アフリカ行くつもりが普通にコロナなってました。10日間まじで暇すぎた、さすがに懲りたぜぇー無限の退屈ってのは死にたくなる。(雨のシリュウ風)
差し入れしてくれたみんなアリガト!
嬉しかった〜〜
アフリカ行くならケープタウン行きたいなぁ。
カラフルな街並みで写真撮ったり120円くらいで入れる博物館行ったりしたい。
あとは砂漠も一応観光したいかなぁ。
砂漠って無限に砂あるだけで暇そうやけど百聞は一見にしかずとか言いますし、すごかったらアレなんで。
お疲れ様です。松田です。
いつも通り適当な書き出しで始めてしまいましたが、どうやら引退日記らしいのでそれっぽいこと書いていこうかなと思います。
自分に書くことも、書く資格もない、と苦悶しましたが、、、
今思えば僕はほとんど誰とも水泳の話をしたことがなかったですね。
とりあえず水泳部での人生を軽く振り返りながらみんなへのメッセージというか、思いでも書けたらなと思って、この日記を書いています。
高校の時、大阪府大会を100Ba1分11秒23で終え、ベストには及ばないものの競泳という種目を心からやりきったと思いました。競泳はもう二度とやらんと強く決意しました。
受験を終え、京大の合格発表を見に行った後、色々なクラブやサークルに勧誘していただきました。
テニスサーの新歓に5回くらい行き、スキー部の新歓に3回くらい行きました。
僕の1個上に当たるゆうとさんとも合格発表の日にラインを(一応)交換して水泳部の新歓にも行きました。
久しぶりの練習は思っていたより楽しくて、高校が同じだった神大の先輩や高校の顧問に強く勧められたこともあり、(あとテニサーの入部を断る名目として)水泳部に入部しました。
でも5月くらいになると、やっぱり競泳はきついし、しんどいし、おもんないし、二度と競泳やらんと決めた高3の僕の意見を素直に聞いとくべきだったと後悔しました。(早い)
競泳という競技から気持ちは離れながらも当時の先輩にはめちゃくちゃ可愛がっていただいたこともあり、ヌルヌルと水泳部に所属し続けていました。
そんな中で2年生になるとコロナで部活停止になりました。
部活停止になってもみんなは毎日のように練習に励む中で僕は半年間1回も泳ぎに行きませんでした。
みんなとは競泳にかける熱意も時間も違うと自覚したし、水泳部以外のコミュニティもできて、水泳以外のことが楽しすぎて、水泳部を辞めようと決意しました。
9月くらいに練習が再開したものの、練習に行く気力が出ず、かと言って完全に競泳を捨てる勇気も出ず、しばらく休部していました。
しかし日記で中込さんやキミさん(今では考えられないですね、(笑))が早く水泳部に戻ってこいと言ってくれたことや、当時初々しかった裕一郎たちの日記を読んでいるとまた頑張ろうと思いました。
一度辞めようと強く決意した水泳部に戻るに当たって、とりあえず絶対生涯ベストを出すと決めました。
大学に入ってから一度も生涯ベストを出していなかったので、競泳にかける熱意が低いのもベストを出してなかったからだと考えたからです。
今思うとこの頃が一番楽しかったかもしれません。吐くほどの努力はしないものの、ベストを出すために日々動画撮影に取り組み、自分の泳ぎの分析だけを行なっていました。
そんな中で大3の夏季公認に出場し、無事に100Baで生涯ベスト1分5秒を出しました。
光彩や中込さんが死ぬほど喜んでくれたことを今でも覚えています。
しかし僕には、1 mmも高揚感も嬉しみもなくて、ベスト出しても全然嬉しくない、ベスト出せなかったら辛い、練習はきつい(みんなと話すのは楽しかったよ)で、また競泳から気持ちが遠ざかってしまいました。
関国、関カレでレギュラーを頂いたものの、大ベスト出しても嬉しくないのに、ベストのために本気で努力するってことができなくなって、レースにも全く集中出来なくなりました。
みんなが期待してくれているのに、期待に応えられない、応えようという努力すらできない自分が本当に嫌で、嫌で嫌でたまらなくて、試合のたびに(実は)本当に辛かったです。
3年の関カレが終わり、僕らの代になって、8月、これ以上迷惑も掛けられないと思い、何度も京介と光彩に辞めさせてくださいと言おうと思ったのですが、どうしても言えなくて、愛する同期や、良くしてくれた先輩、不甲斐ない成績しか出せない僕と話してくれる後輩とのかけがえのない縁が惜しくて、手放したくなくて、ズルズルと水泳部に居続けてしまいました。
そんな思いを抱えたまま1年を過ごして気づいたら引退レースを終えていました。
3年生、4年生と僕は一度も(自分という尺度で相対的にも)良いレースをしなくて、それでも僕に良くしてくれたみんなには本当に色々な(感謝、尊敬、申し訳なさ、自責など)感情が込み上げてきます。
僕が水泳部に居続けた唯一の理由と言ってもいいのが、これを読んでくれているみんなに他なりません。僕はもう競泳のことをすきじゃなくなっていましたが、みんなのことは好きで好きでたまらなくて、手放したくなかったです。
そんな欲望のせいでみんなには沢山の迷惑をかけたかもしれません。この場を借りて謝らせてください。本当に申し訳なかったです、、
まだレースを残している同期や後輩の皆々様には本当に頑張ってほしいと思います。
競泳を純粋に楽しんで、ベストのために努力している同期や後輩のみんなはかっこいくて、僕にない才能を持ってて羨ましくて、本当に尊敬しています。
僕は勝ちにこだわることやベストのために努力するってことが出来なくて、練習でも試合でもほんまにみんながかっこいいです。
逆に、水泳のモチベーションがなくて悩んでいる後輩がいるかはわかりませんが、そんな人にアドバイスできる唯一のことは、みんなに相談するべきだと言うことです。僕は競泳が好きじゃなくなったって相談するのが怖くて、誰にも相談できなかったけど、今にして思えばもったないことをしたと思っています。僕らの周りにいる人は思っている以上にいい人ばっかで、どんな悩みでもきちんと聞いてくれるような気がします。
人生における羅針盤のような人がいるかは分かりませんし、僕は絶対に羅針盤のような人ではないですが、困っている人がいたら僕とご飯でも食べながら一緒に悩みましょ、
あ、あと後輩のみんなは真面目だからか知らないけど悩みすぎな人が多いかなと思います。高みを目指すのはもちろんいいことだし、尊敬しますが、目標に届かないからって自分を責めるのではなくて、自分のことももっと褒めてあげたらいいと思います。ありきたりな言葉でいうと結果は出なくても努力した過程は評価されると思いますし、それに、悩みすぎている時は一回立ち止まって自分のことよく見てみてほしいです、ここにいる後輩のあなたたち全員がほんまにすごいです。僕が保証します。みんなみんな僕の完全上位互換みたいな人ばっかなのに、悩みすぎて、立ち止まりすぎて、僕ですら掴めるような幸福を掴めないなんてことがないように気をつけてほしいです。努力している意味がわからなくなったり、真面目すぎて自分の価値に悩む後輩がいたらすぐ僕に話してください、いくらでも褒めれます。
他人のこと褒めてあげられる人ばっかりだから、自分のことも褒めてあげてください。
先輩の皆々様には本当にお世話になりました。同期の中ではたくさんご飯に連れていっていただいたと思います。水泳や勉強、日常生活のこと色々話していただきました。先輩方との時間は貴重で美しくて、代替不可能で、色々な意味でirresistibleな時間でした。水泳での期待に応えられなかった事は本当に申し訳なく思っています。図々しい後輩ですが、これからも色々な事でお世話になりたいですし、お世話してください(笑)
マネさんの皆々様、これまでの支援ありがとうございます。僕は毎日「ありがとう!」とか言うタイプではなかったですが、本当は感謝していました。マネージャーじゃなくてマネさんって呼ぶのが僕のこだわりです、(笑)
引退レースのコメントはiPhoneのケースに入れています、ずっと大事にすると思います。
主将や主任、主務などをはじめとして役職をしてくれた皆々様、OB、OGの皆々様もありがとうございます。僕は運営にほぼ関わらなかったですが、僕の4年間が皆さんの活動によるものだと理解してます。ありがとうございました。
少し場違いですし、読んでいるかも分かりませんが、僕の両親にも感謝を述べさせてください。水泳面では高校から成長せず大した結果も残さない僕のために一定の時間と資金を割いていただきました。ありがとうございます、お世話になりました。勉学では何か成果を残そうと思うのでこれからも見守っていただけると嬉しいです。
長々と書いてしまいましたが、要約するとみんなが大好きってことです。
あと僕を好きでいてくれた人がいるならば、本当にありがとう、、嬉しい
心から尊敬できるみんなに出会えたのが僕の4年間の意味だったと本気で、心の底から思っています。
P.S. 大好きな後輩たちに会うために、あと帰りにラーメン食べるために、冬とかに練習に(多分、自信はあんまないけど、多分)行くのでその時は暖かい目で見守ってください〜〜〜
2019‐2022
威新
搗精
努来勝
全進
1. 無題
飲み行こ