お疲れ様です。
4回生、長野史遠です。
引退日記?てきなものを書く日が来るなんて、ゆめゆめ思っていませんでした、もはや夢。
こういう場は黒歴史になりがち、ということで「わが水泳人生、過去の振り返り」とかは控えめにしておきます。
ただ、せっかく書くからには何かしら意味のあるものにしたい、という気持ちもあるので、僕だからかけること、僕にしか書けないこと、をだいぶストレートに書きたいと思います。
最後なんで許してください
さて、皆さんはなぜ競泳を続けていますか。
そもそも、大学で部活とかサークルに入る意味って、同じ趣味とか目的を持つ仲間たちと時間を共有することで、単調な学生生活に少しでも色付けする、てきなのかなって思ってます(異論は認めます)。
そんな中で、僕は何個かの一つに水泳部(複数ある時点でよくばりだけど)を選択しました。
でも部活は違いました、シンプルに時期が悪かった。
現役で入ってたらまた違ったかもなぁ、とか思ったりします。
四年間、どうしても「大学生」と「水泳ガチる」が結びつきませんでした。
確かに練習とか試合とかで楽しい時もあります。
もちろんベストが出た喜びとか、報われた感じもわかります。
三木さんと練習でバチボコ競った鬼きついスイムピアの練習とか、井芹と塩原に負けまいと泳いだ大会とか、退部のかかった背水の陣(山田君、座布団1枚)でゾーンに入った秋葉山短水路とか。
長い競泳人生、遡ればそんなモーメントたくさん出てきます。
でも、大学生活全てを水泳に捧げる覚悟を決めることはできませんでした。
理由はたくさんありますが、主に2つ。
一つ目は、弟には敵わない、ということ。
かなりの努力家で、勉学や水泳において数々の偉業を残してきた自慢の弟です。
ほぼ秋まで水泳を続けたにも関わらず、現役で阪大理学部合格。水泳部主将にしてインカレ切りも果たしています。
そして、つい数年前、前人未到、次男が長野家の長男へと昇進を遂げたのです。
お前も努力すれば、とかそんな甘い話では決してありません。
あいつには敵わない、強え、努力のウェイトに差がありすぎる。
特に競泳に関しては、15年以上同じ専門種目Baであり、彼の泳ぎや練習スタイルを見てきた第一人者の僕だから言えます。
小学生の時、弟に初めて敗北を喫した 50m Baから、何度も負けまいと奮起しましたが、一時的な勝利でトータルでは完敗でした。
人間には得意、不得意がある、ということを知りました。
「敵わない」を言い換えれば、どんなに本気を出しても彼以上に速くなることはない、ということです。
そして、そんな彼にいつまでも羨望の眼差しを向けて、水泳を続けられるほど根性のある男でもないので、必然的に、水泳以外で勝ち筋を見出すようになりました。
二つ目は、水泳に全力で打ち込めるほど若くない、ということです。
まあ一つ目は言い訳みたいなもんで、こっちが理由です。
単に若さの話をしたいわけではありません。もっと現実的な話です。
現役の人は、ピンピンした10代後半からほぼブランクなしで水泳できて、水泳に没頭しすぎるあまりに1、2年留年したとしても大した影響はありません。
むしろそれだけ頑張ったんだな、というポジティブな見方さえあるかもしれません。
それに比べ僕は、筋肉少なめ、まじ老いめ、ブランクマシマシ、の二浪系。(ステルス韻)
ぽけーっと過ごして、留年なんてした日には社会のゴミ確定です。
現役は卵、一浪は赤ちゃんって多浪会の人が言ってました、そう思います。
一回生の頃はとにかく「おもろい」ことだけを追求し続けました、コロナ禍という縛りゲーミングでしたが、とっても楽しかった。
学業も決して疎かにすることなく、フル単・高GPAで物工花形の機械システム学コースへと駒を進めました。
ただ、2回生になるとこのままではまずいぞって思ってきました。
絶望的な戦況下で、武器が水泳の一本だけはヤバすぎます。
限りある大学期間で、このディスアドたちをスキルとか経験とか知識とか何かしらの形で埋めなければならないと感じていました。
とにかく、いろんなことにトライしました。
デジタルアートの作品をNYで展示する機会を獲得したり、2か月東京で外資系の企業でインターンしたり、アート系の研究室でOAしながら作品作ったり、起業の準備したり(失敗)、英語力を磨くためにオーストラリアにワーホリ行ったり…
実際、今でもこの選択は間違っていなかったと実感していますし、後悔していません。
他の部員たちにはできないだろう経験をたくさんできましたし、考え方や見方も少しずつ変化し、世の中にはいろんな選択肢があるということにも気づきました。
それと同時に、競泳からはどんどんと離れていき、その優先順位はどんどんと下がっていきました。
後悔していない、と言いましたが、正直なところ嘘です。
井芹も日記に書いていましたが、青春はあと少しが足りない、まさにその通りだと思います。
本音を言えば、京大水泳部の一員として、その役目を果たしてみたかった。
ミサさんや高校同期など、たくさんの人に「お前は泳げば確実に速くなる」そう言われ続けてきました。
そんな期待を裏切り続けてしまったこと、非常に心残りです。
だからこそ、後輩たちにこうはなって欲しくない、そう思います。
皆さんには、チャンスがあります、その資格があります。
水泳だけに本気で打ち込めるのは本当に最後です。
後悔しないようにしてもらいたいです。
水泳をできることへの喜びをもっともっと噛み締めてほしいと思います。
僕には見ることのできなかった景色がきっと見れると思います。
なんのために水泳を続けてきたのか。
その答えは、終わろうとしたその瞬間になって理解できました。
人に出会うため
僕の周りには何故かいつも良い人がたくさんいます。
本当に豪運の持ち主だと思います。
特に水泳を通じて出会った人、もれなく全員いい人たちでした。
こんな幸せなやついないと思います。
自分がとっても恵まれていることに気づくことができました。
心から続けてきてよかった、辞めなくてよかった、しがみついてきてよかった、そう思いました。
全ての人に感謝を申し上げたいと思います、本当にありがとうございました。
この場を借りて、個別に感謝を伝えたいと思います、口にするのは苦手なタイプなので。
両親
気がつけばこんなにも長いこと水泳を続けてこれました。
初めて体験に行ったあの日、窓ガラス越しに見たスイミングの光景は今でも鮮明に覚えています。
試合のエントリー代も決して安くはないですが、何十本、もしかすると何百本と試合に出させてもらいました。
合宿に、スイミングの交通費、夜遅くの送り迎え、弁当におやつに、何から何までサポートしてもらいました。
ありがとう、必ず弟と一緒に恩返しします。
先輩
時には厳しく叱っていただきました。
わがままな僕を見捨てず、声をかけてくださいました。
ありがとうございました。
実年齢は僕とあまり変わらなかったりしますが(時に年下だったり)、僕にとってはきちんと先輩です。
うまい酒のみに行きましょう、もちろん先輩の奢りで。
同期
ほんっとうに迷惑をかけました。
感謝の言葉、いくら言っても足りないくらいです。
続けるか悩んでた頃、潤に飯誘ってもらって元気をもらいました。
朝練前に電話で起こしてもらったりもしましたね。
クルミには最後の最後まで面倒を見てもらいました、ママありがとう。
コロナ時代のよーわからん健康観察表は全部クルミに助けてもらいました。
塩原、直己、井芹とはちょくちょく飯に行って、近況報告したり、時に議論したり、いろんなことをしてきました。
なんだかんだ、部活とのパイプ役を担ってくれたのはお前らだと思います。
ゆっくり旅行でも行きましょう、話したいこともたくさんあるし。
行き先は、今津か、長浜か、その辺ですかね
恥ずかしいので決して口にすることはないですが、みんなのこと本当にリスペクトしています。
きっと水泳以外のことにも力を発揮するんだと思います。
辞めずに続けてこれたのは本当にみんなのおかげです、ありがとう。
助けが必要な時は言ってください、うまい酒持って駆けつけます。
後輩、特に悩んでいる人
何かを諦める、という決断が間違いだとは言い切れませんが、続けたからこそ得られるものもあります。
悩んでいるなら、誰かに打ち明けてほしい。
近くの人でも、信頼してる人でも。
京大水泳部は、きっとあなたを助けるヒントをくれると思います。
陰ながら応援しております。
実は結果だけは欠かさず見てたりするので、笑
僕の水泳に携わってくださった全ての方々の未来が少しでも少しでも良いものでありますように。
この文が将来的にすごい価値になることは言うまでもないので、ちゃんと保存してくださいね。
ビッグな男代表 長野 史遠
2020-2021 努来勝
2021-2022 全進
2022-2023 青炎
2023-2024 総乱舞
1. どうも物好きです