京大水泳部練習日記(2022/3~)

2/11

お疲れ様です!一回生の上野由来です。投稿が一日遅くなってしまいすみません。
練習日記、合格体験記を書かせてもらいます。

まずは昨日のメニューをば。
笹村さん、マネージャー、トレーナーの皆さん本当にありがとうございました!
最近はいろんな人からプルが苦手だからキックを沢山打てと言われてます。でもなかなかボードキックの時のようなキックができない...。グライドキックからのスイムへの切り替えなどで練習してみてます。
本当はプルやら筋トレなどいろいろ書きたいところですが、受験記に移ります。
なんだか人生を振り返ったような体験記であまり参考にはならないと思いますが、暇つぶしにでも読んでもらえると嬉しいです。
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京大に行くことを決めたのは高3でしたが、法学部進学は小5からの目標でした。なのでまずはそのきっかけから。

きっかけは父と母の裁判離婚でした。
生れた時から母、母方の祖父母、双子の姉とともに暮らしていて、父とは出張先の室蘭から帰ってきたときのみ、一緒に暮らしました。
父はキリスト教信者で、帰ってくると私も教会に毎週日曜日に通わさせられました。
信仰の強要や精神的、身体的な(私は身体的暴力は受けませんでした)ドメスティックバイオレンスがありました。

父が離婚すると家を出て行ったのは小3のころでした。
しかし、母が離婚手続きを持ちかけると、離婚しないと言い張り家に帰えってきました。同時に母からの訴訟提起がありました。
中で行き来できる二世帯住宅に住んでいたのですが、2階は父に占拠され、やむなく1階で家族5人で暮らしました。

家の中にある二階に通じるドアにガムテープが張られ、封鎖されていた光景や、二階の物音を気にしながら生活していたこと、父が外にいるからと庭で遊ぶことを止められ、窓から父をうかがっていたことをうっすらと覚えています。

結局、父の占拠は小4くらいまで続き、訴訟は小5の時、母の勝訴で終わりました。
家庭裁判所には私も行って家庭調査官の面会を受けたり、家庭調査官の観察の下で父と遊んだりしました。裁判所は強烈に印象に残りました。

勝訴を聞いた時はうれしかった。この時に法学部に行き、裁判官になろうと決めました。
公平な判決を下し、弱者を守りたいとの憧れがありました。
父は女子が教育を受けることを嫌っていたので、父がいたらかなわなかったであろう大学、そして院への進学を果たしたいとの思いがありました。
さらに、資格をもって自立したいとの思いもありました。
離婚後、養育費の支払いは一切なく、母はパート業を始めて、私たち双子を育てました。
短大をでてすぐ結婚し、資格を持たない母がパート業をいくつも変えて、解雇され、また次の仕事で働くのを見てきました。
月15万も収入はなかったと思います。
いつ一人になってもいいように、自分で食っていけるだけの資格をもち、そして母を楽にしたいと思いました。

小5からあまり遊ばず、ずっと勉強ばかりしてる子供になりました。
自分が裁判官なんて職業からは程遠い環境にいることはわかっていたので、とにかく勉強しなければ、勉強しなければと思い詰めていました。
遊ばなくなって、姉との仲も悪くなりました。

このころから順位表の開示があるテストがありましたが最初3位であとはずっと中学校卒業まで1位でした。
中学校はつらかったです。
問題児だらけで「最悪の学年」なんて呼ばれてました。椅子が飛んだことがあります。
吹奏楽部に入って、生徒会もやってましたが、本当に勉強以外に興味が持てなかった。
毎回定期テストも実力テストも怖くて怖くて泣いては学校やお母さんに心配され、叱られました。
友達はいなかったし、勉強ばかりしていて運動はできなくて、悪目立ちしてしまったのか同級生の男の子たちからからかい、下ネタを雨のように浴びせられました。
ずっと一緒に暮らしてきた祖父が小6、祖母が中3で他界したのも悲しかったです。
成績はよかったけど、精神的に不安定で、私も大問題児だったなと思います。本当に迷惑かけました。

北海道の進学校は札幌に集中しているのですが、札幌進学などできるはずもなく、函館中部高校に進学しました。
大聖さんに聞かれて調べてみたら偏差値67。東大京大は毎年1人2人いるかいないか、就職する子もいたり、周りの子は自称進なんて言ってました。
でも本当に素敵な高校でした。みんなおおらかで、優しかった。

私は最初英語部に入りましたが、夏には辞めてしまいました。
みんなの英語のレベルが高かった。英文を読む能力も聞く能力も発音も中学校の義務教育を受けただけの私にとっては段違いでした。
イタリア居住経験のある子もいたりして...仰天したのを覚えています。
でも本当はやめてしまった一番の理由は勉強ばかりにとらわれてる私にはコミュニケーション能力や協調性、周りを見る力が欠けていて、周りと齟齬をきたしたことだったと思います。
高3くらいでこのことに気づいて、勉強ばかりの人ではいけないと思いました。
京大で水泳部にはいったきっかけの一つだったりします。

成績は入学当初は10番台。ショックでしたね苦笑。
こんなに勉強してるのに!って思いました。(英語、そして何より数学がダメなだけだったんですが)
英語部での挫折もあり、英語を猛勉強しだしました。(数学は?)
英検を受け始め、高3の夏までに準2級から1級を取得しました。
準1級までは一発、1級は1次と2次一回ずつ落ちて、3回目で受かりました。
受験費、教材費は正月だけもらえるお小遣いをため込んでいたのを使いました。
高校での英語学習は本当に楽しかった。授業は生徒も先生も英語しか使えなくて、英語を話すのがとても楽しかった。

英検も落ちるのは不安でしたが、どんどん読めるようになり、聞けるようになり、書けるようになるのはうれしかったし、海外から来たATPの先生と面接練習ついでに会話するのはとても楽しかった。

先生や周りの友達にも応援されて、一級に受かった時には大喜びされて、みんなにとっての部活みたいに思い出深いです。

2年生の前半くらいには10番台に入り始め、2年後半からは東大に行った子と1位2位を争うようになりました。英語の点数が跳ね上がったのが大きかったです。(英語は途中からずっと学年1位でした!)

高3の春の受けたベネッセ模試で京大法はB判定、東大法はC判定
担任の先生から京大をすすめられました。
京大!まさかそんなすごい大学を受けないかといわれるなんて!と思いましたね。
京都は修学旅行で行って、ここに住めたらなあ...なんて思ってました。
そして京大は私の兄の通った憧れの大学でした。
次男は生まれつき病弱、口蓋裂で、人と話すことが苦手なんですが、数学がよくできて理学部に通ってました。(20年以上前に)
お母さんが京大に行った次男の事をほめるのを聞くたびにひそかに次男、そして京大にあこがれていました。

結局高3の京大模試、駿台模試とかは一回目はC、そのあとはBとかで最後はAもありました。
受験期はつらかったけど、そもそも勉強ばっかりの子だったので、あんまり変化ない感じでした。英語の問題は共テも二次も勉強しなくてもそこそこできたので、数学、国語、社会を学校の先生に見てもらいつつ、学校の教材、そして過去問で勉強しました。

本番は緊張したなあ...
共テは数学低かったし、倫理や英語も普段より低くて、京大法はまさかのC判定!これまでずっとB、いやAできていたのに...

それでも二次力がお前にはあるし、合格圏内にあるのだからと担任に言われ、志望はかえませんでした。

早稲田も受けましたが、緊張のあまり頭に英語が入ってこなくて...落ちたなと思いました。
京大受験前日に合格がわかった時は涙が出ましたね、すごく励みになりました。

京大受験で一番印象に残ってるのは数学!なんと解答用紙を間違えました!笑
終了30分前に気づいて...本当に頭が真っ白になりました。
必死に消して、書き写しましたが、落ちたな...と思いました。
一日目終わった後は泣きました。もうだめだって。でも京大受験についてきてくれた母に励まされて、何なら少し叱られて、2日目も頑張って受けました。
社会、英語は手応えありましたね...。実力発揮できたなと思いました。

結局京大法には平均以上の点数で受かりました。数学はなんと150点中75点!目標の90点には届きませんでしたが、あのアクシデントがあったことをかんがえれば、奇跡です。
ちゃんと採点したんだろうか...?

浪人しても予備校には通えないし、早稲田も奨学金は事前申請が通ってましたがとても通えたものではなかったので本当に京大に受かって、心から安心しましたし、うれしかったです。

そんなこんなで今は京大法学部に通ってます。
学費は払えず、母からの仕送りもないので日本奨学金支援機構の給付奨学金で入学料、授業料全額免除、生活費支給を受けています。それから日本教育弘済会の北海道支部奨学金も受けてます。
それから格安の京大女子寮に住ませてもらってます。(家賃、光熱費込み3万円!)
どれも高校在学時に自分で申し込んだもので、これなしでは進学できなかったと思います。
温かい支援のおかげで、アルバイトもしつつ、何ならお金のかかる水泳部で活動しながら心から楽しく大学生活を送らさせてもらってます。

なんだかまとまりのない文章でしたが、そろそろ最後にします。

母子家庭に生れ、父も母も短大卒の私が塾にも通わず京大法に受かったのは私の努力以上にやっぱり周りのおかげだなと思います。

お母さん、父の代わりのように面倒見てくれた兄弟、学校の先生や周りの友達。
精神的に弱い私をずっと見守り育ててくれたすべての人たちに感謝します。

今の将来の夢は法律の専門家となり、国際的に働くことです。
やっぱり語学が好きで、将来に生かしたいです。
入学当初は裁判官のこだわりからいったん離れて広く進路を考え直してみようと思ったのですが、やっぱり法律科目はなんやかんや好きみたい。定期テストは大変だけど頑張って勉強します...

裁判官か、もしくは検察になって法整備支援なんかにかかわれたら素敵だなあ
比較法学とかも面白そう。

修士号が欲しいので、そのまま京大ローに進学を希望しています。
さらに大学に入ってからIELTS7.5を取得したので、交換留学学内応募に応募を検討しています。
奨学金をまた受給しないと実現不可能ですし、まだ確定ではないのですが...
どうしてもペーパー試験にだけ強い英語力を本物にしたくて、学内でも英語を使える機会を探し回ってます。

時間はかかるけど、いつか小さいときの夢通り法律の専門家になって、語学も生かしてめいっぱい働けたらいいなと思います。そして育ててくれたひとに恩返ししたい。

長々と失礼しました。
最後に受験生のみんなが最後まで体調を崩さず、健闘できることを祈って終わりとします。
あともう少し!がんばって!
京大法で待ってます!















コメント

1. えらい

えらい

2. 水泳でも大成しよう

あんま良い言葉が見つからないけど、本当に偉いと思う。めちゃくちゃ頑張ってる。誇っていいと思う。語彙力無くてごめんなさい

プロフィール

HN:
京大水泳部
性別:
非公開

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