基本、過去に振り返って考えたり、
悩んだりする人間ではない私にとって、
「引退日記」
はいかにも無理難題でした。
それに、国語なんて捨ててきた人生。
文章で、想いを書き表すなんて。
でも、4年間お世話になった京都大学体育会水泳部という空間を後にする前に、
先輩方と同じように記録を残すことが、最後の責任だから、と思って。
つたない言葉で、下手な文章で、何も伝わらないかもしれませんが。
では。
ありがとう。ごめんなさい
人生で一番大事にしようと決めている、2つの言葉。
先延ばしにしてはいけない、言い過ぎ!ぐらいがちょうどいい言葉たち。
これは何度も、時に突然、今までのすべてを捨て新しい環境での生活を強いられた経験から学んだことで、自分の中での約束でもあります。
だから、引退日記はここから始まります。
〈ありがとう〉
家族のみんなー
小さい頃から、いろんな経験をさせてくれて、
自分の決めた道を一緒に歩んでくれて、
自分の限界が見えない私を時に引き留めてくれて、
ありがとう。
大切な人に、「家族、仲良いね」って言われるのが、嬉しくて誇らしくて。
家族のこと外で話してるって知らんやろうから、こんなことも知らんと思うけど、、
元気いっぱい常に全力のみんなが一生の宝物です。
これからも5人で笑顔、咲かせましょう!
OB・OGの皆様
直接関わることのできた先輩方をはじめとする皆様の応援、サポートがあってこその京都大学体育会水泳部です。
先輩方の大きな背中を見て、目標を持ち続けることができました。
心から、感謝申し上げます。
フレンズー
ずっとずっと、応援してくれてありがとう。
ずっとずっと、味方でいてくれてありがとう。
しんどい時、絶対に自分からは相談できない、弱音は言わない私のそんなところまで
理解して、
様子見つつ話を聞いてくれて、
どれほど助かったことか。
みんながいたから、ここまで来れました。
やっと、やっと、ここまで来ました。
たくさん心配かけたと思うけど、
次は私がみんなを支えます
(みんなはもう十分支えてもらってるって言ってくれるけど!!!)
いっぱい遊びましょう!
Last but not least
「総乱舞」のみんな
学びのある、思い出に残る4年間を過ごせたと、心から思います。
ありがとうございました。
周りの人が笑顔でいることが一番の幸せ。
そう信じてる私にとって、みんなが楽しそうに部活に取り組んでいるのを見ているだけで、
嬉しかったです。もちろん、楽しいことばっかりじゃないけど。
全員がいてこその部活。
選手、マネージャー、トレーナー、みんなが部活を作り上げている大切な1人。
「選手がいなかったらマネできないんで」とか、遠慮でも、言わずに胸張って欲しいなって、
思います。だって、たしかにそうかもしれないけど、マネいなければ次につなげ、成長のきっかけが見つけられないし、トレーナーがいなければ練習の成果を結果に繋げることはできないと思います。お互い様ってやつ。
無限の可能性、無限の選択肢がある大学生という人生一度きりの期間に、
京大水泳部を選び、
ここまで支えてくれて、ありがとうございました。
本当に、本当であれば支えるべき立場なのに、
常にみんなに助けられていました。
心からの感謝を。
Thank you, from the bottom of my heart.
〈ごめんなさい〉
せっかくの引退日記、ここが長くてもな、と思うので。
思うこと、たくさんありますが短く。
みんなが知ってるここ2年くらいは実習で半分以上練習や試合に参加できず、
たくさん迷惑をかけたと思います。
ごめんなさい。
練習に行けてないのに、申し訳ない。
と、やりたかったことも、やるべきだったことも、
どうしたらいいかわからず、、、
結局あまりできてなかったな、と思うこと、たくさんあります。
本当に申し訳なかったなとおもいます。
ごめんね。
ここで今までを振り返って、悩んだこととか、思い出に残っていることとか、
書くのが道筋だと思うのですが、
今まで悩んできたことを書いて何かが変わるわけでもないし、
それがなくなるわけでもない。
頑張ったことを書くことで自分の中での価値が変わるわけでもないし、、、
なんか自分らしくない。
そもそも、言葉に表せないこともあるし、、、笑
「知らない」ままで、いい。
みんな、それぞれ陰で悩んでいて、苦しんでいて、努力していて、
周りから見たら小さいことでも心の底から喜んでいることがあって、
それがなんかいいな、って、
そこがみんなの良さ、輝きに繋がっているんだろうなって信じているので。
この4年間、たくさん悩んだし、たくさん頑張った。
ここまでこれた自分、えらい!
それでいいかなって。
絶対にこの時間が、いつか力になると信じて、前を向くことに決めたから、
4年間の振り返りはせず、
(ほんとうにどうしたらいいかわからないとき、何も参考にならないとは思いますが、
自分の経験を話すことはできるので聞いてください。元気づけることぐらいしかできませんが、、)
最後に1つだけ、大切にしている考え方を残して終わります。
――――――――――――――――
Stars can’t shine without darkness.
闇なくして星は輝かない
――――――――――――――――
私が、心に留めている言葉です。
スタッフをはじめとするいわゆる「裏方」の、結果には決して見えない努力があってこそ、選手は輝ける、
的な意味で使われることが多く、これももちろんそうだと思っています。
今のオリンピックでもそうですが、テレビで輝いている選手の裏には数え切れないほどのサポートがあって、オリンピックに出られなかった選手もいて。
自分たちの目に届くのはごく一部だけだけど、世界は決してそれだけじゃない。
目に見えないところでの、陰での力があってこそだから、その「陰」を構成する人も自信を持っていいの、って。
だって、いなければ「星」は輝かない。昼間には、星空見えないし。
もっと大事にしているのが、自分軸の中での考え方です。
人生、山あり谷ありというように、しんどい時も、これ以上なく楽しい時もあると思います。
今がどちらの位相なのかは、それぞれあると思いますが、
楽しくて幸せな時間は、悩み、苦しんだ時間があるからこそ楽しいんだと思います。
毎回試合でベストを出すのより、ずっと思うようなレースが出来ずに、やっとベストが出た選手の笑顔がとびっきり輝いているのも、しんどい時があったからこそ。
だから、今、先が見えなくて悩んでいる人は、いつか、必ず輝けるときが来ると信じて、ゆっくり自分なりに前に進んでほしいなと思います。
しんどい時は、休憩だってすればいい。それぞれにペースがあるのは当たり前。
無理だけはせずに!
水泳だけじゃなく、普通に人生歩む中で、このマインドセットがあれば無敵です。
私が保証します。
本当にありがとうございました。
ふがいない先輩だったと思いますが、ここでの経験は他にはかえられない、奇跡だったと思います。
今後、みんなが笑顔で毎日を送れますように。
京都大学体育会水泳部 森花来未
2020-2021 努来勝
2021-2022 全進
2022-2023 青炎
2023-2024 総乱舞
ついに引退日記を書く日がやってきてしまいました。早く引退したいってずっと思っていたのに、こんな早起き今すぐやめたいってずっっと思っていたのに、今更になってもうちょっと泳ぎたいとか、もうちょっと部室でダラダラしたいとか思います。一説によると、青春にはいつも時間が少し足りないそうです。“もうちょっと”が届かない、その儚さにこそ美しさが宿るのだと。そういう意味では僕の大学水泳は青春と呼んでも良さそうです。
約20年間続けてきた水泳を引退するにあたって、決して美しいばかりでなかった自分の大学水泳人生をなるべく正直に記そうと思います。極めて稚拙な文章となってしまった上、書きたいことがまとまらず膨大な分量になってしまっていますが、最後までご拝読いただけると幸いです。
高校ラストレースを優勝で飾り、水泳には特に未練もなかった井芹少年18歳は、運動がてら体験練習に参加することに。
井芹「京大水泳部って速いやつおるんかな?まあ俺JO選手やし余裕やろw w w」
塩原「ワイ、一応全中出てます。ニチャッ」
奥田「僕、半フリ23秒やで。ニチャア」
森花「うち、アメリカでベンチ70kg上げてたから。ニチャニチャ」
宮田「俺、全中個人で出てるし、国体も行った。ニチャリ」
井芹「ギャアアアアアア?!!!!(昇天)」
と、鼻くそレベルのプライドはズタボロにされ、全然チヤホヤされないので入部を渋っていました。結局、当時入ろうと思ってたテニサーのノリがきしょすぎて無理になり、幸登と潤が入部締切当日に軽くLINEくれたのもあって、あと先考えず軽い気持ちで入部しました。
特に目標もなく入部した自分はもちろん週6朝練に適応することはできず、来たい日だけ練習に来るカス部員になりました。水泳だけに有り余る大学生活の時間を注ぎ込むのが勿体無い気がして、ビートボックス、ウクレレ、詩、農業、酒、洋服、旅行、、、いろんな趣味に没頭しては飽きてを繰り返していました。サボってばかりだったので水泳部では少々肩身の狭い思いをしましたが、必死に生の意味を追い求め、もがいていたこの時期は自分自身を見つめ直すきっかけにもなる大切な時間でした。
ただ、生きる意味を模索していく中で、自分が本当に満足するためには、水泳で結果を出さなければいけない、と当時サボりながらも薄々気づいていました。高校生の頃、あんなにも憧れた京大に入って、友達も趣味も彼女もいて、満たされたはずなのになぜか物足りない、楽しくない。幸せな瞬間を頭に浮かべると、2日前の飲み会ではなく、関東で決勝に残ったシーンが思い浮かびました。瞬間の快楽は虚しさを先送りにしてくれるだけで、人生に恒常的な幸福をを与えてくれるものではない、と頭では理解していました。練習行かなきゃ行けない、本当に、頭では分かっていたんです。
それでも、意志力も継続力も皆無だった自分は冬の出席が月2回程度にとどまり、ついに大学2度目の冬を越せず、文字通り2年連続で冬眠してしまいました。起きたいのに起きれない。もはや起きたいのかどうかも自信がない。どっちかっていうと寝たい、眠い。でも起きなきゃ。。。(2 hours later) あれ?空が明るい。ああ、今日もダメだったのか。こんなことを何回、いや、何十回と繰り返しました。
思い返せば、高校までのレールの上をたどりながら、わかりやすい“正解”に従う人生とはうってかわり、大学に入ってからはやるもやらないも、頑張るも諦めるも、なんでも全て自分で決める必要がありました。持て余すほどの自由の中で常に選択を迫られ続け、そしてその選択肢の中で楽な選択肢にばかり流れてしまう自らの弱さを目の当たりにする毎日でした。自由な校風とはよく言いますが、当時の自分は“自由による苦しみ”に苛まれていました。抜け出し方のわからない苦しみの矛先を当時の主任や友人に向けたこともありました。
ここまでが僕のいっちゃんサボってた時期の自分なりの振り返りです。サボったことについて後悔が全くないと言えば嘘になりますが、自分には必要な時間であったと自分のなかで納得しています。
① 池田屋大
1回生夏、裕道(松田の兄)さんに連れられ池田屋へ。「少食なので中サイズ行けるように頑張ります」の声も虚しく大の札を渡される。挙げ句の果てに「俺もう食ったから出てるわ」と店に1人取り残される。命の危機を感じながら麺だけなんとか食べきり、肉は少し残ってたけどスープに沈めて見なかったことに。逃げるように退店。その後、公園で悩みを聞いてもらった。
② 黒すぎる直己
踏水会バイトでガキ(西垣ではなく、ホンモノのガキ。)を相手にしている最中、ガキは俺(当時18歳)のことを25歳とほざきやがった。ゴリ睨んだ後に、直己を指差し「この人何歳に見える?」と聞くと、ガキは「わからん!黒人!」と叫んだ。これより悲しそうな直己の顔は後にも先にも見ないであろう。TKMY氏は責任を持って直己が2度とこんな顔をしなくて済むよう努めていただきたい。終電に乗りながら「私は直己さんを幸せにしたいんです!!」と叫んだこと、忘れてはいない。そしてその後、筆者を非常に困らせたことも、、、
番外編1終わり
毎年夏が近づくにつれてモチベが上がってくる自分は、3回生になるタイミングの和歌山合宿から本気を出して練習に取り組むようになりました。水泳部のために頑張りたいという気持ちが少しずつ芽生えてきたのもこの頃です。気温が上がるにつれて練習頻度も上がってくる自分は調子も上がって一度だけ裕一朗さんを○すことに成功しました。水泳ってちょろいカモと思ったのも束の間、、、
対抗戦の結果は散々でした。
関国は400IMでベストも出せず裕一朗さんに負け、200IMは予選落ちして情けなすぎて直己とこっそり泣きました。(当日に捻挫した2回生の関国から2年連続悔し涙を流す結果に。)今思えば、冬泳いでないくせに、直己と並んで泣く資格はなかったように思います。カンカレの2コメも湧強は残ったのに自分は予選落ち、結局、2コメも4コメも昨シーズン長水ベスト0に終わりました。
このまま終わったら絶対後悔する。感謝を伝えたい先輩は全員引退してしまった。このチームのために自分ができることはなんだ?
3回目の夏が終わり、最上回になるタイミングでさらに本気で水泳に向き合い、改心の一撃をバチボコにぶちかますことを決意しました。この先は関国MVS日記と重複します。とにかく、みんなとする水泳が楽しくて楽しくてたまらない。チームのために頑張る水泳ってこんなにも楽しいのかと気づきました。早起きは相変わらずしんどくて何度か遅刻もしたけれど、大学3年目にして初めて冬を越せました。
それと同時に自分の中で3回後期からは生活的にも精神的にも余裕が出てきて、部活全体を見ることができるようになりました。かつての自分のように、モチベに悩んでいる人はいないかな、ちゃんと練習頑張れてるかな、水泳楽しめてるかな?自分のことで精一杯だった頃は見えてこなかったみんなの苦しみや悩みが少しだけ分かるような気がしました。頑張ってる人をもっと上に引っ張るのは潤や幸登の仕事、元カス部員の自分の仕事は「部活がしんどい人にとことん寄り添う」ことだと思いました。絶対1人にして置いていかない、みんなが気付けないSOSにも気づいて寄り添う、自分が先輩にやってもらったことをそれ以上で後輩に返す、そう決めました。結果、これに関してはどのくらいうまくできたのかわかりません。たぶん、何もできていません笑。璃子とか大月とか杏美とか竜飛とか、自分よりそーゆーの上手にできると思うので頑張ってください。きっと、いいチーム作りには“置いていかないための努力”が必要で、引っ張る人間とは別で後ろから支えてあげられる人がいた方がいいと思います。
またまた番外編です!ふとした瞬間をお裾分けします!ニチャア
③ 堀、ミコノスに逃げる
2回生春、ミコノスの新歓に招集され、到着すると見たことのある顔が。堀である。一昨日まで水泳部入部しますって言ってたのに、見事にその場ではミコノスにも入ると言ってのけた。そう、新入生の得意技、二枚舌外交である。これだけでも十分に許せないのだが、なんとこの男、新歓に美女を連れてきていた。彼女は別でいるという。2股間外交か、Fu○k。この時、もし部活にも入ってきたらDV男というデマを流して女性からの信頼を地に落とそうと決めた。今日も堀は日本のどこかで女を殴っている。知らんけど。
④ 萌来、うどんを踏む
3回春、しょうとめぐの歓迎会を行った。めぐ様がうどんを嬉々として踏む姿は、3回男子のドM心にドストライクでこの後のカラオケも大変盛り上がった。めぐ様争奪戦の暫定勝者はシオンで、恋人繋ぎをしていた(諸説あり)。そして同日、筆者もビンタをされた(諸説なし)。この日から始まった戦いは未だ終結しておらず、のちに100年戦争と呼ばれたとかそうじゃないとか(諸説あり
番外編2終わり
前述のとおり、自分は弱いです。ジョージ風に言ったら厳しいです。腹筋も誰かとやらなきゃ頑張れないし、試合のアップの脈上げも、マネさんいないとしっかりあげきれません。ストレッチ嫌いだから、トレーナーにほぐしてもらわんと疲れ抜けません。そんな人間たぶんこの京大水泳部で僕しかいません。
だから自主練の際には、周りを巻き込むか、京大以外の練習(医水とか神大とか)に参加させてもらうことを意識していました。神大に行く時はあえて細見潰す!と過激派を演じていたし、医水の練習では練習生なのにたぶん1番声出して鼓舞していた気がします。参加させてもらってる身ででしゃばりすぎたかもしれません笑。京大でも、練習後の腹筋とかバタ足とか、自分の無茶振りに付き合わせてしまった人も多いかなと思います。
でも、そうやって周りを巻き込んでいくことで自分も頑張れるし、それが周りにもいい刺激を与えられるんじゃないかなって思います。それは自分の強みだと思うし、この文化は後輩にも引き継いでいって欲しいなと思います。自分は弱いし厳しいけど、弱さに向き合い続ける強さとそのための手段を持っていたのかなと思います。
そして最後の対抗戦シーズンが始まりました。一年しっかり照準を合わせて準備してきた関国。苦しい練習も、大嫌いな早起きも、練習後の腹筋も、冬場のバタ足も、この日のためにサボらず腐らず続けて来ました。そして、人一倍みんなの助けを借りているからこそ、感謝を結果で示したいと思っていました。
結果は、みんなのおかげで目標の表彰台に乗れました。
待機場所戻った時のみんなの喜んだ顔、一生忘れません。表彰台からの景色も忘れることはないです。みんなが手振ってくれて、横には合宿で一緒だったコシケンと泰志がいて、最高でした。水泳を続けて来て良かったと心の底から思えました。
この感動は、この興奮は、飲みサーでダラダラ過ごしてる人間には決して辿り着けない境地だと確信しました。サボってたあの頃からには想像すらつかない景色でした。頑張り続けたらみんなにも、そんな最高な瞬間が訪れるんじゃないかな。
一方カンカレはダメでした。4コメ後はヘラヘラするので精一杯でしたね。IM専として、レギュラーとして、最上回として、自分がするべき仕事を全うできず、申し訳なかったです。同期後輩に頼るしかなくて、情けなさと不甲斐なさでいっぱいでした。でもクヨクヨしてても時間の無駄だし、あと1週間しかないし、次がまだある今、やるべきは後悔じゃなくて反省、修正だと思いました。もう今は全国公のことしか考えてません。
来たる全国公、これが自分のラストレースになります。必ず、笑って終わります。どうか、見届けてください。
P.S. 全国公を終えて
この4年本当に多くの人と関わることができました。自分と関わってくださった全ての方に感謝を申し上げます。以下は特にお世話になった方々へ感謝を述べる場とさせていただきます。
はじめに京泳会の皆様、いつもご支援のほど、ありがとうございました。会計をしている際、OB・OGの方々にどれほど支えていただいているかを実感いたしました。これからは自分も支援する側にまわります。
先輩方へ
やる気なくて生意気でめんどくさい後輩だったと思います。ご迷惑ばかりおかけして申し訳ありませんでした。それでも自分を水泳部の一員として認めてくださってありがとうございました。ボッティさん、フナカンさん、キミさん、裕道さんは頑張れない僕の救いみたいな存在でした。自分がしんどい時期、京介さん、光彩さん、日下さん、裕道さん、裕一朗さん、日奈子さん、Pontenさん、諒聖さんは特に気にかけてくださったような気がします。ありがとうございました。日下さん、光彩さん、裕一朗さんは競技者としても僕の理想でした。みなさんには全然及びませんでしたが、関国の結果では少しだけ恩返しできたかなと思います。カンカレこそズボッてしまいましたが、最後の全国公まで足掻くつもりなので応援よろしくお願いします。引退したらお酒も飲めるのでご飯行きましょう。お誘いお待ちしています。
神大の皆さんへ
やしろ合宿、神大合宿、去年と今年のGW練の際はお世話になりました。泰志や細見とIMで切磋琢磨できて自分自身大きく成長できたし、神大の人と関わった時間は大切な思い出です。まじで、神大の練習がなかったら関国負けてたし細見おらんかったら練習頑張れてなかったと思います。感謝。そして今年の神大、強かったです、悔しいけど、本当におめでとうございます。でも京大も確実に強くなってます。来年は堀ちゃんたちが勝ちます。いいライバル関係でいてあげてください
他大学の皆さんへ
神大以外にも京都工繊大や阪大をはじめ、色んな大学の方と関わらせていただきました。試合のたびにみなさんと話すのが楽しみでした。タイムとか結構チェックして自分のモチベにしていましたし、いつも刺激を受けていました。ありがとうございました。特に、関西国公立のIM専のみんなには感謝しています。IMの後輩たちは京大の後輩と同じくらい応援してます。頑張ってね。
京大医水の皆さんへ
これを読んでいるかは分かりませんが、こんな部外者である自分を練習に参加させていただきありがとうございました。あの納泳会がなければ、堤と農交ネットで出会っていなければ僕の人生は全く違う方向へ行っていたと思います。医水の後輩の活躍も、とても楽しみにしています。
後輩たちへ
個別でメッセージを書くと膨大になってしまうので、みんなには手紙を全国公までに頑張って書いて最後の集合で渡そうかなと思います。とにかく言えることは、こんな先輩を慕ってくれてありがとうということです。あとは俺でこんだけ結果残せたんだからみんななら絶対もっと上に行けます。頑張ってね。
同期へ
最初はちょっとやって合わなかったら水泳部やめるつもりだったのに、みんなのおかげでここまでこれました。ありがとう。俺も色々迷惑かけたし、他にも色々あったけど、本当にこの代でよかったと思ってます。日記にコメント残します。最後全国公、みんなで笑って終わろう。
この4年間振り返れば楽しかったこと辛かったこと、色々ありました。
日記を書いているなかで、冒頭では「美しいばかりではなかった大学水泳人生」と綴りましたが、本当はその全てが美しく、眩しすぎる日々であったと感じている自分の本当の気持ちに気づくことができました。
この日々を手放したくないなぁ
やはり、間違いなく京大水泳部は自分の青春です。
みんな、素敵な青春をありがとう!!!
京大水泳部、愛してます!!!!!
京都大学体育会水泳部 井芹琢人
2020-2021 努来勝
2021-2022 全進
2022-2023 青炎
2023-2024 総乱舞
選手としての引退はまだ先になるということで、「主任引退」として日記を書かせていただきます。
GO京大日記として、気軽にお読みください。
多分他の引退日記に比べてカロリー控えめです。
西垣は知らん。
選手引退の日記は然るべき時が来たら書きますので、今しばらくお待ちください。
1年間、なんやかんやありましたが、なんやかんや主任の責を全うすることができました。
主任になることに決まったのは2回生の12月で、それからというもの、落ち着くことなく駆け抜けてきました。
色んな人に支えてもらいました。ありがとうございます。
そんな日々もやっと終わると言うことで、ホッとする気持ちがある反面、心にぽっかり穴が空いてしまいそうな、そんな喪失感もあります。
この主任としての時間は、今までの人生で、そしておそらくこの先の人生でも1番濃い時間だったと言えるんじゃないかと思っています。
前に日記で書きましたが、僕はみんなのことが大好きです。
この京大水泳部が大好きです。
そして競泳が大好きです。
うーん。
いや。
やっぱ大好きは盛ってるかも。中好きくらい。
ともかく。
みんなに、心から競泳を楽しんでもらいたい。
そんな思いでこの1年間色々と取り組んできました。
なんだかんだ言っても、やっぱり速くならなきゃ楽しくありません。
勝負に勝てなきゃ楽しくありません。
みんなが速くなるためにはどうしたらいいか、強いチームになるにはどうしたらいいかを考えて、自分にできることをやってきたつもりです。
この先もっとチームが強くなっていくためにトレーナーを発足しました。
チームを引っ張っていける人がもっと増えていってほしいと思い、少人数グループ制を始めました。
みんなが協力してくれて、少しずつチームが強くなっていくのを感じました。
そして迎えた関国。
チームの雰囲気も最高で、結果としてここ数年で最も優勝に近づくことができました。
みんなで頑張ってきた成果だと思います。
ただ、まだ終わりじゃない。
明日から関カレです。
僕には関カレ1部昇格という目標があります。
京大を、あの関西最高峰の舞台にもう一度導きたいという願望があります。
知っての通り今年も厳しい戦いになると思います。
それでも。
どれだけ近づけるか、みんなで挑戦したい。
最後まで諦めず、勝ちにいこう。
勝つつもりで臨まなきゃ、勝つための経験なんて得られない。
ぶちかまそう。
ぶち上がろう。
覚悟はいいか。
GO!!! 京大!!!!!
2023→2024 総乱舞
みんな飽きてきましたよねごめんなさい、、
【感謝】
要所要所で感謝を述べてたので内容被るところがあると思いますがご了承ください。
1つ上の先輩
まず、トレーナー発足を許可してくださり、トレーナーのことを受け入れてくださり、本当にありがとうございました。
2回生の2月から急に入ってきた、ど初心者の私を暖かく迎えてくださり、頼ってくださり本当にありがとうございました。私は先輩方のことが本当に大好きで、先輩がいらっしゃった時は本当にのびのびと楽しく部活をやらせてもらってました。
そして、引退されてからも、試合に応援来てくださったり差し入れくださったり、連絡をくださったり本当に力になっていました。
現役部員にはあんまり言えなかったけど、先輩方に話を聞いてもらうことで気持ちが楽になりました。引退されてからもたくさん話を聞いてくださった裕一朗さん、優二郎さん、加奈さん。本当にありがとうございます。
もうみなさん様々です(;ω;)
ネガティブな話ばっかり聞くのしんどいと思うのに、親身になって聞いてくださった皆さん本当に感謝しています。。
後、今まで出会った人の中でもトップレベルで熱い想いをもってらっしゃると思ってたひなこさんに、「萌来は裕一朗に次ぐくらい熱い思いをもってる」って言ってもらったこと、話すたびに萌来は熱いって言ってくださったこと、めぐの他人の熱さを肯定してくれる感じに救われてたって言ってくださったことは、熱意を持続させないとって言う頑張る機動力になってました。ありがとうございます。
それ以上のOBOGさん
日々のサポートに加え、OBOG戦の時やいろんなイベントごとでの声かけが本当にパワーになっていました。
皆様のおかげで、不自由なく部活を行うことができています。本当にありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
家族
急に水泳部に入ると言い出した私を、受け入れ、応援してくれ、協力してくれた家族。
お母さんには水泳部入るのやめといた方がいいって言われたけど押し切って入った。
家族全員、びっくりしてたけど、私がやるって決めたら全力で応援してくれた。
七帝で泳ぐのもやめた方がいいって言ってたけど、萌来が頑張ってるの知ってくれてたから家族全員見に来てくれた。いつも誰よりも応援してくれる家族が本当に大切で、本当にありがたかったです。ありがとう。あまり家族に悩みを相談することはないけど、いてくれるだけで心の支えになってたし、部活で孤独を感じても、家族だけは自分の味方をしてくれるって言う自信があったから頑張れた。こはるにもほんまに何回助けられたやろか。
やっぱり史上最高の家族です!だいすきだ〜
後輩
最上回生でチーフトレーナーで女子最年長やのに、鬼弱メンタルで、感情コントロールが下手くそで、空回りばっかりして、迷惑ばっかかけて、頼りない先輩でほんとうに申し訳なかったです。。
恩を返すどころか、みんなに助けてもらってばっかかの1年だったなと思います。
ほんとにありがとう。
私は上述の通り、先輩だいすきっ子なので、今までの人生で後輩のことがだいすきだって思うことは多くありませんでした。むしろ後輩は苦手な分類。
ここまで後輩が愛おしいと感じたのはこれが初めてです。おばさんになったんかなぁ。笑
本当に全員のことが愛おしくてかわいくてだいすきでした。
3回生
みんなが1回生の時に私は後から入ってきました。それなのに、先輩として認めてくれ、トレーナーとして認めてくれ、たくさん頼ってくれてありがとう。トレーナー発足に反対だった人もいたかもしれないけど、文句を言わずについてきてくれてありがとう。個性が強くて明るくて元気いっぱいな3回生のことが私は大好きです。1年半ずっと一緒に部活ができてよかった。新体制、色々大変なことがあると思うけど、みんなで協力しながら乗り越えていってほしいです。何かあったらいつでも相談してね。無理だけはしないでね。みんなのラストイヤーが輝かしいものになることを心から願ってます。
1・2回生
強くて優しくてかわいい子達ばっかり。もっと一緒にやりたかったなぁ。
君たちと話してる時間は本当に癒しでした。まだまだ水泳部人生長いです。焦らず、ゆっくり、水泳を存分に楽しんでください。そしてよりよい京大水泳部を作り上げてね。
3回生の言うことは聞くこと。困らせないこと。皆でサポートしてあげてください。
私は1,2回生を水泳部で過ごすことができなかったから、みんなを見てると羨ましいなと思うことがたくさんありました。みんなはこれから何年かかけて水泳を頑張っていくんだと思うと、同情する気持ちと、こんなにかわいい子たちと何年も部活できるの羨ましいなという気持ちが出てきます。みんなが楽しく部活できることを切に願ってます。
2回生のみんなは、2個下とは思えんくらいフレンドリーに絡んでくれて嬉しかったぁ。2回生はほんまにいい学年やなって思います。もしどっかの学年に入れてもらえるってなったら2回生に入りたい。全員いい子で、優しくて、面白い。ほんまにかわいい後輩でした。ありがとう。
そして、1回生、体幹モビリティよく頑張ったな。私はいつも感動してた。ウエイト早くやりたいやろうに、ひたむきに体幹頑張るみんなはすごくカッコよかったよ!1回生とは3ヶ月くらいしか被ってへんのにモビリティのおかげで結構みんなと話せて私はほんまに嬉しい。1回生が4回生になる頃どんな風になってるのかほんまに楽しみです。みんなの成長をもっとそばで見たかったなってすごく思います。これからも1回生らしくパワフルに頑張ってね。
マネさんズ
マネさんたち。本当にありがとう。たくさん迷惑かけたと思うけど、トレーナーを頼ってくれてありがとう。あんまり頼りにならへん上回生でごめんな。
マネさんたちはほんまにすごい人ばっかで、後輩やのにいつもいつも精神的にも、技術的にも助けられてました。
辛い時もかわいいマネさんたちと話すととても心が安らぎました。
マネさんたちはさすがマネさんという感じで、自信を無くした時、つらいときにマネさんに声かけてもらったら、すごく元気が出ました。
これから、辛いことたくさんあるかもしれんけど、抱え込まずにいつでも頼ってください。私はみんなに恩返しがしたい!ほんまにありがとう。みんなだいすき!
トレーナー仲間
たぴくん、わっち。1年間、ありがとう。
チーフが宮田くんから私に変わって、全然リーダー力はなくて迷惑かけるくせに、色々厳しく言うようになって、ストレスを感じたんじゃないかと思います。ごめんね。
でも私は、本当に2人がいてくれてよかったってずっと思ってました。頑張り屋さんで優しい2人が後輩で、本当に良かった。ありがとう。
こんな素敵な子達が直属の後輩であることが本当に誇らしかった。
私のことをいつも守ってくれてありがとう。2人の優しさには何度も救われました。
二人は部員からの信用も厚いし、すごく頼りにされていると思います。羨ましいくらいに。自信もって頑張ってな。
これからは二人が中心にトレーナーチームを運営することになります。二人で協力して、無理はせずに、辛いときは辛いといっていいんやで。いつでも飛んでいくから。
愛ちゃん、聖羅ちゃん、ひろなちゃん、陸太朗くん、まきまき。
こんなにすごい子達が新たにトレーナーに入ってくれて本当に嬉しかった。その反面、私みたいになんもできないやつがチーフをやってるのが申し訳なかった。何もできないくせに、連絡は厳しくて、ストレスが溜まったかもしれん。
でも何も言わずについてきてくれてほんまに嬉しかった。仲良くしてくれて気にかけてくれて嬉しかった。またこんなに素敵な子達がトレーナーに入ってくれたことが嬉しくて、誇らしいです。
部活引退に当たって、トレーナーの後輩たちともう部活ができないというのが一番寂しい気がします。もっとみんなといろんな話したかったし、みんなと一緒に頑張りたかったなって思います。
時には厳しいことがあったかもしれないけど、私はトレーナー全員のことが本当に大好きです。
わっち率いる新生トレーナーチーム。
当たり前のことを当たり前にできる集団であってほしいです。
「やってあげる」じゃなくて、「やりたいからやる」って思えるトレーナーであってほしいです。(パッパと内容被ったねえ)
みんなから信頼してもらえるチームであってほしいです。
うまくできないことがあっても、一生懸命考えることが大事だし、誠意は、必ず相手に伝わると思います。
これらは、私がずっと心に置いてたことです。
そして、最後にもう一度私からみんなに伝えたい想いです。
みんなでもっともっといいチームを作ってください。
4人も抜けちゃって不安かもしれないけど、みんななら絶対大丈夫です。
応援してます。
何かあったらなんでも言ってください!トレーナーのみんなの為ならなんだってできる気がする。
ついてきてくれてありがとう。本当にありがとう。
これからもちょいちょいお世話になると思うのでよろしくね。
同期へ
まずは、途中入部の私を同期として認めてくれ、輪に入れてくれ、仲良くしてくれてありがとう。歓迎会をしてくれたのは本当にうれしかった。
いろいろ迷惑かけてごめん。何があっても仲良くしてくれてた同期、本当にありがとう。居させてくれてありがとう。新体制になって、みんなでいろんなことを考えて、より良い方に部活を変えてくれたと思います。しっかり話し合える学年で素敵やなと思っていました。変えるというのは勇気のいることですが、いい方に進んだのではないかと思っています。
どの学年よりも同期のレースに一番心動かされたし、一番応援したいって思えた。みんなが活躍すると本当に嬉しかったし、悔しそうやと、私も悔しかった。みんなの頑張りを1回生のころから見れてたらどんなに良かっただろうって何度も思いました。
みんなが作ってくれたチームは、素敵なチームでした。ありがとう。そして3年半、本当にお疲れ様でした。
くるみちゃん、さくら、同期に2人がいてくれて本当によかった。
初めは、2人があまりにも仲良いから、2人の仲に割り込むの申し訳ない、とか思って距離をとってしまっていた気がします。
女子の同期が3人しかいないから、仲間はずれにならないように2人が気を遣って無理に仲良くしてくれてるのではないか、という意識が強かったから。
実際そうやったんかもしれんけど、年月を経るうちに、2人の仲に入れてもらうのが申し訳ない、と思っていたのが、2人の仲に入れてもらえるのが嬉しい。に変わって行きました。
ほんとに2人が快く仲に入れてくれて、いっぱい話してくれて、いっぱい話を聞いてくれて、いっぱい笑ってくれて、いっぱい頼ってくれたおかげです。
大会の時、2人にコンディショニングお願いされる瞬間が1番嬉しかったです。
全員人健で、全員違うコースで実習時期が違ったりして、3人揃う瞬間がとても少なかった分、3人揃った時はとても嬉しかった。本当にありがとう。
しっかり者で責任感が強くて優しくて頑張りやさんな2人にいつも刺激もらってた!
ほんまにありがとう。
南利パパ
圧倒的に長い水泳歴と、スタッフ歴でみんなからの信頼をみるみるうちに築き上げ、文句なしのスーパースタッフだなといつも思っていました。先輩スタッフがいなくなってしまって不安がいっぱいだった私からすればパパがいる日の朝練は救いでしかなかったです。圧倒的な信頼感で、唯一の甘えられるルートでした。パパにはいろいろと本当に頭を悩まされましたが(笑)、本当に感謝しています。ありがとうございます!
水谷くん、宮田くん、まずはトレーナーを作ってくれてありがとう。そして何にもできなかった私をトレーナーチームに入れてくれてありがとう。2人が女子トレーナーもいてくれたらうれしいって言ってくれたおかげで入部を決心出来ました。3人やったときからは考えられないくらいにいろいろできるトレーナーチームになったな。人数もどんどん増えて大きくて立派なトレーナーチームになったな。本当に2人のおかげです。これからもずっと続くチームになるといいね。本当にありがとう。
全員へ
いつもたくさん絡んでくれて、いじってくれて、仲良くしてくれて本当にありがとう。
みんなの愛のあるいじりがとてもありがたかったです。
最高に笑わせてもらいました。どんなに辛い時も、みんなの会話を聞いてるだけで楽しかったし、みんなを見てるだけで口角が上がりました。
入部当初なぜか浸透してた「めぐ様」キャラから気付けば、あら、、、?笑笑ってなってたけど、今の感じになってくれてほんまによかった笑笑(泰地くんはめぐ様呼び初志貫徹してくれてありがとね笑笑それはそれで嬉しかったよ)
4回生になってからいじりが加速した気がするけど全部愛として受け止めてたし、慕ってくれて嬉しかった笑笑
まじで狂うぐらいムカつくことが何度かあったけど、それも含めていい思い出かなぁ〜。
私が泳いでたら一緒に泳いでくれてありがとう。教えてくれてありがとう。応援してくれてありがとう。
そして私をトレーナーとして認めてくれてありがとう。
頼ってくれてありがとう。
辞めたいって思った時も、頼ってくれる人の顔が、ありがとうって言ってくれる人の顔が浮かんできて、この人たちのために頑張ろうって思えました。(何回言うねん)
今辛いって思ってる人、辛い中でも文句言わず頑張ってる人はほんとにカッコいいよ。
でも、辛い時は誰かを頼って欲しいです。1人で抱え込まないで欲しい。いつでも話聞きます。それでも辛ければ、一度ゆっくり休んでみるのも手だと思いますよ。
こんなに近くでアツい日々を見届けられて、一員になれて、本当によかったです。
水泳部で過ごした日々は、私の人生にとって本当に大切でかけがえのない日々になりました。
きっと何年後かにあの時頑張ってたなってすごくいい思い出になるんだろうなぁ思います。まさか大学でまたこんな本気になれることと出会えると思ってませんでした。ほんとに嬉しい。
ついてきてくれた皆さん、本当にありがとうございました。
私もみんなを少しでも元気に、笑顔にできてたらうれしいなぁ。
ほんとは一人一人にメッセージ書きたいけど、ひとりにつき4行に収めたくないし〜
院試終わったら後輩全員に手紙書いて部室に届けに行こうかなと思ってます(^ν^)
口だけになったらごめん(・∀・)
想いは相手に伝えてなんぼ!精神です。ちゃんと渡せてよかった!読んでくれた人ありがとう! 夏季長お疲れ様!
【最後に】
次期チーフトレーナーはわっちです。
わっちのこと困らせたり、悲しませたりしたら許しません。どこからでも飛んでいって、鬼人めぐ発動するからね!
みんなわっちのやさしさに甘えないようにね。
わっちに、幹部に、3回生に!協力してね、約束です。
今ある環境が当たり前だと思わず、いろんな運営をしてくれる幹部や日々メニューを考えてくれるメニュー係やスタッフのみんなにたくさん感謝して、それをぜひ伝えていってほしいです。
その感謝の言葉で救われる人がたくさんいると思います。笑顔であふれる部活にしていってください。
本当にいろんなことがありすぎて、「水泳部」に入ってよかったと胸を張って言うことはまだできないけど、水泳というスポーツに関われたこと、水泳部のみんなに出会えたこと、トレーナーを経験できたことは本当に良かったと思っています。2023/2/18 入部3日後くらいの初めての全体ミーティング
2023/8/12 全国公最終日
2024/6/19 トレーナーコンパ
2023/8/12 全国公最終日 12人全員揃った奇跡の晩餐。4回生全員写ってる写真これしかない。
2024/6/30 関国2日目
本当にありがとうございました。
後2週間、全力で楽しみます。
京都大学体育会水泳部4回生 山岡萌来
2022→2023 青炎
2023→2024 総乱舞
・:*+.\(( °ω° ))/.:+
そしてOBOG戦。
この試合に裕一朗さんがいてくれてほんとに良かったです。だいすきな先輩のレースをもう一度見たい!コンディショニングしたい!!って気持ちがあったからここまで頑張れた気がします。
この試合、みんなめちゃくちゃベスト出てて嬉しかった。王座も奪還できた。OBOGさんのコンディショニングしたらすごく感謝されてとても嬉しかった。また来年もお願いします。と言ってくださる方がたくさん。
MVSのささむがわざわざ「めぐさんのおかげです。」と言いにきてくれて、本当に嬉しかった。
試合の後、同期の何人かでご飯に行けたのも嬉しかった。
OBOGさんのコンディショニング頑張ったご褒美に水谷くんがシュークリームを買ってくれました。
少し前を向くきっかけになった試合でした。
その次の日に、私の大切な後輩のまみちゃんが退部することが決まりました。
当初は12月までは頑張るって話だったので、11月末ぐらいにご飯でも行って話を聞こうかなって思ってたんですが、力及ばず、予定より早めの退部となってしまいました。それもすごく辛そうで。
私の運営方針が誰かを苦しめていたのではないか、私の考えが良くなかったのではないか…
まみちゃんの退部は本当に悲しかったです。
OBOG戦で一区切り、と思ってたけど、まみちゃん抜けるのに私がここで抜けるわけには行かない。
あと竜一くんがこんなに頑張ってるNFのシフトに穴を開けるわけには行かない。とりあえずNF後まで頑張ろうと思いました。
ここで蘇る、水谷くんに言われた言葉
「チーフでよかったね、チーフじゃなきゃ絶対辞めてたでしょ」
そっか、チーフじゃなければ休部できたのに、と思ってたけどチーフのおかげで繋ぎ止められてるのか。チーフでよかったかもなぁと。
NF終わったら休部しようと思ってたけどギリギリのところで少し前進でき、休部するほどではないかって思えて、もう少し頑張れるって思えるようになりました。
NF以降、トレーナーでは連絡漏れとか期限遅れとかが多発し、かなりのストレスがありました。人生でこんなに怒ることはそうそうないってくらい怒り狂ってたこともありました。特に上回生に関しては、一緒に引っ張って欲しかったのに、引っ張るどころか上回生としての自覚が足りてないじゃないかと思うことがたくさんありました。
余裕がなかった私は結構強めに怒ってました。
細かい一つ一つの言動が積み重なって、萌来さん怖いと言う噂が広がり、会う人会う人に言われました。自分が言ってることが間違ってるのか?と不安になるし、なにより何言っても裏を読まれる状況がストレスでした。
今はネタとして流せるようなことも、あの当時は真剣に受け止めてしまってかなり思い悩みました。
テスト期間中に一生懸命作ったトレーナーのインスタ投稿のスライドはたくさん問題があり、没になってしまいました。誰か代わりにやってくれないか、代わりいないなら今週は無しにしてもらえないかと聞いたけどわっち以外全員に無視されました。無視=やれよってことかと思って結局自分でやり直したけど、それも原型留めないくらい修正することになりました。
みんなが私のために修正を教えてくれる時間も勿体無い気がしたし、こんなんなら私やらない方がマシじゃないかって思いました。そして何より、無視されたこと自体が悲しく心細かったし、誰も協力してくれないっていう孤独感を感じてしまって(今考えたら大袈裟すぎるって思うんですがあの時はもう冷静さを欠いてたせいで本気でそう思ってました。被害妄想乙ですごめんなさい)、トレーナーチームが本当に苦痛でした。(わっちありがとね)
こういう状態の中、当時コンスタントにコンディショニングに入ってくれてた幸登くんが話を聞いてくれたことや、泰地くんがよく気にかけてくれて、定期的に元気ですか?って聞いてくれたおかげで心が救われていました。2人は特によく頼ってくれてました。頼ってもらえるだけでも存在を認めてくれてる気がして本当にありがたかったです。
ゆるがんばろ〜の桜、ごっしー、れいかちゃん、川根くん、ひらはるちゃんはほんとに真面目で、練習頑張ってる人たちばっかで、この班のみんなをサポートしたいって思えたのも本当にありがたかったです。筋トレもいつもみんな来てくれて、一緒に頑張れるのが嬉しかったです。怪我をした時とか、可動域を上げたいとか、気になることがあったら、水谷くんに聞いた方が信頼できるに決まってるのに、私に聞いてくれて。頼ってくれたのが本当に嬉しかったです。この人たちのために頑張りたいと思えました。
総乱舞カップ優勝の時のやつ。川根くんいないけど(/ _ ; )
この後2連覇しました。凄すぎ。
ささむのめぐさんのおかげでベストでました発言も、絶対私のおかげではないけど、そんな風に言ってくれる人がいるんだと、光となりました。
朝練行くたびにゆきかちゃんがめぐさん〜って絡んでくれるのが嬉しかったです。ゆきかちゃんはいつも喜んでくれてる気がした。めぐさんご飯行きましょうって定期的に誘ってくれるのも本当に嬉しかったです。
12月のある日、急に前が大きく開けました。
練習に行くだけで感謝してもらえる、こんなにも気にかけてくれる人がいる、ずっと慕ってくれる人がいる。よく思わない人のことばっか見るんじゃなくて、私を慕ってくれる人を大切にしようって思いました。
「12/27(水)世界はしあわせの宝庫」の日記の時です。
ただの連絡係でも、これでトレーナーがうまく回ってるんやから、私はこれでいいんだ。私には私にしかできないことがあるし、自分なりに頑張ればいいんだって思えました。
私を見てると元気が出るって言ってくれる人が何人もいました。
私はスーパーポジティブでその人がいるだけで笑顔になれる、元気になれる、そんな人が好きだし、そんな存在に私がなれるならなりたい!!って思って、みんなといる時はみんなを元気づける、パワーを送れるように頑張りました。
年明けからはついに長期実習が始まり、部活と関わるのは全体ミーティングだけになりました。強制的に部活と距離を置けたのがすごく良かったです。早く戻って、みんなに恩返ししたい。引退するまでに部活に何かを残したいって思うようになりました。
3月には春室や合宿があり、楽しくてやりがいもあったし、特に、合宿ではいろんな人と話せて嬉しかった。
そこからまた実習が始まり、2ヶ月間、土曜日しか練習行けない日々が続きました。
後輩たちが本当にしんどそうだったのに、実習地が遠かったせいで、なかなか話を聞いてあげることもできない、土曜日の練習に行くくらいしかできないし、そもそも新歓期で、スタッフ2人休部してる状況で私たちの実習がはじまってしまい、自分自身が更なる負担になってしまってることが本当に申し訳なかったです。でもみんなが頑張ってくれたおかげでいっぱい新入生が入ってくれたし、スタッフもたくさん増えて本当によかったです。ありがとう。
私自身は、チーフのお仕事はわっちに代わりにやってもらってたし、練習も週1の朝練のみで、部活のことを考える時間がとても減って、すごくメンタルが回復しました。
この頃にはトレーナーチームもすごく協力的になってくれてたし、連絡漏れもほとんどなくなり、トレーナーの仲間は心の支えになってました。お守り作りにトレーナー全員来てくれた時は感激でしたね。ほんとにありがとうございます。
実習が終わってからもいろいろあり、なんて生きづらい世の中なんだって絶望したこともあったけど、部活に行けば、ほっとんどの人たちが慕ってくれてるのがすごく伝わってきたし、新しく入ってくれた一回生たちも本当にいい子ばっかりで、マイナス要素を打ち消してもらえてました。
関国はすごく楽しくて、みんなの活躍を見届けられるのが嬉しかったです。想いを届けられた気がした。一緒に悔しがったり、一緒に喜んだりするのが楽しくて、コンディショニングした人が活躍してるのを見ると、少しでも貢献できた気がして嬉しかったです。
つらいことがほとんどだったけど最後まで残ってこの姿を見ることができてよかった。逃げなくてよかったと思えた大会でした。
水泳がすき、水泳部がすきって楽しそうに練習してるみんなを見るのが幸せでした。そして心の底から羨ましかったです。
水泳がしんどそうな人が、自分に負けじと懸命に頑張ってる姿は、こみ上げてくるものがありました。
みんなの頑張りをそばで見てるのが楽しくて、光栄で、だいすきなスポーツに関われてるのが嬉しかったです。
人をサポートするのが得意ではないので(むしろいつも助けられてばっかの人生)、スタッフは自分には向いてないと思ってましたが、やってみると、自分ができない分、サポートすることで私の想いものせてみんなが戦ってくれてる気がして、応援が力になってくれてたらいいなって思えて、少しはスタッフに向いているんじゃないかって思えるようになりました。めぐ(さん)の応援聞こえたよとか、力になったよとか言ってくれる人がたくさんいて本当に嬉しかったし、大きくて通る声を持っててよかったって心から思っています。
ありがとうと言ってもらえるだけでもう少し頑張ろうって思えました。どんだけ辛くても、優しい部員に何度も助けられたことがあったから、その恩を返したいという想いで頑張ることができました。本当にありがとう。
みんなには感謝してもしきれません。
ふりかえり長くてごめんなさい〜。
【トレーナーとして】
入部当初は何もできてなくても仕方ないで許されるけど、それじゃ嫌だと思って、マッサージのやり方とかストレッチのやり方とか自分ですごく調べてたのが懐かしいです。
技術的なところがわからない分、筋トレの記録表とかコンディショニングの予約の仕方とか、システム的なところをよりよくするために努めました。
筋トレも、初めはベンチプレス、バーさえ上がんなかったので、これじゃ補助もできないいいいいL;゙゚’ω゚’):
人に指導するのに自分ができないようじゃ説得力がないいいいいいい(;´д`)って思って、多い時は週3日筋トレに行って、みんなに「やらせるだけ」の人にならないように頑張りましたねぇ。
代替わりの頃にはドライのメニューを考えさせてもらったり、総乱舞班で、個別にトレーニングを処方したり、だいぶトレーナーっぽいこともできるようになってきました。
技術的なところで未熟な分、選手にもスタッフにもたくさん声掛けして、相談しやすい、話しやすいトレーナーであることを心がけました。
実習に行って、少しは理学療法的な考えもつけることができたし、考える力がついたように思います。
水泳も、だんだんこのタイミングでこの筋を使うからここが疲れるとか、そういうのがだいぶわかるようになりました。
水泳速い人がどういう泳ぎ(骨盤とか肩の角度とかそういうやつ)をしているのかっていう知識もついてきました。
これってなんですか?って聞いてくれる人もたくさん出てきたし、どうすればいいですかって頼ってくれる人もたくさんでした。
マネ業も、技術的にもメンタル的にもだいぶ成長できたと思います。
なんなら泳力も成長できた笑笑
入部当初からは考えられないくらいできることが増えました。
入部してすぐの頃の私に教えてあげたい。
まぁでも正直もっとできたんじゃないかと思う気持ちもあります。
要領が悪く、なんかいつも時間がない〜て思ってたけど、もっと筋の勉強とか、トレーニングの勉強とかできたやろって思います。
チーフトレーナーも、去年できた役職なので、これが正解だったのかはわからないし、もっとできることもあったかもしれません。チーフとして何ができたかと聞かれたら何をしてないような気もします。
入部当初、水谷くんに山岡さんには女子選手のことを主に任せたい、的なこと言われたのに、女子アスリートへのアプローチ方法とか、結局何も会得できず終わってしまいました。。これはかなり悔しいです。
目標だったスーパースタッフには到底及んでないですしね〜(o_o)
と言うことで引退後の目標でも言っとこうかな。
水谷くんにも負けないような、みんなに頼ってもらえるようなそんなトレーナーになるために、もっとトレーナーっぽい勉強頑張ります。そろそろ水谷くんの秘書ポジション辞めたい。もっと対等に話せるようになりたい。
あと筋トレ頑張ります。
腹筋割ります。
ベンチ体重くらいあげたい。
今は見た目ふにゃふにゃのただのJDやけど、見た目からわーっこのトレーナーさんすごく信用できそう〜って思えるようなトレーナーになりたい。
あと当然、院試、卒論、国家試験頑張ってちゃんと理学療法士の資格取って、大学院生で新しいトレーナーチームで活躍できるように頑張ります!!
これからもトレーナー業は続けていきたいなって思えていることがとても嬉しいです。
ふりかえりであんだけネガティブなこといっぱい書いたけど、トレーナーのお仕事自体を嫌だと感じたことは一度もなく、トレーナーは本当にいい役職だなと思っています。
視野は広くないし、スポーツやってきてないからみんなの気持ちがわからないこともあるけど、自分の人生にとって、大きな成長となったし、未来への希望が膨らんだ1年半でした。
Part3へ続きます。。
すみません。