お疲れ様です。一回窪田です。投稿が遅くなりすみません。
今日はアクアリーナの夕練、明日が朝練で日記を書く時間がなく、それなのに合格体験記の回なので書き溜めておきました。
自分は話すにも書くにも脱線が多く(話を実況中継しているみたいと言い表されたことがある)、頭の中身を大放出するとたぶん文字数制限超えちゃうので、結構推敲したつもりです。それでも読みにくかったらすみません。
まず、今日のメニューです。幸登さん作。
▶突き抜けたら 見つかると知って(EN & Sprint)
W-up 50*8 1-4t Ch, 5-8t IM 25K-25S
Agility 15*4 IM Max Tempo(G5) By 2Cycle From Float (W:12.5m)
15*2 Ch Max Tempo(G5) From Float (W:12.5m)
Kick 100*4*2s IMO Fly: 1Breath/6Kick
Ba: 8t Vassallo/Push
Br: 1Breath/3Kick
Fr: 3Breath/25m
50*6 Dol Efficiency (Kick Count) / Fast by 1t
Drill 50*8 S1 Make Form
Swim 25*4*2s Fr No Breath Hard
50*3*2s Ch Des to Hard
50*3*2s Ch Hard Hold
※ラストセット短縮
25*2
50*3 Des to Hard
Down
メニュー係さん、マネージャーさんトレーナーさんをはじめ、いつも京大水泳部を支えてくださっているみなさんありがとうございます。
今日の練習では、最近の50 Fast Holdで前後半のタイム差が課題だったので、それを意識して取り組みました。今まではタイムと体の出力をセットにして考えてばっかりだったけど、前に進もうっていう意識を強めたらタイムあがった気がします。
合格体験記?
↓
今までの振り返り
(下線は受験生向け??の内容です。)
堀さん、お誕生日おめでとうございます!!二十歳存分に充実させてきましょう!
そういう自分も昨日、やっとはたちになりました。余裕ある人間であることが目標です。
京大水泳部練習日誌、特に合格体験記は現役・浪人と2年間お世話になりました。これを読んで焦ることもあれば、背中を押してもらえる言葉ももらいました。
先ほども書きましたが、話の脱線が多いので、自分の思うことを全部書いたら黒歴史確定です。誰に何年後にみられるかもわからないので、練習日誌はほんまデジタルタトゥーやなと思います。
それでも、二十歳を節目として大真面目に受験生活を振り返り、今しか書けない言葉を存分に書いていきたいと思います。長くはなりますが、この中の一部でも受験生をはじめ、誰かに届けばうれしいです。
はい、さっそく前置きが長くなってしまいました。書き方に迷いましたが、時系列が分かりやすいと思うのでそうさせていただきます。
あと、自分は合格体験記という形がちょっと苦手です。なので、勝手ですが、今までの振り返りとさせていただきます。そのため、成績や勉強法とかの話よりも、心持の話がメインになることをあらかじめお断りさせてもらいます。
それと、僕の日記を楽しみにしているといろんな人に言っていただいてましたが、仮面でも何でもなく、ただ凡人が浪人したってだけです。それでも良ければお読みください^^
<高校入学まで>
生まれは京都市・左京区です。運よく教育大附属の小中学校に通うことができ、中学卒業までのびのび育ってきました。小2あたりで今の元田中に引っ越しましたが、京大を意識してのことでは全くないです。
水泳に関して言えば、中学で日本海遠泳があることに備えて小1の1月から始め、高学年から選手コースに呼んでいただきました。でも、他のことを言い訳にして練習頻度を下げていました。今でももっとあの時真剣にやっていればなあと少し後悔です。
中学ではコンピュータ部にでも入ろうかと思っていたら、小6の担任の先生に水泳やってみ!!!と一言アドバイスを受け、部活に入りました。
水泳の向き合い方をはじめ、普段の考え方まで変わってきたのは中学の水泳部に入ってからです。水泳部では、部活でやる水泳の面白さを教えていただき、一気に水泳が楽しくなりました。うまく言葉にできないけど、高校・大学で水泳をする原動力になっています。「どうしたらもっと速くなれるのか」に始まり、「どうしたら練習が盛り上がるか」などいろいろ考えた気がするし、考えが変な方向に行ったりもしたけど自問自答するようになったのもこの時からな気がします。
勉強に関しては、通信教育をためてしまうほどだらしないやつだったので、中1を機に塾に行くんやと決めて、中3まで通わせていただきました。中3の夏まで成績は並くらい、志望校も9月まで悩んでいたのですが、西京高校には水泳部がある!ウォーターボーイズっていうのもできるらしい!と知り、それを理由にあっさり決めた覚えがあります。勉強も計画するのが下手で予定がなし崩しになることが多かったので、「復習は無限に時間かけられるから後!」「決めたルーティンから終わらす!」といったテンポ付けを塾の先生にしていただき、ギリギリで運よく合格しました。
最後の時に先生にいただいた言葉が、「入試の結果とその後の成績は相関無いで」でした。これは高校でも大学でも実感するところで、今もそれを自分でも示せるように頑張っているつもりです。
<高校>
工作が好きだった自分は、ぼんやりと工学部、なんでもできそうな機械系を考えていて、京都だし京大物理工と書いたのが挑戦&災いの始まりでした。部活の先生には部活を勉強に・勉強を部活の言い訳にするな!とよく言われたものですが、塾にも通わせてもらっていた自分は学校・部活・塾のように今思うと結構キャパオーバーで、毎日漂うのみで流されるように時間が過ぎていました。
成績は中学でも高校でも並、がむしゃらにやり切った部活を引退した後も、正直周りと比べてしまい、「どうせ出遅れたんだし、”あの京大”に自分が現役合格なんて無理だ」と自分自身が思っていて、理想と現実が離れていました。
「周りと比べる」で言えば、現役の時の塾がささむさんと同じだったんですよね。当時は感情がない勉強マシンみたいな人で、足元にも及ばないなと思っていましたが、大学で再会して人間らしさに触れることができてうれしいです。
(脱線しました)
塾や学校の先生の指導やついていったらいいのだろうけど、そのための基礎も自分はできていないんだと思い込んで、アドバイスもまともに聞かず、時間がたつのをただ待つかのように本返し縫いみたいな、二歩進んでは一歩戻る勉強をしていて、(ありがたいことだけど)京大志望を名乗ることで精いっぱいみたいな。「京大受験生を語る詐欺師にご注意」ですよ、ほぉんまに。全然実力伴ってないし、伸びていないのに京大志望言い続けるだけでなんか両親や先生を裏切ってるみたいでしんどかったです。
自分はどこからやり直すべきなんだ?とか、どこを根本的に見直さんといかんのや?と自分を疑い、収拾つかなくなった時もありました。一時は感情とか思ったことを書きだすためのメモをずっと持ち歩いていました。(その瞬間しか考えられないことを考えたいし、何か突破口になるかもしれないしと言い訳して。今考えるとなかなかヤバい。)今思うととにかくもがいていた気がします。
その後志望は情報系に移り、高3の秋・冬には環境問題を意識するようになって農業・環境系へ、しまいには前期中期後期私立で学科系統が違うという、支離滅裂な出願をしていました。
環境問題を気にし出したのは、待ったなしの異常気象・気候変動をテレビや新聞で目にするようになって、「このような状況で自分はこんなことをしていていったい何になるんだろう」と考え、なぜか”焦り”始めたことがきっかけです。その時点ですでに雲行き怪しいですが、将来の展望もなかった自分は、「あれを解決に導けたらたくさんの人を助けられるんじゃないか、立派な人生といえるんじゃないか」とか考え、とにかく動機が不純で、完全に自分を見失っていた自分に降ってきた救世主にすがったみたいな感じでした。いろんな人が苦しんでいる環境問題なんてもちろんない方がいいのに、それがあることによってのみ自分が存在しうるような、今思うと気持ち悪い感覚です。
現役は不合格。自他共に認める努力不足だったし、悔しさもあったけれど、なによりも長い間漂いながらどこかに流れ着いたことに涙していました。別に伸びた感覚はあまりなかったけど、苦しみ・頑張りが全否定されたように感じたのが悲しかったです。
後期は同じく地元の工繊大機械工学課程に合格を頂いたものの、完全に志望を見失っていた自分は散々迷いまくりました。
環境問題への意識は、「地球工に行きたい」と半ばすがるような思いにすり変わり、それでもこんな考えで将来につながるのか迷いました。「地球工に行けば万事うまくいく?」そんなはずないのに、そんなこと考えたこともありました。
そもそも”あの京大”に自分が本番どのくらい及ばなかったのかわからない中で伸びる自信もないのに不透明な一浪に踏み出す勇気はなかったです。本当ならやったるんやと腹をくくったらいいし、そうあるべきなんでしょうけど、その時はそんな力も自信もなかったと思います。
進学か浪人か二転三転したあと、手続き日の締め切り一時間前になって書類を大学に持参しました。その後1週間は通わせていただいたのですが、何か傲慢にも「ここじゃない」と考え、課程長の教授と一対一で面談、「再受験も視野に考える時間を頂きたい」と休学させてもらって、駿台京都校に入らせてもらいました。
与えられた環境で頑張るってのがなんとなく自分の経験則だったのに、「ここじゃない」って考えるのはそれと正反対になるので自分でも戸惑ったのですが、せっかく大学生になるのに全然心晴れやかじゃなかったというのがなんか引っかかった気がします。ワンチャンスほしいと。そうはいっても当時はだれか一人分の学籍をとってしまったことにひどく罪悪感を感じていました。
ここまででもそうですが、「自分」って言葉多すぎですね。そりゃ自分のこと書くので当たり前なんかもしれないですが、自分自身に対する悩みって底なし沼です。問い始めればきりがない。
「自分の目標は何だ?」「自分が本当にしたいことは何だ?」「自分の好きなことは何だ?」まるで砂場で棒倒しをするように自分で自分の軸を揺さぶって、こんなことをまして受験期に問い始めたら時間がいくらあっても足りないです。
読んでくださっている方の中には、そんなん考えても無駄やと割り切れる人もいると思うしそれはすごいと思うのですが、考え込んでしまう人もいると思います。
たいそうなこと言う感じで恥ずかしいですが、自分、今、アイデンティティ拡散してるんやな~と、大学生になってようやく落ち着いて考えられるようになってきました。ちょっとずつ考え方が変わっていくのを待つしかないのかなと思います。いろいろ考えこんでしまう人も大丈夫です。なるようになると思います。
開示結果は、マイナス7,80くらい。理科と数学が及びませんでした。
<浪人期>
心を落ち着けて心機一転、駿台の授業だけに集中し、現役の時とは違って地に足のついた勉強ができていました。漂うんじゃなくて自分で泳いで行けた感じです。
相変わらず成績は並で、周りの人と比べて落ち込んだり、進路とか自分についての悩みはありましたが、一緒に浪人した友達のおかげでやむことはなく過ごせていました。授業と復習を繰り返していたらあっという間に夏、秋。現役の時は触るには勉強が足りていないと思いこんで置物だった過去問が今年も置物になりそうで焦りましたが、同じ轍を踏まないように自分ペースで過去問をのんびりやっていました。
浪人中も現役と変わらず、勉強が思った量進まなかったり、このまま駿台のテキストだけやってて行けるのかなど、不安いっぱいでした。特に受験直前は模試がないし、過去問や模擬問題やってみても微妙、自分が合格ラインに対してどこにいるのか全然わからんアンダーウォーターしてるみたい(←謎)な感じで、[努力不足、失敗→やけくそ→自己嫌悪→勝手に自分で無理だと決めつける→落ち込んで朝のスタート出遅れる]のループとか何度もありましたが、後悔無いようにと夜は基本駿台の閉館まで粘っていました。
駿台では同じクラスで名前も知らない、でも尊敬できるライバルがいたり(勝手に師匠と呼んでいた)、医学部の先生の話聞きに行ったり、阪大の巨大実験装置見に行ったり、散歩や二条城ランに行ったり、母校の文化祭やアクアリーナに息抜きに行ってみたりと思い出いっぱいです。
帰りの自転車では歌ったり、先生の物まねをしながらその日の授業を復習していました。駿台で有名講師の対面授業を受けられるメリットは、各科目で好きな先生を見つけてに頭に住んでもらえることにあると思います(表現独特)。通期や季節講習が終わっても、過去問といていたら先生が上からなんか言うてくれますから。
家帰ってからは志望動機とか現実から目をそらさないように、環境問題を扱ったNHKスペシャルとか、映像の世紀を見てました。なんか心をさらに殺伐とさせているような感覚がありました…
それと、休憩の時はたまに水泳部の合格体験記を読んでいました。特に、玲汰さんの「人事は尽くせない」の回はびびっと来ました。こんな考えでもいいんやと考えさせてくれて、背中を押してくれた気がしています。
共テ
工学部に関係ない、二日目の理系科目については9割くらいでした。。が、最後に採点した国語は特にひどく126点でした。駿台漢文の江口先生のおかげで漢文は満点、でも現代文が52/100やったかな…共テの話はそんくらい。
リサーチはDだった気がするけど、とにかく地球工を目指していたので知らんぷりしてそのままGOしました。
二次試験当日
やっぱりあれやってないこれやってないと気になり、お守りの意味も兼ねてお気に入りのノートとテキストをもっていって見返していましたが、試験会場でやるべきことは全部やってこれたと思っています。
そういえばもう一つ持って行っていたものがありました。
絵がかわいいですね。(前回の北海巻の時とは違って、ちゃんとリンクを付けてみました。クリックしたら本の紹介ページに飛びます。)
主人公に日常生活で降りかかるピンチがまとめて絵本になっています。まるで自分のことのようにわらけてきて、そのおかげで落ち着いて受験できたと思います。2月入ったくらいから、やばいやばいやばいやばい間に合わん!って焦った時はピンチずかんを見ていました。続編も出版さています。おすすめです。
二次試験の話はこれくらい。
合格発表
前期の結果がやっぱ見当つかないので後期試験は過去問を中心にまじめに対策していました。
合格発表は後期試験の北海道行きの阪急の中で見ました。ちょうど西京極過ぎたあたりに開けました。学科はA(地球工)ではなくF(工業化学)でしたが、泣きながら窓枠を握りしめました。
化学系に合格をもらったのも、大好きだった駿台化学の石川先生のお導きがあったのかなとか考えてみたり。駿台英語の竹岡先生も言うてはりましたが、受験って受かれば全肯定/落ちれば全否定ってところが残酷ですよね。自分みたいに努力不足でも、いいようにとらえられちゃう。
地球工じゃないし、このまま北海道受験して、合格もらえたらそっちにしようかとさえ一瞬考えましたが、頭カチカチの志望動機で地球工に行くより、視野を広くもって授かりものの工業化学で頑張っていこうと思って、北海道行かずに引き返しました。
実際、地球工で何がしたいのかって言葉にできてなかったし、めちゃめちゃジャストミートな研究室があったわけじゃないので、言い訳がましいけど今思えばよかったかな。
開示結果はプラス8点くらいでした。地球工マイナス4点くらいで、SASUKEのクリフハンガーに爪だけでぶら下がってる感覚です。(地球工>自分>工化=工学部最低点って感じ。)
<大学受験・大学一年目を振り返って思うこと>
今思うとちゃんと現浪二部構成になったし、当時はすごく悩んだけど浪人できてよかったと思うし感謝しています。自分が何がしたいのかはまだわからないけど、自分探しの三部目は進行中です。
「自分の情けないところはどうしたら一気に解決できるんや」とかよくわからんことをいろいろ考えた時もありましたが、現浪で勉強への向き合い方が大きくは変わらなかったように、人間が何かを経て劇的に変わるってことはやっぱりなくて、地道にやるべきことを繰り返していく中で少しずつ変化していくものなんだと思います。
大学に入ってからは、自分の「環境問題」に対する意識が一体何なのかをはっきりさせるために、実際に学祭のごみを扱う環境サークルにも入っています。
部活にも入るかは相当迷いました。高校でやり切ったと言ったはずやし、どうせ自分はフリーしかまともに泳げないんやから、今までと同じしんどい練習を繰り返すだけなんやろとか、はじめはネガティブに考えていました。
でも、もっと速くなった自分を見てみたいし見てもらいたいし、部活っていう環境で仲間と過ごせることがとても貴重で、入るっきゃないと考えました。京都で水泳ができるのも何かの縁、後押ししてくださった周りの方のおかげで今も続けられています。
これからやっていく中でモチベとか専門を見つけていきたいです。
1回後期は全体的にめちゃめちゃ忙しかったし、しんどかったけど、その分充実してたと思うし、何かが着実に変わってきたなとは感じています。
全体通して振り返ってみると、本当に運がよかったからここまで来れたように思います。「どの人に一番お世話になった?」とか聞かれても、(挙げればきりがないですが)すべての人とすべての言葉が自分を導いてくれたように思うし、自分は逆に何にもできないんじゃないかと思うくらいです。
受験生の方に一番伝えたいことは受験はやっぱり運と縁できまる部分が大きいということです。これはいいようにも悪いようにも考えることができますが、少々さぼってしまおうがそれとこれとは話が別、無理かも…と思っても合言葉は「そんな日もある!」です。
浪人の時、特に失敗した時気にしすぎないよう、よく言い聞かせていました。
受験生の任務は二次試験の解答用紙に思い切り実力を置いてくることだけ。過ぎたことは変えられないので、その時の自分がベストでやったことなんやと信じて、この先二次試験で力を出し切ることだけを考えるとよいと思います。
読み返すと、なんかネガティブだし頭かたいし、しんどいアピールみたいなダサい文章だけれど、これが今の自分なんでしょう、たぶん。
ビビッときた去年の玲汰さんの日記を見返したらだいぶ量少なくて、自分もスマートに受験生のためになりそうな経験を書けたらなぁと思うとこですが、今は自分の記憶整理するだけで精一杯です(笑)受験生対して何の参考にもしていただけないと思いますが、「こんな奴もいたんや」「こんな悩み自分だけとちゃうんか」とか自分を客観視する材料にでも使っていただけたらいいと思います。
自分も今までを整理できてようやく胸張って二十歳になれそうです。この頑張り方でも意外と何とかなるんかなと、大学入ってからはちょっと前向きになってきました。(楽観的過ぎかな笑)
川根からの質問がなかったので、勝手に自問自答しておきます。「タイトルはどういう意味か?」
タイトル回収します。
自分はぽけーっと生きてきて、中学の水泳部で考え方を目覚めさせてもらった魚やと思っています(水泳部だけに)。勉強もずっと並で、周りの人の支えのおかげでここまで来れました。このまま行ったら合格やとか感じたことは基本ないし、運と縁で京大に迷い込みました。
大学に入ってからも、自分がしたいことはわからないけど、でっかい大学の中で部活・サークル・勉強をとりあえずやれるだけやってみて、その中でちょっとずつ変化する自分を感じています。
頑張るベクトルがおかしいときもありますが、わからないなりに頑張るという点で一貫した人間でありたいと思います。がむしゃらにやるなんてコスパ悪いし頭悪いけど、ダサくてもいい、余裕なさそうでもいい、もがいて何か切実なものを見つけようとしてます。
(嫌味に聞こえる方、ダークな日記を読んで気分悪くなった方がいたらすみません、今後成績がどうなっているかわわからないし、もしかしたらやる気なくしてぐれているかもしれないけど、少なくとも今はこんな気持ちです。)
それと、そうして変化している自分を、だんだん客観視(?)できるようになってきたことを表しているつもりです。
長くなりましたがここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございました!
明日の日記はゆうごです。質問は「アンミカラジオについて教えてください」で。アンミカラジオは、駿台大阪校の名物らしいです。あきひろから聞きました。
受験生の方はそれぞれの実力を発揮できるよう祈っています。
最後に、浪人か進学か迷っている方へ。
やけくそになっても自分を見失っちゃっても何とかなります。直感でもいい、自分が楽しくいられそうだと思う道をぜひ選んでほしいと思います。
本当に最後に。今に至るまで、自分に関わって支えてくださったすべての皆さん、本当にありがとうございました。
2023→2024 総乱舞
1. いやそれ仮面やろ