京大水泳部練習日記(2022/3~)

引退日記 ポンテンまるでした

どうも、椋本暖です。
自己紹介日記を書いた3年前から一貫してポンテンまるという名前で日記書いてきました。
皆さんずっと誰なんだろう、ってなっていたと思います。なっていたと期待しています(期待の眼差し◎ω◎)すみませんでした。


「ポンテンまる」の名前の由来は、幼稚園の給食で出てきたはんぺんを当時「ぽんてん」と言い間違えたことと伊達政宗の幼名「梵天丸」のコンビネーションです。小さいころから親からそう呼ばれてきました。それ以上でもそれ以下でもありません笑



さて、ついに引退日記を書く日が来ました。昨晩は後輩数名とともに飲み、今朝は鴨川デルタで目覚めました。ありがたいことです。感謝ぁ☆ 明日引退日記書くって言ったら「書きたいこと書いてください。自分語りしちゃってください。」と言っていただいたので、遠慮なく、せっかくなので体力が切れるまで書きたいと思います。


とはいえ、ただカチャカチャと打つとほんとうに支離滅裂な文章になりそうなので、例にならって章立てて書いていこうと思います。
1. 大学水泳まで
2. 大学水泳
3. 京大水泳部に一言


1. 大学水泳まで
 3歳の時に行った水泳教室の体験会で楽しそうにしてしまったことが、その後18年 、19年間水泳を続けることになってしまったすべての始まりです。はじめは静岡県清水区のセントラルでした。5歳くらいの時に同じ場所が「レオリブレ」という名前に代わりそのタイミングくらいで選手クラスの前段階である「養成クラス」ってのに入ったのを覚えています。当時は「妖精クラス」だと思っていたのが懐かしいですね。このころは水泳が好きとか嫌いとか、早いとか遅いとか全く何も考えておらず、ただやっていたと思います。友達とかとしゃべったり遊んだりするのが楽しいって感じだったと思います。小6の時と高3の時に戻ったことがあるのですが、思い出も相まって楽しかったのとずっとこのスイミングスクールでやってたらどんな選手になってたろうなと思いました。


 小学一年生の時に大阪の和泉市に引っ越して、そこでイトマンのひばり校ってとこに入りました。一瞬だけ普通のコースでしたがすぐに同じく選手になる前の「育成コース」ってのに入って、友達もそこからしか覚えていません。小学校2年生の時くらいに選手コースに上がりました。当時はみんなのあこがれ悦過大知くんなどすでに周りにめちゃくちゃ速い人はいましたがまだ自分遅いなとかネガティブなことはあまり感じていなかったと記憶してます。これはそもそも僕がそういうことを感じるほど大人じゃなかったからだと思います。ただ練習はしんどくてすでに嫌だった記憶がありますが。ひばりの選手クラス(当時)のえぐいところは2時間の練習でも平気で延長3時間とかになってたことです。時間通りに終わらないのが当たり前でした笑。


 小3で兵庫県に引っ越して、そこでそのまま転校する形でイトマンの西神戸校に入りここで中学3年生まで練習しました。入って最初に驚いたことは練習が時間通りに終わることでした笑 僕の水泳コンプはこの6年間で形成されました。成長するにつれてどうしても人と比べるようになってしまい、JOに常連で行く人やJOが射程圏内にある人がたくさんいる環境の中で、僕は肩身の狭い思いをしていました。周りの人やコーチが速くなかった僕をいじめるとかそういうことは一切なかったです。むしろ普通に友達として接してくれてたし、コーチも本気で僕を速くしようとしてくれていました。当時のコーチは今でも好きだし、かんたくんはじめ当時のスクールの友達も今でも普通に話すくらいいい友達ばかりです。


ただ…自分の問題でした。
小学校の頃って、筋肉質のやつは速い、の世界じゃないですか、ぶっちゃけ。で、やや筋肉質で運動神経がいい子がちょっと人より速く泳げて、甘い蜜をすえた経験があるから、次も吸いたい、とさらに努力をすることができて、もっともっと速くなっていく。僕は、運動神経もなければ筋肉質でもない(イギリスでは週3で毎回1時間以上筋トレしたけど、全然肉体変わらんかったしね)ので、そもそも最初の成功体験ができず、どんどんどんどん下に下に行ってしまった。自分を正当化したいだけが半分、真実が半分だと思っています。当時から好きでないものは頑張れない性格だったので、一度嫌いと感じてしまった水泳を、嫌いだけど速くなりたいから才能ないけどその分人より努力して本気でやろう、とはなりませんでした。近大スローガン「勝たなおもろない」、嫌だけど真理やとも思います。


 俺だって、土曜日や、夏休み冬休みはほぼ全部犠牲にして水泳に捧げ(させられ)ているのに、その結果チームメイトはJOとかさらにその上のいい景色を見ているのに、なんで俺は全然速くならんのやろう。僕の一番自分の中で嫌いな部分ですが、人と比べて劣っていると感じると、どうしようもなくつらく肩身の狭い気持ちになってしまうのです。僕は自分より速い人と話をするのが嫌いでした。自分のことを「自分より遅い人」として見ているんだろうなっていうのが耐えられないからです。今でも、一部校とかの速そうな選手を見ると「俺のこととか、インカレにも出れへんレベルやのに何で続けてるんやろw」って思われてるんやろうなって感じてしまいます。めっちゃくちゃ早い選手でも僕とほんまに仲良くしてくれる友達もいて、そんなこと思ってないんやろうなってわかってはいるのですが、again, 自分の問題、自分の中でそう感じてしまうのを捨てきれないのです。まさに劣等コンプですよね笑


言いたいこと、思ってたこととかを全部赤裸々に描くと、こんなにもまとまりのない文章になってしまうんですね。話が飛びまくっててすみません。最後に西神戸自体はまぁいい校舎でなんやかんや充実した選手コース生活だったんじゃないかなと思います。


高校でイトマンをやめ部活水泳を始めました。高校水泳2年半は死ぬほど楽しかったです。まず、コーチはおらずメニューや運営はすべて基本部員だけでやるっていう感じだったので、イトマンの時のようなきつい環境から解放され、ほんとしたいように水泳ができました。一個上の南利さんたちの代が作り上げてくれた、かことん水泳部の雰囲気が本当に大好きでした(今もね<3)。それが好きすぎて、大学水泳に順応するのに時間がかかってしまいました。高校の時は速くなろうとかの感情よりは、部活の雰囲気を楽しみました。でも、部活が好きなので結局練習には基本全部参加しており練習もそこそこ泳いでたので、泳力が落ちることはなかったって感じでした。なんならラストイヤーはベストを2秒更新して目標を達成しました。まさに理想でした。やりたい人は本気でやればいいし、部活感覚でやりたい人はそれでもいいし。様々な感覚の部員が共存していましたが、どちらかがどちらかを本気で批判するということは起こらず、どちらも相手を尊重し、なんなら相手側のほうの考えも取り入れて全体が一つになるくらいの感じでした。ちょっと美化しすぎかな、南利さん?笑 まぁ全体的に後者側が多かったってのはあるかな笑 僕も水泳への熱はもうあまりなかったけど、最後の県高決勝目指すときみたいに本気で取り組むこともあれば、部活感覚で続けてたこともあるし、とにかくいい塩梅でできた素晴らしい経験でした。



2. 大学水泳
繰り返しになりますが、高校でそのような雰囲気の水泳部に所属して素晴らしい経験をしたからこそ、京大水泳部に入ってから2回生終わるくらいまではきつかったです。京大水泳部に入ろうと思ったきっかけは、朝早起きが苦手だから週6朝練の環境で、朝早起きできる体になろう、と思ったからです<=ガチです。水泳早くなりたい欲は0だし、水泳は健康くらいの感覚でした。まぁ、入ってみて高校のときみたいにちょうどいい感じの目標見つけられたらいいな、くらい。当然、順応できませんでした。練習参加マストというのがまずどうしても無理でした。なんで大学生にもなって、練習強制されなあかんねん、って思ってました。練習毎日来てやっている人はすごいと思うけど、その人が練習来てない人を悪く言うのは違うくないか。それで早くなれないのはこっち側の問題で、それは別にいいと思ってるんやから、それでいいやん、と。当時はレギュラーの概念も感覚も薄く(そもそも一回生の時に夏を経験してないしね)、チームとして、という感覚が今と比べて著しく低かったので、純粋に個人主義的な考えでそのように感じていました。集団主義的な京大水泳部は本当に理解ができませんでした(後でその辺の考えの変化を書いているので、人によってはいらいらする部分だと思いますが、どうか最後までお付き合いくださいm- -m)。ゆうとさんに欠席メール(昔はメールで欠席連絡してたんです)上で文句をぶちかましてしまったのも懐かしいです。一度、本気で長文の意見書のようなもの(今もPCにword残ってます笑)を退部覚悟で送ったことがあります。その時、ゆうとさんは頭ごなしに僕の意見を否定するのではなく、とても真摯に聞いてくれたのをすごく覚えています。自分の意見だけに必死な自分が恥ずかしくなったのと同時に、今瀧主任の大人さ、寛大さに感銘を受けました。


朝起きれないのも、水泳なんて好きでもないもののために起きられるわけないだろ、と感じていて、他のほんとにしたいことなら起きられると思っていました。これらの感情が爆発した2回生の10月11月頃、京介さんに対して再び思いを爆発させ、3か月ほど休部しました。休部中、結果的に1回しか自分のしたいことのために早起きすることができず、「あ、俺、したいことでも起きられないんや」と気が付きました。前述のとおり、私は早起きができる体を獲得するために水泳部に入ったので「だったらやっぱり続けて、早起きできるようになりたいわ」と思い復帰することに決めました。


 戻ってきたのが2回生の1月2月くらいだったと思います。そこからは「ただ早起きができないだけの自分」を自認するようになったので、練習に行けない自分が嫌になって、直したいと思う気持ちが強くなりました。シーズンに入るとその気持ちとシーズンモチベの相乗効果で過去一番の練習頻度の良さになり、ベスト等もちょくちょく出るようになってきました。ただ、まだ後述する「結局早起きに必要なもの」や「本質的な京大水泳部の大切なもの」を見つけていたわけではないので全然完全ではなかったです。


 さて3回生のシーズンが終わり、僕らの代が始まったのと同時に半年間イギリスに交換留学しました。ゆういちろうには3回の5, 6月くらいの時に相談して(四条のベジテジヤ行きました)、その時に快くOKをくれてとても感謝したのを覚えています。その時は感謝、だけだったのですが、結果的には僕がいなかった間に様々な問題があって、僕がその問題に最上回として一緒に取り組めなかったのは本当に申し訳なかったなと心の底から思っています。ごめんなさい。ただ、おかげ様で水泳部との向き合い方を大きく変化させてくれる大事なことを見つけることができました。これがないと、今の僕はいないと思います。


 イギリスではヨーク大学の水泳部のほか、地元のスイミングスクールの選手コース的なところでも泳がさせてもらいました。ここでも、僕の劣等コンプが見え隠れするのですが、英語がペラペラでもないそんな外国人の僕のことを本気で友達、仲間だと思ってくれるなんて…と、イギリスでの環境は僕の考えを大きく変えました。それまで当たり前だと感じていた友人や仲間の存在は、実は本当にかけがえのないもので、もっと大切にしたいなと思うようになりました。また、ヨークでは授業をほとんどとっていなかったので、時間に追われない生活ができました。おかげで、睡眠に関する様々な実験を行うことができました。半年間かけて本気で研究してたどり着いた結論が、合宿でもお話しした「早く寝る」理論でした。これまでは朝起きられない理由を自分の精神力とか意志力のせいだと思っていたのですが、そんなものだけに頼っで起きようと思っていたことが間違いでした。起きれるまで早く寝ろ。これにつきます。自分の体の場合、それは7時間でした。7時間寝れば水泳という予定でもしっかり起きることができます。バイトだったら6時間で行ける、とか。ほんまに何も予定ないなら8時間寝ないと起きたい時間に起きられない、とかね。結局寝る時間ゲーなんです。


水泳面の話も少しすると、ヨーク代の水泳部ではスプリントの練習しかなかったので、筋トレの効果も少しは相まってそもそもの泳速がちょっとだけ速くなりました。ただ、持久面はカスくなりました、がどうせ戻ったら合宿とかあるし戻るやろって思ってました。


 とにかく、そんな感じで戻ってきて4回生が始まりました。そのころになってやっと「起きる方法」もわかってるし、「水泳部で大切にしたいもの」にも気が付いて、自信をもって一水泳部員を名乗れる状態になることができたと思います。遅いですね笑。朝起きられるようになったとこ以外でも、なんとなく雰囲気の変化を感じてくれていた人もいたんじゃないでしょうか。ただ、遅かったけど、最後までなんやかんや続けてその状態にまでなることができて僕は本当に幸せに感じています。ぶっちゃけ相変わらず水泳は最後まで好きになりきれんかったし、昨年実は一人で密かに立てたラストイヤーの目標(県選決勝||全国公決勝||インカレ)も遠く及ばなかったし(全国公はまだわからんけどね笑)、すべてが完璧やったわけではないけど。でも最後7大戦で優勝できたのは、少しだけど小さいころの渋かった水泳人生が報われた気持ちになりました。本当にうれしかったです。






3. 京大水泳部に一言
 思うに、人って自分の中で発見することでしか変われないと思うんです。朝起きろ、って他人に言われても朝起きれるようにはならんかったし、練習来いって他人に怒られても練習行けるようにならんかったし。自分であれこれ考えて、あそうか、と気づけたから変われたと思います。他人の言葉を受けて、自分の中でに気づきにつながって、変わる…ってこともありますが。あくまで直接的なのは「自分の中の気づき」です。


 
 水泳部にはいろんな状態の人がいると思います。モチベーションに満ち溢れてる人、モチベーションないけど責任感で練習これるひと、モチベーションあるけど練習行くの苦手な人、練習したくてもできない人、コミュニティとしての水泳部に順応しきれていない人、モチベが地のどん底な人、他にしたいことを見つけた人、、、他にもたくさんあると思います。水泳部という全体の目標や理念があるコミュニティである以上、コミュニティ全体にとって有益でない「状態」を持つ人もいるのかもしれません。それを変えたい、と思うのは当然の気持ちで理解はできますが、残念ながらできることは変えるきっかけを与えることに限られると思います。人間の感情は他人がコントロールできるものではないです。それを忘れないでほしいな、と思います。ただ皆んなならそのような気づきを得ることができる環境づくりができると確信しています。



 同期。改めて、一番大事な時にいなかったのとか、休部したこととかいろいろと迷惑をかけて申し訳なかった。。。休部してた時に、みんなから辞めんといて、ってメッセージ送ってくれたんは本当にうれしかったし、戻る理由になりました笑 俺結局、最後引退日記書いてるんかなーってあのころずっと思ってたけど、結局書くことになったね笑 誰もやめることなく8人で終われることを誇りに思います。心配せんでも引退後もなんやかんや大丈夫やろ笑



 最後に様々なことを学ばせてくれた京大水泳部、ありがとうございました。有意義な3年間でした。京大水泳部に幸あれ。
(さて、これを書き終わったのが0:16...7時間睡眠確保できんし明日は週オフだなー笑)



p.s. 同じく悩みし友へ
・嫌われる勇気
・あきらめるとうまくいく
この二冊は心がしんどい時に何度も救ってくれました。おススメです◎




2020→2023
(搗精)
努来勝
全進
青炎

コメント

1. ありがとうございました

ハルさんは自分の心と正面からしっかり向き合って水泳に取り組んでいるのが印象的でした。「水泳を好きでいること」を最優先にみんなが水泳に取り組んでいけるようにがんばります!
全国公の決勝、見たいです!がんばりましょう!

2. 背中

バチバチの闘志も大した目標もない僕はハルさんに近いものを感じました。それでも、ハルさんは当然のように決勝に残ったり、七帝で優勝したりと、少なくとも僕にはとても大きく感じる偉大な先輩でした。いつか自分もそのような人になれたらと思います。
全国公では今までで一番大きな背中見せて下さい。応援してます!!

3. 7帝の2バタかっこよかったです

別に他のレースでも決勝残ってちゃんとかっこよかったんですけど、やっぱり印象的です。あと合宿で初めて会って、「早く寝る」結論を聞いた時はほんとに爆笑しました。なんだかんだストイックにバッタでずっと頑張ってるのとかEN速かったりするの尊敬です。半年しか一緒に練習できなかったの寂しいですが楽しかったです。ほんとにありがとうございました

4. 暖さんの葛藤がめちゃめちゃ伝わってきました

「自分の中の気づき」「きっかけを与える環境作り」、食堂で聞いたときも僕の心にすごく刺さりました。京大水泳部にはいろんな人がいて、人は外力で本質は変われないことを今なら理解できます。暖さんがあのとき話してくれたおかげです。もうすぐで最上回になりますが、暖さんが京大水泳部で生きた証を無駄にしません。

ラスト全国公、200Fly決勝、応援しています!

5. 寂しいですなぁ

はるさんと3年間過ごしてきた中でたくさん好きな所を発見したのですが、1番僕が好きなところは僕の発言をしっかり受け止め、そして考えてくれるとこです。
今まで出会ってきた人ではるさんほど会話を大事にしてくれる人はいませんでした。
とりわけ、考え方について話す時間がとても楽しかったです。話した内容を忘れてしまったとしても、会話を大事にするその姿勢だけは大事にして僕の一部にします。

はるさんが英国から帰ってきて一緒にFlyをまた出来た時の嬉しさは筆舌し難かったです。はるさんと一緒にした練習がとても好きでした。もう全国公を最後に、200Flyの前の憂鬱さを共有したり一体感を感じたり出来ないのはとても悲しいですが、一年後に、
速くなったなぁ!と言ってもらえるように頑張ります!!!

最後に同じ種目出れる全国公がんばりましょう!!!

6. 感謝

暖さんが自分で気づいたのはやはり最後まで水泳に向き合い続けたからだと思います。途中でやめずに僕が入部するまで続けてくださってよかったです!ありがとうございました!

7. 同期に暖がいてよかった

自分の意見を持っててそれを実行に移せること、色々悩んだり葛藤したりしながらも自分の中で気づきを得て京大水泳部に最後までい続けられたこと、暖はほんとにすごいなあと思います。練習でずっとバッタ泳ぎ続けられるのも意味わからんくらいすごいなあといつも思ってました笑
ラスト全国公もバッタ頑張って!!

8. もっとレース見たかったです

暖さんの印象はバッタのスペシャリストです。専門種目に対してのプロフェッショナルな感じが憧れです。飄々としていながらも練習強かったのもかっこよかったです。もっと一緒に練習したかったです。

全国公、応援してます。

9. なんとなく背中追ってます

生い立ちとか水泳に対する価値観とかが似てるので、同じ道を辿っているような感覚になります。最後の冬こそ練習に参加したい、、!

10. なんかすげぇ奴

海外行く時、速くなって帰ってこいよーって冗談で言うたら、まじで速くなって帰ってきててリアルにびっくりしたと同時に、なんだこのすげぇ奴、と思った。
また飲みに行こうや
最後しっかり楽しんでぶちかまして!!

11. デルタ最高でしたね〜一生痒いですけど^_^

春合宿、100×20を横で泳いだ時のことは今でも強く覚えてます。あの後半の強さは一生身につかない気がしました。
バッタ面の先輩として泳ぎのことはもちろんですが一度休部した経験から気持ちとかモチベの話をしてもらったことが今の自分にとって大きいです。ハルさんの水泳への向き合い方は自分と何か近いものがあるように感じるのですごく参考になります。
ラストレース、応援してます!ベスト見せてください!

12. 無題

あまり話したことはないですが、Flyの人という印象です。いつだったかの練習で4バタ泳いでいたのを見てびっくりしたのを覚えています。すごすぎ。。。
全国公、レース楽しみにしてます!

13. 無題

試合前のコンディショニングでイギリスでスプリントしかやってなかったから体力が…って言ったはった矢先に、200Flyかなんか(距離長いやつです)のベストを更新されていてびっくりしたのが印象的です。はるさんはフロッシングに対する信頼が厚くてやりがいがありました。前も日記のコメントで書きましたけど、七帝の招集ギリギリまでフロッシング粘ってるはるさんおもしろすぎて多分一生忘れないです。笑笑
多分試合のコンディショニングも、普段のコンディショニングも1番はじめに担当させてもらって光栄でした。留学行ってる間になんか増えてたトレーナー(未経験)の私を頼ってくださるというのは不安でいっぱいだった私にはめちゃくちゃありがたいことでした。はるさんが楽しかったと、嬉しかったと思えるレースが全国公で見られるのを楽しみにしています!!!

14. 「早く寝る」はめちゃくちゃ共感

暖さんのバッタ、キレイで好きでした。なんかの練習で4バタ泳いでるのを見て、人間って頑張れば4バタ泳げるんだということに気づきました。自分は無理ですが。せめて1バタまでは泳げるようになりたいです。
いつも笑顔で、後輩とじゃれあってる姿が印象的で見てて癒されました。全身から優しさオーラが溢れ出てました。でもレースではカッコイイところも見せてくださってギャップがすごかったです!あとタッチ版も本当にありがとうございました!!頭よすぎるし、なによりもみんなのために企画から作成までしてくださって尊敬でしかないです!!
全国公、最後までバッタ楽しんでください!!
応援してます!

15. 読んでて心が温まりました。

海外留学に行ってまで水泳を続けるほどの愛が何よりかっこよかったです!
はるさんは個人的には水泳以外でも、夢を持ってどんどん挑戦してるところとか、周りとは違う道を進むことに不安どころかめっちゃ楽しみにしてるところとか、国とか年齢とか関係なしにみんなと友達になれるところとか、人として尊敬するところがたくさんでした。
みんなのお兄ちゃんみたいな感じで後輩とワイワイしてるの見てて、素敵やなーって。
「いい人」が滲み出すぎててこんな人出会ったことない!って思ってましたが、親近感しかなくて色々お話しできて嬉しかったです!

七帝のレース実習で見れなかったのは一番悔しいです!ラスト2バタ、かっこよく終わってください!応援してます!!

16. ぽんてんの由来初めて知りました

はるさんと一回、話した時に悩んでる人に休部は悪いことじゃないし、むしろ俺はそれがあったおかげで変われたて話してるの聞いて、来い来い言うだけじゃダメなんだなて思いました!
はるさんの天才的な発明力となんかいてくれるだけでのほのぼの感好きです。
寂しくなるけど、全国公頑張っていきましょう!

17. 無題

イギリスからムキムキなって帰ってくるらしいってみんなから聞いてたのに帰ってきてすぐの秋葉山合宿でなにも変わってないはるさん現れるし、「イギリスで早く起きる為には早く寝ることが1番良いって気づいたんよな~」って言ってるはるさんがおもろくて超笑ったの今でも覚えてます笑
はるさんの独特の雰囲気と滲み出るいい人感が最高でした、しんどい練習もしんたろさんのこと鼓舞しながら全部Flyでこなしてて、カッコイイ先輩やなあと思いました。あとみんながタイムなかなか出なかった関カレでベスト出してて、あ、ほんまに凄い先輩やん、、て思いました。かっこよかったです!!!
はるさんがタッチ板の使い方を説明してくれてるのをボイスメモに残したはずやのに後で聞いたら無音でした、なんでなんでしょうか、??あんなに説明してもらったのにあまり覚えてないのもなんでなんでしょうか、、??説明書読んで頑張ります

ラスト全国公、応援してます~!!!!

18. タッチ板つくれちゃうのすごすぎます

浪人期、うめから水泳部にタッチ板を作ろうとしてる先輩がいるって言うのを聞いて、ものすごい驚きと高揚感に駆られたのを覚えています。
水泳続けるかは別として、絶対京大受かって水泳部見に行ったんねん!って思ってめっちゃ勉強頑張れました。

そんな感じで、ずっとタッチ板の人っていうイメージでしたが、
物事を落ち着いて俯瞰して見られている感じがして、、
それは、すぐ感情に左右されて暴走してしまう自分にはないもので、すごく憧れてます。

そんな暖さんなのに、400か500かバッタ泳ぎ出したり、全国公前日に、服着たまま1人で100Flyやり出したり規格外なことし出す暖さんも大好きです。

ラスト全国公、規格外なレースしちゃって下さい!!決勝見たいです!!
ぶちかましましょう、!

19. はるさんの日記好きです

トレーナーとしてはフロッシングで顔しかめてるはるさんがとても印象的です。笑
関カレの時にくるみはもっと自信持っていいよって言ってくださったことが本当に嬉しくて、私もこの部にいていいんだなと思えました。
ラストレース楽しんできてください!心から応援しています!

20. はるさんもっといてください

ぼくが京大にきて出会いたかった人物はまさにはるさんのような人でした。泳ぐんはやいけどタッチ板つくってたり自分の独特な考え(良い意味)をもっていたりといったところにひかれます。
ラストレース応援しています!!

21. 劣等コンプのところ共感味が深い〜

やから自分は入部前、先入部してた裕一朗、暖、諒聖、ひなたとの泳力差にビビりちらしてました笑 でも、今まで死ぬほど意識してた遅さからくる肩身の狭さ、を京大水泳部入部してからは感じなくなった。それはハルのように、速いのに同じような思い抱えてて、だからこそ、泳力に関係なく全力で応援してくれる方々のおかげやなーと思います、ありがとう!

暖が葛藤の末、部活に戻ってきてくれたとき、マージで嬉しかった!!!既存のルールをただ脳死で受け入れるんじゃなくて、自分に引き寄せて批判的に思考して、ちゃんと「自分の考え」として消化していく暖の姿勢は、自分には全くないところやから、ほんまに尊敬してる!!
暖はグローバルに生きる別世界の人間になっていきそう(笑)やから、大学時代に同期として関われてほんまに尊いです。ありがとう!!

22. 暖さんの考え方好きです!

あまり深い話をする機会がなかったのでこの日記を読んではじめて暖さんの歩みを知ったのですが、似ている考えのところもあって共感させてもらいました...(日記のいろんなところに自分の新たな気付きになる部分もありました)
それでも暖さんにしか出せない結論にたどり着いてそんな中で結果を出されていたのはすごくかっこよかったです。

全国公応援しています!

23. 違う世界の人って感じ

大学に入って、自分と全く違う視点や考え方を持って生きてきた人に沢山出会いましたが、はるさんはその中でもダントツかもしれないです。
水泳や京大水泳部に対する想い、価値観など、自分にはないものを沢山持っていてまじで魅力的で尊敬してます。話しててめっちゃ楽しいしなんか安心できるはるさんの人柄が大好きです!
最後まで応援してます!ラストレース頑張ってください!!!!!

24. 講師紹介写真を日常にあげた恨みは忘れない

水泳も勉強も全力で取り組む姿は尊敬せざるを得ません
プールサイドでタッチ板作ってたのはかっこよすぎました
ありがとうございました

25. 大好きです

暖さんを見ていてたくさん自分のことを考えてきました。睡眠のことも水泳のことも。
その名の通り、本当に穏やかで暖かいハルさんが大好きです〜〜

26. ありがとうございました!

1番相談しやすい先輩がはるさんでした。特に留学から帰ってきた後は何度もアドバイスをいただきました。選手としても七帝で優勝するなどかっこいいはるさんが大好きです。
引退試合頑張ってください!また飲みましょう!

27. お疲れさん

試験会場でバッタリ会って、凄く驚きました。高校卒業の旅行中に、共通の知人から「暖が京大に受かった」と聞き、すぐ連絡を取った記憶があります。部活のルールに(過半数が)従順だった僕らの世代にとって、冷静に考えて自分の考えがハッキリとある暖の存在は大きかったかな。イギリスからZoom繋いで相談乗ってくれたのも助かりました。

関カレで横で泳げたのが楽しかったです。(小6の県JO決勝から10年間で、横で泳いだのは多分この1回だけ)

28. Answer

今更読んだよ、ごめんやで
まず、俺が京大水泳部に入る決心ができたのは暖がいたから。ずっと、受け入れてもらえるか、居場所はあるのか不安で迷ってた時に連絡くれてありがとう。思い切って入部できました。
都合よくTRっていう制度ができてて、暖が現役で泳いでて、幹部に確認?取ってくれて、研究室ホワイトで、っていう京大にやってきた状況証拠全てが組み合わさって入部が実現しました。正直暖が京大の部活という環境で水泳続けられるのか不安やったけど、続けてくれてありがとう。

かことんの水泳部は、暖が美化している通りの環境を狙って、というかそれが必然の調和として存在していたというイメージです。部員も顧問も環境も含めて理想的すぎて、俺もあれを超える水泳部は存在しないと思ってます。その結果として俺も府大1年目は体育会の環境に苦しんで先輩マネージャーに泣かされて怯える日々でした。それでもお互いなんとか部活を続けて、最後半年一緒に水泳できたのがめちゃくちゃ嬉しかった。

今度は一緒に潰れるまで飲もう。

プロフィール

HN:
京大水泳部
性別:
非公開

P R