ついに引退日記を書く日がやってきてしまいました。早く引退したいってずっと思っていたのに、こんな早起き今すぐやめたいってずっっと思っていたのに、今更になってもうちょっと泳ぎたいとか、もうちょっと部室でダラダラしたいとか思います。一説によると、青春にはいつも時間が少し足りないそうです。“もうちょっと”が届かない、その儚さにこそ美しさが宿るのだと。そういう意味では僕の大学水泳は青春と呼んでも良さそうです。
約20年間続けてきた水泳を引退するにあたって、決して美しいばかりでなかった自分の大学水泳人生をなるべく正直に記そうと思います。極めて稚拙な文章となってしまった上、書きたいことがまとまらず膨大な分量になってしまっていますが、最後までご拝読いただけると幸いです。
高校ラストレースを優勝で飾り、水泳には特に未練もなかった井芹少年18歳は、運動がてら体験練習に参加することに。
井芹「京大水泳部って速いやつおるんかな?まあ俺JO選手やし余裕やろw w w」
塩原「ワイ、一応全中出てます。ニチャッ」
奥田「僕、半フリ23秒やで。ニチャア」
森花「うち、アメリカでベンチ70kg上げてたから。ニチャニチャ」
宮田「俺、全中個人で出てるし、国体も行った。ニチャリ」
井芹「ギャアアアアアア?!!!!(昇天)」
と、鼻くそレベルのプライドはズタボロにされ、全然チヤホヤされないので入部を渋っていました。結局、当時入ろうと思ってたテニサーのノリがきしょすぎて無理になり、幸登と潤が入部締切当日に軽くLINEくれたのもあって、あと先考えず軽い気持ちで入部しました。
特に目標もなく入部した自分はもちろん週6朝練に適応することはできず、来たい日だけ練習に来るカス部員になりました。水泳だけに有り余る大学生活の時間を注ぎ込むのが勿体無い気がして、ビートボックス、ウクレレ、詩、農業、酒、洋服、旅行、、、いろんな趣味に没頭しては飽きてを繰り返していました。サボってばかりだったので水泳部では少々肩身の狭い思いをしましたが、必死に生の意味を追い求め、もがいていたこの時期は自分自身を見つめ直すきっかけにもなる大切な時間でした。
ただ、生きる意味を模索していく中で、自分が本当に満足するためには、水泳で結果を出さなければいけない、と当時サボりながらも薄々気づいていました。高校生の頃、あんなにも憧れた京大に入って、友達も趣味も彼女もいて、満たされたはずなのになぜか物足りない、楽しくない。幸せな瞬間を頭に浮かべると、2日前の飲み会ではなく、関東で決勝に残ったシーンが思い浮かびました。瞬間の快楽は虚しさを先送りにしてくれるだけで、人生に恒常的な幸福をを与えてくれるものではない、と頭では理解していました。練習行かなきゃ行けない、本当に、頭では分かっていたんです。
それでも、意志力も継続力も皆無だった自分は冬の出席が月2回程度にとどまり、ついに大学2度目の冬を越せず、文字通り2年連続で冬眠してしまいました。起きたいのに起きれない。もはや起きたいのかどうかも自信がない。どっちかっていうと寝たい、眠い。でも起きなきゃ。。。(2 hours later) あれ?空が明るい。ああ、今日もダメだったのか。こんなことを何回、いや、何十回と繰り返しました。
思い返せば、高校までのレールの上をたどりながら、わかりやすい“正解”に従う人生とはうってかわり、大学に入ってからはやるもやらないも、頑張るも諦めるも、なんでも全て自分で決める必要がありました。持て余すほどの自由の中で常に選択を迫られ続け、そしてその選択肢の中で楽な選択肢にばかり流れてしまう自らの弱さを目の当たりにする毎日でした。自由な校風とはよく言いますが、当時の自分は“自由による苦しみ”に苛まれていました。抜け出し方のわからない苦しみの矛先を当時の主任や友人に向けたこともありました。
ここまでが僕のいっちゃんサボってた時期の自分なりの振り返りです。サボったことについて後悔が全くないと言えば嘘になりますが、自分には必要な時間であったと自分のなかで納得しています。
① 池田屋大
1回生夏、裕道(松田の兄)さんに連れられ池田屋へ。「少食なので中サイズ行けるように頑張ります」の声も虚しく大の札を渡される。挙げ句の果てに「俺もう食ったから出てるわ」と店に1人取り残される。命の危機を感じながら麺だけなんとか食べきり、肉は少し残ってたけどスープに沈めて見なかったことに。逃げるように退店。その後、公園で悩みを聞いてもらった。
② 黒すぎる直己
踏水会バイトでガキ(西垣ではなく、ホンモノのガキ。)を相手にしている最中、ガキは俺(当時18歳)のことを25歳とほざきやがった。ゴリ睨んだ後に、直己を指差し「この人何歳に見える?」と聞くと、ガキは「わからん!黒人!」と叫んだ。これより悲しそうな直己の顔は後にも先にも見ないであろう。TKMY氏は責任を持って直己が2度とこんな顔をしなくて済むよう努めていただきたい。終電に乗りながら「私は直己さんを幸せにしたいんです!!」と叫んだこと、忘れてはいない。そしてその後、筆者を非常に困らせたことも、、、
番外編1終わり
毎年夏が近づくにつれてモチベが上がってくる自分は、3回生になるタイミングの和歌山合宿から本気を出して練習に取り組むようになりました。水泳部のために頑張りたいという気持ちが少しずつ芽生えてきたのもこの頃です。気温が上がるにつれて練習頻度も上がってくる自分は調子も上がって一度だけ裕一朗さんを○すことに成功しました。水泳ってちょろいカモと思ったのも束の間、、、
対抗戦の結果は散々でした。
関国は400IMでベストも出せず裕一朗さんに負け、200IMは予選落ちして情けなすぎて直己とこっそり泣きました。(当日に捻挫した2回生の関国から2年連続悔し涙を流す結果に。)今思えば、冬泳いでないくせに、直己と並んで泣く資格はなかったように思います。カンカレの2コメも湧強は残ったのに自分は予選落ち、結局、2コメも4コメも昨シーズン長水ベスト0に終わりました。
このまま終わったら絶対後悔する。感謝を伝えたい先輩は全員引退してしまった。このチームのために自分ができることはなんだ?
3回目の夏が終わり、最上回になるタイミングでさらに本気で水泳に向き合い、改心の一撃をバチボコにぶちかますことを決意しました。この先は関国MVS日記と重複します。とにかく、みんなとする水泳が楽しくて楽しくてたまらない。チームのために頑張る水泳ってこんなにも楽しいのかと気づきました。早起きは相変わらずしんどくて何度か遅刻もしたけれど、大学3年目にして初めて冬を越せました。
それと同時に自分の中で3回後期からは生活的にも精神的にも余裕が出てきて、部活全体を見ることができるようになりました。かつての自分のように、モチベに悩んでいる人はいないかな、ちゃんと練習頑張れてるかな、水泳楽しめてるかな?自分のことで精一杯だった頃は見えてこなかったみんなの苦しみや悩みが少しだけ分かるような気がしました。頑張ってる人をもっと上に引っ張るのは潤や幸登の仕事、元カス部員の自分の仕事は「部活がしんどい人にとことん寄り添う」ことだと思いました。絶対1人にして置いていかない、みんなが気付けないSOSにも気づいて寄り添う、自分が先輩にやってもらったことをそれ以上で後輩に返す、そう決めました。結果、これに関してはどのくらいうまくできたのかわかりません。たぶん、何もできていません笑。璃子とか大月とか杏美とか竜飛とか、自分よりそーゆーの上手にできると思うので頑張ってください。きっと、いいチーム作りには“置いていかないための努力”が必要で、引っ張る人間とは別で後ろから支えてあげられる人がいた方がいいと思います。
またまた番外編です!ふとした瞬間をお裾分けします!ニチャア
③ 堀、ミコノスに逃げる
2回生春、ミコノスの新歓に招集され、到着すると見たことのある顔が。堀である。一昨日まで水泳部入部しますって言ってたのに、見事にその場ではミコノスにも入ると言ってのけた。そう、新入生の得意技、二枚舌外交である。これだけでも十分に許せないのだが、なんとこの男、新歓に美女を連れてきていた。彼女は別でいるという。2股間外交か、Fu○k。この時、もし部活にも入ってきたらDV男というデマを流して女性からの信頼を地に落とそうと決めた。今日も堀は日本のどこかで女を殴っている。知らんけど。
④ 萌来、うどんを踏む
3回春、しょうとめぐの歓迎会を行った。めぐ様がうどんを嬉々として踏む姿は、3回男子のドM心にドストライクでこの後のカラオケも大変盛り上がった。めぐ様争奪戦の暫定勝者はシオンで、恋人繋ぎをしていた(諸説あり)。そして同日、筆者もビンタをされた(諸説なし)。この日から始まった戦いは未だ終結しておらず、のちに100年戦争と呼ばれたとかそうじゃないとか(諸説あり
番外編2終わり
前述のとおり、自分は弱いです。ジョージ風に言ったら厳しいです。腹筋も誰かとやらなきゃ頑張れないし、試合のアップの脈上げも、マネさんいないとしっかりあげきれません。ストレッチ嫌いだから、トレーナーにほぐしてもらわんと疲れ抜けません。そんな人間たぶんこの京大水泳部で僕しかいません。
だから自主練の際には、周りを巻き込むか、京大以外の練習(医水とか神大とか)に参加させてもらうことを意識していました。神大に行く時はあえて細見潰す!と過激派を演じていたし、医水の練習では練習生なのにたぶん1番声出して鼓舞していた気がします。参加させてもらってる身ででしゃばりすぎたかもしれません笑。京大でも、練習後の腹筋とかバタ足とか、自分の無茶振りに付き合わせてしまった人も多いかなと思います。
でも、そうやって周りを巻き込んでいくことで自分も頑張れるし、それが周りにもいい刺激を与えられるんじゃないかなって思います。それは自分の強みだと思うし、この文化は後輩にも引き継いでいって欲しいなと思います。自分は弱いし厳しいけど、弱さに向き合い続ける強さとそのための手段を持っていたのかなと思います。
そして最後の対抗戦シーズンが始まりました。一年しっかり照準を合わせて準備してきた関国。苦しい練習も、大嫌いな早起きも、練習後の腹筋も、冬場のバタ足も、この日のためにサボらず腐らず続けて来ました。そして、人一倍みんなの助けを借りているからこそ、感謝を結果で示したいと思っていました。
結果は、みんなのおかげで目標の表彰台に乗れました。
待機場所戻った時のみんなの喜んだ顔、一生忘れません。表彰台からの景色も忘れることはないです。みんなが手振ってくれて、横には合宿で一緒だったコシケンと泰志がいて、最高でした。水泳を続けて来て良かったと心の底から思えました。
この感動は、この興奮は、飲みサーでダラダラ過ごしてる人間には決して辿り着けない境地だと確信しました。サボってたあの頃からには想像すらつかない景色でした。頑張り続けたらみんなにも、そんな最高な瞬間が訪れるんじゃないかな。
一方カンカレはダメでした。4コメ後はヘラヘラするので精一杯でしたね。IM専として、レギュラーとして、最上回として、自分がするべき仕事を全うできず、申し訳なかったです。同期後輩に頼るしかなくて、情けなさと不甲斐なさでいっぱいでした。でもクヨクヨしてても時間の無駄だし、あと1週間しかないし、次がまだある今、やるべきは後悔じゃなくて反省、修正だと思いました。もう今は全国公のことしか考えてません。
来たる全国公、これが自分のラストレースになります。必ず、笑って終わります。どうか、見届けてください。
P.S. 全国公を終えて
この4年本当に多くの人と関わることができました。自分と関わってくださった全ての方に感謝を申し上げます。以下は特にお世話になった方々へ感謝を述べる場とさせていただきます。
はじめに京泳会の皆様、いつもご支援のほど、ありがとうございました。会計をしている際、OB・OGの方々にどれほど支えていただいているかを実感いたしました。これからは自分も支援する側にまわります。
先輩方へ
やる気なくて生意気でめんどくさい後輩だったと思います。ご迷惑ばかりおかけして申し訳ありませんでした。それでも自分を水泳部の一員として認めてくださってありがとうございました。ボッティさん、フナカンさん、キミさん、裕道さんは頑張れない僕の救いみたいな存在でした。自分がしんどい時期、京介さん、光彩さん、日下さん、裕道さん、裕一朗さん、日奈子さん、Pontenさん、諒聖さんは特に気にかけてくださったような気がします。ありがとうございました。日下さん、光彩さん、裕一朗さんは競技者としても僕の理想でした。みなさんには全然及びませんでしたが、関国の結果では少しだけ恩返しできたかなと思います。カンカレこそズボッてしまいましたが、最後の全国公まで足掻くつもりなので応援よろしくお願いします。引退したらお酒も飲めるのでご飯行きましょう。お誘いお待ちしています。
神大の皆さんへ
やしろ合宿、神大合宿、去年と今年のGW練の際はお世話になりました。泰志や細見とIMで切磋琢磨できて自分自身大きく成長できたし、神大の人と関わった時間は大切な思い出です。まじで、神大の練習がなかったら関国負けてたし細見おらんかったら練習頑張れてなかったと思います。感謝。そして今年の神大、強かったです、悔しいけど、本当におめでとうございます。でも京大も確実に強くなってます。来年は堀ちゃんたちが勝ちます。いいライバル関係でいてあげてください
他大学の皆さんへ
神大以外にも京都工繊大や阪大をはじめ、色んな大学の方と関わらせていただきました。試合のたびにみなさんと話すのが楽しみでした。タイムとか結構チェックして自分のモチベにしていましたし、いつも刺激を受けていました。ありがとうございました。特に、関西国公立のIM専のみんなには感謝しています。IMの後輩たちは京大の後輩と同じくらい応援してます。頑張ってね。
京大医水の皆さんへ
これを読んでいるかは分かりませんが、こんな部外者である自分を練習に参加させていただきありがとうございました。あの納泳会がなければ、堤と農交ネットで出会っていなければ僕の人生は全く違う方向へ行っていたと思います。医水の後輩の活躍も、とても楽しみにしています。
後輩たちへ
個別でメッセージを書くと膨大になってしまうので、みんなには手紙を全国公までに頑張って書いて最後の集合で渡そうかなと思います。とにかく言えることは、こんな先輩を慕ってくれてありがとうということです。あとは俺でこんだけ結果残せたんだからみんななら絶対もっと上に行けます。頑張ってね。
同期へ
最初はちょっとやって合わなかったら水泳部やめるつもりだったのに、みんなのおかげでここまでこれました。ありがとう。俺も色々迷惑かけたし、他にも色々あったけど、本当にこの代でよかったと思ってます。日記にコメント残します。最後全国公、みんなで笑って終わろう。
この4年間振り返れば楽しかったこと辛かったこと、色々ありました。
日記を書いているなかで、冒頭では「美しいばかりではなかった大学水泳人生」と綴りましたが、本当はその全てが美しく、眩しすぎる日々であったと感じている自分の本当の気持ちに気づくことができました。
この日々を手放したくないなぁ
やはり、間違いなく京大水泳部は自分の青春です。
みんな、素敵な青春をありがとう!!!
京大水泳部、愛してます!!!!!
京都大学体育会水泳部 井芹琢人
2020-2021 努来勝
2021-2022 全進
2022-2023 青炎
2023-2024 総乱舞
1. 全国公で2.10割ってくらはい