お疲れ様です。
引退日記2人目、4回生女子選手の下田桜です。
引退まで長かったなと感じますが、引退日記に関してはもう書くときが来たのかというなんか変な感じです。
しばらく内容を考えてましたが、うまくまとまりそうにないので思ったことをつらつらと書いていきます。自分語りが多いので適当に流し読みしてもらえると嬉しいです。あと、引退日記にして初めてパソコンで書いてるので読みにくいかもしれません、ご了承ください。
①競技面
②水泳部での役割
③伝えたいこと
④最後に
この4つの柱に沿って書き進めていこうと思います。
①競技面
~高校~
競泳は高校から始めました。大会に初めて出たのは高1の5月でそのときの長水半フリは35.3でした。全然強いチームではなく、みんなで楽しみながら九州大会を目指してました。最終的に半フリのベストは長水32.3、短水30.9とかで特に思い残すことなく引退しました。
~1回生~
大学では水泳は絶対しないと心に決めていました。
やりたかったのはフットサルでしたが、当時はコロナで新歓もなくてやったことのないものになかなかチャレンジできず。(引退したらサッカーしたい)
結局1回だけ水泳部の見学にいきましたが、その1回でさえ寝坊しかけてすぐに選択肢からは消えました。
高校の先輩が水泳サークルに入っていらっしゃったのでそっちにしようかなと思っていたところに、来未や潤が「今部活がコロナの規制でなくなって、同期で鴨川ランニングするからこない?」と誘ってくれて、とにかく運動がしたかったので参加させてもらいました。
そこにいた来未、潤、幸登、直己が優しくて、ランニングも楽しくて、もう入部しちゃえ!と思って入部締切当日に入ることを決めました。
その日に顔合わせのミーティングがZoomであったのですが、
あれ、あの同期4人だけじゃない?
次の練習は京大プール?
理解が追いつきませんでした。
あまりにもバカなのはわかってますが、本当にあの4人と3年間鴨川でランニングすると思ってました。完全に間違えた。
逆に競泳をすると分かってたら今絶対にここにはいないです。
長くなりましたが、本当にこんな感じでの入部だったので、当然目標なんてありませんでした。ただ、理由がどうであれ、もう入ってしまったからには最後までやろうかな、なんとなくそれだけは思っていました。
競泳歴が短いことや浪人して体力が皆無であったこともあり、何も考えなくてもとりあえず練習に行って、とりあえず大会に出れば途切れることなくベストが出ていました。こんなに遅いのでずっと競泳をやってきて速いみんなよりは伸び率も高くて1回生のうちにMVSも2回いただきました。タイムがひたすらに伸び続ける水泳は楽しかったです。
~2回生~
多分自分史上水泳を一番頑張っていた、そして楽しんでいた時期。
高校のころなんとなくでやっていた半フリの面白さをようやく味わえるようになり、ショート面のみんなにアドバイスをたくさんもらいながら、刺激をもらいながらいろいろ考えて水泳をやってました。伸び率は落ちてきたけどそれでも水泳は楽しかったです。
当時の4回生の大好きで憧れだった樹香さんといつも練習で大会で一緒に泳いでお互いにレース動画見合って。そんな樹香さんが引退のときに「半フリで30秒割りたかった」とおっしゃっているのを聞いて、その瞬間にそれが自分の目標になりました。
大きな目標もないまま競泳をやってた自分にとっては道しるべになりました。
引退までにってするとずるずる引きずりそうな気はしていたので、自分の中では2回の冬に短水で、3回の夏に長水でって思ってました。自主練したり、主に幸登からアドバイスをもらったりして進歩はあるものの、そこまではたどり着けませんでした。
~3回生夏~
対抗戦では全種目のリレーを泳がせていただくぐらいには成長しました。
ただ、全国公でひなたさんとのラストリレーの後、みんなで歴1を目指してたのにあともうちょっとが届かなくて、自分があまりにも力になれなくて、藍と陽菜の前で号泣してしまいました。後輩の目の前で情けなかったです、あのときは本当にごめんね。来未も察してくれてたのか側に来て励ましてくれて、「来年は桜が引っ張ってな!」って言ってくれて、ラストイヤーは絶対京大水泳部の力になると決めました。
~ラストイヤー~
ラストイヤーのスタートは専門を何にするかというところから始まりました。
2回生の夏から抱いていた目標の半フリ30秒切りをやっぱり叶えたい、でも対抗戦で短距離フリーは全く戦える位置にはないし、IMとかの方が点数が稼げる。
迷った挙句、最上回としてたくさん点数とって目に見える形で貢献したいそう思って、冬場からIMに専念することを後輩女子選手たち一人一人に伝えました。
そしたら、全員が「半フリで30秒切ってください」って言ってくれて。
「対抗戦も自分が出たい種目に出てください」って言ってくれて。
対抗戦はどうしても点数という形で貢献したかったのでフリー以外にしようという気持ちはブレなかったですが、みんなの言葉を聞いて冬場は半フリに専念させてもらうことにしました。
それなのに結局現時点では短水の引き継ぎという一番最低ラインで29秒台を2回出せただけで、個人では短水も長水も30秒割れていません。29秒どころかベストすらほとんど出せませんでした。
タイムが出ないことの理由は明確でした。最低限しか頑張れてなかったから。
かろうじて練習には行ってましたがそれ以上のことがほとんどできてませんでした。
腰もよくなっては悪くなるを大会のたびに繰り返していて、筋トレも体幹も腰に響いて全然できませんでした。
加えてこのままではタイムが出ないということを十分に分かってはいましたが、冬場はそれ以上に水泳が、水泳部が嫌でどうしようもなくて苦しかったです。
そんな中で一番響いたのが、私のいないところで怜花が「来年は関国で桜さんと2バックの決勝に出ることが目標」と言ってくれていたことでした。
本当に嬉しかったです。今でもずっと忘れてません。
それを琢人から聞いて何としてでも続けなきゃという思いになりました。
タイムを出すことにこだわってる選手たち、普段の練習から大会まで支えてくれるマネさんやトレーナーさん、応援してくださっていた先輩方には本当に申し訳ないし失礼ですが、冬場はタイムを出したいよりも途中で辞めず全国公まで続けることを一番の目標にしていました。
女子のみんなには背中を押してもらって冬場半フリに専念させてもらったのに、男子にも「いつ割るんですか」とか言って応援?してもらったのにここまで結果で返せなかったことが本当に心残りです。
半フリは関カレの1日目がラストレースです。
七帝の半フリ、実は2回生の関チャ以来のベストでした。まだまだやれる、そう思ってます。
こんな気持ちでラストイヤーを過ごしてきて偉そうに応援してくださいとは全く言えないですが、やれることはやるので最後まで見届けてもらえると嬉しいです。
レース後とびっきりの笑顔で応援席に手を振ります!
②水泳部での役割
役職としては1回生の10月から体育会本部員をやらせてもらっています。あとは7月中に終わらせないといけない作業をやって、再来週の幹事会で多分引退です。あんまり知らないかもしれないし、全然知らなくていいんですが、体育会の中で総務部長って役職についてました。
週1で幹事会はあるし、それとは別に週1で事務室で作業をしないといけないし、幹部になってからは家にまで持って帰って作業することも多々あったり、2か月ぐらいかけて大きな会に向けて準備をしたのにひたすら先生方に怒られたり、めんどくさい行事もたくさんありました。
でも水泳部では競技面でもそれ以外の面でも引っ張っていけるような存在ではなかったので、体育会だけは見えないところで頑張ろう、そう思っていました。
逆に、部活では本当に何もなせなくて申し訳なかったです。
一度同期ミーティングでも話しましたが、特にラストイヤーは水泳も、水泳部も嫌になって、しかもそんな中で何も力になれてないことを痛感して苦しかったです。
来未も萌来も実習とかで忙しくて同期女子一人で部活することも多々あって、心のよりどころがないというか、寂しいというかそんな気持ちもありました。
後輩女子は優しくしてくれて、たくさん話しかけてもらって、たくさん支えてもらいました。本当にありがとう。
でも、なにかが足りない。
それが自分にとってこの2人でした。だから2人のいる練習や大会は本当に嬉しかったし、頑張れました。それぐらい大きな存在でした。
しんどくて辛くてずっとやめたいと思っていたのですが、チームにプラスになれていない分マイナスになることだけはしないようにしようと思って、決められたことは絶対に守るようにしました。
最上回の遅刻や欠席が多いと後輩からの信頼を失ってしまう。
だから、月オフを結構使ってしまったけど練習に行くことはやめませんでした。
この1年遅刻もしませんでした。
本当に本当に最低限のことしかできてないですが、これでも自分では頑張ったつもりです。
頼りない先輩で申し訳なかったです。
長くなってすみません。次に続きます。