どうも、椋本暖です。
自己紹介日記を書いた3年前から一貫してポンテンまるという名前で日記書いてきました。
皆さんずっと誰なんだろう、ってなっていたと思います。なっていたと期待しています(期待の眼差し◎ω◎)すみませんでした。
「ポンテンまる」の名前の由来は、幼稚園の給食で出てきたはんぺんを当時「ぽんてん」と言い間違えたことと伊達政宗の幼名「梵天丸」のコンビネーションです。小さいころから親からそう呼ばれてきました。それ以上でもそれ以下でもありません笑
さて、ついに引退日記を書く日が来ました。昨晩は後輩数名とともに飲み、今朝は鴨川デルタで目覚めました。ありがたいことです。感謝ぁ☆ 明日引退日記書くって言ったら「書きたいこと書いてください。自分語りしちゃってください。」と言っていただいたので、遠慮なく、せっかくなので体力が切れるまで書きたいと思います。
とはいえ、ただカチャカチャと打つとほんとうに支離滅裂な文章になりそうなので、例にならって章立てて書いていこうと思います。
1. 大学水泳まで
2. 大学水泳
3. 京大水泳部に一言
1. 大学水泳まで
3歳の時に行った水泳教室の体験会で楽しそうにしてしまったことが、その後18年 、19年間水泳を続けることになってしまったすべての始まりです。はじめは静岡県清水区のセントラルでした。5歳くらいの時に同じ場所が「レオリブレ」という名前に代わりそのタイミングくらいで選手クラスの前段階である「養成クラス」ってのに入ったのを覚えています。当時は「妖精クラス」だと思っていたのが懐かしいですね。このころは水泳が好きとか嫌いとか、早いとか遅いとか全く何も考えておらず、ただやっていたと思います。友達とかとしゃべったり遊んだりするのが楽しいって感じだったと思います。小6の時と高3の時に戻ったことがあるのですが、思い出も相まって楽しかったのとずっとこのスイミングスクールでやってたらどんな選手になってたろうなと思いました。
小学一年生の時に大阪の和泉市に引っ越して、そこでイトマンのひばり校ってとこに入りました。一瞬だけ普通のコースでしたがすぐに同じく選手になる前の「育成コース」ってのに入って、友達もそこからしか覚えていません。小学校2年生の時くらいに選手コースに上がりました。当時はみんなのあこがれ悦過大知くんなどすでに周りにめちゃくちゃ速い人はいましたがまだ自分遅いなとかネガティブなことはあまり感じていなかったと記憶してます。これはそもそも僕がそういうことを感じるほど大人じゃなかったからだと思います。ただ練習はしんどくてすでに嫌だった記憶がありますが。ひばりの選手クラス(当時)のえぐいところは2時間の練習でも平気で延長3時間とかになってたことです。時間通りに終わらないのが当たり前でした笑。
小3で兵庫県に引っ越して、そこでそのまま転校する形でイトマンの西神戸校に入りここで中学3年生まで練習しました。入って最初に驚いたことは練習が時間通りに終わることでした笑 僕の水泳コンプはこの6年間で形成されました。成長するにつれてどうしても人と比べるようになってしまい、JOに常連で行く人やJOが射程圏内にある人がたくさんいる環境の中で、僕は肩身の狭い思いをしていました。周りの人やコーチが速くなかった僕をいじめるとかそういうことは一切なかったです。むしろ普通に友達として接してくれてたし、コーチも本気で僕を速くしようとしてくれていました。当時のコーチは今でも好きだし、かんたくんはじめ当時のスクールの友達も今でも普通に話すくらいいい友達ばかりです。
ただ…自分の問題でした。
小学校の頃って、筋肉質のやつは速い、の世界じゃないですか、ぶっちゃけ。で、やや筋肉質で運動神経がいい子がちょっと人より速く泳げて、甘い蜜をすえた経験があるから、次も吸いたい、とさらに努力をすることができて、もっともっと速くなっていく。僕は、運動神経もなければ筋肉質でもない(イギリスでは週3で毎回1時間以上筋トレしたけど、全然肉体変わらんかったしね)ので、そもそも最初の成功体験ができず、どんどんどんどん下に下に行ってしまった。自分を正当化したいだけが半分、真実が半分だと思っています。当時から好きでないものは頑張れない性格だったので、一度嫌いと感じてしまった水泳を、嫌いだけど速くなりたいから才能ないけどその分人より努力して本気でやろう、とはなりませんでした。近大スローガン「勝たなおもろない」、嫌だけど真理やとも思います。
俺だって、土曜日や、夏休み冬休みはほぼ全部犠牲にして水泳に捧げ(させられ)ているのに、その結果チームメイトはJOとかさらにその上のいい景色を見ているのに、なんで俺は全然速くならんのやろう。僕の一番自分の中で嫌いな部分ですが、人と比べて劣っていると感じると、どうしようもなくつらく肩身の狭い気持ちになってしまうのです。僕は自分より速い人と話をするのが嫌いでした。自分のことを「自分より遅い人」として見ているんだろうなっていうのが耐えられないからです。今でも、一部校とかの速そうな選手を見ると「俺のこととか、インカレにも出れへんレベルやのに何で続けてるんやろw」って思われてるんやろうなって感じてしまいます。めっちゃくちゃ早い選手でも僕とほんまに仲良くしてくれる友達もいて、そんなこと思ってないんやろうなってわかってはいるのですが、again, 自分の問題、自分の中でそう感じてしまうのを捨てきれないのです。まさに劣等コンプですよね笑
言いたいこと、思ってたこととかを全部赤裸々に描くと、こんなにもまとまりのない文章になってしまうんですね。話が飛びまくっててすみません。最後に西神戸自体はまぁいい校舎でなんやかんや充実した選手コース生活だったんじゃないかなと思います。
高校でイトマンをやめ部活水泳を始めました。高校水泳2年半は死ぬほど楽しかったです。まず、コーチはおらずメニューや運営はすべて基本部員だけでやるっていう感じだったので、イトマンの時のようなきつい環境から解放され、ほんとしたいように水泳ができました。一個上の南利さんたちの代が作り上げてくれた、かことん水泳部の雰囲気が本当に大好きでした(今もね<3)。それが好きすぎて、大学水泳に順応するのに時間がかかってしまいました。高校の時は速くなろうとかの感情よりは、部活の雰囲気を楽しみました。でも、部活が好きなので結局練習には基本全部参加しており練習もそこそこ泳いでたので、泳力が落ちることはなかったって感じでした。なんならラストイヤーはベストを2秒更新して目標を達成しました。まさに理想でした。やりたい人は本気でやればいいし、部活感覚でやりたい人はそれでもいいし。様々な感覚の部員が共存していましたが、どちらかがどちらかを本気で批判するということは起こらず、どちらも相手を尊重し、なんなら相手側のほうの考えも取り入れて全体が一つになるくらいの感じでした。ちょっと美化しすぎかな、南利さん?笑 まぁ全体的に後者側が多かったってのはあるかな笑 僕も水泳への熱はもうあまりなかったけど、最後の県高決勝目指すときみたいに本気で取り組むこともあれば、部活感覚で続けてたこともあるし、とにかくいい塩梅でできた素晴らしい経験でした。
2. 大学水泳
繰り返しになりますが、高校でそのような雰囲気の水泳部に所属して素晴らしい経験をしたからこそ、京大水泳部に入ってから2回生終わるくらいまではきつかったです。京大水泳部に入ろうと思ったきっかけは、朝早起きが苦手だから週6朝練の環境で、朝早起きできる体になろう、と思ったからです<=ガチです。水泳早くなりたい欲は0だし、水泳は健康くらいの感覚でした。まぁ、入ってみて高校のときみたいにちょうどいい感じの目標見つけられたらいいな、くらい。当然、順応できませんでした。練習参加マストというのがまずどうしても無理でした。なんで大学生にもなって、練習強制されなあかんねん、って思ってました。練習毎日来てやっている人はすごいと思うけど、その人が練習来てない人を悪く言うのは違うくないか。それで早くなれないのはこっち側の問題で、それは別にいいと思ってるんやから、それでいいやん、と。当時はレギュラーの概念も感覚も薄く(そもそも一回生の時に夏を経験してないしね)、チームとして、という感覚が今と比べて著しく低かったので、純粋に個人主義的な考えでそのように感じていました。集団主義的な京大水泳部は本当に理解ができませんでした(後でその辺の考えの変化を書いているので、人によってはいらいらする部分だと思いますが、どうか最後までお付き合いくださいm- -m)。ゆうとさんに欠席メール(昔はメールで欠席連絡してたんです)上で文句をぶちかましてしまったのも懐かしいです。一度、本気で長文の意見書のようなもの(今もPCにword残ってます笑)を退部覚悟で送ったことがあります。その時、ゆうとさんは頭ごなしに僕の意見を否定するのではなく、とても真摯に聞いてくれたのをすごく覚えています。自分の意見だけに必死な自分が恥ずかしくなったのと同時に、今瀧主任の大人さ、寛大さに感銘を受けました。
朝起きれないのも、水泳なんて好きでもないもののために起きられるわけないだろ、と感じていて、他のほんとにしたいことなら起きられると思っていました。これらの感情が爆発した2回生の10月11月頃、京介さんに対して再び思いを爆発させ、3か月ほど休部しました。休部中、結果的に1回しか自分のしたいことのために早起きすることができず、「あ、俺、したいことでも起きられないんや」と気が付きました。前述のとおり、私は早起きができる体を獲得するために水泳部に入ったので「だったらやっぱり続けて、早起きできるようになりたいわ」と思い復帰することに決めました。
戻ってきたのが2回生の1月2月くらいだったと思います。そこからは「ただ早起きができないだけの自分」を自認するようになったので、練習に行けない自分が嫌になって、直したいと思う気持ちが強くなりました。シーズンに入るとその気持ちとシーズンモチベの相乗効果で過去一番の練習頻度の良さになり、ベスト等もちょくちょく出るようになってきました。ただ、まだ後述する「結局早起きに必要なもの」や「本質的な京大水泳部の大切なもの」を見つけていたわけではないので全然完全ではなかったです。
さて3回生のシーズンが終わり、僕らの代が始まったのと同時に半年間イギリスに交換留学しました。ゆういちろうには3回の5, 6月くらいの時に相談して(四条のベジテジヤ行きました)、その時に快くOKをくれてとても感謝したのを覚えています。その時は感謝、だけだったのですが、結果的には僕がいなかった間に様々な問題があって、僕がその問題に最上回として一緒に取り組めなかったのは本当に申し訳なかったなと心の底から思っています。ごめんなさい。ただ、おかげ様で水泳部との向き合い方を大きく変化させてくれる大事なことを見つけることができました。これがないと、今の僕はいないと思います。
イギリスではヨーク大学の水泳部のほか、地元のスイミングスクールの選手コース的なところでも泳がさせてもらいました。ここでも、僕の劣等コンプが見え隠れするのですが、英語がペラペラでもないそんな外国人の僕のことを本気で友達、仲間だと思ってくれるなんて…と、イギリスでの環境は僕の考えを大きく変えました。それまで当たり前だと感じていた友人や仲間の存在は、実は本当にかけがえのないもので、もっと大切にしたいなと思うようになりました。また、ヨークでは授業をほとんどとっていなかったので、時間に追われない生活ができました。おかげで、睡眠に関する様々な実験を行うことができました。半年間かけて本気で研究してたどり着いた結論が、合宿でもお話しした「早く寝る」理論でした。これまでは朝起きられない理由を自分の精神力とか意志力のせいだと思っていたのですが、そんなものだけに頼っで起きようと思っていたことが間違いでした。起きれるまで早く寝ろ。これにつきます。自分の体の場合、それは7時間でした。7時間寝れば水泳という予定でもしっかり起きることができます。バイトだったら6時間で行ける、とか。ほんまに何も予定ないなら8時間寝ないと起きたい時間に起きられない、とかね。結局寝る時間ゲーなんです。
水泳面の話も少しすると、ヨーク代の水泳部ではスプリントの練習しかなかったので、筋トレの効果も少しは相まってそもそもの泳速がちょっとだけ速くなりました。ただ、持久面はカスくなりました、がどうせ戻ったら合宿とかあるし戻るやろって思ってました。
とにかく、そんな感じで戻ってきて4回生が始まりました。そのころになってやっと「起きる方法」もわかってるし、「水泳部で大切にしたいもの」にも気が付いて、自信をもって一水泳部員を名乗れる状態になることができたと思います。遅いですね笑。朝起きられるようになったとこ以外でも、なんとなく雰囲気の変化を感じてくれていた人もいたんじゃないでしょうか。ただ、遅かったけど、最後までなんやかんや続けてその状態にまでなることができて僕は本当に幸せに感じています。ぶっちゃけ相変わらず水泳は最後まで好きになりきれんかったし、昨年実は一人で密かに立てたラストイヤーの目標(県選決勝||全国公決勝||インカレ)も遠く及ばなかったし(全国公はまだわからんけどね笑)、すべてが完璧やったわけではないけど。でも最後7大戦で優勝できたのは、少しだけど小さいころの渋かった水泳人生が報われた気持ちになりました。本当にうれしかったです。
3. 京大水泳部に一言
思うに、人って自分の中で発見することでしか変われないと思うんです。朝起きろ、って他人に言われても朝起きれるようにはならんかったし、練習来いって他人に怒られても練習行けるようにならんかったし。自分であれこれ考えて、あそうか、と気づけたから変われたと思います。他人の言葉を受けて、自分の中でに気づきにつながって、変わる…ってこともありますが。あくまで直接的なのは「自分の中の気づき」です。
水泳部にはいろんな状態の人がいると思います。モチベーションに満ち溢れてる人、モチベーションないけど責任感で練習これるひと、モチベーションあるけど練習行くの苦手な人、練習したくてもできない人、コミュニティとしての水泳部に順応しきれていない人、モチベが地のどん底な人、他にしたいことを見つけた人、、、他にもたくさんあると思います。水泳部という全体の目標や理念があるコミュニティである以上、コミュニティ全体にとって有益でない「状態」を持つ人もいるのかもしれません。それを変えたい、と思うのは当然の気持ちで理解はできますが、残念ながらできることは変えるきっかけを与えることに限られると思います。人間の感情は他人がコントロールできるものではないです。それを忘れないでほしいな、と思います。ただ皆んなならそのような気づきを得ることができる環境づくりができると確信しています。
同期。改めて、一番大事な時にいなかったのとか、休部したこととかいろいろと迷惑をかけて申し訳なかった。。。休部してた時に、みんなから辞めんといて、ってメッセージ送ってくれたんは本当にうれしかったし、戻る理由になりました笑 俺結局、最後引退日記書いてるんかなーってあのころずっと思ってたけど、結局書くことになったね笑 誰もやめることなく8人で終われることを誇りに思います。心配せんでも引退後もなんやかんや大丈夫やろ笑
最後に様々なことを学ばせてくれた京大水泳部、ありがとうございました。有意義な3年間でした。京大水泳部に幸あれ。
(さて、これを書き終わったのが0:16...7時間睡眠確保できんし明日は週オフだなー笑)
p.s. 同じく悩みし友へ
・嫌われる勇気
・あきらめるとうまくいく
この二冊は心がしんどい時に何度も救ってくれました。おススメです◎
1. ありがとうございました
全国公の決勝、見たいです!がんばりましょう!