京大水泳部練習日記(2022/3~)

2/15 僕の人生の今は何章目

おつかれさまです。池松です。

メニュー作ってくれた笹村さん、スタッフさんありがとうございました。はしりがきええね。


ついに書きたくてウズウズしていた合格体験記っていうものを書きます。最初は小中学制の頃から書こうかと思ってたんですが、消えちゃったので高校から書きます。

高校からでも4年分もあるんでね

高一の時はなんやかんや自分のことを賢いと信じてる疑わなかったので、テスト前に諦めきれず勉強を必死こいてやってたので、成績は学年で50〜100位くらいでした。



高二に入って高校生活がめちゃくちゃ楽しくなってきちゃって、テスト前も悪あがきしなくなってきました。さらに、高ニの最後の方には泳ぎの方の調子も良くなってきて、テスト期間でも気にせず筋トレして泳ぐようになりました。

いつのまにか高三になり、定期テストでは200位くらい、共通テストの模試ではまるの数数えた方が早くなっていました。国語に至っては200点満点で60点を取り、まさかのべべになっちゃいました泣


流石に焦って駿台の夏期講習で共通テスト現代文を取り、古文単語は語呂で覚えました。


高一から高三までなんとなく京大を受ける気でいましたが、この成績でも特に何にも考えずにのほほんと過ごしていました。

気がつけば12月になり、彼女もいないのでクリスマスも地理の勉強をがんばりました。正月はゆっくりして3日くらいからもう一度地理をやり始めました。こんだけやったらいけるやろと思い、自信満々で共通テストに挑みましたが、まさかのあんなにやった地理が59点、びっくりしました。

一応河合塾のバンザイシステムに京大を出してみると
この表情、口角が1ミリたりとも上がってませんでした。そんな目でこっちを見るなよ


なんとなく京大受けるって言ってただけなので別にこだわりもなく、阪大やったらそんなに下がってないし北大阪はなんとなく好かんかったので神大でも受けようと思っていました。


でも一緒に京大目指していた友達に、後期で受けれるところに前期で出すんはもったいないって友達に言われて、それもそうやなと思い、結局京大に突っ込むことにしました。




本来なら逆転合格を目指して一日12時間!とか勉強するのが受験セオリーですが、1日で理科一年分を解くか英語一年分の過去問を解いたらバッテリー切れし、それが終わると天王寺の街を散策していました。
国語と数学は当日の運ゲーやと思っていたので、一年も過去問を解かずに本番を迎えました。

数学は初めてながら簡単になったので見事に4完しましたが、理科と英語は見事にボコボコでした。終わった瞬間落ちたなと思いましたが、後期の勉強をサボるために、わんちゃん受かったかも、とだんだん思えてきました。


直後の実感っていうのは記憶が鮮明な分正しいことの方が多いですね、見事にボコ落ちしました。




後期北大こそは終わった直後もいけた!と思いましたが、物理で雪崩失点してポコ落ちしました。

受験生の皆さん、雪崩には注意してください!一度崩れるともう戻れません、、



前期と後期のみだったのでここで浪人が確定しました。


前期を京大にした時点で浪人は覚悟の上だとわかっていたのですが、後一年受験が続くのは結構嫌でした。


図書館で静かに一年勉強でもするかとか考えていたのですが、さすが20年間僕のことを見てるだけありますね、そんなんいけるわけないやろと親に駿台の説明会に連れて行かれました。




当初は河合と駿台どっちがいいかなーとか考えてましたが、面談した時の駿台のお姉さんが可愛すぎて、ここ駿台大阪南校で1年間頑張ることを決意しました。



駿台学園は4月の3週目くらいから授業が始まるのですが、それまでは特に何もないので各々最後の旅行に行ったり、友達と遊んだりしていましたが、僕は4月になったら勉強すると決めていたので誰もいない自習室でひとりコソコソチャート式複素数平面をしていました。



コソ勉の成果が出たのか、序盤の模試ではA判定がたくさん出ました。



別に天狗になったわけではなかったのですが、慣れて来るとサボるのが人の性、散歩が止まらなくなります。散歩友達がいたのですが、ほんの少しだけ、ちょっと5分だけのつもりが、気づいたら近くの一風堂で3時間ご飯とからもやしをお供にしゃべっていました。




一風堂がうますぎるのが悪い。あと横綱もうますぎる。


散歩がいきすぎて、気がつけば難波から梅田まで歩いてしまいます。コークオンはの週間目標はいつも月曜日に達成していました。



そんなこんなで自習時間は他の人よりも少なかったものの、予備校の授業は切らないと心に決めていたので、100人教室で10人しか受けてないような授業も切らずに最前列で受けていました。人間やっぱり目だけより耳と目で認識した方が覚えれそうですしね。だから危機感はそこまでありませんでした。おれは授業ちゃんと受けてるし、って思ってました。



予備校といえば夏休み、約2ヶ月の休みがありました。僕はここで自習時間を取り返すべく、毎日12時間分の勉強計画表を作成してやりました。




しかし残念ながら散歩の距離は縮まることを知らず、結局1日7時間が限界でした。



夏休み終わりは少し後悔しましたが、英語の演習に出てきた文章に、「あの時はもっとできただろうと思うこともあるかもしれないが、その時はその時で必死だったのだ」ていう和訳を竹岡が「まあこういうこと君たちもよくあるよねー」って言うてるのを聞いて、そういうもんかと思い焦ったりせずに済みました。



残念ながらいわゆる冠模試、オープンとか実戦は夏時点ではずっとCかD判定だったので、序盤の勢いは失っていましたが、英語を安定させればいけるな、とか思ってそんなに落ち込むこともありませんでした。




その時期くらいまでは、地理の先生が「大学入試センターはあなたの周りの事聞いてんねーん!」と言っていたので、行き帰りの電車でも他の駿台生がシスタンを睨みつけるなか僕は隣に乗っている5歳の少年と同じようにただひたすら窓の外を眺めていました。


その効果もあってか、途中から模試の地理は80を切らなくなりました。無限の散歩もこの意味ではよかったのかもしれません。

しかし流石に英単語を覚えないといけないので、9月くらいからはみんなと同じようにリープを睨みつけるようになりました。




単語のおかげか英語が安定してきて、秋の冠ではB判定になりました。

この調子でええ感じに勉強して共通テストを迎え、英語がまさかの58点でしたが他で挽回し、バンザイくんもこの笑顔。

彼の笑顔のために1年間頑張ってきたと言っても過言ではありません。

農学部の中では大体10位くらいでした。



私立はなんとなく行きたくなかったので、共テ利用の同志社だけ一応出したけど落ちて、結構崖っぷちでした。



二次試験まではさすがに散歩も抑えて、1日9時間くらい勉強しました。



本番の感覚はなんとか耐えたっていう感じでした。

しかし日が経つにつれてあれ間違えた、これ間違えた、あれから落ちてるかも、と思うようになりました。
実際にはなんとか受かってたので、やっぱり直後の感覚というのは割と正確ですね。


私立も行くあてなしなので、もし京大落ちて中期も後期も落ちたら二浪になってしまうのに、京大受かってるやろと思う気持ちと、そう思いたいという願望から全然勉強に身が入りませんでした。



実際京大に受かってたからええものの、落ちてたらイケマ2になっていたかもしれません。


練習でもそうですが、最後まで頑張りきれないのが自分の弱みですね。




受験生の皆さんは後1週間なので汗汗してるかもしれませんが、過去の自分を責めたりはしないでいいと思います。今振り返ったら適当にやってた、サボってたと思うかもしれませんが、当時の自分は多分割と必死で精一杯だったはずです。

もう後少しなので気楽に頑張ってください。別に落ちても死にませんから。


本番楽しんで!


では

2024-2025 stardom


















コメント

1. イケマ2が後輩面して来んの嫌すぐる

これぞ浪人って感じでいいね

2. 散歩してるだけで地理強くなるのおもろい

俺の浪人友達にもマジでめちゃくちゃ散歩してるやついたわ

3. 散歩すれば地理ってできるようになるの!?

受験お疲れさまでした!
バンザイシステムが露骨すぎる…

4. cv岡田了一郎で脳内再生された

駿台はテキスト授業講師担任、全部神

5. 無題

岡田は神定期

6. 雪崩はほんまに怖い

上本町からの散歩ルートの最果ては天王寺です

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京大水泳部
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