ずっと更新し続けてるのが私はガチ苦痛なんで、自分の担当の日は、朝の9時にあげようって思ってたんですよ。
でも昨日の夜水谷くんが明日の夜までにあげるって言ってたから待ってたんですよ。
ほしたらこれ~
いい加減にしてほんま(笑)
めちゃくちゃ眠い中0時まで待ったのにあがらんかったんやけど。(ほんとは日付変わる前にあげるつもりやったけど23時半ぐらいに寝落ちしてもーた)
最近学校生活まで水谷くんのお世話してる気がするし。しっかりしてくれ!
ほんで4回生、ちゃんと期限くらい守ろうぜ。
お疲れ様です。チーフトレーナーの山岡萌来です。
4ヶ月ぶりの日記です。実習行ってたりトレーナーシフト制やったりして、新入生入ってきてから書く機会なく、引退日記になってしまった、、無念。
最後ですが、未だにチーフトレーナーという称号は慣れませんね。
チーフにふさわしくなるまで名乗らないと決めていたんですが、途中で、チーフにふさわしくなるってむずくね?ってなって最近は割と名乗ってましたが。
さて~引退日記の前に七帝のこと書いていいですか?
かきたいこと溜まりすぎててやばい
一回生は知らないと思うけど、私は中高吹奏楽部で浪人もしてたし、運動経験といえば小学校の2年間くらいしかなかったので去年は泳ぐなんて滅相もない。と思ってたんですけど、やっぱりせっかく水泳部に入ったんやから最後くらいは出たいなって思って、加奈さんにお願いして水着をいただいて、実習中、金曜日の実習終わりにスイムピアでコソ練を始めました。
まず最大の試練、くるみちゃんに50m泳げるようになったらエントリーしていいかと聞いたら、1週間以内に50m完泳しなければエントリーしては行けない、って言われてしまい!!まじで死ぬ気で1本泳ぎ切ったのが6/14。なんとかエントリーでき、週3練習計画を立てました。
関国の後コロナになってしまい、1週間泳げなかったので、それ以降は15日(月)以外毎日泳ぎました。
練習頑張って、50秒切ってみんなに褒めてもらいたい。練習中に応援してくれてた全ての人に、こんなに泳げるようになったよってみてもらいたい。意志が弱い自分に勝ちたい。メンタルが弱い自分を変えたい。その気持ちがとても強くて頑張れました。
七帝前日、体が重すぎてびっくりびっくりびっくり(°▽°)
でも七帝の日はもうあーだこーだ言わないって決めてたので口数がいつもの1/100くらいになってしまいました(笑)怒ってるんじゃないかと思った人申し訳ない…
結局、飛び込み台を目の前にすると怖すぎて、直前で離脱してしまったけど笑笑
マネさんたちを中心に死ぬほど励ましてくれて褒めてくれたおかげでなんとか頑張れました。マネさんの力ってほんまに偉大やなぁ。
泳ぐ前、完泳できなかったらどうしようとか、飛び込めなかったらどうしようとか考えてて、泣いちゃったんですけど、そこにいた京大混合リレメンみんながすごく励ましてくれました。
特にしおり。朝から一緒にアップ行ってくれて、自分のアップをそっちのけですごくビビってる私のそばにずっといてくれて、しぬほど励ましてくれました。
レース直前も自分も泳ぐのに、ずっとぎゅってしながら大丈夫ですよって声かけてくれて意味わからんくらいの安心感がありました。
しおりの応援がなかったらほんまにやばかったかも。ほんまにありがとう。
手足が痺れて力が入らないと言う感覚を初めて体験しました!
ほんまにメンタルが鬼弱なんですよねぇ昔から。
向こう側に向かう時に、みんなが手を振ってくれたり大丈夫ですよって声かけてくれたのが力になりました!
あっという間に始まってしまって、南利さんが飛んでいってしまった、、、
たぴくんが飛び込んでしまった、、、
後ろから泳ぎ終わった後の水谷くんの激励が聞こえる。いつもあんな感じやけどこー言う時だけズルい〜!!笑笑
もうやるしかない〜!!
飛び込んで、一本めの線が見えた時点で、ん?これ25m?流石に違うか、、とか思ってる時に
京大の列くらいについて、みんなが応援してくれるのがわかって頑張れました。8レーン嫌やぁぁぁぁぁって思ってたけど8レーンさいこおおおおってかんじでしたねぇ。
25mの線のところで、え、まだ半分?!?って思ったけど、前日みたいに足が重くなかったし、手の水の感覚もそんなに悪くなかったので、後もう少し!後もう少し!これは行ける!!って思ってなんとか泳ぎ切りました。
パパがお疲れって上から頭ポンしてくれたのがパパすぎて泣きそうやった〜
まだ行けた気がするって思ったけど、陸に上がったら足がガクガクで、
あ、ちゃんと出し切れたんやって嬉しくなりました。
初めて完泳した6/14で1分3秒くらい。
7/20では目標の50秒、密かに立ててた48秒も達成でき、46秒台で泳げて本当に嬉しいです。引き継ぎに0.8かかってるので、スイムだけで言ったら45秒台!!
この1ヶ月、大嫌いな日焼けにも目を瞑って頑張ってきてよかった。
意志が弱い自分に打ち勝ててよかった。自分と向き合えるスポーツ、水泳ってすごくいいですね。
たくさんの人が見てくれて、褒めてくれてとても嬉しかったです。
最初で最後の水泳大会、成功してよかった。本当に頑張ってよかった。
しゅうやくんが、めぐさんのレースを見て僕も頑張ろうと思えましたって言ってくれました。こんな嬉しいことないです。
最後にいい思い出ができてよかったです。
リレーの動画にみんなの応援がいっぱい入っててほんとにうれしかった。なんか悲しいことがあったらこれを見て頑張ろうと思います。ありがとうございます。
また、私もより一層関カレ全国公の応援頑張ろうと思いました。
たぴくん2年とも誘ってくれてありがとね。
たぴくん南利さん水谷くんのこのメンバーで泳げてよかった〜
本当にありがとう!!
励ましてくれた全人類本当にありがとう!!!
犬神家の日記からの成長どうです?
↑混合リレメン(1組目)私終わりの顔してる。
あ、あと直己くん、躁鬱っていうん絶対やめて。笑笑
さて、引退日記。
やっとかくときがきたーーーー!!
もうすぐ引退だーーーーーー!!!
よっしゃぁぁぁぁあ!!!!!!
自分語り多くて申し訳ないいいいいい。
激重です。
初めに謝っておきます。ごめんなさい。
目次
【ふりかえり】
【トレーナーとして】
【感謝】
【最後に】
それでは→
【ふりかえり】
「8/20
夏季長の日
全国公からちょうど1週間が経った
本当はすぐ書きたかったけど何もやる気が出なくて結局こんなに伸びちゃったな
引退日記を書く頃にはこの感情忘れてそうやからメモっとこうと思って
全国公で4回生が引退され、いよいよ代替わりって時に、新潟でコロナ発症してしまい、いろんな人に多大な迷惑をかけてしまった。結局40人中18人が発熱、コロナじゃない風邪も同時流行してたっぽいけど大クラスターになってしまったこと、本当に申し訳ないです。危機管理が足りてなかったです。特に3回生幹部とごっしーには、代替わり早々、初仕事みたいなところで大迷惑をかけてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。チーフトレーナーに任命してもらったのに、しょっぱなの試合欠席という事態、トレーナーのみんなにも申し訳なかったです。
みんな新潟→東京のバスに乗せてくれてありがとう。そこで充満させてたらほんまにごめんなさい。1番前の席座ってたら通る人が声かけてくれたり差し入れくれたりしてとっても嬉しかったです。帰ってからもわざわざラインしてくれた後輩、同期、中にはわざわざラインを追加してくれた子もいました。本当にありがとう。
この恩を1年間かけてしっかり返さないとと火がつきました。ラストイヤー、なるべくみんなに恩返しできるように頑張ります。
これを引退の時に覚えてたら貼り付けたい
失速しないように、周りに信用してもらえるように」
去年の夏季長の日に書いてたメモです。正直のせる必要ない気がするんですけど、1年前の私がのせてほしいって頼んでるんで載せておきました。
改めて本当にありがとうございました。
あの時貰った恩を返すべく、1年間走り続けました。皆さんの目にはどのように映ってたでしょうか。
初めて部活に見学に来たのが2回生の2月でした。なんで入ったか、つらつら書きたいけど長すぎるので割愛。気になる人は自己紹介日記読んでください。羽生結弦、とか検索したら一発ヒットです(パパみたいにパソコン強くないんでリンクの張り付け方わかりません)。
まとめると、将来スポーツに関わりたいと高校生の頃から思っていて、部活でトレーナーをやりたいと思うようになったけど、もうすぐ3回生になるというタイミングだったので、トレーナーができるラストチャンスだと思いました。
やってみたいと思うことでも、途中から入ったらよく思われないんじゃないかとか人の目ばっかり気にしてしまってチャレンジできないことが多かったですが、発足からならみんな1からスタートやし入りやすい気がしました。
それに、水泳部のほとんど全員が本当に歓迎してくれてる気がしたので、この部活なら受け入れてもらえるんじゃないかと思えました。
水泳やったことないとか、みんなによく思われないんじゃないかとか心配要素を無視できるほど、トレーナーを経験したいっていう気持ちが強く、入部を決意しました。
以上の通り、ただただトレーナーがやりたくて入部した、という感じで、全然水泳じゃなくてもよかった、というのが正直なところです。
宮田くんと水谷くんがスーパーマンであることは入部してから知りました。水泳経験なくて途中入部、っていう完全な仲間だと思ってた水谷くんはギャングスターズの元トレーナーでした。宮田くんは水泳部目線から色々考えられるしジムでバイトしてるから筋トレとかの知識豊富やし、水谷くんは筋トレ、ストレッチ、怪我の対応とか知識がえぐかった。
いや、びっくり。ほんまに笑笑
水泳は小中のプールの授業でしか関わったことなかったし、中高は吹奏楽部でスポーツにさえ関わる機会はなかったので、入部当初はほんとに何もできませんでした。
初めは肩身が狭すぎましたねえ。私は水泳もトレーナーもできなければ、理学療法の知識も浅く、このままじゃただ入っただけの人になってしまうとかなり焦りました。
水泳をやったことがなかったから50mやったら大体みんながどれくらいで泳ぐのか、とか45秒ってどれくらいなのか、とか全然わかんなくて、マネ業もすごく苦労しました。
ウォッチの使い方もよくわかんなくて、10の位をどうやって計算するのかもわからず、メインの日とかはウォッチを家に持って帰ってずっと睨めっこしてました。
メニューの内容もわからんし、どのくらいキツいかも全然わかんなくて、みんなを励ますのも難しかったです(これは今もなんですけどね)。
周りはそんな私に気を遣って、ちょいちょい仕事を分けてくれていました。せめてもらった仕事は頑張ってやりました。皆すごく優しい目で見守ってくれて、慕ってくれて、褒めてくれて、頼ってくれて、私にもできることがあったって嬉しく思いました。
何もできない私をあたたかく迎えてくれた当時の水泳部の方々には本当に感謝しかありません。
ちょっとでも何かできたら死ぬほどほめてくれたし、朝練に行ったらタイムとってくれてありがとう。って言ってくれるし、話しかけてくれる人がたくさん。
水泳部の皆さんが、めぐは必要だよ!!ありがとう!!!って伝えてくれるから、こんな私でもいていいんだって思えたし、辛い思いをせず、楽しく前向きに活動できました。
気づけば新しく4人もトレーナーが入ってくれました。自分も全然何もできてないのに指導もしなあかん、勉強もそこそこ頑張ってたし、3回生の前期はしんどすぎましたね。いい意味で。結局、指導はあまりできなかったんですけど、、気づいたらみんな立派になってて、ほんまにすごいな、って思ってました。
トレーナーは発足したてで懐疑的な声がちらほらあったし、不信感与えないように、信頼してもらえるように、言葉遣いや行動を気をつけました。
全ての試合が初めてで、七帝の雰囲気、関国の雰囲気、関カレの雰囲気、全国公の雰囲気、それぞれ全然違って、本当に楽しかったです。
特に春室は水泳の試合というものを初めて観たので、結構感激しました。テンポが早すぎてびっくりしたな。
4回生は本当に偉大で、4回生がいらっしゃる間の部活は本当に楽しかったです。
私は根っからの妹気質なので、誰かの後ろに隠れて甘えてるのがすごく好きで、いつも加奈さん中心に甘えさせていただいて、のびのびと部活をさせてもらってました。
加奈さんがいらっしゃる時はほんとにいつも甘えてて、加奈さんに萌来できる?って聞かれて、無理です〜〜(ニヤニヤ)加奈さん一緒にやりましょ〜っていうのが日常でした。
絶対的信頼のある加奈さんと一緒にサークル出したり、メインの日はサークルは出さずにタイムだけとる、みたいな。
そんな私も加奈さんが引退される2週前から焦り出しました。
このままじゃ加奈さんに最後まで甘えてしまう!!って
去年は、4回生に会いに、8月の練習は全部参加してたので、8月の練習のどっかで絶対1人でマネ業を完璧にしてみせる!!加奈さんが引退する前にカッコいいところ見せる!!加奈さんが安心して引退できるようにしたい!!!!!って毎日朝練めちゃくちゃ意気込んでました。
8月のどっかで、ロングを1人で担当することがあり、(加奈さんとの思い出を書き綴った加奈さん日記にて、8/5と判明)50mを往復してサークル出して、タイムも多分取ってて、メインが終わるまで完璧にこなせてたのに、メインが終わってすごく安心してしまって、最後のメニューを忘れてしまった時は、悔しすぎて、泣いてしまいました。ラストチャンスやったのに。
ものすごく落ち込んでたら加奈さんに、「全部気にしてたらキリないよ」って、周りに出しちゃダメだよ(なんて言われたか忘れちゃったけど、こういう感じのこと)を言われて、あぁ、もう甘えてられないんやって感じました。
先輩の引退をありありと感じた瞬間でした。
きっと加奈さんも辛いことがたくさんあったんだろうなって、でもそれを周りに見せないようにしてきたんやろなって(引退日記でも書いてあったし)思って、ものすごい言葉の重みを感じました。
もう弱いままじゃダメなんだ。周りに甘えてたらダメなんや。
私が最上回スタッフになるんや。って感じざるを得なかったです。
もちろん、励ましてもくれましたけどね!
結局、加奈さんが引退されるまでに一度もノーミスでマネ業を遂行することはできなかったです。悔しい。
4回生ラストレースとラストマネやった、新潟の全国公は一生忘れません。なんぼ何でもカッコよすぎました。
4回生が引退されてから本当に辛い日々が続きました。
先輩がいる半年はあっという間やったのに、ラストイヤーはほんまに長かった。
だいすきな4回生がいなくなってしまうと言うだけでも大ダメージやのに、水泳というスポーツに関わって僅か半年で最高学年になってしまった。
同時にチーフトレーナーになってしまった。
しかも…
正直この1年間、先輩がいらっしゃった時と同じように心から楽しめたことはなかったです。
チーフトレーナー、初めは本当に嫌でした。
周りに信用してもらえるように行動してたのが良かったからか、代替わりしたら私がチーフになるというふうになってしまいました。
信用してもらうって言うのは目標だったし嬉しい反面、こんな何もできない私がチーフトレーナーになるというのは自分も周りも納得しないんじゃないか。
それと、自分の性格上、上に立つとあんまりよくなくて。
抜けてるし、統率力もないくせに、責任感が無駄に強いせいで結構思い詰めちゃうところがあるし、熱くなりすぎて周りとの熱量に苦しめられることがあったりとか、不器用なくせにみんながやらないなら私がなんとかしないとって思って空回りしちゃったり、余裕がなくなってきて、人に厳しく当たってしまうことが過去によくありました。(案の定今回も全クリですね。)
当時のトレーナーチームはほとんど宮田水谷の知識に頼りきっていたところがあったので、自分の存在意義がどうしても見出せませんでした。
別に私がいなくても何も変わらず進めて行けるし。
ただの連絡係。
水谷くんが連絡苦手やから、消去法で私になっただけや。
水泳歴が長くて最年長でマネ業もできる南利さんがやればいいのに。
でもあまりにもチーフが嫌だといいすぎて、信頼して任せようと思ってるのに嫌だって言わないでほしいって言われてしまい、人の信用をそんなふうにいうのは悪いことしたなぁってチーフも頑張らないとなぁと思いました。
あっという間にオフが明けてしまって、部活が始まってしまいました。
マネ業もうまくできなかったし、トレーナー業もできないことばかり。私はなんのために水泳部にいるんやろって、その時は人間関係もいろいろあったので、存在価値がない、どころかいるだけで害になるまであるし、きっとみんなにもそう思われてるだろう。
私のせいで拗れてしまった色々に対して、私なりに一生懸命改善に努めましたが、何も変えられませんでした。
私なんかがドライ運営するのが申し訳ない。新シーズン初めの方、みんなの目が怖くて、睨まれてるように見えました。ドライの最中に話してる人とかいれば私の悪口を言ってるように見えました。
練習初日は、周りにも心配かけてしまうくらいメンタルがやばくて、何気ない一言が怒られてるように感じて、ドライをうまく運営できない自分にも嫌気がさして、ずっと泣きそうでした。
加奈さん、周りに出してしまって本当にごめんなさい。
始まって2週目のある日琢人くんに「萌来はもっと元気にドライを運営してほしい」と言われました。ほかの誰でもなく私やからこそ、朝からみんなを活気づけてほしいと。
テンションが低いことは自覚があったけど、どうしても前を向けませんでした。
笑うと恨まれる気がする。楽しそうにすると不快に思われる気がする。
笑いたくないのに無理に笑ってた小学生の頃を思い出してしまって、何でいつも私は辛くても笑わないといけないのか。なんで辛いのを誰にも出してはいけないのか。そんな気持ちでいっぱいになってしまい、その日は逆にやる気を失ってしまいました。。
琢人くんは人間観察力が高いので、そんな私に気づいて練習後に謝ってくれました。私が悪いのに謝らせてしまって、ほんとに申し訳ない。
でも琢人くんのその言葉は私にとって大切な言葉になったと思います。
私をよく思ってない人はいるだろうけど、琢人くんみたいに、私が元気でやることで元気がもらえると言ってくれる人もいる、というのは私にとって救いになったし、今思い返すと辛い日々を抜け出すきっかけになったように思います。
オフ期間中、チーフの私の動き出しが遅すぎたせいで新シーズンについて決めることが全然決まらず、新シーズン始まって2週目くらいに急遽電話で話し合いをしないといけなくなったんですが、もうその時メンタルが終了してたため、水谷くんにチーフが嫌だって泣きながら話してしまったことがありました。
水谷くんは、連絡するのは大事なことやし、別に全員が全員、コンディショニングができるようになる必要はないから、私みたいに運営する人と水谷くんみたいに選手に対応する人で分けたらいいんじゃないかって、自分が得意なことをやればいいよって励ましてくれました。
でも私は別に連絡するためにトレーナーに入ったわけじゃなかったし、もっといろいろできるようになりたかった。
そしたら、水谷くんは、確かにね。ってこれからのことを一緒に何時間も考えてくれました。
もうチーフが嫌だ。辞めたい。ってなってた頭が少しスッキリして、こんなに考えてくれる人がいるんやってなって、チーフ、頑張ってみようって思えました。
これ以上人に迷惑かけたくない、任されたことは頑張りたい、自分の言動に責任を持ちたい。
せめてスタッフの力にだけでもなりたいと思って、トレーナー業は頑張りました。
トレーナーの創設者の宮田くんは主任やから、トレーナーの方はめぐに任せとけば大丈夫だって思ってもらいたかった。トレーナーが宮田くんの心配事の一つになって欲しくなかった。
マネさんにもトレーナーが、めぐさんがいてくれたら心強いって思ってもらいたかった。
この頃、私がトレーナーをやる理由は、スタッフにはもう「先輩」がいないし、同期のマネさんもいーひんから、私がスタッフ全体を引っ張らないと、とか後輩マネさんズに負担かけたくないとか、後輩には辛い思いせず伸び伸びやってもらいたいとか、マネさんからもトレーナーからも頼ってもらえるスタッフにならないとっていう責任感と、弱い自分に負けたくないし、やるって決めたこと途中で投げ出すの大嫌いやし、責任逃れしたくないっていう理由だけだったように思います。
完全に部活に対する目的を見失ってしまっていました。みんなに信用されたい。後輩たちに辛い思いさせたくない。そんなことばっか考えて、トレーナーの本来あるべき姿である、選手をサポートするとか、選手を速くするとか、大事なことを忘れてしまっていた。完全に自分本位なトレーナーになってしまっていた。。。ダメダメです。
こんなネガティブな理由で続けてたので、部活がほんとに苦痛で、毎日辛すぎて、この世から消えてしまいたかったです。
ただ部活をやめるだけじゃ関係は切れないので、本気で休学しようか迷いました。
しかし、当時休部者が3人もいて、しかもトレーナーにいてくれたかわいい後輩も辞めるか迷ってる、と言う状況だったため、私まで休部する、やめると言うと幹部に申し訳ない。トレーナーに申し訳ない。ゆるがんばろ〜のみんなに申し訳ないと思い、せめて1ヶ月。OBOG戦までは頑張ろうって決めました。
Part2へ続きます。
1. 情報過多なので小分けコメント
七帝戦の時、そこまでヤバい状況やと思ってなかった←