今シーズンを始めるにあたって、ある行動指針を定めました。「具体的で形ある、身体に近い領域への参入を」というものです。
このスローガンは意味と密接に関連するものなのですが、トピックがデカ過ぎるため、限られた分量の中でこれを説明しようとするとただの怪文書になってしまうような気がしなくもないですが、意味について何かしらの燻りを抱いている人に対して、少しくらいは示唆を与えられることを期待して、簡潔に私見を書き留めておこうと思います。
私たちは日常的な場面において、程度の差こそあれ、意味について問いを発することがあると思います。それは例えば、「水泳をやる意味ってなんなの?」とか「人生ってなんの意味があるの?」といった形を取ります。水泳部の媒体で書いているので、まずは前者について見てみましょう。水泳部では日々、選手たちはより速いタイムを出し、ベストを出し、レギュラーに入り、より大きな試合でより高い順位を取るために日々頑張って練習していて、マネージャーやトレーナーは選手のそうした目標を達成できるように奔走しています。水泳をやる意味とは、とりあえずは「より速いタイムを出し、ベストを出し、レギュラーに入り、より大きな試合でより高い順位を取る」ことだと言えます。これについては部員は概ね賛同するのではないですか?これについて公然と異議申立てする人はそもそも水泳部に入る必要があんまりありません。こうした意味は水泳部というコミュニティ内で前提視されています。では、今度は「より速いタイムを出し、ベストを出し、レギュラーに入り、より大きな試合でより高い順位を取る」ことの意味は何かを考えてみましょう。よくわからなくなってきますね。25mなり50mの水路をできるだけ速く移動することの意味?速く移動してそのタイムを競うことの意味はなんでしょうか。まあ例えば「ベスト出たり勝ったりしたら嬉しいから」とか自然な答えですか?では嬉しいから何なのでしょうか?人間が嬉しさや幸福を感じるという事象にどのような意味があるのでしょうか?問いまみれになってきてさらによくわからなくなってきました。これも例えば、あんまり答えになっている気はしませんが、「人間は幸せになるために生まれてきたのだ」とかよくある答えですか?ではさらに突き詰めて、人間が生きていることの意味とはなんでしょうか?あれ、冒頭に挙げた二例の後者に回帰してしまいました。
意味不明になったところで、今度は別の視点から意味について考察してみましょう。さっきまで扱っていた意味というのは、意義や価値、目的とも言い換えられるような、物事の意味でしたが、今度は言葉の意味について着目してみます。
言葉の意味も、よくよく考えてみれば実は難しいです。例えば、「リンゴ」の意味ってなんでしょうか?まあ普通に答えるならば、「赤くて丸い果物」みたいな答えになると思いますが、さらに、じゃあ「赤い」の意味は?「丸い」の意味は?「果物」の意味は?と問うことができます。「赤い」の意味は?と言われれば、「色が赤だ」としか答えようがないですが、これに対しても、「色」とは何か?「赤」とか何か?と突っ込むことができます。このように、言葉の意味は実は固定的に定めることができるものではなくて、実は無限にループしていくものなのです。無限の意味の連なりの先に、辞書的な「赤くて丸い果物」みたいな表層の意味が生まれてきている、みたいなイメージです。
意味の無限ループのほかに、言語にはどのような性質があるでしょうか。例えば、「上司」という言葉の意味を考えてみましょう。「上司」を説明する際、部下との関係性を抜きにして説明することはできませんよね。当たり前の話です。部下なき上司は存在しません。部下がいてはじめて上司が存在します(逆も然り)。ここから言えるのは、任意のAという言葉を考えたとき、Aはそれ単独で存在するのではなく、常にAでないものをセットとして持っているということです。
もう少し言語の性質について見てみましょう。今度は、蝶々を例にとってみます。蝶々と似た昆虫に蛾がいますが、我々はパッと見てどちらがどちらかまあ判別つきます。しかしフランスではそうはいかないらしいです。なぜなら、フランスでは蝶と蛾をひっくるめてパピヨンと呼ぶからです。フランス語において蝶と蛾は区別されていないのであって、それゆえ、フランス語を話すフランス人は、蝶と蛾を区別して認識することがないというわけです。日本語話者とフランス語話者とでは、同じ世界を見ているはずなのに、世界の切り分け方が違っているのです。この例から分かるのは、人間の認識が言語に規定されているということと、言語による世界の切り分け方は必然的なものではないということです。蝶と蛾が最初から独立したものとして存在しているわけではなくて、「ひらひらと飛ぶ6本足の生き物」くらいの感じで曖昧に存在していたところに、「蝶」と「蛾」という言葉が介入してくることによってはじめて両者が区別されるということです。言語以前に世界が存在しないということではなく、確かに世界は存在しているが、それはカオスとして存在しているに過ぎず、その混沌とした世界が人間に明快に認識される形で秩序づけられるのは、言語による恣意的な(ここでは「必然性を持たない」という意味)文節化の後です。つまり、ものが先にあってそれを指示する言語が後にあるのではなく、言語が先にあってその後にものが認識されてくるということです。
少々長くなってきましたが、言語の意味の性質について最後にもう一つだけ検討したいと思います。先に言えば、それは、言葉の意味は文脈によって規定されるというものです。簡単な例を出せば、「はし」なんかそうですね。音韻としての「はし」は複数の解釈が可能です。「はしに寄って」と言えばもちろん「端」ですし、「はしで食べる」と言えば「箸」ですね。あるいは、「はしを渡る」ならば「橋」になります。言葉は文脈次第で全く意味を変えてしまいます。他にも、こんな例があります。とあるドラマのワンシーンなのですが、主人公の男の子には好きな女の子がいて、その女の子から「好きな食べ物なんですか!」と聞かれ、威勢良く「ナポリタン!」と答えるシーンです。ところが実はその会話の前に、「好きな食べ物を聞くのはあなたのことが好きですという意味である」という話をしていたのです。この文脈を踏まえると、そのシーンは女の子から主人公への告白であったにも関わらず、主人公はその文脈をすっかり失念していたために、彼女の発言を文字通りの意味で受け取ってしまい、アホなことに「ナポリタン!」などと答えてしまったという理解ができます。言葉は決して辞書的な意味だけでは完結せず、文脈によって思いもよらぬ意味をも持ちうること、そしてその文脈を見落とせば当然そうした多様な意味も取り逃がしてしまうということの例です。
ここまで長々と言語の性質について論じてきました。①言語の意味は無限ループの中で転送されていくこと、②任意の言葉は否定を前提としていること、③言語が世界に先行していること、④世界が言語によって恣意的に文節化されていること、⑤言語の意味が文脈に規定されることなどを若干の具体例を交えながら駆け足で確認しました。この過程で言いたかったのは、言語の意味は一見最初から独立して存在しているように見えるが、実際のところはそうではなく、他の言葉との関わり合いの中で存在しており、我々がその言語の位置する文脈を見出すことによって、後から暫定的に解釈されるということでした。
さて、一段落ついたところで、さらに一歩進んで、あるいは一歩戻って、文化一般について検討してみたいと思います。ただ、文化一般といっても人によって頭に浮かべるものは様々ですので、「AとBを区別して、そこになんらかの価値判断を行うこと」くらいに適当に定式化しておきます。文化=価値の体系くらいの感じです。区別や価値判断は、言語によって行われます。先ほど述べたように、蝶と蛾という言葉を知らなければ、両者を蝶と蛾として区別することはできませんし、例えば「蝶の方が蛾よりも美しい」などと価値判断を行う場合にも、「美しい」という単語を知らなければそこに美しさを見出すことはできません。蝶の中に美しさを誘発する要素があったとしても、それを感じる人間がいなければ美しさという価値は存在し得ないし、また、美しいという言葉がなければ、蝶を見て感じたえもいわれぬ感情を、醜さなどから区別して文節化することはできません。つまり、人間の文化は言語によって構築されていると言えます。したがって、人間の文化についても、先ほど見たような言語の性質が如実に現れています。
そのことを、水泳において簡単に例証してみましょう。上で検討したように、水泳の意味について考えれば、次々と問いが連なり、無限に後退していきます(ベストを出すこと→ベストを出すと嬉しい→人生の目的は幸福→人生の意味→…)。これは「りんご」という言葉の意味を考えたときの特徴①と類似していますね。さらには、水泳をやる上で重要な構成要素となっている「速さ/遅さ」や「ベスト」という概念についても言語との類似性が見られます。本来タイムというのはあらゆる区別や価値判断から離れた純粋な数直線上の目盛に過ぎないはずなのに、そこにいつしか「速い」とか「遅い」とか、「ベスト」という意味づけがなされるようになりました。しかし、どこからどこが「速く」てどこからどこが「遅い」かというのは恣意的な判断に過ぎませんし、「速さ」はそれ自体で成立するものではなく、常に「遅さ」とのセットで成り立つものです。速いとか遅いという性質は、世界にはじめから存在するものではなくて、その言葉が導入されることによって後から切り出されてくるものなのです(ベストについても同様です)。これは言語の特徴②③④に対応しています。
ここで、別の側面から指摘しておきたいのは、人間文化の虚構(フィクション)性、あるいは物語性です。この世界の文化が言語によって構築されている以上、それは言語以前に存在しないものであるし、人間以前には存在しないものです。この世界の区別や価値判断は最初から存在しているものではなく、人間の言語によって作り出された虚構に過ぎません。言い方を変えれば、この世界には元々区別も価値も存在しないのに、人間が勝手にそれを解釈し、語っているだけなのです。文化には、根拠も必然性も実体性(ここでは「それ自身以外のなにものにも依拠せず独立して存在している」くらいの意味)も欠けています。(逆に、文化が、現在流通している形だけが自然で本質的なものであるという絶対的制度として立ち現れてくる場合に、それが人々に並々ならぬ抑圧の苦しみを与える例は枚挙にいとまがありません。人々からあらゆる抵抗の手立てを奪い、抑圧の苦しみしか与えないような制度は、全く妥当ではありません。ただ難しいのはほとんどの文化が抑圧的に働く一面を持っているという点です。とはいえ抑圧が看過されていいというわけではありません。)そう考えると、なんだか気分が悪くなってきます。なぜなら、私たちが意味がないとは疑いもしなかったこと、当然区別されて然るべきと前提視していたことが全く当たり前ではなくなってしまうからです。そうすると、世界から背骨が抜かれたような宙吊り状態に陥り、不安に駆られます。方向性を失い、くらげのようにぷかぷか浮かぶしかなくなってしまいます。
もう意味がわかりません。あらゆる区別と価値判断の無根拠性に触れ、どうすることもできなくなってしまいました。水泳どころか、生さえ、幸福さえ無根拠なのではないか?
しかし、ここで明らかになっているのは、この世の物事に意味など存在しないということではなく、意味の根拠を人間を超越した根拠によって論じることができないというだけのことです。この時点から私たちは、意味の実体性ではなく、意味の妥当性を問わなければならなくなりました。どのような意味に意味があると「私たちが」見做し得るのか。どのような意味に「私たちが」洗練さを見出すのか。意味とは、私たちを超越して存在するものではなく、私たち自身が文脈を見出して主体的に決定するものです(→特徴⑤)。
では、ものごとに意味を与える「文脈」とはなんでしょうか?文脈とは具体に他なりません。発話者と受け取り手の置かれている具体的状況のことです。文化の実践の場です。水泳に意味があることの実体的根拠は何か?そんなことを聞かれても誰にも分かりません。しかし「好きな食べ物はなんですか」が、字義的に捉えれば単に「ナポリタン!」と答えれば済むだけの意味しか持たないのに、それが発話された文脈を辿ることによって「あなたのことが好きです」という意味を帯びるように、水泳もまた一旦暫定的に「ベストを出すこと」を意味としておいて、その達成に向かってこだわりを持ってコミットする過程で、個別的な顔と名前を持った多くの人と出会い、関わる中で、自分一人では到底抱き得なかったパッションが生成され、そこに主体的に巻き込まれていくという具体的文脈を自ら作り上げていくことによって、単なる空虚な信仰に過ぎなかった「意味」に、確かな歴史的重みと豊かな感情の彩りが「後から」付与されていくのである。意味は実践によって形を得るのだから。意味とは、予め存在するものであると同時に、遡及的に見出されるものなのだから。こだわることによってこそ、人間的価値が宿るのだと思います。
そのような経緯で、「具体的で形ある、身体に近い領域への参入を」というけったいなスローガンを立てるに至りました。練習へのある程度真面目な参加、ブレ面MTGや朝パ、同期とのルネ飯、阪神合宿や中京、部室での交流、後輩とのご飯といった場に参入していったのは、それまでの思考態度があまりにも観念的であったことへの反省からでもあり、そのような個別的で具体的なひととの関わりからしか価値は重みを持ち得ないということへの確信に由来するものでもあります。
これまで書いてきたことを簡潔にまとめれば、人間関係の網の目の中でしか意味は見出されないというだけのことです。そのことに気づいてから、自分なりに、様々な代替不可能な文脈を撚り合わせ、積極的に意味を見出すためのテクストを多少は主体的に織り成してきたわけですが、関カレである程度の結果が出て嬉しかったです。たくさんの人に喜んでもらえて、応援してもらえて、嬉しかったです。いくつもの具体的光景が目に浮かびます。冒頭の水泳人生テンプレ振り返りは情感0で具体的人物も全然出てきてないですが、その行間には様々な人との鮮やかな記憶が確かに刻まれています。
さて、普段からこんなかったるいことを常に気にしながら生きているわけではなく、大体はもっと浅薄に生きていますが、引退日記ということで、ご容赦ください。
同期とは同じ3年半という時間を過ごしてきたはずなのに、ほとんどの時間を平部員として気楽に漫然と過ごしてきた私と、さっきまで長ったらしく書いてきたことも、言葉は違えど、あるいはもっと言えば言葉を介することなくはなから了解していて、その上で、多忙を極める中、もっとプラクティカルな問題に対して身を削って対処しながら、真摯にひとと向き合い真剣に水泳に取り組み続けてきた同期とでは全然その年月の洗練さと重みが違っていて、そのことに対する後悔と、水泳部に全然コミットできなかったことに対する申し訳なさはありますが、それでもたくさんの人との関わりがあり、その中で多くのことを感じ、経験できたことに、感謝するばかりです。そういえば、全国公の最後に雑に話していたのは、そういうことです。
ガキさんリスペクトと言いつつ、ガキさんよりは少し長くなってしまいました。
僕の京大水泳部は大体こんな感じでした。
い〜ざさ〜らば〜〜*
*琵琶湖周航の歌、一番最後の一節。
お疲れ様です、永井です。
引退してから暇です。やるべきことがないわけではないですが、やる気が出ないので何もしていません。
この日記もそうで、ほんとはもっと早くあげるつもりだったのが、夏季長も出てないのに夏季長後にあげることになってしまいました。インカレに向かう道すがら書いています。みんな頑張ってね!
最近は何もしないのはどうかと思い、5月に入校してから一度も行ってなかった普通二輪の教習に通っています。ただこれも自分から行こうという気になったというよりは、全然来ないことを心配した教習所がわざわざ「大丈夫ですか?来れそうですか?よければ予約お取りしますよ」などと配慮のお電話を入れてくれたからです。宝池優しいですね。
教習所は普通に宝池に通うのがいいと思います。松崎にあるんで結構北に思えますが、チャリで行けばすぐ着きます。教習所の北正面には五山の送り火のやつの一つである妙があってなんかいいです。送り火の当日は敷地を近隣住民に対して開放してるらしいです。
僕を担当してくれた教官のテクニックがどう考えても上手すぎたので調べたら、世の中には全国の教習所の教官が参加して技能を競う大会が存在するようで、彼女はその全国大会の二輪部門で6位に入賞していました。本人の運転が上手いだけでなく、アドバイスも的確で、教える方も上手かったです。
ちなみに、その全国大会は鈴鹿サーキットで開催されたらしいのですが、実は僕は鈴鹿サーキットで走ったことがあります。車で走ったわけでも、バイクで走ったわけでもなく、普通に足で走りました。毎年多分12月にマラソン大会が開かれていて、中学生のころ、それの2キロのやつに参加したのです。みんなでコスプレして参加したらその写真が次の年の公式ポスターに使われていました。2キロなんて余裕だろと思っていましたが、鈴鹿のコースは普通に傾斜キツくて、超しんどかったです。あとワカメみたいな黒いウニョウニョが腐るほど落ちていて、何かと思ったらタイヤカスでした。消しゴムのカスと一緒で、レースしたらタイヤのゴムが熱で溶けてカスになってサーキットに散らばるわけですね。
二輪の教習は普通に楽しいです。
私が書いているのは引退日記でした。引退日記って普通に至難の業というか、3年半の経験って膨大なので、何を書いて何を書かないのか、その取捨選択が難しいですし、どのような文体で、どのような目的で書くのか、どのくらいの分量を書くのか、色々ぼんやり考えていたらこんな時期になってしまいました。考えた結果、ブレ面の後輩としてガキさんリスペクトで行こうと思います。
〜高校
JSS中川という地元のスイミングスクールに通っていた。やたらみんな速かった。JO出るのが当たり前みたいなクラブで、みんな体操の時間にバク宙とかしててどう考えても普通ではなかったと思う。高校からはみんな私立に行ってしまったので、僕は高校生1人で3つ下の中学生と一緒に泳いでいたが、普通に負けていました。
JSSグループにはグラチャンというクラブの全国大会があるのですが、それにすら一度も出られませんでした。何回か制限までコンマ何秒、みたいなことはあったと思うんですけど毎回きれませんでした。
という感じで、周りより全然遅かったわけですが、その環境が苦しいとかは全くなく(それが速くならなかった理由かもしれないが)、楽しみながらやっていました。僕の高校までの楽しい記憶のほとんどは中川で作られているといっても過言ではありません。今でも中川の、プールはもちろん、トレーニングルームやジャグジー、シャワー室、更衣室、ロビー、フロント、コーチ室、などなど、色々な場所で色々な人と過ごした色々な記憶をふと思い出します。
数年前に建物が移転して僕が通っていた中川は消失してしまったのですが。
才能がないと思い悩むこともありませんでした。どう考えてもみんなの方がより高いレベルで、より多くの量の練習をこなしていたので。
そういう環境で過ごしていたからか、昔から、自分のやっていることが「努力」に達することはなく、常に「努力風の別物」であるという意識があります。努力としては断じてオーセンティックになり得ないという意識です。かといって、それが「俺はまだ行ける、あいつらには負けたくない」というようなハングリー精神や競争心に転化するわけでもないので溌剌さに欠けます。
なんとなく、自分の持っているリソースの中で、これまでの最高を少しずつ更新できたらいいかな、くらいの緩い心持ちでやっています。エンジョイスイミング?
大学〜
全進シーズン
早起きを懸念して入部を渋っていたが、体験に行くとたくとさんに「俺みたいのでも生きては行けてるから大丈夫だよ」とかみささんに「入っちゃえ」とか言われ入部した。結局浪人で身体が完全に死んでおり、シーズン終わりまでベスト更新できず。
4回生とは半年ほどしか一緒にいなかったが、それぞれから鮮烈な印象を受けました。めちゃくちゃ寒い京大プールのプールサイドでひろみちんさんとめちゃくちゃ浅いゴムボートのお風呂に寝転がって、みんなが練習を頑張っているのをのんきに眺めながらしょうもない話をしたのをなぜかよく覚えています。
それとよくくさかさんが踏水会で練習後に残って色々泳いでいたのも印象に残っています。練習終わったら当時はトレーナーもいなかったのでストレッチもなく、朝パなり授業なりですぐ更衣室に向かう人が多かったような気がしますが、くさかさんはよく最後までプールにいたように思います。なんかそのときのことを覚えていて、最上回生になってからはできるだけ9時まで残って練習中にはあまりできないドリルなどをするようにしていました。気づいたらそれが普通の光景になっていて、9時前なのにプールに10人以上残ってたりすることもよくあっておーとなりました。僕は1限なかったのでできましたが、みんなは結構1限遅刻してそれやってるみたいでびっくりしました。
青炎シーズン
冬は若干死んでいましたがそれなりに練習もし、高校までのベストも更新できました。
3月の秋葉山合宿が終わってからブレの調子が良くて、春短ではベストは出るな〜と思っていました。それで普通にベストは出たのですが、1ブレが全国公の個人のチャレンジに引っかかっていたので人生で初めてチャレンジに出場しました。普通に全国公切りたかったのか、僕が1人で出るより2人で出たほうが僕の心の支えになると思ってくれたのか分かりませんが(そもそもなんで1ブレに出ていたのかも謎です)なぜか直己さんも1ブレのチャレンジに出ることになり、スタートリストを見ると隣でした。直己さんについていけば切れるぞと思いつつ、非常に気合を入れて泳ぎました。ベストも出て、そのときの全力ではありましたが、結果として専門ではない直己さんが標準を切り、僕は切れずというなんともいえない感じに終わってしまいました。
あきひろとゆうごが新入生として入ってきてレギュラーヤバスとなり、かろうじて関国は出れたものの、関カレと全国公は出れませんでした。関カレのレギュラーがかかった関チャはそれなりに練習してめっちゃ気合い入れましたが、普通に力んで死亡しました。ガキさんが関国で9秒台出していて、あきひろも多分関チャでは9秒出してくる予想だったので、10秒割を最低限の目標として臨みましたが、普通に10秒かかり、あきひろは想定通り9秒出したので関カレ出れませんでした。
総乱舞シーズン
なぜかあまり記憶がありません。同期の何人かで長江辺で辛い変な鍋を食ったのとか、地塩で鍋食べたのとか、直己さんにJK無限に奢ってもらったのとか、記憶に残っています。
知らない間に笹村さんが超速くなっててびっくりしました。
あとたくとさんが関国でベスト出して表彰台に上り、みんなでめっちゃ盛り上がったのもすごい覚えています。
堀スターダムシーズン
心機一転、ラストシーズンはそれなりに頑張ろうと思いました。距離泳ぐのはまあ10月からでいいか、ということにして、9月の間はドリルや飛び込み、ターンなど、技術面の練習をして、オフ明けへの準備をしました。特に飛び込みは引退したてのゆきとさんに色々教えてもらいました。飛び込み自体が顕著に改善することはなかったのですが、ゆきとさんが解剖学的な視点で解説してくれたおかげで、飛び込みに限らず、泳ぎのフォームや筋トレのフォームなど、色々な身体の動きに対して、解剖学的な視点でアプローチするきっかけを得ることができました。
技術面に限らず、オフ明けからの練習に際して、どのように練習を頑張ればいいのか、それぞれのメニューに対して、どのような目的意識を持って取り組めばいいのかということについても運動生理学的な観点から、ゆきとさんに色々教えてもらいました。メニュー係をやってくれていた同期やしっかり考えて練習に取り組んでいる選手にとってはもう常識だったのでしょうが、トレーニングカテゴリーについて全然理解できていませんでした。メニューにトレーニングカテゴリーが追加されてメニューの下に簡単な解説表がついたのも総乱舞シーズンからだったと思いますが、あまり気にせずただ漫然とイージー/ハード/フォームくらいの意識で適当に練習していました。色々教えてもらったことで、最上回生になってようやくメニューの狙いを意識して練習に取り組めるようになったと思います。
オフ明けからの1ヶ月がこのシーズンで一番身体的に負荷がかかっていたように感じます。完全に身体が衰弱していたので、回復させるまでに多大なエネルギーを要したからです。毎練習頭痛と吐き気に襲われていましたが、実際に吐くことはなかったので大丈夫でした。それと全然レベルは違いますが、兄も「ガチゲロりそう」とか書いてたのでそういうものだと思いました。「ガチゲロりそう」はそのキャッチーな語感も相まって、練習中結構脳裏に浮かぶことがありました。あの元気権化の兄でさえ「ガチゲロりそう」になるまで練習をしていたならば、僕の練習強度の絶対値はそう大したことないという論理です。
そんなこんなで練習を続けると、冬季公認でも春室でも少しだけベストが出ました。よかったですね。
あと筋トレもするようにしました。りょうせいさんも「そんな細い身体で泳いでも意味ないよぉ。泳ぐ前にまず筋トレしたら?」と言っていたので。シーズン始まる前にガキさんと喋る機会があって、「いややっぱね、ブレの神髄は背中よ。懸垂がいっちゃん大事やから。背中。もう背中。俺20回とかやってたで、ほんまに。」と言われたのを一つのきっかけに懸垂もちゃんとやるようにしました。
トレ室は週2ペースで行ってはいましたが、最後まであんまり伸びませんでした。夏はトレ室暑すぎて30分とか滞在していると病気になってしまうので週4くらい行って分散させていました。暑くても時間が短ければギリ耐えられますし、筋肉痛になる部位が少なくなって翌日の練習にも響きにくいので時間がある人にはオススメです。
春室が終わってからは、3月後半から4月頭にかけて、怒涛の強化期間がありました。阪神合宿、京大合宿、中京です。それまで一部練ばかりであんまり量こなしていなかったので、いきなり短期間に膨大なボリュームを消化したことによって、全てが終わった後、完全に身体が悲鳴を上げていました。阪神合宿は4泊5日でキツすぎましたが、鈴鹿の環境が良すぎたのと、練習の雰囲気が良すぎたので全然楽しめました。ある程度交友も広げられたので良かったです。他大の人と会えるので試合がより楽しみになりました。京大合宿は阪神合宿で身体が終わっていたので満足に練習できませんでした。肋骨を折っていた後藤くんと一緒にチャリ走をしましたが、予想よりはるかにキツかったです。全身汗まみれになって、陸上の競技やってなくて良かったと思いました。中京は縁あって行かせていただきましたが、とても得るものが多かったです。アップからサイクルアウトして後ろに追いつかれ、みんなが平然としている中1人だけゼーハー肩で息をしているような目も当てられない状態になり、久しぶりに練習でガチ狼狽しました。一方で、卓さんやブレの面々にドリルを教えてもらっている中で、人生ではじめて水を滑る感覚を会得し、おーとなりました。他にも色々なことを本当に親切に教えていただき、多くのことを学びました。中京の皆様方、ありがとうございました。
そんなこんなで対抗戦を迎え、関国は1日目の2ブレでベストが出ず、夜にめちゃ体調が悪くなり、2日目あんまり回復せず、終わったかと思いきや、なんとか1ブレでベストが出ました。よかったですね。
関カレは割と合わせていた試合だったので、それなりの結果を出せてよかったです。正直この一年関カレしか見えていませんでした。個人で決勝に出たのは実は競泳人生初でした。
全国公はただの引退試合だったので特に何もないです。実は全国公に出たのも初めてでした。グラチャンにも出れなかったのである程度の全国大会に出たのも競泳人生初ですね。
こんな感じで引退日記のテンプレに従って淡々と書いてみましたが、山なし谷なしの平板なものですね⁉︎楽しかったので良いです。
Br面の皆さんもありがとうございました。練習中あんまり時間取れない分毎回パーミー長い時間やってましたが、色々意見交換できてよかったです。最後の方に得た神髄あんまりちゃんと話せてないし、まだストックしてたネタあったので心残りです。
1回生で初めてパーミー参加したとき、みささんとか京介さんが「上方回旋」をさも市井に流通している言葉かのように普通に使っていてえーと思いました。水泳について専門的な語彙を使ったりしながら分析をするという機会が高校まではほぼなかったので、すごいことだなと思った記憶があります。なんとなくそういう雰囲気を継承したくて、僕もパーリーとして解剖学や運動生理学的な話を紹介したりしました。先輩に教えてもらわなければ、筋肉の起始停止作用や関節の動作、エネルギー供給機構に関する話を積極的に水泳に活用しようという気にはならなかったと思います。あとパーミーで泳ぎの話してるときにパッと理学療法的な話聞けたら楽だなと思ったのですが、最初なぜかパートにトレーナー入ってなかったのでブレ面の活動の一環としてトレーナーもパートに入ってもらいました。
学術的な話だけではなくて、泳ぎとか練習の取り組み方について気軽に聞き合って教え合うという関係性も引き継いでおきたかったですね。この前も大橋信の泳ぎについてブレ面グルが若干稼働してたしそれは達成でしょうか?あとは動画みんなで撮る機会が少なかったのが残念ですがみなさん一限あったので仕方ないですね。
練習中も大体みんな同じくらい?の団子だったので頑張れました。ブレにはブレのキツさがあるので隣とか前後で一緒に泳いでると心強かったですね。みんなこれからも頑張って〜
やっと引退日記を書く気になりました
梅村です
引退日記読むのは大好きだったんですが、書く側になるとこんなにめんどくさいんですね。
Word君がいちいち日本語の間違いをしてきてイライラしました。機械のお前より21年日本語を使ってる僕の方が正しいに決まってるやろ。
何の確認もしてないので誤字してたり、日本語おかしかったらすいません。
① 中学校まで
水泳を始めたのは4歳か5歳くらいときです。近所のスイミングスクールにぶち込まれました。しゅんぺいくん(5)はスイミングスクールが大嫌いでした。しんどいからです。あとコーチも怖くて嫌いでした。結局小6までいましたが選手コースに行くまいとあえて平泳ぎをできないふりをするなどしていました。普通に二度と水泳なんかしないぞ、と思いやめました。
中学校ではサッカーをしようと思いましたが先輩が怖すぎてやめました。いくあてを失い、入る部活もないので水泳部に入りました。入ったはいいもののやる気なんかないし、なんせしんどいことが大嫌いなので全く頑張りませんでした。おかげで中学校のときの公式記録は残ってません。大阪大会にも大阪学年別大会にも出られなかったからです。何秒だったかもわかりません。最後の大会も夏期講習って言って参加しませんでした。ということで中学校まではお水遊びをしていただけでした。今思えばこの時もっと頑張ってればよかったと思います。遅すぎますが。
② 高校
さて、高校が転機です。めでたく第一志望の茨木高校に滑り込み入学し、今度こそ水泳をやめるぞと決意し、スキー部の仮入部に参加しローラースケートをびゅんびゅん飛ばして遊んでいたらひっくり返って骨折しました。骨がずれていたらしく全身麻酔で手術することになりました。
病室でスマホを眺めていると、水泳部の部長から「水泳部入るってことでいい?」とLINEが来ました。クラスに中学で水泳部だったやつがいて、そいつが連絡先を渡したようです。先輩が怖くて「はい」と返事してしまいました。ということで高校でも水泳部になってしまいました。なんてこった。
念願かなって中央大会に出れることになり、人出不足だったのでリレーも全部出してもらったような気がします。中央大会は50が27.6、100が1:00.8だったと思います。長水です。高校入って最初の地区大会のときは100が1:15でした。短水です。信じられないくらい伸びました。俄然やる気がでてきたので、引退までに56くらいだしたいなぁと思っていました。しかしコロナのせいで何回も部活を停止され、思うように練習できずこのときのタイムがベストで引退することになりました。やり切ったと思っていましたが、もっと速くなれたんじゃないか?という心残りがありました。
① 大学
全進
受験勉強は無双し、晴れて京大に受かりました。若干の未練があったので水泳部を調べてみると6:35~練習って書いてありました。どう考えても無理です。毎日5時に起きられるわけがありません。なので友達にくっついてフットサルサークルの新歓やフィギュアスケート部の新歓に行きましたが、どれもあまりピンときませんでした。一応水泳部の新歓にもいってみました。伊藤さんと堀くんもいました。さんざん迷いましたが、どう考えても4年間暇だったので入ることにしました。これが大きな間違いでした。早起ききつすぎ、練習きつすぎでした。毎日練習に行くだけで精一杯。泳ぎを直すとかそんな次元にありませんでした。強化練もしましたがやってるだけでした。なぜか2フリがあいていたのでやってみましたが2:30かかりました。以来一回もやってません。このときの笹村くんは僕と同じくらいでした。本当です。よくわからないままシーズンが終わりました。
青炎
夏になっても一向に速くなりませんでした。練習するたびに遅くなっていきました。笹村はあんなに速くなってるのに、ベストすら出せない自分が嫌になりました。あぁ横転横転。
対抗戦も観てるだけでぜんぜん面白くありませんでした。みんなが決勝に残って楽しそうにしてるなか、応援だけしてるのが虚しくなりました。夏唯一の試合、七帝戦でも高校の時より遅いタイムでした。もうその場にいるのが嫌すぎて一人で歩いて帰りました。とぼとぼ歩いてたらバスに乗ってる人たちに追いつかれて気まずかったです。その後同期は東京でご飯を食べてましたが、参加せず一人で新幹線に乗って帰りました。今シーズン終わったらやめようと決意しました。でも練習に行かないと怒られそうだったので強化練の2部練には参加し、一応やりとげました。全国公終わりの写真を撮ってるときにはるさんにこんなことをいわれました。
「僕は水泳をやる意味がわからなくなっちゃったけど、梅ちゃんはその意味を考えてほしい」
ちなみにはるさんはこんなこと言ったっけ?って言ってました。適当すぎるやろ
その夜、ゆういちろうさんの部屋に行ってやめようかなと思ってます、という話をしました。その部屋にいたりょうせいさんは「速くならないと思うしやめたら?」って言ってました。人の心がないみたいです。
でもこの全国公は転機でもありました。たくとさんがIMやろうといってくれました。IMは人がいなくてレギュラーとれるから勧めてくれたんだと思います。そのときなぜか肩組んで写真撮りました。
やめるつもりでしたがたくとさんがIMやろうって言ってくれたり、夏季長で高2以来のベストがでたりしてすごく迷いました。IMなんかやったことありません。そういえば書き忘れていましたが、2回生夏までフリー専でした。理由は簡単。フリーしか泳いだことなかったからです。バッタなんかもっての他です。当時踏水会で50のハードしたら39秒でした。遅すぎて草。別にブレすらも速くありませんでした。1ブレ1:18とかだったのでかずさの方が余裕で速いです。
いろいろオフ中に考えて自分なりに3つくらい決めました
1. 水泳を楽しむ
2. 後悔は引退するときにする
もう自分は水泳に向いてないし、これ以上速くなることはないだろうと勝手に決めつけていましたが、真に水泳に向いていなかったかどうかは引退のときに決めようと思いました。4年間やり切って、それでも速くならなかったら「向いてなかったなぁ」と思いながら引退すればいいや、と思いました。
3. 速くならなくても諦めない
さっきのと被ってるかもしれませんが、全部経過に過ぎないわけです。次の試合でベストがでなくても、その次で大ベストがでればなんの問題もないわけです。一喜一憂するのはやめました。
これくらいです。とにかく最後まで続けてみようと思いました。
総乱舞
ということでやったこともないIMをすることに決めました。せっかく拾ってもらったのでたくとさんと一緒に全国公にでることを目標にしました。もちろんフリー以外泳げないので練習ではさんざんぼこぼこにされました。バッタなんかほんとにひどかったと思います。いまもあんまり上手じゃないけど、それにしても泳げてなかったと思います。それでも前の夏に比べれば断然水泳を楽しめました。IMだけ迫害を受けてたくとさんと二人でGSの4セット目をするのも、二人でパートミーティングするのも楽しかったです。たくとさんはへたくそな僕の泳ぎを真面目に見てくれました。おかげでベストがでないなんてことはなくなりOB・OG戦のときは200で2:28とかでしたが、春室で2:23まで来ました。このペースでいけば夏季公ではワンチャンあるんじゃないか?と思い始めました。が、ここからいろいろあってあんまり速くならず、結局全国公には届きませんでした。ちなみに400も一回やってみましたが短水で5:22だったのでこれは無理だと思って諦めました。
その後肩が破壊され関カレ以降泳ぐことなく総乱舞を終えました。
Stardom
ラストイヤーです。ラストイヤーの目標は2つでした
・全国公を個人で割る
・対抗戦で決勝に残る
あとはさすがに400もやることにしました。全然泳げる気はしませんでしたが、やらないわけにはいかない気がしました。
タイムの推移はこんな感じです
200 2:22(OBOG)-2:20(冬季公認)-2:19.39(春短)-2:18.91(夏季公認)-2:18.47(金沢)
ということで全国公個人はおろか団体すれきれませんでした。200は0.5、400は0.3足りませんでした。横転。しかし400が切れなかった怒りに任せて泳いだ1ブレで全国公切れました。ありがとう平泳ぎ。
結局切れませんでしたが、ワンチャンあるかも?と思いながら練習する期間はほんとに楽しかったです。途中3回くらいやめたくなりましたが。
今シーズンが一番水泳を頑張れたんじゃないかなと思います。これまでは定期的に練習をさぼってましたが、今シーズンはおおむねさぼることなく練習に行きました。当たり前か
阪神合宿にも意を決して参加しました。人としゃべれないので他大の人とは全然しゃべれませんでしたがそれでも行ってよかったです。
対抗戦の決勝に関してもぜんぜん届かない目標でした。関国の400で隣で大月くんが爆速で泳いでるのをみて、あぁ勝てないなぁと思いました。レース終わってから大月が練習相手になってくれてありがとうって言ってくれてちょっとだけ救われました。0.1点分くらいは貢献できたかな?
一応関カレでは奇跡の直接決勝だったので決勝に出る、ということ自体は達成できたのでよかったです。ゆうごのお母さんも見に来てくれて僕のレースを見て泣いてくれました。なぜ...?
人生最初で最後の賞状ももらえました。額縁にいれて神棚に飾ろうと思います。
ほんとはもっとラストイヤー書くことがあるはずなんですけど書くの疲れてきて思い出せません。思い出したら書きます。
後輩たちへ
ぜんぜん後輩としゃべらなかったと思います。すみませんでした。特に1回生はほとんど話したことないと思います。書くことないと思うのでコメントは無理しなくて全然大丈夫です。
さっき書いたこととほぼ同じですが、まずは水泳部生活そのものを楽しんでほしいと思います。せっかく入って友達もできたと思うのでやめちゃうのはもったいないと思います。競技もそうですが、そればっかりだとしんどい時期が絶対来ると思います。
とはいえずっと伸びないと面白くないのも事実だと思います。
僕がベストが出るようになったのはマインドの部分が大きいと思います。それまでは「どうせ自分なんか」と思ってましたが、そうするとベストでない➝練習楽しくない➝またベストでない、の悪循環に陥ります。せめて根拠がなくても自身だけはあった方がいいと思います。
あとはベストが出なくて困ってる人達に向けてですが、筋トレ頑張って、EN頑張れば速くなると思います。諦めずに頑張ってください。
先輩方
泳ぎみてもらったり、ご飯連れて行ってくれたりと、大変お世話になりました。全国公切ったときはいろんな人が連絡くれてとてもうれしかったです。またご飯行きましょう。
IM面
全然パートミーティングしなくてすいませんでした。たっぴは毎回パートミーティングの日程決めてくれたりありがとうございました。もうたっぴがパートリーダーだった気がします。
来シーズンはBrと合体させるとおもいますが、また人数が多くなったらうれしいなと思います。
そうき
練習に来い(n回目)
絶対速くなれるし、やる気があるのもよくわかってます。起きられへんよな。朝しんどくて100回くらいやめようと思ったのでよくわかります。練習に来れないとしてもできることは山ほどあります。いつか対抗戦で活躍する姿が見れるとうれしいなと思います。
かもちゃん
きっとこれからすごい期待を背負って競技に取り組むことになると思います。それが重荷になる瞬間もきっとあると思います。チームのため、ももちろんですがなにより自分のために、楽しんで水泳してほしいなと思います。
おうすけ
いつかIM面に帰ってきてね
同期
3年半ありがとうございました。最高の同期だったと思います。やめるのをためらったのはみんなといるのが楽しかったからです。違う同期だったらほんとにやめてたかもしれません。引退しても仲良くしてください。
さてこれくらいですかね
思い出の写真たちを張り付けて終わろうと思います
3.思い出
ここで気分転換に、水泳部での思い出を。
・たぶんはじめて同期女子で遊んだ日。しおりポーズ。& 誕生日めっちゃ近いきーちゃん
・この写真めっちゃ好き
・同期何人かで香川にうどん食べに行った
・同期女子みんなでコストコ行った
・ベトナム旅行で璃子のスカートを作るれいか
・淡路島までドライブ
・班に川根はいないのになぜか川根の家で開催された班タコパ
・合宿が途中で終わり、みんなでわっちシャンパンを飲んだ夜
・大阪方面組(しおりもいる写真見つけれんかった)
・数々の同期ご飯
これから
・どこの国行くか決めるための万博
・卒業旅行 inエジプト?ブータン?台湾?
楽しい思い出がたくさんあります。みんな大切な人たちです。これからも仲良くしてください!ご飯にも遊びにもいきましょう!
4.幹部として、チームでの役割
世代交代する少し前、ラストイヤーの目標を決めました。
それは、
常に明るく、優しく、ときに強く。みんなよりちょっとだけ先にいて、いつでも手が届きそうな、でも永遠に先にいるようなそういうところに居続ける。
高いところから勢いをもってチームを引っ張る役割は、堀ちゃん中心にやってくれるし、みんなの交流を深める役割は塚腰中心にやってくれるし、チームの中での私の役割は、みんなの近くで少しだけ先で堀ちゃんの方に引っ張っていくこと。
チームの元気と明るさはれいかが作ってくれるし、大ベストの勢いはきーちゃんが作ってくれるし、女子の中での私の役割は、少しだけ冷静に1人1人を見て、全体の力が上がるように引っ張ること。
です。
できたかなぁ。
できてなかった部分もたくさんあったなと思います。
誰か1人でも、そういう存在だったと思ってくれていたら嬉しいです。
幹部のライングループができたのは、3月16日です。そこから色んな決め事をしました。
意見がぶつかることもありました。意見がぶつかったあとって名言が出やすいんです。堀ちゃんの、「全部勝って、最高の状態で部活を残したい。」とかね。それを塚腰がアナウンスして、重要な連絡が流れてしまったのもなんだか良い思い出です。この名言、本当に叶えてしまったんだから、すごいよねぇ。
世代交代があってすぐ、どこからともなく、この代はだめだという声が聞こえてきました。でも、1年たって、どうでしょうか。
そんなに悪くなかったんじゃないかと私は思っています。
チームの方針を決めていたのは、主に主任の堀ちゃんやメニュー王のささむだったと思います。仕事をたくさんしてくれていたのは主将のごっしー。マネをまとめてくれていたのはしおりで、トレーナーをまとめてくれていたのはわっちです。私がしていたことは、堀ちゃんの出した方針に意見することと、予定表に予定を書き込むことでした。
堀ちゃん本人は、何にも仕事してないって言うと思うし、頼りない代だったと言うと思います。でも、私個人としては、1年かけて、すばらしいチームになったと思います。
一方で、女子主将としては、後悔がたくさんあります。
もっと気にかけてあげればよかったと思うこともあるし、私が気づかないうちに悩んでいたと後から知ったこともありました。
しないといけない決定も、私一人で決めたことは何1つなく、必ずれいかときーちゃんに相談していたし、スタッフや後輩の意見を聞いたこともありました。
みんながいないと今の女子チームはできなかった、一人一人の想いがチームを作り上げたのだと思います。シーズンはじめの日記に書いた、「私が女子主将をやる意味」は、みんなの意見を尊重しながら女子チームを作ることができたこと、かもしれません。
関国でも関カレでも2位。ベストは合計108個。素晴らしい結果です。
そのくらい女子チームが強くなったことが、本当に嬉しいです。
目標をどちらも直前に上方修正したし、絶対的な強さは欠けていたかもしれないけれど、みんなに支えてもらって一年間やりきることができました。本当にありがとうございます。
あと、忘れてしまいがちなのですが、フリーミドロンの長でもありました。パートミーティングをたくさん開くことができなくて、ごめんなさい。大月、川根、窪田、ひろせ、たまき、ゆら、どの選手の成長も楽しみです。来シーズンの活躍も期待しています。結果見てるよ!
3回生以下は、これから代が変わって不安に思うことがあるかもしれませんが、ゆうごをはじめとする、チームを作っていく人たちに協力してあげてください。時に意見を言うことは必要かもしれないけれど、信じてついていくのも1つの大切な役割だと思います。
みんな初めはとまどうのは当たり前。役職に関係なく、1回生から4回生、選手もスタッフも全員でチームを作ることを忘れないでほしいなと思います。
5.関わったすべての人へ
京泳会の皆様
日頃からご支援、ご声援をいただきありがとうございます。最後に現役ミーティングに参加させてもらい、日頃から支えていただいていることにあらためて気づきました。これからは私も現役を支援する側にまわりたいと思っております。
父、母、妹、弟
自転車でスイミングまで迎えに来てくれて一緒に帰ったり、試合の送り迎えをしてくれた父、毎晩肩甲骨はがしをしてくれたり、大会のお昼ご飯を作ってくれた母、大会前日に早く寝るために部屋の電気を消してくれた妹、まだ小さいのに試合に連れられてプールの近くで遊ぶしかない休日を過ごしてくれた弟、ありがとう。
スイミングのコーチ、高校の顧問
私を選手コースに入れてくれたYコーチ、1から育ててくれたFコーチ、ずっと成長を見てくれているSコーチ、高校生の時お世話になったNコーチ、伸び悩んだ時期に見捨てず優しく指導してくれて大学の記録も見てくれていたJコーチ、エネルギー効率向上練習で100mの楽しさを教えてくれたF先生、ありがとうございます。
学部の友達、中高の友達、その他色々
大会があると言ったら終わってから結果を聞いてくれて、良い報告をすれば一緒に喜んでくれて、逆にだめだった時や悩んだ時は話を聞いてくれました。心の支えでした。ありがとう。おかげで私は部活の中でいつも笑っていることができました。練習や大会があるからと遊びのお誘いを断ったことも何度もあったと思います。ごめんね。引退したので時間ある(はず)ので、いっぱい遊びに誘ってください!
電車・バスの運転手さん
(たぶんお互いに)顔を覚えるくらいに始発に乗り続けました。バスが遅れると怒鳴るおじさんもいますが、遅れても安全運転が1番です。朝早くからバスや電車を動かしていただきありがとうございます。始発が遅かったら私は朝練に行けていないので本当に感謝しています。
先輩方
悩んだ時に気にかけてくださったり、モチベーションの話やフォームの話などたくさんのことを教えていただきました。引退されてからも結果を見て連絡をくださったり、大会を見に来てくださりました。ありがとうございます。またご飯行きましょう!
マネさん
練習でタイムいらないと言ったり、ブロークンでメニューにないサークルを要求したり、レース動画のテンポ計りなおしてと言ったり、ウォッチがずれてるんじゃない?と言ったり、色々わがままを言った選手だったと思います。嫌な顔せず全部に応えてくれて、練習や大会を盛り上げてくれてありがとうございました。練習中の元気な声も、ラップ帳のコメントも、嬉しかったです。
トレーナーさん
予約表に予約せずにコンディショニングをお願いした時も、全身を軽くしてくださいと雑な要望をした時も、快くやってくれてありがとうございました。トレーナーさんなしでは疲労だらけのラストシーズンだったと思います。2月に国試を受けるため身体の知識は増えると思うので、何か質問があればぜひ頼ってください。答えられるかはわかりませんが、、、
女子選手のみんな
まずは競技面でよいしょしてくれてありがとう。リレメンの3人には特に引っ張ってもらいました。私がもうちょっと速かったら、最低限ひろせぐらいだったら、もっともっと良いところにいけるのにと何度思ったかわかりません。タイムで足を引っ張り続けてごめん。関国や関カレで表彰台に乗れたのも、全国公で入賞できたのも、みんなのおかげです。個人では見ることのなかった景色が見れました。ありがとう。他のみんなも、点数で貢献してくれたり、ベストで勢いづけてくれました。
競技以外の面でもたくさん支えてくれてありがとう。同期はもちろん、後輩にも元気づけられることや励ましてもらうことがたくさんありました。
女子主将という肩書きがあった私ですが、絶対に1人じゃなかったし、本当に本当にみんなに支えてもらいました。すごくあたたかいこのチームで、1年間女子主将ができて、選手としてラストイヤーの時間を過ごすことができて、私は幸せです。
また現役がオフに入った頃に女子会しましょう!!
同期
合宿の回生ミーティングで、勝手に幹部が決定してるなと思うことはないか聞いた時、ひろたかが、幹部の意見に賛同するからそれは大丈夫と言い、他の人もそれにうなずいていました。あのミーティングで、この同期がいれば大丈夫と思ったのを覚えています。1人1人が自分の役割を全うしていたんじゃないかな。いつでも頼れる人たちでした。
水泳に関すること、それ以外のこと、同期みんなと過ごした日々はどれも大切な思い出です。この繋がりはずっと大切にしたいと思っています。また集まろう!
後輩のみんなには1人1人にメッセージを渡すので読んでください。
6.さいごに
競泳を始めてから、ぽんと大ベストが出ることはなく、いつも少しずつベストを更新してきました。あまり速くはならなかったけど、4歳からずっと楽しく水泳を続けることができました。まだタイム伸びるんじゃないかとまったく思わないわけではないけど、ラストシーズン出し切ったし、今なら引退してもいいかなぁと思うので、引退します。もう年やしね笑、夏季長出る出る詐欺してすみません。
あぁ寂しいねぇ。
水泳大好き人間なので、これからも大会や練習に顔を出すと思います。その時はよろしくお願いします。
競泳人生の最後を、この京大水泳部で、最高の仲間たちと過ごすことができて、本当によかったです。ありがとう!!
私の将来の夢を書いて、おしまいにします。
私は、水泳を通して、たくさんの人と関わりをもち、たくさんの人に支えてもらいました。今度は私が支える番です。
誰かに笑顔と元気を与えられる人になりたい。
できていたことができなくなって、しょうがないと思ってしまう自分が悔しくて、前みたいに戻れるのかな、もうできないんじゃないかと不安で、普通に全力で練習できているみんながうらやましくて、もうどうしていいかわからない
そういう人の支えになりたい。
これは、私が中学生か高校生の頃、肩だったか、どこだったか忘れましたがどこかを痛めていた時に書いた言葉です。
高校の顧問のF先生みたいに、誰かを笑顔にさせる、活力を与えられる人になりたい。
がんばろうと努力をしようとしている人が、全力で頑張れる世界にしたい。
ずっと私の根っこの部分にある思いです。
すべての人が、心身の変化によって悩むことのないようにすることが私の大きな夢です。
今まで関わったすべての人への感謝の気持ちとともに、夢を叶えられるよう、これからも頑張っていきます!
それでは。
京都大学体育会水泳部
竹本杏美
2022 全進
2022-2023 青炎
2023-2024 総乱舞
2024-2025 STARDOM