京大水泳部練習日記(2022/3~)

2/21 僕は僕として、いまを生きてゆく

日記の冒頭で毎回言っている気もしますが、やっぱり最近寒すぎないですか?
今年に入って何回も寒波、寒波って聞いてる気がします。結局ずっと寒波じゃん
今回こそ最後の寒波だと信じてみることにします



お疲れ様です。一回生トレーナーのまきやです。
更新遅くなってすみません。

さっそく今日のメニュー、ドン!!



選手の皆さんお疲れさまでした!
ゆきかさん、りこさん、ふみえ、りくたろうありがとうございました


今日は試合が近くなっているということで、出力の高いメインでしたね
タイム的にはベストが出た人がいたり、ブロークンで目標のタイムを超えられている人がいたりと、結構いい感じで仕上がってきているのかなと上から見ていて感じました


ただメインの前に組み分けが複雑だったり着替えがあったりしてメイン始まる前にちょっとぐだっちゃった感じがあったので、スタッフの自分含めて良い雰囲気作っていけたらもっと良くなるかなって思いました





話は全然変わって今日ワンオクの新アルバムの発売日だったんですよね
普段家ではほとんど飲まないお酒でも飲みながら新曲聞いたろうって思ってたんですけど、合格体験記が全然書き終わってないんでおとなしく書いていこうと思います

まあここでお酒飲むとかっていう話がかけるっってことは自分もう20歳なんですよ
一回生で20歳ってことは、そう一年浪人してるんですよね
ってことで二年分の不合格体験記と合格体験記始まります




自分は結構なんでもものごとを無駄にいろいろ考えちゃう性格で、あれやこれやと自分の考えもいれながら結構真面目にお固めな体験記書いていってたんですよ

そしたら一個前のりくたろう日記読んでみて
あらびっくり
言ってることめっちゃ真逆じゃんってなっちゃって、、、
たぶん浪人反対派の人の直後に浪人生が担当するっていう順番が酷でしたよね、うん

さすがに前後の日記で違いすぎるのは微妙やなって思っちゃって、でも別にりくたろうと討論したいわけでも自分の意見に共感してほしいってわけでもないんで、自分の考えをそんなにいっぱい書かなくてもいいやってことで一回書いてたやつ全部消しちゃいました(そのせいで更新も遅れてすみません、、、)


ってことで方向性を変えて自分の考えとか書くのはやめて自分のエピソード中心に体験記書いていこうと思います!
あんまり自分のことを書くのは得意じゃないですけど、よければお付き合いください
クソ長くなるので時間ある時にでも読んでください




自分が京大を意識し始めたのはたしか中学一年ぐらいのときだった気がします

自分はめちゃくちゃ心配性なんで、それまでにも将来への漠然とした不安ってのを感じることは何回かありました
ただ小学校のころまでは英会話を習ってたくらいで、塾も公文も通ったことがないような子でした

そんな中で自分の住んでいた地域は結構教育熱心な家庭が多くて、小学校も半分ぐらいの人は中学受験をして名門の中学に行く人も多かったし、地元の公立中学に行く人も中一のころからほぼ毎日塾に行く人が多かったこととかが、今考えると自分の不安に拍車をかけたんだと思います


後から聞くと自分も中学受験をするか考えた時期があったらしいんですけど、地元の公立中学の水泳部が強くて(実際二個上が全中優勝しました)そこに入りたいと思って、そのまま進学したみたいです



そんな感じで、中学生なりに将来安定するためにはどうしたらいいんだろうって考えた結果、何かの資格を取るなりなんなり何か自分に価値を付けたいなって思ったんです

そこで何の資格を目指そうと考えて、自分の家系に法律関係の仕事をしている人が多かったり、難しい資格だから持ってたら安定しやすいかななんて思ったりした中学生の自分は、司法試験に合格しようと思い立ちます

今思うと安直だなって思うんですけど、中学生なんてこんなもんなんですよね

そして司法試験に合格する方法を考える中で、たくさんの人が司法試験に受かる大学がいいだろうと思って大学を調べ始め、東大、京大、一橋あたりの法学部に目星をつけます
当時一人暮らしにあこがれていたり世界遺産好きで京都にあこがれていたりした自分は、何となく京大法学部を目指すことに決めます

これが京大を目指し始めたきっかけです



でも京大を目指し始めたからと言って特に目新しいことを始めるわけではなく
中一、中二のころは水泳が生活の中心で毎日基本は二部練をして、勉強するのは授業中と定期テストの前日だけという生活でした

実際水泳のほうはこの時期はすごく頑張れていたし、タイムもよくて、今振り返れば選手人生の全盛期だったのかなって思います



そんな生活でも学校の定期テストの点は学校トップクラスで、毎年数人は筑駒・開成に、十人ずつは神奈川公立トップの横浜翠嵐・湘南に、三十人くらいは早慶の付属校に行くような中学だったので、どっかは行けるやろうと結構余裕かましてました



ただ中二の後半になると定期的に受けてた模試の偏差値が下がり始め、ちょっとずつ危機感を持ち始めます


中三になってさすがにこのままではまずいと思って、コーチにお願いをして練習を週二回休ませてもらい、神奈川で一番大きくて実績のあった塾に入ります
当時いたクラブでは、練習を減していいのは中三の秋になってからで、中三の初めから減らすのはそこそこ異例だったので、絶対結果を出さなきゃと思ったし、京大に向けてやっと動き出せたうれしさで本気で勉強を始めます

自分の入った校舎は塾全体の中でも一、二番目にレベルが高い校舎で、先生にはいつか一番上のクラス入れたらいいねって言われてました
ただ本気で勉強を始めた中学生のまきや少年はめきめきと学力を伸ばし、最初の模試で校舎内でトップをとります
そうすると勉強もどんどん楽しくなってきてさらに勉強するようになります
そうして、勉強して、成績が伸びて、うれしくてさらに勉強しての好循環に入った中学生の頃の自分は、人生一頭よかっただろうなって思います


(このままだと人生のピーク中学生じゃん)


その後も順調に成績を伸ばして、中学の塾では一回も校舎内順位トップをほかの人にとられなかったし、神奈川全体でも何回か一桁順位を出して、神奈川4位をとったときもありました


そんな感じで模試の成績も安定していて学校の内申点も取れていたので、塾や学校からは神奈川公立トップの横浜翠嵐を受けることを勧められます

ただ翠嵐の学校が厳しくて三年間みっちり勉強する校風は自分に合わないなと感じて、自由な校風で勉強以外のことも充実していそうだった湘南を第一志望にします

この二校は入学難易度こそほとんど差がないものの、進学実績、特に現役合格率とかを見ると圧倒的に翠嵐に分があります

ここで自分が湘南を第一志望にしたことが浪人への第一歩だったことは間違いないでしょう



そして迎えた高校受験は結果的には全勝でした
翠嵐・湘南の合格最低点がだいたい500点満点で440点ぐらいのところ、自分は480点ぐらいとれたので、完勝でした。それ以外に受けた私立の付属校も翠嵐より偏差値の高かった国立も全部受かりました

ここで調子に乗ったのが浪人への次なる一歩でした


水泳のほうは、10月までは週4で泳いでいて、受験直前でも最低週1は泳ぐようにしていました
高校でも水泳を続けると決めていたので、受験が終わるとその日からスイミングの練習に行って選手復帰しました




高校に入学すると予定通り水泳部に入り、クラブと部活どっちにも行くという生活が始まります

コロナで泳げない期間があったものの、高一高二の間は水泳漬けの日々でした
朝クラブで泳いで、学校に行って、部活で筋トレをして、夜またクラブで泳いで、筋トレをして、帰って寝るという生活の繰り返しです
実際この水泳漬けの生活をして水泳に対して真剣に向き合ったからこそ、一切悔いがないと言ったら語弊があるかもしれないけど、水泳を限界までやり切ったと思えます
間違いなく今の自分を支えてくれてる時間だなって思います




ただこんな生活をしていたら塾に行く時間もなく勉強する暇なんてありません
もちろん成績は見る見るうちに下がっていきます

でも高校受験を通して自分は頭がいいという自信をつけてしまい、本気で勉強すれば成績が伸びるという成功体験も得てしまっていたので、まだ大丈夫と自分を信じ込ませ勉強はせずに高二まで過ごしていました
それと持ち前の気合と集中力で定期テストだけは何とか赤点回避をし続け、全体順位も入学時の10位前後からは落ちたものの、360人中の二桁順位はキープしていたことも危機感を感じなかった原因だと思います


そんな生活をしていたら、中学の時のように模試の順位が定期テスト以上に下がり始めます

そこで今回も同じように塾に入ることにします
これまたコーチにお願いして高二の1月から某河合塾に通い始めます
この時も変わらず京大法学部志望だったので、高三になる時には10年間通ったクラブをやめて、県高校までは水泳を続けるものの、勉強に大きく比重をかけることにします




しかし中学のころとは違い勉強を阻むものがもう一つありました


それは高三の9月にある体育祭です
湘南はいろんな行事を盛大にやる学校で、その中でも体育祭が一番の目玉行事です
京大では知っている人は少ないと思いますが、湘南の体育祭は「日本一の体育祭」を銘打って、めちゃくちゃ盛大に行っています
その中でも仮装という10分間の演舞は、(比喩じゃなくて本当に)高二の体育祭が終わった翌日から一年間をかけて0から自分たちで考えて準備をし、順位を競うという目玉の出し物です
気になる人はぜひYouTubeで「湘南高校 体育祭」とかで調べてみてください


自分はこれの大道具パートという高さ6m級のパイプとかを組んで演技の舞台を作ったり背景を作ったりするパートのパートリーダーをやることになりました

これが浪人を決めた最後の一歩でまあ間違いないでしょう


体育祭準備は高二のころから忙しくて、朝に学校に集まって会議をし、夜も寝落ちするまで案出しをし、多くの時間を費やしました


高三になり少しずつ部活を引退しだすと、湘南生は受験モードになるのではなく体育祭モードになっていきます
自分も例にもれず、高三の6月の県高校で引退して以降は体育祭に染まっていきます


一般的に受験の山場といわれる夏休みは、朝8時半に学校に行って夕方5時までベニヤ塗ったりパイプくんだりといった作業をし、そのあと会議をして、終わったら塾の自習室に行くものの書類を作ったり設計図書いたりしてました

勉強と言ったら平日の移動の電車の1時間くらいと作業が禁止の土日のうちの会議がない方1日くらいで、一般的な京大受験生からしたらありえないくらい勉強時間が少なかったと思います




ただこの時も特に変わらず京大志望だったので、夏の冠模試は受けました
もちろん結果は惨敗
偏差値は40くらいだった気がします
そらそうですよねだって高校に入ってからまともに勉強してないんですもん



だからと言って勉強量を増やしたり体育祭に対する熱が冷めたりすることはなく、むしろ体育祭が近づくにつれて勉強はどんどん端に追いやられ、体育祭にかける時間がより増えていきます
夏休み明けてすぐのテストが終わると、授業も少なくなっていき湘南全体が体育祭一色になって三年生の髪色は受験生とは思えない色になります
この体育祭までの約1か月は勉強なんてした記憶がありません


そんなこんなで9月の終わりにようやく体育祭を迎えます

9月の体育祭が終わっても引継ぎ資料を作ったり後輩にいろいろ教えたりして10月ぐらいまでは体育祭関連のことをしてた気がします
なので真剣に勉強と向き合い始めたのは11月くらいからだった気がします


受験生としてこんなに大事な時期に驚くほど多くの時間を割いて体育祭を行うことに違和感を抱く人は多いと思うし、実際そう思うのが正常なんだろうと思います
でも体育祭をやっていた時がありきたりな言葉だけど、一番青春だったしかけがえのない時間だったなって思います
あんな経験はもう2度とできないんだろうなって
もしもう一回高校を選ぶとして、確実に現役合格する翠嵐と一浪するし京大に受かるかもわからない湘南どっちを選ぶと聞かれても、迷わず湘南を選んで体育祭してると思います



そうして水泳からも体育祭からも解放された11月になって高校生になって初めて本気で勉強に向き合います
基礎の基礎から入ってないので、この時期にそこから始めます

正直この時期の記憶はあんまりないです
体育祭までの思い出が濃すぎるのと、多分めちゃくちゃ必死だったんだと思います
過去問とかには手を出さず、基礎ばっかりやっていた気がします


1月に入ったくらいに共通テストの勉強にシフトしました
共通テストまでそんなに時間はなかったけど、パックとかを消化して何とか少しでも形にしようともがきました


共通テスト本番は思った以上に冷静で手ごたえも悪くなかった気がします
周りもほとんど湘南生で休み時間も話して気を紛らわしてたしいつもとおんなじ雰囲気だったのがよかったのかなって思います

自己採点は2日目が終わった後にしました
勉強開始が遅かった自分にとって共テは8割取れればいいかなぐらいで挑んでいたので、79%ぐらいだったのは及第点かなって感じでした
今考えると低いですけど82,3%っていうボーダーと京大の二次配点を考えたら当時は耐えだと思っていました


そんな感じで共テを終え、二次の勉強に移ります
二次の勉強とは言うものの、過去問がサクサク解けるわけもなく、英数は基礎をちょい発展させたくらいの教材をやってた気がします
もう時間がなかった自分にとって受かるプランとしては得意だった国語と日本史の暗記を頑張って、英数を何とか耐えるしかないと思って勉強してました


私立は明治、中央、早稲田、慶應の法学部を受けました
明治は共テ利用で受かって、早慶は一般で見事に落ちました
中央は補欠かなんかだった気がします(あんま覚えてないです、、)

京大がダメでも、早慶に受かったら進学しようと思っていたので落ちたのは割とショックでした
でもよく考えたら英語ができない自分が私立文系の最高峰の早稲法と慶法の英語なんて解けるわけないんですけどね


この結果を全部見たうえで京大の入試本番に臨みました
なので京大か浪人かの二択のような状態でした(一応明治も)
受験前日に早稲田の不合格を見た時に「自分は現役か浪人かはわかんないけど京大に行くわ」って言った記憶がかすかにあります

そうして受けた京大の1日目午前の国語はそこそこでした
ただ午後の数学が爆死でした
めちゃめちゃ簡単になった年で周りからも簡単やったわって声がいっぱい聞こえてきてあっ終わったなって悟りました
高校の同級生で、全国模試二位のやつが一緒に受けてて、そいつが数学出来なかったって言ったのを聞いて一瞬希望を感じましたが、ネットの易化という評価を見てまた絶望しました


二日目は絶望のせいでほとんどテストに身が入らなかった気がします
何回読んでも問題文は頭に入ってこないし全然解けなかった解けた記憶がないです
覚えているのは帰りの新幹線の前に、京都駅の伊勢丹で食べた焼き鳥がやけにおいしかったことぐらいです


結果は家で家族とみてました
案の定、落ちてました

正直わかっていたことだったので、自分はやっぱりかって感じでした
ただ、家族が悲しんでいた顔は今でも忘れらないです
ある種落ちることへのトラウマのような感じでした


後期は神戸に出してたんですけど、ほぼ共テで決まる方式で79%の自分はさすがに無理だとわかっていたので、一応受けにはいったものの半分観光みたいな感覚でした
(実際二次で結構まくったもののちゃんと落ちてました)
自分の手元にあった選択肢は受かってる私立に行くか浪人かでした
一瞬明治に行って、同期の神奈川の速い友達が何人か内定してた水泳部のスタッフやろうかなとも思ったんですけど、高校受験の時に京大に行くと決めて私立の付属はいかなかったし、このままじゃ受験が不完全燃焼で終わるなと思って、浪人することを選びました
あんまり自分以外の人を自分の決断の理由したくはないと思っていたんですけど、決断する時に京大に落ちた時の家族の顔がうかんだのも浪人を決めた要因かもしれないです




予備校は現役の時に某河合塾でダメだったことと数学が弱かったので、駿台横浜校で浪人することに決めました



浪人生活はそんなにつらかった記憶は正直ないです

湘南からの友達も多かったし、ずっと自習室にこもるというよりは昼に横浜のおいしいもん食べに行ったり、たまにライブ行ったりしてたのでストレスをあまりためずに生活してたと思います
なによりほかのことを何も考えずに勉強できるっていう状況が自分にとってはほぼ初めてで楽しめていた覚えがあります
授業も思想の強い日本史の先生以外は切らずに全部出て予習復習もしっかりやりました

浪人生は現役の時にやったことを基礎からもう一回やらなきゃいけないから辛いって周りの人たちは言ってたんですけど、そんなに勉強してこなかった自分にとっては新鮮なことばかりだったので勉強自体も苦にならずにできたんだと思います



成績のほうも割と順調に上がっていって判定はAとB中心になり、冠模試も冊子に載るまではいかないものの安定して合格圏内をキープしていた気がします


夏が終わって以降も特に焦ったりせずマイペースに勉強してました
これが結果的にはメンタルも安定してよかったのかなって思います
このころから本格的に過去問に手を出し始めたんですけど、現役の時とはまあ見え方が全く違くて自分の成長を感じると同時に現役の時の自分の学力の低さを感じました



二次に関してはそこそこ余裕ができてきていたので、12月の半ばぐらいから共テの勉を始めました
12月中は二次の勉強と半々くらいで、年が明けてからは8割がた共テの勉強してました


浪人になっても共テは特段好きじゃなかったので、早めに対策始めといたのが結果的にはよかったかなと思います



でも、、、
受験って一筋縄ではいかないもんで、共テ二日前に4年ぶりくらいの重めの風邪をひきました
共テ当日も体温見たらしんどくなるので測ってはないけど、おそらく38.5度くらいある状態ながら気合で受けに行きました

浪人ってこともあって私立の受験も多く入れてて、共テを後ろにずらしたら二次の勉強も私立の勉強もできなくなると思って意地でもこの時に受けてしまいたかったんです

会場でも薬を飲みながらミスはありつつもなんとか一日目を乗り切って、とりあえず帰ってすぐ寝ました
この日記で定期的に記憶をなくしてるんですけどこの日もあんまり記憶ないです

二日目は一日目より体調はだいぶましで最後の数学まで大きなミスなくいけました
やっぱ体調って大事!

その日の夜に自己採点してトータルでだいたい89%くらいあって、85%ぐらいを取れれば及第点と思っていた自分にとってこれはだいぶうれしかったです
過去の模試とか見ても結構いい方の点数だし、何より一年間やってたことがやっと形になった感じがしました


私立は早稲田3学部、慶應2学部、上智、明治1学部ずつ受けたと思います


共テ利用もあったので実際に受けに行ったのは、早稲田の政経と法、慶應の法と商、上智の法とかだったと思います


京大の二次の勉強は割と進んでいたので、私立の入試の前日と前々日はその私立にシフトして勉強してました
おかげで割と手ごたえのあるテストが多かったです
ただ試験三日連続はさすがにきつかった気がします


京大本番までは入試の手続きの期限がくるやつ以外は結果を見ずにいました
なので京大入試の時は明治と上智の法の合格しか知らない状態だった気がします



京大入試本番、
今年はそんなに緊張しなかったと思います
一日目の国語は手ごたえそこそこ
午後の因縁の数学は結構手ごたえありでした
終わった後一年前とは真逆で周りが難しくなったと言っていて、一安心しました
ただ去年と同じミスはしまいと思ってネットは見ずに日本史の復習をしてさっさと寝ました

二日目の英語も一日目の数学でできた余裕からか去年とは違い問題文がしっかり頭に入ってきました
問題形式の変更も気にならないくらいだったので結構集中もしてたんだと思います
午後の日本史も無難に乗り切りました


終わった後の感覚はこれでダメなら、一生京大受かんないなって思えるくらいやり切った感じでした(実際の開示も合格者平均よりそこそこうえで過去一ぐらいの出来でした)
前回と同じ焼き鳥屋で夕ご飯を食べましたが、このときは前回よりおいしかった気がします


京大受験が終わった後、私立の合格発表を見ずにいたら早稲田から二外のアンケートのメールが来て受かってたことを知ったりなんだりして、私立はほとんど受かってました
前日私立全振り作戦がよかったのかなって感じです


肝心の京大の合格発表は去年と同じく家で家族と一緒に見ました
回線がなかなかつながらなくてめっちゃドキドキしたことばかりおぼえてます


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自分の番号見つけた時はうれしいとかよりほっとした気持ちのほうが強かったです
あと母がすごい喜んでくれたのが去年のトラウマを拭い去ってくれた感じがしました



こんな感じの経緯で今京大にいます


エピソード主体にしたらめちゃめちゃ長くなったし、メッセージ性もないし、クソ読みにくくてすみません

あんまり教訓とかがあるような人生じゃないですが、一つ言えることがあるとすれば、、
受験生の皆さんは京都くそ寒いので風邪ひかないようにあったかくして、体調万全の状態で本番望んでください

応援しています


そして京大で会える日を楽しみにしています!




最後に湘南高校がミセスとコラボした『僕のこと』の歌詞を題名に残しておわります




ここまで読んでいただきありがとうございました

では


2024-2025 stardom









P.S.明日1年ぶりに家族と思い出の焼き鳥屋行ってきます







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プロフィール

HN:
京大水泳部
性別:
非公開

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