第2部です。いよいよ共通テストが終わり二次試験です。
受験前日、とりあえず北野天満宮で菅原道真のご利益を受けて、ココイチのカツカレーを食べて寝ました。
受験の時はマイワールドを持ち込むために座布団と毛布を持っていき、毎時間試験監督に確認を取って使ってました。
国語はそれなりにできたつもり。ただ、数学が1完+α・・・(52点)
易化したと言われた年に、定積分が出た年に、これはやばい。
落ち込んでホテルに帰りました。
「カツカレーなんて重いものを食べたからダメやったんや」
と謎の責任転嫁をしてこの日は慎ましく蕎麦をいただきました。
2日目、決定的な事件が起こります。
英語の自由英作文を解答用紙に書き終わらなかったのです。
それまで模試や過去問では解答用紙に直接書いていたのに、何を思ったか当日問題用紙の下書きページに全文書き連ねたのです。
試験時間残り5分で全部転記しようとしましたが間に合わず、撃沈。
マジで意味わからんわ当時の自分。
当時の感覚としては、「半々くらいで合格かな」と口にしてそう暗示をかけつつ、深層心理では落ちたと思っていた気がします。そういう経緯もあって中期後期の過去問はかなり真面目に解いてました。
合格発表の日、ないんやろうな。あったらいいな。
そう思いながら開いたページに番号はありませんでした。
はい、終了。
中期は受かった自信があったので、この時点で浪人の選択肢はありませんでした。
(ちなみに人健に出願してたら+20点くらいで受かってたらしい)
ここまで読んで、
「あー、こいつ現役の時京大落ちたから浪人して受かった話やな」
と思ったかもしれません。
甘いですね。1浪なんてもんじゃない。こっちは4浪してんだよ。
あと見栄張って共通テストって書いたけどほんとはセンター試験受けてます。ジェネレーションギャップ。
当時の自分は、「浪人=人生の停滞」としか感じていませんでした。
浪人してるやつは負け組だと、内心馬鹿にしていました。
あと、浪人しても成功する確率は3割くらいだろうと思っていました。
浪人生の3分の1はレベルが上がり、3分の1は現状維持、残りは脱落。
そんな話を聞いていたからです。
同じく京大志望で落ちた友達が浪人を誘ってきましたが、
「俺は前に進むんや」
と言い放って大阪府立大学に進学しました。
京大ではないものの水泳部にトレーナーとして入部し、それなりに楽しみ、年末にはやしろ合宿に参加して京大水泳部とも関わりを持つことができました。今ここにある幸せとして十分だと思っていました。
府大に進学して1年、最大の鬱が訪れます。
忘れもしない、2020年3月10日。
僕が落ちた1年後の京大合格発表の日です。
僕の友達、クラスメイトの浪人生たちは、ことごとく第一志望の大学・学部に合格していました。僕を浪人にしつこく誘っていたあいつも、工化に合格していました。
合格の報告を受けた時、口先では「おめでとう」と言うものの、心の中は大荒れでした。
「浪人ってのはそんなに合格するもんなのか」
もちろん友達たちが1年間めちゃくちゃ勉強した成果だと思います。それを一緒に喜んであげたい気持ちはもちろんありました。
ただ、自分がこの1年間府大でやってきた経験の充実度と、浪人した彼らが得た第一志望の輝きはどっちの方が価値が高いのか。
そんなことを考えてしまった時、府大での1年間が急にくすんで見えたのでした。
めちゃくちゃ鬱でした。自分も浪人していれば、京大に入れたかもしれない。
あの環境で学べていたのに。京都に住めていたのに。京大水泳部に入れていたのに。
こんなもしもの話ばかり考えて思い悩んで、自分の過去を後悔して、その上人の合格を正直に喜んであげることもできない。心の汚れた、歪んだ自分のことが嫌いになりました。
そもそもお前がちゃんと勉強しなかったから。浪人して合格してやるという覚悟がなかったから。そう諦めをつけるまでに時間がかかりました。
大学院で絶対に京大に行ってやるという固い決心を固めたのはこの経験があったからです。
さて、ここからが本当の合格体験記です。
未だかつて誰も書いたことがないであろう、大学院入試の合格体験記。
大学受験生には参考にならないと思うので飛ばしてください。
僕の大学院選びの軸は、
京都大学の大学院であること、入試科目、研究内容の面白さ
です。まず京大のHPから理系の大学院を全部見てみました。
工学研究科は科目的に行けなくはないものの意外と興味のある研究室がない。
農学研究科は生化学など触れたことがない科目を要求している
という感じで意外と行けそうなところがなかったのですが、ついに見つけたのが
「エネルギー科学研究科」
もともと環境問題には興味を持っていて、何かそれに貢献できる研究ができたらいいなと思っていたのでドンピシャの研究科でした。
受験科目は専攻によって違いましたが、あれ、この専攻は試験科目「英語・小論文・面接」・・・??
しかも文系かと思いきやバリバリ理系の研究室があります。
その研究室説明を見る中でめちゃくちゃ面白そうで自分の課題意識に合った研究室がありました。そこに一目惚れして受験を決断します。
しかし変な受験科目であることに加えて、特に小論文は答えもなく何を対策すれば分からない、という言い訳でほとんど院試勉強せずに当日を迎えました。
過去問は5年分ほど解いていましたが、それ以外の勉強はなし。(専門科目の試験がなかったので当然かもしれない)
そして前日、五条のホテルにチェックイン。夜シャワーを浴びながら、謎の寒気を感じました。翌朝めちゃくちゃ体がだるい。
体温計も持っていなかったので現状が把握できないまま、試験会場へ。
歩くだけで息が切れる状態。
普通じゃないとは分かりつつ、これに受からないと院試浪人の可能性大だったので無理やり試験を受けました。
英語と小論文はそこそこの手応え。長い昼休みを挟んで昼から面接でした。
昼は今は亡き百万遍のココイチで食べました。しんどい。
流石に体温を測ろうと思ったものの測る術がなく、探し回って100周年時計台の1階の画面式の体温計で測ってみました。
37.0度。
意外と耐えてるか。と思ってそのまま面接を受けました。
ぼちぼち終わって、帰り道PCR検査したらコロナでした。
試験会場にコロナばら撒いたただの社不でした。まじでごめんなさい。
ホテル療養させてもらえたので1週間ホテル生活をしていたのですが、その最終日が合格発表でした。
朝から気が気じゃありませんでした。当日は不合格の理由を延々と教授から説明される悪夢を見ていたので、もう落ちたと思っていました。
合格していました。
しかも第一希望の研究室。
めちゃくちゃ嬉しくて涙が出ました。
ようやく京大に入れる。あの学生証がもらえる。
府大のクソブラック研究室とも、メンヘラパワハラ親父の教授ともおさらばすることができる。
その後なんばのアパホテルから解放されて歩いた1週間ぶりの外界は、暑くて、眩しくて、雑多で。でも、京大に合格した僕からするとハピネスに溢れていました。
あの日感じた鬱も、抑圧された府大での生活からも、解放されました。京都のどこに住もうか。院生でも水泳部には入れるかな。研究室ホワイトだったらいいな。
まさに新入生と同じようなワクワクを伴って京大に入学してきました。
そして今の所、全てにおいて満足しています。
住環境、京大水泳部、研究室、周りの人間(部員のみんな)
ここまで来るのに時間がかかったし、回り道もしてしまいました。
しかももう京大での生活は半分が終わろうとしています。
だけどここにいられることが本当に幸せです。
長い長いお話、多分役に立つことはほとんどないけど。
僕から伝えたいことは、後悔しない進路を選んでほしいということ。
まずは第一志望に合格することを目指そう。まだ少し時間は残されているはず。
苦手を補うのか、得意を伸ばすのか、人それぞれだと思いますが最後まであがこう。
そして、不合格になった時。
本当に滑り止めに進学して自分は幸せなんだろうか。
もちろん家庭の事情もあるので一概に浪人がいいとは言えないが、一浪くらいは全然社会的に許容されるし、その浪人という経験は人生の他では決して味わうことができない貴重なものになるとも言える。
浪人して夢を追うのもいいだろうし、受かったところに進学して「浪人して志望校に受かった以上の価値を創出する」という意気込みで頑張るのもいいと思う。
なんか最後急に文語体になっちゃいましたが、不合格側の人間として、もし仮に落ちてしまった場合に参考にしてもらえるといいかなと思います。
ちなみに僕は生協の部屋探しのバイトをしているので、生協で部屋探ししてもらえたら内見に一緒に行くかもしれません。今まで部屋探しと引っ越しを3回してきた僕の持てる全てをぶつけて、正直に各物件の良し悪しを伝えていきます。別に生協の利益はあんまり関係ないからね。
皆さんが京大に合格した折には、どこかでお会いしましょう。
明日の合格体験記は山根くんです。新入生向けなのでここからちゃんと仕込んでいこうと思います。
質問は川と山、どっちが好き?
でお願いします。
2023→2024
総乱舞
1. この合格体験記、密度めちゃめちゃ濃い、そして所々、人健出てきてるん香ばしい