書き終えてみると、なんかみんなの引退日記以上に、自分語りばっかになっちゃたけど、早く投稿しなくちゃなので許して下さい。
構成としては、
自分のトレーナーとしての生い立ちと、
水泳部での1年半を振り返る感じです。
前半G○NG時代編が長いので、興味なかったら読み飛ばしてください笑
高校生時代
中高は演劇部で役者をしていました。台本書いて、演出したこともあります笑。
高校では全国大会目指して頑張りましたが、結果は県大会止まりと残念な結果でした。当時の悔しい気持ちは今でも覚えています。
それはさておき、俳優はアスリート並みに身体のことを考えます。姿勢や歩き方、一挙手一投足の見え方が重要になるからです。僕の「身体」への興味はここから始まります。筋トレも結構ストイックにやってました。高3のスポーツテストの上体起こしは40回、プランクは今でも3分位は出来ると思います。
高校2年生のとき、SNSで俳優、ダンサーを対象にしたトレーナーの方と出会いました。これがトレーナーという職業との初めての出会いです。そして、身体への理解を深めたいという想いで京大の理学療法学を学べるうちの科を志望することにしました。
受験期は死ぬほど勉強しました。そのかいあって、受験には最低点+3点くらいでなんとか合格し、京大にやってきました。
G○NGトレーナー時代
演劇は続けたかったのですが、大学演劇にいい印象がなかったのもあり、演劇サークルには新歓すら行かず、プロの劇団主催で社会人の方たちと演劇をすることにし、またダンスサークルに入り、ダンスを始めることにしました。
ある日のこと、
某G○NG ST○RSが教科書を無料でプレゼントしてくれるということで、新歓に遊びに行きました。全然入る気も無かったのですが、めちゃくちゃ教科書もらったので、仕方なく試合を観に行きました。試合では、OBトレーナー(今は研究室の先輩)オ○ダさんからトレーナーの魅力を語っていただき、勉強のためにも学生トレーナーになるのありやなぁ、となり、結果入部してしまっていました。
―演劇、ダンス、トレーナー、三足のわらじです。。。
色々な段階を経てですが、僕のトレーナーとしての主な役割は、メディカル(怪我した選手と医療機関をつなぐ部門)の中でのリハビリとコンディショニングとなり、怪我人のトレーニングを指導してました。れいかちゃんとか大月にプールサイドでやってた感じのことです。当時は今よりさらに知識も無かったので、振り返ってみるとたいした内容出来てなかったなと思いますが、G○NGの怪我人はコンスタントに4、5人いたので、ある意味暇することなく楽しかったです。
GA○G STA○Sは日本一を目指していました。かつて日本一を経験し、結成から関西1部リーグに居続けているという、歴史と誇りのあるチームです。しかし現在では、日本一までの距離は決して近くないのが現実でした。
それでも大きな声で日本一を掲げ、努力する彼らがかっこよくて大好きでした。だから俺も日本一のトレーナーになるんだ!そんな熱い想いを持っていました。
しかし、部活には週6回行かなくちゃいけなかったのに、劇団もサークルも部活もどれも夕方以降の活動なので、部活を休まなければならない!本番前はもっと行けない!という感じで、十分にやりたいことが出来ない日々でした。めちゃくちゃ忙しかったけど、それはそれで楽しい毎日をを過ごしていました。
事件は2年生の8月に起きました。
ダンスの本番後、コロナにかかってしまったのです。
アメフトのシーズンインは9月で、試合まであと2週間で、とても緊迫した状況だったのというのに・・・
回復したすぐ後、4年生のトレーナーの先輩に、「部内にコロナ持ってきたらどうする気やったんや」といわれてしまいました。全ての練習に参加できていない宙ぶらりんな状態で、部に貢献どころかリスクをもたらしているという事実、すごく悔しかったですが、認めざるをえない事実でした。
それから部活には行けなくなりました。
3ヶ月くらい虚無な時間を過ごしました。
タイミング的なものもあり劇団から離れており、この虚無をどうにかしようと、ダンスサークルにもうひとつ入ってみました。れいかちゃんとダンスサークル同期なのはこういうわけがあったのです。
新しい方のダンスサークルに入ったお陰で、だいぶダンスが上達したのですが、ありえないほど彼女ともめることになったのはまた別の話です。
12月、宮潤からトレーナーに誘われました。コーチから年内に続けるかどうか決めるよう言われた数日後だったこともあり、この偶然に賭けてみようと思い、結構あっさり入部を決めました。
当然この時アメフト部を辞めたわけですが、多くを言わないままに皆のもとを離れたことを後悔しています。
届くことは無いと思いますが、お世話になった人たちに少しこの場を借りて想いを書かせていただきたいと思います。
マ○クボさん
知識や方法論だけにとどまらず、トレーナーとしての考え方や態度など、様々なことを学ばせていただきました。
トレーナーとしての僕の根底には、あなたの存在があります。
何の挨拶もなしに、部を離れてしまったこと、本当にごめんなさい。何度もメッセージだけでもと思いましたが、ある種逃げる形となった自分を見せることを恐れて遅れずじまいになってしまいました。
ナ○さん
色んな学ぶ機会を与えてもらいましたし、相談にもたくさん乗ってもらいました。僕ももうしばらくは京都でスポーツに携わっている予定なので、またお会いする機会あればよろしくお願いします。
ク○カさん
トレーナーに転向するまでにすごく悩んだと思いますし、やるからにはと、ひたむきに頑張る姿めちゃくちゃすごいと思っていました。
宙ぶらりんな僕に、あの日しっかり想いを伝えてくださったこと、部活に対して本気な気持ち伝わってましたし、今となっては感謝しています。
ナ○ハさん
2回生でチーフとなり、上から下からたくさんの責任があって大変だったと思います。くだらない話から身体の話、色んな話したし、時には叱ってくれたり、練習行ってた頃、夏葉さんの存在はすごいでかかったです。本当にありがとうございました。
最後まで引き留めてくれて、必要としてくれて、ありがとうございました。本当に嬉しかったですが、恩を仇で返すようでごめんなさい。
ま○さん
実習忙しいなか、出来る限りを尽くそうとする姿、すごいと思ってました。
日下さんと揉めたとき、味方になってくれて嬉しかったです。ありがとうございました。せっかく味方してくれているのに、心が荒んでたのもあってふてくされた態度取ってごめんなさい笑
イ○ニシさん
休部を経て、部活戻って頑張っていて、僕には出来なかったことです。素直にすごいなと思います。
今西さんの笑顔にはいつも元気をもらってました。同期スタッフ元から少ないのに、さらに減らしてごめん。
トレーナーチームだけですが、こんなもんで笑
他部活の人に向けてメッセージを書いた引退日記は歴史上初なんちゃう?
と思って書いてみました。恥ずかし。
さてさて、
やっとこさ水泳部編突入です。
水泳編
ダンスなどと活動時間が被らないというメリットは、夜型の僕にとっては諸刃の剣というか、「絶対に寝坊する気がします」初めての練習でかなさんと話したのを覚えています。
結局遅刻も無断欠席も、何回かしてしまいました。。。 ごめんなさい。
2月からちょこちょこマネさんの手伝いを始めましたが、本格的に参加し始めたのは春の秋葉山合宿でした。
正直ほとんど知らない人たちと3泊4日過ごすこと自体ドキドキだし、かなさん不在でしおりと愛ちゃんと3人なのも死ぬ、まじ死ぬって感じでした笑
ドライ運営、マネ業、コンディショニング、怒涛の毎日でしたが、すごく楽しかったのを覚えています。
(まだ僕のことを舐めてなかった頃の)しおりと一緒に50走ってスタートとタイム出したのとかすごい覚えてます。
―しおりあの頃は謙虚やったのになぁ、愛ちゃんは良い意味で変わらない気がする
合宿のスイム前後にドライをおこなうと、あの頃はドライに対して耐性がない人多かったからか、足の筋肉痛ヤバイと苦情が相次ぎました。そう考えたら、この一年半で全体のフィジカルレベルは確実に上がったなぁと感じます。
合宿の最後の夜、同期で目標を語り合うみたいな時間がありました。
「どのくらい遠い目標なのかはまだ分からないけど、関カレ1部に行きたい」と話しました。トレーナー設立あたって、結果を目に見える形で出すこと、これが僕の中で絶対条件でした。だからこそ、小さな目標じゃダメで、誰かに笑われるくらいがちょうどいいと思っていました。僕の最近の座右の銘は「声出しとけば、なんか耐える」です。(前は「明日は明日の風が吹く」でした。)「夢は声に出さなければ寝ているのと変わらない」とか誰かが言ってました。夢を口に出したら努力せざる終えなくなって、しゃーなしに努力積んでたら、なんやかんや上手くいく気がします。
そんなこんな合宿が終わり、春休みが明けて新学期、まだ作ったばかりのトレーナーチーム。同期の山岡さんがなんか知らんけど入部してて、純トレーナー2人。
新歓して人で増やしたいけど、トレーナーチームの体制すら整ってない上、教育する立場になるのとかヤバくね?そんな葛藤を抱えていると、いつのまにか新入部員がなんと4人も入ってくれました。ビックリです。
前期の間は時期的にも、ケアに回ることが多かったです。大きい怪我もほとんどなく、
ゆういちろうさんの弱めヘルニアくらいかな
そういう意味で平和なシーズンだったように思います。ただ反省点は多くて、結構色々考えさせられました。
トレーナーチームのことで言うと、後輩に何を教えて良いのか分からず、結果後輩達も何していいか分からないって感じにしてしまいました。申し訳ない気持ちです。トレーナーから一人辞めちゃった子が出て、もう少し僕が上手いことやってたら変わってたのかななんて思ったりして、、、
G○NGの頃は怪我人が次から次にやってくるので、その都度勉強していたら自然と知識も経験も増えていたのですが、水泳部ではそうもいきません。なので新シーズンでは少しずつ勉強会を始めました。
また前シーズンは選手が強くなるための取り組みが出来ていなかったので、今シーズンでは、「強くなる」ために出来ることを考えました。まずワークアウトを義務化し、朝のドライでは準備体操の意味だけでなく、強くなるためのトレーニングの1つとしておこなってもらいました。プライオやってみたり、いろいろ試行錯誤した結果、選手のみんなを混乱させたのは申し訳なかったです。
ちなみに僕の今シーズンの目標は「全選手全国公制限タイム切り、インカレスイマー排出」でした。今のところどちらも叶えられてませんね汗
ベストが出るかどうかには様々な要因が絡むので、一概に効果があったとは言えないですが、冬期公認でのベスト率がめちゃくちゃ高かった時はすごくうれしかったです。
冬期公認まではすごいやる気満々で頑張ってたし、楽しかったです。
1月に入ると、実習が始まりほとんど部活には行けず、また関わることも少なくなってしまいました。あの時期はシンプルに実習がしんどかったです。
3月の春休みをはさみ5月まで実習だったので、新歓にも参加出来ずでした。それでもトレーナーチームには4+1人の新入生が入って、総勢11人というびっくりな状態になっていました。うれしいね。
―個人的には、あいちゃんがトレーナーとして部活参加するって聞いて、激アツでしたね。
実習が終わってほっとしていると、引退まであと2ヶ月とのことでこれまたびっくりです。
やばい、部活のこと放置してる、やばい、
正直この期間の部活の記憶がほぼありません。
膝痛がってる大月とか、声かけなきゃって思ってたけど全然余裕なかったです。ごめんね。
だから6月からは少しだけギアを上げて頑張りました。
出来るだけ選手に声をかけ、後輩に残せるものを残そうとがんばりました。
迎えた関国、たくとや後藤の覚醒を始め、たくさんドラマがありました。すごく楽しかったです。多くの種目で去年より決勝ラインが上がっていたと聞きました。その中で多くの入賞、表彰台、うれしかったです。
男子総合優勝は叶いませんでしたが、最後の8継とか、めちゃくちゃ感動しました。
やっぱりスポーツって胸熱ですね。
来たる関カレ、もう明日ですね。。。
一部昇格、インカレスイマー排出
僕の夢が夢のままで終わるかはみんなにかかってます。
でもレギュラーの選手のみんなには、そんな気を張らないで、大舞台(アクアリーナだけども笑)を楽しんできて欲しいと思います。
良い結果なら笑って、ダメなら泣けばいいです。
僕が一緒に笑って、一緒に泣きます。
最後に、
僕の今の夢でも書こうと思います。
1つは、医療の観点から不幸(病気にかかる、怪我をする)を減らすことです。医療従事者として働くこと、研究をすることで実現させます。残れるところまで大学に残りたいと思ってますが、どうなるんでしょうね笑。テーマ的には予防、再発予防が好きですね。
もう1つは、エンタメ(スポーツや舞台)の充実によって人を笑顔にすることです。スポーツや舞台は人を笑顔にします。やってる人も、観てる人も、応援してる人も、みんなが笑顔になります。そんな素晴らしい世界に携わっていたいです。まだ詳しいこと決まってませんが、大学卒業したらアスレチックトレーナーの資格を取ろうかなと考えてます。スポーツトレーナーを本業にするというより、学生のサポートや、アカデミックな方面での連携とか、そういう関わり方が出来たら良いなと思います。
そういうこともあって、引退してもなんやかんや水泳部に顔出すと思います。
嫌な顔せずに受け入れてくれるとうれしいです。
ほんとに最後に、
僕は出来た人間ではないので、いっぱい迷惑かけたと思います。
途中入部だったのに、みんな仲良くしてくれてうれしかったし、幸せな1年半でした。
出来なかったこと、悔しいこと、いっぱいあるけれど、とりあえず笑って引退できそうです。今までありがとう。
青炎 2023
総乱舞 2024
1. 更新したお
そんな僕が人生で初めて関わったアメフト人が匠です。最初経歴だけ聞いた時、ヤバい奴なんかと思ってました。まあ2~3回会っただけでそのイメージは崩れ落ちたけど。動作や話し方が小動物みたいで可愛いね。
そんな可愛い匠ですが、僕が感覚でやってきたことに対して、徹底的に理論をもって説明がついて、身体的にどんなことが分かるのか解説ができることを教えてくれました。ギャップ萌えですね。
トレーナーチームが選手から信頼を得ることができたのは、匠の存在があったからです。ドライにしろワークアウトにしろコンディショニングにしろ、根拠がないとみんなやらないと思います。京大水泳部は「考える水泳」をしているわけですし。
そのための根拠を明確に示す知識と経験があり、ついて来いと言えるだけの度量を持った匠がいたからこそ、これまでの行動が成り立ってきたと思います。トレーナーという場を作ってくれたのは潤ですが、トレーナーという立場を確立させたのは間違いなく匠です。
いつも小馬鹿にしてたけど、本気で尊敬してる。そのまっすぐな思いでビッグな大人になってくれ。多分唯一無二の存在になってるんちゃうかな。将来呑んで話すのが楽しみです。