。まぁやってはいましたけど、後から考えてみるとあの6月までの2ヶ月はなんもしてないに等しかったです。7月から対面が始まり、6月までどんなけさぼってたのか、と言うことに気付きました。焦。ほんま家では勉強できひん。
浪人の初めの方って、さすがに一年間受験生やってきたんやから模試の判定はいいやろ!って甘い考えを持ってました。一年のアドバンテージあるし高3生には負けるわけにはいかへんと思ってたのに、初めの模試はE判定。その後もDやCばっかり。衝撃的でしたね。
あっという間に夏休みに入ってしまいました、、、受験生にとって勝負の夏。なのに私はいろいろあって、ほとんど勉強できない日が続いたりとか、勉強してても本当に身にならない日々が続いておりました。アホすぎ。浪人生にとって1番大事な夏に自分は何をやってるんだ。そんな気持ちはもちろんありましたが、どうしようもありませんでした。
そして勝負の夏が終わり、新学期。駿台は成績によってクラス替えがあります。私はクラスを落としてしまいました。
わっちたちがかつて通っていた駿台京都校はものすごく頭が良く、京都南校の1番上のクラスが京都校の2番目のクラスと同等で、南校の2番目のクラスは京都校の1番下のクラスと同等くらいでした(私の代にはまだSXクラスがなかったです)京都校の1番上のクラスの人も京大を目指していると言うのに、南校でクラスを落とした私が京大に行けるわけがない。夏休みも思ったように勉強できなかったし、模試もB以上取ったことない。
クラスを落とし、プライドはズタボロ、メンタルは終わってました。
そして新しい担任に、
「もう私京大目指すのやめたいです。」
と泣きながら話したのを覚えています。でもなんと奇跡が起こったのです。ちょうどこの話を先生にしに行った時、夏の京大実戦の結果が返ってきており、なんと、A判定。人生最初で最後の京大A判定。困惑しながらもとても嬉しかったです。そして担任から、いろんな人の逆転勝利話を聞かされ、丸め込まれやすい私はしっかり丸め込まれてもう一度京大頑張ろうと思うようになりました。単純なオツムでよかった。
今まで自分がアホすぎるのが恥ずかしくて質問に行けなかったのですが、勇気を出して物理の神、高井先生の元へ。今までどんな勉強してたのか聞かれて、あまりの私の勉強量の足りなさに高井先生は言葉を失っておられました。
その時私は初めて気付きました。知らん間に苦手科目から目を背けてしまっていたと言うことを。私は物理は特段苦手だったので考えてもわからんことが多く、物理は時間がある時に考えよーって思って後回しにすることが多かったです。結局、時間なんてないので物理は知らん間に放置してしまっていました。
スタディプラスという神アプリ。これがち神。
全教科書を登録して、毎回時間を測って記録してました。満遍なくやってるつもりやのに気づいたらグラフが歪になってるんです。駿台は英語と数学の授業が異常に多かったので必然的にこの2科目が多くなるってのもあり、物理化学はほんまに頑張らないと英語数学以上の勉強量にすることができませんでした。
不思議なもので、苦手科目はほんとに時間が経つのが遅い。めちゃくちゃエネルギー使って解いてるので疲労感えぐいのに、時間にしてみたら全然経ってない。こりゃ今まで物理なんもやってなかったも同然やな。
ここまで意識的に物理を勉強して初めて、少しわかるようになってきました。そしたらあんまり物理が苦じゃなくなってきたんですよね。こんな簡単な問題もわからへんかったなんてゴミやん。アホすぎ。と昔の自分を説教&嘲笑いながら勉強するのはなかなか楽しかったですね。ほんと物理わかってなさすぎて伸び代しかなかったから伸びが良くわかるんですよ。そして伸びるとまた頑張れる。
共通テスト対策は浪人時は現役時よりもさらに遅く、年末あたりから本格的に始めました。最後の模試が610くらい。2年目のはずやのにこの年も模試で700超えることは一度もありませんでした。でも去年クリスマスからで100点以上伸ばした実績があったので自分を信じて、年内は苦手な二次中心に勉強してました。二次試験対策はまじで苦やったので、年末やっと、、共通テスト対策ができる…!この喜びから私のエンジンは全開になり、ノンストップで勉強し続けられました。
ここからの2ヶ月間が浪人で1番楽しかったです。通常授業が終わり、誰とも話す必要もなく、自分のペースで自分のやりたいように勉強ができる。はるなちゃんとは真逆で、友達と話したくなかったんですよね。朝一番に駿台に行って、お気に入りの席を取って、1番遅く帰る。お昼休み以外ほとんど休憩なくノンストップで勉強できる。やってる、と実感できる。1日の達成感がすごい。まじで楽しかったです。
共通テスト前日、緊張で寝れませんでした。緊張で寝れへんってほんまにあるんやってまじでびっくり。寝れない寝れない焦る焦る、、
ゆきかちゃんとりこちゃんの通う、京都女子大学で受けました。周りは女の子ばっかりですごくよかったです。トイレが混むこと以外は!!
1科目め地理はまじで緊張しすぎて、マークシート2箇所くらいずれてるところがあり、見直しで気づきました。危なすぎ。
その後の英語?めちゃめちゃ出題形式変わったけどまぁこんなくらい想定内。なんならめっちゃ時間余ってびっくりしました。でもこれもめちゃめちゃマークシートズレててびっくり。まだ緊張してんの?自分。と嘲笑してました。
英語終わったあと、現役生たちが英語やばすぎ、、あんなに形式変わるなんて…と騒いでて、
「え?そんなむずかったっけ?やはり現役生、甘いね。浪人生の私あのくらい想定内やわ。」と心の中でマウント取ってました笑笑ひどい笑笑
言い忘れてましたが、私はセンターと共テを両方経験した神世代です。
国語の印象は忘れました!
ただ一つ言えることは、共通テストの形式が苦手すぎた!
1年目センター175点やったのに共テ136点でした。二次を含めても、唯一共通テスト国語だけ現浪比較して点数が低くなっちゃいました。
次の日、数学。エ、簡単すぎない?特に2B。簡単すぎてもはや怖い、、数学ガチで苦手やったのになんか9割取れましたね。びっくりしました。
理科。まぁそんな変わってへんなぁ、ただ一つ問題はトイレに行きたすぎる。周りのみんな気散るやろし、めっちゃ我慢したけど無理でした。申し訳ない、、
帰って自己採点、、ホッと。
共通テストリサーチはBでした。見えてきた!!合格が!!
後期は担任に言われるがまま、神戸大学の海洋政策に出しました。でも丸め込まれやすいのであの時はそこそこ行きたくなってました笑笑
そして中期は南利さんの母校、大阪府立大に出しました。工学部、、まじで興味ないけど、国公立大に行く手札が増えるのなら、、てことで。
そこから2次までの期間。去年とは明らかに違う。楽しい。京大の問題、解ける!!わからんとこもいっぱい出てきて不安は募るけど勉強が楽しくて仕方ない、、!
私学は、受けに行ったのは同志社の生命なんとかみたいなとこだけでしたけど、共テ利用で他の学部とか立命とかあと京都薬科大学も出した気がします。同志社は去年より手応えが悪く、去年危惧していた結果になるのではないかとドキドキしましたが無事、出したところは全部合格!まじでホッとしました、、とりあえず大学には行けるぞー!!
そして運命の二次試験、、
前日の夜は緊張でそこそこ寝れなかったけど共通テストほどではありませんでした。
当日…!!↓謎に試験当日お母さんが動画撮ってくれてたのでスクショしました。いい左TStと右ICですね。
この後門をくぐって、
人健棟!
「ただいま!!!!約束を果たしたぞ!!」
と、お得意の厨二病を発揮しながら試験会場へ。
共通テストと違ってなんも緊張しませんでした。この中の半分くらいは同じ大学になるわけやし、顔覚えとこ♪と思って周りを見渡すくらいの余裕がありましたね。受験生の皆さん、緊張してても仕方ないので、ぜひ合格した時のために顔覚えておくことをおすすめします♪ (1人しか覚えてへんけど。笑笑)
まず国語。国語終了時は心から古川先生に感謝しました。一緒に戦ってくれてありがとう。と。私は駿台国語の古川先生のことがガチ恋レベルで好きだったので。
お昼休みに、2年目やからこの辺よーわかるわぁとイキリながらコンビニ行ってスイーツ買いましたね。しかも2個。
問題は数学。
問題開けた瞬間、うわ、全部わかる。めっちゃ易化してる。どれから手つけよ。
心が躍る躍る。で、解き出す。
ん?なんかおかしい。ん??わかりそうやのにわからん。そればっかり。解き方はわかるのに解けへん。1番苦しい。結局多分1冠しかできひんかったと思います。死亡。
あ、終わった。確信しました。こんなに易化してたのに全く解けへんかった。みんな全完レベルやこれ。Twitterみたらみんな全完って騒いでた。
次の日のことなんて考えられませんでした。
それでも、一年目、1日目の帰りに駿台で勉強したので去年の自分に負けるわけにはいかないと、号泣しながら駿台に行きました。
もちろん勉強になんてなるわけありません。かれこれ2年くらい通った思い出いっぱいの駿台、ここであんなに頑張ったのに。お父さん、お母さん、ごめん。応援してくれてた人々全員ごめん。ほんまに、ごめん。百万も払ってもらったのに、お弁当も毎日作ってもらったのに。送り迎えも毎日してくれたのに…私のこと信じてくれてたのに。
たった1人、だだっ広い自習室の1番後ろの席で、号泣しながらもなんとか机に向かってました。
駿台からの帰りのいつもの京都駅。
自分の残像を見ました。朝、張り切って誰よりも早く駿台に向かう自分が、京都駅の階段を足速に降りていく。勉強が楽しいと、嬉しそうに駿台に向かう私。
こんなことあるんやって、びっくりしました。ほんまにごめん。情けなくてごめん…と。
この時の私の絶望した顔から家族全員、落ちたんやなって思ったそうです。
次の日。とりあえず最後まで悔いのないように頑張ろう。
英語。よかった!前の形式に戻った!!!
理科。物理に1時間はかけられるように成長した!しかも何問かはわかる問題もあった!成長!!!化学!構造分析は行けたやろ!
終わった後、1年目とは違って解放感はありませんでした。
でも、
今持ってる力は出せた。自分を紙面に表現できた。
こんなけがんばって無理やったらもう無理や。
落ちてももう二浪はしーひん!
そう思えました。
受験生のゴールってここやと思う。こんなにやって無理やったらもう無理、って思えるところまでやる、そこが受験生の目指す場所やと思います。
次の日から中期後期の勉強始めました。もちろん朝から晩まで駿台にいたけど半分以上はぼーっとしてました。大阪公立の問題、工学部やからやっぱ理科が難しいんですよ。
3/8。試験はボロボロでした。京大受かったので開示はなかったけど多分落ちてます。
そして運命の3/10。12時。
三角座りでリビングの端っこでうずくまってました。早く早く〜と急かされるけどまだ現実から目を背けたくて、どうせアクセス集中してるし。と言って家族に背を向けてました。
30分後くらいに流石に繋がるか、と思ってアクセス。私の受験番号は2130。
前の人が受かってるとも限らないので自分の番号がいきなりくる可能性もある。なんならいきなり飛ばされる可能性もある。
2128...
2129…
あるとすれば次、、、(このハラハラ感味わえてよかった笑笑)
震える手。
2130
え、、、、!!自分って2130やっけ?と何度も受験票と見合わせる、あった!!!!!!あった!!!!!!!お父さんとお母さんと3人で肩組んで円になって号泣して喜びました。あまりのうるささに二階で就活の面接準備をしてたお姉ちゃんも合格したのわかったらしいですね。12時に見てたら家族みんなで見れたのに、お姉ちゃんすまぬ…!!!!
応援してくれてた全ての人に報告できるのが嬉しくて仕方なかったです。特に後期の担任かな。担任があの時止めてくれてなかったら私はここにいなかったし、担任には頭が上がらないです。その担任に合格報告できるのは幸せそのものでした。
また、頑張ってきた過去の自分に、今の私が合格という結果をもたらせたこと、とても嬉しかったです。
そして19歳で京大に合格できたのがとても嬉しかった。というのも羽生結弦がソチオリンピックで金メダルを取ったのが19歳やったんですよ。やから私も19歳で何かを成し遂げたい。その目標が京大合格でした。それを達成できたのが自分として本当に誇らしかった。
やはりでも1番は家族です。どんなに不機嫌で帰ってきても、どんなに自己中な態度を取っても、どんなにわがままを言っても私のやりたいようにやらしてくれた家族。勉強さえしてればいい、そんな快適な暮らしを提供してくれた家族。私を信じて、浪人をさせてくれた家族。ただ勉強をしてるだけなのに、偉い偉いと褒めてくれたお父さん。高校生活、浪人生活毎日朝も夜も送り迎え、朝ご飯に、お弁当、誰よりもそばで支えてくれたお母さん。基本的にはそっと見守ってくれ、何も気にしてないように見えるけど周りの人に自分の妹はすごいんだと自慢してくれたり、私が話を聞いてほしいと頼めば友達との電話を切り上げて夜遅くまで話を聞いてくれたこともあったお姉ちゃん。この世界一の家族がいてくれたからこそ乗り越えられたと思います。まじらぶ。そんな家族に合格報告をできたことが、まじで人生トップレベルで嬉しかったですね。
↑お母さんが作ってくれてた日めくりカレンダーです。毎朝これをめくるのが楽しみでした。お母さんからのメッセージや誰かの名言など、私を励ましてくれることばかりで、本当にありがたかったです。2年とも作ってくれました。まじ神家族。
結果、2021年は私の人生にとってかけがえのない一年となりました。浪人は1年以上の価値がある、といいますがほんとにその通りだと思います。
私独りでは決して見ることができなかった景色。
本当に周りに恵まれ、神助にも恵まれたと思います。
高い壁の向こうには、素晴らしい世界が広がっていました。
みんなに見せてもらったこの景色。感謝してもしきれません。
一浪人健は京大生にはよくバカにされますが、2年かけて目指しただけの価値が人健にはあったと思います。やはり授業が楽しくて仕方ない。一浪したおかげで水泳部ともご縁があり皆さんと出会うことができました。現役やったら絶対水泳部と巡り合ってないから。
「一浪人健しか勝たん。」
心からそう思えるほど、一浪で人健になんとか滑り込んだことを誇りに思ってます。
やっぱり羽生はゆづっても、第一志望はゆずれない。ゆずってはいけないと思います。自分のやりたいことがある大学に行くこと、それが大事だと思います。
ま、でも私は浪人して合格したから浪人はいい、と思えているのかもしれません。
浪人して全員が受かるのなら、全員浪人すればいい、でもそうはいかない。なので一概に浪人がいいということはできませんが、もし合格に届かなかったとしても越えられるか越えられないかもわからないような壁に向かってがむしゃらに頑張る日々は、きっと誰にとってもかけがえのない日々となるのではないかと思います。
最後に。
目の前に立ちはだかる高い壁は越えようと思っても越えられるとは限りません。でも越えようとする人しか越えることができません。最後の1秒まで、越えようという気持ちを忘れずに、頑張ってほしいなと思います。こんなに頑張れるのは人生でもうない人が多いと思います。あともう少しの受験生生活存分に謳歌してください。
4月から皆さんがどんな選択をとってもきっと未来は明るいです。
全人類の幸せを心から願っています。
長すぎる文章をここまで読んでくださった方、ありがとうございました。すき。
誰かの頑張るきっかけになる、そんな文章になってたらいいなと思います。
木曜日の日記はひらはるちゃんです。
1回生の数少ない現役生の一人。どんな日記が誕生するのか楽しみです♪
質問は、水泳部で一日だけ入れ替われるならだれになりたい?でお願いします!
私はあきひろくんです。
やばいもう3時や。
それでは。
2023→2024
総乱舞・:*+.\(( °ω° ))/.:+
1. ビート板バンバン、あんなに楽しそうにやってくれるスタッフ初めて