今日も一日おつかれさまです!
本日の日記を担当させていただきます
ルネが開いていない事で命の危機にある
二回生たかみやれいかです。
ではさっそく本日のメニュー
W-up 200*1 *1 Choice
Drill/Form 50*8*1 Contents Free
Agility 15*6*1 odd:UW even:GK
25*4*1 swim→5mHard→Turn→15mHard
25*4*2 10秒壁キック→Swim12.5mHard
25*4*1 ターン練習
15*4*1 真ん中から
Swim 50*4*2 超DPS
25*4*2 Max Tempo
Loosen 100*1*1 easy
Swim 50*6*1 1H/1E
Down 300*1*1
メニュー係の中堂くん、マネさんトレーナーさん、
水泳部の運営に関わっているみなさま本当にありがとうございます。
今日のスプリント本当にきつかった。
中堂くんはセットレストというものを知らないのでしょうか!^^
w-upってウォーミングアップだと思うんですけど、いつもウェイクアップ♪ウェイクアップ♪と頭の中で唱えながら泳いでいるので、昼練に参加するとそれがないのが違和感でしたね~!
最近ずっと溺れている感覚でしか泳げないし、体調も崩すしというのが続いて、たかみや~negative ver~って感じだったんですけど、意を決して光彩さん、ひなたさんの水中動画を頂き(ほんまに感謝!)、何十回と観て試してみたことによって、
やっと!キックとプルのタイミングをあわせる感覚がつかめてきました!波にのって泳げるようになってきたのでにこにこ(^^)という感じですね~!
まだタイムにつながり切れていないので春室までにまにあわせたいですね~
ということで合格体験記を書くそうです。
絶対に前日に読むような内容ではないし、(ないようではないよう~ダジャレですね、、!?^^)
あんまり楽しい話でもない気がします。
私は勉強の中身を覚えていないので、京大を選ぶまでの長い自分語りです。
大学生活も折り返しになり、もう書くことはないだろうと備忘録のように書いていたら合格体験記?って感じになってしまいました。
これを読んでいる受験生がいれば、これより今までのみんなの日記をお勧めします!
みんな素晴らしすぎて感動だらけ。
早く未来の水泳部のみんなに会いたいです。
ということで。
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高3夏に書いてたメモ
負けず嫌いになれる人は本当にすごい
自分にはなれなかった
負けず嫌いだったらもっと闘争心を持てたのか。向上心も持てたのかも
順位で一喜一憂したり、敵対視してより一層努力するのはほんと凄い。
でもその土俵に立つのは、敵対視されるのは、怖い。もう降りたい。
なんでみんなそこまでの感情持てるん
そこまでしてほしいもの私にはないのに
どんだけネガティブやねん!って感じですね
てかポエム^^
昔から努力すること、出来ないことを出来るようにがんばる事は好きでした。
勉強も苦じゃなかった。
ですが、結果になるのはあまり好きじゃなかったです。
理由は評価されるから。
それがすべてのように褒められたりアドバイスされたり、少し苦しかったです。
他にも出来ない事、出来る事色々あるのに。
どこまでも甘い考えなのも綺麗事なのも嫌というほど分かっています。
ですが、こういう風にしか考えられなかった。
向上心だって持っていますが、それはずっと今の自分のままでいたくない!というようなもので、人と比べるのも比べられるのも苦手でした。
でもずっとずっと結果が全ての世界にいて
その中で結果にこだわることのできなかった私は
自分がダメなんだと、自分が大嫌いになったり受け入れられなかったりして^^
私から見た両親はあまりにも完璧でした。
20年間一緒に暮らしていて、どんな時も仕事も家事も趣味も手を抜いているのを見たことがない。なんでも受け入れてくれる。優しい。それもしんどそうとか頑張ってとかではなく、普通のこととして飄々とこなしていました。
親戚も社会的にも人間的にも凄い人ばかり
凄い、尊敬。
自分も何かすごい人にならないと。
本当になんとなく、
家にあった目に入ったパンフレットを見て決めました。弁護士でした。
じゃあ東大文一に入ろう。
小3の頃でした。
と書くと、幼いころから目標を持ってるすごい!と見えますが、それが私の唯一の狙いでした。
「なりたい」ではなく「良さそう」
将来なる事を決めているほうが、聞かれる度悩まなくていいし何も考えなくていい。
後は頑張るだけでいいから。後、凄そうやから響き的にちょうどいい。
こんな事を考えていました。(ませてる^^)
夢としてどうしてもなりたいと思えるものを持てなかった。
なったら良さそう。それっぽい。それだけ。
周りが納得しそうで心から応援してくれそうな夢がよかった。
(一つもなりたいものがなかった訳ではないです。
プリキュアとかあこがれてたし、美容師さんとかもなってみたかった。
あと昔からずっと憧れていたのが、結婚することでした。
あの、運命の出会い的なやつです。
ほんとに恥ずかしいんですけど、、
というか、ほんと、京大とかに来といてなんやねんって思うとおもうんですけど、てか思って然るべきやと思うんですけど、、、
将来の夢はお嫁さん!♡みたいなのが許されるような環境ではなく、というか自分でも受け入れられるような夢ではなかったです。ずっと考えないようにしていました。
私がいた場所は(言葉を選ばずに言うと)あまりにも恵まれている気がしていたので、自分が望んでた訳ではないなんて間違っても思ってはいけないような気がしていました。)
小学生の頃ははやく大人にならないととずっと背伸びをしていました。
仕事で忙しい両親に迷惑をかけたくない。
けど褒めてほしい!
思いついた大人になる方法は読書でした。
学校の本を全部読み尽くして、市の図書館の本も結構読みました。(これのおかげで国語は困らなかった気がする!(๑˃̵ᴗ˂̵))
公文の先生だった祖母の下で大量の課題をして、毎日色んな習い事に通わせてもらって、中学受験の塾に通って。
なので小学生のころあまり友達と遊んだ記憶がありません。
中学に入りました。
部活は中高一貫のバトントワリング部、
塾は中1から鉄緑会、高1からそれに加えて東進も通わせてもらってました。
学校はコース分けが細分化されているので
6年間2,3クラスの中でシェイクされ続ける事に。狭い世界です。
定期試験は、結果が出たその日から上位の人探しが行われるような世界。上位であればあるほど人間的にも上でもあるかのような周りの空気。順位が抜かされればその人の悪口が飛び交う。人として素晴らしいのに、成績や順位が低いだけで、先生に棘のある言葉をかけられ、自身を失う友達。
勉強するのは好きだけど結果が出る事には億劫になっていきました。
それでも葛藤しつつもなんとかマイペースに勉強を続け、
英語は鉄緑のクラス分けで上のクラスに入ってしまった事で少し出来るようになりました。
数学は数学オリンピックを毎年受けるくらい(ほんまに受けてただけ^^)には好きだったので楽しくて、
国語は東進で林先生の授業を受けてから共テで満点を逃すことはなくなって(林先生すごい!)
こんな感じで予定立ててました!
一年前、高2の冬に受けた同日模試は
共テが85%ぐらい
二次は東大B判定
このままで受かるなんては思いませんが、
頑張ったら不可能ではない範囲にいたのでしょう。
そのまま続けて高3の6月
勉強には直接は関係ないことですが、色々重なった時期があって。
いままでずっと背伸びをしていたら足が攣ったみたいな。
少しずつしてた我慢が爆発してしまったみたいな。
コロナでぬるっと引退したはずの部活、
急に2週間後に引退舞台をすると告げられ、
曲選、編集、照明、衣装、構成、振り、振り落とし
ふつう半年かけてやるものをたった2週間で仕上げることに。
出ることに決めた最上回の高3は3人でした。
部員は70人弱いました。
部長をしていたので、少し大変でした。
それと時を同じくして、
仲の良かった友達から急に無視されるように。
後から聞いた理由は、ずっと1番をキープしていたその子の順位を私が模試で抜かしてしまったからだそう。
勉強に部活に友達に、
少しいっぱいいっぱいになってしまってしんどかったです。
そしてある日、
顧問の先生から怒られ、教室に戻ってドアを開けた瞬間、
それまで騒がしかったはずの教室が急に静まり返りました。みんな気まずそうに自分の席に戻っていく。
漫画とかアニメでよく見るやつです。悪口を言っていたら張本人が戻ってきた的な。というかまんまその状況でした。
よく見ると、いるはずのない、同じクラスじゃないはずの無視を始めたその子が輪の真ん中にいて。
その子は各教室を回って私のある事ない事を言い回ってたそう。
この瞬間に心が折れてしまいました。
私にとっては、勉強なんかより友達との談笑のほうがよっぽど大事で。
仲の良かった子に無視をされるようになってからは、クラスの子たちとしゃべるのが私の唯一の楽しみでした。
でも、そんな人間が1番を取ってしまったのがよくなかったのだと思います。
もちろん全員が全員悪口を言っていたわけではないのは分かっていたのですが、
どうしてもその状況、そこにいた人たちを受け入れられるほどの心の余裕を持つことが出来ませんでした。
勉強と部活でいっぱいいっぱいだった中、ただでさえ好きじゃない順位争い、それに伴って起こる様々なもめごと。
心が折れてしまいました。
急に涙が止まらなくなって。
ご飯がうまく食べられなくなって。
それでも何も諦めてはいけないような気がしていました。
学校の先生からかけられる期待の言葉、
職員室にいく度に、廊下ですれ違うたびに。
高宮なら出来る。高宮は凄い。という言葉、
後輩からはあこがれてもらったり嬉しい言葉もいっぱいもらって、目標にしますなんて言ってくれる人もいて。
鉄緑では同じクラスは東大か医学部志望しかいなかったので、求められるレベルは高くて。
呪縛のようでした。
「頑張らないと。」
自分の内心と行動にどんどん乖離が生じていきました。
受験や期待に応える事にネガティブな気持ちを持っている事が全部裏切り行為のように感じていました。
親や周囲を心配させてしまうのが嫌で
気を抜くと涙が止まらないのにどんどん作り笑いばかり上手くなっていって、
トイレと歩く時間だけが
1人になれる
心の救いでした。
1日だけ、家で号泣してしまった事があります。
ご飯を食べなさいと言ってくれて、わざわざ温かい食べやすいものを作り直してくれた母、
なのにどうしても喉を通らなくて、何も食べる事が出来なくて、
こんなに心配してくれているのに立ち直れない自分が情けなくて申し訳なくて、
いつも強くて優しい母を泣かせてしまった事、
日に日に緩くなっていく制服のスカートも、
少しずつ落ちていく鉄緑の順位も、
全部が全部、自分が上手くこなせていないことを突き付けられているようで、
心臓にずっと棘がささったようで、
息が苦しかったです。
そんな中部活を引退、受験生に。
色んなものを削って、引退までは勉強も部活も走り続けれましたが、もう限界でした。
この時、頑張る気力はもうなかったです。
というより
勉強を頑張ることは出来るけど、「志望校」というものに走っていく、合格を目指す気力を持つことが出来ませんでした。
なりたいものがあって、それに向かって勉強していたら踏ん張れたのかも知れません。ただ勉強するのが好きなだけな、それっぽい目標を置いていただけの私は、いとも簡単に崩れてしまいました。
このまま受かってしまったら、
続くであろう競争社会、
それに打ち勝つのがよしとされる環境、
また「1番」になってしまったら。
正直「1番」というレッテルから逃れることが出来たらどこでもよかった。
怖くて仕方がなかった。
自分が「これをしたい」というものを持つ事が出来ない中、
受かる受からないの土俵に立って、周りと闘い続ける事に必要性も重要性も感じる事が出来なかった。「1番」になるとまた目立ってしまう。
もう逃げたい。
心底どうでもいい。
ひたすらに後ろ向きな時期でした。
あの時の自分が、
結局目指す大学を京大にしたのは
両親が今までかけてくれたお金や時間に対する申し訳なさからだけでした。
自分が「これをしたい」というものをあまり持つ事の出来なかった。
どんな大学に行っても、どんな理由であっても、
自分が決めたことなら、
きっと両親は心の底からの応援をしてくれる事は分かっていました。
でも、だからこそ申し訳なかった。
あんなに時間もお金もかけてくれたのに、
私が色んな事に挑戦するたびに嬉しそうに喜んでくれていたのを知っているのに、
なにも夢も目標も持てなかった事に対してただただ申し訳なさが募りました。
成績に伸び悩み、
志望校を一つ下げたように見えればよかった。
こんなネガティブな理由で決めた京大でしたが
一度決めたからにはやろうと思いました。
自分がやれば出来ると自分に証明したかったし、
自分の選択を正解にしたかった。立ち直りたかった。
もうこれ以上自分に負けたくなかった。
そこからはひたすら勉強しました。
周りを信じることが出来なくなっていたあの時の自分にとって、勉強だけが唯一周囲からの逃げ道でした。
平日は学校終わりから22:00まで、
休日は8:30ぐらいから22:00まで
1日も欠かさず自習室にこもっていました。
電車や休み時間、家に帰ってからも勉強したり、
時には深夜ドラマにはまって、夜更かししたり。
勉強自体は嫌いじゃなかったので、わりと伸び伸び出来た気がします。
模試で順位や偏差値が出てしまう、それによって評価される、また学校で比べられることに耐えられるほどの心はもう残っていませんでした。
なのでほとんど一回も模試を受けなかったです。
東進の過去問演習(採点してもらえるやつ)をしながら、合格最低点と合格平均点を並べ、自分の得意不得意を考慮しながらスコアメイクし続けました。
わりと時間を取ることが出来たので、
数学を40年分を10周ぐらい
英語と世界史は10年分を10周ぐらいと
東大阪大一橋などの形式の似ている大問を10年分ぐらいしました。
それと河合と駿台の模試問題集をこれも10周ぐらい
少しやりすぎた気がします。
浪人をする気はなくて受かったところに行こうと思っていたので、
共テ利用で早稲田、同志社などなどを受けて。
京大も受けました。
結果として
京大も割と余裕を持った点数で受かることが出来て、
今まで結果の出ることから逃げていた自分にとっては努力が結果に表れるという事が実感できたのは新鮮でした。
それでも残ったのは虚無感
あの時、自分にとって限界の中で選んだ選択に後悔はなかったです。
なのに、喉元過ぎれば熱さ忘れると言いますが、
ふとしたタイミングにかけられる「京大に下げていたんだね」という言葉、余裕を持って受かってしまった事、「東大に行ってほしかったんじゃないの?」と母が母の友人に聞かれているのを聞いてしまった事、
自分はなんの後悔もないし、両親やお世話になった先生や友達も心からおめでとうと言ってくれる。
なのに
そんな些細な言葉をわざわざ拾い、わざわざ自分に刺して、結局自分は落ちるのが怖かっただけなのじゃないか、これで良かったのかわからなくなっていました。
大学に入っても
勉強しようと思いました。
自分が正解の選択肢を取ったんだと自信を持ちたかった。
この環境で何か目指して勉強し続けたら、正解になる気がしていました。
その一方で入学したとき、燃え尽きていました。
やっと全部が終わった。ゆっくりしたい。何もしたくない。
上記の通り勉強はしようと毎日図書館には行きましたが、新歓も一つも行っていないし、友達を作ろうという元気もなくてクラスラインも入っていませんでした。
それでも知り合いに誘われてぎりぎりに入ったダンスサークル、1年遅れで入った水泳部、法学部の人達、
大学で出会う人はみんなみんなあったかくて優しくて、
今まで狭い世界で生きてきた私にとって、
本の中のような夢でしか見たことないような世界でした。
いろんな経験をしていて新鮮で、世界観を持っていて、見ているだけで楽しい人で溢れています。
自分が知らなかった世界をたくさん見せてくれて、毎日楽しくて仕方ない。
ご飯もおいしい!
いつからか京大に来て良かったと心の底から思っていました。
水泳部のみなさんに出会えただけでも、
私は、京大に来て本当に良かったと思います。
あの時の自分の選択を誇りに思います。
ずっと負けず嫌いになれない自分も、大きな夢や目標を持って闘えない自分もコンプレックスでした。一方で、それが良しとされている世界にしかいた事がないのも苦しかった。
でも今ではそんな自分もそれでいいなと思うことが出来ています。
結婚したいが夢でもいいじゃないかと思えたり、
弁護士にもなれたらいいなと緩く思い続ける事が出来ています。
結局何が言いたかったかというと、
目指す理由なんて何でもいい。
自分に正直に、偏差値が高い、どうしてもここで学びたい、仕方なく志望校を下げた、なんでもいいと思います。
でも一度決めたら目標として定めてほしい。
特にネガティブな理由で決めたときは、別に行きたいわけじゃないしといくらでも逃げてしまいそうになるかもしれません。
もちろん大学に入ってからどうにでもなるし、その時の自分がそれでいいなら良いと思いますが、今の自分に言い訳だけはしないで。自分の選択に自信を持って向きあってほしい。
きっとどんな道に進もうと、何を選択しようと、苦しい事しんどい事は必ず起こります。
これは絶対にです。でも、後のことは後の自分がなんとかするはずなので!今この瞬間心から納得できるものを選んでほしい。
今でも相対評価はあまり好きじゃないです。
結果が出る事に逃げる時もあります。
生きてきた環境、出会う人、読んだ本、かけられる言葉、大事だと思うもの、
同じ人はいないのに、
1つの点をピックアップして
見えている面だけで
誰かと比べて喜んだり落ち込んだり、
その差が全てのように思ってしまう。
そんな場面に直面する度に、そんな事ない、それだけで全てのように思わないで。もっと凄いんだよ。と思ったり。
もちろんその1つの点がその人にとって譲れないものである時が多いと思いますが。
自分の全てを総合考慮して自分を評価できるのは自分だけだと思います。
自分ですら、出来ないかも。
隣の芝生は青いといいます。
保育園の園長先生は
「人生は何か1つ、得意なことを見つけられたらそれでいい。」
と教えてくれました。
想像以上に誰もが誰も知らない唯一無二で素敵な面を持っていると思います。
他人の事を分かったように思って評価なんてできない。
自分に自信を持ってください。
なので、
成績が落ちた時などに、自己否定に入るのはやめてほしいです。周りに厳しいことを言われてもあまり気にしすぎないでほしいです。その点をどう伸ばすのか、どの科目のどの部分が足りないのか、何をすれば解決するのかだけに注目してください。
相対評価は大事です。
向上や闘争には必要だと思います。
それでも、それがしんどくなった時くらいは、
こんな考え方をしてみたりして、自分を褒めてあげてください。
明日、遂に本番です。
肩の力を抜いて、深呼吸して。
きっと大丈夫。上手くいく。
そう自分に言ってあげてください。
水泳部で待ってます
2023→2024 総乱舞
1. この状況で、言ったら結果が全てみたいな競泳に入部したん、本当にすごいと思います。