大学
「何かしら部活入ってた方がいいよ」という助言を受け、とりあえず水泳部へ。
1度完全に逃げてしまったのに、プールは何事もなく受け入れてくれました。
今までの自分を知らない人ばっかりなのもよかったです。
楽しく泳げたらそれでいいなと思ってました。
ただ対抗戦を経験して先輩達の引退を見送ったり、日下さんがインカレを目指すのを見たり、パートミーティングで先輩方と真剣に話し合ったりしているうちに段々と闘志が蘇ってくるのを感じました。
もう1回ちゃんとやろうと思いました。
新しい場所で心機一転、ではなく、逃げてしまったあの時の続きをもう一度やろうと。
水泳をまた続けるにあたって、1つ自分に立てた誓いは「絶対に2フリから逃げないこと」です。
1番好きで、1番嫌いな2フリから今度こそ逃げずに最後までやろうと決めました。
高1以来のベストが出たこと、周りが喜んでくれたことが本当に嬉しかったです。
12月には次期主任を務めることに決まりました。
同時期にトレーナーチームの構想も練っていました。
いまいち水泳に集中できてない日々を送ってしまっていましたが、高校生のときのように言い訳にするつもりはなかったです。
練習には毎日行って、しっかり頑張りました。。
それでも3回生の夏は大スランプ。シーズン中は一切振るわず、関カレの2フリでは予選落ちしたし、4継のメンバーからも外れました。
全国公の8継だけ、ほんのちょっと自分らしいレースができました。
オフ明けて主任になってからはとにかく毎日必死で、頭の中はぐちゃぐちゃでした。
次々と起こる問題に頭を抱えましたが、それでも練習頑張ろうと思えたのはみんながいたからです。
4回生になって、なんだかんだ1度も個人でベストは出ませんでしたが、毎日泳ぐのが楽しかったです。落ち込む暇がなかったというのもありますが、やっぱり4継でインカレを狙うことができたのが大きいです。
全国大会のタイムを狙うなんて、もう2度とそんなことはできないと諦めていました。
また手が届くところまで近づけるなんて思ってもみませんでした。
最後に夢を見させてもらって感謝しかないです。
結局、インカレを切ることはできませんでしたが、きっと後輩たちが達成してくれると信じています。頑張ってね。
とまあ、僕の水泳人生はこんな感じです。
大学の方はちょっと適当になりました。すみません。
夏季長が気持ち良すぎて全部吹き飛びました。思い入れがある2フリで引退できてよかった。
振り返ってみると本当によく頑張ったなあと思います。
たくさんの喜びがありました。
ただ、それ以上の挫折も味わいました。
中学生くらいからなんかかわいそうですよね、この人。
改めて振り返ってみると大したことないなと思うことも多々ありますが、それでも当時の自分にとっては“地獄”でした。
皆さんの中にも、絶賛挫折中で辛い思いをしている人もいることでしょう。
選手だけじゃなく、スタッフにもそういう人はいるかもしれませんね。
そんな人たちに、挫折マスターの僕から伝えたいことが1つあります。
それは、君が今感じている“地獄”はちゃんと“地獄”だから安心してほしい、ということです。
程度とか期間は関係ありません。誰とも、何とも比べる必要はないです。
辛いもんは辛いですよ。
だから安心して、周りに相談してください。ひとりにならないでください。
泳ぎ続けてください。逃げずに向き合い続けてください。
そうしたら、まぁ多分、最後にはなんとかなるんじゃないかなと思います。
僕が得た教訓です。
③主任として
散々みんなの前で話したので今更言うことはそんなにありません。
常に上を目指して、受け継いだ炎を絶やさず、頑張ってください。
大学生になってまでキッツイ水泳を続けてるんだから、せっかくなら大きな野望を抱いて楽しんでください。難易度は高けりゃ高いほど楽しいはずです。
そしてチームのためになることはなんでも挑戦してください。
京大水泳部はそれを受け入れてくれるチームだと思います。
言いたいことはこんなもんです。
あと書くとしたら、誰かの上に立つって大変だな〜ということくらいです。
主任とかなんとか言っても、ただの同世代の一般大学生ですからね。急に偉くなるわけでもなければ、指導力がつくわけでもないです。
苦労すると思います。しっかりみんなで支えてあげてください。積極的に協力してあげてください。
僕も色んな人に支えてもらってやっとこさ主任の責務を全うすることができました。
みんなのことを応援してます!
適当すぎる?
まあいいか。
ご飯とか行きましょうね。
④バイバイとかサンキューとか
水泳を始めてから19年経ちました。
人生の大半が水泳と共にありました。
両腕をいっぱい広げても抱えきれないくらいたくさんの思い出があります。
とても居心地が良くて、いつまでもここにいたい気持ちもあります。
でももう十分もらいました。
これ以上は持ちきれないのでそろそろ旅立とうと思います。
水泳を通じて出会うことができた全ての人に感謝を。
胸を張って「水泳をやっててよかった」と言いたいです。
そして、両親には特に大きな感謝を伝えたいです。
「練習に行きたくない」とぐずったことも多々ありました。
試合のたびに落ち込んで帰ってくる時期もありました。
身体のどこかが痛いのは当たり前でした。
見てても辛かったんじゃないかなと思います。
それでも毎日プールに送り出してくれて、本当にありがとう。
最後に、苦しみ続けたあの頃の自分へ。
ここまで辞めずに戦った勇気ある自分へ。
続けてくれてありがとう。
お前が折れずに頑張ったおかげで、ちゃんと報われたよ。
こんな感じで。
引退日記、終わり。
バイバイサンキュー
2020→2021 努来勝
2021→2022 全進
2022→2023 青炎
2023→2024 総乱舞
目次
①夏季長裏MVS日記
②水泳人生の振り返り
③主任として
④バイバイとかサンキューとか
①夏季長 裏MVS日記
この度引退することとなりました。
4回生の宮田です。
全国公が終わって、院試を挟んで、夏季長でラストレースを泳がせていただきました。
そしてなんと新主任の堀くんに裏MVSをいただきました。ありがてえありがてえ。
最後は主任宮田ではなく、ただの1人のスイマーとして。
「今までの思い出を胸に」とか、「誰かに感謝を伝えるために」とかではなく、本当に真正面から、まっさらな気持ちでプールと向き合うことができました。
上手く言語化できませんが、何かが込み上げてくるということもなく、本当にスッキリとした気分でした。
「引退するとき自分は何を感じるのだろう」と色々と想像していたのですが、ここまで無色透明な気持ちになるとは思ってもみませんでした。
一生忘れたくないなぁ。
ともかく、自分らしく泳げたかなと思います。
ちなみにメドレーリレーの平泳ぎはめっちゃベストです。
そして初めてのリレー失格という得難い経験をすることができました。
駿佑、これに懲りることなくバサロを磨いて、今後もしっかりギリギリを攻めてください。ビッグな選手になるためには、1回の失格くらいでびびってちゃダメよ。
個人では、2フリのラストラップ29.12は水泳人生最速ラップでした。めちゃくちゃ気持ちよかったです。今までで一番楽しい200mでした。
100もほぼベストラップでした。まんぞくまんぞく。
出てよかったです。最高に楽しかった。
3回生以下の皆さん、長々と受け入れてくれてありがとう。
応援も本当にありがとうございました。
②水泳人生を振り返る
さて、引退日記ということなんで、とりあえず自分の水泳に対する思いを整理するためにも水泳人生を振り返ってみようと思います。
自分用のメモみたいなものも兼ねてるので適当に読み飛ばしてください。
・思い出
3歳
水泳を始める。将来の夢はゴミ収集車(いっぱい食べるから)。
5歳
スイミングクラブの記録会のようなもので初レース。
25mを29秒くらいだった気がします。お母さんが入れてくれたバアムクーヘンをレース前に爆食いした記憶もある。
6歳(北京オリンピック)
平泳ぎ習得に大苦戦。将来の夢は北島康介のようにオリンピックで金メダルを取ること。
キッズサッカーではディフェンスを任される。要潤、爆誕(参照:2022/11/14 , 小さな足で蹴飛ばしていけ)。
そして無念のサッカー引退。
小1〜2
平泳ぎに合格できないまま、育成コースへ(おい)。
一番覚えているメニューは「25m 6本 30秒サークルでノーブレ」。
1列に並んで1人ずつ「何本ノーブレできた?」と聞かれ、少なかったらお尻を叩かれました。そんな時代。朝練前に泣いたこともいっぱいあります。
練習の合間にみんなとやるポケモンが楽しかったです。
あと合宿の出し物で「楽しんご」やらされました。なんだったんだあれ。
小3
初の九州大会。50,100mの背泳ぎに出場し、華々しく最下位を獲得。(長水路で42.22と1:29.49)
小4
ルネサンスへ。この頃からFrに転向。県のジュニア強化合宿に参加し、周りと比べて平泳ぎが遅すぎることがついに発覚。膝崩オン泣。
友達もたくさんできて試合や合宿に行くのが楽しみになりました。
小5
県大会で優勝。県内の同学年では割と敵なしでしたね。
短水路の県選手権では、2フリのラスト25mで年上に競り勝って表彰台へ。
色んな人に褒めてもらって2フリが一番好きな種目になりました。
小6
九州大会でも表彰台に。ブイブイ言わせてました。
50,100,200自由形で春のJO突破。
JOでわけわからんくらい速い同い年を見てちょっと心が折れました(小6で53秒とか出してた)。
12月には新潟で7泊8日の合宿に参加。人生で一番きつかったです。
中1
去年まで勝ってた友達に負け、練習に身も入らず、肩を怪我して、JOも切れず。
試合に行って友達に会うのが少し怖いと思い始めました。
自分が天狗になっていたことを思い知らされた。本当に辛かったです。
初めての大きな挫折でした
中2
コーチが変わり、心機一転。厳しく鍛え直すことに。
今でも覚えてる言葉
「限界が来てからがトレーニングだ」
「練習中は背筋伸ばせ」
「声くらい出せるだろ」
「レースだったらそこで諦めるのか」 などなど。
年始の合宿では秋葉山でひたすら泳ぎ込み、キック覚醒。
1,2フリで春JOを再び突破しました。
1フリはチャレンジレースで、前半を50mのベストくらいで回ってギリギリ突破。
2フリも前半から攻めました。ラスト25mで腕をバッテンにしているコーチの姿が見えて、死ぬ気で腕を回し、0.06秒突破。1番覚えてる会心のレースです。
本番のJOでは力みすぎて見事撃沈。誰にも負けないくらい努力したつもりだったし、自分に期待していた分、周りからも期待されていた分、かなり心が折れました。
「自分って大きな試合で弱いのかな」なんてことを思い始めました。
中3
100mで全中突破。
200mは隣で友達が突破したが、自分は切れず。
「まあ俺はそんなもんだよな」と納得しました。
本番の全中はスタートミスって、いいとこなしで終了。
みんなの前では明るく振る舞い、応援に徹したのですが、親には結構当たってしまいました。本当にごめんなさい。
この頃から九州の他の友達にもボロ負けするようになります。「俺は受験勉強してるから」と友達にも自分にも言い訳していました(実際はそんなにしてなかったから本当に言い訳)。
惨めだけど、そうしないと当時の自分にはとても耐えられませんでした。
高1
とにかく伸び悩みました。
お情けで国体のリレーメンバーに加えてもらえたのが救いでしたが、その国体でも大していいタイムを出せずに応援に徹しました。1年前の全中と何も変わっていなかったです。
高校総体の2フリで初めて1分57秒台を出して、もしかしたらまだ伸びるかも、来年はインハイ切れるかもと思ったりもしたのですが、結局はそれが高校最高のタイムでした。
お金がかかる合宿にも行かせてもらってるのに思うように結果が出ず、色んな人に申し訳なく、自分を許せなかったです。
高2
1番の挫折。地元開催のインハイ出場を目指しましたが、全然届かなかったです。
自分は凡人だと認めざるを得ませんでした。
インハイでは高校生役員としてお弁当配りをしていました。「インハイの空気を味わいたい」と思って応募したのですが、正直なところインハイに出ている友達と比べて自分があまりにも惨めで、辛いだけでした。
特に200mでは1年間全くベストが出ず、完全に心が折れてしまいました。九州新人戦の県対抗2継でいいタイムを出せたこともあり、50,100を頑張ることにしました。
「頑張ることにした」というと聞こえはいいですが、結局のところ2フリから逃げただけです。2フリが1番嫌いな種目になってしまいました。
夏以降は「楽しく水泳をしたい」「勉強が忙しい」と言い訳して、中途半端に練習に取り組むようになりました。
レースでタイムが出なくても「ちゃんと練習してないから仕方ないよね」と思ってました。
気分転換と称して50m4種目に出場したりしました。
図らずもこれが高校最後のレースとなります。
それまで支えてくれた家族、応援してくれた友達、指導してくれたコーチ達に対して、こんな中途半端な取り組み方は「そりゃないよな」と、今になって思っています。
とはいえ周りに落ち込んだ態度を見せて心配もかけたくなかったし、「水泳を楽しんでいる」というアピールを必死にし続けていたのは本当にしんどかったです。
高3
コロナ。受験勉強するからという理由で、高校総体の代替試合にも出場せず引退しました。
もう水泳はいいかなと本気で思っていました。
なんならコロナや受験を口実に都合よく水泳から逃げられたことにホッとしてしまう自分もいました。そしてそんな自分にモヤモヤすることもありました。
人間としてなんの魅力もなく、人生で1番終わってたなぁと今でも思います。
お疲れ様です。
4回生、長野史遠です。
引退日記?てきなものを書く日が来るなんて、ゆめゆめ思っていませんでした、もはや夢。
こういう場は黒歴史になりがち、ということで「わが水泳人生、過去の振り返り」とかは控えめにしておきます。
ただ、せっかく書くからには何かしら意味のあるものにしたい、という気持ちもあるので、僕だからかけること、僕にしか書けないこと、をだいぶストレートに書きたいと思います。
最後なんで許してください
さて、皆さんはなぜ競泳を続けていますか。
そもそも、大学で部活とかサークルに入る意味って、同じ趣味とか目的を持つ仲間たちと時間を共有することで、単調な学生生活に少しでも色付けする、てきなのかなって思ってます(異論は認めます)。
そんな中で、僕は何個かの一つに水泳部(複数ある時点でよくばりだけど)を選択しました。
でも部活は違いました、シンプルに時期が悪かった。
現役で入ってたらまた違ったかもなぁ、とか思ったりします。
四年間、どうしても「大学生」と「水泳ガチる」が結びつきませんでした。
確かに練習とか試合とかで楽しい時もあります。
もちろんベストが出た喜びとか、報われた感じもわかります。
三木さんと練習でバチボコ競った鬼きついスイムピアの練習とか、井芹と塩原に負けまいと泳いだ大会とか、退部のかかった背水の陣(山田君、座布団1枚)でゾーンに入った秋葉山短水路とか。
長い競泳人生、遡ればそんなモーメントたくさん出てきます。
でも、大学生活全てを水泳に捧げる覚悟を決めることはできませんでした。
理由はたくさんありますが、主に2つ。
一つ目は、弟には敵わない、ということ。
かなりの努力家で、勉学や水泳において数々の偉業を残してきた自慢の弟です。
ほぼ秋まで水泳を続けたにも関わらず、現役で阪大理学部合格。水泳部主将にしてインカレ切りも果たしています。
そして、つい数年前、前人未到、次男が長野家の長男へと昇進を遂げたのです。
お前も努力すれば、とかそんな甘い話では決してありません。
あいつには敵わない、強え、努力のウェイトに差がありすぎる。
特に競泳に関しては、15年以上同じ専門種目Baであり、彼の泳ぎや練習スタイルを見てきた第一人者の僕だから言えます。
小学生の時、弟に初めて敗北を喫した 50m Baから、何度も負けまいと奮起しましたが、一時的な勝利でトータルでは完敗でした。
人間には得意、不得意がある、ということを知りました。
「敵わない」を言い換えれば、どんなに本気を出しても彼以上に速くなることはない、ということです。
そして、そんな彼にいつまでも羨望の眼差しを向けて、水泳を続けられるほど根性のある男でもないので、必然的に、水泳以外で勝ち筋を見出すようになりました。
二つ目は、水泳に全力で打ち込めるほど若くない、ということです。
まあ一つ目は言い訳みたいなもんで、こっちが理由です。
単に若さの話をしたいわけではありません。もっと現実的な話です。
現役の人は、ピンピンした10代後半からほぼブランクなしで水泳できて、水泳に没頭しすぎるあまりに1、2年留年したとしても大した影響はありません。
むしろそれだけ頑張ったんだな、というポジティブな見方さえあるかもしれません。
それに比べ僕は、筋肉少なめ、まじ老いめ、ブランクマシマシ、の二浪系。(ステルス韻)
ぽけーっと過ごして、留年なんてした日には社会のゴミ確定です。
現役は卵、一浪は赤ちゃんって多浪会の人が言ってました、そう思います。
一回生の頃はとにかく「おもろい」ことだけを追求し続けました、コロナ禍という縛りゲーミングでしたが、とっても楽しかった。
学業も決して疎かにすることなく、フル単・高GPAで物工花形の機械システム学コースへと駒を進めました。
ただ、2回生になるとこのままではまずいぞって思ってきました。
絶望的な戦況下で、武器が水泳の一本だけはヤバすぎます。
限りある大学期間で、このディスアドたちをスキルとか経験とか知識とか何かしらの形で埋めなければならないと感じていました。
とにかく、いろんなことにトライしました。
デジタルアートの作品をNYで展示する機会を獲得したり、2か月東京で外資系の企業でインターンしたり、アート系の研究室でOAしながら作品作ったり、起業の準備したり(失敗)、英語力を磨くためにオーストラリアにワーホリ行ったり…
実際、今でもこの選択は間違っていなかったと実感していますし、後悔していません。
他の部員たちにはできないだろう経験をたくさんできましたし、考え方や見方も少しずつ変化し、世の中にはいろんな選択肢があるということにも気づきました。
それと同時に、競泳からはどんどんと離れていき、その優先順位はどんどんと下がっていきました。
後悔していない、と言いましたが、正直なところ嘘です。
井芹も日記に書いていましたが、青春はあと少しが足りない、まさにその通りだと思います。
本音を言えば、京大水泳部の一員として、その役目を果たしてみたかった。
ミサさんや高校同期など、たくさんの人に「お前は泳げば確実に速くなる」そう言われ続けてきました。
そんな期待を裏切り続けてしまったこと、非常に心残りです。
だからこそ、後輩たちにこうはなって欲しくない、そう思います。
皆さんには、チャンスがあります、その資格があります。
水泳だけに本気で打ち込めるのは本当に最後です。
後悔しないようにしてもらいたいです。
水泳をできることへの喜びをもっともっと噛み締めてほしいと思います。
僕には見ることのできなかった景色がきっと見れると思います。
なんのために水泳を続けてきたのか。
その答えは、終わろうとしたその瞬間になって理解できました。
人に出会うため
僕の周りには何故かいつも良い人がたくさんいます。
本当に豪運の持ち主だと思います。
特に水泳を通じて出会った人、もれなく全員いい人たちでした。
こんな幸せなやついないと思います。
自分がとっても恵まれていることに気づくことができました。
心から続けてきてよかった、辞めなくてよかった、しがみついてきてよかった、そう思いました。
全ての人に感謝を申し上げたいと思います、本当にありがとうございました。
この場を借りて、個別に感謝を伝えたいと思います、口にするのは苦手なタイプなので。
両親
気がつけばこんなにも長いこと水泳を続けてこれました。
初めて体験に行ったあの日、窓ガラス越しに見たスイミングの光景は今でも鮮明に覚えています。
試合のエントリー代も決して安くはないですが、何十本、もしかすると何百本と試合に出させてもらいました。
合宿に、スイミングの交通費、夜遅くの送り迎え、弁当におやつに、何から何までサポートしてもらいました。
ありがとう、必ず弟と一緒に恩返しします。
先輩
時には厳しく叱っていただきました。
わがままな僕を見捨てず、声をかけてくださいました。
ありがとうございました。
実年齢は僕とあまり変わらなかったりしますが(時に年下だったり)、僕にとってはきちんと先輩です。
うまい酒のみに行きましょう、もちろん先輩の奢りで。
同期
ほんっとうに迷惑をかけました。
感謝の言葉、いくら言っても足りないくらいです。
続けるか悩んでた頃、潤に飯誘ってもらって元気をもらいました。
朝練前に電話で起こしてもらったりもしましたね。
クルミには最後の最後まで面倒を見てもらいました、ママありがとう。
コロナ時代のよーわからん健康観察表は全部クルミに助けてもらいました。
塩原、直己、井芹とはちょくちょく飯に行って、近況報告したり、時に議論したり、いろんなことをしてきました。
なんだかんだ、部活とのパイプ役を担ってくれたのはお前らだと思います。
ゆっくり旅行でも行きましょう、話したいこともたくさんあるし。
行き先は、今津か、長浜か、その辺ですかね
恥ずかしいので決して口にすることはないですが、みんなのこと本当にリスペクトしています。
きっと水泳以外のことにも力を発揮するんだと思います。
辞めずに続けてこれたのは本当にみんなのおかげです、ありがとう。
助けが必要な時は言ってください、うまい酒持って駆けつけます。
後輩、特に悩んでいる人
何かを諦める、という決断が間違いだとは言い切れませんが、続けたからこそ得られるものもあります。
悩んでいるなら、誰かに打ち明けてほしい。
近くの人でも、信頼してる人でも。
京大水泳部は、きっとあなたを助けるヒントをくれると思います。
陰ながら応援しております。
実は結果だけは欠かさず見てたりするので、笑
僕の水泳に携わってくださった全ての方々の未来が少しでも少しでも良いものでありますように。
この文が将来的にすごい価値になることは言うまでもないので、ちゃんと保存してくださいね。
ビッグな男代表 長野 史遠
2020-2021 努来勝
2021-2022 全進
2022-2023 青炎
2023-2024 総乱舞