京大水泳部練習日記(2022/3~)

2/14 勝因ならば負けた回数 タフなやつが立ってる最終

お疲れ様です、稲西です。


  



久しぶりの練習参加となりました。


まずはお声かけくださったみなさん、そして休養を快く許可してくださった堀さんありがとうございます。







今日の練習もやはり体は言うことを聞いてくれませんでしたが、徐々に調子を取り戻していきたいです。



さて、皆さんに続いて私も合格体験記です。





ご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、自分はそうきと同じく後期の入試で合格しました。




合格体験談を書くにあたってその始点をどこにするかで非常に悩みました。終点は言わずもがな"京大合格"、で明白です。一方で大学受験は高一から始まるのかというと自分はそうは思いません。ですので自分の人生全般を振り返っていきながら受験へと繋げたいと思います。



東大や京大を目指すようになった根源的な考えというのは、小さい頃から漠然と抱いていた、勉強をして良い大学に行ったら将来良い暮らしができる可能性が上がるかも、という感覚です。物心つく頃にはこの意識は既にありました。また、将来楽するために今苦労している、という実感があったので幼い僕は頑張れたのだと思います。



また、自分の家庭環境も少しは影響していると思います。あまりここに書くことでもないのですが、両親は自分が幼い頃から、とても仲が良いと言える状態ではありませんでした。


子どもの自分にはそれがとても辛くて、ずっとずっと何か出来ないか考え続けていました。しかし、子ども1人に出来ることなど当然限られており、自分に出来ることなんて何もなくて、ただひたすらに無力でした。


両親の仲が改善する兆しは一向に見られず、子どもながらに「あれ、これって何かまずいかも」と危機感を抱くようになりました。その結果、世間一般では早熟と言われるような子どもとなり、周りの子たちよりかは早い段階で論理的思考力や多くの語彙を獲得することになりました。




また、その成長過程のなかで、他人の本質は変えられないことを悟ります。今となっては分かりませんが(本当は何かできたのかも)、自分がどんな言葉を投げかけても、自分とは違う存在である他人を本質的に変えることはできない。そこで諦めるのでなく、真に変わるべきは自分であり、自分が変わる過程で何かが変わるかもしれない。仮に変わらなかったとしても、自分が成長したのであれば御の字だからとにかく他人に意図して訴えかけるよりも、自分が変わることで他人の何かを動かせるような人間になりたい、そう思うようになりました。


自分にとって、その変わる手段というのが勉強であったのが今に繋がる大きなきっかけだったのかも知れません。




父も母も僕のことを本当に愛してくれていて、そんな2人が誇れるような人間になりたいし、2人が喜ぶ顔が見たい。2人は自分に多くの投資をしてくれていましたが、そのなかでも勉強という手段で良い結果を出して2人を喜ばせたい、そう思うようになりました。




自身の家庭環境で大きく苦労し、辛い思いをしている人もいると思います。


そこで塞ぎ込んで、周りのみんながすごく幸せそうに見えて、それが余計に苦しくて、嫉妬して、でもどうにもならなくて。自分は世界で1番不幸なんじゃないか。って思ってしまう日もあるかも知れません。(そんな日があったっていい。)


ですが、ひどく自分を卑下して、環境を言い訳にして、下を向き続けるよりも、上を向いて、前に進めるような何かを見つけて、謙虚にひたむきに努力することで何かが変わるかもしれません。そんなあなたを僕は応援しています。


今は自分も両親も安定した関係を築けています。昔のおいら、お疲れ様。







 



中学は受験することなく、地元の中学校に進むことになりました。





中学に入学すると"ヤツ"が来ます。そう、定期テストです。1年生の頃は個人経営の英語塾(後述)にしか通っていなかったのですが、9割くらいは取れてました。毎授業寝ずに聞いて、テスト1週間前までに課題を終わらせて、ひたすら対策をする。この頃の勉強が今の自分を作っていると思います。一方今のポワイは授業は切って、課題は直前まで貯めて、対策なんて詰め込みも詰め込み。当時の真面目すぎる僕の姿勢はいつ失ってしまったのでしょうか…。




2年生に上がったタイミングで学年で1番頭の良い3人と同じクラスになります。彼らは馬渕のSSSクラスというものに通っており、強者のオーラを発していました。2年生初回のテストで彼らにボコボコにされてことをきっかけに世界の広さを知り、そこからは95%くらい取れるように勉強し始めました。



しかし受験を見据えた時には1人では限界が見えてきたので、2年生の冬に馬渕教室に入塾します。大抵みんな1年生から通っていたわけで、途中から入った自分はある意味浮いてたのですけど塾というものは中々に楽しかったです。やればやるだけ模試の成績が伸びて、地元の教室ではすぐに1位になりました。そんでもってSSSクラスというとこに行くことになり、


稲西の快進撃が始まります。



高校受験では


最初の志望校は、三国丘高校だったのですが、北野高校に上げました。そんでもって私立は大阪星光学院ってとこにしました。


なんか中学編が長すぎるんで色々割愛するんですけど、北野、西大和、星光と受けて星光だけ受かりました。




ん、落ちすぎ。





北野と星光はどちらも大阪府で偏差値ではtopの高校だったのですが、自分のなかでのやるからには1番、そんな精神で受験しました。


自分の闘志を燃やし続けたいということもあったので高校1年生の段階から東大を第1志望に設定します。また、中学の時は塾など入試への意識が芽生えるのが遅かったので、高校では1年から東進に通いだしました。



また、毎月共テ模試を受けてました。とにかく早い段階から大学受験というものを身体に染み込ませたかった気持ちが強かったです。


毎月1回は日曜日をサクリファイスしないといけないのは、辛かったですがこれはなかなか良い判断と思います。



大阪星光学院は、中高一貫の男子校なのですが、高校から入学するのはわずか10人です。


中学から入ってる組は中3の段階で数2Bとか終わりかけの段階だったので、僕ら10人は高校入学前の3月から高入生補習なるものを受けさせられ、脳みそをいじくられます。


それに加えて普段の授業も何か訳分からんので何回かメンタルブレイクもしたのですが、何っとか食らいついていきました。



その結果高二の初めくらいには高校の範囲はほぼ全部終わって、そっからひたすら入試対策とかいうこの世の終わりみたいなカリキュラムで勉強させられました。




 





こっから受験生へのアドバイス




自分の最大のしくじりは燃え尽きたことです。


夏までめちゃくちゃ頑張って勉強してて、夏休み入る直前くらいには、このままやれば受かるって感覚が掴めてきてました。ただ、そこから急にエンジン切れちゃって、夏休み中は家に篭ってスマホばっか見てました。夏休み中の勉強時間は多分片手で数えられる位かも…。


自分の中で、周りの受験生よりもやってるっていう自覚はあって、でもその自覚のせいで、逆にちょっとくらいサボっても大丈夫って思ってしまったんですよね…。


良くなかったなあ(´;ω;`)




そんで迎えた共通テスト。


目標は、英語満点、世界史満点、理科基礎耐え、数学耐え、の気持ちで臨みました。




結果は全体的に良かったし、東大もリサーチBだったので前期は出願。





共テが終わってからは、なかなかエンジンがかからず。結局かからないまま終わってしまいました。自分のなかで、現役東大は無理そやからもう京大か浪人でいいかな、と半ば諦めていたのが大きな原因です。



今となっては、もう少し頑張っていれば、などたらればは付きませんが、京大でこうして楽しい日々を過ごしているのが幸せです。




ここらへんで結びとさせていただきたいのですが、ご覧の通り自分は負けまくっています。ただ、なんやかんや周りのみなさんのお陰で幸せに過ごせているわけですが、今の自分が幸せなのっていわゆる滑り止めなるものを用意していなかったから、だと思うんですよね。高校受験の時も、大学受験の時も、どんな結果になろうとも自分が100%満足できるように目標設定はできていたと思います。どんだけ負けまくってもそこから何かを掴み取って最後に笑えているような場所に立っていられるように、勉強頑張ってもらえればな、と思います。



負けが多い人生ですが、これからも勝ちには拘り続けます。



最後に、いつも献身的にサポートしてくれたお母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、本当にありがとうございました。これからもよろしくね。



2024→2025 stardom


コメント

1. めっっちゃ削りました。

細かいの欲しい方いらっしゃればお伝えください。

2. 素晴らしい。

お父さんお母さんを喜ばせたくて勉強するのめちゃわかる。

3. しゅうやってRalphとか聞くんだ

なんか燃え尽きるよね

4. 他人を変えるより自分が変わる

この考えに至れてるの凄い。俺も実践したい。

5. 他人は変えられない…かぁ

受験お疲れ様。
体調不良直して、また練習で会いましょう

6. 大阪星光ってのは

ガチの変人の巣窟です

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京大水泳部
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