お疲れ様です。4回生フリー面の馬場です。
とうとう自分が引退日記ですか、
あんま実感ないです。
一応先に伝えておきますと、直前に考えるのが嫌やったんと、8月院試勉強せなあかんなということで引退日記既に結構前に書き終わってたんですけど、昨日不注意でメモをデリートしてしまいました。復元もできません。
なので、記憶を辿りながら書き直してます。
でも結構前に書いてたんで記憶がほとんどありません。ほんまに関カレ直後とか。
めちゃくちゃちゃんと書いてたんです。
ちゃんと書いたっていう記憶だけがしっかり残ってます。
ほんまに最悪。。
どんだけ文句言っても復元しないんで、とりあえず書き進めていきます。
引退って言葉で、ようやく終わるんかとか色々エモくなることはありますけど、咄嗟に思い浮かんだことは、
もう5時40分起床生活せんでええんや!
ってことでした。浅はかですみません。
後輩たちはこれからも早起き頑張ってください。
俺は、引退してからは旅行とかのタイミングでしか5時台には起きません。
冷静に考えてみると、コロナ禍での休部もありましたが、大学生にもなって3年半5時台に起き続けてたんってほんまに意味わかりませんね。
冷静にならなくても意味わからんけどね。
従兄弟には頭おかしいと言われました。
ほっといてくれ、
話は変わりまして、今日をもちまして馬場’s メニュー最後になりました。
皆さん1年間本当にありがとうございました。
自分は週3でメニュー担当していて、ほんまに時間がない時とか誰か代わりに作ってくれと思ったこともありましたが、一応職務は全う出来たと思っています。
メニュー刷り忘れたのは今週火曜日の一回だけ。
悔やみ切れん一瞬の抜かり。。
完璧に終わらすつもりが、、
すみませんでした。
それはともかく、今年1年で自分の作ったメニューの数なんぼかなって調べてみたところ、総数…
110
3桁に感動しました。
そのうちパソコンから消すんで、もし欲しい人いれば全部あげますよ。
引退日記書いていきます。
まず初めに
めちゃくちゃ気持ちの弱い俺の心の支えとなってくれた、先輩方、同期、後輩には本当に感謝しています。
先輩方でしたら、直接応援してくださったり、DMで連絡いただいたり。
現役部員でしたら、レース直前にわざわざ俺のところまで来て激励してくれたり、レース前日とかにラインでメッセージくれたりだとか。
嬉しかったです。
話は逸れますけど、俺個人に対してだけでなく、チーム全体でそういう流れが出来ているのも気分がよかったですね。
3年半京大水泳部という組織に在籍して、色んな姿を見てきましたが、今のチームって今までで一番、チームの殆どの人が他のチームメイトのレースに興味を持てている気がします。
応援隊長を昔やっていて、コロナ禍で声出し応援の文化が無くなってそれぞれが他人のレースを注視することが無くなるのかと危惧してましたけど、
むしろあの時よりも割と全員がチームメイトのレースを見ていると思います。
ベストコールとかが無くなったことで、自分からその人のベストタイムを調べたりだとか。
チーム力はかなり強かったと思いますよ。三木くん。
話を戻します。
同期、後輩でしたら、俺の110 個のメニューのほとんどを一緒にやった、さくら、このか、かなちゃん、ゆきと、でかいのは特にありがとう。
去年の夏からずっと一緒に練習して一緒に倒れ込んで、特にお互い励まし合う言葉とかをかけてあっていたわけでもなかったと思うのですが、妙な絆を感じています。
俺だけやったらごめん。
ショート面コンパ企画してな。
@ゆきと@でかいの
先輩方でしたら、直属の先輩ではありましたが、自分は3つも下なのにずっと気にかけてくださっていた律希さん、2歳上のさだみさん、ありがとうございました。
律希さんのDMは毎度毎度本当に心強いです。
あと、今では競馬カスに成り下がったシンシーも一応。多分応援してくれてた。
うまく結果に繋がらない苦しみとかを理解してくれてたんかな。
知らんけど。
てかシンシー砲ネタ切れなんとかしろ。
皆さん、俺は解放されました。
飲みに行きたいです!
最後になりますが、OB OGの方々、金銭面などにおいてこれまで多大なるご支援ありがとうございました。
これから自分も毎年納金していくつもりです。
踏水会の補填してもらってた分はせめて納金しないとなと思っています。
金利の発生しない銀行だと思ってるんで、せめて借金は返します。
ここからは自分の大学での水泳部人生を思い出していこうと思います。
一回生
全国公の4継で飛び込む前に4回生(当時)に握手してもらってなんか感動しすぎて全身の力が抜ける。
NFのガイコツネタでIQがかなり下がる。
(地球大爆発、ポケモンでGo!他)
ネタの内容は俺以外の先輩から聞いてください。
ラーメン巡りで1時間で池田屋に2回並ぶ。
池田屋に2回連れて行った張本人の極悪3回生(当時)2人がラーメンを残す。本当に許せなかった。
自分は無事に不死鳥となる。
ここら辺のエピソードはろくなことない。
二回生
コロナ。
めちゃくちゃ頑張ってた最中、部活動が途絶えて一回完全に競泳のスイッチが切れて真剣に辞めようと考えた。
本当にギリギリで持ち堪えた。
三回生 夏まで
あと一年であることを自覚。
全国公へばってドチャクソ悔しかったから翌年のリベンジを誓った。
ラストイヤーのことを多く語りたいので、そこまではあっさりとまとめました。流し読みで大丈夫です。
8月に一個上の代が引退されて、ラストイヤーに突入しました。
ラストイヤーの自分の目標に、最低目標として、50と100の2種目で全国公の個人標準を割ること、そして最終目標として関カレ2部の決勝で戦える力をつけること(100で53秒前半を目安)を掲げて、達成するまで練習はもちろん日常生活においても一切妥協しないことを心に誓いました。
最低目標について、全国公へは毎年出場してましたが、リレー要員で個人では出場出来ておらず自分の力のなさを毎年実感させられ、自分のプライドのために、団体権という他力本願チックな出場の仕方ではなく、自分の力で出場したいという思いから、
最終目標については、対抗戦で点数に絡めない自分に毎度毎度苛立ちを覚えており、自分も京都大学というチームに属して対抗戦を戦っているんだという存在意義を感じたかったんだと思います。