お疲れ様です。医学部1回の川根(山根)です。
早速今日のメニュー紹介から始めていきます。
もし自信をなくしてくじけそうになったら
いいことだけいいことだけ思い出せ by笹村さん
W-up 400×1 (8:00) SKPS
200×4 (3:00) IM
agility 25×4 (1:00) odd:UW even:GK→swim
drill/form 50×12 (1:15) Cho
swim 50×20 (1:10) fast hold
down 400×1 (7:40)
動画撮影 (15:00)
メニュー作成者の笹村さん、マネさん、動画撮影してくれた方ありがとうございました。
前日のミドロンのmainは50×40のfast holdだったのでほぼ同系統のメニューでした。本数が半分になった分、しっかりとアベレージを上げていくことが出来たので良かったです。
では、次にいつもとは順番を変えて最後に答えている質問に答えていこうと思います。
南里さんからの質問は「山と川どっちが好き?」です。
僕は京大水泳部内で様々な呼び名を持っています。或る人は川根と呼び、また或る人は山根と呼び、はたまた或る人は中根と呼んでいます。山根でも川根でもどっちでもいいと思うのでどちらも同程度に好きですかね。山が好きな人は山根と呼び、川が好きな人は川根と呼べばいいんじゃないですかね。
いよいよみなさんおまちかねの合格体験記です。
とうとう僕の番がやってきましたね。京大水泳部の中でも僕がどのような高校生活、浪人生活を経て京大医学部に合格したか気になっている人は多かったと思います。1年の時を経てベールに隠された僕の医学部受験体験が明かされます。少しでも多くの方にこの感動と衝撃に溢れた数年間の体験が届けばと思います。
①高校1.2年時
僕は、持ち前の頭脳で第一志望であった浜松市立高校に合格し高校生活をスタートしました。この時点では大学のことなどほとんど知らず、両親に静岡大学に入ってくれたら嬉しいと言われていたことや中学の担任の先生に高校ではきっと真ん中くらいの立ち位置ではないかと言われていたこともありなんとなく静岡大学に行くことを意識していた気がします。ところがどっこい、最初の校内テストと進研模試でまさかの学年TOPに君臨しました。全学年400数人の頂から見える景色はなんとも言葉では形容し難いほど素晴らしいものでした。そんなこんなで、高校1年次の担任と話す機会があり地元で一番優秀とされている名古屋大学を志望校に据えて高校1年生を過ごしました。
余談ですが、僕が高校で水泳部に入った経緯も少しだけ触れていこうと思います。中学時代は軟式野球をやっていましたが、何しろ球技が苦手で一向に上達せず更には野球は練習長い、顧問常にブチギレ、ボール当たると痛いの三重苦で高校では決して野球はやらまいと当時の川根少年は心に固く誓っていました。そこで高校の部活動見学では、小学校時代に水泳をやっていたことや中学時代の友達が推薦で水泳部にいることもあり見学に行きました。そしたら、浜市水泳部員男子10名ほどに取り囲まれ奥の方に連れて行かれ、僕と部長が対面でその周囲を他の部員が囲んでいるという恐ろしい構図が展開されました。その恐ろしい構図とは反して実際は持ち前のイジられキャラとコミュ力ですぐに打ち解け仲良くなりそのままの流れで入部を決め僕の競泳人生が始まりましたとさ。
余談も終わったところで高校2年生編スタートです。浜市には文理それぞれに特進クラスという学年の成績が良い上位40人の中から希望した人が入れるクラスがあり他の水泳部の友達もいることもあってそのクラスに所属しました。そこで、僕が京大を志望とすることとなった人物との出会いを果たしました。その彼は学年でも頭が良く有名な子で僕も何度か噂は聞いていました。僕は同じクラスになったその子と仲良くなり彼が京大を目指していることを知りました。彼が京大を目指していると知る瞬間までは京大なんて僕みたいな田舎の庶民とは縁のない日本でも選りすぐりの天才たちのみが行けるところであり、京大生は殿上人で住む世界が違うと思っていました。その子にライバル意識を持っていたことや京大を目指してええんやと思えたこともありここから京大をなんとなく目指すようになりました。当初、人工知能に興味があり工学部を志望学部とししました。京大についてホームページやYouTubeなどで知れば知るほど、京大の頭がいいのにその頭脳で馬鹿でおもろいことをしているところや己が道を突き進むところに憧れを抱くようになり、いつの間にか本当に行きたい大学になっていました。しかし、天下の京大なだけあって模試は全てE判定で実際に行けるビジョンは全く得られないまま高校3年生を迎えました。
②現役時代
高校3年になりたての春に河合塾の講演会があり、そこで話をしてくださった河合塾浜松校の塾長であった方の話に感銘を受け今のままでは京大には行けないと思い河合塾の無料相談に行きました。そこで、京大の2次試験の問題を解いてみようというイベントがあり参加しました。今までは遠くからぼんやり見ていた京大の遥か高く聳え立つ壁を目の当たりにしました。なんだこの問題は解けるやつあるのかと心の中で当時ブチギレてました。
6月に水泳部の最後の大会となる総体があり、僕は地区予選会で僕の高校水泳は幕を閉じました。詳しいことは最初の自己紹介日記で書いた気がするので気になる人はそちらを読んでみて下さい。僕としては満足する形で終わりここから受験勉強に本格的にシフトしていきました。また、この時期から河合塾に通い始めました。
季節は進み、夏休みとなり第一回京大模試の時期がやってきました。結果は惨敗でオール最低の判定で勉強したのにこれっぽっちしか出来ないのかと周りとの差に絶望しました。
それでも挫けることなく勉強を続けて第2回京大模試を迎えました。夏から英語を中心にかなり点数が上がり、OPでは工業化学科がc判定になりチャーターの方からもこの調子で上げていけばワンチャンあるのではと言われ僅かばかりの希望が見え始めました。
ところが現実は甘くありませんでした。共通テストで痛恨の大転けをかまして京大工学部換算得点が141/200で絶望しました。数学なども致命的で名古屋大学も無理で九州大学や神戸大学にするかなど色々チューターの方や両親と話し合い覚悟を決めました。特攻するぞと。
僕にはそれ行け奈高丸のような立派な船は用意されてなく今にも沈みそうな泥舟にたった1人で乗り込み京大に向けて突き進みました。そして奇跡など起こるわけもなく工学部に-130点落ちという結果に沈みました。当然の結果過ぎてもはや落ちた時落ち込むことすらもできなかった気がします。
③浪人編
僕は気持ちを新たに河合塾と駿台の説明会にいました。
この1年を過ごす環境を決めるという大きな分かれ道でしたが、やはり現役時代に共に歩んでくれた河合塾のチューターさんともう1年頑張って次こそは合格したいという想いのもと河合塾での浪人を決めました。
浪人はきつい上手くいかないと聞いていましたが、僕自身としては授業の分かりやすさに日々感動して解ける問題もどんどん増えていきゲームのレベル上げみたいな感覚で結構楽しい日々を送りました。模試でも現役時代に見ることができないようなAやB判定も出ることがあり序盤は絶好調で進みました。
夏休みを迎えいよいよ雪辱を晴らす第一回京大模試を受けました。現役時よりも理科が圧倒的に解けるようになっており、かなり戦えている感覚がありました。結果は電気電子工学科がB寄りのc判定、工業化学科がA寄りのB判定付近で順調な途中経過でした。しかし、9月頃にここでコロナウイルスにより大きな足止めを被りました。またこの時に工学部以外の学部も調べており京大医学部に出会いました。人工知能を用いた創薬の自動化など興味を惹かれる研究がありこちら側もありだと思い始めました。
そんなこんなで第2回京大模試を迎えました。コロナでダウンしていたことなど色々な要素が重なり結果は芳しくなく1ランクずつ判定を落とす結果となりました。新たに視野に入れた京大医学部はA判定でこの時点でこっちの方に志望学部を変更しました。
いよいよ年も明け共通テストです!去年失敗したこともありましたがこの1年で共通テストは突破出来ると自信を信じられる自分になっていたので緊張することなく普段通り落ち着いて受けることができました。国語の現代文でマジで意味が分からんとなりパニックになったり上手くいかないこともありましたが、模試などでも本番を想定して切り替える練習をしていたので引き摺ることなく無事に8割前後という結果でリサーチの判定もA寄りのB判定で2次試験へと進むことができました。
しかし、ここで最大の過ちを犯してしまいました。共通テストが終わり一休みということで「アオのハコ」という漫画を読みました。これが良くなかった。部活動に打ち込む姿や恋愛模様などの青春のあまりの眩しさに僕の眼は潰されてしまい盲目になってしまいました。当時直前期でメンタルも不安定だったこともあり勉強が手につかず失われた取り戻すことのできない青春に囚われてしまいました。
そうして勉強が出来ないまま京都受験前日を迎えました。僕は1人で受けに行きました。家を出る瞬間まで「もう無理だ落ちるに決まっている」と自暴自棄になっていましたが、家から出た瞬間急に「いや俺が落ちるわけなんかない余裕やろ」という謎の自信が湧き上がり絶好調の状態で試験を受けました。
最初の数学は普段2完くらいでしたがたまたま直前に見た問題と同じ解法の問題が出るなど運も味方につけ普段よりもかなりできました。英語、国語は普段通りで98点、59点あたりでした。理科は上手く噛み合わなかったのと凡ミスが重なり普段よりもかなり低かったですね。
京大の試験が終わった後は後期など受験のことを考えるのは嫌で地元に帰省している友達と遊び呆けていました。そんなこんなで3月10日の合格発表を迎え無事自分の番号を見つけ合格しました。本当に嬉しかった。この数年間の努力が報われたと思うと様々な想いが込み上げてきましたね。お世話になった高校や河合塾のチューター及び先生、応援してくれていた友人達、共に頑張った河合塾でできた友人、家族に合格を伝える瞬間は20年間の中でも最高の時間でした。こうして僕の京大医学部受験期は幕を閉じました。
それで失われた青春を取り戻そうと京大水泳部へ歩みを進め、今現在の僕があるわけですね。京大水泳部で出会った人や思い出を振り返ると本当に京大に来てよかったと思えます。これからもそんな日々を送って行きたいと思います。
④最後に受験生に向けたメッセージ
合格体験記はいかがだったでしょう?所々分かりにくいところやつまらない部分もあったかと思いますが読んでくださった方はありがとうございます。最後になりますが僕から真面目に伝えたいことを書いて〆ようと思います。最初に受験うまく行くために大切だと思うことについて書きます。まずは日々淡々と勉強していくことが大切だと思います。受験期は精神が不安定になりがちなのでやる気の上下動が激しいです特に直前は。モチベがなくてもとりあえず塾に行くなど行動を習慣化出来れば強いです。他にはよく言われることですが色々やろうとせず限りある時間の中で決めた物をひたすらに愚直にやり続けることです。受験なんてやることが無限にあるので不安感に負けず自分がやると決めた参考書や塾の教材を徹底的にやって下さい。そうすれば大丈夫やと河合塾のおえらいさんもいってたので大丈夫です。
あと僕は受験期にかぐや様は告らせたいの影響をかなり受けていた思います。白銀御幸がまあかっこいいのなんのって。かぐや様を振り向かせるために苦手なことでも才能やセンスを言い訳にせず血の滲むような努力をして結果を出してるところに僕は男でも惚れてしまいました。僕も彼のような人間になろうと思いましたね。スマホの待ち受けにして常に己を律していましたね。刺さった言葉があって
「臆病でポンコツの俺が出来の良い奴と渡り合う手段は1 つ人よりも多くの時間を掛ける事だけだ。 」
この言葉があったので挫ける事なくやり続けられたと思います。
一番伝えたいことは浪人について考えている人に向けてです。浪人はしたからといって上手く行く例は数少ないし失敗することは多く決断するのは本当に大変なことだと思います。しかし、遠回りをしたからこそ得られる物も少なからずあることを覚えていて欲しいです。僕自身、現役の頃は水泳に満足しており水泳を続けようとは一切考えていませんでした。しかし浪人期、合格するという点ではあまり良くありませんでしたが、「アオのハコ」という漫画を読んで主人公が部活動に真っ直ぐ打ち込む姿や部活動で目標に向かって互いに真剣にぶつかり合い高め合う様子や部活の空気感などを見て、改めて部活っていいなと思い水泳を続けて高校時代には叶わなかった決勝の舞台や上位の大会に出たい、最後に4年間打ち込みたいと思いました。もし、現役で合格していたら京大水泳部での日々はなかったかもしれないと考えるとやっぱり現役で受からず浪人してよかったとも思えます。他にもある目標に向かって1年間を賭けて努力していく経験は今後の人生で結果に関わらず自分を大きく成長させてくれるものになると思います。もし悩んでる方がいたら少しでも参考になれば嬉しいです。
1. 文才。ガチおもしろかったしちゃんと感動した。
でも最後はめっちゃいい話やった、もっと読みたい!!