お疲れ様です!
悪夢のようなテスト期間を乗り越え、レポートも昨日で終わらせ、今日から春休み!!とは思うものの、睡眠削ってテスト勉強したせいで風邪をひき、まだ全然治りません。つらい。
早速やけど今日のメニュー↓
ゆきかさんりこさんふみえまきやお疲れ様でした!
選手のみなさんもお疲れ様です!
自分が選手やったら途中離脱か倒れてまいそう。
もしくは堀さんの目標達成に貢献できそうです。
みんな頑張っててえらい。
入部してこの日記の存在を知った時、『新入生へ』の日記はほぼ全部読みました。
こんなすごい人たちがいっぱいいるんやと思う一方、自分もこれ書くん辛すぎんか?とも思ってました。やのにいつの間にかもう2月になってて…私の番になってしまいました。
読ませられるほどのことは何もないのですが、これまでの合格体験記は神童天才型が続いているので、真逆の私の日記はまた一味違うかもです。受験生は、昨日までの日記で生まれちゃったかもしれない「京大は天才たちが集まるんや」というイメージを払拭できると思います!
あと、私のは勉強云々よりも、「なぜ京大を選ぶに至ったのか」という話題が中心になります。
もしご興味のある方は、拙い文章ですがお付き合いください。
おもんなさそうと思ったら直ちに閉じてください。
それでは、大前の合格体験記スタート!
時は2016年まで遡ります。
当時小学4年生の私は、4歳から通っていたスイミングスクールでタイム計測をするようになり、水泳にどハマりします。
週1は足りひん、もっと泳ぎたい!と思うものの、スクールの頻度を増やすのは色々難しそうやな…
(長女なので、小学生なりに親の負担とかを考えてました。物分かり良すぎ)
そこで、私がとった行動が
「京都市 水泳部 中学校」 検索カチッ
これが、私と西京附属中との出会いでした。
学校の部活として水泳をするなら、お金の負担も減るし、何より毎日泳げる!あとこの学校賢いっぽいし良い学校そう。
当時はそんなことを考えてたと思います。
その後親に頼み込んで、塾に通わせてもらい、中学受験をすることにしました。親には最初だいぶ反対されました。中学入ってから、親に受験させられたという子が大半やということを知り、そりゃあ親に中受の選択肢がないのに子供が急に言い出したら嫌よな、と納得。でも最終的にはいっぱいサポートしてもらいました。
その後、黙々と勉強してなんとか合格。
正直必死すぎて、その時の記憶はほぼありません。後から親に聞いたら、体力やら免疫やら肌やらぼろぼろになるくらい、いつの間にか精神的に追い込まれてたそう。
まあ、本人としては覚えてないし、受かったのでオールOK
長々と中受のことを書いちゃいましたが、私の大学受験は高校にお世話になりまくったので、なぜ西京に入ったのかは触れときたい話題でした。
中学、高校ではずっと部活中心の毎日でした。
中学校では、高校での勉強を見据えて、週15時間の勉強を義務付けられていました。週間予定表が配られて、この日に何時間、何をやるかを決めるという流れでした。私は計画通りやる方が得意やったし、わりとサボらず続けます。出される課題とかやってたら15時間なんてすぐに稼げたけど(つまり要領が悪いってこと!笑)
高1,2では、定期テスト以外に2ヶ月に1回くらいのペースで国数英のテストがありました。それで追試になると放課後の時間が奪われちゃうので、部活のために追試回避を目指します。多分英語で1回落ちちゃっただけで、あとはなんとか免れてたはず?
中高で、学力は体感で学年の中の上くらい?真面目にやってた分の結果は出てたけど、何か突出してできたわけではありませんでした。
あと、中学校では生徒会役員をやったり、高校では学校外のゼミ発表にエントリーしたり、研修旅行の企画運営をしたり、勉強と部活以外の面も充実させてました。たまにその準備とか話し合いとか先生との打ち合わせとかがあって、部活休まなあかんかったけど、全部いい経験でした。
高校に入ると模試も増えて、その度に志望校を書かなきゃでした。高校は当然のように国公立を目指させる。親は、明言はされなかった気がするけど明らかに家から出て欲しくなさそうでした。
私としては、家が厳しいこともあり、友達と比べて行動制限も多く生きづらいと感じていた時期でした。大学で京都府外の学校を選べば、私の行動範囲も広がるんじゃないか。自然と親離れ、子離れできるんじゃないか。そんな不純な理由で、漠然と大阪への憧れが強くなりました。
で、調べた結果、阪大の法学部を第一志望にします。阪大法は学科が分かれていて、法律に興味ゼロの私にとってちょうどいいと思ってました。
高1からずっと第一志望にしていた阪大法はC判定。ちなみに、枠が余るから適当に書いていた第七志望あたりに、たまに京大総人を書いてたっぽいんですが、どれもE判定でした。
高2の夏、初めて阪大法でB判定が取れました。そしてその模試が返却された時に、学年主任に呼び出されました。学年主任と面談なんて、私なんかやらかしたっけ?とか思ってたら、
「志望校を上げないか」
と提案されました。
正直この時は、ちょっと高校に対してあきれてしまいました。
「京大志望者を増やさな合格者も増えへん」
っていう学校側の魂胆が見えすぎてて、しょーみまともに聞いてませんでした。これを機に、担任からも
「とりあえず志望校上げろ」
って言われるようになって、わりと鬱陶しかったです(口悪くてごめんなさい、でもこれが本音)
高2の10月、研修旅行が終わったタイミングで東進に入塾します。この時も、入塾テストの結果が良かったらしく、京大を志望する気はないのかと言われました。塾でも高校と同じことを言われたので、親とちょっと悩みました。私としては、京大に関しては判定がずっと変わらずEなのに、大人たちは何を言ってるんやろ、とも思ってたけど、初めて選択肢として京大を意識する機会になりました。
高2の冬に、勉強のことや人間関係のこと、諸々重なって一瞬病みます。私にとって相談しやすい大人が学年主任だったので、この時期にもう1回面談してもらいます。志望校のことも相談させてもらって、いただいた答えが
『大学選びは仲間選び。環境選び。』
この言葉が、ちょっとしたきっかけになりました。
そういえば、阪大生って高校の部活の先輩しか知らない。阪大のキャンパスは行ったことあるけど、オープンキャンパスとかは抽選全ハズレ(これはコロナのせい!)やったし、大学生として阪大生に関わったことない、ということに気づきます。
京大生との接点は…1回だけありました。
高2のシーズンの時期、部活で京大プールをお借りして練習したことがあります。その時、京大水泳部の方(がきさんとかくるみさんもいた気がする)が一緒に泳いでくださって、ちょっとだけ交流できました。その時にめっちゃ印象的やったのが、同じレーンで練習してくださったゆういちろうさんで、部活のこととか勉強のこととか、めっちゃ気さくに話しかけてくださった覚えがあります。その時の練習の雰囲気がめっちゃ良くて、慣れないプールでの練習やったけどちゃんとこなせました。京大生ってすごい上にいい人たちやなあと感じた経験でした。
この出来事が「仲間選び」という言葉とリンクして、初めて京大アリかも、と思いました。
でも結局、この時も京大に心を決めることはないまま、結論は先送りに。
高3では、ありがたいことに部活で近畿大会まで残らせていただいたので、本格的に受験勉強を始めたのは8月でした。部活辞めるタイミングくらいには志望校決めなまずい、と思って塾の社員さんといっぱい話し合いました。阪大と京大の本番とか模試の過去問解いたりして出した結論は
「多分このままいけば阪大は共テ後の対策でもいける気がするし、一旦京大目指した勉強をしよう」
という感じでした。ここでやっと、私は「京大志望者」のマインドになります。
高2の2月とかで部活引退してる人たちもいる中で、水泳部はシーズンが遅いし、加えて近畿まで出れたので、勉強への焦りはMAX。
そして、志望校を変えたことで問題になるのが、2次試験の科目数が増えること。阪大やと国数英で良かったところに社会が加わりました。
さらに何が大変かって、私は社会が大の苦手!
夏以降はずーーーーーーっと世界史を詰め込むのに時間を費やすこととなりました。しょーみ国語と英語やった記憶ない。疲れた時に数学1問解いて頭リセットして、すぐまた世界史する、みたいな生活でした。
京大を志望するって決めた翌日に8月の京大実戦があって。うちの学校は、阪大志望でもその回の京大模試は受けることを推奨されてました。例に漏れず私も受験して、その時の判定が法学部E判定。
ほんまにこんなんでどうにかなるんか?笑
って思ってました。
夏休みは毎日塾にこもって勉強しました。1日12時間は勉強するようにしてました。世界史できる限り詰め込んで受けた秋の冠模試がD判定。世界史がゼロから30〜40くらいに増えたので、当然っちゃ当然。でもそこからは何の模試でもずっとD判定でした。
夏休み終わって学校ある時期は、1日の自習時間は6時間をキープしてました。部活の朝練行ってた時間で、代わりに学校の自習室行って授業前に2時間。授業終わったらそのまま塾行って4時間。
休みの日は12〜15時間勉強してました。どこ行くにしても世界史の年代暗記帳を常備して、ご飯食べながらも世界史の参考書読んで。隙間時間はとにかく世界史でした。
高校では文化祭も体育祭もあったし、お昼ご飯は友達と食べてたし、楽しいことを全て削って勉強してたわけじゃないので、そんなにしんどくはなりませんでした。それより、ちょっとずつ何かができるようになる感覚が嬉しかった。
共テ対策は12月半ばから始めました。
共テの過去問は既に1回解いていたので大丈夫ではあったけど、それでもやっぱり不安でした。まわりの賢い子たちは共テなんてわざわざ勉強しないでも取れるらしかったけど、そんな余裕がかけらもない私は、共テも着実に準備しました。
ありがたいことに、年末年始も塾を開けてもらえたので、大晦日もお正月もちゃんと9時から9時まで勉強しました。紅白くらい見たかった気もするけど、しかたない。
そして迎えた共テ当日。
まわりに高校の友達も多かったし、普段の模試よりちょっとそわそわするかなーくらいの感覚でした。
私より、会場まで送ってくれた父の方が、当日を迎えたことに感極まってました。そのおかげで逆に緊張ほぐれました。
共テ2日目が終わった後、友達とカフェで事故祭典を開催しました。あれ落とした、これ取れてないってキャーキャー言いながら祭典するのも、落ち込みすぎなくて良かったです笑
最終的な割合としては良くも悪くもなく。ちょうど京大法のボーダーくらいでした。現役生としては及第点かな?って感じです。
それより私を不安にさせたのは世界史。あれだけ時間をかけたのに、もう一つの社会科目だった地理の方が点数が高くてめっちゃ落ち込みました。
こんなんで世界史を2次で使えるんやろか。
やっぱ3教科で受けれる阪大にしようかな。
そんなことをぐるぐる考えてました。
共テの判定が出て、どの結果も京大法C判定。ここに来て判定上がったのはほんまに嬉しかったです。あと、高校の世界史の先生に一喝していただき、腹を括ることができました。
ここからは、本番に向けて何をやっときたいか、何をやらなあかんかっていうのを整理して、1日ずつやることを予め決めて取り組みました。この時期はもう、1日14,15時間はもはや当たり前に勉強できるようになってました。世界史の論述とか、国語英語の記述は高校の先生にいっぱい添削してもらいました。世界史は特に、論述の採点を毎日2問ずつくらいお願いしちゃって、我ながらすごい量やった気がするし、先生にも負担かけてしまったなあと思ってます。
直前模試の結果はC判定でした。模試でC取れたのはこれが最初で最後。取れると思ってなかったので、初めて
「これはわんちゃんあるかもしれん」
とか思ってしまいました。
塾でお世話になってたチューターさんに、模試の世界史の論述褒めてもらえた時は、まじで嬉しかった。12月までできなかったことが1,2月にはできるようになってるなんて、人間の成長はすごいです。
計画通りに勉強できたこともあり、本番3日前くらいにやることがなくなりました。確認しときたい問題とか、苦手な分野とかも一通り触りきっちゃって、既に満足感があって。
「これだけやって無理ならほんまに無理や」
って言えるくらい、頑張り切れました。
迎えた本番当日。
緊張はあんまりなくて、部活の同期と同じ教室だったからか妙に安心感はありました。自分は法学部の第4教室で受験したんですけど、歴史ある学校って感じの教室で、法学部っぽい雰囲気もあって、なんかすごい部屋!って思ってました。あと、まわりの受験生が、まだ京大生でもないのに既に個性的な方が多くて、京大っぽいなーとか思ってました。
1日目終わって、数学が難化してたらしいと聞いて不安になったけど自己採点はしませんでした。あれは絶対しない方がいい。国語も古文ちんぷんかんぷんやったし、既に私は諦めモードに入ってました。
英語で読解と英作文一緒の大問に入ってたら、英語もまともに解けへんやろうなあ。世界史は普通に心配やし。
とか、無意味なことをぐるぐる考えながら世界史復習して、その日は寝ました。
2日目。
予想通り英語の大問おかしかったし。世界史の一問一答ぼろぼろな気がするし。唯一、世界史の論述のうち1つは、クラスメイトが直前の授業で山張ってて解いた問題がほぼそのまま出たので、そこは完璧に書けました。
後期はどこにも出してなかったので、私の受験はこれで終了!京大法の後期っていう選択肢もあったけど、どうせ通らんしお金と時間の無駄かなって。
終わった時はやっぱり満足感が大きくて、結果として現れなくても、この頑張れた経験だけで十分やと思ってました。わんちゃんあるかも、と思ってた感情はもうなくて、3/10まで待って、親には申し訳ないけど潔く私立行こうと思ってました。
体が緊張から解放されたのか、高校の卒業式の後にコロナになって、合格発表日に回復しました。中受の合格発表のとき、一緒に見に来てた母親が私より喜んでて、私は喜びきれなかったっていう経験をしてました。今回はどんな結果でも一旦1人で噛み締めたかったので、合格発表は1人ででかけた先のミスドで見ました。
開くの遅いかなーと思いながら時間ぴったりにアクセスしたら、予想に反してすぐにサイト開いちゃって、めっちゃ恐る恐るスクロールしました。
私の番号があった気がして、頭の中で?がいっぱい並びました。
一旦スクショして、母親に電話しました。
父親にも電話しました。
で、もう1回受験番号をスクロールし直して、やっぱりある気がして。
その後の母とのLINE↓
この実感のなさは、その後入学式に行くまでずっと続きます。取り消し、訂正の報告がいつ来てもおかしくないって思ってました。点数の開示があったときに、やっと自分の中で落ち着いた気がします。
以上が、私の合格体験記です。
私が京大に合格できた理由として2つあると思ってて
①時間をかけたこと
勉強が身になるためには質が良くないといけない。
その点で「量より質」という言葉は説得力があります。でも私にとっては、集中した時間の長さほど自信につながるものはありませんでした。今のところ、現役生の中で私より勉強した人に出会ってません。自分の中で最大限やったと思えたら、メンタル面では勝ちです。
②人と関わり続けたこと
1人でいすぎると何かあって落ち込んだ時に気持ちが落ちまくる気がして、意識的に友達と会話したり、環境変えて勉強したりしてました。多分いつもの私やったら、没頭しすぎて誰とも話さない毎日を過ごしてたかもしれないです。学校来ずに塾で勉強してる子も多かったけど、私は学校に来て友達と先生と話すことで精神を安定させてました。
この2点で、長期的に頑張り続けることができたと思ってます。
イライラしない。焦らない。緊張しない。
これだけでパフォーマンスはだいぶ違ってくると思うのでおすすめです。そのやり方として、私にとってはこの2つが正解だっただけで、みんなに当てはまるわけではないと思うけど、参考までに。
あとは、ここまで頑張った自分への自己肯定感を高めて、結果にこだわらないこと。
これ、必死に頑張ってきた人ほど、目標が明確にある人ほど難しいと思うけど、まずは頑張ってきた過程を認めてあげてほしいです。ちゃんと2次の日を迎えられたこと、それだけで、人生においてはものすごい成果やと思います。成果物としての結果は誰もが欲しがるけど、形として現れなくても、自分は自分を1番に肯定できる存在でいてほしいです。
締め方わからんなっちゃった。受験生の皆さん頑張ってください!
あと、私を京大に、京大水泳部に導いてくださった先輩方、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
ここまで根気よく読んでくださってありがとうございました。
2024→2025 stardom
1. 一日15時間はえぐい