お疲れ様です。1回生の岩澤です。
まずは今日のメニュー。
メニュー作ってくれたごしさん、スタッフの皆さん、ありがとうございます。
結構距離あってきつかったです。最近はS1のメニューも増えてきて、レースがどんどん近づいてるなと感じます。春室までそんなに時間ないので、1日ずつ仕上げていきたいと思います。
例によって合格体験記書いていきます。今のところ超大作や感動を与えるようなものばっかりでハードル上がってんのがまじでしんどい。あらかじめ言っときますが自分のはそんなに内容ないです。まあ気軽に読んでってください。
中高の時は基本、テストは1位でした。ただこれは自分が賢かったからではなく、周りのレベルがそんなに高くなかっただけです。
自分の高校は家からチャリで3分で着く大館鳳鳴高校というところやったんですが、大聖さんとかいう人の高校の偏差値を聞いてくるど変態に聞かれて調べたら58でした。もはや自称進学校ですらない、ただの高校です。自分の時は定員割れしてました。
偏差値が表している通り優秀な奴らが集まっている訳ではなく、多少勉強すればトップは普通に取れました。1位であることが自分のアイデンティティみたいな感じで模試とかの順位が出る系のテスト前はぼちぼち勉強できてたんで、モチベーションを保てたという意味では良かったかな、とは思います。
しみゆうが同じ高校やったら俺の1位伝説も崩れてたやろなあ。あぶないあぶない。
志望校を京大に決めたのは高2の夏ぐらいやった気がします。4つ上の兄が東北大に通ってて、こいつには勝ちたいという気持ちが強かったんですよね。ただ東大は流石に無理やなと思ってたんで、高1の段階では京大、東工大あたりを狙ってました。
まだ訪れたことのない関西に憧れもあったし、学部の種類が豊富な方がいろんな奴おっておもろいやろという親からの助言もあり、志望校を京大に確定させました。こういう分野の研究がしたいから、というようなしっかりした志望理由がないのは情けない話ですが。
部活は高3の7月の東北大会までそれなりに頑張ってたんで、ちゃんとした受験勉強を始めたのは8月からです。前述の通りちょくちょく勉強はしてたんで1からやらなあかんって程では無かったんですが、京大の問題が解けるほどの力は当然ついてなかったです。模試の判定も大体はDかE判定やったはずです。
今振り返れば密度の濃い勉強はできてなかったなと思います。過去問も少しずつ解いてたんですが、大して解けてないくせに答え見て理解した気になってたというか。おそらくまわりとは違って京大を目指している自分に酔ってたんですね。志望するだけだったら誰でもできるのに。
共テは失敗することもなくまずまずの結果でした。ここまでやったんやし勝負したるか、ということで京大工学部に出願。
そっからの1ヶ月ちょいはひたすら過去問を解いてたんですが、あんまり出来なかったです。特に物理化学の分かってない部分が多すぎて、ここにきてようやく残された時間の少なさに気付きました。問題解けなかったら萎えてやる気無くすタイプだったんで、集中もできてなかったし。こんなんで大丈夫かなと思いつつ2次試験を受けに行きました。
現役の試験の記憶はあんまりないです。覚えてんのは下見の時に生まれて初めて見た京大の時計台にビビったことくらい。手応えはそんなに悪くなく、ワンチャンあるかなくらいのノリで京都を後にしましたが、合格発表の日自分の番号は無かったです。まわりの友達は大体受かってたし、落ちちゃった奴も浪人回避で滑り止めや後期の大学に入ることにしたんで、もう1年やることにしたのは自分だけでした。
やっぱりこの時期が1番メンタルしんどかったですね。友達はみんな進学やら就職やらで次のステージに進む中、自分だけが取り残されている感じ。友達には気遣わせてしまったし、親にもめちゃくちゃ心配かけてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
現役失敗の要因をあげるとしたら「根拠のない自信」だと思います。学力において自分より上の存在にそれまで出会ったことがなかったがために自分はできる奴だと勝手に思い込み、俺なら何とかなるやろという舐め腐った態度のまま受験に臨んでしまった訳です。まあこんな精神的に未熟なまま大学生になってた方がやばかったと思うんで、ここで挫折を経験できたのは良かったかな。
ということで4月から駿台仙台校での浪人生活が始まる訳です。通える距離では無かったんで、食事付きの寮に住むことになりました。ほぼ一人暮らしみたいなもんです。
浪人生活も最初の方はかなり苦労しました。予備校やと同じ高校から浪人してきてる仲間で集まりがちなんで、秋田の無名高校から単身で乗り込んできた自分に知り合いなんかいるわけがなく、話せる奴がまじでおらんかった。1人で勉強せざるを得ない状況でした。初めの1ヶ月とかはかなりキツかったんですが、5月過ぎたあたりからは徐々にこの話せる奴0空間に慣れていきました。
人にこの浪人期の話をすると大変やったやろと言ってくれることが多いんですが、慣れてからはそんなに苦痛じゃなかったです。もともと1人でいること自体は全然苦じゃない、むしろ好きな方やったんで順応は早かったですね。人間関係というしがらみから解放された、俗世から離れた生活してんなーって感覚でした。人付き合いが少なくなるというのは意外と悪くないような気がします。楽しいことは減るかもしれませんが、悩むことも減るんで。受験期みたいなストレス溜まりがちな時期は余計な交友関係は一旦断ち切っておくことも必要かなとは思います。
浪人当初は志望校は東北大でいいかな、と思ってたんですが、送られてきた2次試験の点数が合格最低点−15点くらいでまあまあ取れていたこと、そして何より現役時代最も欲していた「時間」が手に入ったことを考慮して、京大のままでいくことにしました。
授業は結構切ってました。時間がそんなに無いということは現役時の反省で十分理解してたんで、数学とか理科などの自分に必要な授業はしっかり受けて、必要ないなと感じた授業の時間は自習室こもって勉強してました。この取捨選択は賛否両論ありそうですが、怠惰によるサボりではなく自分で優先順位を決めた上での行動やったんで、個人的には良かったかなと思います。おかげで大学の講義も何の抵抗もなく切れます。
まあそんな感じで勉強を続けてたら、自然と成績は上がっていきました。判定も大体はAかBをもらえてましたが、浪人やし当たり前やろと思ってそんなに一喜一憂することなく勉強してました。ただ2回目の京大オープンで工化内の成績優秀者で冊子に名前載ったのは結構嬉しかったです。このまま順当にいけば受かるやろ、ぐらいのレベルまでは上げれました。
共テの記憶はまじで無いです。会場の東北大の教室が結構ボロくて萎えたことくらい。結果は割といい感じで終わり、迷うことなく京大工学部に出願。直前期もしっかり追い込み、今度は「根拠ある自信」を持って京都へ向かいました。
2度目の2次試験もふつーにむずかったです。数学が難しくて大分焦ったんですが、同じ会場にいた受験生の大半の手が止まってたんで、むずいと思ってるのは自分だけじゃないんやなと安心した記憶があります。他の教科も上手くいかなかった訳ではないんですが、めっちゃ解けたって感じでもなかったんで、終わった直後の不安は拭えなかったです。まあでも受かる時って案外こんなもんなのかもしれません。
合格発表まではまじで地獄でした。一生寮の部屋で悶絶してました。夜もあんまり眠れなくてよく散歩してましたね。仙台駅東口を出てずーっとまっすぐ歩くと楽天のホームスタジアムがあるんですが、そこを一周して戻るとかいう今考えたら意味不明なコースを歩いてました。
番号見つけたときはもちろん嬉しかったですが、安心の方が強かったです。ようやく人生における次の段階に進めるんやなということが分かってほっとしました。
京大きて受験にまつわるいろんな人の話を見聞きしましたが、生まれ育った環境の差はやはり大きいなと感じます。親ガチャ、子ガチャみたいなワードが一時期流行りましたが、個人的には出生地ガチャもあると思ってます。東大京大なんて滅多に出ない高校しかなく、大学受験用の塾なんてないという圧倒的に不利な環境の中で勉強するしかなかった身からすると、受かった先輩から話を聞いて参考にしたり塾通ったりできるのは正直羨ましかったです。
それでも、環境のせいにして諦めるのだけはしたくなかった。まわりのせいにするなんてくそダサいし。正しい方向に努力していけば、人より時間はかかるかもしれないけど受かることはできる、ということを自分の力で証明できたな、というのが浪人を経ての感想ですかね。
受験生へのアドバイスとしては、これは自分の浪人期の成功の要因でもあると思ってるんですが、メンタルを安定させることですね。好きなもの食べるでも映画見るでも体動かすでも何でもいいですが、ストレスの捌け口にできるものを用意するのは大事です。自分の場合やと、毎週日曜の夜は必ずラーメン屋行ってたし、ちいかわアニメは欠かさず見てました。こんな感じで勉強に支障をきたさない範囲でリラックスしてください。
本番まであと1週間ちょい、ここまできたらもうなるようにしかなりません。とりあえず体調を整えて、万全のコンディションで試験に臨めるようにしてください。応援してます。
東北から京大を目指す変人たち、待ってるで。
2024→2025 stardom