こんにちは。 1回生の南利です。
誰に何を言われようが、私は紛れもない1回生なので、もちろん合格体験記は書きます。
さて、京都大学合格を目指す君たちへ
全体の文章がちょっと長くなるかもしれないので、はじめにこれだけ伝えておきます。
京大はめちゃくちゃ楽しいからぜひ合格を勝ち取ってください。人生の輝きが変わります。
もしダメだったとしても、浪人してでも入る価値があります。1年間なんて安いもんです。
決して妥協して〇阪公立大学の中期日程なんかに入学してはいけません。雲泥の差です。
参考:大阪ハム立大学なかもずキャンパスの池。クソ汚い。COD(化学的酸素要求量)的には飲める。
さて、とりあえず最重要本質情報をお伝えしたところで、本日のメニューです。非常に長く、文字文字したブログになるのでここだけでも写真にまとめさせていただきます。
ミドロン
ショート
本日はミドロンのタイムを計りましたが・・・
50×40、1:15サークルはキツイて。
何が問題かって、水飲む暇がないことです。基本的人権の損害。
あと、15秒ずつずれるのでタイム読むのに脳の処理能力持っていかれる。
いい脳トレでした。
サークル出してタイム読み続けること50分。
32本目くらいで声枯れました。本格的に。最近ユニバで声張り上げても枯れなくなってきてたんで、「喉強くなったかな」と思ってたんですがただの思い込みでした。
声枯れたから選手に声が聞こえないだろうな、と思って体を折り曲げて声を届けてたら、いつの間にか38本目くらいの時には声が復活してました。
人間の体って不思議ですね。
選手の皆さんお疲れ様でした。レストもないのに思った以上にタイムキープできている人が多くて「すげーなこやつら」ってなってました。
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さて、合格体験記と参りましょう。ずっと書きたかったんですよね。これ。
かれこれ6年くらい待ち望んでいた気がします(?)
※①はまじでちっちゃい時から書きすぎたので読み飛ばしていいと思います。
JPとは異なり小学校の図書室にこもって本を読み続けていた南利少年。
理由は簡単。運動が嫌いだったから。業間*1 や昼休み、周りの男どもは外で走ったりボール遊びをしたりしている中、図書室に通い詰めて特別な金色の貸出カードを作ってもらうレベルで常連になっていました。
小学校では読書以外に理科の実験、あと鉄琴が好きでした。あら模範的。
なんでか知らんけど勉強は得意だったので、担任の先生の手伝い?で宿題の採点したり課題プリント作ったりしてました。
中学校に入っても賢いゾーンにはいるものの1年から2年中盤は学年8位とかでした。ちなみに副教科*2 ガチ勢だったので期末テストで家庭科とかのテスト勉強ガチる系男子でした。5教科は10位でも9教科だと2位、みたいな感じ。
中2の夏くらいから第3学区*3 最難関の理数科(隣の市)を目指し始めて、なんか学力が変わり始めます。ちなみに理数科ってのは理科の実験好きやから、くらいの理由で選びました。(あと推薦入試なので入試が2月に終わる。スキーに行ける。)その辺から学年順位3位以内に入るようになりました。
その頃から理科の先生にありとあらゆる質問をしては「自分で調べてごらん」と言われて調べていた思い出があります。そういう経験から好奇心とかリサーチ能力とかが増強されたなと思います。ありがとう先生。
理数科は高校独自のイカつい変な英数国の問題と理科の実験実技、そして面接という変な入学試験で、公立高校としては異常であろう2.5倍くらいの倍率。
中3からついに第3学区名物の宗教的学習塾「能力開発センター」に本格的に入塾して、能力を開発され始めます。
この頃からずっと学年1位をキープできるようになりました。なんだかんだこの時期が相対的に見ると一番賢かった気がします。
そして無事に加古川東高校理数科に入学。あまりにも濃いクラスメイトとの3年間が始まります。(理数科はクラス替えがない)
まず学区内から選りすぐりの秀才が集まってるもんで周りがめちゃくちゃ賢いんですよね。色んな意味で。クラスで言うと真ん中くらいの学力だったのかなと思います。
そんな中、進学校あるある?の進研模試の初回で志望校を書く欄が現れます。
具体的に志望大学を考えたのはこの時が初めてかもしれません。周りの変人がノリでデジタルハリウッド大学とか書いて担任にバチボコ怒られている横で、僕は京大理学部を第一志望にしました。
「プライド的に賢い大学には行きたい、でも東大はなんか硬そう。物価高そうやし東京住みたくないし。京大の方が自由そうやし、絶対おもろいやん」
って感じで僕の京大信仰は始まったのではなかろうかと思います。
ちなみにこの時理学部を選んだのは、なんか名前に「理」がついてて理科ができるのかな、とか思ったからです。名前で志望学部選ぶのはやめましょう。
その後周りに合わせてTwitterを始めると、自然と京大関連のおもろいニュースがたくさん飛び込んできました。
・百万遍でこたつ
・ペットボトルキャップ飛ばし部みたいなやつ
・2次試験の日に現れる折田先生像
・その他センスに溢れた各種タテカン
あー、これ京大行くしかないやつですわ。ってなりました。
注釈
*1…2時間目と3時間目の間の長めの休み時間のこと。多分兵庫県の方言
*2…音楽、体育、技術家庭科、美術のこと。もしかしたら兵庫県の方言
*3…兵庫県の公立高校入試が5つの学区に分かれているうちの一つ。明石・加古川・北播
高2の夏、阪大基礎工と京大理学部のオープンキャンパスに行きました。
阪大基礎工はキャンパスにローソンがあったこと以外驚くほど何も覚えてないです。とりあえずこの時点で阪大を受ける気はほとんどなくなった覚えがあります。
京大理学部はラボツアー的なものがあったのですが、行った先の先輩(院生?)に
「理学部はやめとき。就職先無いで」
と言われたのが衝撃的すぎて、理学部を志望するのを辞めました。
あと、基礎より応用がしたかった僕にとって合っているのは工学部という場所だとこの頃知りました。
それまで工学部ってみんなロボット作ってる学部だと思ってたんですよね。
「俺ロボット作りたいわけちゃうねん」
と思ってましたが、工学部に対する誤解が溶けたのがこの頃です。
この頃すでに物理が嫌になり始めていた一方で化学は好きだったので、一番化学っぽい工業化学科を目指すことにしました。
この後も京大水泳部と合同練習するとか色々ありまして、
「京大工学部に合格して、京大水泳部のマネージャーになる」
というのが自分の中での既定路線になったわけです。
参考:京大水泳部練習日記(2022/3〜) 2023/6/8 失礼だな純愛だよ (2024年2月10日閲覧)
そんな感じで京大工学部を目指すという目標だけは明確に定まっていたのですが、そこに至る勉強は順調というわけではありませんでした。
中3で通っていた「能力開発センター」からエスカレーター式にT進に入塾しました。
まあ驚くほどに受講を取らされるんですね。それが。
1講座8万円で、英数理揃えると年間50万とか取られる。大学ですか?ここは。
講座を取捨選択できなかった当時の自分も悪いのですが、高校生活の大半はこの受講の消化に追われることになってしまいます。チャート解け、とか言われるんですがそれを進めることもできず。
これが京大落ちた最大の原因やと思ってます。復習に使うにしろ予習に使うにしろほとんど身につかないのに、受講を取りすぎた。
そのせいで理系科目の演習を、授業と同時並行で進めることができなかった。
その影響をもろに受けたのが数学と物理です。
まだ数2Bまではなんとか耐えていたのですが、数3微積分のゴリゴリ計算するあたりの演習が不足して身に付かず、その後の数3もバラバラと崩れ落ちていき、複素数平面とはなんぞや、って感じの華麗なまでの数弱が完成します。
高校の数学習熟度別クラスも下位クラスに転落しました。
物理も力学はなんとなく公式使って解いてましたが、演習してなくて本質が身についていないので電磁気が出てきた時に応用できずに爆死。インピーダンスのことは今でも陽気なダンスだと捉えてます。
そこに追い打ちをかけたのが、積ん読癖でした。
加古川駅前の寂れた百貨店「ヤマトヤシキ」の6階にあった紀伊国屋書店でよく演習本を買っていました。なぜなら火曜日がポイント2倍デーだったから。
消費もできないのにどんどん本だけ買っていく。さわりだけ読んで使わずに身に付かない。本当に無駄なことをしていました。
調子に乗って、というか周りが使ってるから自分も使わないといけないと思って、
・鉄壁
・化学の新演習
・理系数学のプラチカ
・名門の森
とかいう基礎の演習ができていない自分にとってはただのイキリでしかない問題集を買い漁っては、それに適応できずに結局使いこなせないみたいなことをしていました。
本当によくない。その頃の自分には演習が足りてないということに対する自覚と危機感がなかった気がします。いや、あったけど気づかないふりをしていたのかもしれません。
このあたりの時間配分と使用教材をうまく采配できていたら受かってただろうなと思います。高3の11月くらいにようやく少し気づいて物理のエッセンスからやり始めましたが到底間に合うはずもなく…
高3の秋まで、冠模試はDとかE判定ばかりでした。
受験直前期になるにつれて、現実逃避的な行動があった気がします。
毎週のように水泳部やクラスの友達と油そばを食べに行っていました。それもわざわざレンタルサイクルを借りて、チャリ10分の場所まで行って1時間かけて食べて、そのあとデイリーヤマザキでスイーツ食べてダラダラして帰る。
金も浪費する上にただの昼ごはんに2時間とかかける愚策。共通テスト2週間前とかにも行ってた気がします。
何を舐めとるんじゃ。
今考えると当時の自分が腹立たしい。
そんな現実逃避をする一方、受験前は心身ともに結構疲れていたとも思います。
「今突然死んだら、受験もしないで済んで楽じゃないか」
と3日に1回くらい考えていました。
あと逆流性食道炎で食道が焼けてましたし、腹にガスが溜まりまくってT進のブースで何回もすかしっぺしてました。ごめんなさい。
そんな中で心の癒しになっていたのが地理の勉強でした。
ラスト1ヶ月でスタディサプリを契約して、地理のたつじん(本名が鈴木達人)の講義を隙間時間に受けていました。
電車に乗る時も。ほんとは良くないけど駅から高校まで歩く時も。トイレに行く時も。お風呂でも。
本当にいつでもどこでも見ていて、1ヶ月で地理を総復習するとともに問題の解き方をガッツリ身につけることができました。たつじんは変な人でしたが、説明の仕方はめちゃくちゃ良かった。普遍的な問題の解き方が身について、地理はバチバチに整っていました。
おかげで共通テスト当日は97点取れたんですよね。いや満点とりたかった。
ただそれ以上に、
「もう地理の勉強ができない」
と思って共通テスト1日目の帰りにめちゃくちゃ悲しくなって泣きました。
圧倒的地理力で最終的に工学部の傾斜配点で9割超えることができ、十分及第点でした。(理系科目はほとんど対策してなかった)
共通テスト後の面談で、二次力の問題で工学部厳しいのでは、という話になります。
元々それは考えていたので、模試でも常に第二希望は農学部地域環境工学科でした。
数弱である僕にとって、数学の配点は可能な限り抑えたかったわけです。
とにかく京大に入りたかったので、共通テストの傾斜配点では不利になるものの、当日の力を信じて農学部に出願しました。
(ちなみにこの時僕は人健の存在をほぼ認知していないので、その選択肢はありませんでした。もし知ってたら出してたかもしれない。)
共通テスト1週間後にあるT進の京大模試では初めてC判定が出ます。よっしゃ、突っ込もう。そう思わされました。
滑り止めとしては
中期:大阪⚪︎立大学(中期の選択肢なんてほぼない)
後期:京都工芸繊維大学(京大に近いから)
に出願しました。
一応この二つも妥協できる点としてオープンキャンパスなどに行って決めたものでした。だからこそ、受かれば浪人せずここに行くつもりでした。
さて、文字数的に禁断の2部構成になってしまいました。その2に二次試験の話とか書いてるのでぜひご覧ください。
1. 長すぎました
2つに分けても両方文字数上限ギリギリくらいでした。ヤバい。