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・2-3 選手として
話は変わり、一選手としての振り返りもしようと思います。
思えば高校生、そして大学2回生の夏まで自分の記録は伸び続けていたように感じます。
必死に自分の泳ぎの分析をせずとも試合に出ればベストは出るので、あまり自分の泳ぎについて考えることはしていませんでした。
これは自分に才能があった訳ではなく、ただ経験年数が浅いが故の「初心者ボーナス」、そして年齢による成長があったからだと思います。
もちろんこの初心者ボーナスがいつまでも続くわけがなく、2回生の冬季公認から自分のベスト率は急に下がりました。特に100Frは急にタイムが出なくなりました。
それでも最初のうちはベストが出ない状況に対して楽観的に考えていました。泳ぎについて考えるようになったし、それを踏まえて今のフォームを変えていけばいつかベストは出ると信じていました。
ただその願望は叶わず、あっという間に3回生の春室が終わり、ついに1年間100Frでベストが出ませんでした。
他の選手からすれば1年ベストが出ないくらいなんだ、と思われそうですが、ラストイヤーで引退が迫っている自分にとってタイムが出ない危機を認識するには十分な現実でした。
春室終わりに自分は寛真と「俺たち、ガッツが足りないっすね」と話したことを覚えています。
ガッツという言葉は曖昧ですが、ベストが出ない原因は日々の練習にあって、僕はベストを出せるだけの自信がつくくらい練習を頑張りきれていなかったから出た言葉でした。
主将として、メニュー係として、最上回生としてなど様々な思いも背負っている中でそのような自分は情けないし、何より試合が面白くなくて嫌でした。
原因を考えるに、僕は性格上練習でサボるのだけは嫌だと思っていたので、練習において95%、つまり一生懸命頑張るくらいのパフォーマンスは労せずとも出せていました。
でも実際にベストを出すには95%の練習では足りず、100%を超える101%以上のパフォーマンスを出す練習が必要であって、それが自分はできていませんでした。
フォームを変えると言ったって自分の浅い知識の範囲では間違った結論になることも多々あって、あまり良い結果につながることはなかったです。
しかも引退は確実に迫ってきている自分が急にフォームを変えることはむしろ負の側面が大きいのではないか、という考えから自分はフォームの改善は春室を持って終わらせるのが良いと判断しました。
ではどうやったらベストを出すことができるのか考えた結果、自分の出した結論はこれでした。
それは、「どんな練習でも1回は際限なく本気で頑張る時を作る」という結論でした。
超脳筋思考だし笑、頭悪い結論なのはわかっています。ただ、残り数ヶ月でベストを出すにはもうこれしかないと本気で思いました。
ただ、そう考えてもすぐに人は変わることはなく、春室終わりはいつも通り一生懸命の範疇でしか頑張れない日々でした。
そんな時に本気で頑張るにはうってつけの4日間の合宿がありました。
自分が変わるにはもうここしかないと覚悟を決めて、4日間は初めて本気で練習できましたと感じました。
本気で頑張る練習はこんなにもきついのかと思い身体も精神もボロボロでしたが、合宿は後悔なく終わることができました。
合宿終わってからは5月末の夏季公認まで合宿のトラウマによって本気を出せない日々に戻ってしまいましたが(本末転倒ですね笑)、合宿終わりすぐにあった地元三重での試合で100Frで0.02秒ベストを更新しました。
あの時はたった0.02秒だけど久しぶりにベストを更新できて本当に嬉しかったです。
短水路シーズンが終わり、練習が長水路に移行したポイントでまた日々の練習で1回は本気を出すことを意識しながら練習に取り組めるようになりました。
ENでは絶対に回るんだという思い、メインの最初からフルマックスで泳ぐ、ENやメインでのラスト25mは無限にキック打つなど、昔の一生懸命の範疇でしか頑張れない自分に戻るのが嫌だし、何よりベストを出すためにとにかく自分に厳しく本気で練習しました。
そして京選、関チャ、関国、七帝、関カレが終わり今に至ります。
ちっぽけなものですが、長水路の試合ではリレー含めたらどれか1つはベストを出せるくらいにはなりました。それでもベストが全く出なかった時期に比べれば成長できたと思います。
またベストが出なくても「こんだけ頑張ったんだからもうそれはしょうがない」と思えるくらいに、日々の練習に後悔はありませんでした。
もう競泳に対する未練はないです。
競泳人生ラストレースである新潟である全国公まであと僅かになりました。
最後は精一杯楽しんで、悔いなく競泳人生を終わらせようと思います。
③感謝
本当に長くなってしまいましたが、最後に多方面に感謝を述べさせてください。これを書けずには終われません。
・マネージャー、トレーナーの皆様へ
寒い日も、雨の日も、暑い日もどんな時も選手のサポートをしてくださりありがとうございました。
また、レース直前に聞こえる応援の声は本当に自分を奮い立たせてくれました。皆様の応援、サポートに応えたいと思い試合では頑張ることができました。
スタッフ陣のもっと仕事ができるようになりたいという向上心は本当に美しく、かっこよかったです。
・リレーメンバーへ
まだ全国公を控えていますが、一緒に泳いでくれてありがとうございました。自分はやっぱりリレーには特別な思いがあって、ずっと出るのが目標でした。
引き継ぐ際に前の人が必死に泳いでいるのを見ると燃えてきて、自分の実力を最大限発揮できるような感覚でした。
結果が出なかったら個人のレースよりずっと悔しいですが、それでも全員で繋ぐこのリレーは大好きでした。
僕は4kだけなのであと1回です。最後のリレーは笑って終わりたいな。頑張ろう!
・同期のみんなへ
僕の勝手かもしれないですが、まずは全員辞めないでくれてありがとう。
行動力、継続力がある日奈子
超多忙な中頑張っている愛
部員全員から信頼されている加奈
競泳に対する姿勢がかっこいいひなた
人の話を聞くのが上手い暖
熱い想いを持った裕一朗
努力の塊みたいな諒聖
人数は少ないし、なんか仲悪いみたいなことを周りから言われていましたが、僕にとっては誇れる同期ばかりです。
最後に良い写真撮れたらいいな。
・両親へ
(この日記を見ていたら驚きですが)応援してくれてありがとう。
関国で見にきてくれたのですが、その時の僕はどんな姿だったのでしょうか。
我儘に生きさせてもらった分、少しでも結果で恩返しできていたら嬉しいです。
・川井田先生(高校の顧問)へ
未熟な僕に対してたくさん指導してくださりありがとうございました。
僕の成長、競泳生活は川井田先生なしでは語れないです。
高校卒業後も競泳の結果を気にしてくださっていること、嬉しかったです。
・高校、大学の偉大な先輩の皆様へ
先輩の皆様は本当にかっこよかったです。先輩の皆様の大きな背中を追いかけ、追い越したくて頑張りましたが、到底及びませんでした。
多方面でご活躍される皆様の背中をこれからも追わせてください。
・後輩のみんなへ
頼りないだろうキャプテン、主将で申し訳なかったです。でもこんな僕に優しくしてくれて、仲良くしてくれて本当に嬉しかったです。ありがとう。
事務連絡から部の運営まで多方面で後輩のサポートがあって、最適ルートではないですが何とか部を引退するところまで来れました。
これからの水泳部での生活、活躍を応援しています。選手たちは全国公、夏季長でかっこいい姿を見せてほしいです。
せっかくなので思い出深い写真を貼って終わろうと思います。長い長い文章を読んでくださりありがとうございました。
集合写真
リレー
「関カレを忘れるな」という共通目標で1年間頑張ったAfter写真
初めて本気で練習できた合宿
ありがとう、みんな。
京都大学体育会水泳部主将 福田優二郎
2020-2021 努来勝
2021-2022 全進
2022-2023 青炎
1. じろう先輩の真っ直ぐさ、ひたむきさは、いつもどんなときも輝いていました
僕にとって部活にはじろう先輩がいるのがいつものことで、まだまだずっと一緒に部活したかったです。振り返れば僕の部活の思い出の1ページには必ずじろう先輩がいます。筑波遠征、高校生春合宿、東海総体のリレー、新歓、ビワイチ、対抗戦、鴨川源流旅、春合宿...レースでも何度も隣で泳ぎましたね。個人的に関国で決勝の舞台を隣で泳げたことがすごい心に残っています。あと数日でじろう先輩が引退してしまうのが信じられないです。じろう先輩と高校、大学と部活をともにできたことが、そこで様々なことを通して同じ感情を共有し合えたことが本当に嬉しくて、出会えたことに本当に感謝していて、すごい誇らしいです。
全国公僕は50Frしか出れませんが、最後勝負しましょう。絶対に勝ちに行きます。