お疲れ様です。今日の(2/3)日記を担当させていただきます、廣瀬陽菜です。
上げるのがめちゃくちゃ遅くなってしまうと思います。すいません。帰って一息ついたら眠くなっちゃので少し昼寝しようと思い布団に入ったら6時間寝てしまいました。ごはんとお風呂優先したらこんな時間に…
何とかしたいと思っていることをちょっと書いてみます。
春休みに入ってから時間ができたので寝る前にストレッチを始めてみたのですが、体を伸ばすと乾燥で皮膚が割けそうです。何とかしたいです、痛い。
これまた春休みに入ったので、家にたまりまくっているペットボトルや発泡スチロール、そしてごみ袋からあふれ出るほど大量の豆乳パックを早く何とかしたい。きれいな玄関を取り戻したいです。
春休みになったらキッチンのシンク下の収納や洗面所の下の収納を買いに行きたいな~あ、そういえば水泳の帽子も買いに行かなきゃ。あ、シュノーケルも欲しいと思ってたんよね~あ、みんなが試合でよく使ってるあのコロコロするやつも買いたいんだよな~髪も切りに行きたいな~ ということでお金が足りない。何を優先しよう。。。
まあこのくらいにしといてメニュー行きます。
ネ申 by 中堂
W-up 50*8*1 1-4t: Fr , 5-8t: IMO
Agility 25*4*1 5回壁キック→ターン→15mハード
Drill/Form 50*12*1 Contents Free
Kick 100*4*2 1set:Descend 2set:2H1E1H
Swim 200*3*1 hypo 3-5-3-7 by 50m
200*3*1 Speed keep
200*2*1 Negative speed
100*1*1 Hard
Down 300*1*1 ボビングも可
メニュー係の方々、いつもありがとうございます。テスト中もみんなと同じように忙しいのにメニュー作ってくれてありがとうございます。マネさんもトレーナーさんもお疲れ様です。ふとした時の声掛けやタイムの読み上げがすごく支えになっています。
今日も200のスイムでした。私はわりと200のメニュー好きなんですけど、ここ1週間は調子が悪くて、200いやだぁぁぁぁって感じでした。
今日もドリル終わった段階で全然いい感じじゃなかったのでまあCで速く泳いで休憩長めにっていうやり方でいこうって思ったのになんかわからんけどBでいく人ーって言ってるの聞いて手挙げちゃってました。2:50回れないのに。結果はラスト一本以外は案外まわれてなんかよかったです。Negative speedは全然できなかったけど。ハイポもターン前後全然回数守れてなかったけど。途中でもう止まっちゃいたい衝動を何とか抑えて泳ぎ切りました。結構頑張れたんじゃないかな。
でも最後の100のハード、ひらはると2秒しか違わなくて焦焦してます。彼女プルも私より全然速くて負けそう。怖い。。。まあ焦らずゆっくりやっていこうと思います。
そろそろ合格体験記書きます。私は浪人なんで不合格体験記も交えながら時系列に沿って書きます。平凡ですが読んでいただけたら嬉しいです。参考になるようなこと言える気がしないけど。あと私改行苦手なんでお許しください。
私が学生時代を勉強メインで過ごすことになったのは中学受験がきっかけでした。気づいたら塾に通ってました。で気づいたら自分でも行きたい中学できてました。で気づいたら勉強してました。塾で友達作れなかったのがちょっときつかったけど、何とか最後に伸び期が来て合格しました。第一志望の試験の前にあった、第一志望よりも偏差値低い中学の不合格通知みたときはさすがにメンタルにきたけどなにはともあれよかったです。
中学では水泳部に入りました。元々は茶道部に入りたかったのですが、高校からしかなくて一旦中学は違う部活に入ろうってなりました。そしたら中一の時のクラスで前の席に座っていた子から水泳部気になっているから一緒に見に行かないと誘われ、見に行って、理由は思い出せないけどなぜか入部してました。
入ってみたら、三年間すごく楽しかったです。そんなにきつい部じゃなくて、冬は陸トレのみでスイムはがっつりオフ。夏休みもたしかお盆休みがありました。勉強といい具合に両立もできて、ほどほどで楽しかったです。その勉強はというと、中二の一発目の定期考査で突然校内順位一桁を獲得してからそれをキープするのにはまってそのために勉強してました。水泳は一個下にめちゃ速い後輩も入ってきてくれたおかげで最後まで自分のレベルの低さを感じながらも与えられた練習メニューを最大限頑張ってそれなりには速くなれました。
中高一貫だったので高校生とプールは分け分けして使っていて、中学を夏に引退したら、正式に高校で入部するまで高校の練習に混ざれるみたいなシステムだったのでそのまま泳いでました。できづいたらそのまま入部してました。あれ、茶道部はいりたかったはずなのに笑
高校生になりました。練習は中学とは比べ物にならないくらいきつくて、でも同じくらいのタイムの人もいていつも競れて、どんどんタイムも伸びて楽しかったです。勉強に関しては、家だと勉強できない!!!ってことで高1の夏から家の近くの東進に通わせてもらいました。部活して帰ってご飯食べてから行って2時間くらい勉強するってくらいでした。眠くて毎日ウトウトしてたので結局2時間も勉強できていなかったとは思います。そんな感じで高1までは過ごしました。この時すでに数学が置いてけぼりになってました。定期考査で数学を勉強していたら他の科目をほとんど触れない。え、時間が足りない。どうしよう。ここで私がとった策は、他の科目は普通に勉強する。数学は解法見るだけ。そのままテスト突っ込んで欠点だけ回避しよう。というものでした。欠点とったとしてもこれはやっちゃいけませんでした。理系に進もうと思っていたのに数学自分で解かないままってのはちょっとねぇ。。。まあでもしょうがない。今振り返っても手一杯だったなあと思いますし。
高1の最後の定期考査直前、コロナが流行りだしました。定期考査がなくなって最初は万々歳で過ごしてたんですけど、部活もない、学校もない、スイミングにも行けない、東進にも行けないで、おしゃべりロスでメンタルきつくなってきました。気が向いた日は朝走ってたんですけど、虫が大の苦手な私は公園でハチと遭遇してから怖くてそれもできなくなり、毎日筋トレもしていたけどごはん食べる量が以前と変わらず激太り。5キロ増だったかな。さらに怠惰な性格の私は誰にも見張られていない中で勉強を続けることができなくて毎日メジャーを読んでばかりいました。この期間勉強してなかったのが現役で落ちた理由だと思います。
学校が始まって、一つ上の代の先輩との最後の大会もないままに自分たちの代が最高学年になりました。長いこと泳いでなかったり、体重増えて体が重くなってて泳ぎにくさを感じたりで大変でした。私らの代はうまく部をまとめれていなかったので、顧問の先生がよく怒るようになり、練習の雰囲気が悪くなりました。あ、これやばいと思い、それから先生が怒らないようにとばかり考えてしまい、ほとんど練習に集中していませんでした。帰っていつも通りに塾に行っても、なんで今日先生あそこで怒ったんだろうとか、なんであのとき注意できなかったんだろうとか、なんであの時一番に謝れなかったんだろうとか、なんであのタイミングで返事しなかったんだろう、てか返事のことでそこまで怒んなくていいじゃんとか明日はどんなふうにすれば怒られずに済むだろう、機嫌いいといいなとか色々考えてしまい、勉強も集中してませんでした。切り替え力がありませんでした。
勉強は相変わらず数学が置いてけぼり。地理はめちゃくちゃ楽しい。このころから周りが勉強するようになって焦り始めました。焦ってるだけで特に行動が変わることはなかったんですけど。とかいってたら高2の冬にもともと少し痛かった腰が常に痛いに変わり、キックの時に痛くてしょうがない。しかも陸トレでやるランニングでどうしても脛が痛くて走れなくなりました。でも痛いからといってセーブして走るといつも勝ててる人にどんどん抜かされるし、セーブという行為が頑張り切れてないみたいで嫌で嫌でしょうがなくてでも全力では走れなくて、このあたりでひっそり第一メンブレ期を迎えてました。相談できる人がいなかったのがしんどかったですね、たぶん。
冬休みと春休みでようやく受験勉強を始めようと思いました。得意科目はなく、全部苦手科目。数学は超苦手科目。という状況でした。東進へは自習室目的で通い始めましたが、一応授業も取らないかんみたいな感じで、物理と化学をとっていました。あれ、一コマ90分だったかな?そのあとに確認テストみたいなのもありました。でも平日は眠いし集中してないしで全く授業が受け終わらない。ということで受けなきゃいけない授業がたくさん残っていました。まずその消化から始めて、、、その消化で終わりました。。。。あれ、何やってたんだ?今自分でも書いてみてびっくりしました。英単語はだいぶこの時期にやれたのは覚えているけど他にやれたことを思い出せない。
高3になってしまいました。高2までに国数英を完成させるのが重要みたいですがこの時の私に完成してる科目などあるはずもなく、ゴールデンウィーク入る直前の河合のマーク模試もとってもやばかったです。あ、ちなみに志望校を京大にしたのは高2の一学期くらいだったと思います。最初は近くの薬学部に行きたいなと思っていましたが、食品に対する興味と以前公開講座に行ったときに食後でウトウトしだす学生を前にすっとお菓子を出してきて休憩を提案した先生のおおらかさに惚れたからです。勉強しなきゃですが、ゴールデンウイークの練習から、今まで勝っていた後輩によく負けるようになって第二メンブレ期を迎えました。追い抜かされる時ってホントにメンタルしんどい。まあそれまでの練習に集中できていなかった私が悪いんですけどね。あと二か月で終われるから頑張ろうと思いながら練習してました。なんかこの時期までは勉強やばいの知ってたけど、部活の悩みあり過ぎてあまり真剣に向き合ってなかったです。
最後の試合、もうベストは無理だと思っていたので、県大会に行くことをただ目標にしていました。リレーは切れたけど個人は一種目も切れずに終わりました。あとちょっとだったのでもう悔しくてしょうがなかったけど、部員みんなで交代で書く日記に、やりきったから後悔とか悔しさとか全くないって強がって書いてたなぁ笑 完走できただけ頑張ったか。結局県大会でのリレーでもベストは出せず、でも高3になってからは一番いいタイムで泳げたのでギリ自分でも納得のいく形で終わることができました。まあ大学で水泳始めたのはやっぱり未練があったからなんですけどね 勉強とセットで書こうと思うと暗い面ばかりになってしまいましたがそれでも楽しかったです。先輩も後輩も同級生もいい人たちばかりで、本当に恵まれました。
ようやく終わって夏休みからやっと今度こそ受験勉強始めました。遅すぎです。過去問一年分解いてみて、数学と物理化学は当たり前だけど全然解けませんでした。数学は学校の先生が基礎固め用に進めてくれた青い薄い問題集(名前が思い出せない)の続きを進めました。続きというのは、それよりもっと前に薦めてくれていて買って途中までやっていたからです。化学は有機やらないといけなかったんでひたすら有機をやって理論や無機は過去問だけで、物理も習いたての分野は問題集でやり、それより前にやったところは過去問だけでやってました。英語と国語は過去問解いてました。あと英語と古文の単語帳やってってぐらいでした。
夏休みも終わり、数学の過去問を解き始めました。前よりはましになったけど、それでも誰でも解けるような簡単な問題しか解けず、200点中40点くらいしか取れないのが普通で60点あればいいほうでした。冠模試も第一志望じゃない学科でDで共テ模試と合算でCとかにはなったけど第一志望だった食品ではEばっかだったような気がします。なんか河合の共テ模試だけ相性が良かったのかだいたいCでした。成績は全然だったけど、周りもやばいって言っている人たちが多くて共有しあいながら特にしんどいとかはなくて淡々と勉強するって感じでした。
12月くらいから共テの勉強ばかりにしました。数学と英語はだいたいは解けて、物理化学は解けるときもあれば全く解けないときもある、国語と地理はひどい点という感じでした。数学と物理化学は配点が低めなので、国語と地理ばかりやっていました。でも国語は過去問を解くことで何かコツをつかみたかったけど結局つかめず、地理は何でかわからないけど過去問を買うという考えにならなくて、東進の大門別演習っていうやつをずっとやっていました。ただ暗記するだけみたいな感じでした。まあ国語はいいにしても地理は過去問買わなきゃいけなかったですね。去年の共テや試行問題は一応解いていたんですけどただそれだけで、傾向とかも全く把握していませんでした。科目の中では一番好きで勉強するのも楽しかったけどやり方を間違えたように思います。
そのまま共テを迎えてしまい、1科目目地理、解けない。わからない。国語、いつも通り解けない。数学、1A撃沈、2B解けた。理科、記憶がない。合計625くらいでしたたぶん。でもそりゃそうだよなあくらいにしか思わず、そのまま出願しました。で二次の勉強。東進は午後からしか開いてなかったので、朝いつもと同じように学校へ行って勉強してました。友達とお昼一緒に食べて少し話すのが楽しかったです。この時もきついとかなくてただ勉強してるだけでした。理科もようやく過去問少しずつ解けるようになってきて、むしろ楽しいくらいでした。結果二次試験の前までに解いた過去問は、英語と国語10年分一周と解きなおしで2年分くらいずつ。数学と物理化学は10年と解きなおしの二周目で半分くらい。量が足りないのは知ってましたが、もう手元にある10年分ずつでいいやと思ってました。今から新しいのやるよりこれまでに解いたところをちゃんと解けるようにしようって思ってました。
二次は数学はやっぱり全然解けず、でもどうせ解けないだろうなと思っていたので焦らず、他の科目を普通に解いて終わりました。もうどこの学科でもいいから受かっててほしいなと思いましたが、出した5学科全部落ちました。こんなんで受かるわけないかと思っていたので納得でした。一応一時間くらいは落ち込んでたけど、落ちたら浪人させてくれると両親が言ってくれていたので、お昼食べたら塾探して夕方には同じように落ちた友達を浪人生活に一緒に引きずり込もうとまでしてました。河合か駿台かで迷っていましたが、授業受けに入ってみたり説明会行ってみたりして、駿台の説明会で話す人の品格溢れる感じに惚れてそっちに決めました。ほんとどっちでもよかったんですけど。
三月はちょっと勉強して、他は遊んでました。現役の二次まででやりたかった勉強が全然終わらず勉強モチベが余ってたので物理ちゃんと一周復習しようと思い、持っていた問題集の中で一番ページが開きやすくてやる気が起きる物理にエッセンスをやりました。重門持ってはいたけど、マジで解けなかったので一歩前から始めました。化学は苦手分野をリードαでやり直してました。こっちは重門でもよかったんですけど、ページが開きにくいのがストレスでやりたくありませんでした。二次の結果は国語と理科6割。英語半分。数学55点/200点。数学以外は意外と普通でびっくりしました。さすがに次は受かるでしょと思いました。
浪人生活スタート。こんなにバカなのに一番上のクラスでびっくり。誰か私の成績に勝手に点数足したんですかね?最初はよくわからなかったけど数学の先生が言ってました。ここはまがい物のSXだって。あーそーゆ―ことかと思いました。頭いい人もたくさん中にはいるだろうに私みたいなまがい物が紛れ込んじゃってこんなこと言われて申し訳ないなと思ってました。まあまあ、そんなことは置いといて、授業は控えめに言ってめちゃくちゃよかったです。知らないことだらけで楽しかったし、話も面白いし、毎日塾に行くのが楽しかったです。授業で何度感動したことか。。。ちなみにお気に入りの先生は物理の新田先生です。めちゃくちゃわかりやすい。お昼直後でいつも眠かったけど。そして何よりかわいい。。。見るからに物理やってますよっていう感じじゃなくて、物理たしなんでますみたいな雰囲気もすごく好きでした。模試も浪人だからだとは思うんですけど初Bを記録したり、なんとAが出たりで、ほんとに楽しいだけの半年でした。授業受けて19:30くらいまで勉強してかえってご飯食べてお風呂入ってわからんとこちょっと考えたりして寝るっていうサイクルで生活してました。
夏休みになって講習を多めにとっていた私は普段とそんなに変わらない生活をしてました。時間もいつも通り。やることもその授業の予習と復習だけ。でも過去問やらなくて大丈夫かな。とふと思い急に不安になりました。冠模試もあるのに、え、やばいかもしれん。って思ってました。担任の先生は去年一回解いてるんだからまだ始めなくて大丈夫って言ってくれたのでその言葉を信じてとりあえず過去問は置いときました。前期にはたまにあっていた友達もほとんど会わなくなり、もともと話せる人が4人しか塾にいないうえに夏休みは授業が被るとかもなくてそっちのおしゃべりロスできつくなりました。朝行ってきますしてからご飯まで一回も口を開かないことも多くて、ご飯食べるときに悲しくなってました。先生の授業中に行う問いかけだけが家族以外でする唯一の会話でした。会話っていってもしゃべってるのは先生だけでついに限界を迎えて一足先に大学生になっていた友達に電話しました。すっごい楽しくて、しばらく頑張れそうって思いました。この時に現役の時きつくなかったのは周りに友達がいてくれたからだったんだって気が付きました。あれですね、大事なものは失って初めて気が付くってやつ。めちゃくちゃ実感してました。その子が同志社だったんで私が京都受かって一緒に京都で遊ぶっていう話をたくさんしてモチベ維持してました。後期直前にコロナにかかるってこと以外は結構順調に進みました。健康第一。
後期も前期とほとんど変わりませんでした。ただ土日に共テの地理と数学の二次だけでいいから過去問をやりたくなってそしたら授業の復習をする時間が無くなって、復習のやり方を変えたことぐらいです。授業受けたその日のうちに、電車の中でノート見返すだけにしてました。やっぱり解きたいって思ったものだけ週末に解きなおしてました。これがうまくいきました。これを提案してくれた担任の先生には感謝しかありません。この年は12月の最後の週くらいから共テに全シフトしました。地理も何年分かわからないけど買った過去問にある問題は2周は解いて、それでも間違えところは付箋貼ってちょくちょく見直してました。直前講座で解いた問題も何回も見直しました。社会は100点そのまま入るのでめちゃやりました。地理好きだったし楽しかったです。ただ、半分に圧縮される国語が本当にできない。時間をかけたら解けるんですけど、文章を読むのが遅すぎて、現役時代と合わせて時間内に解き終わったのは3回だけです。いつも5分くらいで最後の大門解いてました。語彙だけ解いてあとはマークシート埋めてただけだけど。
その状態のまま共テ突入しました。会場は家から割と近い少し古びた大学で、トイレが和式だったのに驚きました。そんなに緊張していなくて感触としては地理は普通でした。国語がもうほんとにやばくて、大門2を最後に解いたんですけど、なんか問題数多くない?めくってもめくっても選択肢が並んでるやん、え。終わらん終わらん。って感じで勘だらけで終わりました。あ、もうダメやと思いました。切り替えて英語はできたので良かったです。二日目、数学と理科は去年みたいに難しいだろうと思ってたのでかなり緊張して解き始めましたが、簡単だったので助かりました。私は簡単な問題だと同じくらいのレベルの人よりもできるけど、難しい時は人よりできないっていう人だったのでラッキーでした。自己採点をしたらびっくり。国語の勘が当たりまくって自分史上最高得点でした。何点か忘れたけど。合計も去年から150点以上上がって(簡単だっただけですけど)リサーチもAとかBとかでうまくいきました。勝因は国語で勘がさえたことです。
楽に二次まで過ごせそうだと思っていましたが、二次の過去問を全科目本格的に解き始めたら大して解けない。あ、青本使ってました。授業してくれてた先生が解説書いてることが多くてやり方を統一できたからです。もちろん現役の時よりは解けるようになってました。数学で二問しか解けないとかそんなこともなくなっていたけど、常に6割はない。理科も全く分からない年もある。なんか、基礎レベルは上がったけど実力がついた感じはあんまりしていなくて、よく考えたら模試も全部偶然よかっただけかも。共テだって運で取れた点だし。とかいろいろ考え始めちゃって授業以外の勉強で集中できなくなりました。このころ英語ノイローゼになったみたいに英語が急に嫌いになりました。物理の演習で横に座っていた人がめちゃくちゃ早く解き終わっていて心がへし折られかけたりもしました。私ができないだけでその教室にいただいたいの人はきっとできてたと思います。まあその隣の人、大月だったんですけどね笑 お昼ご飯の時にしゃべっている人とか、自習室の外で問題教えあってる人とかもいて、やってること勉強だけど人と話せてるのうらやましっとかも思ってました。まあその自習室の外で問題を教えてあげていたのは大月ですけど。塾に4人話せる人いるって書いたけど、うち二人は男の子で一緒にご飯食べよーとかはちょっと違うし、他の二人は自習室に来てるかどうかも知らなかったので、何ともって感じでした。とにかくまた友達としゃべれんストレスと戦いながら一週間前まで過去問解いてテキストと見合わせて復習してって感じで過ごしました。そのほかでやったことは英単語と、あとは息抜きで夜ご飯の時に録画したMステとかコナンとか見てました。あと、この1年は帰ってから友達に話せない分弟たちとよく話していて、なんか前より仲良くなりました。いいことだ。
直前一週間は信じられんくらい病みました。名古屋駅と塾との間、あとは帰りの電車とかでなんか勝手に涙出てくるようになっちゃって大変だったなぁ。二日三日前くらいに誰かに頼らんとやばいと思って担任の先生とゆっくり話して結局落ち着いて受験いけました。ほんとに相談しに行ってよかった。私はこの経験をもとにそれからは限界を迎える前に早めに誰かに相談するってのを心がけてます。周りの人たち、愚痴とかたくさん聞かされてると思うけどごめんなさい。それ減る予定ないです。
受験当日は緊張でなのか椅子が硬かったからなのか割れそうな腰の痛みに襲われてうわうわって思いながらテスト受けてました。ホテルでお母さんがめっちゃマッサージしてくれて、シップ貼ってくれたりとかして乗り切りました。二日目はちょー頭が痛くて、やっぱり腰も痛くてやめてよっっっっ!!!!って思いながらテスト受けてました。この年は簡単だったんですよね?たぶん。化学で炭素数数え間違えてパニックになって全然解けない。ってこと以外は普通に解けたと思いました。だから結構ルンルンで帰ってました。
でも問題が簡単だったってことを知らないまま帰ったので、塾で仕入れてきた「今年は簡単だった」という情報を悪びれもせず私に伝えてきた弟よ、お姉ちゃんびっくりしたよ。あ、そうなん。じゃあ普通にやばいやん。って一瞬でルンルン消えました。しかも再現答案あるじゃないですか、あれ私はよりによって化学にあたっていて、炭素数事件の起こった問題を解きなおしたら思っていた以上に間違っていた。有機から解く派の人だったのでそのまま理論もつぶれてました。化学が今年で一番成長できた科目だと思っていたのに半分絶対なさそうで、そのままトイレで大泣きしました。帰ってお母さんになんて言おう、これじゃ一番下の学科も絶対通ってないと思いました。そこから中期の勉強しなきゃいけなかったけどもうどうでもよくて実際の二倍くらいの時間かけて過去問だらだら解いてました。っその中期受けに入ったら隣の席が同じ学校の現役の子で、知らん子だったんですけど制服でね。1科目目の英語、すんごいスピードで解いてて、あー医学部の子が滑り止めでここ(薬学部)受けてんのかなぁ、もう解き終わったの、あれ私浪人してるんだけど?まだ全然解き終わってないんだけど?って落ち込んでました。やっぱ受かってなさそう。英語もできないんじゃん。って思ってました。発表も全部終わって一息ついてから会った後輩から聞いた話によるとその子帰国子女だったらしい。なんなんよー焦らせんどいてー
結果、京大食品、合格。
え?ほんとかって思いました。農学部に受かったことだけでも驚きなのに何で食品受かってんの。。。あの化学をカバーできたのは何だったんだろう。あ、運だ。共テも二次も簡単な問題だった。私が人より得点しやすい状況だった。共テの国語も運だった。そう、きっと私は運で受かりました。ついてなかったら少なくともこの学科には入れていなかったと思います。お払いしといたのがよかったのかな。お守り常に8個持ち歩いてるのがよかったのかな。全部たまたまかな。色々考えたけど、とにかくうれしかったです。家族はもちろん、浪人期にずっと遠くから励まし続けてくれた友達、塾の先生、東進の時の塾の先生、部活の先輩や後輩、いろんな人がおめでとうって言ってくれました。支えてくれてた人の多さに感動しました。みんな、ありがとう。
ざっと上を見てみたら長い。書きすぎた感あります。読みきってくれるかな笑 私が何か受験生に言えることを挙げるなら
1.友達大事。爆発前に相談する。
2.本番には湿布と頭痛薬を持っていく。
3.神頼みも忘れない。
4.隣の人がめちゃできてても気にしない。帰国子女かもしれんし、まれにいるその学部に見合わないくらい出来のいいやつなのかもしれない。
ってことくらいです。勉強そのものについてはもっと賢い人の体験記参考にしてください。
最後に、浪人した1年はすごく成長した1年でした。コロナの自粛期間できちんと勉強していたらもしかしたら現役で合格したかもしれないけど、浪人したおかげで勉強するのが楽しいと思えたり、レベルの高い人たちを近くで感じたり、一科目一科目、1年前よりはるかに深くまで学べたと思います。浪人することを当たり前のように受け入れてくれたお母さんとお父さん、ほんとにありがとう。中学も高校も私立、小学校から浪人まで高い塾費を出し続けてくれて、そのおかげで自分が努力するだけで第一志望の大学に入れました。これからも仲良くしたいと思える人たちとも出会えました。ありがとう。
もしこんな長い日記を最後まで読んだ受験生がいたときのために。。。
頑張ってください。ワンちゃんの逆転合格を狙っている人も、共テ良くて二次までそわそわしてる人も、いつも通りに行った人も、落ち着くことが重要だと思います。残りの時間、できる限りのことをやってテスト本番でミスと焦りを抑えれば大丈夫だと思います。応援してます。今ほんとに毎日充実してます。楽しみにしててね。プールで待ってます!
長くなりましたが以上で終わります。合格体験記なのに振り返り過ぎてしまいました。しかも自分語りばかりになってしまいました。すいません。。。
質問ないけど、もうこれ以上書くのは気が引けるので、次の人向けに用意するだけにしときます。次は竜飛です。質問は普段の服は何パターンで回しているかでお願いしま~す。
今度こそ以上です。ありがとうございました。
2023-2024 総乱舞
1. 全身に化粧水を塗りたくりなさい