京大水泳部練習日記(2022/3~)

山本裕一朗の引退日記 ~俺やっぱ水泳好きだわ~

本日の引退日記を担当します。4回生の山本裕一朗です。
後輩の皆さん。「朗」という字は、変換予測に出るようになりましたか?

3年前、「はじめの一歩」というタイトルで書いた最初の日記。
豆のように小さな字体で、「裕一朗の朗は、佐々木朗希と同じ字だ」とか「日向坂が好きで、アルバムを片手に音ゲーしてる事」とか、本当にくだらない自己紹介をしました(笑)
顔も名前も知らない先輩方のコメントを、肝を冷やしながら読んだ事を鮮明に覚えています。

僕が入部した当初、同期は僕を除いて2名。
初回の日記で本名を名乗らない奴が1名。初回の日記を6行で済ませた奴が1名。
この2人の間に書いた僕は、3年間続けていけるか非常に心配になりました。

今では懐かしく、良い思い出です(笑)


日記を書く事、好きですが苦手です。
書こうと決めた良さげな話も、サシ飯の時に湧き出る深い話も、万人が読む文章では淡白になってしまう。
当たった日には前夜から書く事を考えて、稚拙な国語力を使って頑張ってました。

まぁ、そんなに難しく考える必要なんてなかったんだけどね(笑)

些細な話をラフに出来るからこそ「京大水泳部練習日記」です。
好きな食べ物書いたり、他人の事をネタにして笑ったり、謎の写真を載せたり。
入部当初は慣れませんでしたが、京大らしい文化で好きになりました。

今日で最後。関国の前日みたいに、見返して自分で納得できる事が書けたら良いな。


はい。それでは、書いていきましょう。


第1章 選手として過ごした14年間
(というタイトルですが、非常に長い!簡単にまとめて書きますね)

選手育成コースに入ったのは8歳の夏。ただひたすらに、泳ぐ事が大好きでした。
「回れるサイクルを速くしたい」「ベストタイムを出したい」「姫路の大会で金メダル欲しい」
振り返ると小さな目標でしたが、当時の僕を奮い立たせる理由には十分だった。
何なら「頑張って練習して速くなっている自分、カッコよくね?」って思う、イタい奴でした(笑)

水泳を続ける中で、様々な事を学びました。
プールに一礼をする理由も、先輩やコーチに対する礼儀や敬語も、力を合わせてリレーに出る事の楽しさも。今に繋がる全てを教えてくれたのは、周りの人と水泳そのものでした。
中学校の顧問に言われた「感謝を伝える行動が第一。自らのために積む努力は、その上で初めて意味を成す。」という言葉は、今でも大事にしています。

勉強との両立で苦しい時期もありました。引退5か月前に、決死の思いで移籍も決断しました。
家族と恩師が支えてくれて、最後の近畿総体まで水泳を全力で続ける事が出来ました。


コロナ禍での入学。迷いながらも、大学で水泳を続ける事を決めました。


ずっとスイミングスクールで競技をしていたので、部活動で水泳をするのは初。
入部してから間もない頃は、部活動の雰囲気を勉強して自分の取るべき姿勢を模索してました。

大きなチーム目標を掲げて挑む対抗戦。
「京大水泳部の一員で出る大会、楽しみだな。」
「雄登さんが言っていた。レギュラー種目は、責任を持って泳がないといけないんだな。」
「団体権を取るためにも、自分の種目で決勝に残らないといけないんだ。」
「絶対に点数取れる、と先輩に言ってもらえた。何とかして頑張らないと。」


結果。初めての関国では、芳しい結果は得られませんでした。
周りが抱いている期待に応えようとして入れた気合いは、自分に対しての重圧に変わってしまった。

「思っているよりも、自分は期待される事に弱かったかもしれない。」
自分の新しい一面に気付いてから、水泳に対する気持ちが大きく変わる事になりました。


1.自分の持ち味である「チームに対する熱い気持ち」を、「上に積み重なる力」じゃなくて「後ろから押してくれる力」に変えよう。

2.チームへの気持ちが先走らないように、まずは自分のレースをしよう。
  自分のレースをした上で、チームに貢献できるようになろう。


何があっても前向きに捉えて楽しめるくらいの余裕を忘れずに、全開のアドレナリンを添える感じ。
振るわなかったレースでも、反省点と同じくらい出来た点を考えてあげるようにしました。

百発百中で出来た訳ではありませんが、3年間を通して「自分成長したなぁ」と感じる場面が増えました。
京大水泳部の3年で、レースに挑むメンタルを鍛える事が出来ました。


「どの種目でタイムが伸びた」などの結果は、割愛します。
歴代記録とスイムレコードを見れば分かる事やし、引退日記で書くのは必要ないかな(笑)


現役選手として泳ぐレースは、全国公のみとなりました。
最後の1mまで、全力で自分らしく泳ごうと思います。



~ブレイクタイム~
オレンジジュースを飲みました。美味しい。



第2章 メニューを作る・メニューに取り組む

1回生の冬に、メニュー作成の依頼を受けました。週1回のEN練習。
託してもらった事への喜びと同時に、結構プレッシャーを感じました。
Endurance練習の担当。加えて、練習の参加率が一番低い月曜日。

まず第一に「頑張りたいと思える練習内容にしよう」と決めました。

起きる事さえキツい、早朝での練習。
なら、「今日は調子が微妙やったけど、この内容は頑張った」と思ってもらえるようなメニューを作ろうと頑張りました。

後半2年は、メイン・試合前の調整も含めて色々作る担当をしました。
説明の時に「メニューに書いていない意識する点」を口頭で説明して、泳ぐイメージを掴んでもらう事にもチャレンジしました。
(それが理由でマネさんを困らせた事もありましたね。ごめんなさい。)


昨日の練習後にも伝えた事になりますが。

毎回(まずはメイン練習だけでも)の練習前で「意識する目標」を考えておく事と、練習後に「意識できた点」を振り返る事を、大事にして欲しいです。
普段から練習ノートを書いている人には、わざわざ話す事でも無いね(笑)
せっかく練習するなら、自分の力になるように取り組んで欲しいです。

頑張って作ったメニューに一生懸命取り組んでもらえる事が、一番嬉しいんです。
メニュー係として思う事は、大半一緒じゃないかな。


第3章 主任として
「チームの総合力を上げたい」と思い、対抗戦の目標順位は高く設定しました。
高い目標を立てた上で、「実現させてあげたい」と思うシーズンでした。

反省点は多々あります。
優二郎が昨日書いていましたが、最初は厳しく言う事が多くありました。
「言って注意すれば、態度から考え方まで変わるはず」と思っていました。

でも違うかった。
誰もが同じ考えを持っている訳もないし、全員の取り組み方・考え方を完全に変える事なんて1年弱では出来ない。


いや、完全に考え方を変える必要なんて無いんです。
各々が抱いている、水泳への気持ちや姿勢を尊重する事にシフトしようと決めました。


途中からは、皆んなの夢・目標・成長を理解して引き伸ばせるような主任を目指しました。
勿論、選手として強い姿を見せ続ける事は続行しながら。



週オフを作ろうと決めた理由は「週6回に対する義務感を、少し楽にできたら良いな」でした。
部員の皆んなが持っている自主性に懸けましたが、より一段と頑張ってくれるようになった気がします。

後輩には色々と改善すべき点を残してしまったと思います。
それも次の世代以降で改善を進めて、より良い方針を考えて欲しいです。
真新しい取り組みとして作ったからこそ、問題点が見つかったと思います。
トレーニング計画のバラつき・試験期間の出席率など。

僕が主任を務めた「青炎」シーズンは歴史の1ページになるだけで、永久不滅のルールや考え方を作った訳ではありません。

部員にとって何がプラスになるのか。各世代でたくさん考えて、模索して、進んで下さい。
チームがより良い方向に進めば、僕の主任としての役目はOKだと思ってます。

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プロフィール

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京大水泳部
性別:
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