第2部です。いよいよ共通テストが終わり二次試験です。
受験前日、とりあえず北野天満宮で菅原道真のご利益を受けて、ココイチのカツカレーを食べて寝ました。
受験の時はマイワールドを持ち込むために座布団と毛布を持っていき、毎時間試験監督に確認を取って使ってました。
国語はそれなりにできたつもり。ただ、数学が1完+α・・・(52点)
易化したと言われた年に、定積分が出た年に、これはやばい。
落ち込んでホテルに帰りました。
「カツカレーなんて重いものを食べたからダメやったんや」
と謎の責任転嫁をしてこの日は慎ましく蕎麦をいただきました。
2日目、決定的な事件が起こります。
英語の自由英作文を解答用紙に書き終わらなかったのです。
それまで模試や過去問では解答用紙に直接書いていたのに、何を思ったか当日問題用紙の下書きページに全文書き連ねたのです。
試験時間残り5分で全部転記しようとしましたが間に合わず、撃沈。
マジで意味わからんわ当時の自分。
当時の感覚としては、「半々くらいで合格かな」と口にしてそう暗示をかけつつ、深層心理では落ちたと思っていた気がします。そういう経緯もあって中期後期の過去問はかなり真面目に解いてました。
合格発表の日、ないんやろうな。あったらいいな。
そう思いながら開いたページに番号はありませんでした。
はい、終了。
中期は受かった自信があったので、この時点で浪人の選択肢はありませんでした。
(ちなみに人健に出願してたら+20点くらいで受かってたらしい)
ここまで読んで、
「あー、こいつ現役の時京大落ちたから浪人して受かった話やな」
と思ったかもしれません。
甘いですね。1浪なんてもんじゃない。こっちは4浪してんだよ。
あと見栄張って共通テストって書いたけどほんとはセンター試験受けてます。ジェネレーションギャップ。
当時の自分は、「浪人=人生の停滞」としか感じていませんでした。
浪人してるやつは負け組だと、内心馬鹿にしていました。
あと、浪人しても成功する確率は3割くらいだろうと思っていました。
浪人生の3分の1はレベルが上がり、3分の1は現状維持、残りは脱落。
そんな話を聞いていたからです。
同じく京大志望で落ちた友達が浪人を誘ってきましたが、
「俺は前に進むんや」
と言い放って大阪府立大学に進学しました。
京大ではないものの水泳部にトレーナーとして入部し、それなりに楽しみ、年末にはやしろ合宿に参加して京大水泳部とも関わりを持つことができました。今ここにある幸せとして十分だと思っていました。
府大に進学して1年、最大の鬱が訪れます。
忘れもしない、2020年3月10日。
僕が落ちた1年後の京大合格発表の日です。
僕の友達、クラスメイトの浪人生たちは、ことごとく第一志望の大学・学部に合格していました。僕を浪人にしつこく誘っていたあいつも、工化に合格していました。
合格の報告を受けた時、口先では「おめでとう」と言うものの、心の中は大荒れでした。
「浪人ってのはそんなに合格するもんなのか」
もちろん友達たちが1年間めちゃくちゃ勉強した成果だと思います。それを一緒に喜んであげたい気持ちはもちろんありました。
ただ、自分がこの1年間府大でやってきた経験の充実度と、浪人した彼らが得た第一志望の輝きはどっちの方が価値が高いのか。
そんなことを考えてしまった時、府大での1年間が急にくすんで見えたのでした。
めちゃくちゃ鬱でした。自分も浪人していれば、京大に入れたかもしれない。
あの環境で学べていたのに。京都に住めていたのに。京大水泳部に入れていたのに。
こんなもしもの話ばかり考えて思い悩んで、自分の過去を後悔して、その上人の合格を正直に喜んであげることもできない。心の汚れた、歪んだ自分のことが嫌いになりました。
そもそもお前がちゃんと勉強しなかったから。浪人して合格してやるという覚悟がなかったから。そう諦めをつけるまでに時間がかかりました。
大学院で絶対に京大に行ってやるという固い決心を固めたのはこの経験があったからです。
さて、ここからが本当の合格体験記です。
未だかつて誰も書いたことがないであろう、大学院入試の合格体験記。
大学受験生には参考にならないと思うので飛ばしてください。
僕の大学院選びの軸は、
京都大学の大学院であること、入試科目、研究内容の面白さ
です。まず京大のHPから理系の大学院を全部見てみました。
工学研究科は科目的に行けなくはないものの意外と興味のある研究室がない。
農学研究科は生化学など触れたことがない科目を要求している
という感じで意外と行けそうなところがなかったのですが、ついに見つけたのが
「エネルギー科学研究科」
もともと環境問題には興味を持っていて、何かそれに貢献できる研究ができたらいいなと思っていたのでドンピシャの研究科でした。
受験科目は専攻によって違いましたが、あれ、この専攻は試験科目「英語・小論文・面接」・・・??
しかも文系かと思いきやバリバリ理系の研究室があります。
その研究室説明を見る中でめちゃくちゃ面白そうで自分の課題意識に合った研究室がありました。そこに一目惚れして受験を決断します。
しかし変な受験科目であることに加えて、特に小論文は答えもなく何を対策すれば分からない、という言い訳でほとんど院試勉強せずに当日を迎えました。
過去問は5年分ほど解いていましたが、それ以外の勉強はなし。(専門科目の試験がなかったので当然かもしれない)
そして前日、五条のホテルにチェックイン。夜シャワーを浴びながら、謎の寒気を感じました。翌朝めちゃくちゃ体がだるい。
体温計も持っていなかったので現状が把握できないまま、試験会場へ。
歩くだけで息が切れる状態。
普通じゃないとは分かりつつ、これに受からないと院試浪人の可能性大だったので無理やり試験を受けました。
英語と小論文はそこそこの手応え。長い昼休みを挟んで昼から面接でした。
昼は今は亡き百万遍のココイチで食べました。しんどい。
流石に体温を測ろうと思ったものの測る術がなく、探し回って100周年時計台の1階の画面式の体温計で測ってみました。
37.0度。
意外と耐えてるか。と思ってそのまま面接を受けました。
ぼちぼち終わって、帰り道PCR検査したらコロナでした。
試験会場にコロナばら撒いたただの社不でした。まじでごめんなさい。
ホテル療養させてもらえたので1週間ホテル生活をしていたのですが、その最終日が合格発表でした。
朝から気が気じゃありませんでした。当日は不合格の理由を延々と教授から説明される悪夢を見ていたので、もう落ちたと思っていました。
合格していました。
しかも第一希望の研究室。
めちゃくちゃ嬉しくて涙が出ました。
ようやく京大に入れる。あの学生証がもらえる。
府大のクソブラック研究室とも、メンヘラパワハラ親父の教授ともおさらばすることができる。
その後なんばのアパホテルから解放されて歩いた1週間ぶりの外界は、暑くて、眩しくて、雑多で。でも、京大に合格した僕からするとハピネスに溢れていました。
あの日感じた鬱も、抑圧された府大での生活からも、解放されました。京都のどこに住もうか。院生でも水泳部には入れるかな。研究室ホワイトだったらいいな。
まさに新入生と同じようなワクワクを伴って京大に入学してきました。
そして今の所、全てにおいて満足しています。
住環境、京大水泳部、研究室、周りの人間(部員のみんな)
ここまで来るのに時間がかかったし、回り道もしてしまいました。
しかももう京大での生活は半分が終わろうとしています。
だけどここにいられることが本当に幸せです。
長い長いお話、多分役に立つことはほとんどないけど。
僕から伝えたいことは、後悔しない進路を選んでほしいということ。
まずは第一志望に合格することを目指そう。まだ少し時間は残されているはず。
苦手を補うのか、得意を伸ばすのか、人それぞれだと思いますが最後まであがこう。
そして、不合格になった時。
本当に滑り止めに進学して自分は幸せなんだろうか。
もちろん家庭の事情もあるので一概に浪人がいいとは言えないが、一浪くらいは全然社会的に許容されるし、その浪人という経験は人生の他では決して味わうことができない貴重なものになるとも言える。
浪人して夢を追うのもいいだろうし、受かったところに進学して「浪人して志望校に受かった以上の価値を創出する」という意気込みで頑張るのもいいと思う。
なんか最後急に文語体になっちゃいましたが、不合格側の人間として、もし仮に落ちてしまった場合に参考にしてもらえるといいかなと思います。
ちなみに僕は生協の部屋探しのバイトをしているので、生協で部屋探ししてもらえたら内見に一緒に行くかもしれません。今まで部屋探しと引っ越しを3回してきた僕の持てる全てをぶつけて、正直に各物件の良し悪しを伝えていきます。別に生協の利益はあんまり関係ないからね。
皆さんが京大に合格した折には、どこかでお会いしましょう。
明日の合格体験記は山根くんです。新入生向けなのでここからちゃんと仕込んでいこうと思います。
質問は川と山、どっちが好き?
でお願いします。
2023→2024
総乱舞
こんにちは。 1回生の南利です。
誰に何を言われようが、私は紛れもない1回生なので、もちろん合格体験記は書きます。
さて、京都大学合格を目指す君たちへ
全体の文章がちょっと長くなるかもしれないので、はじめにこれだけ伝えておきます。
京大はめちゃくちゃ楽しいからぜひ合格を勝ち取ってください。人生の輝きが変わります。
もしダメだったとしても、浪人してでも入る価値があります。1年間なんて安いもんです。
決して妥協して〇阪公立大学の中期日程なんかに入学してはいけません。雲泥の差です。
参考:大阪ハム立大学なかもずキャンパスの池。クソ汚い。COD(化学的酸素要求量)的には飲める。
さて、とりあえず最重要本質情報をお伝えしたところで、本日のメニューです。非常に長く、文字文字したブログになるのでここだけでも写真にまとめさせていただきます。
ミドロン
ショート
本日はミドロンのタイムを計りましたが・・・
50×40、1:15サークルはキツイて。
何が問題かって、水飲む暇がないことです。基本的人権の損害。
あと、15秒ずつずれるのでタイム読むのに脳の処理能力持っていかれる。
いい脳トレでした。
サークル出してタイム読み続けること50分。
32本目くらいで声枯れました。本格的に。最近ユニバで声張り上げても枯れなくなってきてたんで、「喉強くなったかな」と思ってたんですがただの思い込みでした。
声枯れたから選手に声が聞こえないだろうな、と思って体を折り曲げて声を届けてたら、いつの間にか38本目くらいの時には声が復活してました。
人間の体って不思議ですね。
選手の皆さんお疲れ様でした。レストもないのに思った以上にタイムキープできている人が多くて「すげーなこやつら」ってなってました。
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さて、合格体験記と参りましょう。ずっと書きたかったんですよね。これ。
かれこれ6年くらい待ち望んでいた気がします(?)
※①はまじでちっちゃい時から書きすぎたので読み飛ばしていいと思います。
JPとは異なり小学校の図書室にこもって本を読み続けていた南利少年。
理由は簡単。運動が嫌いだったから。業間*1 や昼休み、周りの男どもは外で走ったりボール遊びをしたりしている中、図書室に通い詰めて特別な金色の貸出カードを作ってもらうレベルで常連になっていました。
小学校では読書以外に理科の実験、あと鉄琴が好きでした。あら模範的。
なんでか知らんけど勉強は得意だったので、担任の先生の手伝い?で宿題の採点したり課題プリント作ったりしてました。
中学校に入っても賢いゾーンにはいるものの1年から2年中盤は学年8位とかでした。ちなみに副教科*2 ガチ勢だったので期末テストで家庭科とかのテスト勉強ガチる系男子でした。5教科は10位でも9教科だと2位、みたいな感じ。
中2の夏くらいから第3学区*3 最難関の理数科(隣の市)を目指し始めて、なんか学力が変わり始めます。ちなみに理数科ってのは理科の実験好きやから、くらいの理由で選びました。(あと推薦入試なので入試が2月に終わる。スキーに行ける。)その辺から学年順位3位以内に入るようになりました。
その頃から理科の先生にありとあらゆる質問をしては「自分で調べてごらん」と言われて調べていた思い出があります。そういう経験から好奇心とかリサーチ能力とかが増強されたなと思います。ありがとう先生。
理数科は高校独自のイカつい変な英数国の問題と理科の実験実技、そして面接という変な入学試験で、公立高校としては異常であろう2.5倍くらいの倍率。
中3からついに第3学区名物の宗教的学習塾「能力開発センター」に本格的に入塾して、能力を開発され始めます。
この頃からずっと学年1位をキープできるようになりました。なんだかんだこの時期が相対的に見ると一番賢かった気がします。
そして無事に加古川東高校理数科に入学。あまりにも濃いクラスメイトとの3年間が始まります。(理数科はクラス替えがない)
まず学区内から選りすぐりの秀才が集まってるもんで周りがめちゃくちゃ賢いんですよね。色んな意味で。クラスで言うと真ん中くらいの学力だったのかなと思います。
そんな中、進学校あるある?の進研模試の初回で志望校を書く欄が現れます。
具体的に志望大学を考えたのはこの時が初めてかもしれません。周りの変人がノリでデジタルハリウッド大学とか書いて担任にバチボコ怒られている横で、僕は京大理学部を第一志望にしました。
「プライド的に賢い大学には行きたい、でも東大はなんか硬そう。物価高そうやし東京住みたくないし。京大の方が自由そうやし、絶対おもろいやん」
って感じで僕の京大信仰は始まったのではなかろうかと思います。
ちなみにこの時理学部を選んだのは、なんか名前に「理」がついてて理科ができるのかな、とか思ったからです。名前で志望学部選ぶのはやめましょう。
その後周りに合わせてTwitterを始めると、自然と京大関連のおもろいニュースがたくさん飛び込んできました。
・百万遍でこたつ
・ペットボトルキャップ飛ばし部みたいなやつ
・2次試験の日に現れる折田先生像
・その他センスに溢れた各種タテカン
あー、これ京大行くしかないやつですわ。ってなりました。
注釈
*1…2時間目と3時間目の間の長めの休み時間のこと。多分兵庫県の方言
*2…音楽、体育、技術家庭科、美術のこと。もしかしたら兵庫県の方言
*3…兵庫県の公立高校入試が5つの学区に分かれているうちの一つ。明石・加古川・北播
高2の夏、阪大基礎工と京大理学部のオープンキャンパスに行きました。
阪大基礎工はキャンパスにローソンがあったこと以外驚くほど何も覚えてないです。とりあえずこの時点で阪大を受ける気はほとんどなくなった覚えがあります。
京大理学部はラボツアー的なものがあったのですが、行った先の先輩(院生?)に
「理学部はやめとき。就職先無いで」
と言われたのが衝撃的すぎて、理学部を志望するのを辞めました。
あと、基礎より応用がしたかった僕にとって合っているのは工学部という場所だとこの頃知りました。
それまで工学部ってみんなロボット作ってる学部だと思ってたんですよね。
「俺ロボット作りたいわけちゃうねん」
と思ってましたが、工学部に対する誤解が溶けたのがこの頃です。
この頃すでに物理が嫌になり始めていた一方で化学は好きだったので、一番化学っぽい工業化学科を目指すことにしました。
この後も京大水泳部と合同練習するとか色々ありまして、
「京大工学部に合格して、京大水泳部のマネージャーになる」
というのが自分の中での既定路線になったわけです。
参考:京大水泳部練習日記(2022/3〜) 2023/6/8 失礼だな純愛だよ (2024年2月10日閲覧)
そんな感じで京大工学部を目指すという目標だけは明確に定まっていたのですが、そこに至る勉強は順調というわけではありませんでした。
中3で通っていた「能力開発センター」からエスカレーター式にT進に入塾しました。
まあ驚くほどに受講を取らされるんですね。それが。
1講座8万円で、英数理揃えると年間50万とか取られる。大学ですか?ここは。
講座を取捨選択できなかった当時の自分も悪いのですが、高校生活の大半はこの受講の消化に追われることになってしまいます。チャート解け、とか言われるんですがそれを進めることもできず。
これが京大落ちた最大の原因やと思ってます。復習に使うにしろ予習に使うにしろほとんど身につかないのに、受講を取りすぎた。
そのせいで理系科目の演習を、授業と同時並行で進めることができなかった。
その影響をもろに受けたのが数学と物理です。
まだ数2Bまではなんとか耐えていたのですが、数3微積分のゴリゴリ計算するあたりの演習が不足して身に付かず、その後の数3もバラバラと崩れ落ちていき、複素数平面とはなんぞや、って感じの華麗なまでの数弱が完成します。
高校の数学習熟度別クラスも下位クラスに転落しました。
物理も力学はなんとなく公式使って解いてましたが、演習してなくて本質が身についていないので電磁気が出てきた時に応用できずに爆死。インピーダンスのことは今でも陽気なダンスだと捉えてます。
そこに追い打ちをかけたのが、積ん読癖でした。
加古川駅前の寂れた百貨店「ヤマトヤシキ」の6階にあった紀伊国屋書店でよく演習本を買っていました。なぜなら火曜日がポイント2倍デーだったから。
消費もできないのにどんどん本だけ買っていく。さわりだけ読んで使わずに身に付かない。本当に無駄なことをしていました。
調子に乗って、というか周りが使ってるから自分も使わないといけないと思って、
・鉄壁
・化学の新演習
・理系数学のプラチカ
・名門の森
とかいう基礎の演習ができていない自分にとってはただのイキリでしかない問題集を買い漁っては、それに適応できずに結局使いこなせないみたいなことをしていました。
本当によくない。その頃の自分には演習が足りてないということに対する自覚と危機感がなかった気がします。いや、あったけど気づかないふりをしていたのかもしれません。
このあたりの時間配分と使用教材をうまく采配できていたら受かってただろうなと思います。高3の11月くらいにようやく少し気づいて物理のエッセンスからやり始めましたが到底間に合うはずもなく…
高3の秋まで、冠模試はDとかE判定ばかりでした。
受験直前期になるにつれて、現実逃避的な行動があった気がします。
毎週のように水泳部やクラスの友達と油そばを食べに行っていました。それもわざわざレンタルサイクルを借りて、チャリ10分の場所まで行って1時間かけて食べて、そのあとデイリーヤマザキでスイーツ食べてダラダラして帰る。
金も浪費する上にただの昼ごはんに2時間とかかける愚策。共通テスト2週間前とかにも行ってた気がします。
何を舐めとるんじゃ。
今考えると当時の自分が腹立たしい。
そんな現実逃避をする一方、受験前は心身ともに結構疲れていたとも思います。
「今突然死んだら、受験もしないで済んで楽じゃないか」
と3日に1回くらい考えていました。
あと逆流性食道炎で食道が焼けてましたし、腹にガスが溜まりまくってT進のブースで何回もすかしっぺしてました。ごめんなさい。
そんな中で心の癒しになっていたのが地理の勉強でした。
ラスト1ヶ月でスタディサプリを契約して、地理のたつじん(本名が鈴木達人)の講義を隙間時間に受けていました。
電車に乗る時も。ほんとは良くないけど駅から高校まで歩く時も。トイレに行く時も。お風呂でも。
本当にいつでもどこでも見ていて、1ヶ月で地理を総復習するとともに問題の解き方をガッツリ身につけることができました。たつじんは変な人でしたが、説明の仕方はめちゃくちゃ良かった。普遍的な問題の解き方が身について、地理はバチバチに整っていました。
おかげで共通テスト当日は97点取れたんですよね。いや満点とりたかった。
ただそれ以上に、
「もう地理の勉強ができない」
と思って共通テスト1日目の帰りにめちゃくちゃ悲しくなって泣きました。
圧倒的地理力で最終的に工学部の傾斜配点で9割超えることができ、十分及第点でした。(理系科目はほとんど対策してなかった)
共通テスト後の面談で、二次力の問題で工学部厳しいのでは、という話になります。
元々それは考えていたので、模試でも常に第二希望は農学部地域環境工学科でした。
数弱である僕にとって、数学の配点は可能な限り抑えたかったわけです。
とにかく京大に入りたかったので、共通テストの傾斜配点では不利になるものの、当日の力を信じて農学部に出願しました。
(ちなみにこの時僕は人健の存在をほぼ認知していないので、その選択肢はありませんでした。もし知ってたら出してたかもしれない。)
共通テスト1週間後にあるT進の京大模試では初めてC判定が出ます。よっしゃ、突っ込もう。そう思わされました。
滑り止めとしては
中期:大阪⚪︎立大学(中期の選択肢なんてほぼない)
後期:京都工芸繊維大学(京大に近いから)
に出願しました。
一応この二つも妥協できる点としてオープンキャンパスなどに行って決めたものでした。だからこそ、受かれば浪人せずここに行くつもりでした。
さて、文字数的に禁断の2部構成になってしまいました。その2に二次試験の話とか書いてるのでぜひご覧ください。
早速今日のメニュー
文字入らなかったので写真で失礼します
選手の皆さんお疲れ様でした。メニューを作ってくださった方、ゆきか、急遽来てくださった南利さん、りこ、ありがとうございました!
合格体験記、書いてる途中に寝落ちして投稿遅くなりましたすみません、、
めっちゃ長くなったし読みづらいので暇な人は読んでください、
↓なんか文字の大きさ直しても直しても直らんので諦めました
家から通える国公立じゃないとダメという家の方針と、目指すなら上を目指そうという考えで自然と京都大学を目指しました。さらに母校の高校には放課後バスで京大に向かい授業を受けることができる講座があり、自分も応募して生命科学系の講座を受けさせて貰ったりキャンパスを案内していただいたりしたことで、ここで学生生活を送りたい!やっぱり京大生ってかっこいい!!と強めの憧れを持つようになりました
現役の時はもろコロナで休校した年だったのでインターハイはなくなったのですが、ヨット競技では代わりにJOCが8月に開催され、それに有難いことに出させていただきました。
大会が終わるまで部活を続け、引退してから初めて本格的に受験勉強に取り組み始めました。
とは言っても授業の数学の予習をクァンダにやらせて、英語は翻訳機で翻訳して日々の授業を乗り越えていた私の基礎力は壊滅的でした。当然模試は全部E判定。
膳所高校は四年制、3年で卒業は早期卒業と言われるほど浪人する人が多くて、学年の半数が毎年浪人していました。
そういった「みんな浪人するからええやろ」感を漂わせる膳所高で3年過ごして受験を舐め腐った私はE判定のまま京大に特攻。
結果あっさり落ちて、さすがにちょっとはへこみましたがそらそうやろうなと思ってたし、割とすぐに浪人を決めました。
そんな私の現役の開示はこちらです。
みんなに愛、希望、勇気を与えます。
人健−100点落ちしてました!
どの教科も救いようがないですね。
見てわかると思いますが圧倒的苦手だったのは数学です。多分易化した年だったんですけど、普通に0完!(5完で悩んでる人がいるというのに)
逆に何で点もらえたか分からんレベルで解けませんでした!
浪人時代について
駿台京都校SXの招待がきたのでそのままぬるっと駿台に入学し、膳所四年目がスタート。
夏までほんまに駿台のテキストばっかりしてて、夏の実践で現役?ってくらいの点数でD判定とってました。
こりゃだめだ、と思い夏終わりから二次対策し始めました。どう考えても遅いんですけど、基礎がなってなかった自分には合っていたのかなと振り返ったら思います。
共通テストは割と安定して良い判定でしたが、二次だけが本当にダメで秋の冠模試もC判定、D判定でした。それでもまだ、冬になっても京大にしがみついてました。めちゃくちゃ焦ってはいたけど。
共通テスト前日に現役で受かっていた友達が神社で合格祈願をしてくれる様子を撮って応援ムービーを作ってくれて、これをお守りにしてテストを受けました。これがなかったらもっと焦っていたと思うので本当に感謝してます泣
自己採してみたら難化したとはいえ、現役より点数が下がって、絶望。8割切ってて受かる大学ないと思って大泣き。(まじでそんなことないけど、通える国公立って限られてたので当時は本当にそのくらい思い詰めてた)
が、蓋を開けてみるとリサーチB判定で、あれ、思ったよりマシ?でも、元々共テの点数で逃げ切れるようにA判定で京大出願しようと思ってたし、秋より伸びてるとは思っていても2次力に自信がなくて神戸の農学部に出すかずっと迷ってました。
最終的には一年追い続けた京大への憧れが捨てきれなかったのと周りの応援もあって、京大に出しました。
出願決めてからは朝から晩まで駿台で、お昼ご飯も1人で30分で済ませて他の時間は一生勉強してました。まじで孤独やった。
でも全然数学できない。あと1ヶ月しかないのに。落ちたらもう後がない。
通学の電車ではさっき振られたんか?ってくらい泣き、自習室でも問題解きながら泣き(隣の人ごめん)、とりあえず精神不安定な毎日を送ってました。笑
2次試験当日は私がこの中で1番人健入りたいと思ってる、神様私に味方してと祈りまくって乗り越えました。
数学はなんとか2完できたけど全体の手応えとしては微妙で、合格不合格どっちに転んでもおかしくないなと思ってました。次の日からは後期の過去問をひたすら遡って合格発表まで気を紛らわせていました。
合格発表で人に落ちたっていうのも嫌で、聞かせるのも申し訳ないと思って、現役で受かった友達や親に受験番号を伝えてました。
なので、自分で番号を確認する前に友達からのLINEで合否を知りました。
私の周りの浪人生は結構みんな落ちてました。一緒に京大行こうって言ってた人みんな落ちた。私よりも絶対に勉強してたし、模試の判定も良かったのに。
それまでは努力が分かりやすく結果に出るのが勉強だと思っていたけれど、そうでもないんだなと思いました。
受験って最後の最後は運ゲーだと思います。受かった人は勿論頑張った人だと思うけど、落ちた人が頑張ってなかった訳じゃないし、なにがあるかは当日まで分からんし
まあ大谷翔平でさえ運が大事って言ってるから、そういうことです!!
浪人したら受かるなんて甘いものではないから人に勧めることではないけれど、終わってる開示を晒したことで現役でこのレベルでも京大目指していいんだ、受かるかも!(ただし私が言えるのは人健に限る)という希望の星になれたことかと思います☆
浪人も進学もその他諸々、どんな選択も間違っていなくて決めた方が最善だと思うから、受験生は自分のこと信じて頑張って欲しいです!がんばれ〜〜!!
明日の日記は南利さんです。相当濃い合格体験記が見れるだろうと楽しみにしてます(*⁰▿⁰*)
2023-2024 総乱舞
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