お疲れ様です。
引退日記トップバッター、4回生の奥田幸登です。
最初に!!!!!
8/8の4回生ラスト練習&スイカ割り
院試が被ってしまったので、僕は行けません!!!!
なので、8/6(火)に京大プールで写真いっぱい撮って欲しいです!!!!
院試非情すぎるよおお
ラスト練習、行きたかったなあ、夏っぽいこともしたかったなあ
練習あと7回
最後まで、朝練無遅刻貫きます!!!
盛り上げていきます!!!!
まず初めに、(2回目)
大学へ行かせてくれて、水泳をずっと応援してくれた両親、踏水会などの金銭的支援をして頂いた京泳会OBOGの皆さん、練習を運営してくださったマネの皆さん、疲れた体を労ってくれたトレーナーの皆さん、僕より断然高いレベルの努力と結果で刺激をくれた皆さん、平泳ぎを、水泳の面白さを真っ直ぐに教えてくれたコーチ、先生方、そして応援してくれた皆さん、本当にありがとうございました。1人では決してここまで来られませんでした。今に至るまで水泳を続けることができた身を、本当に幸せに感じます。
いろいろ振り返ってみると、練習メニューを考えてる時間が本当に大きかったですね。朝パ行っても、授業行っても、バイトしてても、家でくつろいでても、明日のメニュー何しよう、とか今日のメニューどうやったかな、丁度よかったかな、とかいろいろ考えてました。そんな生活とももう少しでおさらばです、メニュー無くなったら僕って何考えて生きてんのやろってくらいには少し心配になります。
2回生からメニュー作り始めて、その総数は・・・
170でした!!
あわわわわわわわ
40単位くらいはもらえるんちゃうん。
こんなにも練習メニューを作らせて頂いて、拙い練習メニューに付き合ってもらった選手の皆さん、スタッフの皆さんありがとうございます。
特にショートを長いことやってくれた、ささむ、中堂、藍、桜、璃子ありがとう。
1人やったら練習をするどころか、楽しむことも追い込むこともできやんかった。正直一番思ってるんは、なかなか結果出せやんかった自分やったけど、それでもついてきてくれて本当にありがとう。
ショート面の絆は絶やさず、残していってほしいな、よろしく頼んだで、ささむ。
泉さん、馬場さん、じろう先輩から受け継いだもん、託すで。
そろぼち引退日記に入ります。
~構成~
1. 競技面
2. 伝えたいこと
3. みんなへ
1. 競技面
中高時代
当時S1 Brスイマーでした。50Frは楽しむために出てるくらい。三重での水泳の生きがいはベストを出して、県の大会で表彰台に上ることでした。とにかく上があるなら上へ上へ。毎日お母さんが練習で撮ってくれる動画を、ご飯食べながらにらめっこして、反省が終わったら世界記録の泳ぎだったり、水泳の特集をYouTubeでずっと見てるような水泳少年でした。京大でも練習動画にめっちゃ拘ってるのは、こういう経緯です。けれども全国大会には出たことはなく、そこを目指して練習に明け暮れる日々でした。まだ見たことのない景色をこの目で見たかった。
高校で初めて水泳「部」に入り、高校から水泳を始めてメキメキ努力して進化していく選手の姿だったり、インハイ行くためならと筑波大学遠征まで連れてってくれた顧問、本気でインハイを目指す同期や先輩に囲まれて多くの刺激を受けました。よく大世君やじろう先輩、栞優と1本、勝負してた気がします。この時期に、「才能」とか「努力」とかいろいろ考えさせられました。同期の栞優が自主練で200*8 2:30 Flyでやってたのを見たときは頭をかなづちで叩かれたかのような衝撃を受けました。高2で結構伸びたんですが、高3のラストイヤーでコロナああ。。結局、JO、全中、インハイには届きませんでした。インカレ切るぞ~~ということで大学生編へ。
1回生
コロナの規制で朝練が8:00スタートでした。1限が週4で入ってた当時は、ほぼ全体練に参加できず、寂しかったです。思い出と言えば、京介さん(6)と裕一朗さん(5)とじろう先輩(5)と琵琶湖一周しました。大会会場が毎回県外で、遠出というのも新鮮でずっとワクワクしてました。
全国公が制限つきだったのですが、何とか出場。100Brに関しては32人の制限の中32番目という滑り込みでした、あぶない。一応全国大会ではあったのですが、高校の頃、全国公を意識する前に標準を切っていて、自分が求めて手に入れたものではなかったので、何かちゃうって感じでした。インカレを切りたい、50Fr 23.03。あと0.81秒、行ける。
このたくと可愛い。
2回生
運動生理学、解剖学、バイメカ、いろいろ勉強しました。
速くなるための解像度が上がっていく感じがして、まだまだ速くなれる方法はいっぱいあるんじゃないかとワクワクしました。この年に入部してくれた愛やFr面、地元のクラブのコーチ、高校の同期などにたくさんアドバイスを求めて、理想の泳ぎを追求しました。
その結果、2022/6 関西CS
会心のレース
50Fr 24.38
生涯ベストを4年ぶりに0.43秒更新できました。
思いっきり水面叩いてガッツポーズしました。最高の瞬間でした。
止まっていた時計の針がやっと動き出したなって感じ。
今でもこのときの動画見返したりします。
動画の最後に、電光掲示板のタイム見てうぉっって驚いてくれてる加奈さんの声入ってて、何気に嬉しかったです。
一方でBrに関しては時間がまき戻りました。あれれ。
全国公100Br 1:11.07
中2より遅い。ちゃんと練習してきたのに。。。
このとき2つのことを心に決めました。
①Brを引退する。
2種目両刀の難しさを感じました。Fr専門になって、50Frだけじゃなくて100Frもちゃんとやる。種目絞ってインカレ切る。
②頑張った人は報われてほしい。
練習頑張ったのに結果が出ないのは悔しい。努力の方向性、アプローチが間違っていたのではないか。なら練習メニューというアプローチを正しい方向に向けることで、頑張った人が結果を出せるメニューを作りたい。ベストを出して水泳楽しいって思ってもらいたい。
これは今も変わらないメニュー作りの駆動力です。
秋から本格的にメニュー作成スタート。
元日本代表コーチの米川コーチとZoom対談をしました。さらに僕の心のワクワクに火をつけました。可能性がジュワジュワ溢れてましたね。その後、方向性の違いでいろいろあったりもしましたが、冬季公認でショートの皆が全員ベストを達成できたのは良い思い出です。
こんときショート多かったなあ
強化練組、夏の100*40本からよくここまで頑張ってきたなあ。
3回生
中堂、藍が入ってきました、速すぎる。
Fr Short面が賑やかになって良き良き。
川根の家でたこを10^4個くらい焼いた気がする。
当時の4回生の引退はまじで寂しかった。
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3回生秋~
何より結果に拘り続けた1年でした。
19年間、水泳をやってきたからには最後に、水泳ちゃんとやってたんやぞってくらいの結果が欲しかった。費やした時間に意味を見いだせるだけのものが欲しかった。あの時間が無意味なものだとは思いたくなかった。平凡な自分なりに何か目に見える形のものを残したかった。それがインカレへ向けた最後の1年でした。
まずは50Frで勝負するためにパワーが必要だと考え、身体を作りました。
1回生 京大水泳部初めての練習(60kg)
3回生 春合宿(70kg)
ストレッチも毎日し、ドライも勉強して速い人の話聞いたりして内容を研究し、多くのものを取りこぼしながら、水泳に割けるだけ時間を割いてきました。練習の取り組みもメニューの期分けを再考し、シーズン初めの方から、乳酸生成能力を鍛える練習を入れ、その後に乳酸(が多量に出る状況)に耐える練習、レースペース練習へと繋げる試みを行いました。また、実際の取り組みも、レースで使えない泳ぎ、出力の練習をしても意味が無いと考え、GSなどの耐乳酸も1本目から26秒台頭で突っ込んで、そこから何本耐えられるか、という意識に変えていきました。
今まで通りに頑張ったってきっと何も変えられない。自分を変える、越えるためには、想像の範疇にとどまっていてはいけない。何かをかなぐり捨ててでも、手に入れたいものがある。
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そして惨めな思いをすることも多かった1年でした。
インカレを切るどころか、自分のベストにすら及ばず、「まだ」何にも結果を残せていません。
過去最高に本気で挑んで思いっきり壁にぶつかって虚無った冬季公認
後輩たちがどんどん先へ進み、夏レギュラーさえもないんじゃないかと絶望した春室
心の底から、死にたいくらい悔しかった関国
結局100Frの方ではレギュラーを取れず、50Fr, 100Brになりました。なんで泳いでないBrが調子そこそこええねんって感じではありましたが。けれども、100Brは僕の水泳の原点ですし、Brに始まり、Brに終わるのも悪くないなと。何よりBrから水泳の楽しさを教えてくれた恩師に、最後にBrを泳いでるところを、中高のときより速くなった姿を見せたかった。
ですが、50Frも100Brも関国で決勝に残れませんでした。
大学水泳4年目にして初めての2種目予選落ちでした。
己の非力さに絶望しました、こんなに本気で水泳と向き合ってきたのに、温かい言葉で応援してくれる人もいるのに、なんで自分は一番大事なところで結果を残せないんや。
全力で声出して他の選手を応援したり、100Brまあまあのタイムで少し喜んだふりをして、周りに心配かけないようにしていましたが、悔しさのコップは表面張力すれすれでした。誰かに触れられたら間違いなく決壊してしまう。応援や励ましの言葉さえも怖かったので逃げてました。チームの雰囲気、流れは絶対に崩してはいけない。笹村と中堂が背中合わせでセンターレーン陣取ってる、かっこええなあ、その隣に立つはずやったのに。何があかんかったんや。どこで間違えたんや。周りの目も、言葉も、全部怖いし、意味分からん思考までしてて、心の中はグチャグチャでした。
いつもなら大抵のことは何か失敗しても機械的にすぐ、次はああしようとか、この練習足りてなかったからこれやればまだ上がる、とか考えるんですがねえ。
3回秋以降、結果を出せていない理由はおそらく3つです。
・指導者がいない。
試せることは全てやってきました。だからこそ、次どうすればいいか分からない、というのは結構なストレスでした。泳ぎの変化を見て指導してくれたり、アプローチに迷ったときに相談できたり、努力レベルが落ちているときに喝を入れてくれる存在の重要性をとても強く感じました。指導者はいなくてもそれに代わる存在はいるので、もっと人に頼れば良かったなと思います。
・今の体で最適な体の動きを会得できていない
以前の最適な体の動かし方を、筋肉を10 kg増やした後の体でやっても、それは最適な体の使い方とは限りません。ほとんどの場合、不適でしょう。競技生活のほとんど、約9年を60~65 kgの体で過ごした自分にとって、70 kgでの体はあまりに不慣れでした。体が沈んで、水感が無くなっていく感じ。かといって、痩せすぎと言われることのが多かった人生なので、筋肉だけ減らすことはchallengingなことでしたし、何より筋力を増やした体の方が、動かし方を覚えれば最終到達地点は上だろうという確信があったので体重を戻すことはしませんでした。ということで今は浮き感、水感を取り戻すために、可動域を拡げながら、水中練習増やしてます。身体を根本的に変えようと思ってる選手、早めの時期にやっておくことをオススメします。ラストイヤーでやるには時間が短すぎました。
・目標を声に出すことが減った
インカレという目標に対して、どんどん遠のいていく自分と過ぎゆく時間に焦り、目標を口に出すことが憚られていきました。ただの弱さです。インカレという目標を強く意識しすぎたせいで、ガチガチに固まって思うようなパフォーマンスができなかったことも多々ありました。なので、ある時期からインカレを目指すことより、「良い泳ぎ」を追求し、その先のインカレという意識に変えました。これによりレースで少し思うような動きができるようになったのですが、目標への意識が遠のいていき、メラメラ燃えるものが少しばかり減ってしまったように感じます。
「目標を口に出す」というのは絶対にやった方が良いです。何度も。口に出すことで強い目標へのビジョンが立ち、日々の行動が変わります。朝起きるのが辛いときとか、今週体キツくて筋トレ行こうか迷ってるときとか。また、周りに聞いてもらうことで、後に引けなくなります。逆に目標を言わないのは達成できなかったときの保険です。目標を話す時間は相手にとっても無駄な時間ではないと思います。人間のなすことは全て意味があり、それは誰かと相互作用します。目標を話した相手もモチベが上がって、より水泳のことを考えるようになるかもしれません。そうして相手の行動も変われば、それを見た自分も巡り巡って刺激を受けるかもしれません。こうやって高め合える、夢を共有し合える状況を自らもっと作り出していくべきでした。目標を話す、というのは自分のためにもチームのためにもなりえます。
心がバキッと折られるようなことも多かった1年ですが、それでも前を向き続けられたのは、間違いなく応援してくれた人のおかげです。どれだけ結果が出なくても、璃子が良かったところを褒めてくれて、次こそは!て言ってくれたり、南利さんが何も言わずに肩をもんでくれたり、わっちが幸登さんにはまじで結果出して欲しいって思ってます、て言ってくれたり、萌来が相談乗ってくれたり、たくとが最後くらい結果出せよ、て言ってくれたり。他にもたくさんの人が気にかけてくれてて、それが本当に励みになりました。この引退間際の時期に馬場さん(6)、じろう先輩(5)にご飯連れてってもらえたのも個人的に激アツでした。Short面の絆を感じました。僕だけが目指してた目標かと思ったら、周りにそれを見てくれている人がいて、背中を押してくれる、それがなんて幸せなことか。
今年の関チャで100Frのベストを5年ぶりに更新できてよっしゃああああって感じで観客席戻ったんですが、璃子が僕より喜んでるんじゃねってくらいに喜んでくれてて、それを見て内心ウルウルしてました。今回の大会の個人的MVSはゆきとさんです!って言ってくれたんも、一生忘れません。MVSなんてもらったことなかったので。愛も、楽しそうに水泳やってるゆきとさん見れて良かったです、て言ってくれて、他にも温かい言葉をたくさんもらって、1人じゃなかったんや、こんなにも本気で応援してくれてたんやって実感できました。久しぶりに朱色のラップ表を見ましたし、その日は久しぶりに高揚感で眠れない夜でした。
レースを頑張る駆動力はもちろん自分のためですが、自分が結果出せてそれで喜んでる人もいるなら、さらにあとちょっと頑張れるな、て思えます。応援は1人じゃ感じられなかったものを感じさせてくれます。1人よりずっと楽しいです。応援してくれた皆、本当にありがとう。
今までの競泳人生を振り返れば、中学からの年度ベストはこんな感じでした。赤字が生涯ベストです。
インカレには全然届きませんでしたが、高校までのベストは微量ながら大学で更新できています。
けれども!!!!!!!!!!
ここまで来たら大4のとこ、50Frも100Brも赤くして終わってやります!!
過程にこそ意味があると人は言いますが、そんな綺麗事には興味ありません。
もちろん、水泳をやってきたからこそ、この先の将来も、挑戦し続ける、何かを追い求め続けられるような人生でありたいですが。それはいつの間にか水泳を通してそんな人生観に染まっただけ。その価値観を手に入れるために水泳をやっていると、考えたことは一度もない。
「結果」をずっと追い求めてきたから。
最後に水泳と本気で向き合ってきた1年間に意味があったと言えるように、19年の水泳人生の最後が良いものであるように。
最後の最後まで足掻き続けます。
そして目に見える0.01秒のタイムで、関カレ、全国公、証明してみせます。
あと少し、応援よろしくお願いします!!!
1. すごいエネルギー