お疲れ様です。
塩原進太郎です。
引退日記を書きます。
金曜日の担当だったんですけど、時間に余裕のある時に書きたかったので日曜になってしまいましたm(__)m
いざ書くとなると言葉が出てこない&自分語りマシマシで読みにくいかもしれないですがご一読いただければ幸いです。
四部構成になりました(4時間くらいかかった笑)
Part1 京大水泳部にはいるまで
Part2 京大水泳部での4年間
Part3 四年間を振り返っての感想
Part4 後輩へ
Let's go---------
Part 1 京大水泳部に入るまで4歳ごろから水泳はやってましたが中一まではプカプカやってました。
ところが僕の頑張りしだいでリレーで全中に行けるかもしれないとのことで、中一の夏から僕の競泳人生がスタートしました。初めて合宿行ったり速いコース行ったりと厳しい環境に喰らいついてました。
結局中二で全中に行くことが出来たんで嬉しかったです。
決勝なんて無縁どころか意識したことなかったんですけど素晴らしい世界を見せてもらいました。
泳ぎ終わった後先輩にマグロみたいに引き上げてもらったのが懐かしいです(笑)
速さを意識するっていう経験が無かったら僕の水泳人生はまた違ったものになってたと思います。
高校ももちろん水泳部でしたが、学校で練習していました。
公立高校だったんで速い人もいればそうでない人や初心者もいましたが、みんなで一丸となってメニュー作りや教えあい、合宿、普段の練習などなどに取り組んでいました。
メニューとかはもちろんきついんですけど、なんていうか精神的にすごい楽でのびのびやらせてもらってました。
大会でも決勝残れることあったりと、とても充実してました。
受験生時代に志望校を京大に決めてから、京大水泳部の練習日記を読んで自分の水泳部と似た雰囲気を感じて絶対に水泳部に入ろう!!って決めてました。
浪人してもその意思は変わらなかったです。
Part2 京大水泳部での4年間(i) 1回から2回夏終わりまで
面白い人達ばっかりでみんなと泳ぐのがとても楽しかったです。
速い人たちばっかりですごいなーとも思ってました。
練習もまあまあ行ってタイムもぐんぐん速くなりました。
1回の3月の大会で短水200fly2分9(5s best)だして初めて歴代載れたのがハイライトですねー。
夏休みにはるさんと旅行行ったり、冬休みに泉さん馬場さんと旅行行ったり、ご飯もたくさん連れてっていただいたりと私生活も充実してました。
そんなこんなでこの期間は先輩はみんな可愛がってくれるしタイムも出るし順調でした。
(ii) 2回秋から3回最初くらいまで
この時期に競泳人生初の鬼の不調を迎えました。
短水路シーズンですね。
どのくらい不調だったかというと100flyはbest+2sくらい、200flyはbest+5sくらいでした。
100flyに関しては長水より遅い始末でした。
流石に大会が嫌でしたね。ただでさえ200fly鬼きついのに、泳ぎ終わったらbest+5。
やってらんないですね。
流石にまずいと、朝早く行って体幹などをする生活を始めました。
自分のことを絶対ベスト出すマンと名乗っていました。
振り返ればもっとスマートな努力の仕方があったと思いますが、どげんかせんといかんという意思は伝わってきます◎
不屈の精神は僕の美点の一つだと思います。
(iii) 3回最初から3回夏まで
夏季公かな?で一年ぶりくらいの100flyベストを出せました。
ゆーいちろさんやさくらが喜んでくれたのをよく覚えています。
朝体幹の努力が報われて嬉しかったです。なんや水泳楽しいやんとか思った気がします。
京大プールに移ってからも体幹を引き続きやりました。
練習終わりにしおりやりこを巻き込んで体幹してたのが懐かしいです。
じろーさんにレースタイムと同じ時間やらなきゃ意味なくね?と言われたのもよく覚えています。
脳筋ですね。
チューブや筋トレもアホみたいにやってました。
そんなこんなで、当時、競泳史上一番練習を頑張って関国を迎えました。
風邪を引いてて万全の状態ではなかったんですけど200flyで何とか8番通過で決勝にいけました。
予選がはるさんの隣だったんですけど、僕がタッチした後に二人ともまだタッチ版の前にいる状態で、はるさんに「(決勝に)残った、残った!!」と言っていただきました。
僕の水泳人生ベストモーメントsの内のひとつです。
2日目終わった後にじろーさんが「進太郎が賞状とってくれたことが僕は嬉しい」といってくださったのもsの内のひとつです。
いい感じで関国と七帝を終えました。
さて、夏の終わりの全国公です。
今まで一緒にやってきたゆーいちろさんとはるさんの引退試合なわけでして、
やはり兄のように思っている2人に、俺はやっていけるぞと良いところを見せたくて全国公に向けて一層気合をいれました。
(今思い返せば、無理をして痛む体に鞭をうちまくってて良くなかったです。頑張ってはいるんだけど、、、みたいな感じ)
順当に全国公の結果は散々でした。
その頃は私生活も上手くいっていない+頑張ったのにベストに遠く及ばず、、、
2バタのあとはるさんと話してるときに人生で初めて自分が不甲斐なさ過ぎて泣いてしまいました。
↑100fly終わった後
ごときゅんとワイだめだめだったね笑
俺ら今年1年頑張ったと思うぜ
(iv) 3回夏休み
死亡
なんかせんとまじで死ぬと思って筋トレ、読書、英語をしました。
ここで自暴自棄にならずプラスになることをできたのはデカい、偉い。
(v) 3回秋から4回最初の方
引き続き筋トレを狂ったようにしました。
タイムの方は上がり始め、泳ぎ方の模索を始めました。
腰を浮かせたり、手をかききらなかったり、胸からうねらせたりなどなど
なんか初めて速くなるために色々考えました。
心境にも変化があり、
何事も苦しいことは結局は自分で乗り越えなくてはいけない、損なわれてしまったものはしょうがない、心地の良い諦観の後に吹く爽やかな風のような努力が人生には必要
と思い始めました。
(vi) 4回最初の方から関国まで
泳ぎをもっと根本的に変えないとと思ってテンポを上げました。
2回生以上は分かると思うけど以前の僕はもっとテンポの遅い泳ぎをしてました。
全く新しい泳ぎを体得するのには骨が折れました。
結構な賭けでもありましたねー。
しかし、テンポをあげた泳ぎを続けてたら自分に足りないこと(手と足のタイミングと重心移動)に気づきました。
そっからはひたすらにその2つのDrillをするのみでした。
感謝の正拳突きをしているような気分で楽しかったです。
結果としてどんどんタイムが上がっていきました。
なにより、
自分に足りないことの分析→努力の仕方の吟味→努力
という風に無駄のない努力の方法を知れたのが大きな意味をもつと思います。
なぜなら自分の短所を見つけて、次に自分に合った改善法を見つけるのが結局一番スマートだし、それはどの分野にも応用できると思うからです。
関国の決勝で最大のパフォーマンスをするためにナイフを研ぐように合わせていって、本番で150%の実力を出せました。
決勝まじで楽しかったです。
入場の音楽が鳴り始めた時の緊張感や、みんなとのハイタッチ(これはマジで良かった)、明るい会場、目の前の50mプールに一人で飛び込んでいくという緊張と興奮、全部が脳裏に刻まれました。
普段の僕は80%の力で頑張りを継続するっていうのが性に合ってるんですけど、やっぱりある局面で100%の実力を出すってのは大事な能力だと思います。
その経験が出来て良かったです。
この期間もモーメントsの内のひとつです。
(vii) 関国から今まで
燃え尽きてしまった、島原ウイルスに感染、院試なにもやってない、実験毎日あるの四重苦に追われています。
しおん風に言うのならキャパい。
最後へなちょこで終わりたくないんで意地見せます。
続くンゴゴゴゴ