やっと引退日記を書く気になりました
梅村です
引退日記読むのは大好きだったんですが、書く側になるとこんなにめんどくさいんですね。
Word君がいちいち日本語の間違いをしてきてイライラしました。機械のお前より21年日本語を使ってる僕の方が正しいに決まってるやろ。
何の確認もしてないので誤字してたり、日本語おかしかったらすいません。
① 中学校まで
水泳を始めたのは4歳か5歳くらいときです。近所のスイミングスクールにぶち込まれました。しゅんぺいくん(5)はスイミングスクールが大嫌いでした。しんどいからです。あとコーチも怖くて嫌いでした。結局小6までいましたが選手コースに行くまいとあえて平泳ぎをできないふりをするなどしていました。普通に二度と水泳なんかしないぞ、と思いやめました。
中学校ではサッカーをしようと思いましたが先輩が怖すぎてやめました。いくあてを失い、入る部活もないので水泳部に入りました。入ったはいいもののやる気なんかないし、なんせしんどいことが大嫌いなので全く頑張りませんでした。おかげで中学校のときの公式記録は残ってません。大阪大会にも大阪学年別大会にも出られなかったからです。何秒だったかもわかりません。最後の大会も夏期講習って言って参加しませんでした。ということで中学校まではお水遊びをしていただけでした。今思えばこの時もっと頑張ってればよかったと思います。遅すぎますが。
② 高校
さて、高校が転機です。めでたく第一志望の茨木高校に滑り込み入学し、今度こそ水泳をやめるぞと決意し、スキー部の仮入部に参加しローラースケートをびゅんびゅん飛ばして遊んでいたらひっくり返って骨折しました。骨がずれていたらしく全身麻酔で手術することになりました。
病室でスマホを眺めていると、水泳部の部長から「水泳部入るってことでいい?」とLINEが来ました。クラスに中学で水泳部だったやつがいて、そいつが連絡先を渡したようです。先輩が怖くて「はい」と返事してしまいました。ということで高校でも水泳部になってしまいました。なんてこった。
念願かなって中央大会に出れることになり、人出不足だったのでリレーも全部出してもらったような気がします。中央大会は50が27.6、100が1:00.8だったと思います。長水です。高校入って最初の地区大会のときは100が1:15でした。短水です。信じられないくらい伸びました。俄然やる気がでてきたので、引退までに56くらいだしたいなぁと思っていました。しかしコロナのせいで何回も部活を停止され、思うように練習できずこのときのタイムがベストで引退することになりました。やり切ったと思っていましたが、もっと速くなれたんじゃないか?という心残りがありました。
① 大学
全進
受験勉強は無双し、晴れて京大に受かりました。若干の未練があったので水泳部を調べてみると6:35~練習って書いてありました。どう考えても無理です。毎日5時に起きられるわけがありません。なので友達にくっついてフットサルサークルの新歓やフィギュアスケート部の新歓に行きましたが、どれもあまりピンときませんでした。一応水泳部の新歓にもいってみました。伊藤さんと堀くんもいました。さんざん迷いましたが、どう考えても4年間暇だったので入ることにしました。これが大きな間違いでした。早起ききつすぎ、練習きつすぎでした。毎日練習に行くだけで精一杯。泳ぎを直すとかそんな次元にありませんでした。強化練もしましたがやってるだけでした。なぜか2フリがあいていたのでやってみましたが2:30かかりました。以来一回もやってません。このときの笹村くんは僕と同じくらいでした。本当です。よくわからないままシーズンが終わりました。
青炎
夏になっても一向に速くなりませんでした。練習するたびに遅くなっていきました。笹村はあんなに速くなってるのに、ベストすら出せない自分が嫌になりました。あぁ横転横転。
対抗戦も観てるだけでぜんぜん面白くありませんでした。みんなが決勝に残って楽しそうにしてるなか、応援だけしてるのが虚しくなりました。夏唯一の試合、七帝戦でも高校の時より遅いタイムでした。もうその場にいるのが嫌すぎて一人で歩いて帰りました。とぼとぼ歩いてたらバスに乗ってる人たちに追いつかれて気まずかったです。その後同期は東京でご飯を食べてましたが、参加せず一人で新幹線に乗って帰りました。今シーズン終わったらやめようと決意しました。でも練習に行かないと怒られそうだったので強化練の2部練には参加し、一応やりとげました。全国公終わりの写真を撮ってるときにはるさんにこんなことをいわれました。
「僕は水泳をやる意味がわからなくなっちゃったけど、梅ちゃんはその意味を考えてほしい」
ちなみにはるさんはこんなこと言ったっけ?って言ってました。適当すぎるやろ
その夜、ゆういちろうさんの部屋に行ってやめようかなと思ってます、という話をしました。その部屋にいたりょうせいさんは「速くならないと思うしやめたら?」って言ってました。人の心がないみたいです。
でもこの全国公は転機でもありました。たくとさんがIMやろうといってくれました。IMは人がいなくてレギュラーとれるから勧めてくれたんだと思います。そのときなぜか肩組んで写真撮りました。
やめるつもりでしたがたくとさんがIMやろうって言ってくれたり、夏季長で高2以来のベストがでたりしてすごく迷いました。IMなんかやったことありません。そういえば書き忘れていましたが、2回生夏までフリー専でした。理由は簡単。フリーしか泳いだことなかったからです。バッタなんかもっての他です。当時踏水会で50のハードしたら39秒でした。遅すぎて草。別にブレすらも速くありませんでした。1ブレ1:18とかだったのでかずさの方が余裕で速いです。
いろいろオフ中に考えて自分なりに3つくらい決めました
1. 水泳を楽しむ
2. 後悔は引退するときにする
もう自分は水泳に向いてないし、これ以上速くなることはないだろうと勝手に決めつけていましたが、真に水泳に向いていなかったかどうかは引退のときに決めようと思いました。4年間やり切って、それでも速くならなかったら「向いてなかったなぁ」と思いながら引退すればいいや、と思いました。
3. 速くならなくても諦めない
さっきのと被ってるかもしれませんが、全部経過に過ぎないわけです。次の試合でベストがでなくても、その次で大ベストがでればなんの問題もないわけです。一喜一憂するのはやめました。
これくらいです。とにかく最後まで続けてみようと思いました。
総乱舞
ということでやったこともないIMをすることに決めました。せっかく拾ってもらったのでたくとさんと一緒に全国公にでることを目標にしました。もちろんフリー以外泳げないので練習ではさんざんぼこぼこにされました。バッタなんかほんとにひどかったと思います。いまもあんまり上手じゃないけど、それにしても泳げてなかったと思います。それでも前の夏に比べれば断然水泳を楽しめました。IMだけ迫害を受けてたくとさんと二人でGSの4セット目をするのも、二人でパートミーティングするのも楽しかったです。たくとさんはへたくそな僕の泳ぎを真面目に見てくれました。おかげでベストがでないなんてことはなくなりOB・OG戦のときは200で2:28とかでしたが、春室で2:23まで来ました。このペースでいけば夏季公ではワンチャンあるんじゃないか?と思い始めました。が、ここからいろいろあってあんまり速くならず、結局全国公には届きませんでした。ちなみに400も一回やってみましたが短水で5:22だったのでこれは無理だと思って諦めました。
その後肩が破壊され関カレ以降泳ぐことなく総乱舞を終えました。
Stardom
ラストイヤーです。ラストイヤーの目標は2つでした
・全国公を個人で割る
・対抗戦で決勝に残る
あとはさすがに400もやることにしました。全然泳げる気はしませんでしたが、やらないわけにはいかない気がしました。
タイムの推移はこんな感じです
200 2:22(OBOG)-2:20(冬季公認)-2:19.39(春短)-2:18.91(夏季公認)-2:18.47(金沢)
ということで全国公個人はおろか団体すれきれませんでした。200は0.5、400は0.3足りませんでした。横転。しかし400が切れなかった怒りに任せて泳いだ1ブレで全国公切れました。ありがとう平泳ぎ。
結局切れませんでしたが、ワンチャンあるかも?と思いながら練習する期間はほんとに楽しかったです。途中3回くらいやめたくなりましたが。
今シーズンが一番水泳を頑張れたんじゃないかなと思います。これまでは定期的に練習をさぼってましたが、今シーズンはおおむねさぼることなく練習に行きました。当たり前か
阪神合宿にも意を決して参加しました。人としゃべれないので他大の人とは全然しゃべれませんでしたがそれでも行ってよかったです。
対抗戦の決勝に関してもぜんぜん届かない目標でした。関国の400で隣で大月くんが爆速で泳いでるのをみて、あぁ勝てないなぁと思いました。レース終わってから大月が練習相手になってくれてありがとうって言ってくれてちょっとだけ救われました。0.1点分くらいは貢献できたかな?
一応関カレでは奇跡の直接決勝だったので決勝に出る、ということ自体は達成できたのでよかったです。ゆうごのお母さんも見に来てくれて僕のレースを見て泣いてくれました。なぜ...?
人生最初で最後の賞状ももらえました。額縁にいれて神棚に飾ろうと思います。
ほんとはもっとラストイヤー書くことがあるはずなんですけど書くの疲れてきて思い出せません。思い出したら書きます。
後輩たちへ
ぜんぜん後輩としゃべらなかったと思います。すみませんでした。特に1回生はほとんど話したことないと思います。書くことないと思うのでコメントは無理しなくて全然大丈夫です。
さっき書いたこととほぼ同じですが、まずは水泳部生活そのものを楽しんでほしいと思います。せっかく入って友達もできたと思うのでやめちゃうのはもったいないと思います。競技もそうですが、そればっかりだとしんどい時期が絶対来ると思います。
とはいえずっと伸びないと面白くないのも事実だと思います。
僕がベストが出るようになったのはマインドの部分が大きいと思います。それまでは「どうせ自分なんか」と思ってましたが、そうするとベストでない➝練習楽しくない➝またベストでない、の悪循環に陥ります。せめて根拠がなくても自身だけはあった方がいいと思います。
あとはベストが出なくて困ってる人達に向けてですが、筋トレ頑張って、EN頑張れば速くなると思います。諦めずに頑張ってください。
先輩方
泳ぎみてもらったり、ご飯連れて行ってくれたりと、大変お世話になりました。全国公切ったときはいろんな人が連絡くれてとてもうれしかったです。またご飯行きましょう。
IM面
全然パートミーティングしなくてすいませんでした。たっぴは毎回パートミーティングの日程決めてくれたりありがとうございました。もうたっぴがパートリーダーだった気がします。
来シーズンはBrと合体させるとおもいますが、また人数が多くなったらうれしいなと思います。
そうき
練習に来い(n回目)
絶対速くなれるし、やる気があるのもよくわかってます。起きられへんよな。朝しんどくて100回くらいやめようと思ったのでよくわかります。練習に来れないとしてもできることは山ほどあります。いつか対抗戦で活躍する姿が見れるとうれしいなと思います。
かもちゃん
きっとこれからすごい期待を背負って競技に取り組むことになると思います。それが重荷になる瞬間もきっとあると思います。チームのため、ももちろんですがなにより自分のために、楽しんで水泳してほしいなと思います。
おうすけ
いつかIM面に帰ってきてね
同期
3年半ありがとうございました。最高の同期だったと思います。やめるのをためらったのはみんなといるのが楽しかったからです。違う同期だったらほんとにやめてたかもしれません。引退しても仲良くしてください。
さてこれくらいですかね
思い出の写真たちを張り付けて終わろうと思います
1. ちょけを挟まんとやってかれへんの何なん?笑
きっかけも理由も何一つ覚えてないけど、何故かある時から急にめっちゃ喋るようになって気づいたら高校で1番信頼できる友達になってた。今でも間違いなく1番。
ほんでなんでか知らんけど、高校では同期やったのに大学では1年違い。
浪人した時点で水泳は諦めるって決めてたのにもっかい頑張ろうと思えたんは、うめからちょこちょこ水泳部のおもろい話聞いてたから。
受かって新歓行く気になったのもあの梅が続けてるって何かしら入る意味あるんじゃね?と思ったから。
まだ一年残ってるけど、もう既に入って良かったって思えてます。
受験期もずっと助けてもらって、ここまで自分を導いてくれてありがとう。
自分が入部した夏、あんなに苦しそうやった梅が、最後清々しそうに全国公を終えてて安心した
たまには泳ぎに来るんやで~
京大プールでも踏水会でも市民プールでも
あ、ほんで約束通りご飯連れてくから空いてる日また送っといて~
これからもよろしくっ
p.s.
最後らへんの練習で50brのdiveで最後の勝負しようって言われたときなんかめっちゃ泣きそうなって、diveした瞬間に泣いてて泣きながら泳いだら負けてもうびっくりやわ。感情ぐちゃぐちゃなった頭大パニック。
まぁこれだけは負けを認めます。しゃーないなぁ