文字数多くなっちゃってるんで日記分けました。続きです。
結局、関カレで100の全国公標準は切れたものの、全国公のエントリー対象となるレースでは自分に課し続けたプレッシャーに押し潰されて、最低目標すら達成できませんでした。
関国では自分の中に溜め込んでいた感情が爆発してしまい、多方面にご迷惑をおかけしました。
ただ、ここへ至るまでのプロセスに関しては、間違ったこともあったとは思いますが、誇ってもいいんじゃないかと思えるようになってきました。
とにかくこの1年間は
禁欲と試行錯誤
で片付けられる生活を送りました。
練習はもちろん、日々の体幹トレーニング、日常生活における栄養管理、睡眠時間の管理、酒断ち、揚げ物断ち、ラーメン断ちなどなど。最後2つは正直ゲン担ぎだと思います。
また、パフォーマンスに支障をきたすかもしれないと感じる遊びは割と断っていました。
付き合い悪くなっていたと思います。
やってちゃんとガス抜きになることはともかく、楽しいことをするとレースにおける自分の運気が逃げていく気がしてしまって本気で楽しめないし、それやったら行かん方がええかなって考えでした。
試行錯誤については、練習と体幹トレーニングと食事ですかね。
色んな本やらサイトやらを読み漁ってそこから引っ張ってきて、自分に合うもの合わないものを取捨選択してってのをラストイヤーはやり続けました。
メニューで速い大学から引っ張ってきたものがあったのは確かですけど、脳死で引っ張ってきてた訳ではありません。
速い選手って体力ベースが自分と違うし、練習にかけられる時間も違うしってことで、脳死で自分がそのままやっても絶対速くはなりませんよね。
なぜその人たちはそのメニューを取り組んでいるのかを考えて理解して、自分のポテンシャルに見合ったメニューに落とし込んでいく作業は欠かしませんでした。
この作業をやらないと、才能もセンスもない自分はこれ以上絶対に速くならないと確信していました。
というのも、3回生の時点で自分の記録は頭打ちになっていました。
一回生の関カレが55.25で、三回生の関カレが55.0
一回生の頃は体力が完全に戻りきっていないことを考えると全く伸びていません。
別に三回生の頃に練習をサボっていたわけではなかったんですが、このタイムが単に頑張るだけじゃダメだという証拠です。
とにかく結果が欲しくて、日々我慢と試行錯誤の毎日。
ベースが確実に上がっていることを確信しながらレースでは気持ちが先走って結果を出せず。
冷静になれという自分の口から出た言葉をレース前の自分の体が全く聞き入れてくれませんでした。
緊張しすぎて全身痙攣したりとか、目の前が真っ暗になったりとかもありましたね。
実力を発揮できたと思えたレースは特に冬場は一度もありませんでした。
終わった後は毎回悔しくて仕方がなくて、水泳どんどん嫌いになるし、休部したいと考えるまで萎えたりとか、一人でブチ切れたりとかしていましたが、我慢して現状から逃げずにその日のうちにレースプランの見直しやフォームの反省点、日常のトレーニングプランの見直しをやっての繰り返し。
何回やったことか。
今考えると、本当にあの時逃げずに我慢してよかったと感じています。
あれが関カレに繋がったんかな。
ということで、ラストイヤーの自分のタイム変遷を振り返らせてください。
冬場の短水路のレースに関しては本当に一度も良いところがなかったんで、毎試合悔しすぎてタイムをはっきり覚えていません。
なので、俺って短水路苦手すぎるだけじゃねってポジティブに切り替えて臨んだ6月初旬の関チャから。この試合はガッツリテーパーをかけました。
結果は54.56。
この時期にしては悪くないタイムだったと思います。
ただ、全国公まで0.10。悔しさしか残りません。
飛び込み落ちてたところをちゃんと飛んでいれば、、とか。
翌週の京選では連戦の疲れからか54.80とタイムを落としてしまいました。
ラストチャンス、背水の陣で臨んだ7月の関国。
3レースで55.3, 55.0, 54.9。。。
本当に情けなかったです。
この試合に自分にかけていたものも大きかったですし、
なによりたくさんの人から声かけて励ましてもらってたし、別に自分が自身に課した目標を達成することがその人たちへの恩返しになるなんか1ミリも思わないですけど、これだけ期待して自分のレースを見てもらっていた中で実力を発揮し切れない自分の弱さに心の底から失望しました。
あの時の感情は本当に忘れられません。
関国が終わって、1日だけ完全に気持ちが切れました。
自分に失望したのが理由だと思います。
でも確実にチームの最大目標である関カレまでの日は近づいていってて、しかも自分の最終目標が関カレであることを思い出して、無理矢理自分からやる気を引き出していきました。
関カレ1週間前の七帝戦。短水路で54.3。
関チャから泳ぐたびに遅くなっていて、関カレへの不安は半端なかったです。
そんなこんなで関カレを迎えて、正直タイム出せる自信は全然なかったですけど、律希さんが4回生の関カレで結果残されていたのを思い出して、ラストイヤー補正で何かしらの奇跡を期待して臨みました。
初日の半フリではタイムは悪かったですけど調子は悪くないかもしれないという感覚は掴めました。
チームは1日目のyirとか2日目の2コメのミサこのかペアの大ベストなどノリに乗っている。
なんでもええから便乗させてくれ!ってことで3日目の1フリで縁起良さそうな光彩のメッシュキャップを借りました。
結果 54.43。
ベスト0.13更新&自分の最低目標の全国公長水路0.03切り。
決勝は54.19で0.24足らず。
しかし、毎レース遅くなっていたことを考えると、十分奇跡だったと思います。
いつもとレースプランを変えたとはいえ、後半の粘りはいつもの自分ではなかったと思います。
何度萎えることがあっても、逃げずに現実に立ち向かい続けた結果がようやく出てくれたかな。
タイムの伸び率はともかく。
レースが終わってからスタンドが自分に手を振ってくれているのって人生で初めて見ました。
競泳人生の最後にこの名状し難い感情を味わえてよかった。
水泳を完全に嫌いなままで辞める羽目にならなくてよかったです。
とにかく、
大学水泳頑張ってきてよかった!!
全国公は言わずもがな全力尽くします。