ずっと更新し続けてるのが私はガチ苦痛なんで、自分の担当の日は、朝の9時にあげようって思ってたんですよ。
でも昨日の夜水谷くんが明日の夜までにあげるって言ってたから待ってたんですよ。
ほしたらこれ~
いい加減にしてほんま(笑)
めちゃくちゃ眠い中0時まで待ったのにあがらんかったんやけど。(ほんとは日付変わる前にあげるつもりやったけど23時半ぐらいに寝落ちしてもーた)
最近学校生活まで水谷くんのお世話してる気がするし。しっかりしてくれ!
ほんで4回生、ちゃんと期限くらい守ろうぜ。
お疲れ様です。チーフトレーナーの山岡萌来です。
4ヶ月ぶりの日記です。実習行ってたりトレーナーシフト制やったりして、新入生入ってきてから書く機会なく、引退日記になってしまった、、無念。
最後ですが、未だにチーフトレーナーという称号は慣れませんね。
チーフにふさわしくなるまで名乗らないと決めていたんですが、途中で、チーフにふさわしくなるってむずくね?ってなって最近は割と名乗ってましたが。
さて~引退日記の前に七帝のこと書いていいですか?
かきたいこと溜まりすぎててやばい
一回生は知らないと思うけど、私は中高吹奏楽部で浪人もしてたし、運動経験といえば小学校の2年間くらいしかなかったので去年は泳ぐなんて滅相もない。と思ってたんですけど、やっぱりせっかく水泳部に入ったんやから最後くらいは出たいなって思って、加奈さんにお願いして水着をいただいて、実習中、金曜日の実習終わりにスイムピアでコソ練を始めました。
まず最大の試練、くるみちゃんに50m泳げるようになったらエントリーしていいかと聞いたら、1週間以内に50m完泳しなければエントリーしては行けない、って言われてしまい!!まじで死ぬ気で1本泳ぎ切ったのが6/14。なんとかエントリーでき、週3練習計画を立てました。
関国の後コロナになってしまい、1週間泳げなかったので、それ以降は15日(月)以外毎日泳ぎました。
練習頑張って、50秒切ってみんなに褒めてもらいたい。練習中に応援してくれてた全ての人に、こんなに泳げるようになったよってみてもらいたい。意志が弱い自分に勝ちたい。メンタルが弱い自分を変えたい。その気持ちがとても強くて頑張れました。
七帝前日、体が重すぎてびっくりびっくりびっくり(°▽°)
でも七帝の日はもうあーだこーだ言わないって決めてたので口数がいつもの1/100くらいになってしまいました(笑)怒ってるんじゃないかと思った人申し訳ない…
結局、飛び込み台を目の前にすると怖すぎて、直前で離脱してしまったけど笑笑
マネさんたちを中心に死ぬほど励ましてくれて褒めてくれたおかげでなんとか頑張れました。マネさんの力ってほんまに偉大やなぁ。
泳ぐ前、完泳できなかったらどうしようとか、飛び込めなかったらどうしようとか考えてて、泣いちゃったんですけど、そこにいた京大混合リレメンみんながすごく励ましてくれました。
特にしおり。朝から一緒にアップ行ってくれて、自分のアップをそっちのけですごくビビってる私のそばにずっといてくれて、しぬほど励ましてくれました。
レース直前も自分も泳ぐのに、ずっとぎゅってしながら大丈夫ですよって声かけてくれて意味わからんくらいの安心感がありました。
しおりの応援がなかったらほんまにやばかったかも。ほんまにありがとう。
手足が痺れて力が入らないと言う感覚を初めて体験しました!
ほんまにメンタルが鬼弱なんですよねぇ昔から。
向こう側に向かう時に、みんなが手を振ってくれたり大丈夫ですよって声かけてくれたのが力になりました!
あっという間に始まってしまって、南利さんが飛んでいってしまった、、、
たぴくんが飛び込んでしまった、、、
後ろから泳ぎ終わった後の水谷くんの激励が聞こえる。いつもあんな感じやけどこー言う時だけズルい〜!!笑笑
もうやるしかない〜!!
飛び込んで、一本めの線が見えた時点で、ん?これ25m?流石に違うか、、とか思ってる時に
京大の列くらいについて、みんなが応援してくれるのがわかって頑張れました。8レーン嫌やぁぁぁぁぁって思ってたけど8レーンさいこおおおおってかんじでしたねぇ。
25mの線のところで、え、まだ半分?!?って思ったけど、前日みたいに足が重くなかったし、手の水の感覚もそんなに悪くなかったので、後もう少し!後もう少し!これは行ける!!って思ってなんとか泳ぎ切りました。
パパがお疲れって上から頭ポンしてくれたのがパパすぎて泣きそうやった〜
まだ行けた気がするって思ったけど、陸に上がったら足がガクガクで、
あ、ちゃんと出し切れたんやって嬉しくなりました。
初めて完泳した6/14で1分3秒くらい。
7/20では目標の50秒、密かに立ててた48秒も達成でき、46秒台で泳げて本当に嬉しいです。引き継ぎに0.8かかってるので、スイムだけで言ったら45秒台!!
この1ヶ月、大嫌いな日焼けにも目を瞑って頑張ってきてよかった。
意志が弱い自分に打ち勝ててよかった。自分と向き合えるスポーツ、水泳ってすごくいいですね。
たくさんの人が見てくれて、褒めてくれてとても嬉しかったです。
最初で最後の水泳大会、成功してよかった。本当に頑張ってよかった。
しゅうやくんが、めぐさんのレースを見て僕も頑張ろうと思えましたって言ってくれました。こんな嬉しいことないです。
最後にいい思い出ができてよかったです。
リレーの動画にみんなの応援がいっぱい入っててほんとにうれしかった。なんか悲しいことがあったらこれを見て頑張ろうと思います。ありがとうございます。
また、私もより一層関カレ全国公の応援頑張ろうと思いました。
たぴくん2年とも誘ってくれてありがとね。
たぴくん南利さん水谷くんのこのメンバーで泳げてよかった〜
本当にありがとう!!
励ましてくれた全人類本当にありがとう!!!
犬神家の日記からの成長どうです?
↑混合リレメン(1組目)私終わりの顔してる。
あ、あと直己くん、躁鬱っていうん絶対やめて。笑笑
さて、引退日記。
やっとかくときがきたーーーー!!
もうすぐ引退だーーーーーー!!!
よっしゃぁぁぁぁあ!!!!!!
自分語り多くて申し訳ないいいいいい。
激重です。
初めに謝っておきます。ごめんなさい。
目次
【ふりかえり】
【トレーナーとして】
【感謝】
【最後に】
それでは→
【ふりかえり】
「8/20
夏季長の日
全国公からちょうど1週間が経った
本当はすぐ書きたかったけど何もやる気が出なくて結局こんなに伸びちゃったな
引退日記を書く頃にはこの感情忘れてそうやからメモっとこうと思って
全国公で4回生が引退され、いよいよ代替わりって時に、新潟でコロナ発症してしまい、いろんな人に多大な迷惑をかけてしまった。結局40人中18人が発熱、コロナじゃない風邪も同時流行してたっぽいけど大クラスターになってしまったこと、本当に申し訳ないです。危機管理が足りてなかったです。特に3回生幹部とごっしーには、代替わり早々、初仕事みたいなところで大迷惑をかけてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。チーフトレーナーに任命してもらったのに、しょっぱなの試合欠席という事態、トレーナーのみんなにも申し訳なかったです。
みんな新潟→東京のバスに乗せてくれてありがとう。そこで充満させてたらほんまにごめんなさい。1番前の席座ってたら通る人が声かけてくれたり差し入れくれたりしてとっても嬉しかったです。帰ってからもわざわざラインしてくれた後輩、同期、中にはわざわざラインを追加してくれた子もいました。本当にありがとう。
この恩を1年間かけてしっかり返さないとと火がつきました。ラストイヤー、なるべくみんなに恩返しできるように頑張ります。
これを引退の時に覚えてたら貼り付けたい
失速しないように、周りに信用してもらえるように」
去年の夏季長の日に書いてたメモです。正直のせる必要ない気がするんですけど、1年前の私がのせてほしいって頼んでるんで載せておきました。
改めて本当にありがとうございました。
あの時貰った恩を返すべく、1年間走り続けました。皆さんの目にはどのように映ってたでしょうか。
初めて部活に見学に来たのが2回生の2月でした。なんで入ったか、つらつら書きたいけど長すぎるので割愛。気になる人は自己紹介日記読んでください。羽生結弦、とか検索したら一発ヒットです(パパみたいにパソコン強くないんでリンクの張り付け方わかりません)。
まとめると、将来スポーツに関わりたいと高校生の頃から思っていて、部活でトレーナーをやりたいと思うようになったけど、もうすぐ3回生になるというタイミングだったので、トレーナーができるラストチャンスだと思いました。
やってみたいと思うことでも、途中から入ったらよく思われないんじゃないかとか人の目ばっかり気にしてしまってチャレンジできないことが多かったですが、発足からならみんな1からスタートやし入りやすい気がしました。
それに、水泳部のほとんど全員が本当に歓迎してくれてる気がしたので、この部活なら受け入れてもらえるんじゃないかと思えました。
水泳やったことないとか、みんなによく思われないんじゃないかとか心配要素を無視できるほど、トレーナーを経験したいっていう気持ちが強く、入部を決意しました。
以上の通り、ただただトレーナーがやりたくて入部した、という感じで、全然水泳じゃなくてもよかった、というのが正直なところです。
宮田くんと水谷くんがスーパーマンであることは入部してから知りました。水泳経験なくて途中入部、っていう完全な仲間だと思ってた水谷くんはギャングスターズの元トレーナーでした。宮田くんは水泳部目線から色々考えられるしジムでバイトしてるから筋トレとかの知識豊富やし、水谷くんは筋トレ、ストレッチ、怪我の対応とか知識がえぐかった。
いや、びっくり。ほんまに笑笑
水泳は小中のプールの授業でしか関わったことなかったし、中高は吹奏楽部でスポーツにさえ関わる機会はなかったので、入部当初はほんとに何もできませんでした。
初めは肩身が狭すぎましたねえ。私は水泳もトレーナーもできなければ、理学療法の知識も浅く、このままじゃただ入っただけの人になってしまうとかなり焦りました。
水泳をやったことがなかったから50mやったら大体みんながどれくらいで泳ぐのか、とか45秒ってどれくらいなのか、とか全然わかんなくて、マネ業もすごく苦労しました。
ウォッチの使い方もよくわかんなくて、10の位をどうやって計算するのかもわからず、メインの日とかはウォッチを家に持って帰ってずっと睨めっこしてました。
メニューの内容もわからんし、どのくらいキツいかも全然わかんなくて、みんなを励ますのも難しかったです(これは今もなんですけどね)。
周りはそんな私に気を遣って、ちょいちょい仕事を分けてくれていました。せめてもらった仕事は頑張ってやりました。皆すごく優しい目で見守ってくれて、慕ってくれて、褒めてくれて、頼ってくれて、私にもできることがあったって嬉しく思いました。
何もできない私をあたたかく迎えてくれた当時の水泳部の方々には本当に感謝しかありません。
ちょっとでも何かできたら死ぬほどほめてくれたし、朝練に行ったらタイムとってくれてありがとう。って言ってくれるし、話しかけてくれる人がたくさん。
水泳部の皆さんが、めぐは必要だよ!!ありがとう!!!って伝えてくれるから、こんな私でもいていいんだって思えたし、辛い思いをせず、楽しく前向きに活動できました。
気づけば新しく4人もトレーナーが入ってくれました。自分も全然何もできてないのに指導もしなあかん、勉強もそこそこ頑張ってたし、3回生の前期はしんどすぎましたね。いい意味で。結局、指導はあまりできなかったんですけど、、気づいたらみんな立派になってて、ほんまにすごいな、って思ってました。
トレーナーは発足したてで懐疑的な声がちらほらあったし、不信感与えないように、信頼してもらえるように、言葉遣いや行動を気をつけました。
全ての試合が初めてで、七帝の雰囲気、関国の雰囲気、関カレの雰囲気、全国公の雰囲気、それぞれ全然違って、本当に楽しかったです。
特に春室は水泳の試合というものを初めて観たので、結構感激しました。テンポが早すぎてびっくりしたな。
4回生は本当に偉大で、4回生がいらっしゃる間の部活は本当に楽しかったです。
私は根っからの妹気質なので、誰かの後ろに隠れて甘えてるのがすごく好きで、いつも加奈さん中心に甘えさせていただいて、のびのびと部活をさせてもらってました。
加奈さんがいらっしゃる時はほんとにいつも甘えてて、加奈さんに萌来できる?って聞かれて、無理です〜〜(ニヤニヤ)加奈さん一緒にやりましょ〜っていうのが日常でした。
絶対的信頼のある加奈さんと一緒にサークル出したり、メインの日はサークルは出さずにタイムだけとる、みたいな。
そんな私も加奈さんが引退される2週前から焦り出しました。
このままじゃ加奈さんに最後まで甘えてしまう!!って
去年は、4回生に会いに、8月の練習は全部参加してたので、8月の練習のどっかで絶対1人でマネ業を完璧にしてみせる!!加奈さんが引退する前にカッコいいところ見せる!!加奈さんが安心して引退できるようにしたい!!!!!って毎日朝練めちゃくちゃ意気込んでました。
8月のどっかで、ロングを1人で担当することがあり、(加奈さんとの思い出を書き綴った加奈さん日記にて、8/5と判明)50mを往復してサークル出して、タイムも多分取ってて、メインが終わるまで完璧にこなせてたのに、メインが終わってすごく安心してしまって、最後のメニューを忘れてしまった時は、悔しすぎて、泣いてしまいました。ラストチャンスやったのに。
ものすごく落ち込んでたら加奈さんに、「全部気にしてたらキリないよ」って、周りに出しちゃダメだよ(なんて言われたか忘れちゃったけど、こういう感じのこと)を言われて、あぁ、もう甘えてられないんやって感じました。
先輩の引退をありありと感じた瞬間でした。
きっと加奈さんも辛いことがたくさんあったんだろうなって、でもそれを周りに見せないようにしてきたんやろなって(引退日記でも書いてあったし)思って、ものすごい言葉の重みを感じました。
もう弱いままじゃダメなんだ。周りに甘えてたらダメなんや。
私が最上回スタッフになるんや。って感じざるを得なかったです。
もちろん、励ましてもくれましたけどね!
結局、加奈さんが引退されるまでに一度もノーミスでマネ業を遂行することはできなかったです。悔しい。
4回生ラストレースとラストマネやった、新潟の全国公は一生忘れません。なんぼ何でもカッコよすぎました。
4回生が引退されてから本当に辛い日々が続きました。
先輩がいる半年はあっという間やったのに、ラストイヤーはほんまに長かった。
だいすきな4回生がいなくなってしまうと言うだけでも大ダメージやのに、水泳というスポーツに関わって僅か半年で最高学年になってしまった。
同時にチーフトレーナーになってしまった。
しかも…
正直この1年間、先輩がいらっしゃった時と同じように心から楽しめたことはなかったです。
チーフトレーナー、初めは本当に嫌でした。
周りに信用してもらえるように行動してたのが良かったからか、代替わりしたら私がチーフになるというふうになってしまいました。
信用してもらうって言うのは目標だったし嬉しい反面、こんな何もできない私がチーフトレーナーになるというのは自分も周りも納得しないんじゃないか。
それと、自分の性格上、上に立つとあんまりよくなくて。
抜けてるし、統率力もないくせに、責任感が無駄に強いせいで結構思い詰めちゃうところがあるし、熱くなりすぎて周りとの熱量に苦しめられることがあったりとか、不器用なくせにみんながやらないなら私がなんとかしないとって思って空回りしちゃったり、余裕がなくなってきて、人に厳しく当たってしまうことが過去によくありました。(案の定今回も全クリですね。)
当時のトレーナーチームはほとんど宮田水谷の知識に頼りきっていたところがあったので、自分の存在意義がどうしても見出せませんでした。
別に私がいなくても何も変わらず進めて行けるし。
ただの連絡係。
水谷くんが連絡苦手やから、消去法で私になっただけや。
水泳歴が長くて最年長でマネ業もできる南利さんがやればいいのに。
でもあまりにもチーフが嫌だといいすぎて、信頼して任せようと思ってるのに嫌だって言わないでほしいって言われてしまい、人の信用をそんなふうにいうのは悪いことしたなぁってチーフも頑張らないとなぁと思いました。
あっという間にオフが明けてしまって、部活が始まってしまいました。
マネ業もうまくできなかったし、トレーナー業もできないことばかり。私はなんのために水泳部にいるんやろって、その時は人間関係もいろいろあったので、存在価値がない、どころかいるだけで害になるまであるし、きっとみんなにもそう思われてるだろう。
私のせいで拗れてしまった色々に対して、私なりに一生懸命改善に努めましたが、何も変えられませんでした。
私なんかがドライ運営するのが申し訳ない。新シーズン初めの方、みんなの目が怖くて、睨まれてるように見えました。ドライの最中に話してる人とかいれば私の悪口を言ってるように見えました。
練習初日は、周りにも心配かけてしまうくらいメンタルがやばくて、何気ない一言が怒られてるように感じて、ドライをうまく運営できない自分にも嫌気がさして、ずっと泣きそうでした。
加奈さん、周りに出してしまって本当にごめんなさい。
始まって2週目のある日琢人くんに「萌来はもっと元気にドライを運営してほしい」と言われました。ほかの誰でもなく私やからこそ、朝からみんなを活気づけてほしいと。
テンションが低いことは自覚があったけど、どうしても前を向けませんでした。
笑うと恨まれる気がする。楽しそうにすると不快に思われる気がする。
笑いたくないのに無理に笑ってた小学生の頃を思い出してしまって、何でいつも私は辛くても笑わないといけないのか。なんで辛いのを誰にも出してはいけないのか。そんな気持ちでいっぱいになってしまい、その日は逆にやる気を失ってしまいました。。
琢人くんは人間観察力が高いので、そんな私に気づいて練習後に謝ってくれました。私が悪いのに謝らせてしまって、ほんとに申し訳ない。
でも琢人くんのその言葉は私にとって大切な言葉になったと思います。
私をよく思ってない人はいるだろうけど、琢人くんみたいに、私が元気でやることで元気がもらえると言ってくれる人もいる、というのは私にとって救いになったし、今思い返すと辛い日々を抜け出すきっかけになったように思います。
オフ期間中、チーフの私の動き出しが遅すぎたせいで新シーズンについて決めることが全然決まらず、新シーズン始まって2週目くらいに急遽電話で話し合いをしないといけなくなったんですが、もうその時メンタルが終了してたため、水谷くんにチーフが嫌だって泣きながら話してしまったことがありました。
水谷くんは、連絡するのは大事なことやし、別に全員が全員、コンディショニングができるようになる必要はないから、私みたいに運営する人と水谷くんみたいに選手に対応する人で分けたらいいんじゃないかって、自分が得意なことをやればいいよって励ましてくれました。
でも私は別に連絡するためにトレーナーに入ったわけじゃなかったし、もっといろいろできるようになりたかった。
そしたら、水谷くんは、確かにね。ってこれからのことを一緒に何時間も考えてくれました。
もうチーフが嫌だ。辞めたい。ってなってた頭が少しスッキリして、こんなに考えてくれる人がいるんやってなって、チーフ、頑張ってみようって思えました。
これ以上人に迷惑かけたくない、任されたことは頑張りたい、自分の言動に責任を持ちたい。
せめてスタッフの力にだけでもなりたいと思って、トレーナー業は頑張りました。
トレーナーの創設者の宮田くんは主任やから、トレーナーの方はめぐに任せとけば大丈夫だって思ってもらいたかった。トレーナーが宮田くんの心配事の一つになって欲しくなかった。
マネさんにもトレーナーが、めぐさんがいてくれたら心強いって思ってもらいたかった。
この頃、私がトレーナーをやる理由は、スタッフにはもう「先輩」がいないし、同期のマネさんもいーひんから、私がスタッフ全体を引っ張らないと、とか後輩マネさんズに負担かけたくないとか、後輩には辛い思いせず伸び伸びやってもらいたいとか、マネさんからもトレーナーからも頼ってもらえるスタッフにならないとっていう責任感と、弱い自分に負けたくないし、やるって決めたこと途中で投げ出すの大嫌いやし、責任逃れしたくないっていう理由だけだったように思います。
完全に部活に対する目的を見失ってしまっていました。みんなに信用されたい。後輩たちに辛い思いさせたくない。そんなことばっか考えて、トレーナーの本来あるべき姿である、選手をサポートするとか、選手を速くするとか、大事なことを忘れてしまっていた。完全に自分本位なトレーナーになってしまっていた。。。ダメダメです。
こんなネガティブな理由で続けてたので、部活がほんとに苦痛で、毎日辛すぎて、この世から消えてしまいたかったです。
ただ部活をやめるだけじゃ関係は切れないので、本気で休学しようか迷いました。
しかし、当時休部者が3人もいて、しかもトレーナーにいてくれたかわいい後輩も辞めるか迷ってる、と言う状況だったため、私まで休部する、やめると言うと幹部に申し訳ない。トレーナーに申し訳ない。ゆるがんばろ〜のみんなに申し訳ないと思い、せめて1ヶ月。OBOG戦までは頑張ろうって決めました。
Part2へ続きます。
書き終えてみると、なんかみんなの引退日記以上に、自分語りばっかになっちゃたけど、早く投稿しなくちゃなので許して下さい。
構成としては、
自分のトレーナーとしての生い立ちと、
水泳部での1年半を振り返る感じです。
前半G○NG時代編が長いので、興味なかったら読み飛ばしてください笑
高校生時代
中高は演劇部で役者をしていました。台本書いて、演出したこともあります笑。
高校では全国大会目指して頑張りましたが、結果は県大会止まりと残念な結果でした。当時の悔しい気持ちは今でも覚えています。
それはさておき、俳優はアスリート並みに身体のことを考えます。姿勢や歩き方、一挙手一投足の見え方が重要になるからです。僕の「身体」への興味はここから始まります。筋トレも結構ストイックにやってました。高3のスポーツテストの上体起こしは40回、プランクは今でも3分位は出来ると思います。
高校2年生のとき、SNSで俳優、ダンサーを対象にしたトレーナーの方と出会いました。これがトレーナーという職業との初めての出会いです。そして、身体への理解を深めたいという想いで京大の理学療法学を学べるうちの科を志望することにしました。
受験期は死ぬほど勉強しました。そのかいあって、受験には最低点+3点くらいでなんとか合格し、京大にやってきました。
G○NGトレーナー時代
演劇は続けたかったのですが、大学演劇にいい印象がなかったのもあり、演劇サークルには新歓すら行かず、プロの劇団主催で社会人の方たちと演劇をすることにし、またダンスサークルに入り、ダンスを始めることにしました。
ある日のこと、
某G○NG ST○RSが教科書を無料でプレゼントしてくれるということで、新歓に遊びに行きました。全然入る気も無かったのですが、めちゃくちゃ教科書もらったので、仕方なく試合を観に行きました。試合では、OBトレーナー(今は研究室の先輩)オ○ダさんからトレーナーの魅力を語っていただき、勉強のためにも学生トレーナーになるのありやなぁ、となり、結果入部してしまっていました。
―演劇、ダンス、トレーナー、三足のわらじです。。。
色々な段階を経てですが、僕のトレーナーとしての主な役割は、メディカル(怪我した選手と医療機関をつなぐ部門)の中でのリハビリとコンディショニングとなり、怪我人のトレーニングを指導してました。れいかちゃんとか大月にプールサイドでやってた感じのことです。当時は今よりさらに知識も無かったので、振り返ってみるとたいした内容出来てなかったなと思いますが、G○NGの怪我人はコンスタントに4、5人いたので、ある意味暇することなく楽しかったです。
GA○G STA○Sは日本一を目指していました。かつて日本一を経験し、結成から関西1部リーグに居続けているという、歴史と誇りのあるチームです。しかし現在では、日本一までの距離は決して近くないのが現実でした。
それでも大きな声で日本一を掲げ、努力する彼らがかっこよくて大好きでした。だから俺も日本一のトレーナーになるんだ!そんな熱い想いを持っていました。
しかし、部活には週6回行かなくちゃいけなかったのに、劇団もサークルも部活もどれも夕方以降の活動なので、部活を休まなければならない!本番前はもっと行けない!という感じで、十分にやりたいことが出来ない日々でした。めちゃくちゃ忙しかったけど、それはそれで楽しい毎日をを過ごしていました。
事件は2年生の8月に起きました。
ダンスの本番後、コロナにかかってしまったのです。
アメフトのシーズンインは9月で、試合まであと2週間で、とても緊迫した状況だったのというのに・・・
回復したすぐ後、4年生のトレーナーの先輩に、「部内にコロナ持ってきたらどうする気やったんや」といわれてしまいました。全ての練習に参加できていない宙ぶらりんな状態で、部に貢献どころかリスクをもたらしているという事実、すごく悔しかったですが、認めざるをえない事実でした。
それから部活には行けなくなりました。
3ヶ月くらい虚無な時間を過ごしました。
タイミング的なものもあり劇団から離れており、この虚無をどうにかしようと、ダンスサークルにもうひとつ入ってみました。れいかちゃんとダンスサークル同期なのはこういうわけがあったのです。
新しい方のダンスサークルに入ったお陰で、だいぶダンスが上達したのですが、ありえないほど彼女ともめることになったのはまた別の話です。
12月、宮潤からトレーナーに誘われました。コーチから年内に続けるかどうか決めるよう言われた数日後だったこともあり、この偶然に賭けてみようと思い、結構あっさり入部を決めました。
当然この時アメフト部を辞めたわけですが、多くを言わないままに皆のもとを離れたことを後悔しています。
届くことは無いと思いますが、お世話になった人たちに少しこの場を借りて想いを書かせていただきたいと思います。
マ○クボさん
知識や方法論だけにとどまらず、トレーナーとしての考え方や態度など、様々なことを学ばせていただきました。
トレーナーとしての僕の根底には、あなたの存在があります。
何の挨拶もなしに、部を離れてしまったこと、本当にごめんなさい。何度もメッセージだけでもと思いましたが、ある種逃げる形となった自分を見せることを恐れて遅れずじまいになってしまいました。
ナ○さん
色んな学ぶ機会を与えてもらいましたし、相談にもたくさん乗ってもらいました。僕ももうしばらくは京都でスポーツに携わっている予定なので、またお会いする機会あればよろしくお願いします。
ク○カさん
トレーナーに転向するまでにすごく悩んだと思いますし、やるからにはと、ひたむきに頑張る姿めちゃくちゃすごいと思っていました。
宙ぶらりんな僕に、あの日しっかり想いを伝えてくださったこと、部活に対して本気な気持ち伝わってましたし、今となっては感謝しています。
ナ○ハさん
2回生でチーフとなり、上から下からたくさんの責任があって大変だったと思います。くだらない話から身体の話、色んな話したし、時には叱ってくれたり、練習行ってた頃、夏葉さんの存在はすごいでかかったです。本当にありがとうございました。
最後まで引き留めてくれて、必要としてくれて、ありがとうございました。本当に嬉しかったですが、恩を仇で返すようでごめんなさい。
ま○さん
実習忙しいなか、出来る限りを尽くそうとする姿、すごいと思ってました。
日下さんと揉めたとき、味方になってくれて嬉しかったです。ありがとうございました。せっかく味方してくれているのに、心が荒んでたのもあってふてくされた態度取ってごめんなさい笑
イ○ニシさん
休部を経て、部活戻って頑張っていて、僕には出来なかったことです。素直にすごいなと思います。
今西さんの笑顔にはいつも元気をもらってました。同期スタッフ元から少ないのに、さらに減らしてごめん。
トレーナーチームだけですが、こんなもんで笑
他部活の人に向けてメッセージを書いた引退日記は歴史上初なんちゃう?
と思って書いてみました。恥ずかし。
さてさて、
やっとこさ水泳部編突入です。
水泳編
ダンスなどと活動時間が被らないというメリットは、夜型の僕にとっては諸刃の剣というか、「絶対に寝坊する気がします」初めての練習でかなさんと話したのを覚えています。
結局遅刻も無断欠席も、何回かしてしまいました。。。 ごめんなさい。
2月からちょこちょこマネさんの手伝いを始めましたが、本格的に参加し始めたのは春の秋葉山合宿でした。
正直ほとんど知らない人たちと3泊4日過ごすこと自体ドキドキだし、かなさん不在でしおりと愛ちゃんと3人なのも死ぬ、まじ死ぬって感じでした笑
ドライ運営、マネ業、コンディショニング、怒涛の毎日でしたが、すごく楽しかったのを覚えています。
(まだ僕のことを舐めてなかった頃の)しおりと一緒に50走ってスタートとタイム出したのとかすごい覚えてます。
―しおりあの頃は謙虚やったのになぁ、愛ちゃんは良い意味で変わらない気がする
合宿のスイム前後にドライをおこなうと、あの頃はドライに対して耐性がない人多かったからか、足の筋肉痛ヤバイと苦情が相次ぎました。そう考えたら、この一年半で全体のフィジカルレベルは確実に上がったなぁと感じます。
合宿の最後の夜、同期で目標を語り合うみたいな時間がありました。
「どのくらい遠い目標なのかはまだ分からないけど、関カレ1部に行きたい」と話しました。トレーナー設立あたって、結果を目に見える形で出すこと、これが僕の中で絶対条件でした。だからこそ、小さな目標じゃダメで、誰かに笑われるくらいがちょうどいいと思っていました。僕の最近の座右の銘は「声出しとけば、なんか耐える」です。(前は「明日は明日の風が吹く」でした。)「夢は声に出さなければ寝ているのと変わらない」とか誰かが言ってました。夢を口に出したら努力せざる終えなくなって、しゃーなしに努力積んでたら、なんやかんや上手くいく気がします。
そんなこんな合宿が終わり、春休みが明けて新学期、まだ作ったばかりのトレーナーチーム。同期の山岡さんがなんか知らんけど入部してて、純トレーナー2人。
新歓して人で増やしたいけど、トレーナーチームの体制すら整ってない上、教育する立場になるのとかヤバくね?そんな葛藤を抱えていると、いつのまにか新入部員がなんと4人も入ってくれました。ビックリです。
前期の間は時期的にも、ケアに回ることが多かったです。大きい怪我もほとんどなく、
ゆういちろうさんの弱めヘルニアくらいかな
そういう意味で平和なシーズンだったように思います。ただ反省点は多くて、結構色々考えさせられました。
トレーナーチームのことで言うと、後輩に何を教えて良いのか分からず、結果後輩達も何していいか分からないって感じにしてしまいました。申し訳ない気持ちです。トレーナーから一人辞めちゃった子が出て、もう少し僕が上手いことやってたら変わってたのかななんて思ったりして、、、
G○NGの頃は怪我人が次から次にやってくるので、その都度勉強していたら自然と知識も経験も増えていたのですが、水泳部ではそうもいきません。なので新シーズンでは少しずつ勉強会を始めました。
また前シーズンは選手が強くなるための取り組みが出来ていなかったので、今シーズンでは、「強くなる」ために出来ることを考えました。まずワークアウトを義務化し、朝のドライでは準備体操の意味だけでなく、強くなるためのトレーニングの1つとしておこなってもらいました。プライオやってみたり、いろいろ試行錯誤した結果、選手のみんなを混乱させたのは申し訳なかったです。
ちなみに僕の今シーズンの目標は「全選手全国公制限タイム切り、インカレスイマー排出」でした。今のところどちらも叶えられてませんね汗
ベストが出るかどうかには様々な要因が絡むので、一概に効果があったとは言えないですが、冬期公認でのベスト率がめちゃくちゃ高かった時はすごくうれしかったです。
冬期公認まではすごいやる気満々で頑張ってたし、楽しかったです。
1月に入ると、実習が始まりほとんど部活には行けず、また関わることも少なくなってしまいました。あの時期はシンプルに実習がしんどかったです。
3月の春休みをはさみ5月まで実習だったので、新歓にも参加出来ずでした。それでもトレーナーチームには4+1人の新入生が入って、総勢11人というびっくりな状態になっていました。うれしいね。
―個人的には、あいちゃんがトレーナーとして部活参加するって聞いて、激アツでしたね。
実習が終わってほっとしていると、引退まであと2ヶ月とのことでこれまたびっくりです。
やばい、部活のこと放置してる、やばい、
正直この期間の部活の記憶がほぼありません。
膝痛がってる大月とか、声かけなきゃって思ってたけど全然余裕なかったです。ごめんね。
だから6月からは少しだけギアを上げて頑張りました。
出来るだけ選手に声をかけ、後輩に残せるものを残そうとがんばりました。
迎えた関国、たくとや後藤の覚醒を始め、たくさんドラマがありました。すごく楽しかったです。多くの種目で去年より決勝ラインが上がっていたと聞きました。その中で多くの入賞、表彰台、うれしかったです。
男子総合優勝は叶いませんでしたが、最後の8継とか、めちゃくちゃ感動しました。
やっぱりスポーツって胸熱ですね。
来たる関カレ、もう明日ですね。。。
一部昇格、インカレスイマー排出
僕の夢が夢のままで終わるかはみんなにかかってます。
でもレギュラーの選手のみんなには、そんな気を張らないで、大舞台(アクアリーナだけども笑)を楽しんできて欲しいと思います。
良い結果なら笑って、ダメなら泣けばいいです。
僕が一緒に笑って、一緒に泣きます。
最後に、
僕の今の夢でも書こうと思います。
1つは、医療の観点から不幸(病気にかかる、怪我をする)を減らすことです。医療従事者として働くこと、研究をすることで実現させます。残れるところまで大学に残りたいと思ってますが、どうなるんでしょうね笑。テーマ的には予防、再発予防が好きですね。
もう1つは、エンタメ(スポーツや舞台)の充実によって人を笑顔にすることです。スポーツや舞台は人を笑顔にします。やってる人も、観てる人も、応援してる人も、みんなが笑顔になります。そんな素晴らしい世界に携わっていたいです。まだ詳しいこと決まってませんが、大学卒業したらアスレチックトレーナーの資格を取ろうかなと考えてます。スポーツトレーナーを本業にするというより、学生のサポートや、アカデミックな方面での連携とか、そういう関わり方が出来たら良いなと思います。
そういうこともあって、引退してもなんやかんや水泳部に顔出すと思います。
嫌な顔せずに受け入れてくれるとうれしいです。
ほんとに最後に、
僕は出来た人間ではないので、いっぱい迷惑かけたと思います。
途中入部だったのに、みんな仲良くしてくれてうれしかったし、幸せな1年半でした。
出来なかったこと、悔しいこと、いっぱいあるけれど、とりあえず笑って引退できそうです。今までありがとう。
青炎 2023
総乱舞 2024
続きです。
③トレーナーとしての日々
ハム大のところでも話したように、ハム大で名乗っていたトレーナーもどきと京大水泳部でのトレーナーは全く違う意味を持ちます。潤が創設して(断じてTKTではない)、匠とメグメグがいて、しっかりとした専門知識に基づいて創り出されてきたトレーナーとしての体系は素晴らしいものでした。1年半の間に、トレーナーチームが選手に頼られる重要な京大水泳部の「戦力」になることができたのは初期メンバー3人のおかげだと思います。一緒にここまで連れてきてくれてありがとう。
後輩トレーナーの皆さん、別に特段知識があるわけでもない僕を慕ってくれてありがとうございました。随分と人数も増えてにぎやかになりましたね。僕のトレーナーとしての手技は野生児なので体系的に教えることはできないですが、イメージなら伝えます。あとはTKTに評判の肩甲骨剥がすやつをみんなに教えたいです。関カレとかで教えます。
これからもトレーナーチームを発展させていってください。
なんやらかんやら遅れたり忘れたりして、本当にご迷惑をおかけしました。炎のハイパーファイヤーエクストリームメグメグによくおしりペンペンされました。あれはいつもガチで痛かったです。DV反対。
冗談抜きでたくさんご迷惑をおかけしました。LINE見てなかったり、ミーティング遅れたり、ワークアウト忘れていたり、シロノワール食べてたり。。。ちょいとのびのびしすぎました。お詫び行脚します。
↑トレーナー飯。この30分後、奈島が死亡します。
そしてついに、トレーナーとして迎える正真正銘最後の関カレ・全国公です。コロナで2020は無かったのでこれが5回目です。
決起集会でも言ったように、みんなを南利シャブ漬け生活に陥れようと思います。
頭痛・腹痛・神経痛はもちろん、僧帽筋・三角筋・菱形筋・脊柱起立筋・大臀筋・内転筋・大腿四頭筋・ハムストリングなどなんでもかんでもお任せください。トレーナーで一番強いと評判の劇薬フロッシングもあります。レース前時間がなくても、慢性的な痛みでも、なんとかかんとかします。
南利なしでは生きられない、タイムが出ない体にします。引退した後、確実に困らせます。禁断症状出させます。覚悟しといてください。
一応シフトはありますしレースも見たいですが、シフト外でもできる限りたくさんレースに向けたコンディショニングをしたいと思います。奮ってご依頼ください。命を燃やします。
④水泳と水泳部
・水泳に対する思い
僕は高2くらいの時に、ろくに努力もせずに自分の選手としての成長を諦めました。自分がそれほど速くなることはできないと。もうマネージャーになろうかなと。結局高3まで選手を続けましたが、筋トレしたりフォームを見直したりストレッチをしたりといった努力は何もしていませんでした。それで選手としての道を終えてしまいました。
大学からスタッフになり、ハム大でも京大でも「考えて」泳ぐ選手にたくさん出会って、その練習態度やレースへの向き合い方を目の当たりにしました。そこでようやく、自分が速くならなかったのは水泳において「考えて」いなかったからなのでは無いかと気づきました。
今年は七帝戦に向けて週3〜4くらいで泳ぎました。自分で泳ぐ時は、練習の目的を考えたり「水感」を掴んだり、キャッチやプルで水を押す感覚を意識したり、スタッフしている中でようやく得た知識を使いつつ練習しました。
それに加えて、トレーナー陣で練習したのは新鮮で、とても楽しかったです。ENとかキックとか色々やりましたが、意識を高く持って高強度な練習に取り組めたことがとてもよかったと思います。いつもメイン後に幸登がDiveのタイムを計ってくれました。真喜屋が漂流していたのも非常にポイントが高いです。
↑特によく泳いでた2人と。速かったねえ。
そもそも僕はスプリントが苦手で、選手時代は半フリに出たことがほとんどなく、中2の31秒以来公式記録はありませんでした。短距離で出し切れないというか、泳いでも疲れてないというか。ハム大時代にちょっと練習して出た2021年夏季長の27.75がこれまでの生涯ベストでした。
今回の七帝戦では、リレーの引き継ぎで26.80を出すことができました。これが僕の現時点での最高到達点です。27秒前半を狙っていたので、26秒なんて出ると思っていませんでした。幸登も院試とかある中で練習見てくれて、鼓舞してくれてありがとう。一緒に練習したトレーナーのみんなもありがとう。
一旦は選手を辞めた身ですが、泳ぐの楽しいなと感じてしまいました。京都大学の選手として出場できて、本当によかったです。
↑ラストレース後の写真。100Baしんどかった。
特に1回生男子コンビは選手転向とかいう声も上がってくると思うけど、そこは自分がやりたいようにしてください。トレーナーしながら泳ぐのが実は一番至福ってことを僕は知っています。コタツに入りながら食べるハーゲンダッツみたいなもんです。(ちなみにコタツでハーゲンダッツを食べたことはない)
ただ、もし仮に僕が府大に入ってからも選手だったらどうなったのか。もっと「水泳」自体を楽しむことができたのではないかという少しの心残りもあります。(もしもボックス欲しい)
ただ、僕の場合はスタッフになったからこそ、水泳という種目を俯瞰的に見つめ直すことができて、モチベーションも上がったのだと思います。スタッフをはさまなかったとしたら、
・水泳「部」に対する思い
大学2年くらいまでは、自分は「水泳」のことが好きなんだと思い続けていました。でも、別にオリンピックとか世界水泳とかそんなに見たいとも思わないし、速い選手にもそこまで興味がありません。今回のパリオリンピックも、水泳以外も含めてまだ一切見てないし。そう、水泳部には周りには水泳ガチ恋勢がたくさんいる中で、自分が少し違うことに気づきました。
よく考えると僕は「水泳部」という場が好きなだけでした。水泳ガチ恋勢もいれば、フィットネス勢もいて、球技みたいな汗臭さや圧力もなく、いろんな人がいろんな方面に向かってのびのび存在できる場所。面白い人だらけで、部室に行くだけで癒される環境。そんな環境が好きで、中高大院と12年間水泳部に所属し続けたんだと思います。
なぜか競泳という種目のもとに集まっただけのはずなのに、いい感じに頭のネジが飛んでいてのんびり気味の性格の人がたくさんいます。水泳部に集まる人柄には、とても居心地がいい何かがあるんだと思います。
その一方で、京大水泳部が対抗戦にかける思いはハム大に比べて段違いに強いと思います。潤や裕一朗も言っていた「レギュラーの責任」。
重い言葉ですが、京大水泳部のみんなはチームを背負って戦う覚悟というものがものすごく強いように感じます。そしてそれを支えるスタッフや強化練組の応援も段違いに熱いと思います。この前の関国で、僕がいたころのハム大と比べてもチームとしての格が違うように感じました。
スローガン一つとっても印象の残り方が全く違います。チームとしての団結力がものすごくあって、対抗戦に臨むことができているように感じます。
いろんな人がのびのびと共存しつつも、チームとして戦う意識がしっかりあり、チームとして一つの方向へと突き進んでいける強さがある環境。
これからも京大水泳部がそんな環境であり続けて欲しいですし、この環境を皆さんに守り育てていってほしいと思います。
⑤みんなへのメッセージ
全員に書くやつ、ハム大引退するときもやってないんですが、個人的には公開で伝えるとなると文章に遠慮とか出ちゃうので思いは非公開に伝えたいと思います。なんか言ってほしかったら直接話してください!ざっくりと集団ごとに思いは載せときます。
・後輩スタッフへ
仮にも僕は6年間スタッフをしてきました。僕がスタッフをしてきた中で大事にしてきた考えが、「スタッフがやることを仕事と思わない」ということです。なんで金(部費やら遠征代やら)を払ってまで「仕事」をしないといけないのでしょうか。僕はトレーナーの「仕事」という言葉は決して使わないようにしてきました。
現役のマネージャーやトレーナーの皆さんにも、自分がやっている役目(タイム取ったりコンディショニングしたり)を「仕事」と思わないでほしいです。まずは自分が楽しみましょう。というかやりたいことじゃないと続けられないですよね?
多分マネージャーやトレーナーの皆さんは、心のどこかでは「仕事」と思ってしまっている節があるんじゃないですか?今すぐ変えろとは言いませんが、徐々に意識を変えていった方がいいと思います。
自分がやりたいからやっている。と思って取り組んだ方が自分のためにもなるし、選手のためにもなると思います。その方がきっと能動的に行動できるはずです。
自分のやりたいことが、結果としてチームに、選手にとって求められているサポートであって、それこそが自分のライフワークでありチームへの貢献である、と考えませんか。
義務感に苛まれてやるのって辛いじゃないですか。課題もテストもバイトもあるのに、朝早く起きて人のために動いているわけです。
僕は朝が劇弱なので朝起きるのは結構つらいですが、朝練に行くこと自体が嫌だったことはありません。それはきっと「行かないといけない」という義務感ではなくて「みんなに会える、今日も頑張ってもらおう」と前向きな気持ちがあったからだと思います。
部活に行くことは、僕にとって「仕事=マイナス」ではなくて「ライフワーク、趣味=プラス」のイベントでした。
もしかしたらこの文章を読んで、スタッフでいることを逆に嫌になってしまった人もいるかもしれません。そんな人は一緒に話しましょう。やりたいことが何なのか一緒に考えます。本当に義務感だけでスタッフを続けているなら、それはきっとあなたの人生にとってマイナスにしかならない気がします。大学生活の貴重な時間とお金を使って「仕事」をするのは無駄でしかありません。
・後輩選手へ
選手の中にもいろんなモチベーションを持った人がいると思います。インカレを切りたい人からまずはレギュラーを取りたい人、フィットネス目的の人もいるかもしれません。それぞれの事情、思いがあって、それをのびのびと追及できる場所こそ京大水泳部だと思います。その中でも最低限チーム全体の輪を乱さず、一丸となって進む部分を持ってもらえたらいいと思います。
考えることを辞めずに、ひたむきに水泳と向き合い、成長し続けてもらいたいです。
今後も結果が楽しみです。
・同期(4回生)へ
2学年上のおじさんを受け入れてくれてほんまにありがとう。ハム大時代の同期が人数も少なくてそんなに仲良くなかった分、4回生とは色んな人と話せて楽しかった。
「4回生はベスト出ないものや」っていうハム大時代の固定観念は、4回生の活躍によって覆されました。研究室や実習もある中でベストを出してくるみんなの強さを尊敬しています。最後まで輝く姿を見せてください。支え続けます。
そして、引退後も仲良くしてください。遊びましょう。個別メッセージは引退ブログのコメントに書きます。
⑥引退してからのお話
・酒飲みたい
大会前に禁酒を考えたり大会後に飲まなかったりの人も多くて、この1年間あんまり飲みにいけなかったのが後悔。(ハム大の時はもっと行ってた)
というか多分俺が酒キャラじゃないと認知されてる。普通に日本酒とかレモンサワーとか好きです。最近飲み足りないです。
→これからオフシーズンやし、同期後輩問わずにいっぱい飲みに行こうね
京都の居酒屋開拓したい。ほんまに。
・温泉、サウナ行こう
秋冬はサウナのオンシーズンやで。外気浴最高。風呂行こうぜ。あと京都のトラディショナル銭湯をめぐって制覇したい。
京都大学体育会水泳部の3つ目の競技面として温水面っていうものも作ってます。僕が勝手に作って、メンバーも偏見でグループ入れていってますが、入りたい人いればお近くのメンバーまでお声がけください。
モダンなスーパー銭湯や温泉が好きな人も、京都伝統のトラディショナル銭湯が好きな人も、サウナが好きな人も、暖かい水(温水)が好きな人であればどなたでも参加可能です。これは卒業まで居させてください。お願いします。
・サイクリング、ドライブ、鉄分補給行こう
実はロードバイク持ってます。2階の部屋から担いで出すのがめんどくさいから出してないけど。ちなみにロードバイクに乗っても、普通にグボちゃんの暴走には負けます。
ドライブに関しては、タイムズカーシェア最高ランクなので、デカい車も一番安い料金で借りられます。免許取って5年くらいなので免許取り立て初心者とのデスドライブ教習も承っております。リコはちょっと怖い。陸太郎とデスドライブしたい。
電車も乗らなあかんです。小浜線とか乗りたいねえ。
・紅葉、雪景色、京都寺社仏閣巡り行こう
京都らしい風景を感じたい。宇治とか天橋立行きたい。雪積もってる金閣寺を今年こそ見たい。御朱印帳も埋めたいので、京都の観光地とか寺社仏閣巡ってくれる人をいつでも募集しています。
・就活コンサル始めます?
悩める就活生の子羊たちをお助けするコンサルサービスでもやろうかと思います。ES添削とか予想質問とか面接練習とか考えます。(適性検査は対策したことないから分かんないッピ)
・千葉で就職(来年4月)
関東行くのがナーバスになってきました。みんな遊びに来てください。就活の人は面接の時とかでも。ネズミの方のテーマパークも行きたいですね。
最近やっぱり関西がいいなあと思ってます。でも関西には面白い会社が見つからんかったから関東になりました。
ごめん、同級会には行けません。
いま、シンガポールにいます。
この国を南北に縦断する地下鉄を、私は作っています。
本当は、あの頃が恋しいけれど、でも……
今はもう少しだけ、知らないふりをします。
私の作るこの地下鉄も、きっといつか、誰かの青春を乗せるから。
仕事内容は東南アジアとかブラジルとか中東で石油化学プラントとかインフラを作る会社なので、リアルにシンガポール地下鉄同窓会欠席ニキになるかもしれません。
駐在じゃなくて出張ですが、海外飛び回る感じになりそうです。それが楽しそうで会社選びました。
【2024年8月12日追記】
全国公が終わりました。
2度目の大学水泳からの引退、2度目の喪失感です。
多分選手はもっと大きな穴が空いていることでしょう。(それに対する一つのアンサーが、大学院でもう一回水泳部に入部することです←)
全国公でも、もっとたくさんの人と話して、もっとたくさんの人のコンディショニングをしておけば良かったという思いです。あっという間に終わってしまいました。
最後にも言いましたが、僕が学歴厨だからではなく、単純にチームとして京大水泳部が大好きです。みんな自我があって、芯があって、良識もある。ベクトルや程度の違いはあれど水泳に向き合っていて。あと、同期で仲良くしようという意欲がすごくありますよね。
各個人悩んでいることや困っていることもあると思いますが、とりあえずは自分のできる範囲で、楽しみながらやれたらいいと思います。
でも誰もが必要なチームの一員であることは忘れないで欲しいと思います。誰か1人がかけたら今のようなチームにはなっていないわけで。
僕は「楽しくないなら辞めたらいい」と言いましたが、辞める前に「楽しくするための努力」は必要だと思いますよ。練習に対するモチベーションや捉え方、周りの人との関わり方、自分がやることの範疇を整理すれば、道筋が見えてくることもあると思います。
来年、成長して輝きを放つ京大水泳部を見れることを楽しみにしています。最後までありがとうございました。
(ここから原文)
今、単純にこの京大水泳部での生活が終わることが寂しいです。この日記も引退への一歩な訳で…。これを終わらせることも憚られる。
普通に寂しいです。ずっと吉田神社あたりの研究室にいるので、来年の3月までならいつでもコンディショニングとか呼んで欲しいです!飛んでいきます!
というかたまに部室とか行くと思います。カピバラを見守る気持ちで温かく迎えてください。秋冬になったら、一緒にプールサイドで日向ぼっこでもしましょう。
⑥に書いた引退後の項目に当てはまる各位は気軽に誘ってください!予定は詰まり気味ですがフットワークは軽いです。僕からも誘います。
さて、流石に予定より2日遅れてしまったのでこのあたりで終わります。ここまで読んでいただきありがとうございました。
最後に。
僕が京大水泳部に至るまで、唯一無二のユーモアとかっこいい背中で僕に憧れを与え続けてくださった諸先輩方
大学院まで通わせてくれて、いつも好きなことをやらせてくれた両親
僕に水泳の楽しさを教えてくださった中学水泳部の顧問、高校水泳部の環境
僕のことを受け入れてくれた去年の4回生&現4回生
いつも僕のことを親しんでくれた後輩たち
そしてこの日記を、南利昂汰が京都大学体育会水泳部に存在した証として刻みます。
この時間軸で、この世界線で京大水泳部に存在することができて幸せでした。
それでは皆様またお会いしましょう。いつまでもみんなのパパであり続けます。南利でした。
PS
今読み終わったあなたへ。たまにコメント確認してるので今からでも書いてもらえると嬉しいです。
京都大学体育会水泳部 修士2年トレーナー 南利昂汰
2018-2019 奮輝
2019-2020 瞬
2020-2021 克起
2021-2022 一新起元
2022-2023 青炎
2023-2024 総乱舞
こんにちは。京都大学大学院エネルギー科学研究科 M2トレーナーの南利です。
まず、今回の投稿が遅れてしまったことを深くお詫びいたします。誠心誠意書き連ねますので何とぞ最後までお付き合いいただけますと幸いです。
今回の遅延に伴い、主に炎のハイパーファイヤーメグメグから強火の圧力を受けております。1秒に何回もリロードし続けているらしいので、もはやDDoS攻撃(ディードス攻撃)です。メグメグのDDoS攻撃、つまりメグDoS攻撃です。滋賀(山科)出身やのに京都弁がえらい上手どすなあ。メグどすなあ。
出典:NTTコミュニケーションHP「DDoS攻撃とは? 意味と読み方、対策方法」2024/7/30閲覧
https://www.ntt.com/business/services/network/internet-connect/ocn-business/bocn/knowledge/archive_18.html
そんなこと言っていたら髪に火つけられそうなので始めます。大変お待たせ致しました。遅くなり本当に申し訳ございませんでした。
さて、なんか毎回ブログで半生を語っている気がするので、引退日記ですけどこれまでどうやって生きてきたか、なぜ院生がここに存在しているのか、みたいな部分は割愛します。
詳しく知りたかったらこの辺を読めばわかるでしょう。
・京大水泳部自己紹介日記(2023/6/8(木) 失礼だな純愛だよ)
・京大水泳部(不)合格体験記(2024/2/9(金) 浪人=人生の停滞なのか その1)
そしてここからは、今まであまり話したことがない内容や、6年間もの大学水泳を経て振り返った思いやメッセージを書こうと思います。長くなるつもりじゃなかったのに長くなりました。
------------------------------
大学水泳、初めてブログを書いたのは2019年の6月。
大阪府立大学体育会水泳部ブログ 2019/6/5(水) お客様満足度
今読み返すとめちゃくちゃ恥ずかしい。生意気なやつですね。
中高とゆるゆるの上下関係で育って、体育会のシステムに適合するためにエネルギーを使っていた時期です。男子スタッフなんていなかったので、怖いお姉さまたち(訳:先輩マネージャー)たちにしごかれて泣いていました。(マネージャーミーティングでガチ泣きしました。看護女子のパイセンが特に怖かった。)
あとトレーナーって名乗っていますが、この時はほぼ何もしていません。名前がかっこいいから名乗っているだけみたいなとこがありました。一応軽くマッサージは習ったけど知識はなく、触っているだけ…みたいな感じですね。なかなか上回生にも頼んでもらえず、経験も積めず…で、今考えると何も進捗してなかった気がします。
あと衝撃の事実として、実は府大水泳部に入部したのが2019年、ということはコロナ前なんですよね。みなさんは中高でコロナとぶち当たっているのでしょうか。ジェネレーションギャップすぎる。
ちなみに2019の全国公は鹿児島でした。普通に市街地歩いていたら火山灰が降ってきて、桜島を感じました。あとホテルも桜島だったので毎日会場までフェリーに乗って行ってました。
あと2019年の大きな出来事として、京大水泳部のやしろ合宿に参加したことがあります。
やしろ合宿では実年齢上の同期達や1つ上の泉さん、今滝さん等に出会って、京大水泳部に入りたい欲をこじらせていました。京大水泳部が楽しそうすぎて、その時すでに府大水泳部がかすんで見えました。鬱でした。
ここでの楽しい経験から京大水泳部に対するあこがれがより強くなりましたし、去年のやしろ合宿に行けたこともエモエモでした。
2023/12/29(金)やしろ① 南利昂汰:オリジン
今年の年末は草津でやるらしいですね。羨ましい。ちょっと遊びに行こかな。
↑まだ僕の髪がツンツンしてた時期の南利と泉さん、今滝さん
↑2019やしろ合宿
そんなこんなでコロナに突入します。コロナ禍で完全に僕のトレーナーとしての歩みはストップしています。大会ではマッサージが禁止され、何なら人数制限で応援に行くこともできませんでした。(2021全国公@秋田) そのころの京大水泳部は厚生課?の制限が厳しくてそもそも大会に出られなかったりしていたので、それよりは恵まれていたとは思います。
コロナで制限されている中、僕は府大水泳部の同期の体をひたすらマッサージして、ほぐし方のコツをつかんでいきました。だからこそ我流だし、水泳部の体の要所みたいなものは掴めているのかなと思います。本人に感謝を伝えたことはないですが、文句も言わずずっと揉まれ続けた彼のおかげで今の僕がいます。多分これは読んでないと思うけど、ここでこっそりありがとうと述べておきます。彼のおかげで、僕は京大水泳部の役に立つことができました。
そして4回生に上がった4月に大阪市立大学と統合し、大阪公立大学が爆誕しました。要するにハム大です。ハム大水泳部での引退ブログ(今読むとあんまり出来が良くない)
大阪公立大学体育会水泳部ブログ 2022/8/5(金) 嵐を継承したい
統合したとは言ってもそれまで特段仲良くしていたわけでもないので、大阪市立大側の部員とはほとんど関われずに引退しました。ちゃんと話したのは道越と榊原くらい。京大でも知っている人がいるであろう道越光星は、本当に変な奴でしたがあいつの水泳への向き合い方と壮絶な人生は非常に興味深かったです。(道越とは、俺と同じ代でジャパンオープンまで突破したエグいスプリンターです。全国公1フリで優勝してました。)
高校は半フリ25秒くらいで卒業して、インハイ出たわけでもなかった彼は本当に大学水泳で伸びてます。スプリンターのインハイスイマーの先輩を追いかけて、週5で筋トレしてたらしい。
まあ一例としてそんな奴がいた、というだけの話ではありますが、努力次第でこうも輝くことができる、という先例になると思います。自分に合った努力や練習は人によって違うと思いますが、誰しも化ける可能性はあると思います。
そう、次の道越はこれを読んでいるあなたかもしれません。(特に中堂は性格のクレイジーさで考えると、かなり道越っぽいです)
というハム大水泳部での4年間の仮面浪人を経て得た成長と教訓を少し書いてみました。
②京大水泳部へのこじらせ愛
まず、入部させていただき本当にありがとうございました。
新歓の時期、普通に院生入ってくるの意味分からんよな、煙たがられるやろうな、幹部としてもめんどくさいやろうな、とか色々考えてなかなか体験に行くことができませんでした。
そんなとき「京大水泳部入らないでいいんですか?」と連絡をくれたのは椋本暖大先輩です。加古川東高校での愛弟子であるポンテン丸が留学やら休部やらしつつも4年生まで残っていてくれたおかげで、僕が水泳部に入る道筋は開きました。暖ちゃんがいなければ勇気が出なくて入部していなかったかもしれません。
↑2018年兵庫県高校総体
↑加古川東コンビと、颯爽と走り抜けるあず。カナダでも頑張るんやで。
あと、入部する決心ができたのはトレーナーチームが発足直後だったからです。まがいなりにもハム大で「トレーナー」を名乗っていたわけで、役に立つことはできるだろうし「オープニングスタッフなら何でもありやろ」みたいな目論見がありました。
(その後のトレーナー勉強会で己の不勉強に気づかされ、知識不足にあがき苦しむことになります。やっぱ人健は専門でやっているだけあって強すぎる。メグメグ最強!)
そんな二つのファクターが組み合わさった結果、ようやく謎の4浪大学院生水泳部員がここに誕生しています。裕一朗の代にも受け入れてもらえて本当に良かったです。入部させてもらえてなかったら、今頃デルタで干からびていたかもしれません。
そして、部員のみんなが僕を受け入れてくれたことがとてもありがたかったです。最初は距離感分からなかったり学年として浮いていたり(夏ごろから今の4回生の同期扱いにしてもらったと思います。うれしかった。)して、馴染めてない感じもありました。
夏くらいからちょくちょく交流も増えていってどんどん楽しくなっていきました。まだまだ遊び足りないので、引退しても一緒に遊びましょう。モラトリアム謳歌しましょう。
それはそうと、パパって呼びはじめたのって誰なんでしょうか。ジョンウ??
パパと呼ばれるということは、みんなが僕に親しんでくれて、仲良くしてくれた証拠やと思います。嬉しかったです。これからもみんなのパパであり続けます。
ちなみにハム大の時は「おじさん」呼ばわりされていたので、それに比べると大きく昇格したと思います。赤の他人から身内になりました。大きな進歩です。
そういえば、全然関係ないですがハム大水泳部と京大水泳部の決定的な差に気づいてしまいました。
圧倒的な人格の差です。トゲトゲに尖ったマイワールド持ちの部員が多いですよね。本当に喜ばしい。そういう人だけ見て一生過ごしていたい。グボとかゴシとかポヨとか。
それだけじゃなくて、落単率も圧倒的に違います。ふつうそんなに単位落とさないと思います。やっぱり京大生はどうかしてるぜ。なんで留年危機のヒトがこんなにうじゃうじゃいるんですか?堀ちゃん今期一ケタ単位ってマ!?ふつうそんなに落とさんでしょ…。
もしかしたらハム大に娯楽がなさ過ぎてみんな単位取れているだけかもしれませんが、部員の単位取得率データで出したら20~30%くらい違ってそうです。ハム大では1個落としただけで結構大騒ぎされてたんやけどなあ。
「京大って単位が降ってくるんじゃないんか?」
マリーアントワネットもそう言っていました。
さて、京大水泳部への愛に話を戻します。
高2のときの京大水泳部との合同練習に来た時、そこで芳賀さんに出会い、僕は京大水泳部のスタッフになりたいという夢を持ちました。なんか思ったよりも遠回りして、4年も遅れたうえに期間も3分の1くらいに短くなってしまいましたが、夢をかなえることができました。
↑合同練習行ったとき(2017/8/26)。ビート板増え続けるリレーとかして楽しかった思い出。「プールサイドの床がヤバいのでサンダルを持ってきてください」と言われました。
あんなに憧れていた京大水泳部での生活が、もう終わってしまう。楽しかった。短すぎた。なんで4年ないんやろう。やっぱり現役で、というか浪人してでも学部で京大水泳部に入りたかった。
でも、確実に僕の大学院生活を充実させることができました。2年間就活と研究だけなんて、僕には到底耐えることはできなかったと思います。しかも、水泳部に入らなかったとすると、ハム大から来た外様の僕にとっての京都におけるコミュニティは研究室だけになっていました。せっかく京都に来たのに、それって何が楽しいんでしょうか。
京大水泳部あってこその京都じゃないでしょうか。もはや京大水泳部があるから京都という町が存続しているとも言えます。五山送り火・大文字の特等席は京大水泳部が押さえてるわけですし。
何より、院生としてこの時間軸で入部したことによって、今の1,2回生と出会うことができました。面白いし可愛いやつばっかりやな。そして、3,4回生と深く関わることができました。3回生の部室住人勢はいつも微妙にくすんだ顔をしていた気がします。4回生の頑張りを近くで見ることもできました。
これは学年的な本物の同期(京介とか)には経験できなかったことで、この時間軸で僕が京大水泳部に存在したことが生んだかけがえのない価値だと思います。
ということで清川さん、京大水泳部のファンとして、引退した後でも京大水着は入手したいと思っているので、お手数をおかけしますが何卒宜しくお願い致します。去年のやつ買いたかったなあ。
京大水着無いから渋々ハム大水着(OMUST)履いてるせいで、白文字の部分だけ日焼けしておしりにOMUSTの刻印ができてしまいました。青少年の教育上、非常によろしく無いと思います。生き恥さらしてるようなもんです。首を長くしてお待ちしております。
↑7/30追記:投稿が遅れたおかげで、水着のデザインが完成したそうです!ありがとう!!
買います!!!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
後編へ続きます。