京大水泳部練習日記(2022/3~)

引退日記_塚腰龍希

(一言でも構いません、気軽にコメントしてくださいね、僕の以外にも!)





引退日記とは、


水泳部生活を振り返る僕自身の気持ちの区切りとしての意味と、この水泳部生活で得られた学びを後輩に伝える、という二つの意味があると思っていますが、
後者の為に文章が少し啓蒙めいたものになった部分があることをお許しください。




まずはじめに、、感謝を、、、。


この一年は、主将という役職上たくさんのOBOGの方々と関わる機会がありました。
練習漬けの下回生の時分には、なかなか意識することはできませんでしたが、
たくさんの方に支えられながら現役を過ごせたと感じています。卒業から何年経っても熱き現役時代を語ってくださる皆さんに勇気をもらっておりました。本当にありがとうございました。


スタッフの方々にも感謝してもしきれません。毎日早起きをして練習を回してくれてありがとうございました。試合のときのシールもらうのが楽しみでした。トレーナーさんにコンディショニングしてもらってなかったら今頃腕も足もボロボロです、痛めたときも相談にのってもらってありがとうございました。


他大学の皆さん、交流してくださってありがとうございました。特に阪神両大学には練習から合宿からお世話になりました。今後とも京大との交流をよろしくお願いします。





自分の青春は水泳とともにあったと思ってきましたが、
水泳部生活を振り返って文章にしてみると意外とこんなもんです↓




一回生


大学水泳をしている人のなかで少数派だとは思いますが、僕はスクール上がりではなく、中高の部活だけで練習してきました。中学は初心者で始めた割に結構速かったと思います、中1中2では毎試合ベストを更新できて、中3で近畿大会に個人とリレーで出れました。

高校はさすがに個人は無理でしたがリレーでは近畿大会に出さしてもらってました。
(今考えると、京都から出てただけなので全然。大阪とかもっとレベルの高いところから出てたひとはすごかった)

そのときは知り合いに今ほど速い人もそんなにいなかったので、まあ大学入って上回生なったらリレメン入れるやろ、とか勝手に思ってました。京大水泳部のブログを読みながら一年足踏みしましたが、(器械体操部の新歓に謎に行ったあと)まっすぐ水泳部へ。ブログで見てた人がたくさんいて最初は感動しました。この人が京介さんや、みたいに。

中高では特にブランクも経験することなくベストを更新して引退していたので、大学でも伸びるやろ、とか思ってましたが、そんなわけもなく、一回生はバタバタしてたら終わりました。

100Frをメインにやっていましたが、生涯ベストは更新できず、
50Frも速いひとがいるし、
200もやらなあかんなぁ、でもしんどいな。このままやとリレメン入れなさそうやなあ。

でも水泳言い訳に全然勉強もできてへんしなあ。一回生終わり。




二回生


同期が増えました。大所帯楽しいね。

ちょっとずつ水泳への取り組みからが変わってきたのは2回生のGWの神大練です。ユキトさんに誘ってもらって、ひょこひょこついていきました。(川根もいたかなあ)
はじめて関わった他大学の人たち、練習の雰囲気もすごい。Formとかdrillとかメニューに対する考え方も全然違う。もちろん、京大が嫌いなわけではないです。例えばGSのとき、京大は静かすぎるってよく他大学のひとに言われますが、あの集中した感じは結構好きでしたよ。
(神大はうぉおおおおお!って感じですよね。どちらもよいです。)


あまり外部と交流したくない人もいるかと思いますが、保守し過ぎてもあんまり良いことないですからね。(僕は極右やないですよ、、シュンスケ、、、)21世紀らしく?外部と広く交流してゆきましょう。部全体にとっては必ずプラスになります。


それに最後の一年間はメニュー係として、なんとかメニューを作りましたが、他大学のメニューから受けた影響は大きかったですな。


対抗戦ではレギュラーはもらえず得点面では何もできませんでしたが、応援係として声出しは頑張りました。ちょうど禍の終わりかけに入部したので応援歌を先輩から教えてもらって復活させるのに苦労しました。応援歌を覚えてもらうことが大変だったというより、応援する文化を水泳の会場が忘れてしまっていたために、みんなにどう声出ししてもらうか、が大変でした。


夏は強化練でした。朝練、寮で寝る、夕練、夜ご飯、寝る、みたいなサイクルでした。青春だったなあ。


冬、主将主任を決める話し合いがありました。堀くんがぼっこぼこにされていました。自分は主将に立候補しました。色々あって決定は延期に。その後、役職は決まりましたがワダカマリ?が残ったまま春になりました。




三回生


このくらいの時期から苦しい時期が続きました。練習には行きますが、ベスト出ない、レギュラーもとれない。上回生なったらFrのレギュラーとれるやろ→→→→とれてません。先輩が引退してレギュラーとれたとて、タイムが遅すぎて話にならない。もうすぐ最上回生やのに。主将として色々頑張らなあかん、メニュー係として水泳部の練習の1/6が自分にかかってる、Frもできていない。



自分の水泳部生活はあと一年半で終わる。自分は一体なにがしたいのか。


水泳という競技をやることに銘銘さまざまな意味をもっていると思いますが、
僕個人に関して言うとベストタイムを更新するというより、


「対抗戦でチームに点数をもってくる」


が一番でした。点数が全てでない、という意見もすごくよくわかりますし、点数以外の面を否定するわけではもちろんない。(むしろ本質だとも思います。)でも点数をもってくる先輩同期後輩がかっこよかったから、自分も点数をもって帰ってきたかった。その一心でラストシーズンはFlyに変えました。


そのとき全国公を割れていたのが唯一200Flyだけだったのと、来年の対抗戦を見据えたときに決勝進出しやすそうなのが200Flyでした。ラストシーズンに専門種目を変えるのは異例だと思いますが、全ては対抗戦で点数を稼ぐため。あと一年Flyで頑張る。


後藤にはお世話になりました。Fly初心者の僕にドリルからFormから聞いたら全部教えてくれました。ポヨさんが引退して、後藤の練習相手がいなくなってしまって、僕がいつか横で同じくらいのタイムで、という目標は達成できませんでしたが、それでもなんとか食らいついて頑張りました。


でもFlyに限界を感じ始めたのは2月ごろかなあ。シーズンの半分が終わったけれどFlyのベストが全然出てこない。少しは伸びたが対抗戦で戦えるレベルにない。最後の夏も結果出せずに引退しちゃうのかなあ、とか思いながらする水泳は精神的にめっっっっちゃキツかった。


春休みに5日間の神大合宿にいって、その次の週に4日間の京大合宿でした。人生で一番頑張った、そして辛い期間でした。(この後、帯状疱疹になった)結果が出るのか分からへんのにずっとFlyし続けました。何日目の夜か、日本男児であるにも関わらず涙を流してしまいました。Flyを続けるべきか、Frをするべきか、後藤としおりや同期が相談に乗ってくれました。一人で水泳してへんなあ、と感じました。あのときは本当にありがとう。(精神的にも物理的にも)あのとき背中さすってもらってなかったら、このラストシーズンはなかったです。


この合宿は印象的なことがもう一つあって、FlyでGSをしているとき、長水でぽんぽん29秒台が出て、GS中にも関わらず、ささむーとか梅ちゃんとかが「速いね」っていってくれたことがとても嬉しかったですねえ。自分が練習で褒められることなんてないですからね。(練習後、堀に自慢しにいったら「まだまだやね」みたいなことを言われたけど、それはそれで嬉しいのカナ。。。)




四回生


新入生が入ってきました。広大と村松が入部。安心してFlyを辞める決断ができました。
と同時に急にFrが速くなりました。なんとも不思議なものです。これは水泳に限らず言えることでしょうが、しばらく頑張っていたら、あるとき急に伸びるんですね。腕立てと体幹を毎日してました。短水路で急に200Frが軽く2分を割れるようになり、夏季公で急に引き継ぎ1:56がでました。あれ、自分こんな速く泳げたんや。レギュラー取れるかもしれない。高校生のときは、200Fr 2分割る人らのこと、魚やとおもてましたが。Fly頑張ったことがFrのタイムにつながったと信じるしかありません。そうでなければ報われない!


関国決勝残れました。(幾度なくクビになりかけましたが)8継もメンバー入れてもらえました。でもタイムが遅くて申し訳なかったです。
そして、2:00割ってな、とたくさん応援してもらったのに割れなかったことはモヤモヤしますが、やり残した仕事があることを今後の人生の糧にしたいと思います。



↑部室。見てるだけで楽しい。


謝罪1


たまにキモ行動を取ってしまいました。
→→→ごめんなさい


雑談2


2回生の京大合宿の 100*40  1:40  High Ave くそキツかったです。確か1:16で、優二郎さんに勝って嬉しかった記憶・まじで一生やりたくないです。ってか、ゴールセットをもうやらなくていいの、結構嬉しいです。


雑談3


この部活には水泳オタクたちがたくさんいました。僕が出会った一番のオタクは幸登さんですかねえ。競泳ニュースの情報はTwitterを見るより、部員の誰かに聞く方が早い時もありますな。僕はあんまり知らなかったんですが、じゅぺもめっちゃ詳しいらしいすね。
→→→みんな色々知っている。周囲の人に聞いてみよう!


雑談4


折りにして思い出すレースは僕の原動力になっていました。まずは、一回生の時の関国の後藤ですかねえ。本人に面と向かって言ったことはないですが。入部して大して話してもなかった気がしますが、あれはすごかった。一回生でも勝てるんや。表彰台いけるんやなあ。
2回生の時で一番印象的なのは、全国公8継決勝です。凄まじい歓声の中で泳ぐリョウセイさんユウイチロウさんジュンさんと堀サン。京大が全国公で5位。ほんまに速くてかっこよかった。あの時、関西全体でうおお、、ってお応援したんですが、あの応援を背負って200*4を泳ぐんえぐいなあと思いました。今にして思えば、僕の8継への思い入れは、あの瞬間に端を発するものかもしれません。


次に印象的なのは3回生の関国です。2回生以上の人たちはよく覚えているレースやと思いますが、たくとさんの400IMのラストのFrのまくり。練習後にタバタしたり、腹筋したり、医水の練習に混じったり、たくさん努力されているのを直にみていたので、結果を出されたときは感動しました。


書き出したらきりがないんですが、いろいろな人の水泳に支えてもらって泳いでいたなあと感じます。


雑談5


部活動に励む我々にとっては、
・ 競技 という「ハード面」 だけでなく、
・人間関係という「ソフト面」 も非常に大きいものであります。人間関係で悩むひとも多いでしょう。
うまく言葉にできないですが、結論だけ。余裕がある人が他人を思いやれるのかどうか、今になってはそれは「逆」であると言えます。人を思いやるからこそ自分のなかにちょっとした余裕が生まれる。気遣いの芽が心に空間を作るんですな。逆ですな。


逆理論は他にも当てはまります。
やる気があるから  →  朝練にいけるのではなく、
練習に行くから   →  やる気が出てくる
とか、たくさんありますよねえ。人生で大切な真理の一つだと思います。
壁にぶち当たってるひと、逆立ちしてみてください。





ぽ(呼気音)









幹部として。


主将になると決まってから、たいして速くもない自分がこの京大水泳部に貢献できることはなんであろうか、と幾度となく自問してきました。みささんのように結果で示す大きな背中、優二郎さんのようにみんなを包み込む大きなお胸、松もっさんのように仕事を完璧にこなす大きな腕?、どの主将もすごいけれど自分がなれる気が到底しませんでした。
でも自分ができるところからはじめよう。まず取り組んだのは「部員が快適に練習できる環境をつくる」ことです。つまり京環会活動ですね。


環境とは二つの側面があると思います。一つには物理的にいい環境。冷蔵庫・扇風機・シンク・畳モドキを設置したりしました。将来BIGになって寄付したいですが、それよりも今、現役でいる時分にそれを享受したいなと思い色々設置しました。


二つ目に部の雰囲気。あえて言語化すると、部員全員が「このチームのために頑張ろう」と思ってもらえるようなチームの雰囲気を作ることです。
・選手であれば、いい結果を持ってこよう、
・スタッフであれば、いい結果を出してほしい、
と思ってもらえるチームを作ることを目標にしました。


まずは自分が練習試合頑張ろう。でも振り返ってみれば、これは正直あんまり頑張れなかったかもしれない。堀に頼る部分が大きかった。


そんな中でも自分は中間管理職として色々動くことは頑張れました。OBOGとの間に立つことも、部員間の板挟みになることもあり、しんどいことも多かったけれど、いろんな圧力のなかでウニョウニョしました。
結果でぐいぐい引っ張る主将にも、優しさで部員を包み込む主将にも、同じ目線でふざけられる主将でも、部員の模範となるような主将にも、なりたいという思いでこの一年やりました。人によって見方は異なるでしょうが、京大水泳部が良い部活になる手助けをできていれば幸いです。


あと、京環会は僕だけで終わりですが、良い「環境」を作らんと他人を慮り、なにか行動をとってくれる人がいてくれたら嬉しいなあと思います。それは時に、(別に京環会関係なく)
・ゴミ袋を替えるとか
・ペットボトルを拾うとか
・ちゃんと挨拶を返すとか
地味なことかもしれないけれど。やるときは周りのひとを巻き込んでいってもらえるともっとgoodです。




多分書けていないことも多いけれど、振り返りはこんなものですかな。
最後に後輩の皆さんに伝えたいことを書き残しておきます。




部訓の最初に「素直であること」と書いてありますよね。これ、ずっと意味がわからなかったんですヨ。「京大水泳部員としての誇りを持つこと」とかいうのは分かり易い。意味の輪郭がぼんやりしていてもそれらしい行動をとることはできる。(ほかのものも同様)


だが「素直」とは一体どういうことであろう。5月に黄金世代の方々が来てくださって、やっと質問することができました。田畑さん(=部訓を作った方)はこうおっしゃっていました。「素直とは言い訳をせず結果を受け入れること。これが一番大切だと思っている」と。


水泳は小さい頃から始めている人が多く、自分なりの試合への挑み方、泳ぎ方、メニューの取り組み方、ひいては練習態度まで、自分でも気付かぬうちに(様々な場面において)考えが凝り固まってしまっている部分が多くあると思います。




ですが物事がうまくいっていない時、自分にとって ”耳の痛い” 言葉を「素直」に受け入れ、改善しようとする「謙虚さ」が大切なのでしょう。僕は、この己の足らざるを知り、謙虚であろうとする姿勢こそが「素直であること」の意味だと今では解釈しています。(是非一度自分で考えてみてください。)


水泳部生活で苦しい瞬間がきっとあると思います。
でも水泳部に最後までいて後悔することはないです。歯を食いしばって頑張れーーー。




また一つ素晴らしい記憶をためてゆく。
それが自分ひとりだけでなく、
たくさんの仲間と一緒だと、なお素晴らしい。




そんなことを考えさせられた三年半でした。関わってくださった全ての皆様ありがとうございました。我が人生に京大水泳部のいちページがあることは誇りです。









京都大学体育会水泳部
24→25 主将
塚腰龍希


2022 全進
2022-2023 青炎
2023-2024 総乱舞
2024-2025 STARDOM

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プロフィール

HN:
京大水泳部
性別:
非公開

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